高校は山の上に存在した。自転車はあまりメンテナンスがされていないようで、動作が鈍い。
また、湊自身も鍛えているわけではないので落ちた体力ではゆるい坂とはいえ、まともに斜面を登ることすらままならない。
結果カバン以外に重い荷物を持ちながら斜面を歩くことになり、密かに肉体を鍛えることを決意した。
高校はネットに上げられていた写真で見るより荘厳だった。木造の校舎は威厳をたたえている。
大きめの土地の北東側に正方形を斜めに真っ二つにした形で配置され、その南には部活棟らしきものがある。校舎の西には倉庫とその下にはプールがあった。
中央のグランドをまっすぐに抜け、校舎に入る。
一年生の下駄箱は入って右側にあった。配置は名前で決まるらしくあ行の湊の靴は割りと簡単に見つけることができた。
靴を履き替えて、生徒手帳に記載されていたクラスに向かう。
一年のAクラス。別にランクではない。
三階の東棟側にクラスはあった。小さなホールに面すように位置した教室に入る。
未だに授業が始まらないクラスは、ざわついていた。
他愛ないうわさ話が聞こえる。まだオカルト話が力を持っていた時代だからか、懐かしい話も聞こえてくる。具体的には口裂け女や赤マント、人面犬といった都市伝説の類。
無事教室にたどり着き、たどり着いて自分の席がどこかわからないことに気づいた。
さて、どうするか、と思う。
引きこもりがうまく人に話しかけられるかといえば、そうは思えない。
と、
「お? お前湊か?」
声がした。男性の声だ。都市は同じ程度と推測できるが、低く威圧感がある。
振り向いた。
立っていたのは二人だった。
一人は、人懐こそうな笑みを持ち、短く切った頭髪を持つ少年。体つきは大きく、筋肉質で健康そうな雰囲気をまざまざと見せ付ける。運動でもやっているのだろうか。
もう一人は端正な顔立ちにぶっきらぼうな表情、少し長く伸ばした髪を持つ少年。そのたたずまいは、鋭利な刃物を思わせる。挙動は素人目にも洗礼されていて、美しい。
どちらも背が高く、湊よりは大きい。短髪の少年が声を上げた。
「――あ」
「おいおい、俺達の事を忘れたか?」
威圧しているような聞き方ではない。
いじめという風にも見られない。友人だったのだろう。
と、いうか、いたのか友人といったのが本音だ。
何となく、理解はできる。自分から話上げたわけではなく、向こうから話してきたなんていうのは簡単に予想できる。
「……済まない。引きこもっているうちに名前が出てこなくなった」
はあ、と息を吐いてから、短髪の少年は親指で自分ともう一人の少年を交互に指差しつつ、言った。
「高橋・崇平(タカハシ・シュウヘイ)と峯岸・誠一(ミネギシ・セイイチ)。思い出したか?」
「ああ、うん」
本当かよ? と軽く訪ねてくるが、ああ、とだけ言っておく。
「――そういえば、俺がいない間に席替えとかはした?」
「ん? ああ、したな。お前の席はそこな」
指さされたのは教師の目の前にある席だった。
「あー」
「まあ、しゃあないな。休んでたお前が悪い」
そうだな、と頷く。ごもっともだ。
教師の目の前、などというのはあまりにも目立つ。そんなところに立候補するような人物は目が悪い人物か、素行不良で教師に目を付けられている人物。
――そして、湊少年みたいに席替えの時点で休んでいた生贄に最適な生徒、ね。
「わかった。ありがとう」
「おう、それよりもさあ、なんでいきなり休んだん?」
面倒なことを聞いてくる。
「まあ、いろいろあったんだよ」
悪魔だなんだなんて言えません。まあ、悪魔かどうかも怪しい部分はある。
「いろいろねえ」
そこで後方の誠一が声を発す。
明らかに疑っている様子だった。
「やめておけ、聞かれたくないこととてあるだろうよ」
嫌に古風な喋り方をする。しかし、ハスキーな声質と合っていて、様になっている。
「済まないな」
「気にするな」
ちぇー、と崇平は言ってから、
「それより、そうだ、せっかくだし湊の復帰記念ということで今日は繁華街までいかねえ?」
「俺は構わないが、二人は、いいのか? その、部活とか」
「んー? 俺、帰宅部だし、誠一はあれだ、家が道場だから今更部活にも入る必用があるわけでもないし」
ふうん、と頷いておく。
「なら、いい」
そう言って小さく頷いておく。
崇平は湊のことを怪訝そうに見た。
「お前、雰囲気変わったか?」
中の人が違います、などとメタ発言するのは自重しておき、
「まあ、多少は変えてきた」
せっかくの復帰だから、と付け加える。そんな湊に、
「ほー」
崇平はに、と笑って、
「まあ、何かあるってんなら別にいいけどよ、今度はいきなり休むなんてやめとけよ?」
港は笑って、
「ああ」
そうとだけ返しておいた。
心が痛む。
〇
高校の授業はつつがなく進んだが、残念ながらついて行けるとは言えなかった。
中学から上がったばかりとはいえ復習を終え高校の授業に移行している時期を逃してしまい、勘を取り戻すことはできなかった。
関数のやり方なんてもう忘れていて、頭痛を抑えるのが精いっぱいだ。使わなくなれば、劣化すると言うことを身にしみて理解させられる。
湊がひきこもりをしていることを知っていた教師は、その姿を生暖かく見ていたのを湊は知らない。
とはいえ、放課後だ。湊は幸いにも部活に所属していることもない。掃除を終えればすぐに解放される。今日は六月三日。土曜であり、授業は半日。普段はだらけながらやっているであろうほかの生徒も、今日は遊びたいがためにきりきりと掃除をこなしていき想定以上に早く終わりを迎えた。
「おーう、湊」
ロッカーに掃除用具をしまったころ、後方から声がした。
崇平と誠一だった。
「ああ、二人か」
おう、と笑った。
「じゃ、繁華街行くか?」
湊はああ、とうなずく。
鞄を肩にかけ――、
「あー、ちょっと待った」
女性の声がした。
振り返る。
いたのは長髪の少女。端的に言って美人だった。メガネをかけいかにも堅物そうな雰囲気。発育が良く、私服になれば高校生には見えまい。透き通るように白い肌。長い髪は後頭部でまとめられていた。鼻筋が通っていて凛としている。目は切れ長で人によっては威圧を感じそうだが湊はそれを美しいと捉えた。高校と言う浮かれやすい場の中で着崩しもせずにたっている姿には一種の畏敬の念すら覚える。
「誰?」
あー、と少女は声を上げた。
「私は、あれだ。成田・秋乃(ナリタ・アキノ)。このクラスの委員長」
口数少なく、すぐに数枚のプリントを渡してくる。それっぽいとは思ったが本当に委員長だったようだ。
「休んでる間のプリント」
「――ああ」
受け取った。授業のプリントおよび、連絡のプリントだ。手に収まったプリント類はそれなりの質量があり、重さを感じる。
「すまない」
「仕事だ。気にしなくていい」
そういって、委員長。秋乃は背を向けて、手を振った。
「用は、済んだか?」
誠一が言ってくる。
「ああ」
言いつつ、鞄にプリントを詰める。
「いつもの委員長じゃなあ、愛想っちゅうもんがない」
「ん? 崇平。そんな口調だったか?」
そこから何かに気付いたかのように、
「ああ、しまった。もう直したと思ったんだがなあ」
に、と笑い。
「小さいころは広島に住んでてな。つっても、本当に少しだからちゃんとしたあっちの方言はつかえねえ。時々語尾がそれっぽくなっちまうのさ」
ふうん、と、頷く。
崇平はじゃあ、と、
「行くか?」
そう言った。
〇
繁華街は活気があった。
スーツの男が、女が道を歩いている。学生の姿も多い。
街道には多種多様な店がある。学生が使うであろう店は、本屋、喫茶店、定食屋、その他。
風を切るように、歩く。
「聞いたか?」
「ああ」
「また、誰か死んだって」
「不審死? 最近よく聞くね?」
噂話が耳に入る。
「暗い噂だな」
湊が言った。
「眉唾だ」
誠一が口を開いた。
「知っているか? 悪魔だそうだ」
「ああ……」
「どういうことだ」
曰く、と、
「不可解な死因。服の身が残り肉体が灰になる。血液が全てなくなっている。心臓だけがつぶれて損傷がない。そんな、不可解な死亡原因で死ぬ人間が多く、悪魔の仕業と」
「成程」
湊は頷きながら、しかし疑念を深めていく。
――本当に悪魔が、いるのかもしれない。
そんな疑念。
「まあ、いいさ、早く行こうぜ?」
崇平が空気を切り替えるように告げた。
目的地はゲームセンターだった。
中は喧騒であふれていた。学校帰りの学生と、仕事の合間に休憩を行っているであろうリーマン。多種多様の人間の歓声、悲鳴が折り重なり一つの"生命"とでも言う何かを作り出していた。
奥に進んでいく。
「じゃあ、何するか」
崇平が聞いてくる。
「格げー」
端的に誠一が言う。
湊は軽く目を見開いた。積極的に意見をするタイプの人間には見えなかったからだ。
崇平は慣れたかのように、
「湊もそれでいいか?」
構わない、と湊は頷いた。
筐体は奥にあった。大きめの部屋に向かい合うように設置された筐体が八組ほどおかれている。向かったデモムービーには男性と女性が写っていた。
座ったのは手前の筐体だった。1P側が壁側に設置されている。
「順番は?」
「俺が後でかまわないよ」
湊は言った。
言うと、崇平が1P側に座り、それを見るように湊が壁にもたれかかる。
百円がスリットに落とし込まれ、ゲームが返しされる。
レバーが縦横無尽に動かされる。湊はそれを腕を組みながら眺める。
――懐かしいな。
かつての学生生活を思い出す。既に過ぎ去った思い出。もう戻らないと思っていた日常はひどく輝かしい。
ふと、罪悪感を覚える。自分はここにいてよいのだろうか。そんな感覚。
声が聞こえた。崇平の声だ。
「おい、湊、交代だぞ?」
湊は分かったとだけ声を上げる。
〇
帰宅は六時頃になった。作り笑顔を親に見せてすぐ私室に向かう。鞄を机にかけて飛ぶようにベッドへ体を投げ出した。
あの後、おそらく楽しい時間を過ごしたのだろう。しかしそれを理解することはできない。他人の人生で、やり直しをしているからだろう、と自らの心にあたりをつける。
ああくそ、と。吐き捨てた。
もやつく心と折り合いがつかない。ベッドに投げ出した身体は倦怠感を感じつつも、睡眠を欲しようとしない。
寝返りを打つ。同時に見えたのはPCだ。ふと、思い出すのは悪魔召喚プログラムのことだ。
数十秒ほどPCに視線を向け、体を起こす。自らを愚かだと罵った。あれだけ自らを責めていながら興味の対象が移ればすぐにそちらに意識を持っていく。言語道断だ。
されど、既に肉体は動いていた。電源を起動、かつてに比べれば亀のような遅さにストレスを感じながらも、視線は画面に釘付けだ。長い起動が終わり画面にいくつかのアプリケーションが並んだ。ファイルを探し、開く。
悪魔召喚プログラムを起動すると即座に画面が表示された。早すぎると思いもしたが、すぐにかぶりを振る。早いならば早いほうが良い。
プログラムを起動すると、同時にネットへ接続された。私設回線なのか、とても早い。
画面にはいくつかのバナーと、文字列が映し出されている。ヘルプに画面を移す。
悪魔召喚プログラムにはいくつかの注意があった。
召喚される悪魔はランダム。
そして、交渉に失敗すると死ぬ。
あとその他いくつか。大雑把にはそれくらいか。
起動と同時にインストールされていたDDSを起動する。DDSはつまるところプログラム化された悪魔を保有するために必要なソフトである。拡張ソフトもあるが、今は必要がない。
画面には六角形が回転しつつ六個表示されている。緑色のワイヤーで組まれている。これは、まだ六体の悪魔が入ると示されていた。
再度ネットに目を移す。いくつかのバナーから目当てのモノを探しだす。
「あった」
たとえば、と言ってもうかつに裏に入り込むことはできないが、何らかの理由で裏の世界に入り込まなければならないとする。偶然、復讐、継承、まあ理由は何でもいい。ともあれ、裏の世界に何らかの理由で入り込んだとき、まったくの0からの入門だとしたならば力はどこから得ればよいのか。
コネがあるならばいい。武器が、知識が手に入る。しかし、本当にまったくのゼロならば、どうするのか。教えてもらう。その一点しかない。その利息が法外であれども、だ。
DDSにはさまざまな人間がいた。共通しているのは裏にいる人間と言うことか。
掲示板を開く。そこはまだネットの整備が粗雑の時代としてはにぎわっていた。それはあまりいい意味とは取れるわけではないのだが、しかし今の状況にはありがたい。
「――と」
トピックスの中から必要な情報を探し出す。これがいささか面倒なのだが、そうは言っていられない。目を皿にし、画面を見つめる。
「あった」
見つけたのは、探し出してから三十分後のことだった。
『初心者サマナーの集い』
いかにもと言った内容だった。
○
内容は現実的なものとは言いがたかった。よく分からない内容を日本語を使って掲示板に書きなぐっている。そう思えた。
まず、支離滅裂な内容が目に飛び込んできた。初心者と言う意味をもう一度辞書で引きなおすべき、とでも言わんかのごとき専門用語の山。次に態度だ。質問をすれば誹謗と罵詈雑言で返答される。最初のうちは怒りもしたが、後からはもはや何も思えなくなった。
「結局は自分の力便り、か」
召喚はランダム。基本的に下位の悪魔しか呼ばれないが、しかしそれでもただの人間にとってはそれでも十分の脅威となる。事故が起きて中位、上位の悪魔が来てしまえばなすすべはない。
分かっている。震えが来る。しかし、手は動く。
――悪魔召喚プログラム・起動。
――サーバ接続確認・完了。
――術式確認・完了。
――構築・完了。
――魔界へ交信します、魔界へ交信します、魔界へ交信します。
――魔界との交信を完了。
――召喚します。――良い終末を。
画面から光が漏れた。
発光は凄まじく、目を腕で覆った。
音がする。
風だ。
徐々にそれが消えていく。
腕をよけ、周囲を見る。
まずパソコンを確認した。いわゆる魔法陣が映し出されている。
部屋を見た。風が吹いたと思ったが、変わったところはない。
「――これは……?」
『オマエガワレヲショウカンシタサマナーカ』
声だ。後方から人の声とは違う、形容できない声だ。電子音と唸り声を混ぜ合わせ人の言語を喋らせたらこうなるのか? などと思うほどだ。
身動きをせずに声を上げる。
『ドウシタ』
「……!! あ、ああ。そうだ」
『ナゼ、ワレヲヨンダ』
「力を借りたい」
『ワガチカラヲカリタイトイウノカ』
「ああ。あいにくと、俺には敵と戦う力が今のところ、なくてね。味方が必要だ。故に助力を願いたい」
『……イイダロウ。ダガ、オマエハワレニナニヲヨコス』
「何を望む?」
『ナラバ、マグネタイトヲイタダコウカ』
「今の俺の半分だ」
『――』
数分の思考が起き、声。
『イイダロウ』
煙がおきた。後方だ。すぐに後方へ視線を向ける。立ち上がった。
黒煙が吹き荒れている。
黒鉛は一定の法則で形を作っていく。
出てきたのは、犬だった。顔の部分から火が噴出している。熱を感じた。
『ワレハヘルハウンド。コンゴトモヨロシク』
ああ、と湊は言い返した。
『テヲ』
「ああ」
手を差し出すと、丁度お手の形で前足が乗った。
「う、ぐ」
何かが吸い出される。感触ではなく、確かに何かが抜け出しているのが理解できる。それは、到底言葉にはできない、一言で言えばわけの分からないものだ。
終わる頃には足腰が崩れ、床に這い蹲る形になっていた。
『ブザマダナ』
「まあね」
悪態の一つも返したいところではあるが、助力を仰いだのは此方で、それを損ねるわけには行かない。故に閉口。歯がゆい気分を感じた。
『ヒツヨウナラバヨビダセ』
そんな姿を尻目に"妖獣"ヘルハウンドの姿は胡散した。光の粒子となってパソコンの中に吸い込まれていく。
気だるい体を引き起こし、どうにか仰向けの姿勢まで持っていく。
「――は」
対抗手段の一つは確保できた。あくまで確保できただけだから、楽観視はできない。それを理解しているから、ため息をつくだけにとどまる。
まだ、足りない。
足りないから、だから次へ、向かわなければならない。
そう思い、まどろみに身を任せる。
暗転。