この作品は、ゼロの使い魔とlightの相州戦神館學園 八命陣のクロスオーバーです。
両作品を読んでいる上で、混合に不快感を持たれない方を対象としておりますので、そうでない方はお戻りになられることをお勧めします。
主軸となるのは八命陣の登場キャラで、ゼロ魔の世界観を融合させた作りとなっています。なので、ゼロ魔のストーリーとは全く異なる話になりますのでご了承の上でお読みください。
第一話 白昼夢
「行くか」
走行に適したジャージに着替え、今日も彼、柊四四八は日課の早朝ランニングを開始した。
鶴岡八幡宮の近所にある自宅から、海沿いの134号線を通って江ノ島の手前まで行き、帰ってくる。往復で10kmにも達する道程であり、部活をやっている高校生はおろか、プロの運動選手でさえ相当な訓練となるだろう速度で四四八は走る。
これを毎日走るようになってより、早四年。
将来の夢はマラソンで金メダルを獲得することと言われても誰もが納得する程に、走る彼の姿は堂に入っている。
とはいえ、彼は別にプロ選手志望というわけではない。折り返し地点が分かりやすく、距離としてキリがよく、そしてなにより風景的にも綺麗なのでこのコースを気に入っているだけの話であり、特に今日のような秋口の晴れた朝ならばなおさらのことであった。
結論を先に言えば、柊四四八は単に走ることが好きである。
運動、スポーツは数多くあるが、走ることに彼が拘るのは、実際に足を動かし距離を踏破することで、リアルに前進している感覚を味わえるためであり、同時に、金のかからない手軽なものだという経済的な面も見逃せない。
強健な身体を作ることは基本としても重要であり、“健全な精神は健全な肉体に宿る”という言葉を柊四四八は座右の銘と言える程に胸に刻んでいる。
それは、彼の身に半分流れる、病んだ躰に常軌を逸した精神を備えた男の血の怨念のようなものであったのかもしれない。だが、それすらも含めて彼は柊四四八だ。
未だそれを認め、悟りには至っていない彼であっても、行動や思考の節々に父親あっての自分であるという意識があるのは、やはり盧生の資格を持つ者だからであろうか。
なお、余談ではあるが、球技などのスポーツは才能に左右されるアンフェアな部分があるため、器械体操やランニングといった基礎にして最も辛い運動が推奨されたのは、“軍国”と呼ばれた時代のプロイセンドイツや大日本帝国の軍隊士官教育の特徴でもある。
士官候補生達が休み時間に遊ぶにしても、サッカーや野球などは推奨されず、体操やランニングをひたすら繰り返せというのは酷ではあるが、最も地力を鍛えられるという点においては間違っているわけでもない。
“こんなことも繰り返せない奴らに、士官が務まるものか”
という教育方針であったそうだが、そういう軍国主義的な思想は洋の東西を問わないものであるらしい。
「つぁ―――はぁ、はぁ……」
だからというわけではあるまいが、折り返し地点の浜辺まで来た四四八はそこで再びストレッチをしてからもう一つの日課を始める。
それは夢の再現。生まれた時より彼が見続ける明晰夢の中で行ったアクションを、現実でも出来る限りやってみること。
無論、50メートル以上の大ジャンプや、何もないところから岩壁を出現させるなどといった荒唐無稽は現実では不可能だが、単純なアクロバットならばその限りではない。
夢の中で行うことは、本人のイメージによる現象だ。ならばその動きは本人の肉体の延長線上にあり、現実と夢には強い相関関係が生まれる。
早い話、参考動画が頭にあるから、それを真似て身体に覚えさせるということ。
江戸時代であれば“見取り稽古”、現代ならば“ミラーニューロンによる課題間強化学習転移効果”、と呼ばれるその現象。
実際、生態運動を研究する知能情報系大学の研究室の中には、卓球ラケットで練習した成果をテニスに応用する実験や、プロ野球選手の素振りを見た被験者と見ていない被験者の比較実験なども行われていたりする。もっとも、こちらは一般的に知られているとは言い難いが。
「よっ―――」
最先端研究の理論通りにいくような簡単な話ではないが、四四八ほどの肉体性能と積み重ねがあれば、月面宙返りくらいなら問題なく実現可能。
鮮やかに決め、砂浜に着地するだけであったが―――
「なっ!」
瞬間、夢と現実の境界が壊れた。
確かに、今の自分がいるのは現実であるはずなのに、いつの間にか夢の中に迷い込んだかのように、突如として目の前に“鏡”が出現する。
(クリエイトだと!? まさか奴が現実に……いや、俺はまだ、奴に対してクリエイトは見せていない筈――)
四四八が“奴”と呼ぶ存在は未だ得体の知れない影でしかないが、少なくとも現実に顕現することはなかった。
だとすれば、例外的な事態が起きたか、あるいは状況が“前進”することによる変化か、だとしても疑問点は大いに残る。
その一瞬でそこまで考えつつ、鏡の縁に手をかけて身体を支え、鏡面への激突を阻止しようと動く反射的行動は流石としか言い様がない。
四四八の意識下において危機に対する回避行動が、反射レベルまで高められている証であり、7年に及ぶランニングや体操、夢での追跡劇などはまさに無駄ではなかったことが証明された瞬間であった。
「ちっ――」
だが、そんな現実の苦労も、夢という不条理の中では無益と化す。
彼が手をついたはずの“鏡”の縁はどういうわけか素通りし、反作用の法則が働かない彼の身体は、当たり前に重力の法則に従ってコンマ一秒すらも停止せずに落下する。
無論、空中に突如出現したまま浮かんでいる鏡などというものが、ただの物体である筈もなく。
(いいだろう。この先に奴がいるというのなら、受けて立つまでだ―――)
この先にはどんな悪夢が待ち構えているかと精神を引き締めながら、柊四四八の肉体は異なる階層へと落ちていった。
「で、アンタは、私の使い魔………で、いいのよね?」
「こちらも完全に理解したとは言い難いが、君がそう認識しているのなら、暫定的にはそういうことになるんだろう」
そして今、二人の人間が一定の空間を隔てて向かい合っている。
一人は青年、柊四四八であり。もう一人は公爵家の令嬢、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
当たり前に考えるならば、服装も人種も、おそらく文化圏も異なる初対面の人間二人が顔を付き合わせているのはおかしい。
だが、そこにはかなり複雑な事情があり、二人の間に漂う空気もかなり深刻なものだ。
「君は、使い魔召喚の儀式において魔法を用いた。そして、“気がついたら”俺が目の前にいた」
「そうよ。確かに召喚ゲートは開いたはずなのに中から何も出てこなくて、そしたら、いつの間にかゲートは消えてて………代わりにアンタがいたのよ」
その瞬間のことは四四八もはっきりと覚えている。むしろ、状況をより広く見ていたのは彼の方だろう。
これは今はまだ言うまいと決めているが、彼が現実に現れた鏡のような門を通ってから、この世界に顕現するまで意識が途絶えることはなかった。
確かに彼は、草原に存在していたゲートから“飛び出して”来たのである。
ただし、無人の草原に。
空は青く澄み渡っており、空気にも毒々しいものや、あるいは工業排煙などが混ざっているわけでもない。
生物が生きていくには真っ当な環境であり、一見、どこにでもある草原に思えた。
(だが、夢の力を使うことができた以上、ここは現実じゃない。クリエイトを出来たのがその証拠だ)
鏡から放り出されてすぐ、意識的に着ている服をジャージから千信館の制服への切り替えを試したが、問題なく成功。
次いで、運動能力強化のアタックを用いてその場で跳躍も試みたが、15メートル以上を軽く飛ぶことができた。
そして着地後、改めて周囲の環境を確かめようと目をやると、目の前に“いつの間にか”少女が立っていたのである。
一人で、指揮棒のような杖を構えながら、マントを纏った何がしかの制服を思わせる姿で。
「君は………何者だ。いつの間に現れた?」
「え、いつって、あれ?」
四四八の言葉に少女が周囲を意識した瞬間、それは起こった。
人間の群れ、そう表現できるであろう数の人間が、一秒の時間もかけずに周囲に一斉に現れていたのだ。
格好は少女のそれと同じ、年齢も同様に、ただし、禿頭の壮年男性だけは異なったローブのような衣装を着込み、筆記用具と紙と記帳用であろう木製のボードを抱えている。
その光景に、流石に四四八も動揺したが、ここが夢の中であることを即座に思い直し冷静になるよう自分を戒める。クリエイトやキャンセルを用いればこういうことも可能だと、瞬時に冷静さを取り戻すことには成功していた。
逆に動揺したのは少女の方であろう。彼女の主観では、使い魔召喚の魔法を唱え、召喚ゲートは現れたものの肝心の使い魔が姿を現さず、目を離した筈はないのにふと気付けば人間がそこに立っており、周囲には誰もいなくなっている。
そして、皆がいなくなっている事実に気付いた途端に、元のままに皆が姿を現していたのだ。
一体なんだこれは、自分は白昼夢でも見ていたのかと、彼女ならずとも己の目を疑うのも無理はない。
それは全体を俯瞰する者がいれば、滑稽にも見えたかもしれない。
“こちら側”からすれば異邦人であるはずの四四八がこれは“明晰夢”であると認識しつつも周囲の激変に動揺し、元来“こちら側”の人間である筈の少女は、自分が“白昼夢”でも見ているのかと己を疑う心境なのである。
まったく、どちらが明晰夢を見ていて、どちらが白昼夢を見ているのか、俄かには判断し難い状況であった。
そして、そんな二人の混乱を助長する一言が、壮年男性から放たれたのである。
「どうやら、コンタラクト・サーヴァントは一回で終わったようですね。ふむ、珍しいルーンですな………ともあれ、おめでとうミス・ヴァリエール、これで君も進級です。では皆さん、教室に戻りますよ」
周囲の生徒達もその言葉に頷きを返し、杖を構えて何かを呟いた後、同じ方向へ空を舞っていく。
その光景に四四八は再び驚愕させられるが、空を舞うこと自体は然程驚くことでもない。彼自身、明晰夢の中で幾度となく試し、重力法則をキャンセルすることによって実践してきた事柄である。
問題は、壮年の男性の一言。
彼は、四四八の左手を見て、珍しいルーンだ、と言ったのだ。
まだ何も記されておらず、例え腕にあったとしても長袖の制服を着ているがために、見えるはずもない四四八の左手を覗き込みながら。
「いったい、これは……」
「なんなの……」
期せずして、二人の言葉は重なった。
無理もない、四四八からすれば、壮年男性がいきなり見えてもいないだろう左手を指して“珍しいルーンだ”と言いながらスケッチを始めたのだ。
ルイズにとってはさらに複雑だ。まだ行ってもいない使い魔との契約、コンタラクト・サーヴァントは“一回で終わった”こととされ、何事もなかったように使い魔召喚の儀式は終わったのだ。
これが、壮年男性、コルベールの勘違いや錯乱ならまだ良いのだが、周囲の人間の誰もが、コルベールの言葉に疑問を挟まない。
こうして、訳も分からぬまま呆然と立っている自分だけが、まるで、世界から切り離されて一人で立っているような―――
「君、大丈夫か、顔色が良くないようだが」
「えっ、あ、そ、そうね」
そんな恐ろしい錯覚に囚われかけた時、横からの声で彼女は我に返り、そして、始まりの問答に至る。
まるで白昼夢を見ているかのようで、現実感のないままに終わった、終わったことになっている使い魔召喚の儀式。
その中で、この青年だけはどうやら自分と同じ感覚、あるいは同じ状況にいるらしい。
たったそれだけのことでも、“自分だけではない”という認識は今の彼女にとっては救いであった。
例えそれが、得体も知れない“自分の使い魔かもしれない”だけの人物であろうとも。
「とにかく、場所を移しましょう。ここにいてもどうしようもないし、私も貴方も混乱してるから、情報の整理がしたいわ」
「分かった。こちらとしても異存はない」
相手のことなど、互いに何一つ分からない。だが、ここで一人で考え込んでいても何も始まらない
その認識は共通であったために、あらゆる疑問は取り敢えず脇に置き、二人は歩き始める。
「はぁ、まったく、ついさっきまでは使い魔さえ召喚できれば、って思ってたのに」
特に少女にとっては、この状況は皮肉に過ぎるだろう。
ここで召喚に失敗し、使い魔が呼べなければ進級はできず、公爵家の令嬢としてはあまりに不名誉な留年となってしまう。何より、誰よりも愛する家族を落胆させることだけは、彼女のプライドにかけてできることではなかった。
だから、例え何が飛び出して来ようとも、儀式が無事終えて進級できるならなんでもやってやるつもりでいたのに―――
「もう、儀式は成功して終わったって、ほんと、意味分かんない」
事実は小説よりも奇なり。
何かが飛び出してきたかもしれないという曖昧な状況で、気付けばもう既に儀式は成功裏に終わったことになっている。
一体何がなんなのか、座学では首席か次席の成績を維持するだけの頭脳の冴えを持つ彼女ですら、さっぱり分からない。
ただ一つ、言えることがあるとすれば―――
「………なるほどな」
ただ前を向いて歩いているように見えるが、その実、周囲を注意深く観察しながら自分の後ろを歩くこの青年。時折、何かを確かめるように呟いている。
この彼が、この疑問の全容は明らかにできないまでも、何らかの回答は示してくれるであろうことと。
(何なのかしら、これ………安心感? いいえ、連帯感? 違う、ええと、同属意識?)
何か、言葉では形容し難いものを、この青年から感じるということ。
それが、自分とこの摩訶不思議な事態に何をもたらすことになるのか。
今の彼女には、まだ分からない。
第一話 白昼夢 了