「――――チクショウ……」
あの裁判から既に数日が経過した。その日から今日までずっと、薄暗い船倉に作られた檻の中で山本は膝を抱えて蹲っていた。四六時中聞こえて来る波の音、カモメの鳴き声、船のきしむ音……それらすべてが今の山本にとっては苦痛でしかなかった。身の回りが、もっと言えば世界中の全てが自分の敵にまわったかのような感覚にとらわれていた。それは光がほとんど差さない暗闇に閉じ込められていることから来る、一時的な精神障害ではなかった。もっと根の深い、ある意味トリップしたものが抱える宿命的な問題かもしれない。
憑依や転生、もしくは召喚……こういった特殊な言葉に誤魔化されがちではあるが、要するにこれらの単語が示す現象は、見ず知らずの土地に単身放り出されるのと同義である。
彼らに待ち受けるのは、大抵が冒険という非日常の世界だろう。心躍る日々などと言えば聞こえはいいが、それは突き詰めて考えれば命を危険にさらす危険な日常だ。そのような生活を問題なく受け入れられる人間が、現代日本社会でどれだけいるだろうか。
問題はそれだけではない。その世界には、自分を知る者は一切いないのだ。それは究極の孤独と言えなくもないのではないだろうか?
もちろん、それが全く苦にならない者もいるだろう。既に両親が他界し、友人知人も年々少なくなっていくような高齢者――――人生を生き抜いて成熟した精神を持つ者ならば、苦笑ひとつであっさり順応できるかもしれない。
だが少なくとも山本には、平和な社会でぬくぬくと過ごし、親元にいるのが当り前な少年には、この世界でたった一人存在しなくてはいけない重責を背負うことは荷が重かった。
ましてや今は罪人と言う扱いである。
「煉獄院朱雀」という偽りの人間をロールプレイしたのも実際にはそういった孤独から目をそむけようとした一面もあった。自分はオリ主で特別な存在だと言い聞かせることで、危険かもしれない未知の世界に怖気づかないようにしていた節があった。
だが、それも終わった。公然と山本が自らに課した「特別な存在」という役割を否定されて、明日の命の保証もない囚人になってしまえば、未熟な山本は船倉に蹲るしかない。
自分は選ばれた人間であり、成功が保証されている――――そんな心の拠り所は粉みじんに吹き飛んだ。後に残るのは危険で不安定な将来が待ち受ける、見通しの利かない未来を行かなければならない現実だった。
「――――帰りたい」
絞り出すように出したその一言が、彼のいまの全てを表していた。普通の家庭で育ち、普通の人生を歩んできた山本八千彦の精神が、いま音を立てて軋んでいる。出来る事ならばこのまま消え去りたいとすら思っていた。人権なんてほとんど顧みられない時代、罪人がどのような末路を辿るのかは、知識が乏しい山本にも容易に想像がついた。きっと、ボロボロになるまで働かされて、最後にはゴミのように捨て去られるのだろう――――。
その様子を想像して涙が溢れそうになる。一体自分は何をしていたのか。随分と調子に乗っていた過去の自分が恥ずかしくてたまらない。
チート能力だっていつ使えるようになるのかも分からない。いやもしかしたら本当はそんなものなくて自分は単なる背景、賑やかしのモブでしか…………
「っ!」
ギシ――ギシ――ギシ――
どんどん自分が信じられなくなってきた山本の耳に、すぐ近くで木が軋む音が聞こえた。まるで死神が這い寄って来るような物音に、山本は息を潜めて様子を窺う。膝に顔を押し付けて、懸命に息を殺して、ジワジワと這い寄って来る不安になんとか抵抗しようと努力する。息を潜めて耐えて耐えて――
(――――それでどうする?)
どうしようもない。もはや全て終わった。終わったのだ、何もかも。
山本はあらゆることを諦めようとした。諦めて、何も考えず、何も感じず、そのままこの世界のチリになってしまえばどれほど心が楽なんだろうと本気で考え始めた。いよいよ、心が死んでいく様を実感し始める。だが、それは途中で止まる。
「少し、いいか?」
声がした。人の声だった。それも、どこか温かで優しい響きのもの。
「…………」
顔を膝の上から上げる。ゴチャゴチャとした物置の様な場所に作られた、檻の鉄格子の奥に、人が立っていた。年齢は自分と同じくらいの15,6歳だが、自分と違って堂々としている。そして何より、美形だった。
(イケメンかよ……)
心に浮かんだのは、モテない男の僻みったらしい言葉だった。ほんの少しだけ、際限なく沈んでいこうとする心が踏みとどまる。だが、相手の服装をよくよく見て、山本の心は再びささくれ立った。それはあの裁判の場で自分を取り囲んで有罪にした連中の一味――自分を今捕まえている集団のものだったからだ。おおかた取り調べのようなものがあるのだろうと思った。もしくは拷問か。どちらにしろロクなことではない。
「――――何が聞きたいんだよ」
「?――――ああいや、別に尋問とかそういう訳じゃないんだ。気楽にしてくれ」
「…………はあ?」
その言葉に山本は混乱した。いよいよ刑事よろしく取り調べでも始めるのかと身構えている所に「気楽にしてくれ」と言われてしまったからだ。と言うよりも、なんだか雰囲気がおかしかった。立場が罪人の自分に、どういう訳か相手はこちらとの距離感をつかもうとしているような手さぐり感をまるだしにしているのだ。ほとんど話した事がないクラスメイトと席が一緒になって、とりあえず挨拶してみました、といった感じが一番近いだろうか。だが、間違っても今の自分の立場に出すような雰囲気ではない事だけは分かった。
どうにも勝手がつかめない相手に、山本は腹を括ることにした。どうせこれ以上悪化はしないだろうとヤケになった節があるが、それでもこうしていても何にもならない事だけは確かだった。とりあえず向き直って座り直す。相手も、近くにあった椅子に座った。鉄格子を通して見る相手の顔を、山本はじっと見つめる。相手も見つめ返して来る。
(やっぱイケメンだよな――――あ~あ)
見れば見るほど、相手の顔に嫉妬する。中性的で、女性向けアイドルグループか何かに入ってキャーキャー言われてそうな顔立ちだった。もしも自分がこの顔だったらなぁと思っていると、相手の方から話題を切り出してきた。
「君は――そんなに悪い人間じゃないような気がしたんだ」
「???」
「最初、私は君の事をとんでもない奴だと思っていた。でも、あの裁判で君が言った事は、利にかなっていた。ただの悪党で村人達を支配していたとはとても思えなくなった。まあ、糞土はちょっと勇み足だったと思うけど……」
そう言って、肩をすくめる。
どう反応していいのか分からなかった。散々悪いことをしたと言われていて、ここにきていきなり肯定される――評価が真逆でどういう顔をすればいいのか判断がつかなかった。ただ、変に間が空くのは余計に気不味いので、無理矢理にでも話題を変える。
「な、なあ、聞きたい事があるんだけどいいか?」
「私に答えられることなら」
「俺、どうなるんだこれから?」
それは、今最も山本が知りたかったことだった。言ってから、自分が相当つっこんだ内容の事を聞いてしまったと後悔した。しかし相手の顔を窺うもそれほど非常識な事を言ったとは思われなかったようだ。相手は、「うーん」と整った顔で少し悩んだ後、確定ではないと前置きをした上で、彼らの事情を語ってくれた。
「まず、君がどこの国の人間かを確認しないといけない――――いちおう聞いておくけど、君ってオリーシュ人じゃないよな?」
「そうだけど、なんで分かるんだよ。アレか? 顔か?」
「まあ、それもあるけど……雰囲気?」
「疑問形かよ」
実際自分は日本人だから、その「オリーシュ人」なる愉快な人種ではない。山本はちょっと笑いそうになるのを堪える。
「ウルル側は君の事を追放処分ってことにしたけど、実際は処罰を我々に一任しただけなんだ」
「へー」
「でも処罰云々の前に、まずオリーシュ本国に帰ってから各国の大使館に君の身分照会をしておかないと、後で他国人を勝手に処罰したなんてことになったら国際問題になってしまう」
「なるほど」
なにやら自分のあずかり知らない所で、色々と複雑な問題が発生したようだと山本は思った。国籍を気にする理由は納得できた。もしも自分がどこかの大国の人間だった場合を、恐らくウルル公国は危惧したのだ。仮に自分を死刑にしてしまった場合、その報復として攻め込まれる事もあり得たからだ。
だから追放した上で、自分よりも上位の存在に処分を投げた。こうすることで厄介な面倒事を回避しようとしたのだと山本は考えた。事実、それは正解だった。
「で、君は何者なんだ?」
「――――」
ここで山本は、いっそ今正体を明かすべきではないかと悩んだ。むろん、事情が事情だけに記憶喪失だのなんだのと言って適当にごまかし、本当の事を隠した方が何かと都合が良いのは分かっていた。だがしかし、もしも彼らが自分の正体を本気で調べようとして、それで国籍も何も完全に不明だということが分かったら――――いる筈のない人間が存在しているという矛盾に対して、彼らがどのように対応するか分からなかった。最悪、そのまま「いなかった事」にされることも十分あり得る。だが、正直に言ってもしも信じて貰えなかったら?
―――――狂人や後ろ暗い事があると思われて、やっぱり「いなかった事」にされるのでは?
分からなかった。この世界に関してほとんど知識がない山本には、どれが最善の選択肢なのかを選び取る事が出来なかった。誤魔化すのも正直に話すのも、どれもリスキーだった。だから、どれを選ぶかは山本の好みで決めるしかない。
(……よし)
「信じられないかもしれないけどさ」
少し悩んだ末、結局は全て正直に話すことにした。殺されるなら、正直に言って殺された方がいくらかマシだと思ったからだ。下手に嘘を吐いて殺された方が、後悔が残るような気がしたのだ。
こうして山本は自分の正体を語る。自分はいわゆる異世界人でこの世界の住人ではない。即ちこの世界の何処の国の人間でもないと。改めて、自分は一体どれだけ胡散臭い事を言ってるんだと思ったが、事実なのだから仕方がない。
「――と言う訳で、気が付いたら荒野に倒れていた」
「…………にわかには信じられない話しだが、もし本当なら漂流民という扱いになる。そうなると――――まあ、死刑にはならないだろう。流石に無罪放免というのは無理かも知れないが、君は別にオリーシュの法を犯した訳じゃないからそうそう酷いことにもならないだろう」
「……そうか、よかった――――」
少なくとも命は保証されるようだ。ほっとする山本。そうなると、気持ちにも多少の余裕が出て来る。
「だが、随分と突拍子もない事情だな。まさか異世界とは」
「俺もそう言われたら同じように思うだろうから気にするな」
「気にするなって、自分で言っておいて何だそれ」
「そう言う事もあるさ」
「いい加減だなあ」
全てを語ってしまった今、山本の気持ちはスッキリしていった。心に沈殿していた、何か淀んだモノがいくらか流されたようだった。単なるやけくそなのか、それとも全てを受け入れた上での諦観から来る悟りの境地だったのかは分からないが、その顔は憑き物が落ちたように晴ればれとしていた。人間諦めも肝心である。
「じゃあ、未来が分かるってことか」
「そりゃ無理。だって俺の世界じゃあオリーシュなんて国なかったもん」
「ウソ?」
「いやホント」
「じゃあ、どんな国ならあるんだ?」
「えっと……まず俺の故郷の日本な。それ以外だとアメリカにフランス、ドイツと中国なんて国がある」
山本は、とりあえずぱっと思い浮かんだ国名を上げて行く。どれも超メジャーな国家なので、これなら相手も分かると思ったからだ。
「どれも聞いたことがないな」
「は? でも俺、この世界の地図見たけど全部あるぞ?」
だが向こうはどうやら知らないらしい。そんなバカなと思ったが、前に確認した世界地図では確かにそれらの国はあった。正確には「その国家があるハズの陸地があった」なのだが。これらの国が存在しない平行世界なのか、あるいは呼び名が違うのかは不明だ。前者ならばもうどうしようもない。
「名前が違うのかも……」
「ありえる。ちょっと世界地図持ってきて照らし合わせて見よう」
ガサゴソと当たりを引っ掻き回しているのを暫く待つ。少しすると、ポケットサイズとは思えない、壁に張り付けるサイズの大きな地図が出て来た。やはりここは倉庫だったようで、こういうかさばる物が詰め込まれていたようだ。
「じゃあまず日本」
指で日本列島を指す。それに対して、現地名での国名が帰って来た。
「扶桑皇国」
へー扶桑って日本の昔の呼び名だったな、と山本は思った。他にも大和だとか倭とかいろいろあるが、何となくシャレた名前の響きだなと思った。
「じゃあ次――オーストラリア」
「ウルル公国」
これは既に分かっていたが、国の範囲がめちゃくちゃ狭かった。山本の知っているオーストラリアは大陸全土を領土にしている、何気に大きな国だ。となると、この世界ではまだオーストラリアという国は存在せず、その前身の国みたいなものなのかもしれない。――――史実ではイギリスの流刑地からスタートしたと言う事を知らない山本は素直にそう思った。
「アメリカ」
「アステカ帝国」
「え、嘘だあ!」
「いや本当」
と、ここでかなり大きな歴史的差異を見つけた。
言わずと知れたお米の国。圧倒的物量で世界中の国と戦っても勝てるとさえいわれる超大国が存在せず、北アメリカ大陸には別の国家が存在していた。
「俺の世界だと、あれだよ。アステカって征服されて消滅したんだぜ」
「へー何処の国に」
「ここ。スペイン」
「ああ、イスパニアか」
山本は世界不思議発見的な番組で知り得た知識をちょっと得意げに語った。
アステカ――それは現在のメキシコのある辺りにかつて栄えた国家。えぐり取った新鮮な心臓を捧げなければ太陽が死んでしまうと信じ、定期的に周囲に戦争を吹っ掛けて回った好戦的な国だ。だが、アステカ帝国は大航海時代の1521年、スペインの征服者――コンキスタドールのひとりであるエルナン・コルテスによって征服され、文化の痕跡、そのことごとくを徹底的に破壊された。
と、簡単に説明するとこのような感じになるのだが、一言で言えば、ジョジョの石仮面の元ネタと言えば分かりやすいだろうか。
その後も暫く、世界と歴史の差異談義に花が咲く。山本的には世界史の彼方に消えて行った国が大国として君臨していたりと、面白い話しが聞けたと満足した。
そうして二人はしばし時間を忘れて話し合ったのだが、どこからか響くラッパの音が、二人の会話に区切りを付けた。
「おっと、もうこんな時間か。悪いけど、今日はまだやる事があるからそろそろ失礼するぞ」
「ああ、お疲れさん」
「そうだ。何か希望はあるか?」
「あーじゃあ、外に出て日光に当たりたい。あといい加減真っ暗闇はウツになるから明かりをくれ」
「わかった、じゃあ日中は甲板に出られるようにするから。明かりもランプを持って来させよう――――逃げたり火事を起こしたりとかはナシだからな?」
「分かってるよ。つーかそんなことしても生きて逃げられる気がしないから。ここ海の上だし」
「ハハッ 冗談冗談――――ああ忘れてた」
「?」
「名前だよ名前。私は近衛ユウ。短い間だけどよろしく」
「ああ、俺は山本八千彦だ」
「おい、煉獄院じゃないのか?」
「あれは芸名だよ芸名。俺が考えた最高にカッチョイイ名前だ。なんなら付けてやろうか?」
「生憎と名前は間に合っているなあ」
朗らかに笑いながら、ユウは「じゃあまた」と言って椅子から立ち上がると、船倉から去って行った。後に残ったのは山本1人。相変わらずまともな明かりのない薄暗い場所ではあったが、山本の心を覆っていた雲は、いつの間にかすっかり晴れていた。
翌日。日中の間だけだが、早速山本は牢から出て甲板に上がる事を許可された。相変わらず腰縄は付けられていたが、それを今現在持っているのは昨日山本の所に訪れた近衛ユウだった。ユウはその縄を自分の腰につけて山本と共に潮風を浴びていた。
空に昇る太陽はギラギラと熱いが、時折吹く海風と丁度相殺されて、体感温度的には心地よいものだった。
遠くの海でトビウオらしき魚が海面から飛び出て来た事に驚いたりと、山本は今自分が護送中の囚人だと言う立場も忘れてクルージングを満喫していた。
昨日まで鬱病患者のように沈んでいたのが嘘のようだ。もしかしたら器が大きいのかもしれない。若しくは底抜けのバカか。
さて、現在山本を乗せたフリゲート艦「菜ノ葉」は、赤道海流に乗って太平洋を東に航行していた。予定ではこのままハワイ諸島付近で進路を北に向け、神聖オリーシュ帝国があるシド大陸へと進む予定である。そしてそのハワイ諸島が目前に迫っている今、山本はハワイ近海を帆船で優雅に航海をしているという事になる。オーストラリアから始まり、赤道をなぞってハワイを望みながら北上と、何気に太平洋を大きく半周した訳だ。字面だけなら、囚人の身分でありながら随分と豪華な旅だった。
「そう言えばさあ、よく俺の事を外に出せたな」
「ん? ああ、まあ船長に頼んだら結構軽く許可がもらえたんだ」
「へーもしかして、オマエって偉い人?」
「私の血筋が――ね」
複雑な笑みを浮かべるユウに、山本は内心で「あ~~貴族って奴かあ。異世界モノの定番だなあ」と呑気に思っていた。そう考えれば、道すがら水兵達が神妙な顔つきで敬礼してきたのもうなずけると、山本は納得した。そして同時に、イケメンで貴族で軍人というモテ要素を目いっぱい詰め込んだ目の前のユウに羨望の思いを抱く。
「やっぱ、(女に)モテる?」
「え、何を(持てる)?」
「…………いや何でもない」
「?」
あまりにも自然に受け流された事で、自分の小ささを思い知らされる山本。こういう風にナチュラルに対応される方が、女性に不自由している非モテ男にはキツイのだ。
「――――おっ! あ、アレ見てみろよアレ!」
一人で勝手に惨めな気分になったのを誤魔化すため、大きな声を上げて前方を指さして騒ぐ山本。その指の先には、水平線上に点在する黒いゴマ粒の様な影。はじめ山本は、これをどこかの国の商船団か海洋探検隊だと思った。きっと色々な珍品宝物を積んで、それを国から国へ運んでワールドワイドな商売をしたり、宝が隠された秘密の小島を探して冒険をしたりするんだろうな~と子供の様な純真さでその影を眺めた。
「…………あれはっ!?」
「ん? どしたの急に?」
だが、ユウの方はそうではなかったようだ。山本の指摘したそれを、目を凝らして見つめて何かに気付いたようにハッとしたかと思うと、顔を真っ青にしていた。
「悪い。ちょっと用事が出来たから、今日はもう戻ってもらっていいか?」
「まあ、俺はいいけど……大丈夫?」
心配になるくらい顔色が悪くなっている事が気がかりな山本だった。ユウは「いや、ちょっと気になる事があるだけだから」と、全くちょっとどころではないような深刻な顔をしていた。
(何か問題あるやつだったのかなぁ……)
じっと、海の上に浮かぶ小さな影の塊を見つめる。キラキラ光る水面で見えにくいそれらを不思議に思いながら山本はもう一度だけ見つめ、そして歩き出す。
(アレは何でどこにいくのかなあ。後で聞けばいいか)
再び船倉に戻った山本は、それが少し気になったものの、すぐに興味は別に移る。ランプの明かりをぼんやり眺めながら思う事。それはこれから行くオリーシュという国の事だった。果たしてどんな国なのか……まだ見ぬ異国に、少し心が躍っていた。
~~神聖オリーシュ帝国宮殿内~~
オリーシュ帝国第一の都市にして首都オリヌシ。その宮殿内の一室に、あわただしく入室する者がいた。息を切らせ、扉を身体全体で押しつけるように入ってきた事に、室内にいた誰もが注目する。尋常ではない焦り様に、なんだなんだと人が集まってきた。
「ハァ、ハァ――――ッし、失礼しますっ!」
「どうした?」
集まってきた人の中から、責任者らしき者が出てきて、一体何事かと尋ねる。
「我が国のフリゲート艦が、ハワイ諸島沖で航海中の大規模船団を発見したとのことです!」
「――――どこのものだ」
「アステカ帝国軍のものです!」
「ッ!アステカ軍だと!?」
息を切らせながら語る内容に、場がざわめく。アステカ帝国は、東の大陸にある軍事大国。国が近ければ理由なく戦争を吹っ掛け、遠い国でもスキがあればわざわざ遠征して殴りに行くと言う戦争狂いとして有名な狂犬国家だ。かの国に攻め滅ばされた国は数知れず、現在は南の大国であるインカともう百年近く衝突を繰り返しているところを、近年電撃的に和平が成立したと思った矢先の出来事だけに、一同に衝撃が走る。
「また戦争か」とその場の誰かが呟いた。そして、誰もが心の中で頷く。あの国は、理由があろうが無かろうが年がら年中戦争をしていなければ気が済まない。また、どこかの国が理由なき宣戦布告を受けて右往左往するのだろうと、そのどこかの国に同情した。
だが、同情とは無関係な第三者がするもので、その後飛び出してきた新情報にそのような気持ちはきれいさっぱり吹き飛んだ。
「アステカ軍の船団は東から西へ真っ直ぐ航海中。その進路先はシド大陸の可能性が大であるらしく――――ッ!」
「なにぃ!?」
絶句。そして恐怖。全員が、その悪い知らせに身体が震える思いをした。
「――――大至急関係各所に連絡しろ! 急げ! 御国の一大事だ!!」
「は、はい!」
責任者の一喝でようやく再び動き出す。たったひとつしかない出入口に人が殺到し、そこから四方八方に人が散って行く。皆それぞれ、関係する部署にこの恐ろしくて驚くべき知らせを届けにいったのだ。それは目の前に迫りつつある脅威から、誰もが目をそらそうとするような鬼気迫るものだったと、後に彼らは語り合ったと言う。