みんなー、元気ー? 古代ギリシア世界のプリティーマジカルアイドル・メディアちゃんだよー。
雨にも萎えて 風にも萎えて 東に病気の子供があれば 行って冷かしてやり 西に疲れた母があれば 行ってそっと財布から2千円を抜き取る そういうものにわたしはなりたい。
…さて、愛と勇気と知恵を振り絞り、胡散臭い銀髪イケメンのヘルメス君と小宇宙ゴールドアイドルの座をかけたエコノミカルバトルをなんとか征して、白羊宮を突破した私たちは、
「えらく、品のない金ぴかな愛と勇気と知恵じゃな」
「うっせぇです、黙りなさいエセ幼女」
「ぴ~ぎゃ」
コホン、さて、私たちは次なる関門、金牛宮にやってきた。ネズミの後はウシだから、これはこれであっているのだろうか。
そして、意気揚々と金牛宮を訪れた私たちを出迎えたのはオバチャ…じゃなくて、豊穣の女神デメテル様であった。
「あら~、よく来たわね。疲れたでしょぉ? ほらほら、そんな所に立ってないでお坐りなさいメディアちゃん。やだわぁ、こんなに美人さんになっちゃって。オバチャンちょっと嫉妬しちゃう。そーうだっ、飴ちゃん食べる?」
「わぁい」
さて、目の前で陽気に左手を頬に当て、右手で《やあね》しながら笑いつつ、私に大量の飴玉をプレゼントしてくるオバチャ…デメテル様。
わぁい、メディア、飴ちゃん大好き。棒読みになるわぁ…。
いやぁ、もうなんていうか、私の目からハイライトが消えていく勢いでズカズカ話しかけてくるデメテル様。
初見なのに大きくなってとか美人さんになってとか、彼氏はいるのとか聞いてくるのはどうかと思う。
基本、彼女は私にとっての協力者といえる立場にあるので邪見には出来ないのだけど。
彼女、豊穣の女神デメテルは《メテル》が母という単語から派生していたりと、大地母神の属性を色濃く有する偉大なる女神だ。
そんな彼女の強力極まりない信仰は、主神ゼウスを奉ずる者たちでも滅し切れず、最終的にはオリュンポス12神に迎え入れるという妥協を引き出したほどだ。
こうしたデメテルの信仰に対する弾圧とその挫折はギリシア神話にも顕れており、こんな前向きなオバチャ…お姉さんだけれども神話上では不憫なエピソードに事欠かない。
ちなみに、その関係でゼウスに対しての好感度はマイナスに振り切っている。
そりゃあ、弟なのに強姦するわ、それが原因で生まれた彼女の溺愛する娘を口約束で勝手に嫁に出されるわ、彼女の愛人を嫉妬でぶち殺すわとか、正直ゼウスって彼女に喧嘩しか売ってない。
うん、オバチャ…デメテル様はゼウスを縊り殺しても無罪だと思うんですがどうでしょう?
それはともかく、こういった経緯から彼女は初めから私に同情的であったし、こうして味方してくれているわけである。
「あっ、これペルセポネ様からのお手紙です」
「あら? あらあら、ありがとうねメディアちゃん。ああもう、1年の半分は会えるっていっても、やっぱり寂しいものは寂しいのよね。いやだわ本当に、どうしてこんなにいい子にちょっかい出すのかしらあの愚弟。ギリシア全土に飢餓でも起こしてやろうかしら」
「やめてください(主に関係のない一般人が)死んでしまいます」
豊穣のオバチャ……じゃなくて、女神デメテル。基本陽気な彼女であり、また非戦闘員であるので荒事には向かない女神様であるが、怒らせると一番ヤバいと言われるのが彼女でもある。
かつて主神ゼウスを真正面から譲歩させたという経歴は、他のオリュンポスの神々をしてほとんどなしえない偉大なる戦果といえよう。
彼女の権能は豊穣。ギリシア世界の大地の実りを一身に担う、ガイアから連綿と継承されてきた大地母神の正当後継者。
つまり、彼女が頷かないと穀物は実りを得ず、家畜は乳を出さず、狩人は獲物を得ることができない。
そして、彼女の大地母神としての暗黒面は『飢餓』だ。
彼女を怒らせたテッサリアの王は、彼女がもたらした飢餓の呪いにより苦しみ、何を食べても飢えが収まらず、最後には自らの肉を食って死ぬという壮絶な最後を遂げている。
本当に、なんであの駄神は彼女をわざわざ怒らせようと動くのか。全知全能が呆れてしまうのです。
粗暴で知られる海神ポセイドンですら、彼女の気を惹くためにカンブリア爆発じみたプレゼント攻勢をしているというのに。
「それで、お願いしていた件なんですけれど」
「ええ、いいわよ。ポセイドンからの贈物を褒めてあげればいいのね。ほんとうに、男ってバカよねぇ」
「まあ、その単純さが強みなんですけれどね」
「あら、分かってるじゃない。そういうところも可愛いのよ」
この人、男関係でロクな目に合ってないのにメンタル強いですね。さすが、ギリシア最凶のオバチャ…女神様。
見た目普通に美人なお姉さんなのに、ビール樽体型で豹柄のズボンはいた陽気で強引な中年女性とダブって見えてしまいます。
と、デメテルのオバチャ…女神様がふと私から視線を外し、私の背後の仲間たちの一人に顔を向ける。
つーか、お前ら関わりたくないからって露骨に視線を逸らすなや失礼だろう。
「あ~~らぁ、ヘラクレス君じゃないっ。こんなに立派になってぇ。今日はどうしたの?」
「あ、その、自分、メディア姫の護衛を……」
「あらあら、偉いじゃないヘラクレス君。オバチャン嬉しいわぁ」
「はぁ」
軽やかなステップでオバチャ…デメテル様はヘラクレスさんに傍に近づき、その筋肉隆々の腕に触って、遠慮とか一切なくズカズカと話しかけていく。
いや、待て。なんだこれは…、まさか、あの不敗の大英雄ヘラクレスさんが押されているだとっ!?
「ほんとに、オバチャン心配したのよぉ。ヘラちゃんが変な呪いかけちゃったでしょ。あの子にも困ったものよね。でも、聞いてるわよ。ウ・ワ・サ。12の試練、乗り越えたんでしょう? すごいわぁ。私にも貴方みたいな男の子がいたらよかったのに。そうそう、それでね……」
「は、はぁ……」
ヘラクレスさんの精神力がガリガリと削られていっている。なんて事だ。これが主神すら一目置くギリシア最凶の女神の力だというのか。
恐ろしい。恐ろし過ぎる。
「すごいな、話では伝え聞いてはいたが…、よもや、かの大英雄が…」
「タジタジですね。あ、あれは伝説の《お肉食べる?》っ!? あれ以上はヘラクレスさんの精神がもたないっ」
普段のジャイアニズムとは明らかに異なり、完全に振り回されるヘラクレスさんに流石のアタランテちゃんも驚きを隠せない。
他の面々も言葉を失っているようだが、私には分かる。全身が関わり合いたくないと叫ぶのに、流されざるを得ない恐怖。
目の前のオバチャ…美しい女性を絶対に怒らせてはならないという魂レベルにまで刻まれた確信。
それがヘラクレスさんの大英雄パワーを阻害しているのだ。
あんな恐るべき王気(オーラ)を放つ彼女の機嫌を損ねることのできる主神ゼウスの空気の読めなさには感服するばかりだ。
『あれで神界ではモテるんですよね』
「おや、ヘカテー様。通信回復してるんですか?」
『ここはデメテルの領域ですので』
「なるほど」
色々と電波状況の悪いオリュンポスだけれど、この辺りは比較的通信状況が良いらしい。
「でも、あのヒト、そんなにモテるんですか……」
『見てくれは良いですしね彼女。冥界の超銀河ヒロインと名高いペルセポネの母親ですし』
まあ、確かにペルセポネ様は物凄い美少女かつ圧倒的なヒロイン力の持ち主であったけれど。
冥界の王に攫われてとか、ヒロイン力が高すぎなのだ。悲劇的な展開の後、実は純朴だった冥界の王と心通わすとかさ…、もうどこのケータイ小説だよって言う。
『まあ、そんなヒロインも歳をとればああなるっていう』
「おいやめろ。青少年の夢を壊さないでください」
『青少年の夢って、あれってエロい事しか考えていないですよね』
「謝れっ! 偏見ダメ絶対。カッコイイ事も考えてますから! エターナルフォースブリザードとかっ!」
まったく、実に失礼な偏見である。青少年といえば、思春期。思春期といえば中二病である。頭の中はピンクの妄想ではなく、カッコイイ必殺技の設定でいっぱいなのだ。
なお数年後、書き綴ったノートをいかに処分するかで頭を悩ます。
なんだよ全体攻撃とか攻撃範囲って現実にそんなはっきりとした区別あるわけないじゃないですか毒とか毎ターンダメージなんてそんな単純なものじゃねぇでしょうにていうかターンって何なんだよもう死にたい。
「はっ、ヤバイヤバイ、取り繕っていたSAN値が0に戻るところでした」
『トラウマスイッチですね。お父さんスイッチの一種でしたっけ』
「幼女と一緒なら戯れたい」
さて、そしてしばらくすると、なんだかゲッソリとしたヘラクレスさんが大量の飴玉を両手に抱えて帰ってきた。
あ、その飴玉いらないんだったら、私の頭の上の蜥蜴が処理しますんで。私のさっきもらった大量の飴玉は頭の上の蜥蜴がボリボリ貪り食いました。
「お疲れ様です」
「ああ…」
「少し休まれては?」
「いや、早く行こう。今すぐに、早急にだ」
「………あいあいあさー」
『余程疲れたのでしょうね。彼女、素でも酒が入っても厄介ですから』
「そんなんで何故モテるのか…」
顔でしか判断していないのだろうか。古代ギリシア人の恐妻家ぶりって、結局のところ自業自得じゃね? 奥さん怖くてホモに走るあたりからしてもヤバいし。
…さて、そろそろこの辺りでお暇させてもらおう。一刻も早くここから去りた…じゃなくて、名残惜しいが、私たちには使命があるのだから。
あー、残念だなぁ。もっとデメテル様と親交を深めたかったのになぁ。あー、残念残念。
「あら、もう行っちゃうの? もっとゆっくりしていっていいのよ」
「いえ、我々には為さなければならない事がありますから。すべてが終わった後に、また会いまみえましょう」
「そう、わかったわ。じゃあ、この仔を連れて行きなさい」
デメテル様がパンパンと手拍子をたたき、何者かを呼び出す。誰が来るのかと考えていると、蹄が大地を駆ける軽快な音がパカランパカランと近づいてきた。
「あれは…、アリオンかっ!」
「そうよ。ああ、ヘラクレス君、貴方を背に乗せた事もあったわね。どう? メディアちゃん、あの仔ならきっと貴女の力になってくれるわ」
「伝説の名馬…」
ヘラクレスの表情が喜色に染まる。古い友人にあったような笑みだ。そうしてやってきた素晴らしい体格と毛並みの馬の首をヘラクレスさんは優しくなでる。
「久しいな友よ」
「ああ、何年ぶりか」
名馬アリオン。ギリシア神話において登場するもっとも尊い血を受け継ぐ名馬。かつて大英雄ヘラクレスと共にあり、大地を駆けた名馬中の名馬だ。
しかして、その正体はポセイドンとデメテルという最高位の神の間に生まれた神そのもの。故に人語すら不都合なく操る神馬である。つか、私より血筋的に上じゃないかしらん。
現在は確かアルゴスの王の下にあったはずだが、どうやら一時的に呼び寄せたようだ。
「ありがとうございます、デメテル様」
私は深く感謝し頭を下げる。と、同時に名馬アリオンを見て思った。
「(右足キメェ)」
神馬アリオン、その右後ろ足は人間の足だったマジキモイ。馬に人間の足をつける古代ギリシア人のセンス、わけがわからないよ。
◆
オリュンポス頂上の大神殿。主神が住まう神聖なる場所を、まるでドレスか何かと見まごうほどに美しく煌びやかな鎧を纏う美少女が早足で歩いていた。
その鮮烈ともいえる美貌はしかし無表情であり、その冷徹さが逆に恐ろしい印象を他者に与え、神殿にて下働きをする下級の神々は急ぎ彼女の行く先に道を譲っていく。
そうして彼女は何の迷いもなく、この神殿の中央、主神への謁見の間の扉をくぐった。
「父よ、失礼いたします」
「おお、アテナか」
謁見の間の奥、玉座に座る老人の姿を取る神々の王を認めると、彼女は恭しく礼を取る。その美しく完璧な所作は神々の王をして見惚れるほど。
女神アテナ。古代ギリシアの覇権国家アテナイの象徴であり守護女神である彼女は、オリュンポス、いや、ギリシア神話全体に渡って最も優遇される最高神の愛娘である。
武を司る神において、攻勢よりも守勢を司るという意味において同じ主神の子であるアレスと対極にある彼女は、単純な力よりも軍略を好むが故に、表情から自らの感情を読まれることを拒む。
よって、基本的には無表情。というか冷たい印象すら他者に与えるのだけれども、今ここにいる彼女のわずかな表情の変化から、彼女の父たるゼウスは彼女がとても不機嫌であることを読み取った。
「どうしたアテナ。そのような怖い顔をして」
「……僭越ながら申し上げます。父よ、これ以上、オリュンポスに不和をもたらす行為を止めていただきたい」
「ふむ」
「豊穣の女神デメテルが敵方につきました。ヘルメスは戦線離脱。海神ポセイドン様もこの流れに乗られるでしょう。そしてアポロン、アルテミス兄妹もです」
女神アテネは憤りを抑え、平坦な声で父たるゼウスに語りかける。
もっとも、彼女の怒りは父親の奔放な浮気に対してではない。父親のそれについて、彼女は《ある種の病気》として処理していたし、基本的にいつもの事としてしか処理していない。
メディアについては同情するが、それぐらいの感情しか抱かない。
彼女の怒りは、そんなどうでもいい事でオリュンポス十二神の結束が乱れ、内紛が起ころうとしている現状、そして正当性を欠いた此度の戦についてだ。
あげく、好き放題の調略を許し、実際に離反者が発生しているのもかかわらず対策を執ろうともしない父親、あるいは自分に防衛を任せない事にも苛立ちを覚える。
つい最近、女神ガイアが差し向けたギガースを退けたことで父は天狗になっているのではないだろうか。
その傲慢はまるで先王たち、ウラヌスやクロノスの焼き写しのよう。
戦場において油断は死を招く。戦場における防衛戦を司る者として、この慢心を見せられるのは苦痛以外の何物でもない。
それに、嫌な予感がする。勝利できるという確信を得ることができない。勝って当たり前なのに、何か大きな齟齬があるような。
「それに加えて、メディア姫がかの怪物どもの死体を漁っていた件が気にかかります。よもや、かのモノを呼び覚ます算段では?」
「分かっている。だが、それについては安心するといい。タルタロスの守備には既にモイライ三姉妹を向かわせ、ヘカトンケイルら三兄弟と共に厳重な警戒をさせている」
モイライ三姉妹は運命を司る力を有しており、先の戦では力を合わせてギガンテスの2柱を撃破した実力のある女神たちだ。
さらにヘカトンケイルたちと力を合わせれば、小細工などできようはずもないが…。
しかし嫌な予感は消えない。あの女神ヘカテーの巫女が自信満々に我らに挑戦しているのだ。何かがあるに違いない。
「父よ、私に指揮をお預け願いたい」
「この我の采配は不満かアテナ?」
「これを采配と言えるならば。父上は遊びが過ぎます」
ここまで来て和解はあり得ないだろう。小娘に少し攻められただけで主神が意見を覆すなどあってはならない。
面子を守るための戦いなど下の下、最悪の類の戦いではあるが、実際のところ神や王にとって面子というのは黄金よりも貴重である。
よって、内心はどうあれ、彼女は勝つことのみに意識を集中する。後の事は勝ってから考えればいい。
勝った後の事を考えずに始まった戦争など、彼女にとっては虫唾が走るような悪手であるが。
そんなアテナの視線を受けて、ゼウスはどうしたものかと顎に指を当てて考える。
メディアは何かを企んでいるようであるが、神格から見ても脅威度は低い。ヘラクレスは強いが、この自分の足下にも及ばない。
いくら魔術を駆使しようとも、全知全能である自分に敵うはずもない。よって、圧倒的な絶望を叩きこんで、反抗心を折ろうと考えていた。
よって、自分以外の誰かがメディアを討ってしまうのは計画上避けたい。なので…、
「父上、どうか」
その時、ゼウスは女神アテナからキラキラしたオネダリ光線を見た。もっともそれは親バカである彼の主観によるもので、実際にはアテナはオネダリなんかしてはいないのだけど。
そう、何を隠そう、ギリシア最高神ゼウスは娘であるアテナに甘い。激甘である。デレッデレである。出来が良くて見栄えの良い娘は何よりも可愛い。
あと、この主神は女神アテナが処女を守っているのを「将来はパパのお嫁さんになるの♪」とアテナが考えているに違いないと思い込んでいる。
色々と残念な思考が渦巻いた結果、ゼウスの顔はデレデレに緩みきった。
「いいだろうアテナよ。軍を編成するが良い。許す」
「ありがたき幸せ」
相変わらずチョロイなこの主神と、少しオリュンポスの行く末について不安を抱くアテナであったが、とりあえず目の前の問題を片づけるべく再び恭しく礼をとる。
が、
「待っていただこうか父よ!!」
その決定に異議を唱える者が謁見の間に乱入した。
燃えるような赤い髪の偉丈夫。その狂気にも似た闘争心を奇跡的なバランスで内包する美貌。男の肉体美を魅せるカッコイイポーズ。
戦神アレスであった。
ゼウスとアテナは表情に出さなかったが、内心、「すっげぇ面倒臭いのが来た」と滅茶苦茶顔をしかめた。
「何しに来たのですか、アレス」
「どうもこうもない。あの女を討つ役割は本来は俺のもの。横からしゃしゃり出てきては困るぞアテナよ」
カッコイイポーズでアテナを指差すアレスに、アテナは頭痛を感じながら対面する。ゼウスはゼウスで残念な方の息子の登場にコメカミを抑える。
「普段はお前の顔を立てて勝ちを譲ってやってはいるが…」
「(譲るも何も、ガチで負けたじゃんお前)」
「しかし今回ばかりは、横槍は許さぬ。あの女、そしてヘラクレスはこの《俺》の獲物だ。分かったな」
「(現実にオリュンポスに攻め込まれている状態で何言ってんのコイツ)」
目の前の弟の妄言があまりにもあんまりだったので、正直ドン引きであったが、もちろん委員長気質で優等生なアテナはそれを顔に出さない。
青筋だってたり、顔がヒクついていたりするように見えても、顔に出したりなんかしていないのである。
「よって、父よ。軍を率いる栄誉をこの俺に」
「何を言っているのですかアレス。防衛は私の領分。軍を率いるべきは私です」
犬猿が可愛く見えるほどのいがみ合いを始める2柱。ゼウスは相変わらずこいつら仲悪いなと思いつつ、面倒くさい事になったと天井を仰いだ。
◆
ポロロロン♪
双児宮。黄道十二宮の3番目であり、トラじゃない。
ポロロロン♪
由来はアルゴー船でもご一緒した某兄弟なので時系列的にどうかと思うけど、時空を超越したこのオリュンポスでは意味のない事である。
ポロロロン♪
「流石、オリュンポス12神。濃い面々が揃っていますねぇ」
「おお、ものすごい美形の兄妹じゃな」
「……あの方は、まさか」「ぬ?」
アタランテちゃんは神殿の縁側っぽい大理石の上で寝ている超絶美人の女の人に注目しているようだが、私はむしろ内面世界に没入しながらリラを鳴らす超絶イケメンに目を奪われていた。
「ああ…、なんて悲しいのだろう。父は正妻ヘラを裏切り相変わらず奔放に女性に無理に迫り、その所業に我ら家族の結束は今バラバラになろうとしている。家族が相争う。これ以上の悲劇があるだろうか。ねぇ、アルテミス」
「(スヤァ)zzz」
ポロロロン♪と光輝の神アポロンが竪琴をかき鳴らした。切ない音が空気を揺らし、さらにアポロンは自己陶酔的に語り続ける。
なお、アルテミスは起きない
「しかし、我々の諌言も受け入れられず、導き手たる主神が自ら外道をとろうとは…。ああっ、なんと痛ましいことかっ。そう思うだろう、アルテミス」
「(スヤァ)zzz」
濃いなぁ…。こんなに金髪で髪サラサラで爽やか系の超イケメンなのに、濃いなぁ…。そりゃあ、ついていけなくなるよねー。
傍でスヤァしている女神はまず置いておいて、まずはアポロンである。挨拶しないといけないですよね。話しかけたくないなぁ。
とはいえ、勝手に通過してしまうのもどうかと思うので、おそるおそるイケメンに話しかけてみる。
「え、えっと、初めまして…。その、私、メディアと申します」
「おや、早かったね。待っていたよ」
アポロンの白い奥歯がキラリと輝いた。イケメン過ぎて殺意が涌いた…じゃなくて、前に見たイアソンを上回る完璧なイケメンぶりに意識が消えかけた。
こいつ、きっと余計なことしなければモテるんだろうな。
アポロンはフワッサと長いサラサラ髪をかき分け、爽やか笑顔を私たちに向けてきた。ああ、パンチ一発で鼻っ柱ブチ折りたい。
「しかし、よくヘルメスをどうにか出来たね。いや、そんな予感はしていたんだけれどね」
「彼は恐ろしい敵でした…」
アポロンとヘルメスは異母兄弟であり、また親友同士でもある。
一応補足するが、アポロンもゲイ♂術の神様なのでそういう方面の逸話もあるし、腐女子大歓喜な展開もあり得なくはないが、見た感じは清く正しい男友達のようではある。
「いや、謙遜は良くないよ。しかし、なんてドラマチックな展開なんだ! 完全にして傲慢なる主神ゼウスに不幸にして見初められ、拒絶の意思は故郷を人質にとられるという回答をもって破却された悲劇の姫君。しかして、姫君は諦めず仲間を集め神に挑む!! 私のアーティストの血が騒がずにはいられないっ」
ジャカジャン♪
なんだか興に乗ってきたのだろうか、ゲイ♂術の神アポロンはヘルメス神から贈られたとされる竪琴をかき鳴らして勝手に陶酔し始めた。
ロックンローラー顔負けの速弾きとカッコイイポーズ。もう、ここから離れていいですか?
そんな風に私の心がサラサラと風化を始めようとしたその時、
「兄様、うるさい」
「アウチッ」
サクッとアポロンの後頭部に矢が生えた。
「「「「ええ~~っ!?」」」」
なんなの、何が起こったのと目を凝らすと、矢を頭に生やしたアポロンの背後に、弓を構えた美人さんが目をこすって欠伸をしているのを確認した。
あ、うん、そういうスタンスのヒトなんだ。私はこの兄妹の基本的な力関係を認識する。
神様は丈夫なのでギャグマンガみたいなツッコミができるのは確かだけど、それでも寝起きでナチュラルに兄をヘッドショットとか容赦ないなこの妹神。
そして、狩りと月のアルテミスは金糸のような髪を揺らしてこちらを一瞥する。眼福になる美少女さん。
ここで、彼女を信仰するアタランテちゃんが礼を尽くそうと前に出ようとするが、
「おやすみ」
「えらい自由ですねこの夜行性野生児」
再び体を横たえてスヤァを始めようとするアルテミスさん。雰囲気的な意味でアタランテちゃんに良く似ている気がしますね。
まあ、神話での逸話も似た感じなのでしょうがないが。しつこい男がいれば弓で射る、覗きをする男がいれば弓で射る。なんて単純思考。バイオレンスなコミュニケーション。
でも、とりあえず何でも弓で射ればいいという脳筋思考はどうかと思うんだ正直。あと、
「ぷー、くっくっく、妹にっ、弓で射られてっ、頭から矢を生やしてやがるっ」
ヘラクレスさん笑い過ぎですよ。ほら、アポロン様のコメカミに青筋が…。
「何か言いたいことがあるのかなヘラクレス君?」
「いや何、お前ともあろうものが妹相手には形無しだと思うとな」
「放っておいてくれ」
おや、仲良いんですねこの二人。まさか、薄い本的な関係なのでしょうか。私のいないところでしてください。
「いや、ギガントマキアでは共闘した仲でね」
ああ、そういう関係ですか。デルフォイ関係で仲が悪いと思っていましたが、あれはイピトスさんが死んだことが原因でしたね。
「何の話だい?」
「邪気眼を持たぬ者にはわからないんですよ」
現代に伝わる神話では、ティリンスにおいて気が触れたヘラクレスさんが、自分を弁護してくれるイピトスを城壁から投げ落とし、その後病に苦しむという流れになっている。
そこでヘラクレスさんは神託関係では毎回名前の出るデルフォイにて、その罪を雪ぐにはどうすれば良いかと頼ったのだけれど、
気の短いヘラクレスさんはデルフォイの巫女から神託を出すのを一回断られただけで、ブチ切れて大暴れしたのである。
そこに、デルフォイを管轄する預言を司る神アポロンとガチンコの喧嘩になり、ゼウスの取り成しで全面対決は避けられたものの…という展開になっていたのだ。
が、ここで私がイピトスを救ってしまったのでヘラクレスさんとアポロン様の決定的な対立構造の形成が回避されてしまったわけで、
「私は悪くない」
「いや、良いことをしたのではないのか?」
これでヘラクレスがリュディアの女王オムパレーに仕えるフラグが立ち消えたわけである。
加えて、紀元前1220年ぐらいから開始される、リュディア王国の王家ヘラクレス家の祖、ヘラクレスが奴隷女に産ませた子が誕生しなくなるので、この王家も歴史に登場しなくなる。
どんなバタフライ効果だよ本当に。
「それでも私はやってない」
そんな風に歴史犯罪に目を背けていると、
「おおうっ!?」
「(じ~~)」
「ぴぎゃ?」
いつの間にかアルテミス様が私の眼前、鼻と鼻がぶつかりあうような距離にまで顔を近づけ接近していた。
え、なんなの、どういうことなの?
あと、私の頭の上の蜥蜴は噛みますので、そう気安くつつかない方がいいですよ。いや、まじで。
ほら、相手が遊んでいるつもりでも、こっちとしてはシャレにならない事ってありますから。水の中でシャチと戯れて死ぬヒトいますからね。
そして、アルテミスさんは私に向かって、
「この仔、頂戴」
などと注文を始める。いや、その、一切なんの邪気もない顔でオネダリされると、こっちも困るんですけど。
「すみません、ダメです」
「ちょうだい」
「ダメです」
「……むー」
えっと、月の女神アルテミスってこういうキャラなの? もう少しヒステリックな性格の持ち主と思ってました。聞いていた話とちょっと違う。
あるいは三日月マークを額に付けた白猫みたいな感じかと思っていたけど、まさかの素直クール系とは油断も隙もないなオリュンポスは。
「(じ~~)」
「くっ、ギリシア女神にあるまじき無垢な瞳っ」
自己主張が異様に強いギリシア女神たちの中で、なんという純粋さ。パリスの審判に参加しなかっただけのことはある。
とはいえ、この蜥蜴は今回の切り札だ。つーか、核爆弾をほいほい他人に渡すような分別のない事はするべきではない。
次の日の朝、アルテミスがペロリと胃の中に納まっていたなんていうオチとか最悪である。
「こ、この仔はダメですのでっ」
「(じ~~)」
つか、何歳児だこの女神。アンタを信仰しているそこの野生児娘が呆気にとられてますよ。もうちょっと威厳というものをですね…。
どうしたものかと困っていると、苦笑いのアポロンが近づいてきた。
「はは。いや、すまないね。ほらアルテミス、メディア姫が困っているから。だから、他のものにしようね」
「え、ちょ、何で」
なんで何か貢物をアルテミス様に渡す話になってるんですかね。振れば何でも出てくる小槌ってわけじゃねぇんですよ私は。
だいたい、神様って貢物捧げても特に何かしてくれるわけじゃないですし、逆に貢物捧げなかったら天罰降るとか理不尽なんですよね。
あー、やだやだ。こういう事ばっかりしてるから将来一神教に好き勝手されるんですよ。
「でも、君、ヘルメスに 「あ~っ、あ~っ、何か捧げたくなってきたなぁ~~!!」」
バレテーラ。
くそっ、何か代わりって言っても物欲の薄さで定評のあるアルテミスだぞ。渡すものって言ったらアレぐらいしか…。
いや、あんなもん渡したら歴史崩壊ってレベルじゃねぇし…。
まあ、いいや。どうにでもなーれ。
「で、では、まったく新しい概念の弓を…」
「弓?」
「ダイダロス、イカロス! 出番です!!」
「なんであるか?」「何?」
今までギャラリーしていたダイダロスとイカロス親子を呼び寄せて、その目の前で紙を広げて大まかな設計図を書いていく。
書き上げられていく弓の設計図にダイダロス親子は目を見開いた。
「た、確かにこれならば従来とは一線を画する弓が出来上がるのである…」
「こんな発想はなかった…。まさか、滑車を使うなんて」
弓というものは、その発生から現代と呼ばれる時代に至るまで基本的な構造に変更がなされることはなかった。
反りを加えられた棒状の基部の両端に弦を張る。ごく単純な構造ながら、その威力は13世紀における遊牧民族の大帝国の成立を見れば容易にわかるというものだ。
機械的な工夫としてクロスボウや弩、あるいはアーバレストといった派生形は生まれたものの、弓そのものを置き換えるには至らなかった。
表と裏に異なる材質を張り合わせて用いるといった材質的な工夫が行われるものの、形状に大きな変化は20世紀に至るまでほとんどなされなかったと言っていい。
そう、20世紀に至るまでは。
「軸を中心からずらした滑車を利用して、弓を引くのに要する力を変化させるのであるか…」
コンパウンド・ボウと呼ばれる1960年代の米国にて考案されたこの弓の構造は、従来の形状の弓を一掃するに至った。
以降、従来型の弓を競技以外の場で見ることは珍しくなる。スポーツとしてのハンティング分野において、コンパウンド・ボウこそがスタンダードとなったのだ。
「(銃が登場していないこの時代にこんなモン出したらヤバイですよね絶対)」
もちろん、これは武器としてのスタンダードである銃の座を脅かすものではない。兵器として銃の優位性は絶対だ。
そもそもコンパウンド・ボウは弓そのものの威力や射程を飛躍的に向上させるものではない。
滑車を用いたてこの原理により、弓の弦を引く力を、引き始めに強く、引き終わりに弱くといった風に勾配をつける機構でしかない。
しかし、引き終わり、つまり弦を引き絞って狙いをつけるフェーズに腕にかかる負荷を最大半分近くまで低減するという機構は、弓の扱い易さと命中精度を飛躍的に向上させた。
ぶっちゃけ、10歳ちょっとの女の子を熊を射殺すだけのハンターに変えることができるので、広まったら戦争が凄惨なことになりかねないんだけど。
「なるほど…、これは面白いな。こんどヘパイストスに頼んで作らせてみるか」
「良くわからないけど、すごいの?」
「すごいものなんてモノではないのである。革命なのである」
なんか盛り上がってるけど、本当に良かったのだろうか。アルフレッド・ノーベルってこういう気分だったのかもしれませんね。
ふふふ、私、もう、知らない。
こうして広まった新しい弓によって、遊牧民族と農耕民の力関係が変わってしまうなんて、今の私には知りようもないことだったのです。
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アルテミスって聞いて猫思い浮かべた作者は、少しだけ年齢的な意味で危機感を浮かべたのでした。
ところで、アルテミスは妹で良かったのだろうか。妹属性の方が萌えたからそうしたけど…。うん、まあいいや。私は悪くない。