ドカン、という音とともに、教室が少し揺れた。
音源はたぶん、中庭の方だろう。
今はクラス全員、無事早めに召喚の儀も終わり、自習となっている。
さっそく使い魔を様子見にやった級友たちは「またゼロのルイズか」などと笑っていた。
どうやら今は、隣のクラスが召喚の儀を行っているらしい。
少々時間がかかり過ぎているように思われるのは、もしかすると件のピンクブロンドの髪を持つ同級生が失敗しているからだろうか。
『ゼロのルイズ』───嘲りの色が濃い二つ名を持つ、直接の面識もないだろう同級生を話題に、みな思い思いに輪を作って談笑している。
そんな、どこか浮かれたような、あるいは緩んだような空気に包まれた教室内で、アラン・ド・ペレはぐったりと机にもたれかかっていた。
ツブれている、と言った方が良いかもしれない。
(アホか、アイツら。ラ・ヴァリエールのご令嬢にあんな陰口たたいて、バレたらシャレになんねーだろ………)
声には出さずこっそりと級友の不明を罵る間も、まるで魂ごとこぼれ出ているかのようなため息をひっきりなしに垂れ流している。
その理由は別に、少しばかり想像力に欠けた級友たちの言動でも、その話題に上っている、たまに遠目に見掛けるだけの同級生のいつもの失敗でもない。
主に自身の置かれた、あるいはこれから置かれるであろう状況について、である。
アランの使い魔となったのは立派なワイバーンで、そのこと自体には何の問題もない。
むしろ、未だドットメイジにすぎないアランには過分と言える。
なにせ幻獣としての格で言えば、サラマンダーにも引けをとらず、普通ならトライアングルクラスのメイジが召喚するレベルである。
ちなみに、その『クーン』と名づけた使い魔は今、教室にいない。
別に中庭で他人が失敗している様子を見に行かせたとか、そんな下世話な理由ではなく、単に図体がデカすぎて教室に入れられなかっただけだ。
そしてその点、つまり使い魔の大きすぎる体躯こそが、アランの憂鬱の主な原因だった。
そう、今のアランに足りていないのは、メイジとしての格だけではなかった。
経済力、ぶっちゃけて言えばお銭である。
アランの実家、ペレ家は、しがない男爵、それも領地を持たない法衣貴族だ。
無論、父は宮仕え───何やら王軍の『隊長さん』らしいが、アランは軍に全く興味がないのでよく分からない───をしているし、母も内職に忙しい。
そのおかげで、収入が王室から下賜される貴族年金のみ、などという悲惨な事態には陥っていないし、次男のアランをこの魔法学院に入学させるだけの余裕もある。
当然、アランが貰っている仕送りも、家格の割には高額だったりする訳だが。
召喚の儀の直後、このクラスの儀式に立ち会ったミスタ・ギトーに聞いたところ、風竜の成体なら最低でも一日一頭の豚を食わせなくてはならないという。
風竜よりはやや小柄なワイバーンのこと、多少は割り引いて考えても良いだろうが、それにしても、だ。
年間にして三百五十頭からの豚、となると、これはもう手に余る。
学費も払わずに仕送りすべてをつぎ込んだとしても、まったく足りないのである。
(こりゃ、のんびり学生やっちゃいられなくなったかなぁ………父さん母さんには悪いけど………)
はああああ、とまたしても腹の底から、陰鬱な気分を吐き出す。
ついでに、ミスタ・ギトーからいつも通りのお小言───曰く、「才能の無駄遣いはやめろ」云々───を頂戴したことも、憂鬱に拍車をかけていた。
こちらは完全に自分の我侭だと、アラン自身も分かっているだけに、何とも気が重い。
先述の通り、アランはドットメイジである。
系統は『風』。
戦場の花形、空海軍やら魔法衛士隊やらに多い、実に実戦的な系統だ。
翻ってアラン本人は、と言えば、級友たちへの罵りを声にも出さず、かといって談笑の輪に入るでもない、という現状からも分かる通り、根暗な小心者であった。
痛いのもツライのも怖いのもまっぴら御免である。
戦場の花形?
冗談じゃない。
『治癒』とか『錬金』とか、戦闘以外での使い道に優れた系統の方が良かった。
と言うようなことを以前うっかり漏らしてしまったところ、風のトライアングルである父には本気で嘆かれた。
しかし、嘘偽りのないアランの本心である。
そして実践に関して言えば、残念ながら土系統の素質は壊滅的だったが、水は風の次に上手く扱えた。
だからアランは、学院に入学してからのこの一年、ずっと水の魔法を中心に学んできた。
一番練習する魔法は水系統。
一番まじめにノートを取る授業も水系統。
かなり必死に取り組んだおかげで、わずか一年で水のドットに到達することは出来た。
そのかわりに、本来の系統であるはずの風は入学当初からほとんど進歩しておらず。
結果、二年に進級したアランは『風と水を別々に使えるだけのドット』という、何とも珍妙なメイジになっていた。
風系統の教師であるミスタ・ギトーには目をかけて貰っていたが、如何せん本人にやる気がないのではどうしようもない。
教える側としても、実に難儀な生徒だったろう。
不真面目な訳ではなく、しかし努力する方向は、素質からすればてんで明後日の方を向いているのだから。
元から尊大かつねちっこいミスタ・ギトーならずとも、お小言の一つ二つどころか五つ六つ、くれてやりたくなるのも当然である。
そんな自己分析に逃避して、より一層の憂鬱を抱え込み、アランはうめくように呟いた。
「どうすっかな、これから………」
「どうするって、終業の鐘が鳴ったら部屋に戻って………ああ、君の場合は使い魔を厩舎に連れて行くのが先か」
「………あー、そうだね」
独り言のつもりだった呟きに答えたのは、このクラスで、というか学院全体でも指折りの生真面目さを誇るレイナールだった。
実のところ、アランはこのいかにも委員長然とした級友が少し苦手である。
眼鏡をかけて、評判を裏付けるかのように生真面目そうな面持ちを崩さないレイナールは、クラスの誰に対しても平等に接するのだ。
それ自体は実に結構なことであるが、それが自分にも向けられるとなると、アランにしてみれば余計なお世話でしかない。
アランはひっそり、こっそり、教室の隅で目立たずに三年間をやり過ごしたいのだ。
正直、どこかのグループに入っておべっかを使ったり、グループ間の諍いに巻き込まれるなど、考えるだけでも煩わしい。
誰か上級の貴族に取り入って人脈を、などという夢は最初から見ていない。
そんな話術も器用さも自分にはないものと、アランは見切っていた。
そんなアランがここ、トリステイン魔法学院にいる目的は、『学院卒のメイジ』という肩書きだけである。
たかが肩書きと侮るなかれ。
これがあるとないとでは、就職の口が質、量ともに大きく違ってくるのだ。
極端な話、ただのドットメイジでも魔法学院を卒業してさえいれば、どこかの役所に拾ってもらえる目が出てくる。
この世知辛くも慎ましい野望が、レイナールには分かってもらえないようであった。
下手に話しかけられて、流れでどこかのグループに属していると見られるのは、アランにとってはそのまま時間の無駄にしかならないのだ。
勿論、レイナールも悪気があっての行動ではなく、むしろ常にポツンとクラスで浮いているアランに配慮した結果なのだが。
小心者のアランが、話しかけてくるレイナールに面と向かって拒絶できる訳もなく、お互いに噛み合わないまま、彼らは友誼とも馴れ合いともつかない微妙な関係を続けていた。
「その後は、アウストリの広場で午後のお茶───もちろん、君も来るだろう?」
召喚の儀の当日である今日、アランたち新二年生はいつものアルヴィーズの食堂ではなく、その前のアウストリの広場で午後のお茶を頂くのが通例となっている。
ようは召喚した使い魔のお披露目会である。
「いや、オレはちょっと………」
「何を言ってるんだい。君はたぶんこのクラスで一番の使い魔を呼び出したんだぜ?もっと胸を張りたまえよ!」
努めてぼそぼそと断ろうとしたアランの肩を、レイナールが叩く。
どうもアランが尻込みしていると勘違いしたようだ。
(冗談じゃねー!ンなとこ行ったら悪目立ちしまくりじゃねーか!っつーか、行かなくても今だって!)
アランの胸中の悲鳴も虚しく、クラス中の視線が痛い。
レイナールの声が少々大きすぎたせいで、余計に人目が集まってしまっている。
集中する視線は、実際のところあまり好意的ではなかった。
クラスでも目立たない、陰気で無口な、しかもドットのアランが、他の級友たちを差し置いてワイバーンなど召喚したのである。
雰囲気の中に、羨望より嫉妬の色が濃く滲んでいる、と感じるのはアランの気のせいではない。
せめてもの救いは、普段の人付き合いの薄さからか、本気で敵対的な様子を見せる者がいないことぐらいか。
「あんな高位の幻獣を呼び出したなんて、今や君はこのクラスの誉れなんだぜ!」
「………(やーめーてー!)」
周りの空気読めやコノヤロウ、という台詞を飲み込んだアランには、もはや抗弁する気力も残されてはいなかった。