「おい、もう一度言ってみろ」
停泊中の軍艦、その中に設けられた病室の中で底冷えのするような男の声がする。男は面会謝絶であることを良い事に本来は病人の為の一室を丸々自分の為の執務室に変えてしまっていた。仮病であるばかりか本来ならば許されない暴挙であるが、男が軍の元帥という階級であることと、船医と結託した結果看過されている自体であった。
そんな半分部屋の主の様な振る舞いをしている男は、目の前の若い青年秘書官に再度問い質す。一体何があったのかと。
そのあからさまに不機嫌な顔にひるみそうになりながらも、彼は男の秘書官であり、かつ共犯者という立場から、改めて自分達の所に降って湧いた報告を読み上げる。その際、報告書を逃げる手が微妙に震えた。
「……一日前、アステカ遠征軍が大規模な攻勢をしかけ、都市セッキョーの守備隊と交戦。一時はアステカ兵の侵入を許すもこれの撃退に成功し、以降の防衛に成功す。最後はウルル公国からの義勇軍が、アステカ砲台陣地とその本陣を背後から奇襲し、敵は砲火力と指揮能力を大きく損失。その直後にアステカ軍は一時撤退、現在はセッキョー北部の無人地帯を占拠中なり――――」
「ふざけるな!」
一息に読み上げた報告の内容に怒り心頭の元帥。そのまま顔を真っ赤にしつつ読み上げた青年から報告書をひったくり、乱暴に丸めて足元に叩きつけた。丸くなった紙は乾いた音と共に部屋の隅に転がって行くが、ソレに注目するだけの余裕は二人には無かった。唯一それに気付いた病室の主、即ち船医は皺だらけの顔でそんな二人に視線を向け、そして不気味に笑う。
「軍記物語であるまいし、寡兵が大軍に勝てる道理などある訳がない! それが! よりにもよって! あんな蛮族連中が勝利に大きく貢献だと? 一体どこの誰だ! こんな恥知らずな報告を送って寄こしたのは!」
とにかく不愉快極まりないと吐き捨てる元帥。彼が不服に思ったのは二点。まず初めが、彼が最初から捨て駒どころか賑やかし程度にしか思っていない自称義勇軍の連中のまさかの大活躍で戦いが勝利に終わった事。そして、というよりもこれが最大の理由ではあるが、自分の活躍の場を丸ごと奪われたことだった。
本来ならば、彼は現在集結しつつある海外派遣軍でもって陥落した都市セッキョーを奪還し、歴史にその勇名を刻むハズだった。だからこそ最初から都市を見捨て、その責任を追及されないために自作自演の暗殺未遂事件を演じたと言うのにこの結末では、それこそ道化、すなわちピエロである。
「何処のどいつが我の代わりに指揮を執ったと言うのだ! 敵に出血を強いたらほどほどのところで撤退するのが兵法の常道だろう! そもそも最後まで士気が保つハズが……」
そして誤算がもう一つ。古来から籠城戦は兵士の戦意をどれだけ長く保たせるかが重要な要素を占める。大軍に囲まれた兵士達が見通しのない未来への絶望感に駆られ、内側から崩れて行くからだ。
それこそ自分や皇帝の様な、この国で最も尊い血を引く最上位クラスの者がその場にいない限り、見捨てられると思った兵達が脱走して戦線の崩壊を招く。
「その、守備隊の士気は最後まで軒昂であり、それは元帥の御子息のおかげであるとの報告も」
「なに……ッ!?」
その報告に、今まで激怒に顔を変色させていた元帥が意表を突かれたかのように表情を一変する。怒りを通り越したかのような、あり得ぬものを見たような呆けた顔になる。が、それもほんの一瞬。次の瞬間には再び不都合な現状に激昂するのだった。
「元帥閣下の御子息が指揮官を勤められ、その御姿で以って兵の敢闘精神を――――」
「うるさい黙れそんな事は聞きたくもない! だいたいアレはおん……」
「?」
「ッチ……それよりもだ! これでは我の立場がないぞクソ!」
慌てて言い繕う元帥。だが、実際問題としてそういつまでも怒鳴り散らしている訳にもいかなかった。何せこのままでは、大事な時に寝込んでいた間抜けという謂れもない誹謗中傷があるかもしれないからだ。英雄としての栄光は歓迎しても、面白おかしく揶揄されるのは我慢できない。一応は敵からの汚い謀略のせいということで体面はもつが、民衆と言うのは結果が全てとでも言いたげに成功者を持ち上げ、失敗したモノを足蹴りする。この場合、自分の子供が持て囃され、親である自分が蔑にされるなど絶対にあってはならない事だった。特に、英雄願望の激しい近衛元帥にとっては。
「イヒッヒッ、イヒッイヒヒヒヒ――――」
「……なんだ、何か言いたげだな」
そんな時、不意に聞く者を不安と不愉快な気分に陥れる笑い声が響く。そのやせ細った喉から、堪え切れないと言う風に笑い声を上げる老船医に視線が集まる。
元帥から責められていた秘書官もまた、その年齢不詳な魔法使いの様な不気味な老人に視線を向けた。
「イヒッ! 短気は損気といいますが、あれは本当だなあと思いましてねぇ」
老船医の手には、先ほど元帥が丸めて床に叩きつけた報告書があった。その手に負けないくらい皺の広がった紙の一部を楽しげに読んでいるのだった。
そして、その一部を元帥と秘書官の双方にしかと指し示して見せた。
「アステカ軍側は降伏を水面下で打診中、と。ほら……」
「それが何だと……」
「まだ戦いは終ったわけじゃあないと」
「……」
「古今東西、偉業を塗りつぶすにゃあ、それ以上の偉業で以ってというのが通例というもので」
「…………詳しく話してみろ」
「イヒヒッ――」
再び愉快そうに笑う。底が見えない暗闇を覗くかのような気味悪さを漂わせ、一体何を考えているのか外からでは窺えない魔法使いの様な老船医は、まるで古の英雄を誑かす悪女の様な声色で、ゆっくりと自分の考えを語った。それに対する反応は二通り。無謀すぎると呆れるものと、天啓を得たとばかりに喜色満面。むろん、前者が青年秘書官で、後者が英雄を夢見る元帥であることは言うまでもない。
太平洋の向こう、北アメリカ大陸の覇権を握るアステカ帝国が首都テノチティトラン。その玉座の間にて君臨する帝王は、跪く部下とただ一人対峙して、甚だ不満そうにその報告を聞き届けた。
小さな明かりしかないこの場所に在って、アステカ皇帝モンテスマ三世の姿は一層不気味に映る。
「――――遠征軍は次手を打てず。現状から考えて、既に敵地の占領は不可能かと」
それは、遠く異国に送り出した遠征軍が敵の都市の攻略に失敗し、無様にも立ち往生していると言う笑い話にもならない話だった。戦士たるもの勝つか、さもなくば役立たずとして死体を晒すべしという考えのモンテスマ三世にとってしてみれば、面白くもなんともないことこの上なかった。
「ムゥ……なるほど、よおく分かった。下がれ、追って指示を出すッ……!」
「ハッ」
モンテスマ三世はそう言うと、手を払って報告に来た者を追い出した。これにより、玉座の間にはその主のみとなる――――かに見えた。小さなかがり火以外に光が差さない薄暗い闇の中、もう一人居る事に先の者は気付く事が出来なかった。
「クックックッ……どうした……しけた顔してっ…………!」
「ウヌ――――いたのか……!」
闇の中からしみ出すように、ぬるりと現れたのは、若者というには余りにも年齢を重ね、老人というには余りにも覇気が溢れる男だった。その高い身長もあるが、なによりも目を引くのは、身にまとう空気だった。命がけのギャンブルに興じる危険な博徒のような鬼気迫る雰囲気をこれでもかと醸し出しているのだった。
「どうやら賭けはアンタの旗色が悪いらしい……さあどうする……賭け金を上乗せするか、それとも降りるかっ……!!」
「下らぬ!」
「……そうかいっ――フフ……」
挑発するような男の言葉を、一言で切って捨てる。だが、それでも男は薄く微笑みを浮かべたままじっと見つめてくるばかり。闇に同化するようにしつつ値踏みするかのような視線を向けて来るこの男に、モンテスマは内心で動揺するも、それを抑えて咆える。
「ヌウ!! 賭けと言うのならば、こうして彼奴らに宣戦布告をしたことで既に終わっておるのだ。かの国に戦いを挑む事、それがそちらの出した条件ではないかブリタニアの大使よ! 忘れたとは言わせぬぞ!!」
「ククッ……ああそう言えばそうだったな……!全く以ってその通りだ……」
男――改め在アステカのブリタニア大使は昨日食べた夕飯のメニューを指摘されたかのような気楽さでモンテスマの発言を肯定した。
そう、先の神聖オリーシュ帝国への遠征は、アステカ帝国が主導した訳ではなかった。外交によって第三国から嗾けられたことで発生した戦いであったのだった。その第三国というのがブリタニア王国――――ヨーロッパに存在する海洋国家だ。
「いいぜ……これでアステカと我が国は同じ船に乗ったというわけだ」
「フン!」
「約束通り、海上戦力を出そう。大西洋でもカリブ海でも……ああ、あんたらのインカ遠征に1枚噛んでやるさ……!」
「分かればよいのだ分かれば!」
「見せてやろうっ……! ブリタニア海軍の力ってやつを……未だ攻め切れないインカ帝国との戦いに、我々が終止符を打つ……!!」
モンテスマは宿敵インカ帝国を滅ぼす事に苦心していた。だが、アステカの誇る精強無比な軍団は陸軍より。これではせまいユカタン半島を経由して南アメリカ大陸を支配するインカ帝国に攻め込むには余りにも非効率的だった。そこで考えたのが、せまい陸路ではなく海路で迂回して直接敵の領土に上陸し、大兵力を生かして領土を蹂躙すると言う計画だった。だが、この計画を実行するに必要な海上戦力の用意にアステカは手間取った。そんな時に接近してきた国が海洋国家であり海軍大国であったブリタニアだった。
ブリタニアは、インカ帝国への水先案内人を買って出る事の対価として、太平洋上の国、神聖オリーシュ帝国への宣戦布告を条件に出してきた。基本戦争が日常と化しているアステカはこれを即座に了承し、その結果下っ端としてこき使われていたコルテス将軍が遠路はるばる遠征に繰り出されたと言うのが大まかな流れだった。
だが――――
「宣戦布告をしたことで、もう終わっている……クックック……ッ! なるほど道理だ……だがそれだけだ…………! とんだお笑い草…………っ!」
玉座の間から退出した大使は、今まで以上に薄く唇を歪める。そしてその懐に手を入れると、一枚の紙を取り出した。そこに書かれている文章を見る度に、そして思い出すたびに可笑しくてたまらなくなるのだ。
『最重要機密 オリーシュ海軍、アステカ帝国領パナマへの奇襲攻撃を画策中につき注意されたし。アステカのインカ出兵を確認次第、新天地作戦を発動。なお、この紙は確認しだい破棄する事』
「クックック……どいつもこいつもなっちゃいない……! ちゃちな賭けにも勝てない凡夫に、相手の後ろを刺すしか能がないケチな博徒……!」
少し考えれば分かる事。なぜ、ブリタニアはアステカ帝国にオリーシュを攻めさせたのか。同じ海洋国家として存在が邪魔だったから? 単純に気に入らなかったから? いいやそのようなことではない。ブリタニアが最初から目を付けていたのは、遠く離れた小大陸の領地などではなく、目の前の広大な領土――――すなわち北アメリカ大陸だった。その為には、何としてでもアステカなる国を排除しなければならない。新天地作戦とは言うなれば、アステカ征服作戦であり、全てはその為の布石だったのだ。
同じ船に乗ると言ったが、友好的とは言っていない。インカとの戦いに終止符を打つと言ったが、共闘するとは言っていない。何でもいい、とにかく邪魔なアステカ兵をどこかに追いやれば、隙などいくらでも突ける。要するに戦争している相手の後頭部をいきなり殴りつけ、火事場泥棒をしようというのが本質だった。
だが――――
獲物を罠にはめようとほくそ笑む猟師が、どうして他者から狙われないと言い切れるのか。苦労して仕留めた獲物を、どうして横から奪われないと断言できるのか。誰かの後頭部を殴りつけるのは、決して自分達だけの特権ではないとでも言いたげに、男は静かに闘志を燃やし、成功すれば一国を、負ければ全てを失うギャンブルへ参加する意欲を燃やし始める。
「いいぜっ……! 両方まとめて飲み込んでやるっ…………たかが命一つで国を盗れるっていうなら上等っ……それがこの俺――――」
――――ジョージ・ワシントンのマニフェストディスティニー……っ!!――――
あとがき
みなさんお久しぶりです。瞬間ダッシュです。
さて、タイトル横にも書いたとおり、誠に私的な理由になるのですが、しばしこの作品の投稿を休止させていただく事に相成りました。明日よりおおむね三カ月程度はパソコンがほぼ触れない状態が続くので、そこからさらに書きためなどを行なう関係上、予想では約一年ほどの休止になると思われます。
ただ、エターだけはしないつもりですので、最低でも一年以内に生存報告等をさせていただく予定で在ります。
それではみなさん、それまでどうかお元気で。