未だに高く日が昇っている。既に時間で言うならば夕方、だが夏はそれを感じさせない。
三日たった。期限の日まで残りも三日しかない。
調査に進展は無かった。その事実は湊の心に焦りを生んだ。昼夜を問わずに探し回ろうと、手がかりの一つも見つからない。
「糞」
墓場の片隅、背をもたれかからせた木に拳を打ちつける。
「一体何が足りていない? 何を見落としている……?」
汗を袖で拭った。暑さ程度で汗はかかないが、心理的な要因には容易く反応する。いやになるな、と湊は自重する。戦っている間、命のやり取りをしている間はそれほどでもないのに、こんな真綿で首を絞められるようなときには脅えてしまう。
息を吐く。気分を入れ替えようとして、音を確認した。
『モドッタゾ、サマナー』
生々しさと電子音を掛け合わせ、ミキサーでかき回して出来たような声。顔を、下ろす。
「ヘルハウンドか」
青白い、幽鬼の炎を纏わせた大型犬がそこにいる。
ヘルハウンドは鼻を鳴らし、
『サマナー、ザンネンダガ』
「そうか……」
分かってはいたが、落胆する。この様子ならば、ギャリートロットのほうも手がかりは持ってこないだろう、そんな気がする。
「ヘルハウンド、もう三日しかないぞ、どうする?」
『ドウモコウモナイ、サガスシカナイダロウ?』
ああその通りだ、と湊は肯定する。
「あの糞野郎め、見つけたら――、殺す」
そこまで言って端と気づく。自分も物騒になったものだ。少し前までなら、こんなことは思うことも無かったのに。――今では命をどうこうすることに何のためらいもない。
ふと思う。いつまで自分は『自分』でいられるのだろう、と。
既に『かつて』を思い出すことが難しくなった。元の名前、元の家族、元の友人、元の生活。そして、元の自分。
変わりにあるのは浅木・湊と言う人間の生活。
人間の情と言うのは存外適当で、結局今の家族は自分の中身を見抜けない。引きこもりの期間を経て、性格が変わった。精々その程度の認識し化していない。
漫画や小説のように、違和感から中身の変化を察知されることなど無かった。
薄情なのか、実際この程度のものなのか湊には既に判断はつかない。
数分後、ギャリートロットが戻ってきた。
情報は無かった。
〇
夏の雑踏を秋乃は歩いていた。身体中を汗が満遍なく伝う。張り付いた布に苛立ちを感じさせながら、人ごみを掻き分けた。
探している。相手はほんの少し前に知り合う中になってしまった男性。同い年でクラスメイトの少年、浅木・湊。
悪魔なんてものにかかわって、いきなり非現実の世界に飛び込むことになってしまった秋乃にとっては先輩といっても良いだろう相手はこの三日間一度も顔を合わせてはいない。学校で話そうと思ったが、無理だった。第一悪魔のことについてなんてどうしろと言うのだ。
それに、と、
「まだ、礼も言ってないのに――」
呟きが雑踏の中に消えていった。
そうだ、まだ自分は礼も言っていないのだと歩を進める。それは二つある。悪魔から助けられたこと、そして、『助けてもらった』こと。正確には助けてもらったとは言いがたい部分はあるが、それでも解決に向かったのは確かだ。
〇
学年集会が起きたのは二日後だった。それは当然イジメの件について。一年全員が学年用のホールに集められ、真夏の暑い中体育座りで延々と時間を無為に削り取っていった。それで解決すれば万々歳だろうが、そんなのはあるわけがない。古今東西、悪行がばれそうになった手合いがすることは唯一つ、報復だ。
放課後に呼び出された先は、外にある倉庫。学校の行事用に使う農具等が収められた人気のない場所。園芸部は存在しないからよほどのことがない限り教師が来ることもない。精々見回りが来るぐらいか、その程度場所。そこで秋乃は五人の少女に囲まれていた。クラスでは目立つ、いわゆる中心側にいるグループ。
「あんた、センコーにちくりやがったろ!?」
脅すようにがなりたててきた。
程度の低い言葉遣いだ、と秋乃は目の前の女子を冷ややかに見つめた。着崩された制服、染められた後が見える頭髪、頭髪から除く耳にはピアスの穴が、爪は何十にも塗り重ねがあり、顔には化粧が見える。薄く、誤魔化す気はあるだろうが女性ならば気づく。目元にや口元に化粧品が塗られていた。当然校則違反だ。
その女子は強く秋乃を睨みつけた。
しかし、秋乃に聞くことはない。普通ならば萎縮してもおかしくはないだろう。とは言え、
――二日前に比べればなぁ……。
笑いそうになるくらい、怖くはない。フィクションにあるような命のやり取りは秋乃の精神に変化をもたらした。少なくとも今自分を囲う集団に対して恐怖心を抱くことはない。
「聞いてんのか!! アァ!?」
そんな叫び声もそこらの犬っころのわめきにしか聞こえない。
「聞いてるさ」
聞いているだけだ。
「この……!?」
つかみ掛かってくる。胸元を引っつかまれた。
視線が合う。
軽く睨む。
「――」
「――」
秋乃は笑い、
「どうした?」
挑発。小馬鹿にした態度がでてしまう。
苛立ちが頂点に達したのか、手が振り上げられ、一撃。頬に痛みが来る。ほんの少しぼけた視線の先に、満面の笑みで笑う少女、その周囲ににやつきを隠そうともしない取り巻き、ああ、
何て、
「何て」
無様なんだ、こいつらは。
笑みをこぼす。嘲笑が口から漏れた。あまりにも、馬鹿な女が己相手に勝ち誇っている。嘲笑せずにどうしろと言う。
即座に痛みが叩き込まれる。笑ったのがばれたのか。
四方八方から、取り巻きも混じって、蹴りが来る。
――痛い、な。
だが、
――痛いだけ、か。
身を切るような恐ろしさも、底冷えするような怖さもない。あるのは痛みと言うだけで、思うこともない。
だから、と身を起こそうとして、衝撃。強く足蹴にされたらしい。咳き込む、それを見た相手が笑ってくるのも聞こえた。
――馬鹿め、
精神が昂ぶった。思い出す。あの時、心の轍、そうだ、かまうことはない。ぶつける、口を開く、
「ア――」
二の句を次げばそれで終わり。相手は消し炭になる。何、問題はない。自分の罪は立証できない。だから、踏み躙――、
「何をしている」
詠唱が終わることも無く、ただ開いた口を間抜けに開いたまま、声のほうを見た。聞き覚えのあるそれ、
「お前」
集団の一人が声を上げた。少年がいる。浅木・湊だ。
「あんたにゃ関係ないでしょ」
ああ、と、一息、
「二日前、それまでは唯の他人だった」
「何よそれ」
「お前らのやり口を、ばらしたのは俺だ」
空気が凍る。
「まあ、教師に言ったわけじゃないが、父親にばらしたのは俺だ」
そういって手に納まる程度のレコーダーを取り出した。親指でボタンを押すと、音声が流れ出す。
『あんたさー、調子に乗ってるよね?』
『委員長だからってエラソーにしないでくれる?』
『私が委員長をやっているのはお前達が――ぁっ?』
打撃音とうめき声、そして馬鹿笑い。
『うけるー、あんたさぁ、委員長に推薦した相手にさあ、敬意ってもんは無いの? けーい!」
『ない。そんなもの、ない。元はと言えば、お前達が――』
『うっせーんだよブス!! おめーは私達にへつらってりゃいーの』
『だからー、にどと私達に宿題出せとか言うんじゃねーぞ』
『せんこーにはー、適とーにー、ごまかしといてー』
笑い声と水音が響いた。
口汚く罵る声、そして再度鈍い打撃音が幾度も響き、
『あー、すっきりした』
『お前、お金ないの?』
『馬鹿、きこえてるわけないじゃん』
『こいつの金は私らのもんだからどうだっていーじゃん? ってうわ、三十円しか入ってない。しけてるー』
『つかえねー』
『明日はちゃんと五万くらいいれておけよ』
笑い声とともに、声が遠ざかる。
そこで音が切れた。レコーダーをポケットにしまって、
「よくもまあ、あそこまで品のないことが出来るもんだな」
「お前、それよこせ!!」
「かまわんよ」
それを投げ捨てた。女子達が呆然とし、すぐに気づいてそれを掴み取る。
「馬鹿じゃねーの? ホントに渡すなんてさぁ」
湊が溜息を吐き、
「それを言われてはお仕舞いだな、まあ、いいさ――」
湊が歩いてくる。手を差し出して、
「保健室に行くぞ、立てるか?」
秋乃は無言でその手を掴み取る。
「じゃあ、行くぞ」
肩を組むように、担がれた。自分でも歩を進めるが、少しばかり引きずられてしまう。
――こいつ。
「腕に力はいるか?」
――結構、力があるんだ。
「おい、聞こえてるか?」
声に気づいて、ああ、と、
「何とか、入る」
「ならいいさ、折れてないといいがね」
秋乃は呆然とした視線を受けたまま、倉庫から出て行くことになった。日のまぶしさに、秋乃は目を細める。夏も深くなってきていることを感じた。
「なあ」
ふと、気づいたことがあった。
「どうした?」
そう言えば、
「さっきの録音、いつ取ったんだ?」
「ん? ああ、別に居合わせたわけじゃない。知り合いになった霊能力者に頼んで、いわゆる場の記録を呼び起こして録音した。あれだ、過去視とでもいうのか? そういうものだ」
「そんなことも出来るんだ、いや、けど」
「どうした?」
「あのレコーダー、渡しても良かったのか?」
それか、と得心言ったふうに笑い、
「実は既に先生にもう一個渡してあるんだ。ま、それが駄目でも家には録音データがパソコンに入ってる、と、そうだ」
これを、と、
「これ――」
「まあ、この時点でもう一個あるわけだ」
左手でポケットをまさぐり、それを見せてきた。笑って、
「右手は動くか?」
「え? ああ、動く」
「そうか、なら、これはやるよ」
「へ? これで学校が動かなかったら親に聞かせて言えば良いさ、実は証拠のために一つ持ってたんだって」
それを右手に握らせてくる。秋乃はそれをつかみとった。この炎天下にポケットへ入っていたからか、少しばかり熱がこもっている。
「あのさ」
「どうした」
ふと、疑問に感じたことを口から発した。
「どうしてここまでしてくれるんだ?」
精々縁といえば、二日前のことと、プリントを渡した程度の縁しかない。ここまでされるのは、少し変な感じがした。
ふむ、と湊はうなづいて、
「どうして? まあ、面倒ではあるが、面倒を見ろといわれたことはあるから、かな」
「それだけ?」
「ああ、それだけだ。少なくとも、少なくとも自分にとってはそれで事足りる。口約束でも、何でも、約束したことは約束したことだ。それを違えるのは主義に反する」
秋乃は唖然とした。そして、笑った。
「そうか、そうか――、そうだよ、な、約束を守るのは当然だ!」
「いきなり笑い出すな、俺まで変に思われる」
気にするな、と、
「じゃあ、悪魔のことに関しては今日から?」
「不用意に口にするなよ、変人認定されるから。と、其れは今日じゃない」
「いつからになる?」
「さあ、な」
「なんだよ、そこまでやってはぐらかすなよ」
結局、その後保健室につくまでのらりくらりとかわされて、保健室にいる間に湊は消えていたのだった。
〇
そして今日再度集会が行われ、イジメに対しての注意が行われた。苦々しげな顔が、記憶に残る。
これで一応、イジメについての一連のけりはついたといってもいいだろう。
――だからこそ、
「礼をしないと――」
イジメを終わらせたことに対してもあるが、何より、己に人殺しをさせなかったことが一番だ。
あのままで行けばきっと秋乃はグループを皆殺しにしていたと確信する。
だが、そうならなかった。もし殺していれば、自分はどうなったか、と秋乃は思い頭を振った。今はそこに思考を割くべきではない。
「ああ、もう、一体どこにいるんだ、あいつは」
秋乃の呟きは雑踏に飲み込まれた。
〇
歩く、歩く、ひたすらに歩く。MAGを消費して仲魔を展開しながら、ひたすらに歩く。手がかりの無さに失意を覚えながら、唯、我武者羅に歩いていく。
たどり着いた先は廃マンションだった。そこに湊は見覚えがあった。
「懐かしい、な」
本当に懐かしい。そこは初めて悪魔を殺した場所『梓馬グランド』だった。
「まだそれほど経ってないのに」
どうにも郷愁を感じた。もしくは未練だろうか――、
「馬鹿らしい」
過去は、過去は――、帰ってこないんだ。
「何も考えないで、戦っていられたら楽だったのに」
ええ、
「楽でしょうね」
声が響いた。朗々と、重みのある声、そして其れは湊を握りつぶしそうなほどに重圧感を感じさせた。
振り向く。男。白、唯それがあまりにも特徴的で、そして目を話せない。
白いスーツ、白いワイシャツ、白い革靴、白い肌、白い髪、黒目すら薄い灰色。背筋に刃を突き立てて、抉りまわされるようないやな気分を想起させれる。
声を絞り出す。
「一体、何方だろうか、何か御用ですか?」
「――なるほど、ロートが狙いを定めるだけはある」
「!! ロートを知っている」
「ええ、私の同僚とでも言いましょうか? 少々行動的過ぎるきらいはありますが、良い同僚です」
「……ならば、貴方から伝えてはくれまいか、この迷惑な仕掛けをはずしてくれ、と」
「其れは出来ない相談です」
にべも無く、男は断ってくる。
「残念ながら彼の行動に私は干渉できないのです。いくら順番を守られずとも、其れはそれで仕方のない話である故、致し方ないものです」
「そうか、ならば、仕方がない」
「ふむ、諦めた、と言うわけではないようだ。なるほど、なるほど。ロートで無くとも、そう、私が目をつけて貴方に向かっていたというのは確かでしょうね」
「一体何を」
「ああ失敬、会話中に思案にふけるとは非礼が過ぎたようです、と、非礼といえば自己紹介がまだでしたね」
優雅に、一礼、
「私の名はヴァイス、お見知りおきを」
「――ああ、覚えておこう」
「と、そうそう、今日、私は貴方に御用があってこちらに来たのですよ」
「用事?」
「ええ、知人が迷惑をかけてしまったことに対しての、そう、一つの謝罪を」
そういって、男は湊に近寄り、
「これを」
渡してきたのは金属で出来た飾り、とでも言うべき者だ。形状はそう、
「鍵」
そう脳内に理解が来る。情報が流れ込んでくる、と言い換えてもいいだろう。
ヴァイスは笑い、
「理解が早くて宜しい限り、それをお持ちくださいな。そうすれば、貴方の道しるべになるでしょう」
「――釈然としない部分はあるが、借り受けよう」
「それは『ノルンの鍵』、もしも貴方が選ばれしモノなれば、いずれ貴方を更なる位置へと導くでしょう」
「それは!!??」
では、と、ロートは背を向けて、
「いずれ運命の交差にて合間見えたい、ぜひとも生き残ってくださいね」
暴風と、光が吹き荒ぶ。眼前に腕を構えた。風がやむ、そして、後に残ったのは握られたノルンの鍵だけだった。