「貴様らっ! 服はキチンと着ろと何度言えば理解できるんだぁああああ!!あと唾をはくな汚いだろう!」
「あぁあ?! んだこらっ!!ッスゾオラアア!!」
(またか……)
進路を北に向けて航行中の船の上で、本日三度目の怒鳴り合いに山本はため息をつきながらそう思った。一体彼らの何処にそれだけの元気があるのか疑いたくなるくらい、彼らは繰り返し口論していた。
その声の主はモヒカンを束ねるカタと、オリーシュ軍の制服を来た少年士官だった。今回の議題は、というよりも今回も、着衣の乱れに関するものだった。
そもそも服と言うモノを着る習慣がほとんどないモヒカン達を相手に、何度も何度も根気よく着崩す癖を是正しようとする少年士官の態度に山本は申し訳ない思いを少しだけ抱いていた。そして残りは、クラス委員長みたいだなと呑気な事を思っていた。
「いいかっ! どういうコネを使ったんだか知らないがその制服を着る以上、ルールを守りたまえ! ――――だから服をはだけるな半裸になるなと言っているだろう!!」
「ああ!? このクソ生意気なコゾーをやっちまえテメエら!」
そして口論の後に待っているのは乱闘。これも毎度のことながら、モヒカン達に一歩も引かず応戦し殴り合いを演じる少年だった。彼は山本率いる義勇軍に派遣されてきた、オリーシュ側の使者だった。
(いや、ホントコイツラ蛮族で申し訳ない。でも、あんたもようやるぜ)
山本から委員長みたいと言われた彼は、北是少尉。丸眼鏡と前髪7対3が特徴的な彼は、元はテンプレで軍の出納係であった。彼もまた、山本によって巻き込まれた者の一人で、義勇軍と言う名の怪しさ爆発愚連隊に放り込まれた被害者だった。
心の中でやれやれと他人事のように嘆息した山本は、改めて今の状態になるまでの経緯に思いを馳せる。あれはそう、船がテンプレとかいうこれまた爆笑ものの都市の港に到着した時のことだった。船は元帥が指示した通りに一度北側の都市テンプレに立ちより、山本達の為の武器や馬、そしてオリーシュ軍の制服を積みこんだ。そこまでは予定通りだったのだが、ここで道案内役および調整役として臨時で義勇軍に放り込まれた者がいた。それこそが、物資の受領に関して実務レベルで世話を焼いてくれていた少尉だった。
「まず、名前と身長胸囲靴のサイズを全て申告したまえ」
彼の第一声はこれだった。机に座り、ペンを片手に彼はそう言った。見た目の通り全てしっかり書類にして処理する市役所の職員の様な性格で、彼は山本が抱いた感想通りの真面目で細かい委員長気質だった。靴を履かせれば踵を踏む、服を着せれば前を止めない、立ちションを船の上で平気でやるという恐ろしく教育レベルが低い連中相手にも一歩も引かず矯正しようとするその態度に山本は、ある種の畏怖の念さえ抱いていた。まず自分ならできないだろうと。さらに、結局一人ひとりの名前を聞いて名簿を作ったりとあれこれ義勇軍としての体裁を整えた根気にはまさに舌を巻きたくなるくらいだった。ちなみにその間、山本は軍服姿をどうにか写真に残せないか考え、真剣に写真技術をチート出来ないか悩んでいた。とんだ役立たずである。
「煉獄院殿! 大体君がコイツラの指揮官だろう! なんとかしたまえこれでは唯のチンピラ集団ではないか!」
「――――フッ、否定できんのがつらいな」
「何を偉そうに言っているんだ君はあああ!」
「ああドコ見てんだテメ――――グヘ!」
ニヒルに笑いながら答える山本と、絶叫して突っ込みを入れる北是。北是は山本への文句を叫びながらもモヒカン達に突貫し、一人を殴り飛ばす。絶賛乱闘中でも別方向に罵声を飛ばせる彼は、かなり優秀に違いない。
そんなこんなで、山本が制服姿に悦に入りつつ、北是少尉が委員長ぶりを発揮し、モヒカン達がそれに反発するという日々が繰り返す。船員達が「もういい加減にしてくれ……」と日々涙を流す中、ついに彼らはシド大陸の最北端にまで到達した。
そして丁度その頃、彼らがいる場所から南方、都市セッキョーにて大きな動きがあった。
シド大陸の最北に位置する都市セッキョー、その更に北に広がるツンドラ地帯には、アステカ軍の各部隊を示す軍旗がいくつも風に煽られて激しくたなびいていた。曇天の空の元、侵略者たる彼らは部隊を連隊規模で区切り、それを横一列に布陣していた。それはまるで人間で作られた壁。しかしこの壁は指揮官の命令で縦横無尽に動き、攻撃までしてくる攻撃的な代物だった。
彼らが対峙しているのは、土嚢や木杭で作られた即席砦に籠ったオリーシュ側の防衛軍。アステカ、オリーシュ双方は、丁度人里と荒野との境界線上で睨みあっていた。
人壁の内側で、アステカ遠征軍の総大将であるコルテス将軍は副官共々専用テントの中で最終的な打ち合わせをしていた。
「いや、敵もちゃんと戦う気があるようですね。安心しました」
「いやいやいや、そこは安心じゃなくて残念に思う所じゃない?」
コルテス将軍は両の手を擦りながらそうぼやく。絶対あるモノだと思っていた上陸際の妨害が無くすんなり岸に上がる事が出来たコルテス将軍は、今回もなんやかんやですんなり敵側の都市を占領できるのではないかと言う、すさまじい希望的観測を抱いていた。だが、実際はそんな事は無く、目の前にはしっかりオリーシュ側の防衛軍が彼らアステカ遠征軍を待ち構えていた。だが、それはそれでよかったのではないかと副官は指摘する。
「将軍。コルテス将軍。我らがアステカ皇帝は戦いそのモノが目的の様なお人です。敵があっさり無条件降伏したと報告したら、こんどは何処に飛ばされるか分かったものじゃありません。それに見てください」
副官は観測班が作った近隣の地図を広げた。そこには今回の攻略目標である都市セッキョーはもちろんのこと、近場の地形、そしてそこにある施設が記載されていた。さらにその上に、副官は自軍を示すコマと、オリーシュ軍を示すコマをポンポンと並べて行く。自軍のコマの数が圧倒的多数であることに、コルテス将軍は少し安心する。
ちなみに、都市周辺の情報をつかめたのはアステカ大使による情報提供があったからである。
「敵は最初から都市に籠城するでなく野に出ることを選択しました。砦があるとはいえ見るからに未完成な代物で、籠った兵士の数もせいぜい一万五千。たいしてこちらは五万の大軍。まともに戦えば労せず勝てます」
「そんなこと分かり切っているのに、なんでわざわざこんな所で戦うことを選んだんだろう?」
将軍と副官は地図を腕組みしながら見つめる。今回はアステカ側の奇襲で始まったが、戦いの場を選ぶ権利はオリーシュ側にあった。彼らはやろうと思えば都市に籠って籠城するという戦法を取る事が出来た。だがあえて、わざわざ都市から離れたセッキョー州の辺境で中途半端な防御施設を築いた。
「おそらくは、略奪されまいとしているんでしょう。敵は我々の抱えた弱点を的確に付いています。こちらが端からまともに補給を受けることを諦めている事は先刻承知なのでしょうが――――いかんせん準備時間が足りなかった。」
副官が指示したのは、オリーシュ軍を示すコマの直ぐ後方だった。そこには農村と書かれた区域である。そしてその区域よりアステカ側にはそのような人間が生活しているような場所は、地図上では皆無だった。ただただ耕すでもない未開発の原野が広がるばかりだった。
「最初に突破すべきモノは、敵の砦」
副官が指を一本立てた。補給が受けられない彼ら遠征軍には、都市を攻略する前にまず物資を補給しなければならない。そしてその為には人里を守る様に立ちはだかるオリーシュ軍を撃破ないし退けるのが絶対条件である。
「その後近隣の村々を襲って食料を強奪。その次は攻城戦。それをさらに二回行ないます」
さらに指を二本、三本と立てて行く副官。その数だけ、彼らに立ちふさがる障害を意味していた。唯でさえ厳しい攻城戦を三回も行なうというのに、物資を自前で用意できないお粗末な補給状態。
「……なんか、無理じゃない? 時間的にも戦力的にも」
「…………東洋には、成せばなるという言葉があるようです」
と、思わずコルテス将軍が呟いた。副官もフォローになっていないフォローを返す。実際、難易度的にはルナティックであることは事実だった。
まず時間的と言うのは、こちらは奇襲であったので時間が経てばたつほど相手のホームグラウンドで戦う以上不利になっていくという事。そしてもう一つが、被害が跳ね上がる城攻めを三度やる事が前提であると言う割には少ない兵力に関してであった。
コルテスの試算では、野戦で敵の防衛戦力を壊滅させた後、戦力を回復される前に都市を兵で囲んで大砲をうちこみ、雪崩をうって押し入るのが唯一の勝筋に思えた。逆に最初から相手が都市での防衛戦で挑んできていたら……少なくともコルテスには勝つ見込みがなかった。
「まあやるしかないと言うことです。ではコルテス将軍。精一杯強気に進軍の下知を」
「――――ようし!」
パンッ! と両の手のひらで両頬を叩くと、コルテス将軍はテントの入り口を力強く払いのける。そして大股で陣の最前列にまで進んだ。そこには、銃の代わりに太鼓やラッパを持った兵隊達が固まった一団がある。将軍がその一団の元まで辿りつくと、彼らは敬礼で迎え、各々持っていた楽器を構えた。
「…………」
天候は相変わらずの曇模様。風は強く、まるで嵐の前触れの様であった。それが遠征軍の未来を暗示したものなのか、それともオリーシュのそれなのかは、今はまだ誰にもわからない。だが、確実にどちらか片方の未来を示していることだけは、純然たる事実であった。
コルテスは腰の剣を抜きはらい、天を指し示すように掲げる。彼が死ぬか、一つの国が滅ぶか。そんなものはやってみるまで分かる訳がない。
「軍楽隊ぃ! 鳴らせえええ!!」
打楽器と金管楽器が音楽を奏で始める。軽快で耳に心地よい、思わず歩き出したくなるような調べだった。ウキウキするような、今にも歌でも歌いながら散歩に出かけたくなるような…………そんな音色が辺り一面を満たし始めた頃だった。
「大軍に用兵は必要ない! ただただ押し潰せ! 全軍前ええええっ! 進め!!!」
コルテスが剣を振りおろす。一際甲高いラッパが吹き鳴らされ、壁がゆっくりと動き始めた。
「我々の使命を忘れるな! 銃、構え!」
両者睨みあいから先手を打ったアステカ軍。彼らは定石通り、戦列を作って攻め寄せる。歩調を同じくして、音楽と共にジリジリと距離を詰めるアステカ軍に対して、オリーシュ軍は肩に担いでいたマスケット銃を敵に向けて構えなおした。木の柵越しに見える向こう、軽快なテンポで歩いてくるアステカ軍に狙いを定めた。
互いの距離がせまくなる内、だんだんと最前列の兵士に焦りが目に見えて表れて来る。
「ま、まだなのか……?」
そう呟いた兵士の顔には、早く撃たなければ逆に撃たれるという恐怖が滲んでいる。銃で撃ち合う射撃戦の場合、何よりも恐怖心こそが最大の敵である。大砲や騎兵も援護するが、マスケット銃は命中精度が極端に悪い。だからこそ密集隊形で指揮官の号令の元一斉射撃を行うことで発生する弾幕と轟音で敵の士気をくじく戦法が大変有効なのだ。とどのつまりは我慢比べである。相互に一斉射撃を撃って撃たれてを繰り返し、どちらが先に根を上げるかが肝なのだ。
バババババンッ!
先に撃ったのはアステカ軍。指揮官が発射の命令を下すと、まずは指揮官の声が聞こえる範囲の兵士が発砲。その後その隣が音に反応して発砲し更にその隣がという具合に、命令が伝わって行く。結果、発射音は連続したモノとなった。だが、それでも飛んでくる弾丸の量は変わらず、威力はそのまま。空気を切る鋭い音が野原に響く。
「ひっ!?」
銃弾の一部が木の杭や土嚢をはじけさせる。それに驚いたオリーシュ兵が短い悲鳴を上げた。それがそこかしこで起こり、全体としてオリーシュ軍側に動揺が走る。軍隊同士の戦いを経験していない彼らには、いまが初めての鉄火の洗礼であった。ソレに恐れをなしてしまう者が多数見受けられる。一人が逃げだせばそれがすぐさま周囲に伝染して逃亡が続出し軍が崩壊する以上、とにかく彼らがこの場に踏みとどまれるよう勇気づけなければならない。
「これは単なる威嚇! 相手の白目が見えるまで引き寄せよ! 耐えるのだ!!」
飛び出したのは、とある部隊の指揮官だった。白髪交じりの老将校は土嚢の上に飛び乗ると、全軍を励ますように大きな声で味方を鼓舞する。その結果、揺らぎ始めていた部隊の士気が回復する。
「大砲用意――――ってい!!」
そのタイミングを見逃さず、すぐさま大砲による射撃が行なわれた。手旗信号で伝えられた情報はすぐさま後方へと送られ、そこに設置された砲台から爆音が轟く。既に退役した元砲兵や砲兵士官、さらに海軍の軍艦に卸す予定だった砲を徴発して作られた即席カノン砲部隊は遺憾なくその能力を発揮した。撃ち出された鉄球は、数秒の後に押し寄せるアステカ軍の戦列に突き刺さった。
「た、大砲だぁ!!」
「うるさい黙れ! 数はそう多くない!! ここで粘らなければ後ろから狙われるぞ!」
ボーリングの玉ほどもある鉄球が飛来してくるのだから、撃たれる側は堪ったものではない。まるで人間がピンのようにはじけて肉片をばら撒く光景があちこちで発生した。その様に恐怖したアステカ軍の新兵が泣きながら叫ぶ。そしてそれを古参兵が鉄拳と共に黙らせた。軍の崩壊は得てして、このような恐怖の叫びから始まる。
こちらのマスケット銃の有効射程距離に入るまで我慢し続ける拷問の様な時間が経過する。
間断なく飛来する砲弾で削られていくアステカ軍。だが、それでもまだまだ規律は保たれている。兵士たちは蒼い顔をしながらも、すぐ隣で吹き飛ばされた戦友の方を勤めて見ないようにしながら行進を続ける。そして、いよいよマスケット銃の弾が有効に作用する間合いに入る。
その間合いに入るか入らないかの刹那、アステカ軍のカノン砲が火を噴いた。放物線を描いた砲弾は、寸分たがわずオリーシュ側の砦を破壊しにかかる。一発二発と轟音が鳴り響き、土埃の晴れた先にあったのは見るも無残な木杭や土嚢の姿だった。
慌てて修復しようとするオリーシュ兵と、それに射撃するアステカ兵、さらにそれを阻止しようとするオリーシュの援護射撃。両者ノーガードによる銃撃戦が始まった。撃っては弾を詰めまた撃っては弾を詰めの繰り返し、自分か相手が恐れをなして逃げ出すまで続けるチキンレース。
寡兵のオリーシュ軍と、大軍のアステカ軍が互いに士気と兵力を削り合っていく。
だが、オリーシュ軍が徐々に数的要因から押され始める。それを何とか押し返そうと先ほどの指揮官が再び陣頭で兵を鼓舞し始める。だが、これが結果的に崩壊を早めることとなってしまった。
「踏ん張れえ!踏んば――――――」
流れ弾が脳天に命中し、血しぶきを上げながら倒れる老将校。その様を見せ付けられてしまったオリーシュ軍はついに限界を迎えた。士気が持たなかったのだ。
「突撃ぃいい!!!」
その隙を見逃さなかったコルテス将軍はすぐさま突撃を命令。アステカ軍将兵が一斉にオリーシュ軍陣地にぽっかり空いた穴に殺到した。そして両軍はそのまま白兵戦にもつれ込む。
「こっちはもう飯がねえんだよクソッタレ!」
「消え失せろ侵略者共!!」
怒号と絶叫が銃剣によって発生する。両軍の兵士が入り乱れるようにして押し合いへしあい刺して刺されて死んでいく。こうなってしまえば、圧倒的数で勝るアステカ軍が目に見える形で優勢になり、ついにオリーシュ軍は撤退を決定。
初日はアステカ軍側に軍配が上がったのだった。
とっぷりと日が暮れ、辺りには夜の帳が下りていた。両軍はこれを天然の休戦合図とし、それぞれに陣を敷いてしばしの休息を取り始める。
オリーシュ軍の場合は、後方にある村落に本陣を置いた。その中で、総指揮官に就任していた近衛ユウは今日の戦いの総括を幕僚達と共に行なっていた。
「敵に騎兵が居ないのが幸いした」
不幸中の幸いと言う風に、ユウは呟いた。それは後半の事、こちらがアステカ側の猛攻に耐えきれずに一部部隊が総崩れになった時の事だ。もしもあそこで敵が騎兵を突撃させていたら、被害はさらに増えていた事は明らかだった。だが、そうはならなかった。いやそれ以上に、敵は大砲すらほとんど使って来なかった。今日一日でオリーシュ側が戦ったのはマスケット銃を装備した歩兵のみとも言えた。
「まずは一当てして様子見、といったところでしょうか……?」
同席した将校がそう予想を立てる。
すでにアステカ側が騎兵を連れてきていないのは分かっていた。だが、なぜせっかくの火力を使わないのかが不可思議で在り、その答えが様子見だった。すなわち敵はまだ本気を出していない。
ユウその事に戦慄しながらも、同時に唯一の安心材料でもあると思った。
「敵が様子見を続けてくれる限り、こちらにとっては好都合だ。それで、そっちの方の首尾は」
ユウは同席している文官姿の男に尋ねた。男は手元の資料に目を落としつつ、報告する。内容は、都市セッキョーの防衛準備に関するものだった。
「防壁は何とか目途が立ちました。ですが、それ以上となるとどうにも……」
困った風に語る男。彼は都市セッキョーの執政官を任されている人物だった。彼の仕事は、可及的速やかにセッキョーを籠城可能な拠点にすること。建国以来大きな戦乱に陥った事がないオリーシュでは、街を城壁で囲んだり籠城をしたりということがなかった。それゆえに諸外国ならば在るような防衛施設が一切ないので、その建設に街中が追われていた。
「国庫を開く。民需用の物資を全て買い上げてでも完成を急いでくれ。少しでも早く籠城したい。そうでないと……本当にこちらが壊滅してしまう」
「……はい」
ユウの言葉に、執政官が暗い顔で応じ、仕事場に舞い戻って行った。彼にとっても、ようやく就任することが出来た執政官と言う地位を丸ごと失いかねない状況で、気が気でなかった。だが、帝国全体にとっては、別の意味でも厳しい。既に大砲部隊を編成するのに大金を払ってしまっている以上、今回の件で国庫は空になる勢いだったからだ。これでは戦いが終わってもその後金策と言う別の問題が発生するのは必至だった。だが、それでもやらざるを得なかった。
「――――それで、父の容体は?」
「船医の話では、危篤で面会謝絶とのこと。現在は元帥閣下の秘書官が隊をまとめているようです。急ぐとの事ですが、こちらへ到着するまで我々が持ちこたえられるか……」
そして話は、オリヌシの港で凶弾に倒れた元帥の話へと移る。本来ならば、今ここで総指揮をとっているのはユウの父親であった。だが、彼は正体不明の暗殺者の手によってここに来ることが出来なかった。さらにその時の混乱で騎兵隊の到着も遅れてしまうという。いまだ成人していないユウの肩に、不安感と多くの将兵の命を預かる責任が重くのしかかる。
だがそれでも、懸命に明るく振る舞った。皇位継承権はなくとも、その身に流れる血の責任を真正面に受け止める覚悟だった。
「――――分かった。何としてでも時間を稼ぐ。そうすれば騎兵隊が、さらに海外に散らばっている派遣軍も帰ってくる。みんな、もうしばらく私についてきてくれ!!――――それと、今日の戦いで散った者達の遺族に、その旨を通達して欲しい」
「……ハッ!」
ここで会議は終了。幕僚達はそれぞれ自分が担当する仕事をする為に散って行った。後には僅かな本部人員のみがテントの中に残される。ここでようやく、張りつめていた緊張の糸をほんの少しだけ緩める事が出来た。血筋だけで総大将を任されてしまったが、総司令官としての体面は何とか守れたのではないかとユウや自己評価した。
このように、その生まれから様々な責任を背負わされる立ち場であると言う事を改めて認識する。すると、ふとそのような物とは一切無縁な男の顔が脳裏に浮かんでくる。
(山本、君はもう扶桑に向かっているのだろうか?)
彼は何処までも自由だった。鳥かごの鳥が空を自由に飛ぶ鳥にあこがれるように、ユウは山本に対して羨望の念を抱いていた。そして、初めて対等に話せた同年代として、ささやかな友情さえも。
(願わくばもう一度君と話がしたかった。未来の世界の話を、二人で……)
あの薄暗い船倉の中で語った荒唐無稽ともいえるお伽噺は、常に見られる立場である自分が出来た、唯一心の底から楽しめたお喋りであった。それを懐かしみながら、近衛ユウの夜は更けて行った。明日もまだ、戦いは続く。
翌日。次に先手をうったのは後方に押し込められる形になったオリーシュ軍だった。今度は即席の砦すらない完全なる野戦。それに先立ち先日の戦いで大きく損なった士気を取り戻そうと、ユウは馬に乗って最前線まで繰り出した。
「大砲を撃てッ! 銃を撃てッ! 奴らを押し返せ! 皆の父母、兄弟や子の安寧を守りきれ! 全軍、撃ちまくれ!!」
懸命に声を張り上げ、兵士を鼓舞する。総大将が前線に出て来たことで士気は回復してなお余りあるくらい上がった。こうして戦いは二日目に至る。
――――とは言うものの、兵力は相変わらずの有様である以上、前日の繰り返しになると誰もが思っていた。だが、アステカ側がここにきて足並みを乱し始める。
「さて! もう一息で敵都市が見えてきて――――ってちょ?!」
アステカ軍の一部が命令を発する前に謎の転進。しかもその先はオリーシュ軍ではなく、近隣の村落であった。コルテス将軍の目に映ったのは、途中で行先を変更して単独行動をする部隊の後ろ姿のみ。
「いけませんね。各人の食料が底をついて二日目ですから」
「ぐっ……無許可の略奪か。しかたないとはいえ――――もう少しだっていうのにッ」
「兵たちがこれで満足してくれればいいのですが……」
「味をしめてしまうと、戦いよりも略奪に夢中になる、かあ」
昨日飲まず食わずで戦わせた代償が、早くも表れた形だった。統率が効かなくなった軍隊など厄介な盗賊団以上の何者でもない。時間が惜しいコルテス将軍はこれが全軍に行きわたらないよう苦心するはめになる。
「一戦しては略奪、また一戦しては略奪となられてはまともな作戦はこなせなくなります」
最前線で戦う兵士は、戦略以上に飢えと渇きをいやす事で頭がいっぱいになっていた。もしもこの場に潤沢な食料があったのならば、今日一日再び全兵力で以ってオリーシュ軍と戦えたと言うのにと、コルテスは歯痒い思いをした。
一方その副官は、冷徹に勝手な行動を取った部隊に対する処罰を考えていた。
「勝手に持ち場を離れた部隊は、明日最激戦地に放り込みます」
「これで済めばいいけど」
結局この日は、初日以上の戦いになる事は無かった。アステカ軍が略奪に一部兵力を裂いたことと、ユウの危険を顧みない献身で最後までオリーシュ軍が粘ったおかげで、両者引き分けといったところだった。だが、それを喜んではいられない。
「いくらか、辺境の村が襲われました」
「クッ!被害は?」
「事前に非難させておいたので人的被害は無し。ですが、荒らされた田畑や村の再建にしばし時間が掛ります。領主が嘆願にきました」
「――――戦いが終わり次第再建すると伝えておいてくれ」
今すぐ再建できない事に申し訳ない思いを抱くユウ。その悲しそうな顔を何とかしようと思った一部幕僚が、「良い知らせがあります」と付け加えた・
「今しがた執政官殿からの使者が来られまして、城塞が完成したと報告が」
「なにっ!?」
昨日の今日で、よくぞ完成させてくれたとユウは喜びの声を上げた。これで、不利な野戦を続けなくて済むと声を弾ませた。
「都市全体をぐるりと囲む城壁の建造です。この大工事に関わった者全てに、どうかおほめの言葉を」
「ああ、戦いが終わればいくらでもしよう! ようし、全軍撤退だ!!」
ユウは喜び勇んで全軍に撤退命令を下す。撤退先はもちろん、彼らの都市セッキョーだった。十分な防御施設があれば、持ちこたえられると希望を見いだしたユウは全将兵に撤収作業を急がせた。
戦いは場所を移すこととなる。野でも人里でもない、大きな都市に依った攻防戦が幕を上げようとしていた。そしてこの戦いで、煉獄院朱雀という名がいよいよ歴史の表舞台にあがることとなるのだった。