まえがき
ハヽ/::::ヽ.ヘ===ァ
{::{/≧===≦V:/
>:´::::::::::::::::::::::`ヽ、 モッピー知ってるよ
γ::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
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. | ll ! ::::::l:::::/|:::::::∧::::i::::i ホモは死んだって事
、ヾ|::::::|:::/`ト-:::::/ _,X:j:::/:::l
ヾ:::::::|≧z !V z≦ /::::/
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ゝ ノ ヽ ノ |
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スターが欲しい。切実に希う。想像するのは最強の自分だ。最強の自分って誰だ? おれの全盛期っていつだ?
会長を手玉にとった、生還直後のおれしかいない。あのときのおれは無敵だった。
輝いていた。まさに黄金時代の幕開けだった。三分と持たずに終わったが、あの時のおれは間違いなく一筋の光だった。
自室のドアを前にして、おれは喉を鳴らした。部屋には会長が待っている。
婚約者だ。美人だ。おっぱいだ。おれに涙目で告白しやがった人だ。どうしたらいいんだ。
悩みぬいた末におれが出した結論は、スター状態になることだった。もうどんな顔して会えばいいかわからないから、開き直ろう。
おれは深呼吸をし、ドアに手をかけた。
「オラァァアアアッ!」
「おかえり」
驚かせてペースを握ろうと裂帛の気合を入れて叫んだのに、会長は動じてくれなかった。
逆に、包み込むような笑顔で迎えられて、出鼻を挫かれる。おれはしばらく棒立ちだったが、無敵状態を保とうと気合をいれなおした。
Yシャツに膝丈の白のスカートと突っ込みどころのない部屋着の会長に先制攻撃失敗を悟る。
前みたいに下着の趣味でからかってやろうと思ったのに。
「……」
「……」
互いに無言で、自分のベッドに座る。ベッドのスペースだけ隔てて向かい合う。いつも意気揚々に会話の手綱を握って人を手のひらで転がす会長らしくない、妙に嫋やかな雰囲気が、気持ちをぐらつかせた。
「わかってる。あんなことがあった後じゃ、意識しないでって言っても無理だよね。普段通りにお願いなんて、言えた義理じゃないし」
おまけに、訥々と話す会長の顔が憂いを帯びていて、とても悪ふざけできる状況でもなかった。
あの告白が生半可な想いで紡がれた言葉か、その勇気と覚悟の重さがわかるから。
「付き合ってもないのに結婚なんて、飛躍し過ぎじゃないですか?」
「ね。でも、昔の結婚が家を守るためだけのものだったのと比べたら、動機は昨今の恋愛結婚と何も変わらないよ。
私は、榛名くんを守りたかっただけ。他の肩書とか、関係より、榛名くんが大事に思えたの」
心なしか、そう語る会長の顔はすっきりと晴れやかで、
「思慮が足りないですよ。どっからどう見ても、会長が人生を懸ける価値のある相手じゃないですよ、おれ」
「あら。私には良い男に見えるけど」
「あと三ヶ月もしたら、そこらの男と変わらなく見えますよ」
……ダメだ。どうしても、憎まれ口が止まらない。人が散々悩んだってのに、この人は。
「おれの境遇に同情して、一時の感情に身を流されてませんか? おれ、恋から冷めて自分の選択を後悔されても困るんですよ。初めから不釣合いだってわかってるのに」
「そうやって、すぐに人の心配ばかりしちゃうところとか」
「おれは自分の保身しか考えてませんよ!」
つい声を荒らげてしまう。自分の発言の矛盾に気づいたことを誤魔化すためだ。
「会長、もしかしたらおれ、非童貞かもしれないんですよ? 小さいころにアレコレ開発されて、とんでもない性癖があるかもしれない。そんな男と簡単に結婚なんて考えていいんですか?」
とんでもないことを口走るおれに自分でも驚いたが、会長は一瞬、面をくらっただけで、すぐに慈しむように笑った。
「女の子が経験済みだったら、こういう結婚のときに問題が出るかもね。でも、男の子が経験済みで困ることってあるの?」
「それは……性病、とか」
「性病持ちなの?」
「健康診断ではなかったです」
「じゃあ何も問題ないじゃない」
その場しのぎで考えた不安材料も容易く説き伏せられてしまう。歯噛みするおれに会長は沈痛な面持ちで、
「もしかして……触れたくも、顔も見たくないくらい私のこと嫌いだった?」
「違います! おれは、ただ、おれに何の相談もなかったことと、会長の人生を棒に振るのが嫌なだけで――」
他には、泣かせたくない子がいたけど、それは口には出せなくて。
「世界で二人だけの男の子と一緒になれることが、そんなに不名誉かな? ましてや金剛榛名という男の子は世界でひとりしかいないのに」
隣に腰を下ろした会長から薫香がかおった。スプリングが軋んで、静謐が包んで、動悸がうるさくて仕方なかったときになって、ようやく会長が言った。
「榛名くん。女の子が形振り構わず、男の子に振り向いてもらいたい理由なんて、一つしかないんだよ」
「なんですか。金ですか、地位ですか」
「好き」
揚げ足を取ろうとした卑屈なおれにかけられた言葉に、ハッと会長を見た。熱に侵された視線がおれを見上げてた。
「それだけだよ」
嘘つくな、昨今の女が求めているのは安定性で、年収や就職先で男を見定めてるくせに。
そう反論しようとしたおれの卑小な心の声を、会長の立場が否定する。
束さんを敵に回す危険も、友人を失う可能性も、実力と研鑽で昇り詰めた国家代表の地位も捨ててでも、おれが欲しかった。
言葉にするまでもなく、状況がそれを証明してしまっている。
握りしめたままのおれの右手の甲に、会長の手が重ねられた。
「一人で際限なく抱え込んで、それに耐えられなくなって潰れちゃうあなたの、支えになれたらいいなって……」
「ギャ、ギャップ萌え狙おうたってそうはいかないですよ! こっちは幼いころの性的虐待に加えて、IS学園に来てからは無防備な女子たちにシャルロットで免疫ついてるんですからね!
一夏ほどどはいかなくても、おれだって」
自虐するおれを、会長が悲しげに目を細めて、
「すいません!」
「あ……」
その視線に耐えられず、おれは会長の手を振り払って部屋を飛び出した。
名残惜しげな声に後ろ髪が引かれたが、振り返ることはしなかった。
●
「据え膳食ったら死ぬじゃねえか! 詰むじゃねえか!」
自販機コーナーの中心で哀を叫んだ。ハニートラップの危険ももうない。政府も認めている。保護者公認だ。相手も、多分オーケーだった。
でも、無理。進む度胸も気概もない。
会長は、おれの人生では遠目に拝めることが叶うかどうかもわからなかった雲上人だ。あんな美人で巨乳で愛嬌も家柄もある人が、おれに迫っている。
これが一般人金剛榛名なら良かった。身分違いの恋に胸を踊らせて、安酒に酔ったように祝杯をあげていたはずだ。
でも、今の金剛榛名では、素直に喜ぶことなどできやしない。昔とは違う。
取り巻く全てが一変した中で、色んなしがらみが増えすぎた。
それさえなければ、きっと……というか、彼女を拒む男なんてゲイか不能しかいないだろう。
明朗快活としていて女としての愛嬌もあり、見目麗しく、薄いYシャツを押し上げる胸と優美な手足と漂う色香は、眩暈さえした。
あれに誘われて拒める男なんているのか? 潤んだ目で上目遣いに見つめてきておまけに手まで握ってきてさあ。
怪盗の三代目だってダイブしないで押し倒すよ。もうそのままベッドインするだろ常考。
あれ……? いや、待て。
そんな彼女を拒んだおれは、いったい何なんだ?
「おれ、まさかホモなのか!?」
愕然と頭を抱えて絶叫した。そんな馬鹿な。いや、だって普通に女の子を魅力的に思ってるし……性欲だってある。
弾に我慢出来ているのがおかしいと首を傾げられるくらいだが、女の子への欲求だって確実に存在しているのだ。
ありえない……ありえない……
「いや、ていうか、そもそも何でおれは男なんだ?」
男と女について懊悩するうちに、ゲシュタルトが崩壊するかの如く、おれの中の性別についての境界が壊れた。
ISは女にしか使えないはずなのに、男のおれがどうして使えるんだ? おれのIS適正、国家代表候補と同格だぞ?
女性でも適正がない人がいる中で男のおれが最高クラスって、絶対におれに異常がある。
束さんなのか? 全部束さんが悪いのか? 束さんの細工がおれに過剰な適性をもたらしているのか?
ていうか、実はおれって女の子じゃないのか?
「そうか! おれが女の子になれば、全て丸く収まるのか!」
婚約の件も、世界を騒がせたISを使える男性の問題も、おれが女なら全部解決する。
その手があったか! 何でこんなことに気づかなかったんだ!
おれは快哉を叫び、思い立ったが吉日とその日に政府にタイへの入国申請を出して――即日に却下された。
「ちくしょう!」
無人の自販機コーナーの休憩所の椅子に座って、机をバンバン叩く。政府の役人に性同一性障害を疑われたが、冷静に考えたら、おれって疑いようのないくらい男だった。
憔悴のあまり気が触れていたらしい。性転換技術の最も優れているタイに行こうとしたのも、完全にどうかしていた。
だが、これまでの経緯に加えてのこの対応で、政府への反感が募っていくのも確かである。これは倍返しでは済ませたくない。百万倍返ししなくては。
人の人生をオモチャにしてんじゃねえぞ。
「男性の人権団体の神輿になって日本を変えてやる……!」
女性人権団体には命を狙われているが、男性にとってのおれは希望の光だ。
女尊男卑で虐げられている男どもの希望となって復讐してやる。痴漢冤罪の恐怖に悩まされるサラリーマンの方々は全員諸手を挙げて歓迎してくれるに違いない。
さっそくおれは有名な人権団体に協力を取り付けようとして――
「おれまだ未成年じゃん! 出馬できねえじゃん!」
選挙権すら得ていない不甲斐ない事実に気づいて苛立ち、机をバンバン叩いた。
何てことだ……自分を変えようにも、世界を変えようにも、おれは子供すぎて取れる手段がない。
何て窮屈な世の中なんだ。でも、これで熱した頭が冷めた。子供だって自覚と不可能なことを知った。
平静さを取り戻した脳が、ひとつの結論を導き出す。
「やっぱりおれって、ホモなんだな……」
晴れやかな心地で、虚空に向かってつぶやく。
一夏との関係を否定していたのも照れ隠しだったに違いない。ほら、おれって素直じゃないから。
みんなにからかわれると、本心を見せるのが嫌で関係を否定したりするじゃん。
別におれは一夏にベタベタされても嫌じゃなかったし、きっと心の底で受け入れていたんだろう。
おれは天啓を受けた信徒の心持ちで、クラスメートの鏡ナギさんの部屋を訪れた。
「あれー? 金剛くん。どうしたの?」
「夜遅くにごめんね」
時間は夜の十一時を回っていた。パジャマ姿の鏡さんは、まだまだ平気そうだったが、同室の夜竹さんは瞼が引っ付きそうになっている。
夜分遅くの来訪を侘びると、珍しい男子の登場に気分が弾んで見える鏡さんは眼鏡を輝かせて言った。
「いいよいいよー。気にしないで。それで、今日はいったい何の用事で来たの?」
おれは厳かに頷いて、
「BL本貸してくれない?」
「……え”?」
鏡さんの好意的な笑顔が引き攣って、夜竹さんの寝ぼけ眼が完全に覚醒して見開かれる。
おいおい、どうしたんだよ鏡さん。アンタ、腐ってるんだろ? 笑えよ、腐女子。
「カツ丼ください」
朝、おれが胸を張ってがっつりブレークファストを注文すると、列を作っていた人々が惑い始めた。
ざわざわと困惑が漣立つように広がってゆく。おいおい、久々に清涼感のある朝なのに、明瞭な気分が台無しじゃないか。
「は、榛名がうどん以外を……!?」
「胃は大丈夫なのか……!?」
「ふむ。私も肉料理にしよう」
茫然とする皆に呆れながら、顔見知りになった学食のおばちゃんに礼を言って席に着く。
清々しい気分だ。部屋に戻るのが嫌で共同休憩スペースで徹夜したのに、眠気なんて微塵も感じない。
おれは重厚なカツを口いっぱいに頬張った。久しぶりの肉汁に頬が痺れる。噛めば噛むほどに味が染みて、うどんの簡素な味わいに慣れた舌が味覚を襲う情報の多さにパンクしそうだった。
「イベリコ豚かな? あぁ、たまらねえぜ」
「珍しいね。榛名がうどんじゃないなんて」
隣に座ったシャルロットが物珍しそうに肉を噛みしめるおれを見る。
おれは得意気に微笑した。
「ま、偶にはいいかなって」
「朝にガッツリ食べるのは健康に良いことだ。嫁の受け売りだがな」
「自分で言っておいてなんだけど、朝から肉をガッツリはきついよな。榛名、どうしたんだよ。あんなに小食だったのに」
健啖家なわけでもないのに、人が変わったように肉をがっつくおれをみんなが訝しる。
正面に座るラウラも仔牛のよくわからないカツレツみたいなのを頬張っていた。ドイツ語なんてグーテンモルゲンとバームクーヘンだけ憶えればいいって偉い人が言ってた。
おれは済まして口角を吊り上げた。
「新学期が始まるから、精でもつけておこうと思ってね」
「精……?」
「昼は山芋にオクラと鰻でも食べようかな。ハハッ」
「お、おい。本格的におかしいぞ。精なんて、榛名から一番縁遠い言葉じゃないか」
「前々から母は雄々しさが足りないと思っていたのだ。精力を満たすのはけっこうなことだ」
一夏とシャルロットが顔を見合わせて、ラウラが同調して肉をかじる。
おれの隣に顔を曇らせた谷本さんとのほほんさん、相川さんたちが座った。谷本さんがおれの顔を覗きこむ。
「まさか……悩みすぎてメンタルに支障が……」
「やあ、ゆっこりん。今日も可愛いね!」
爽やかに笑いかけたら、シャルロットがフォークを落として、一夏が牛乳を吹いて、かなりんさんがお盆を落とした。
「榛名が壊れた……」
「ねえ! どうしたの! どうしちゃったの金剛くん!」
「ありゃりゃ~」
静かに朝餉も食べられないなんて、IS学園は騒がしいところだな、まったく。女の子が多いから仕方ないのかもしれないが。
おれは狼狽する皆を振り切り、教室に着くや否や、椅子に浅く腰掛けると、カバンから本を取り出して、徐ろに広げた。
そのまま黙々と熟読していたのだが、人が集まってくると必然的に騒がしくなってくる。このクラスが賑やかなのはいつものことなのだが、今日の喧騒は質が違った。
おれを中心としたドーナツ化現象が発生し、皆がどよめきながらおれを遠巻きに眺めている。
こそこそと何やら不穏な表情で話し合うだけのクラスメートの中で、しっかり者の鷹月さんが緊張した顔で声をかけてきた。
「あ、あの、金剛くん」
「ん?」
「それ、なに……?」
震える手で机に山積みされた薄い本とおれの手にある本を指さす。おれは堂々と胸を張った。
「ボーイズラブの同人誌だけど」
「こ、公衆の面前で、そういう本を読むのは良くないんじゃないかな」
頬をひくつかせながらも、諭すような声音で注意する鷹月さんを、おれは険しい表情で睨んだ。
「鷹月さんが読んでた小説にだってスプラッタ描写あったじゃない。創作に優劣をつけるのはおかしいよ」
「正論っぽく言ってるけど、表紙! 表紙見てよ!」
頬を紅潮させて叫ばれたので、おれは手に広げた本を閉じて表紙を見た。
裸の一夏が寝そべって読者を誘っていた。一夏は絵になっても一夏と一目でわかる。
「一夏だね」
「だから、そうじゃなくて!」
「え、それ俺なのかッ!?」
何やら騒がしい周囲を無視して、おれはこの同人誌の作者の鏡さんに目を向けた。
ビクッと震えたのも構わず、名前を呼ぶ。
「ちょっと鏡さん。この本なんだけどさ」
「は、はいィ……」
小動物みたいに怯えている鏡さんに同人誌を開いて、問題の部分を指差して質問する。
「このア◯ルとチ◯コの間にある女性器みたいなのなに?」
「それはやおい穴って言って、受けの男の子にある――」
「おれにそんな穴ねえよ!」
「ヒイッ!」
饒舌に語り出した鏡さんにイラッときたおれは同人誌を山の上に乗せて机を叩いた。力の限り叩いた。
この作品では、おれが一夏に挿入されて喘いでいた。おれなのに凄まじく美化されていて違和感がアナフィラキシー・ショックだった。
「男には穴はひとつしかないんだよ! つーか何だよこれ! もうこれ、おれ女じゃねえか! 両性具有じゃねえか!」
「ご、ごめんなさいごめんなさい!」
「おい、榛名。いいかげんにしろ! 何があったのか知らないが、他人にあたるな」
怒り心頭の箒さんが柳眉を逆立てておれと鏡さんの間に割って入る。
おれは平静に再び同人誌を開いて語り出した。
「幼馴染のチリトリは主人公と高校で再会するも、主人公は親友に夢中で相手にしてくれず、告白するも振られヤケクソになったチリトリは、敵対組織に組みして最後は爆死。
幼馴染の死に傷ついた主人公は、優しい親友に慰められ、真実の愛に気づく……」
「? なんだそれは?」
「この同人誌のストーリー。ちなみに主人公の名前は一夏」
「なんだとぉ!? オイィッ! 悪意しかないじゃないか!?」
「ごめん、ごめんって!」
特定が容易な設定と絵に負け犬役を押し付けられた箒さんが鏡さんの胸ぐらを掴む。鏡さんを助けに来たのに、仲間割れとは虚しいものだ。
さらに騒がしくなった教室に優雅な所作でセシリアさんが入室してきた。社長出勤とはいい身分だ。
「いったい何の騒ぎですの?」
「榛名がおかしくなって……」
「まあ!」
手を口に当てて、驚いた仕草をすると、おれの元にツカツカと寄ってくる。
腰に手を当てて、おれを見下ろすと、
「榛名さん。悩みがおありならいつでも相談にいらしてくださいと言いましたのに……何かあったのですか?」
胸に手を添え、おれを気遣い、心配してくれる。慈愛に満ちた青い瞳に見つめられて、心苦しくなったおれは、胸を抑えてその同人誌を差し出した。
「これ見てみ」
「はい? マンガ……きゃああああああ! い、一夏さん!? ががが、は、はだ……ははは、破廉恥ですわ!」
黄色い嬌声をあげながら、顔を真赤にさせて振り乱すセシリアさん。が、破廉恥だとか批難したくせに、また恐る恐る内容に目を通し始める。
「あぁ……何てことですの……一夏さんが、こんなにうっとりと……はっ! だ、ダメですわ!
こ、こんなもの……! こんな、こんな……気持よさそうに……」
「セシリア!?」
目を据えて読み耽るセシリアさんを周りが必至に止める。ちょろいぜ。
「ラウラ! 榛名を止めてくれ!」
「うん! (自称)娘のラウラが行くしかないよ!」
「シャルロットで止められなかったら悲惨だしな」
「そんな理由!?」
何やら外が騒がしい。一夏たちだな。やれやれと肩を竦めて振り返る。ラウラが困ったようにおろおろとしていた。
「しかしだな……私にも母の変貌の理由がわからん。クラリッサに指示を――あ」
電話をかけようとしたラウラから通信機をひったくり、耳に当てた。
『もしもし、隊長。どうしました、今度は何の用で?』
「あんたか。ラウラに変なこと吹き込んでいる奴は」
『……失礼、どなたでしょうか? なぜ隊長の端末から――』
「ラウラの母親だけど」
『あなたが……!』
名乗ると、電話の相手は感極まったように息詰まった。しばらくして、感動を押し殺した声が響く。
『失礼しました。私はドイツ軍大尉、黒ウサギ隊副隊長、クラリッサ・ハルフォーフと申します。
あなたが例の母君であらせられますか。あなたには感謝しています。あなたのおかげで隊長はとても愛らしくなられて――』
「それは置いといてさぁ、あんたウチのラウラになにしてくれてるわけ?」
『はッ……何のことでしょうか』
「具体的には、想い人を嫁と呼ぶだとか、スク水は色物だから露出が激しいの着ろ、だとか。何も知らない無垢なラウラに妙なこと吹き込んでくれたじゃねえか」
積年の恨みをぶち撒ける。電話向こうの女性は冷静だった。
『これは異なことを……私が入念にリサーチした結果に基いて、日本の流行や文化に合わせた最適な行動を助言したまでです』
「……一応、聞いとくけど、それって何から学んだ?」
『日本が世界に誇るマンガやアニメからですが』
「馬鹿じゃねえの」
「なっ――」
おれは鼻で笑った。
「リサーチが足りなかったな。今の日本では『萌え』なんて流行ってねえんだよ」
『なにっ!? それは本当ですか!?』
声高な女性の声におれは首肯した。
「もう日本の男性主要購買層は萌えに耐性がついてしまっているから、量産型のツンデレを代表とする安易な属性付けただけのキャラじゃ食指が伸びないんだ。
その中で女の子向けの文化だった購買力のあるBL、GLが台頭して、現在は如何にしてホモに媚びを売るかが重要になっている。
つまりだ……もう異性愛は時代遅れなんだよ」
『……! 馬鹿なっ! 萌え文化が廃れるなど、そんな筈――』
「なら、調べてみるといい。近年、日本でヒットした作品には少なからず、同性愛的に絶大な人気を誇るキャラがいる。
そう、古くはギリシャ神話のアポロンがそうだったように、エバーのカオルくんがホモだったようにな……!」
『……ッ! そ、そういえば……』
思い当たるフシがあったのだろう、女性は絶句してしまった。
『ハッ!? ドイツ軍人は狼狽えない、ドイツ軍人は狼狽えない!』
「日本について語るなら戦国時代の大名の嗜みくらい勉強してから来いや!」
一方的に通話を切って、そっとラウラに手渡した。これでラウラが同性愛に走ってシャルロットと仲良くなっても困るから、あとで良く言い聞かせよう。
会話を聞いていたラウラの顔が悲愴に曇る。
「母よ……いったいどうしたのだ? 何が母を変えてしまった?」
ラウラ……何で悲しい顔をするんだ。ラウラのそんな顔は見たくない。だが……昨夜の出来事が脳裡を過ぎる。
「……ごめん、ラウラ。おれ、ラウラの本当のお母さんになってあげられなかった。おっぱいをあげられなかった……ほんと悔しい」
「榛名ァッ!? 男はどうやっても出ないよ!?」
シャルロットの悲痛な叫びが聞こえたが、おれは聞こえない振りをした。
今にも泣きそうなラウラが言う。
「何を言う。母は何があろうと私の母だ。実母であろうが義母であろうが、私の心の母だぞ。何があろうと……母が私を嫌っても……」
「嫌いになんてなるもんか! ラウラはおれが腹を痛めて産んだ可愛い我が子だよ!」
「母ァ!」
「ラウラァ!」
「いや、産んでないよ! 産めないでしょ!」
ひしひしと抱き合うおれとラウラの感動の場面を邪魔する輩がいる。こういうのって、ノリじゃん?
気持ちが伝わっていればいいんだよ。
「何の騒ぎですかー? はい? 金剛くんが壊れた? あはは、そんなまさか――そのまさかでした」
山田先生の顔が一気に青ざめた。視線がおれの机に山積みのBL本に注がれる。
そしておれを見て、救いを求めるようにして他のクラスメートを見た。全員の視線が山田先生に期待を込めていた。
数の暴力に押され、「うぅ……」と呻きながら、山田先生がおずおずとおれの机に歩み寄る。
荒い鼻息をはいていたが、やがて意を決して昂然と言い放った。
「金剛くん! なんてものを読んでいるんですか! 場を弁えてください! ここは学校ですよ!」
「校則に学校内で同人誌を読んではいけないなんてありませんよ」
「え?」
愕然とする山田先生に鷹月さんが学生手帳を渡した。目を皿にして隅から隅まで読み通すが、おれの言葉の通りだったのでわなわなと震えだした。
おれの机を片手で叩く。
「校則以前にモラルの問題です! こんな淫らな雑誌を神聖な学校で読むことを許したら、学内の風紀が乱れます!
教職に就くものとして、金剛くんの行為は断じて看過できません!」
山田先生が全うなことを言うものだから、ついついおれもエキサイトしてしまった。
「失敬な! 生殖行為が健全でないのなら、人が結婚して行う夫婦の営みも否定することになりますよ!
だいたい、おれたちの年頃なんて性に興味がある人しかいないでしょう! こうした時期に性について正しい認識ができていないと将来的に問題が生じます! 山田先生、あなたは生まれてくる子供全てが淫らな行為の結果の副産物だとでも言いたいのですか!?」
「そ、そんなこと言われても、私はまだ処――いやいや、いけないいけない!
男女なら分かりますけど、金剛くん。あなたが読んでいるのは男性同士の交わりではないですか! 完全な公序良俗違反です!」
「男性同士の恋慕の感情は全て穢れているとでもいいたいんですか!? それは差別ではないですか、山田先生!
自分だって織斑先生のこと、ちょっといいなーとか思ってるくせに、女同士は棚に上げて男同士は否定するんですか!」
「ええッ!? な、なななな、確かに織斑先生は格好いいですけど、そういうわけではぁ……!」
勝った。熟れた林檎状態の山田先生を前に勝ちを確信する。
おれから口で勝てると思うなよ。有ること無いことでっち上げてその場を凌いで勝つんだからな。
時間が経ったら焼け野原なんだぞ。おれの得意戦法は自爆だからな、ハハッ。
「榛名」
論破マシーンと化したおれの前にシャルロットがやってきた。
シャルロットは毅然とおれの目を見据え、
「榛名は……男の子が好きなの?」
「……」
見つめられたせいか、素直におしゃべりできなくなった。
「す……好きなわけあるかよ! おれだって普通に女の子が好きだよ! 始めっからそう言ってんだろうがッ!」
おれは机をバンバン叩いた。もう怒りに身を任せていた。迸る激情が体を熱くさせる。
「なんだよ、お前らおれと一夏をホモホモ言ってたくせに、いざおれが本当にBLに走ったらドン引きしてんじゃねえか!
興奮するわけねえだろ、男の裸でなんて! おれは男だよ!」
荒ぶるおれの腕に、シャルロットの手がそっと触れる。揺れる紫水晶におれが映っていた。
「大丈夫だよ、榛名。僕はわかってるから。だから……ね?」
そして微笑むシャルロットにおれの荒んだ心が動いた。
「シ、シャルロット……おれ……」
「ん?」
幼子にするように優しく首を傾げるシャルロットに、おれは……
「お、お……」
「うん」
笑顔に促されて、口を突いたように、おれは言った。
「シャルロットって、意外とおっぱい小さいよね」
「……は?」
唖然と固まるシャルロットにおれは続けた。
「始めはペタンコだったから反動で大きいと思ってたけど、いま思うとIS学園の平均より小さいくらいだよね。
おれの知ってる中だとラウラ、鈴さんくらいしかシャルロットより小さいのいないし……あ、会長の妹も小さかったな。でも、他の人が大きいから総じて平均以下だよ。
うん、小さい」
「……」
自分の胸に手を重ねて、わなわなと震えるシャルロット。
そして、もうどうすればいいかわからなくなったおれを、一夏が正面から熱く抱擁した。
「もういい……! もう……休めっ! 休め、榛名……っ!」
――そして、織斑先生が教室に入ってきたことで、おれは目出度く御用になったのであった。
●
「……どうした?」
生徒指導室でテーブルを挟み、ソファに腰掛けて向かい合う織斑先生は、普段の厳格な雰囲気は失せ、逆に労るようにおれに尋ねた。
おれはしばし閉口して、拳を握り、言う。
「盗んだISで走り出したくなったんです」
「反抗期か。それで、誰に反抗するんだ?」
「おっぱいが大きいからって調子に乗ってる連中に……」
「女尊男卑社会にか。大きく出たな」
「……」
「……」
沈黙が続いて、仕切り直しに織斑先生が嘆息して頭を掻いた。
「本当のところはどうなんだ? この間、政府のお偉いさんが訪問してきたが……何かあったのか?」
図星をつかれて、顔に出てしまった。また織斑先生が嘆息する。
「当たりか。今度は何を言われた? 差し支えなければ話してみろ。力になってやれるかもしれん」
「……結婚しろと言われました」
「……誰と?」
「会長と……」
相手を聞いた織斑先生は、瞑目して、「そうか」と頷いた。
「お前くらいの年齢だと、とにかく周囲が煩わしく映るものだ。大人と子供の中間で、夢から醒めて現実と向き合わねばならない多感な時期。
そういう時分だからこそ、多くの世界を見て、様々な事柄について学び、吸収しなければならない。
そうして無数の選択肢の中から、進みたい道を選んで行くものだが……お前や一夏には、限られた未来しかない。それも、自分ではどうにもできない大きなものからの命令で、だ。
お前の気持ちも痛いほどわかるよ。やらかした問題は別として、反感を覚えるのも無理は無い」
自分の過去に立ち返っているのか、遠くを見つめて織斑先生が言う。
束さんと親友だったらしいが、その頃を思い出しているのだろうか。織斑先生も激動の人生を歩んできた筈で、今をどう思っているのか気になった。
「一夏は、仕事が忙しくあまり話す時間がなかったからか、反抗期がなかった。教員をしていると思うが、女は早熟でな。
高校生にもなると反抗期などとっくに終えて、しっかり将来を見据えている者が多い。IS学園は馬鹿が多く見えるが、内面は独り立ちしている者ばかりだ。
だから、お前みたいな奴は新鮮だよ。……どう接したらいいかわからないくらいにな」
軍人なら躾けてやるのだが、と恐ろしいことを付け足す。軍人じゃなくて良かった。
「織斑先生、おれ、束さんとのこと聞きましたよ」
「……そうか。口止めしておいたのだがな」
不思議と、怒りはしなかった。だから踏み込んだ。
「本当なんですか? 束さんが、おれに」
「誇張はあるが、概ねは同じだ。あいつらに無断で話したことは、済まないと思っている。
だが、火急だったからな。束の目的を理解させる必要があった」
「おれは気にしてませんけど……なんですか、目的って」
何となく検討はついていたが、訊いてみた。
「お前を、自分だけのものにすることだ。その為に親元からお前を孤立させ、IS学園に入学させた。
束は興味のない人間にはとことん無関心だ。当然、お前の両親を煩わしく思っていた。合法的にお前をただの金剛榛名にしたかったんだ。
金剛が束を嫌いになれないのも、幼いお前にそう刷り込んだから。……言ってみれば、お前の人生はあいつに狂わされたんだ」
「おれ、思うんです。憎めないようにしたって言いますけど、本当にそうなのかなって。
大切な人を不幸せにするような人が、この世にいるのかなって」
織斑先生は一瞬、瞠目して、険しい目つきになった。
「いるぞ。目的の為に手段を選ばない人種など幾らでもいる。美姫を奪うために他国に侵略した王など典型例だ。
相手の気持ちなど眼中にない。ただ欲しいだけだからだ」
「織斑先生は一夏を養う為に手段を選びましたか?」
「……どういう意味だ?」
怪訝そうであり、怒りも込められている目だった。おれは口を閉ざした。
時計の秒針の音が刻まれて、静謐の痛さが肌に刺さった。織斑先生は、フウと小さく息を吐いた。
「……束の言うとおり、私は脳筋なのだろう。自分たち以外に身寄りがなかった私は、我武者羅に体を動かしていたよ。
幸か不幸か、世間に出られる年齢になった時には、ISが私の手元にあったからな。それを利用し、一夏を守れる地位と養える金を得た。
あいつには健全に生きて欲しかったが、私がISの要人である以上、こうなるのも仕方なかったのかもしれない。
一夏が入学するまではろくに帰ってやれなかったが、今は一緒にいてやれる。海外では何より家族を大切にするというが、こっちで同居するようになって、それが見に沁みたよ。
刹那的な考えだが、あいつが入学して良かったと思う自分もいる。家族より身近で大切なものはない。
だからこそ、束が許せん」
織斑先生が顔を上げて、おれを見つめた。
「例えばだが、私と結婚したくて邪魔な一夏を排除しようとする輩など、私は絶対に認めん。束がしようとしているのは、そういう道理に反することだ。
だから束がお前を奪おうとしても、私は全力で阻止する。親友だったからこそ、私が止めねばならん。わかるな?」
「……はい」
おれも、一夏が悪の道に走ったらぶん殴ってでも止めるだろうから、それは同意した。
それを見て、織斑先生はソファに背を預け、足を組み直した。
「それにしても更識か。分からんものだな。デュノアや谷本、布仏とは仲が良さそうに見えていたが……そういえば、もう秋か」
窓越しに高い青空を見上げて、織斑先生は独りごちた。
世の男性から見たら、なに世迷い言ほざいてんだと半殺しにされかねない贅沢な悩みだとわかっている。
いっその事、本当に女なら、ただIS学園に入学した子供が家庭から出た慶事で済んだのに。
そうしたら一夏を好きな女の子その他になれたのにな、と織斑先生に習って空を見上げた。
ふと思う。
「どうしよう……もう教室戻れないじゃん」
一時の遣り場のない衝動に突き動かされた結果、散々に暴れまわったことを、今更後悔し始めた。
若さ故のたった一回の過ちってことでどうにかならないかな。
……ならないよね。
あとがき
ハヽ/::::ヽ.ヘ===ァ
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>:´::::::::::::::::::`ヽ、
γ:::::::::::::::::::::::::::ヽ
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∧:::ト “ “ ノ:::/!
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モッピー知ってるよ
ホモに媚びれば売れるって事