「なんてことがあったんだよ」
「一発ぶん殴っていいか?」
五反田家を単身遊びに訪れたおれは、IS学園での出来事を語って聞かせると、弾に真顔で殺気を向けられた。
ゲームの中のおれが操る桃姫が画面外に吹っ飛んだ。
IS学園にいることに耐えられなくなったおれは、IS学園や政府に外出届を提出し、護衛の会長を撒くために黒服のボディガードを雇って連絡を取り合っていた弾の家、五反田食堂を訪れた。
シャルロットやラウラ、一夏と来る約束をしていたのだが、しばらくは関わりあいになりたくなかった。
おれは普通を求めて、普通の男友達の弾とゲームに興じていた。外では黒服さんが警備にあたっているが、干渉はしてこないから精神的には問題ない。コントローラの操作音が部屋に響き、ゲームの激しいSE、アクションに夢中になる。
やられれば膝を叩いて臍を噛み、やり返せば痛快に笑いが溢れる。
これだよ。こういう端から見てとてもありふれたやり取りを、おれは求めていたんだ。
おれは時間を忘れて対人ゲームに没頭していたが、しかし、野郎二人でのゲームではいずれ飽きがくる。
それで弾がIS学園について教えてくれと話を振ってきたので、最近の出来事を語って聞かせたら、マジギレされた。
これがハーレム体質の一夏だったら苦笑で済まされていたかもしれない。が、よくよく考えたら、あそこは美少女だらけの青少年憧れの聖地なのだ。
かく言うおれも中学生の頃は漠然と世界中の才女が集う花園というイメージを持っていた。現実を知って打ち拉がれたから、すっかり失念していた。
おれは慌てて取り繕った。
「いや、待て、落ち着け。あそこは弾が思っているような場所じゃないぞ」
「でもよー。この間遭遇した鈴並みの美少女がわんさかいるんだろ?」
「あの人達は全体でもトップクラスの美少女だから」
IS学園は、失礼な言い方だが、顔面偏差値が学力と比例しているので全員が相応に高い。
特に優秀な候補生は美貌も並外れている才色兼備で、プライドが異常に高い以外は目立った欠点も見られない。
いや、セシリアさんは料理が壊滅的だったか。あれはお国柄な気もするが。
「あー。まぁ、あんだけ綺麗なコが沢山いても、返って困るか」
「少なくとも、弾が想像してるような理想郷じゃないことは確かだよ」
生死に関わる出来事が日常的に起こるし。一夏なんかは、一日に何回殺されかけているのやら。
日本刀やISに狙われてよく死なないな、アイツ。
「お兄、ご飯できたよ――って、榛名さん!?」
襖が開いて、ショーパンにキャミソールと無防備な私服姿の蘭ちゃんが、素の口調で弾に呼びかけた。
おれの姿を認めて、影に隠れる。良い物が見られた。下着はピンクか。
「あんな格好で女子は廊下をウロウロしてるけどね」
「桃源郷じゃねえか! そこ代われ、殺すぞコラァ!」
「人来てるなら言えって何回言わせんのよ馬鹿お兄!」
普通だ……おれは弾に首を締められながらも、ありふれた光景を噛み締めていた。
兄妹って、たぶんこんな感じなんだよね。織斑姉弟が変わってるだけだよね。
●
「ところでさ、榛名って彼女いんの?」
五反田食堂で昼食を御馳走になる。テーブルを挟んで対面の席に座る弾が、野菜炒めを口に運びながら、下心丸出しの笑顔で言った。
小指が立っている。嫌らしい質問だった。
「いない、けど」
「歯切れ悪いな。あの金髪のコとかどうなんだよ。明らかに榛名にべた惚れだったじゃん」
これはセシリアさんではなくシャルロットのことだろう。あの時、弾は置いていかれてたけど、よく憶えているな。
まぁ、みんな絶世の美少女だから、忘れようにも記憶から消えてくれないか。
「付き合ってないよ。そもそも、おれは自由に恋愛とかできないから、好きでも付き合えない」
「学生なのに? IS操縦者ってそんなに不自由なのか」
弾が、「うへぇ」と顔をげんなりさせた。おれは水を口にしながら付け足した。
「オナニーもできないしな」
「マジかよ。俺なら死ぬな」
「ご飯食べながら下品なこと言わないでくださいっ」
しゃもじが飛んできて弾の頭にクリーンヒットした。男同士と言うこともあって、つい口が滑ってしまった。
「イテテ……え? じゃあ榛名はどうしてんの? 一夏なら分かるけどさ、普通の男子ならとっくに悶死してるだろ」
「我慢だよ。禁欲の果てに悟りを開くんだ。あぁ、多少の我慢なんてたいしたことないなって。溜まりに溜まったものが循環して再び自分の体に還元されてゆくイメージだね。まあ、そもそも同居相手がいるし、勉強もしなくちゃいけないから、する暇もないしな」
「苦行者みたいになってんな……」
IS学園は女子校だからか、無防備な女子生徒が多く、それで性欲が刺激されることもあるが、あまりにスキだらけな姿に幻滅することも多々ある。
程よく相殺されるのと、多忙なこともあって暇を持て余す時間もない。だいたい誰かが傍にいるし。
「同居人って一夏?」
「最初の二ヶ月はそうだったけど、シャルロット――その金髪のコね――が転入してからは、夏休み直前まで一緒に暮らしてた。今は生徒会長と同室」
「自慢かよ……やっぱり殺していい?」
「やめて」
他人に羨まれるような思いはしてない。マジでしてない。会長の下着姿が見られるのは百歩譲って羨望されても仕方ないかもしれない。
だが、それに近い格好はISスーツで毎日眺めているし、恥じらいもなく見せられては有り難みもない。
「オカズにしていいよ」とか、出来もしないのに挑発して来られても立つのは腹だけだ。
溜まるのは性欲ではなくストレスだし、なまじ美人なだけに本気で怒れないし、本当にどうしてくれよう。
おれの悩みも露知らず、弾は心の底から恨み節をぶつけてくるので、おれはIS学園が如何に嫌なところから教えてやることにした。
「あのな、IS学園って弾が思ってるような場所じゃないぞ? まず、ISって競技用って銘打ってるけど、用途は軍事力だろ?
だから乗り手にも軍人並の体力が要求されるんだよ。周りは天才ばかりで男女の体力差なんて有ってないようなものだし、頭の出来は完全に違うし、女尊男卑の傾向はあるし、おれたちはパンダだし、授業ではどう見ても大学でも扱わないような意味不明な単語が飛び交うし、織斑先生は怖いし、日本の学生なのに爆弾の解体技術や市街戦を想定した戦術を学ばされるし、一夏に惚れてる女の子は怖いし、イベントが起こるたびに問題が起きるし、そのたびにおれと一夏が駆り出されるし、死にかけたし、一夏も怖いしさー」
「IS学園って一夏関連はホラーハウスなの?」
話の半分は一夏になっていた。別に他意はない。学校では一夏を中心に回っているから、必然的に一夏の話題が増えるだけ。
一夏の周りの女の子が濃すぎるのも原因だと言える。お願いだからISで殺そうとするのやめてください。
「んー。たしかに大変そうだけどさー、あれだけ女しかいない空間に居たら当然モテるべ。
例えが変だけど、要は世界で二人だけのIS操縦者ってブランド品だろ? 普通は争奪戦だろ。あの銀髪のコとかも榛名に懐いてたじゃねえか」
「ラウラか。ラウラは娘だからな、可愛いよ」
おれの心の拠り所と言っていい。特に意味のない暴力を振るうこともないし、態度も豹変したりしない。
初対面では敵対していた気がするが、細かいことはいい。もう可愛いからどうでもいい。ラウラが嫁に行くときは泣いてしまうかもしれない。
弾は首を捻った。
「え、なに? そういうプレイなの?」
「娘だって言ってるだろ!」
心の寄る辺を馬鹿にされ、思わず声が大きくなった。弾との距離が遠くなる。
「そ、そうなのかー」
気のない返事だった。妹と言った方が良かったかもしれない。でも、おれは母でラウラは娘なのだ。
改めて考慮するとおかしいが、深く考えてはいけない。可愛ければ許される世の中だからだ。
部屋に戻ると、今度は鞠男カートをチョイスした。弾が鈍器を、おれが泥似を使用する。
弾が虹道のショートカットをミスって最下位になり、勝敗が決した頃になって、唐突に口を開いた。
「あー、エッチしてえなあ。榛名はまだ童貞?」
「お? ああぁぁぁ! ……童貞だけど」
「だよなぁ。彼女欲しいぜ、ったくよー」
不意打ちにコースから外れて落下してしまう。高度な心理戦だ。そうか、そうきたか。
弾は画面から目を離さず、黙々と差を縮めて来ている。これで分からなくなった。おれがまたミスれば逆転される可能性もある。
おれも受けて立つことにした。
「榛名ってキスしたことある?」
「あるよ」
「マジで!? 誰と誰と?」
好奇心に声を弾ませる。しかしコントローラを操る指は動じることなく、おれを肘で小突く高等技術。対人戦に特化している。
おれも平素を装って答えた。
「一夏と」
「……へ?」
弾が放心し、鈍器は直進したカーブを曲がりきれずにそのまま落下していった。おれは勝ちを確信した。
「ど、どういうことだよっ!? は? い、一夏とって……!」
「前に死にかけたことがあって、その時に一夏に人工呼吸で助けてもらったんだ。まぁ、人工呼吸がキスに入るかって意見もあるけど、唇が接触したことには間違いないんじゃない?」
目に見えて動揺する弾をよそに着々と差を広げる。勝ったな。COMの雷を食らったが、たいしたダメージにはならない。
余裕綽々のおれの横で敗北必至の弾が、消え入りそうな声で呟いた。
「……そういや一夏のヤツ、寝言で女に興味ないって言ってたな」
「……え?」
おれの小さくなった泥似が、鞠男に踏み潰された。甲高い笑い声が耳朶を突く。
静寂が部屋に満ちた。おれのコントローラを握る手が震える。
「や、やめろよな。まったく、質の悪い冗談だなぁ」
「いや、マジ。そもそもアイツ、中学の頃からモテてたのに異性は全く眼中になかったし、IS学園でもそんな感じなんだろ?
俺もそんなことないとは思うけどよ……」
ゲームの中ではおれが二位でフィニッシュし、表彰台では鞠男がどや顔をかましていた。
「……おれ、明日、一夏の家に誘われてんだけど」
「……」
弾の使われていないギターが泣いている気がした。冗談が冗談でなくなっていく。笑えよ、頼むから笑ってくれよ弾。
●
「ここ、ここ」
照りつける日差しの暑さに肌を焼かれ、耳を打つ蝉の鳴き声に五感で夏を感じる日のことだった。
おれは一夏の案内に従って織斑邸を訪れていた。寮から徒歩で通える場所にあった。意外なことに、おれの生家からも近い。
寄ってみたかったが、もう売ってしまったし、どうなっているか見るのも怖かったので自重した。
織斑邸を見上げて、感嘆のため息をつく。まだ二十四歳の織斑先生が建てたとは思えない立派な新築の一軒家だった。ウチより大きい。
ISの操縦者って儲かるのだろうか。おれはスポンサーから多額の金銭を貰っているからわかるが……たしか一夏って両親いないんだったよな。
年の離れた弟を養いながら一軒家まで建てる。織斑先生ってかなりの傑物なのではなかろうか。世界最強ってだけでも相当にヤバイが。
「いいよ、上がって」
「お邪魔します……」
気さくに笑顔を投げかける一夏に、おれは若干気遅れしていた。友人の家に遊びに来ただけだ。なのに疑心暗鬼にかられるなど失礼ではないか。
おれは自分に語りかけた。でも、弾との会話が脳裏を過ぎり、その都度、緊張してしまう。
一夏の挙動すら細心の注意を払って観察してしまわなければならないほどだ。広々としたリビングに導かれ、ソファに座るよう促される。
キッチンでは、一夏が飲み物の用意をしていた。今日は真夏日。炎天下の中を歩いてきたのだから喉も渇く。一夏は気が効くから、冷たいものを出してくれるのだ。
そうだ、そうに違いない。しばらくすると、一夏がお盆に琥珀色の液体が注がれたグラスを持ってきた。氷が軽快な音をたて、結露が滴る。キンキンに冷えていた。
「おまたせ。アイスティーしかなかったけど、いいか?」
これ麦茶じゃん。なんでカッコつけた言い方してんの?
訝ってしまったが、そういえば一夏には格好を付けたがる男の子らしい一面があったことを思い出す。
友人に麦茶を出すのが恥ずかしかったのだろう。おれは無理矢理に自分を納得させた。
「今日も暑いな」
「そ、そうだな」
室内は空調も効いていて快適なのだが、まぁ、外から帰ってきたばかりだからな。
というか、何でおれはこんなにも緊張しているのだろうか。弾のときとは大違いだ。あっちは自然体でいられたのに、こっちはガチガチになってしまう。
「なあ、榛名って麦茶に砂糖いれるか?」
「は? 砂糖?」
耳を疑う発言に眉をひそめる。一夏は笑みを絶やさずに冗談っぽく続けた。
「中学のときに友達の家に言ったら、麦茶に砂糖を入れててさ。そこはお婆ちゃんから教わったらしいけど、やっぱりしないよな」
「初耳だな」
地域性、もしくは昔からの風習なのだろう。方言みたいなものかな。
「試しに入れてみないか? なんだかおれもハマっちゃってさー」
「え、なにそれは……」
ケースに入れられた砂糖を小匙で投下していく。いや、確かにブラジルでもコーヒーに大量の砂糖を溶かして飲んだりするけど、麦茶って。
麦の風味に糖の甘さは合わないだろ。
「榛名も試してみろって、な?」
「うわ、ばっ!」
サーッ、と顆粒が零れ落ちてゆく。それ本当に砂糖なんだろうな?塩だったりしないよな?
「大丈夫大丈夫、ヘーキヘーキ。意外とイケるから安心しろって。騙されたと思って飲んでみろよ」
つい最近、そんなことを言われた気がする。結果は爆発して終わった。今回は――
おれは手にとった麦茶を見つめた。一夏を一瞥すると、期待するような目で一夏が見つめていた。
おれは覚悟を決めた。生唾を飲み、衝撃に備える。どんな味が来ても驚かない。おれはグラスを傾け、
「ダメーーーーーーッ!」
「わわ、馬鹿! いま出て行ったら……!」
「シャルロットさん! 落ち着いてください!」
外から叫び声が聞こえて、庭を視線を移すと、窓にへばりつくシャルロットとそれを抑えるいつもの女性陣+会長がいた。
不法侵入じゃないかな。おれは一夏が鍵を開けに行くのを横目に飲んでみた。麦の苦味が甘みで相殺されて、何ともいえない味がした。
●
「ははは、俺が榛名に薬を盛ろうとしてたと思ったって? そんなことするわけないだろ」
疑惑の眼差しを向けるシャルロットに一夏は爽やかに応じた。全員がリビングで寛いでいる……ように見えて一夏を半目で見つめていた。
一夏も例のあの事件以降、変な目で見られている。おれの挟んで隣に座るシャルロットと会長が一夏から離そうとしているような感じがする。
どうせならラウラに隣に座って欲しかった。
「なんだ、来ていたのか。遊ぶのはいいが、騒ぐのは程々にしておけよ」
微妙に緊迫した空気の中に、帰宅した織斑先生が帰ってきた。そういえば、私服姿の織斑先生は始めてみたかもしれない。
カッターシャツにジーンズと、ワイルドな着こなしは男らしかった。女子に騒がれる理由もわかる。雰囲気が少女漫画に出てくるクールな俺様に近しいものを感じる。
「……金剛も居たのか。少し、来い」
「はぁ……」
シャツを脱ぎ、黒のタンクトップ姿になった織斑先生に呼ばれ、腰を浮かす。
ちょっとドキドキした。それが妙齢の女性の色香にときめいているのか、恐怖に動機が逸っているのかは判別がつかなかったが。
「先日の話だが」
「あの、それなんですけど、話がイマイチわからないんですが」
全員が聞き耳を立てているのが雰囲気で伝わってくる。キッチンの影で話しているのだが、視線が背中に刺さって気持ち悪かった。
おれの言葉に織斑先生の凛とした美貌が顰め面になり、いきなり襟を掴まれて引き寄せられた。怖い。
「いいか、金剛。理解する必要はない。お前はただ納得すればいい。束を選ぶな。私を選べ。
よく考えろ。あんな神出鬼没で世界中から追われている天才と馬鹿は紙一重を全身で体現する奇人変人に味方して、お前に何の得がある?
二者択一となった場合、一夏の姉の私の方が人間関係的にも将来的にもお前の為になる筈だ。いいか、私の味方になれ。そうすれば、救われる者がいるんだ。頼む」
早口で畳み掛けられて、つい頷いてしまいそうになった。しかし、意味がわからない。
選べってなんだよ。おれを巡って取り合いでもしてるの?
「何回聞いても、話の全容が掴めないんですけど」
「返事は『はい』だ。半人前のお前には、それしか発言は許可されていない」
ここは軍だったのか。織斑先生は公私の分別はしっかりしていると思っていたのに……幻滅しました。山田先生を慕います。
仕方ないので返事をしようとしたら、おずおずと、しかし胸の前で力強く手を握るシャルロットが立ち上がって口を挟んだ。
「あの! 織斑先生はまだ若いですから、焦る必要はないと思いますっ!」
「歳は関係ない。なんだデュノア。これにはお前は無関係だぞ」
「か、関係有ります! 大いにあります!」
気丈に立ち向かう。空気が不穏さを帯びてきた。
「お言葉ですが、織斑先生と榛名は八歳も歳の差があるじゃないですか。ジェネレーションギャップもありますし、仮に結ばれたとしても上手く行かず長続きしないと思うんです」
「……デュノア、それは私を年増と馬鹿にしているのか?」
「違います。織斑先生は美人で社会的な地位も名声もあります。だからこそ、それに相応しい男性が他にいると思んです」
「私が必要としているのは金剛であって、金や名誉ではない。そんなものは何の為にもならん」
おぉ、と鈴さん、セシリアさん、箒さんが色めき立った。シャルロットが苦虫を噛み潰したような表情になる。
なんだ、この違和感。話題に齟齬が見られるような。
「な……何で榛名なんですか? ISが操縦できる男性だからですか!? それとも一夏に何か吹きこまれたんですか!?」
「なんで俺!?」
口論の渦中にいきなり放り込まれた一夏が愕然と自分を指さして素っ頓狂な声をあげた。
一夏っていつもこんな環境にいるよな。だったらどうすれば切り抜けられるか教えて欲しいよ。切実に。
織斑先生は柳眉を逆立て、不機嫌さを如実にした。間近で見ると、本当に怖い。
「なぜもない。金剛が適役だったからだ。こればかりは篠ノ之も一夏にもできない。こんなことを頼めるのは、もうコイツしかいないんだ」
「馬に蹴られるのは嫌なんで黙っていましたが、流石に見てられません。織斑先生、榛名くんの意志も無視して強引にことを進めるのは、大人げない上に焦っているようでみっともないですよ」
毅然とした面持ちで会長まで口を出してきた。珍しい顔におれも少し驚いた。
二人に責められて、織斑先生はますます憮然となった。
「これが焦らずにいられるか! お前たちに私の気持ちがわかるか? 毎日毎日、危機感に身が焦がれんばかりになる。もう金剛しかいないんだ。なら、お前たちが私を助けてくれるのか? え?」
いったい何が織斑先生ほどの人物を追い詰めているのか。話を聞く限り、婚期としか思えないのだが、どうも違うような気もする。
開き直った織斑先生を、今度は女性陣が憐憫の眼差しで見つめた。
「あ、あの! 織斑先生は二十四歳ですから、そこまで焦らなくても……」
「そ、そうですわ! 榛名さんだけなんて、視野狭窄というか、異性が身近にいらっしゃらないからではないかと」
「うんうん! 人生まだまだこれからですよ。付き合っても上手くいくなんて限らないんだし、もう少し様子を見てもいいんじゃないかなー」
「だからっ! 歳は関係ないと何回言わせるんだお前たちはッ!」
多勢に無勢となった織斑先生は、虚勢を張るように声を荒げた。こんな人だったかな……いったい何が織斑先生を変えてしまったんだろう。
そんな姉を見ていられなくなったのか、静観していた一夏も重い腰を上げた。
「千冬姉! 俺も、やっぱり無理矢理は良くないと思う」
「人の気も知らずに……! まぁ良い。貴様らが何と言おうと金剛さえ居れば、あとは何とでもなる。金剛、お前だけは私の味方だな? そうだな?」
「やめてください! 榛名も嫌がってるじゃないですか!」
「落ち着いてください。まだ狼狽えるような年齢じゃないですよ」
「相手の気持ちを慮れよ千冬姉! そんなやり方じゃ誰も幸せにならねえよ!」
「ええい! 何をする貴様ら!」
揉み合うみんなを何故かおれは冷めた思考で眺めていた。こういう状況になれたのか、それとも精神的に強くなったのか。
冷静な頭で、一人だけ話に混ざって来なかったラウラを探すと、ソファで考える人のポーズで頭を悩ませていた。耳を済ます。
「む……教官が母の嫁に。そうなると、私は教官をお義姉さんと呼ばなくてはいけないのか。すると母はお義兄さんに……。ハッ!? 母なのに兄だと……!?
難しい問題だ。至急、クラリッサに確認しなくては」
可愛い。でも、そのクラリッサとかいう悪いお友達はなんとかしなくちゃね。お母さんは純粋なラウラが誑かされないか不安で仕方ありません。
あとがき
あれって麦茶ですよね。