今日は日曜日だ。全国の一部を除けば多くは休日として暇な一日を享受しているだろう。
湊は思想する。
まず、と思う。優先事項はなんだろうか。
ひ弱な肉体を鍛え上げるとして、これから悪魔へと挑むのに必要なのは――、
「まず武器、か?」
カーテンが朝日をさえぎる中で湊は呟いた。素手で戦うと言うのはまず無理だ。無謀だとかそういうのを通り越して自殺行為と言ってよい。ならばどうするか。
「どこかで手に入れるしかないな」
これに尽きる。繁華街には確か怪しい店もあったような気がするから、今度そこを見るなりすればいい。
あとはヘルハウンドとのコミュニケーションをとり、少しでも信頼関係を気づくべきだ。
「あ」
そう言えば、と思い出す。家にあるPCはノート型で持ち歩くことができるが。携帯性は最悪だ。どうにかして持ち歩きのできる物を確保しないといけない。今の時代なら、何があるだろうか、電化製品を探さないといけない。
あれもこれも、と思うと気が重くなってくる。
しかも、それらをそろえるとなれば元手が必要で、頭の中にはあてがあるが、それに手をつけなければならないと思うとさらに良心の痛みがさらにひどくなる。
ふう、と息を整える。自分が行うべきことを整理するためだ。
――まず、自分はこれから悪魔に対してかかわっていくか。
これに関しては是と反芻する。そもそも最早かかわってしまったのだから後戻りの仕様がない。
――ならば自分はどうする?
どうにかしてコミュニティと連絡を取るしかない。それは、たとえばDDS-NETを通じてや、デビルサマナーをやっていれば同業者に出会うこともあるだろう。ならば、まずは悪魔に相対するための準備を怠らないことが重要である。
――結局行き着く先はそこか。
頭に手を乗せ、乱暴に髪を掻く。心の中で懺悔し、湊は朝早くのリビングに足を向けた。
○
湊を出迎えたのは両親の驚愕の表情からだった。それはつい最近まで引きこもりをやっていた人間が学校でもないのに一人で降りてきたからだろう。とはいえ、確かに驚愕ではあったがすぐに歓喜へと変化した。世間一般的には良い変化とされるからだ。
「おはよう湊」
声をかけてきたのは母親だった。改めてみれば美人ではないが愛嬌があり、器量のよさそうな顔立ちをしている。彼女は嬉しそうに一声かけた後朝食の準備を始めた。それでも十分なご馳走に思える。
「珍しいじゃないか」
自分の席に腰掛けたときに父親が話しかけてくる。
なんと返せばいいか一瞬惑ったが、軽くうなずき、うん、と言う程度に留めておいた。
すぐに朝食が運ばれてきた。焦げ目のついたトーストとマーガリン、ベーコンエッグ、後はちぎったレタス。飲料は牛乳。簡素だが、かつて一人暮らしをしていた記憶があり料理をあまりしなかった人間にしてみればそれでも十分なご馳走に思える。
いただきます、と一言発してからマーガリンを塗ったトーストを口に運ぶ。硬質の食感が口の中に来ると同時にマーガリンのしょっぱさがアクセントを加える。ベーコンエッグは醤油で。あまりかけすぎないように調整しつつ、軽くたらす程度にとどめる。淡白な白身、濃厚な黄身、そこに濃い目の醤油はたまらない。野菜もベーコンと放り込めば脂っこさがいい具合に抜けて具合が良い。途中途中にはグラスに注がれた牛乳を含み、味と味の変化に緩急をつけていく。
二十分程度で食事は終わり、人心地。吐息を吐いて、精神を整える。どうにも美味しいものを食べたはずなのにこの後を思うと気分が優れない。
特に意味を成さないニュースを眺めてから意を決して顔を父親のほうに向けた。
「父さん」
父親は軽い驚きからか少し目を見開いて、どうした、と、
「俺、欲しい物があるんだ」
言った。父親は聞き返し、
「欲しいもの?」
湊はうなずく。それは、と、
「PDAって言う物なんだ。ここ最近発売されている情報端末」
「パソコンとは違うのか?」
「うん。それよりももっと小型で、なんていうのかなパソコンを小さくした感じかな?」
「どうして急に?」
当然、本当の理由など話せるわけもなく、白々しいまでの言い訳をつらつらと並べていく。
「最近インターネットの発達ってすごいじゃない。少し前までは電話線からダイヤルアップだなんだでつないで不便でしかもお金がかかってた。けど最近はそういうわずらわしさもなくなってきて接続時間もかなり早くなったでしょう? すごい進歩だって思うんだ。きっと、これからはその手の……、IT? が強くなってくる時代だと思うんだ。だから今のうち少しでもそういうものに触っておきたくて」
「湊はそういう会社にはいりたいのか?」
「まあね。今触っておけば、後々有利に成ると思うし、時代の先駆者っていつの時代も強いから」
大嘘。確かに情報化社会は来るがその手の技能者はIT土方などと呼ばれ、過労だなんだときついものだという。湊はそんな仕事につく気はない。
そんな内心を湊の父親が知ることができるわけもなく、むしろ先を見据えた将来設計に感動したのかうんうんとうなずいて、
「そうか、そういうことなら買ってやってもいいだろう」
母さんはどうだい? と、父親が言えば、
「私は湊が将来のためにって、言うのならいいと思うわ」
母親は特に気にした風でもなくそういった。むしろ声が弾んでいることを感じればどちららかといえば父親と同じように未来を見据える息子に感動を抱いているのかもしれない。
「ありがとう」
湊はそう告げ食器を持ち立ち上がる。
「ご馳走様でした」
うん、と両親はうなずいてから、
「じゃあ、今日の昼から出かけようか、久しぶりに外食でもしよう」
「そうねそれがいいわね」
そんな声を尻目に、湊は食器を置いて水につけ、
「じゃあ、俺、部屋に戻ってるから」
リビングを退室する。
○
特に何があるわけでもなく、昼が来た。駅前のデパートだが食料品の買い物も済ましてしまうらしく、車で行くという。
構成は両親、二つ上の姉、一つしたの妹、そして湊だ。
湊が腰掛けたのは助手席だ。単に女性の中に混じるのが嫌なだけだった。
「準備は大丈夫か?」
父親がかける号令に、特に誰かが異論を発することもない。ゆっくりと車が動き出し、徐々にスピードが乗ってくる。
声がする。後方の女性たちが会話を始めたからだ。攻撃的なものはなく、どうやら表面上の仲は良いらしい。それにしても煩いと、湊は思う。女が三人寄ればなんとやら、と言うがどうやら本当のようだった。
「ねえ、湊、久しぶりの学校はどうっだった?」
姉の声が、急に飛び火してきた。迷惑に思うが、答えないわけにも行かないから、
「特に」
そう一言で返しておく。えー、と、追撃するように、
「そんなことないでしょう? 久しぶりの学校だよ?」
「そりゃそうだけど、まだ入学から二ヶ月しかたってないよ。うちでは大きな問題だったかもしれないけど、ほかの人たちにしてみればそれほど気にする物じゃない」
ふーん、とつまらなそうに姉は切り上げ、すぐに妹や母親との会話に花を咲かせる。どうせならずっとそうしていて欲しいと湊は思った。
特に会話があるわけでもなく、車は駅前デパートの駐車場に到着した。ほんの少しの時間とはいえ、車のシートは窮屈だった。伸びをして肉体をほぐす。筋肉の動きが気持ちよい。改めて空を見る。晴天だった。
買い物は二つの組に分かれることとなった。両親と湊の家電製品を回る組、姉と妹の服を見て回る組の二つだ。
「じゃあ、渚と汐は服の売り場から動くなよ」
父親の言葉を聴くが早いが、即座に二人は動き出した。今どんな服がはやりか、などと言い合いながらだ。
「俺たちも行こうか」
湊は父親の言葉にうなずいた。
休日のデパートは混んでいた。地方都市のデパートで、そこに行けば大体がそろうからだ。電化製品のコーナーは五階にある。エスカレーターを上り上層へ、それを数度繰り返し到着する。当然だが家電製品がおいてある。ただ、未来? とでもいうものを知っている湊にしてみれば懐かしさを覚える。最新と解説される大型のテレビは、分厚く花瓶どころか鉢植えすら置けそうだ。録画媒体はDVDが今丁度全盛期を迎えようとしているからか、DVDレコーダーが五万六万と値が張っている。何もかもが懐かしく見えてくる。
目的の場はIT機器のコーナーだ。そこはエスカレーターを降りて右に曲がり、すぐのところにあった。ノートと言うには分厚すぎるノートPCや、大きくて場所をとりそうなデスクトップPCの近くの棚に存在した。
PDA、後のスマートフォンやタブレットの前身とも言えるそれは、あらん限りの技術を詰め込まれた一品で、いくつかのメーカーが競合し、商品を出し合っている。
複数を吟味し一つの端末を手に取った。手になじむ大きさで、使い心地も悪くないし、この時代にしては容量もなかなかある。通信アダプタをつければ低速ではあるがネットも接続ができるし、外付けのメモリーでさらに要領を増やせることも考えればよいものだと思えた。
こんな小さなのが、などと呟いている父親にその端末を見せて湊は購入の意を伝えた。にべもなく、許可された。拍子抜けした気もしたがスムーズに進むならそれでよい。会計は父親に任せることとなった。ネットに関しての契約等は、未成年の湊にはまだ無理だったからだ。値が張るということを伝えたが、たまのわがままくらい聞いてやると父親は言った。思う。湊少年はどれだけ無欲だったのか、と。まだ16と言う年齢なんてわがままの盛りみたいなものではないか。
ネットの契約には三十分程度かかった。既に十二時を一時間ほどオーバーし、一時を迎えている。
姉と妹を迎えに行き、七階のレストランへ向かう。いくつかある中で入ったのはファミレスだった。女性と言うのはどうにも会話をしなければ死んでしまうのだろうか、未だに姉と妹は喧しい。
メニューを開き、眺める。どれでも良かったから、一番安いセットメニューを頼んだ。もっと頼んでもいいんだぞ、と両親は言うが、それほど腹は減っていないから良いと遠慮する。
二十分かけて姉と妹、そして母親はメニューを決めた。昼食と言うよりは早めのおやつとでも言うべき内容で、頼んでいた内容だけでも舌が甘くなり、胃もたれしそうだ。
「ねえ」
声がかけられた。妹からだ。
「何?」
「お兄ちゃんって、今日何買ったの」
「PDA」
何よそれ、妹は笑う。
「小型の携帯端末だよ。俺は、これからはきっとこういうのが主流になると思うよ」
父親に目配せしてから、端末を箱のまま取り出した。箱には原寸大のデザイン画が乗っていて大体の大きさを予測できる。妹はふうん、と興味なさそうに、
「けど、こういうの使う人って、あれでしょ? こういう仕事する人だけでしょ?」
「どうだろうね。けど、今の技術の進歩はすごいから、誰でも使う日が来るかもよ」
ないない、と妹は言うが、未来を知っている分その言葉を複雑に感じた。そうだ、この時代の人間にしてみれば未来に多量の情報が垂れ流され、その中から網ですくうように情報を得ているなんて考えられるわけがない。PDAはスマートフォンやタブレットに吸収されるなんて分かるわけがない。
料理が来る。オムレツとミニパスタ、後はスープのセットだ。それなりに食べているように見えるが女性人に比べればいっそう質素に見える。
レストランの料理らしく、均一な味でそれなりに美味しい。ただ、無感動な味でもあった。どうでもいいことだ。
「デザートはいいのか?」
「大丈夫」
高い買い物をした後だからか、余計に遠慮してしまう。とはいえ湊の体自身が小食らしいから、どちらにしても入らない。
それを見た、姉妹は湊の分も食べる、と声を上げた。当然のように却下された。
〇
食料品を買い込み、後は消耗品もいくつか購入し、終わると四時になっていた。
即座に部屋に舞い戻り、PCの電源をつける。購入したPDAをPCに接続し悪魔召喚プログラムをはじめ、交渉用のソフトやソナーソフト等いくつかのソフトをインストールする。思ったより早い時間でそれは終わった。次はヘルハウンドのデータをPDAに移す。これも問題なく終わる。
椅子にもたれかかった。息をつく。とりあえず今後の動きについて考える。まずは悪魔を召喚するためのマグネタイト――MAGを稼がねばならない。自分の体内から捻出すると言う手もあるが、危険だ。却下。ならば、どうするか。敵と戦ってMAGを得るしかない。湊はDDS-NETを起動し、梓馬市付近にておきている悪魔関連のニュースをあさった。いくつかのトピックを眺めてから、一つの記事を注視する。梓馬市の南側にある大型マンションの廃墟とそれにまつわるいくつかの事件だ。かつて富裕層向けのマンションとして周囲の土地を含めて開発されていたが、謎の事故が頻発し、開発は頓挫してしまったのだと言う。最近はそこで妙なうわさが流れ始めていて、それは悪魔の仕業なのだという。しかしあまり大きな被害があったわけではなく、依頼料は捨て値どころか二束三文で誰も受けようとしないとのことらしい。
ふむ、とあごに手を置いた。あまり軽視するのは良くないが、とりあえずはこの廃墟を探索しようと当たりをつけておく。文書をコピーしメモ帳に貼り付けておく。
DDS-NETを終了。シャットダウン。立ち上がると同時にベッドへ体を飛ばす。
思考。それにしても悪魔召喚プログラムか、などと今更ながらに。
「この世界が、このまま平和に終わるわけがないよな」
呟いた。それは自分に言い聞かせる意味もある。
この悪魔召喚プログラムは作品によってはいろいろあるが、ものによっては無差別にばら撒かれたりする。どう考えても悪手だが、それを行った人間にしてみれば最善手だったのだろう。
――この世界は一体どういう位置づけなんだろう。
女神転生の世界観においては、とりあえず正史とパラレルワールドに分けられる。いわゆる『女神転生シリーズ』を正史とするならば、だ。核の落ちていないこの世界はたぶんパラレルワールドに位置するのだろう。
とはいえ、油断ができるわけでもない。そもそも悪魔召喚プログラムなんてものがある時点で既に安全も安心もあってないようなものであり、紙よりも薄い物に成り果てている。警察? 自衛隊? そんなものが悪魔に対してどれだけの抑止力となるのか。悪魔なんてものが公になった時点で現在しかれている秩序なんてまったく役に立たないなんて目に見えている。それに頼るくらいなら、自分で戦う力を持っていたほうがまだ安心だ。
「明日は自分で買い物か」
ある意味自分で、ある意味他人。そんな人間の金を使っての買い物は罪悪感よりも不可思議な感覚を持つ。とはいえ、戦うと決めた以上武装は必須だ。PDAと違って両親や姉妹に怪しまれないわけがない。せめて刃物とか、防弾チョッキのようなものが欲しい。それがだめならなるべく自分のみを守れそうなものだ。
「なんで、俺なんだ?」
声に出た。自分でも分かる。たぶん、自分である意味はない。誰でもいいから、そんな『誰か』の一部の自分が意味もなくこんなことになっているのだ、と自嘲した。
意味が欲しい。自分がここにいる意味を、ここに存在する意義を、と思った。どうにも哲学的だ。くだらないことなのに。
上体を起こした。窓を見やる。空は既に茜の色を差している。
〇
夕食を終え、自問自答を続ける。答えは出なかった。