魔獣を倒して魔法少女としての仕事を終えたほむらは、入浴を済ませてマンションの自室でソファーに体を沈めてくつろいでいた。時刻はもう間もなく日付が変わろうかという頃合である。彼女はソーダ味の棒アイスを食べながら、魔獣の出現によって中断されたキュゥべえとの会話を思い出していた。
“……僕に感情を教えて欲しいんだ”
キュゥべえはそう言った。その直後に魔獣が現れてそれっきりとなってしまったのだが。
インキュベーターには感情が無い、少なくとも人間が感情として理解しているものを彼らは持ち合わせていない、そんな彼らが感情を理解したくなるような何かが〈前の世界〉の話の中にあったのだろうか。
『ほむら』
突然、ほむらの意識に声が割り込んできた。キュゥべえからの念話だ。
『話の続きでもしに来たのかしら?』
『そうだよ、だから入ってもいいかい?』
インキュベーターならば、このような断りをいれずに突然部屋の中に現れることも可能だが、人間が自身の私生活を侵されることに忌避感を抱くことを彼らは学んでいた。
『こんなに夜遅くに一人暮らしの女性の部屋を訪ねてきて、あなたには常識というものがないのかしら。……まあいいわ、入りなさい』
明日は休日、学校は休みだ。多少の夜更かしはかまわないだろう、とほむらは判断した。
『それじゃあベランダのガラス戸を開けてくれないかな、そこから入らせてもらうよ』
わざわざ開けなくても入れるくせに、と思いつつほむらは子猫が通れるほどの隙間を空けてキュゥべえを招き入れた。
「お邪魔するよ」
そう言ってするりと部屋に入ったキュゥべえは、先程までほむらが座っていたソファーの前にあるテーブルまで駆けて行き、その上に飛び乗った。
ほむらは再びソファーに腰を下ろして言った。
「感情を教えてくれだなんて言ってたけど、どういう了見なの?」
「そうだね、君が僕の話を遮って〈まどか〉の探索を中止しろと要求してくるから話が前後してしまったけど、そもそものはじめから説明しよう」
「待ちなさい、本当に包み隠さずすべてを説明すると約束しなさい。もしかしたら、あなた達に都合のいい部分だけを聞かされるかもしれないわ」
「やれやれ、また約束かい」
全くの無表情だが、さも呆れたと言わんばかりにキュゥべえは言った。
「あなた達は嘘はつかないけれど、かと言って自分達の不利になるような事実について積極的に話すわけではないわ」
インキュベーターは、〈前の世界〉において素質のある少女達に、契約を躊躇させるような事実をあえて伝えなかった。そのことを、ほむらは決して忘れてはいなかった。
「概ねその認識で間違いはないね、それは君の言う〈前の世界〉の記憶に基づく判断なのかな。とにかく約束するよ、隠し事は一切なしだ」
「そう、じゃあさっさと話しなさい」
アイスを食べきったほむらは、残った木の棒をかじりながら言った。
「そうだね」
一拍おいて、キュゥべえは話し始めた。
「まず、君が話してくれた〈前の世界〉での出来事についてだけど、それらはすべて本当に起きた事だとしよう。ある程度信憑性の高い話だからね。そう判断した理由は、ソウルジェム消失にあるんだ。浄化しきれなくなったソウルジェムが消失するメカニズムについて、僕達がいくら研究しても分からなかった理由は、この宇宙の法則に縛られていない何者かの仕業だとするなら納得がいく。そして、それとは別の理由でもうひとつ。ほむら、君の存在だ。僕達には君と契約した覚えはない、にもかかわらず君は魔法少女としてそこに存在している。君はいったい何処から来たのか、答えは簡単さ〈前の世界〉だ」
「仮説だとか言ってたくせに、急に信用するのね」
「仮説だよ、あくまで〈前の世界〉はあったという前提で話を進めようということさ……続けていいかい。〈まどか〉が宇宙のルールを書き換えたという話を聞いて僕達はまず、そんなことはありえないと結論付けた。それほどの願いを叶える量の因果を、一人の人間が背負うことはできないからね。だけど、そこで君の存在を思い出した。君は時間操作の魔法を使う、さらに、君とは契約した記憶はない、となればどういうことなのかは想像がつく。僕が君に聞こうとして遮られたのはこのことさ、君は〈まどか〉を理由にして何度も時間を遡行したんじゃないかな?」
「……その通りよ、でも詳しい事情を言う気はないわ」
ほむらの心に様々な記憶が去来した。
始めは、共に〈ワルプルギスの夜〉を倒すためだった。あのとき、あの約束をしてからは、まどかを魔法少女にしないために、まどかを守るために、ただそれだけために、同じ時間を繰り返した。
「やっぱりそうなんだね。ほむら、僕達は君の話を聞くまで、感情のエネルギーというものを過小評価していたんだ。君達魔法少女には無限の可能性がある、叶えられない願いはないね。だから僕達は作り出すことにしたのさ――魔法少女を」