【表題変更のことについて】
【短編】の文字を消しました。
短編の予定でしたが、なんか続きました。感想いただいたおかげでやる気が続いたものと思われます。
もう一話くらいは続きます。更に続くかもしれませんが分かりません。なるべくキリのいい感じで締めていくつもりですがそれも分かりません。作者は長編を完結させたことがありません。明らかに“続く”で終わっていても、短編連作だと思っておいた方が安全です。
短編のつもりが続いたので、おまけと後書きが変な位置にありますが、とりあえずこのままにしておきます。
かろうじて一人称。……一人称? 語調が別人……orz
【始まりからの先】
目が覚めたオレの脳裏を占めたのは、もしや夢だったのではないかという恐怖だった。
(――っ! 佐為っ!)
焦燥もあらわな呼びかけに、はい、と呑気な応えが返り、知らず詰めていた息を吐く。
しん、と静まった室内。二階の和室にのべた布団の上で、右に父親左に母親、いつもの夜だ。
(佐為?)
そっと体を起こして見回せば、部屋の隅に端然と座したその人は、律儀に応えを返してから首をかしげた。
『何故私の名前を知っているのですか?』
(ああ、……うん。ちょっと場所変えようか)
両親を起こさないよう、忍び足で部屋を出る。おそらく碁盤は一階リビング、おもちゃ箱のあたりだろう。行きたいがしかし。
(うーん……)
三歳児にとって階段というものは、誰かに抱えられるか手を引かれて上り下りするものだ。一人で安全に下りる手段といえば、後ろ向きに這い降りるという、なかなかみっともない姿となる。あまり人目に晒したいものではないが、こんな夜中に転げ落ちるわけにもいかない。
普通に下りようとして転げ落ちたこと過去数回、オレもさすがに学習した。
「……まあいっか、さいだし」
『なんですか?』
「なんでもない」
そうしてたどり着いた一階。リビングの照明を小さく絞って、碁盤を横目にキッチンへ。踏み台を持ち出して水を汲み、一息に飲む。あれだけ泣けば喉も乾く。泣いた事は記憶の底に封印したいところだけれども。
「あー、なんかハラへった」
『このまま寝かせておくべきか、起こして食事を取らせるべきか、母御が悩んでおられましたよ』
そういや食ってないんだっけ、変な時間に寝ちゃったからなぁ――そんな事を呟きながら戸棚を漁った。冷蔵庫の扉が重くて開けられないというのは認めたくない事実である。ビスケット発見。
「んじゃ、うとっか」
『え、……はい?』
(打とう、佐為)
きっとそれで分かるから。
お願いします、と頭を下げて、オレの黒は右上スミ小目。やっぱりいつもの打ち方は出来なかった。だって石がでかくて重い。指先だけで挟んで持つとか、どうしたって落ちるんだけど。なんか間抜けで笑える。
あの頃のように碁笥を手元に二つ置いて、対面に座した佐為を仰ぐ。
――ああ、佐為がいる。
こみ上げる幸福感に震えた。佐為がいる。何度も何度も夢見たとおりに。
あんまり嬉しくて涙が滲み、慌てて盤面に視線を戻して目元をぬぐった。なんだかもう泣いてばかりだ。いくら三歳児とはいえ、精神年齢25歳プラス3歳としてはどうなんだオレ。
目線鋭く盤面を見ていたはずの佐為が、一手目を示さず頓狂な声をあげた。
『あ、あれ?』
ぱたぱたと胸元を探り、袂を振って、きょろきょろと周りを見回す。
『私、扇子をどうしたのでしょう』
「どうって……」
『なんか、ないんですけど……』
首を捻りつつ、碁盤の下まで覗き込む佐為。いやそこにはないと思う。
「まあいいじゃん、ゆびでさせば」
なんでもない風に言ってはみたが、オレはまたしても泣きたくなった。
――じゃああれは、やっぱりオマエだったのかな。
夢で扇子をくれたのは、やっぱりオマエだったのかな。ただのオレの願望じゃなくて。だったらどうして覚えてないんだ。やっぱりただの夢だったのか。
――代わりに買って持ってた扇子は、誰か受け取ってくれただろうか。
塔矢であればいいと思う。あれはただのカタチだけれど、継いでくれればいいと思う。
オレはもう、打たないから。
佐為の腕になるんだから。
綺麗な指先がすっと伸びて、十九路の宇宙で星を押さえた。
「ありません」
敗北を告げたのは、案の定オレの方だった。十年以上をプロとして過ごしたオレだって、強くなったはずなのに。全然届かないのが悔しくて嬉しい。
『ヒ、カル……』
呆然とした風の佐為の声に、やっぱり分かってくれた、と嬉しくなって顔を上げ――オレは息を飲んだ。
佐為が泣いてる。
白い頬に透明な雫がしたたって、袂に吸い込まれていく。
幾筋も、幾筋も。
『ヒカル……ヒカル、ごめんね。……ごめんなさい……』
「ちょ、……え? 」
なんで佐為が泣くんだ?
***
『ヒカル、ごめんね。……ごめんなさい……』
打とう、と言った幼子は、それは確かにヒカルだった。
何故この幼子がヒカルなのか、何故己が未だここに在るのか、それは分からなくても。
打てば分かる。この子はヒカルで、あれから何年も研鑽を積んだヒカルで、だから。
――私は、どれほどあなたを傷つけたのでしょう。
あんなに、壊れてしまうのではないかと思うほど、全身全霊で泣いていた子供。ひたすらに佐為と名を呼んで、会いたかったと、ただただ会いたかったと、そんな想いが溢れて響いた。
『私は……ヒカルが妬ましかった。私は消えてしまうのに、ヒカルはこれからも打っていく――どうして、と。ずるいと、そう思って。ずいぶん我儘を言いました。なんて――なんて、浅ましい』
そんな、と言いかけたヒカルを、首を振る事で制して続ける。
『私はあなたといられて幸せだった。とても楽しかった。それだって本当なんです。そういうことを伝えるべきだった。ヒカルが大好き。そう言えば良かったんです。私が消えれば、優しいあなたはきっと泣くだろうと分かっていたのにっ!』
そう、分かっていた。
きっと泣くだろう、探すだろうと分かっていた。
……分かっていたのに。
楽しかったと伝える声は届かなかった。なにもかも遅すぎた。眠たそうなヒカルの姿が霞んでいく時の焦燥と恐怖、そして後悔。どうして――。
『どうして、笑って別れてあげられなかったのかと』
(――佐為っ!)
叩きつけるような強い声に顔を上げる。
「オレだってっ。オレだってぜんぜん――」
幼い口調にもどかしげに唇を噛んで、ヒカルはぐっと拳を握った。
(全然信じてやらなくて、打たせてやらなくて、オレが打ちたいって、そればっかりで!)
ごめん、と絞り出すように告げた声は、前とは違う幼い響き。こぼれた涙を腕で拭って、でももういいじゃん、と泣き笑った。
(また会えたんだからそれでいいじゃん。オマエ消えてないし、オレこんなんだし、ワケ分んないけど、もういいじゃん)
「うとうよ、さい。……オレとうってよ」
その名の通り光のような、愛しい子供。
――私はこれから、この子の為に在ろう。
神の一手へと到る長い道のり、この子が少しでも高みへ登れるように。
『はい……はいっ! 打ちましょう、ヒカル!』
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微妙にすれ違っている二人(笑)
↓の会話を入れたかったのですが、佐為が泣き出してしまったのでいれられませんでした。残念。
『では貴方は、私の知っているヒカルなのですか? はー、不思議なこともあるものですねぇ』
「……オマエにだけはいわれたくねーよ」