「榛名が千冬姉をもらってくれたら良いんだけどな。あ、そしたら榛名をお義兄さんって呼ばなきゃいけないのか?」
「は?」
起き抜けのおれに一夏が言った。まだ寝惚けてて、聞き間違えたのかと錯覚した。
まだ寝ている織斑先生が掛け布団を蹴飛ばし、それに甲斐甲斐しくかけ直しながら一夏が続けた。
「大きい声で言えないけど、千冬姉ってけっこう良い歳だろ? なのに男の影とかさっぱりでさ。
弟としては早く良い人を見つけて欲しいんだよ。でも変な男に引っかかったら困るし……榛名なら安心して任せられるかなって思ってな」
「お前なに言ってんの?」
二日酔いの頭痛に顔をしかめながら返すと、一夏は眉尻を下げて困ったような声音で言った。
「千冬姉ってそんなにダメか? ちょっと歳は離れてるけど、弟から見ても美人で頼りがいある人だと思うんだけど」
「いや、一夏がもらってやれよ」
お前、肉体関係あるだろ。そこまでしたなら責任取ってやれよ。
おれが突き放すと、一夏は赤面して大げさにかぶりを振った。
「な、なに言ってんだよ! 姉弟で結婚とかできるわけないだろ!」
「でも、お前、織斑先生のこと大好きだろ?」
「そりゃ、姉としては好きだけど、あくまで家族としてだ! 女と思ってるわけないだろ!」
「? ? ?」
じゃあ、何か? 一夏は愛ではなくて、性処理として織斑先生を抱いてるってことか?
最低じゃないか。肉欲に塗れてやがる。
「一夏、お前な……それ、織斑先生が聞いたら悲しむぞ」
「は? なんでだよ」
「織斑先生は多分、お前のこと好きだと思うぞ」
「家族としてだろ? 俺だってそうだよ。だけど、男としてなら榛名が好きなんじゃないかな」
「はあ?」
苛立ちが口を衝いてでた。何でそうなるんだ。おれ今まで業務連絡でしか接点ないんだぞ。
「なかなか榛名が戻ってこないから、様子見に来たらさ、千冬姉が榛名の頭を脇に抱えて寝てたんだよ。
幸せそうな顔してさ。榛名が窒息しかけてたから慌てて解いたんだけど、千冬姉のあんな顔見たことなかった」
いや、それ単に弟を惑わす間男を排除しようとしてヘッドロックしてただけじゃねえの?
そして酔いが回ってそのまま寝ちゃったんだろ。おれもしこたま酒飲まされて、昨晩の記憶ないから断言できないが。
「それにな、俺も榛名が家族になるのは……満更でもないっていうか」
「お前なに言ってんの……?」
頬を指で掻きながらとんでもないことを言う一夏に、少し引いた。
どういう発想してんの? どういう思考したらそういう結論に至るの?
一夏は親友だと思ってるけど、家族とは思ったことねえよ。
「ああ、もう! 俺もなに言ってるんだろうな。と、とりあえず出てってくれ!」
「お、おお?」
グイと背中を押され、部屋を追い出された。酒の匂いがしない廊下。朝の清涼な空気に頭痛が和らぐ。
……忘れよう。寝ぼけて変な夢を見てたんだ。そもそも、この学園でおれが釣り合う女性いないし。うん、ありえないありえない。
廊下を歩いていると、早朝だと言うのに会長と遭遇した。思わず身構える。
会長はシュタっと手を挙げて、底意地の悪い笑みを浮かべた。
「やあ。昨晩はお楽しみでしたね?」
「会長が想像してるようなことはなかったですよ」
「まぁ、そうだろうね。織斑先生だし」
からからと笑う。おれは笑えなかった。記憶には残っていないが、脳の奥底に恐怖として刻み込まれているようだ。
「会長は随分と早起きですね。臨海学校が終わるまで寝てればよかったんじゃないですか?」
「辛辣ぅ。これでも、一応代表としてISの新型装備稼働試験に参加してることになってるのになぁ」
この人がいると、主におれとその周囲にろくなことが起こらないので何もしないで頂きたかったのだが、この臨海学校の正式な目的まで述べられると閉口するしかない。
阿呆らしいことに、無人の揚陸艇で打ち上げられた装備を拾って使うらしい。いいのかよ、そんなザル警備で。
今日はそれに丸一日消費するため、遊ぶ暇はない。他の生徒は。しかし、おれは装備を追加する空き容量がないので、一夏と同じく何もすることがない。
ずっと砂浜で立ち往生だ。また日焼け止め塗らなくちゃいけないな。
おれが如何にして時間を使うか思慮していると、会長が目を細めた。
「榛名くんって、事なかれ主義っていうか、基本的に受け身で、自分からどうにかしようとしないよね? 現代っ子にありがちな受動的指示待ち体質」
「……そうですね。あまり自分から動くのは苦手です」
「責任が振りかかるのが嫌だからだよね?」
思考を見透かされているのか、この数日で見抜かれたのか。おれは白旗を上げた。この人には勝てそうにない。
会長は可愛く首をかしげて、探るように口を開いた。
「気持ちはわかるよ~? いきなり世界中で存在が認知されて、許容範囲を大きく超えた組織が自分の背後で動いてるもんね。男性の未来、IS事業の発展、日本政府、それらに掛かる莫大な金。そんなものを何の覚悟もなく背負わされたら、怖くて身動き取れなくなるよ。
些細な行動ひとつで世界情勢を左右しちゃうんだもん。大統領が核発射スイッチ携帯してるようなものだものね。同情しちゃう」
「じゃあ、もう少し気を使ってくれませんかね」
「却下」
見惚れるくらい良い笑顔だった。でも、扇子に「残念」と書いてあったからイラッとしただけだった。
女性を殴りたいと思ったのは初めてだ。
「あ……」
「……」
「?」
後ろから声がして、振り向くと、四組の日本代表候補生がいた。
眼鏡に空色の髪。俯きがちな顔は忙しなくおれと会長、そして廊下を行き来している。
名前は……何だっけ? 学年別トーナメントで戦ったくらいしか面識がないから、挨拶するべきかも迷う。
「……?」
代表候補生の顔を見て感じた猛烈な違和感に、おれは会長に視線を戻した。
扇子で口元を隠し、目は斜め上を向いていた。――が、似ている。眼鏡と表情の差異で印象は真逆だが、髪色といい、輪郭といい、顔立ちまで似通っていた。
まさか、姉妹か?
「……っ」
おれが、会長が姉キャラとか似合わないなとか思っていると、候補生は、苦虫を噛み潰したかのような表情で大股で横を通りすぎていった。
似ているが、性格が大きく異なるのは察せた。ついでにスタイルも。二人が並んだときの胸の大きさは、先進国と発展途上国くらいの絶望的な格差があった。
「もしかして、妹さんですか?」
「ん……」
語調が弱く、歯切れも悪い。姉妹間の仲でも悪いのか。
この人、かなり奔放だから何か妹さんの逆鱗に触れるようなことをしたのかな。
本人も触れて欲しくない話題ようだったので、おれも話題を終わらせようとしたが、
「ねえ、榛名くん。もし政府に私と結婚するように言われたら結婚してくれる?」
「は?」
唐突に会長の口から放たれた爆弾がデカすぎて、全身が硬直した。意味が飲み込めず、理解しようとしても頭が働かなかった。
結婚って……人生の墓場だっけ?
「だから、結婚」
「おれはまだ十五歳だから法的に無理なんで考えたこともなかったというか、結婚すると個人としての人生の終わりなんで考えたくもなかったていうか……」
「そうだよね……私みたいな女、普通は嫌だよね……」
「なに言ってるんですか!? 人をからかうのやめてくださいよ本当に!」
表情が陰り、しおらしくも嫋やかな所作は女みたい……いや、女だった。
「からかってないよ。これは本当。……ISの日本代表候補生で、家もそれなりの格式があったから、ウチの妹がキミのお見合い相手に選ばれたの。でも、あの子に縛られた人生なんて送って貰いたくなかったから、私が代わりに引き受けた。今まであまり姉らしいことをしてやれなかったから、それくらいは、って」
眩暈がした。目の前が真っ白に染まる。マジか。いつかは来ると判ってたけど……もうか。会長がおれの部屋に来たのも、もしかするとそれが原因?
気が早くないか? そんなに待てないのか? おれの遺伝子を引き継いだ子が欲しいなら、人工授精って手もあるのに……って。
「いやいや、会長はロシアの代表じゃないですか。おれが入り婿になるしかないんで、会長とは無理ですって」
「私は自由国籍が認められてるから、結婚が決まったら日本国籍に戻すよ。専用機も、そのときにはお役御免になってるだろうし……家とISなら、家の方が大事だもん」
足が震えてきた。IS学園を出たら即、結婚かよ。そこまで自由ないのか。覚悟はしてたけど、もう人生計画の半分は決まっちゃってるのか。
会長のような美人が嫁になるのは、男なら諸手を上げて歓迎するだろうが……如何せん、おれなら一ヶ月で離婚する自信がある。
仮面夫婦になりそうな気がするな、とか子どもさえ作れば政府は何も言わないとか打算的な思いが頭を駆け巡っていたときだった。
目の前に会長の笑顔があった。
「なーんて、ウ・ソ★」
「……は?」
人を喰った最高の笑みだった。ちょんと鼻先を突かれ、我にかえる。
一杯食わされた。
「ぷぷっ、榛名くんったら本気にしちゃってー。おねーさんとの新婚生活を想像してトリップしちゃったのかな?
今度は本当に裸エプロンしてあげようか?」
「……」
女性を殴りたいと思ったのは二度目だった。なまじ美人なだけに本気で怒れない自分が恨めしい。
美人は得って、たいていの不興を買う行いも愛嬌として済んでしまうところではないか。
おれはプルプルと震えて、怒りに耐えた。会長はおれの頬を突っつきながら言った。
「榛名くん、別にお見合いって言ったって必ず結婚しなくちゃならないってワケじゃないのよー? 気に食わないならお断りすればいいんだから。
まあ、先方の面子とか世間体とかあるでしょうけど、大事なのは自分のことでしょ? 自分を犠牲にする必要なんてないの」
「……妙にリアルティあるウソつかないでくださいよ。本気にしたじゃないですか」
「あは。でも、キミが私と結婚することになっても断らないことはわかったわ」
政府から打診されたら、が抜けていた。
おれは逆に聞き返した。
「会長はおれとそうなったらどうするんですか?」
「昔は恋愛結婚なんてなかったからね。諦めるんじゃない? 恋愛小説的には、キミを好きになろうとするか、他の男と不倫して駆け落ちか心中かなー」
「相手はたぶん一夏ですね」
「ふふ、私が榛名くんを好きになるパターンはないんだね」
自嘲するように微笑んだ。可能性がゼロなことを仮定に入れてはいけないだろう。
「会長だって、おれが会長にメロメロになってるの想像できないでしょう? その逆もまた然りですよ」
「えー。私は自信あるけどなー。榛名くんを骨抜きにするの」
会長が舌なめずりをして、流し目でおれを見つめた。思わず腰が引ける。
そういやハニートラップの可能性あったっけ。
「んふっ。榛名くんも私を骨抜きにできるよう頑張ってね」
「頑張りません」
踵を返す会長を見送りながら、また帰ったら共同生活が始めるのかと思うと、自然と肩が落ちた。
日に日に処理する抜け毛が増えているような気がする。おれが一緒にいて安らげる人物って誰だろう。
一夏とラウラ?
「あ、榛名!」
「おー。早いね、シャルロット」
おれの姿をみとめると、シャルロットはパタパタとスリッパを鳴らして駆け寄ってきた。浴衣の裾が引っかからないか不安になる。
一夏なら、ここでシャルロットが転んだのを抱き留めて、不可抗力で胸か、お尻を触るのだろう。
おれにはそういう嬉しいハプニングが起こった試しがなく、案の定シャルロットは何事もなく眼前で立ち止まった。
「榛名がいつまでも帰って来ないから……その、気になって」
「ひょっとして、ずっとおれの部屋にいたの?」
おずおずとシャルロットは首肯した。心配性が過ぎるな、このコは。
「何で帰って来なかったの? 織斑先生と何かしてたの?」
「酒に付き合わされただけだから。シャルロットが想像してたようなことは一切なかったよ」
「ぼ、僕はエッチなことなんて考えてないってば!」
否定するシャルロットを、おれは黙殺した。思慮していなければ問い詰めようなんて思わない筈だもの。
「シャルロットたちは何してたの? 一夏も朝まで帰って来なかったみたいだけど」
「みんな思い思いに遊んでたよ。セシリアたちは一夏と絡んで、のほほんさんたちはカードゲームしたりしてたかな。会長はラウラをイジってた」
「そう……」
語るシャルロットのホクホク顔から、助けないで傍観してたのが容易に想像できた。サドの気質があるのだろうか。
ありそうだ。いや、ある。
シャルロットの強かな一面を思い出し、同室のラウラに同情していると、シャルロットが口ごもった。ぼそぼそと言う。
「のほほんさんって言えば……あの、その……」
「アダ名のこと?」
「そうだよ! 何で可愛いアダ名つけてもらってるの!? いつ仲良くなったの? ねえ!」
詰め寄ってくるシャルロットに肝が冷えた。単純に怖い。余裕がなくなってるのか。
「むぎゅ」
おれは間近に迫ったシャルロットの両頬を引っ張って一息ついた。柔らかく、きめ細やかな肌の感触が心地よくて、つい指が踊る。
喋られないようにするつもりでの咄嗟の行動だったのだが、意外な発見をしてしまった。
「はふは!」
「ごめん」
紫水晶の双眸に咎められて、パッと手を放す。さっきよりも怒らせてしまったようだ。
とりあえず距離は離せたからいいか。
「なに考えてるの!? 僕のほっぺはオモチじゃないよ!?」
「だからごめんってば」
頬を膨らませて激高するシャルロットにあざといな、と思う。ないと信じているが、狙ってやってるなら魔性の女だろう。
「えと、のほほんさんは誰にでもアダ名つけてるでしょ? シャルロットにも。だから他意はないよ」
たぶん。
「泊まったのは……?」
「シャルロットとラウラが喧嘩してたから」
「うっ……」
自覚はあったのか、シャルロットが閉口した。おれって毎回理不尽な理由で責められてる気がする。
仕事の付き合いでキャバクラ寄った帰りに香水の匂いで難詰される夫の気分だ。誰とも付き合ったことないのになぁ。
「どうしたの、シャルロット。最近、情緒不安定だよね?」
ひょっとして生理? そんなわけないか。
心の中で戯けた。シャルロットは目を伏せて、
「……榛名が」
「ん?」
「何だか、遠くに行っちゃったような気がして」
「……」
言葉に詰まった。胸に空いた風穴から不穏な空気が吹き抜けたような、言いようのない感情が鬱積した。
まだ引っ越して数日しか経ってないが、ラウラの母宣言とか会長、襲来とか目まぐるしい毎日だったからな。
シャルロットが来日してから一ヶ月も一緒にいたおれと離れたことで、ホームシックに似た心境に陥っているのかもしれない。
お互い、帰る場所がないから。
「あー……」
「……」
何と言えばいいか、逡巡してしまう。依存されているのは、間違いないと思う。
シャルロットは女の子だから、支えになるものが欲しい。ラウラがおれに懐いてくるのと同じで――いや、それ以上に母親の愛情を知っているから飢えている。
でも、おれがいつまでも一緒にいられるわけじゃない。
「あの、さ。シャルロットも、おれになんてかまけてないで、もっと周りを見た方がいいと思うんだ。シャルロットくらいの器量よしなら、もっと良い男もいるだろうし」
言葉を選びながら、諭すように言う。自惚れているつもりはないが、そう聞こえても仕方ない内容だ。
だが、早い内に言っておかなければならないことでもある。
シャルロットの将来は限られているが、それでも選択肢は複数ある。対して、おれの未来は一本道で、そこにおれの意志はない。
傷は浅い方がいい。取り返しの付かなくなる前に終わらせるべきだ。
シャルロットは、おれの言わんとする事を感じ取ったのか、それとも感情に流されたのか、不快そうに眉をひそめた。
「何でそんなこと言うの? 僕、榛名が誰かに劣ってるとか考えたこともないよ?」
重かった。訴えかける声も眼差しも。後ろ暗い思いが胸に満ちる。
おれがシャルロットにしたことは、きっと、おれ以外の誰でも『そうする』ことで、おれである必要なんてなかった。
一夏は当然として、あるいはラウラですらも、この学校の誰でもシャルロットの境遇を知れば、おれと同じように引き止めて新たな道を促した筈だ。
この学校は変人が多いが、善人ばかりだ。性別を偽っていたシャルロットを、発覚後も何の蟠りもなく受け入れてくれた人たちだから、必ずそうなっていた確信がある。
おれでなくても良かったんだ。むしろ、おれでない方が。
黙ったままのおれの浴衣の袖を掴んで、シャルロットが続けた。
「榛名……僕、榛名についていくよ。誰かに言われたとかじゃなくて、これは僕の意志。
あの時の僕に手を差し伸べてくれた榛名だから、一緒にいたいんだよ。でも、迷惑になったらいつでも言ってね。
嫌われるのだけは、嫌だから」
振り払えた手を、おれはそうしなかった。
嫌われるのが嫌なのは、おれも同じだった。
気まずい空気は、その後もしばらく続いたが、会長に追われるラウラが助けを求めに来たことで払拭された。
やっぱり似合わないよね、シリアスってさ。そうは思わない?
●
各種装備運用試験が始まったが、おれはすこぶる暇だった。暇を持て余していた。
おれの専用機、『紫雲』には弄る隙も装備を追加する容量もないので、新装備なんか送られてきていないのだ。
セシリアさん、シャルロット、ラウラ、鈴音さん、会長は忙しそうだが、おれと一夏は暇で暇で仕方なかった。
なにもしないで日に焼かれるのも躊躇われるので、装備がひときわ多いラウラを手伝っていた。
シャルロットとふたりきりになるのは、今朝の一件から気まずい。一夏は篠ノ之束博士に話しかけられていたので、近寄れない。
その篠ノ之博士は、先ほど篠ノ之さんに専用機を気軽にプレゼントして、変人ぶりをおれたちにアピールしてくれた。
おかしくね? 専用機だよ、専用機。IS委員会に国家の保有台数が制限されてるISを妹にプレゼントだよ。所属どうすんだよ。つーか、IS余ってたのかよ。
専用機持ちのおれでも依怙贔屓を通り越した狂気を感じずにはいられなかった。
製作者にとっては、核より強い兵器もおもちゃ同然なのだろうか。
おれが戦慄していると、その篠ノ之博士が無邪気な笑みを浮かべながらぴょこぴょこと近づいてきた。
「やっほー。昨日ぶりだねえ、はるちゃん!」
「こ、こんにちは……」
兎のモノマネなのか。手のひらを頭の上で動かして挨拶する、篠ノ之束博士(24)。
堅物の篠ノ之さんとは似ても似つかない。というより、この人が近寄ると、注目が集まるから困る。
「うんうん、挨拶は大事だよねー。私ははるちゃんたち以外にはしないけど。さっそくだけど、はるちゃんのISも束さんが見てあげるよ。出して出してー」
「は、はあ……」
困惑しながらも、待機状態のISを展開させる。身に纏わない『紫雲』は、相変わらずデザインだけは荘厳だ。外観だけは。
軌道調整を担う紫色の機械翼、空中での安定感を生み出す若草色の尻尾、索敵・感覚強化のセンサー、武器も精密動作をする機会もないのに何故かついているマニュピレータ、各動作を迅速化するブーストと、スペックだけ見れば現行ISで最高クラスなのに、なぜこうも弱いのか。
機動性重視してるぶん、防御性能も最低クラスで、一夏とかち合った瞬間にシールドエネルギーなくなるんだけど。
武器が貧弱すぎて決定打ないから逃げまわってるうちに追い詰められて負けるんだけど。
「あちゃー。こんなの付けてたら、そこらの武装ヘリの方が戦力として三倍はマシだよね。近年稀に見る糞機体だね、これ」
「あのー、それ一応、日本の最新機体なんですけど」
人間離れした指の動きでデータを解析してゆく篠ノ之博士が、にべもなく悪態をつく。
まあ、装備が爪とガトリング砲だけだから、言いたいことは判る。愛着はあるが、否定されても反駁する気も起きない。
「あー。この記録装置が無駄に容量を食ってるんだ。馬鹿だねー。束さんにもわからないのに、こんな程度の低い装置で解析できるわけないだろ」
「そうなんですか?」
開発者でもなぜ男が乗れるか判ってないのか。てっきりおれは、一夏が開発者の知り合いだと知った時点で、特定の男は搭乗できるように設計したと勘ぐっていたのだが。
篠ノ之博士はおれの問いに満面の笑顔で頷くと、
「うん。だっからー。これはボーンしちゃいまーす。ポチッとな」
「は?」
電子キーを叩き、ボーン! とかいう冗談みたいな音が聞こえた。何が起きたのかと思い確認すると、記録装置が消去されていた。
「ちょおおおおおお! な、なななな、なにしてくれるんですか!」
「なにって、邪魔だったから」
邪魔って、そんな理由で解析データを破壊するなんて……!
「いやいやいやいや! おれ、このデータを夏休みに政府に提出しなきゃいけないんですよ!? 貴重な男性の搭乗記録だからって念を押されてたのに、どうしてくれるんですか! どうすればいいんですか!?」
「大丈夫だよ~。絶対に解明なんてできないし、ダミーのデータは用意してあげるから。ダイジョーブだって、ヘーキヘーキ安心しなよ」
しれっと答える篠ノ之博士。本当に大丈夫なのかよ。バレたらおれの立場が危うくなるんじゃないか。
「ふふ、ついでに色々改造してあげよう。束さんにかかればお茶の子さいさいだよ。パパパッとやって、終わり!」
不安だ。が、口を挟む間もなく作業は終わってしまう。手際の良さは常軌を逸していて、天才の名声に虚飾ないことをまざまざと見せつけられた。
いや、本当に任せて大丈夫なのか。
「はい、終了~。やー、我ながら自分の才能に惚れ惚れするね。そうは思わない、はるちゃん?」
「はあ……」
自画自賛する篠ノ之博士。どう答えればいいんだ。
顔を引き攣らせていると、間近で覗きこまれた。反射的に仰け反る。昨日の焼き直しだ。
「んー? なんだかはるちゃん他人行儀。久しぶりに会ったからって、別に遠慮しなくていいのにー」
「あの、久しぶりも何も……おれ、篠ノ之博士とは昨日が初対面じゃ」
「えー!? ひどいはるちゃん! 私のこと忘れちゃったのー?」
恐る恐る頷く。すると篠ノ之博士は大仰に嘆いた。
「ひどーい。私ははるちゃんのことを忘れたことなんて刹那もなかったのにー」
「……本当に会ったことあるんですか?」
「本当だよ! はるちゃんのことは、初めてはるちゃんを見た時間と場所、初めて交わした会話の内容からはるちゃんの表情から背景の木々の葉っぱの枚数までぜ~んぶ色褪せることなく記憶してるよー」
――なんだか怖くなってきたぞ。
背中に嫌な汗が流れる。篠ノ之博士は腕を広げて、芝居がかった仕草と語調で言った。
「はるちゃんを初めて見たのは、十一年前の三月二四日の午後三時五二分四秒だったよ。近くの公園で友達と仲良く遊んでるはるちゃんを見たのが最初。そのときは何とも思わなかったっていうか眼中にもなかったんだけど、二日後にまた見かけちゃって。その時は一人だったんだよね。私が公園で考え事してたのにメソメソ泣き始めたから、イライラして「うるさい」って怒鳴っちゃったんだ。普通の子どもだったら、大きい人に怒鳴られたりしたらもっと泣き喚くのに、はるちゃんは何て言ったと思う? 『お姉ちゃんはキレイだね』って言ったんだよ? 束さんは嬉しかったなー。私にそういうこと言うゲスな男はいたけど、下心なしで私を褒めてくれる人はいなかったから。運命だよね。運命だよ。はるちゃんもそう思わない? それでそれで、束さんとはるちゃんの蜜月が始まってね。知ってた? はるちゃんと私が出会ったのはいっくんよりも早かったんだよ? ふふ、箒ちゃんもちーちゃんもいっくんも実はみんな近所に住んでたのに、はるちゃんと接点があったのは束さんだけなんだ。あ、ちーちゃんはたぶん憶えてるよね? なんと驚愕の事実! あのときの子どもがはるちゃんなのでしたー。えへへ、びっくりした? びっくりした?」
「あの、もういいです」
背骨に氷柱が突き立てられたようだった。
幼児性健忘でおれが一方的に忘れているのは確からしい。だが、そこまで詳細に語られると、狂気さえも感じてくる。
おれが三、四歳くらいの時? 憶えてるわけがない。というか、十年以上前の会った子どもがおれだって良く判ったな。
「はるちゃんのことは何だって知ってるよ? 好きな食べ物は羊羹で好きな色は白、好きな作家は志賀直哉。好きなバンドはQueen。血液型はAB型で身長175cm64kg。家族構成は両親と三人暮らしだった。中学生の頃はサッカー部で全国大会出場! 性格は内気で実は年上の女の人に弱い。初恋の人は私だよね? もちろん憶えてるよ、嬉しいな」
「あの」
「あ、そういえば、はるちゃんは昔、女の子になりたがってたよね? 今ならなれるけど、どうする?」
「だ、ダメです!」
「束さん、なにを考えてるんだ! そんなのダメだ!」
おれがマジモノのストーカーの恐怖に怯えていると、シャルロットと一夏が間に入った。
周囲も聞き耳を立てていたらしく、皆、おれと篠ノ之博士の関係性について話し合っていた。
おれが聞きたい。なんなんだ、この人。
「なんだよ、また金髪かよ。いっくんも、もう少し空気読んで欲しいな。これは束さんとはるちゃんの八年越しの感動の再会なんだよ。誰にも邪魔されたくないの。ここまで漕ぎ着けるのにどれだけ苦労したか――」
「空気を読むのはお前だ」
露骨に嫌悪感を顕にする篠ノ之博士の頭を、織斑先生が力任せに殴りつけた。
「いったーい! ちーちゃん乱暴! でも、そこが愛なのかなと束さんは深読みしてみたり」
「黙れ。奇行もいい加減にしろ。幼気な生徒をお前の都合に巻き込むな」
「えー。ちーちゃん横暴! ちーちゃんだって昨日はるちゃんと何してたのさ」
「なぜお前にプライベートを話さなければならない」
「へえ、プライベートだったんだ」
「……何が言いたい?」
「べっつにー? ちーちゃんは欲張りだなって思っただけ」
……この不穏な空気はなんだ。織斑先生から発せられる緊迫した空気で、緊張感が半端ない。
しばらくして、山田先生が火急の事態とか言い出して、全員の即時避難と自室待機が言い渡され、専用機持ち全員が呼び出された。
なんなのこの空気。いつぞやと同じ嫌な予感がひしひしとするんだけど。
●
「出撃するのは――紅椿、白式、そして紫雲だ」
無慈悲な結論が、短い会議で下された。
アメリカ・イスラエル共同開発の軍用IS『銀の福音』が暴走。それに何故か教官ではなく、専用機持ちが対処することになった。
絶対に管轄が違うだろ、と言いたかった。元々、ISは全て競技用に開発されたものである筈で、建前に過ぎなかったとしても軍用に開発されたISと、競技用に過ぎないおれたちのISは用途も実用性も大幅に差がある。
ぶっちゃけ、乗り手の技術も性能も話にならない。撃墜に駆り出されることになったのは、先ほど専用機をもらったばかりの篠ノ之さんと、燃費最悪な白式と一夏、そして機動性だけが取り柄のおれ。
それに軍人、軍用のISに立ち向かえって、立案する時間がないにしろ、無謀にも程がある。
事態も発想も突飛すぎてついていけないし、下手したら、これ死ぬじゃん。なんなんだよ。
「うんうん。紅椿と紫雲、現行最速の機体でいっくんをサポートして、零落白夜で堕とす。完璧な作戦だね」
呑気に作戦概要を繰り返す篠ノ之博士に怒りがこみ上げる。どこが完璧なんだ。乗り手の技術と精神性無視してないか。
他の専用機持ちはともかく、おれたち日本人はみんな普通の一般人だったんだぞ。
有人機に本気で攻撃できると思ってるのか? 軍用ISの戦略兵器に対処できると本気で思ってるのか?
震えてきた。なんなんだよ。最近のおれの処遇、おかしくないか。おれ、つい半年前まで普通の中学生だったのに、何で本気の殺し合いに出陣しなきゃならなくなってるんだ?
「榛名……大丈夫?」
シャルロットが声をかけてくれた。他の皆は、軍事演習などを経験しているからか、余裕があり、平静を保っている。
一夏も妙に落ち着いているし、篠ノ之さんに至っては専用機を試せる喜びからか浮かれている。
つくづく高校生離れした人たちだ。こうなると、おれの場違い感が顕著になる。
「大丈夫……じゃないかも」
「拒否することもできるけどね。というか、私としては辞退して欲しいな。作戦に私が選ばれなかった以上、キミを護れなくなるし」
会長は当初、自分が出ると主張していたが、束さんの反論に止む無く退いた。
護衛の会長がいないおれは、付け焼刃の格闘技術を持ってる高校生に過ぎない。今度は人間ではなく、ISと殺し合いだ。
いつ死んでもおかしくない。普通なら辞退するのが賢明だ。政府も止めるだろう。
が――こんな時に、日本の何処かにいる両親の姿が脳裏に浮かぶ。
今、どこで何をしているのだろうか。住所も名前も別人になった二人とは、もう会えないし、どこにいるかも判らない。
もしかしたらこの近くにいるかもしれない。だとしたら、暴走したISの脅威に晒される可能性も、ゼロではない。失敗すれば、その確率も上がる。
おれは腹を括った。特に好きだったわけではない。よその家庭と比べても恵まれていると感じたこともなかったが、育ててくれた十五年間の思い出は捨て切れない。
ここに来てからも、度々恋しくなった。そのくらいには好きだったし、肉親だったんだ。
恩返しにもならないが、見捨てるような真似をするほど不義に育てられてもいなかった。
恨むよ、父さん、母さん……
「……辞退は、しませんよ。女の子も出るのに、男が引きこもってるわけにはいかないでしょう」
強がって笑って見せた。いいんじゃないかな。偶には柄にはないことをしても。
格好つかないし、足は震えてダサいこと極まりないけどさ。
●
出撃直前の待機時間。おれと一夏と篠ノ之さんの三人は、砂浜で僅かの猶予を過ごしていた。
まだ正午にもなっていない。透き通る紺青の空は、昨日と同じように肌を焼いた。
父母の住む場所とも、この空は繋がっている。そう思えば発奮せずにはいられなかった。
それでも、緊張のしすぎで吐き気がする。気を紛らわすべく、一夏に話しかけた。
「なあ、一夏。平気か?」
「ああ、俺はな。榛名は……本当に大丈夫か? 顔色真っ青だぞ」
「情けない。男なら堂々としていろ」
一夏に心配され、篠ノ之さんに叱責される。自分でも憔悴しているのが判る。傍目には見られたものじゃないんだろう。
最後にひとつだけ聞いておきたいことがあって、ISを展開してオープンチャネルで質問した。
「一夏、今回は無人機相手じゃない有人機での実戦だ。相手もおれたちも、どうなるか判らない。覚悟はできてるか?」
「……ああ、もちろんさ。死ぬ覚悟くらいできてる」
「物騒なことを言うな。私たちがいれば、できないことなんて何もない。そうだろう?」
何となく、その『私たち』の中におれが含まれていないことは薄々と判っていた。
別にそこに不満があるわけじゃない。篠ノ之さんの中には一夏しかいなくて、一夏が彼女の鎹(かすがい)になっていることは知っている。
本来なら一夏と二人きりで出撃したかったんだろう。おれが出るように篠ノ之博士が提案した時も難色を示していた。
しかし、その浮かれようが気にかかる。一夏もだ。
だが、時間がない。出撃の時間は、残酷にもあっという間に訪れた。
白式を乗せて上昇する紅椿の加速は、なるほど、第四世代というだけのことはあった。
白式という負荷を物ともしない超加速は次元の違いを見せつけられた。天才って凄いね。
目標の銀の福音は、何処と無くだが、おれの紫雲に似ているように見えた。翼とか。あっちは覆面ライダーみたいなデザインをしてたが。
突貫する紅椿と白式。白式の仕様から短期決戦の方が良い。早いうちに決めないとこっちが不利になる。
しかし、初太刀は、冗談みたいな変則機動で紙一重で回避された。
……ああ、なんてこった。あれ、完全におれの上位互換機だ。
「クソッ!」
一夏が遮二無二突っ込む。だが、その切り返しの一瞬の隙をついて展開するスラスター内の砲口。
そこから発射される無数の光弾が一夏を襲った。広範囲殲滅戦仕様の機動性重視IS。桁違いだ。
スペック上では紅椿と紫雲の方が機動性は上とか、丸め込まれた。機動性なんて、圧倒的な火力の前では飾りにしかならない。
「三面攻撃だ! 金剛、ボサッとするな!」
篠ノ之さんの怒声に我に返る。絶望している暇なんてない。やらなきゃ、マジで死ぬ。
幸か不幸か、機動性では紫雲だけが福音に対抗できた。二人の攻撃は掠りもしないが、おれの攻撃は命中する。……鳩の豆鉄砲程度の威力にしかならないが。
だが、牽制にはなる。おれは篠ノ之さんと息を合わせ、残り少ない一夏のエネルギー総量でトドメを刺せるように福音を追い込んでゆく。
機は、砲弾発射後の硬直。回転するような独特な動きの直後におれの爪と篠ノ之さんの双剣で一時的に拘束する。
回避はできる。一人ではどうにもならないが、紅椿のスペックなら――
「今だ!」
おれと篠ノ之さんが一夏に呼びかけた。しかし……一夏はあろうことか、真下に向かい、光弾を打ち払った。
密航船――を、守るために……!?
思考が白濁し、千載一遇の好機を逃したことに暗澹とした感情がわだかまった。二人の口論も聞こえない。
状況は絶望的だ。白式、紅椿両機のエネルギーが切れ、主要機体の行動停止に伴い、作戦継続は不可能。
残っているのは、おれだけ――
「くっそぉぉおおおお!」
具現維持限界に達した赤椿を庇う一夏。二人を襲う光弾の間に割って入り、おれが代わりに被弾した。
左翼損傷……おれの紫雲もダメージを負った。
もう二人は戦えない。だが、暴走状態の福音は無防備な二人に追い打ちをかけてくるだろう。なら――
「……一夏」
「榛名?」
深呼吸をした。もう、どうでもよくなった。だから、最期に言いたいことだけ言わせてもらおう。
「一夏はさっき、死ぬ覚悟はできてるって言ったよな? おれ、言いそびれたけど、そんな覚悟はして欲しくなかった。相手を殺す覚悟をして欲しかった。
みんな、お前が大事なんだ。あの密漁船だって見捨てろって思った。篠ノ之さんもそう思うだろ? 犯罪者なんかより、一夏に生き残って欲しいに決まってる。おれも、篠ノ之さんも、織斑先生も、IS学園のみんなも、誰も、お前に犠牲になって欲しくないんだよ」
「お、お前までなに言ってんだよ! さっきはああするしか――」
「分かってるよ。反射的に体が動いたんだろ? お前がそういう奴だってことは、よく分かってるよ」
だから――
「だから、お前も今からおれがすることに文句言うな。おれも友達が見捨てられないから、体が勝手に動くんだ」
「……榛名、お前、なに言って――」
返事を待たず、福音に突貫した。オープンチャネル通して一夏と篠ノ之さんの声が聞こえる。
知るか。自分から好き勝手やっておいて、おれを止める権利も資格もあるわけないだろ。
無数の光弾が青空を背景に星のように煌めく。視界を埋め尽くす勢いで飛来するそれを、足首のブーストを噴射させ、宙返りすることで躱し、福音の背後に回り込んだ。
機動性なら紫雲の方が紙一重で上。トリッキーな動きなら負けない。
おれは間断なく背後から福音を羽交い絞めにした。藻掻く福音に爪を深く食い込ませ、意地でも離れない。
初めておれを脅威と見なしたのか、福音の翼が自分を包み込むように展開し、自分諸共に攻撃し始めた。
「ぐあっ……!」
局所的な爆発の熱と衝撃に呻く。反撃とばかりに喉元に爪を突き刺し、ガトリング砲を弾数が尽きるまで撃ち続ける。それでも、福音は墜ちない。
「……」
おれは、もう一度息を吐いた。極度の緊張も恐怖も、もうない。
開き直ったおれは無敵だ。怖いものなんて何もない。そうだろう?
「おい! なにやってんだよ榛名! 早く離脱しろ!」
一夏の怒声が聞こえた。福音の歌声のような起動音とともに次弾が迫ってきてるのに、何で聞こえるんだか。
「まだ退避が完了してないんだろ? ならおとなしくしてろよ」
「バッ――お前はどうするんだよ!」
一夏の悲痛な声。だが、おれはそれに答えない。
これは、おれのささやかな反逆だ。初めから全員で出撃しろよとか、教員が出ればよかったのにとか、優しすぎる一夏とか、その他もろもろ。
周囲に流されて生きてきたおれがする、最初で最後の反抗だ。
父さんにも母さんにも禄に孝行できないまま別れることになったんだ。これくらいの恩返しくらいはさせろ。
「……おい! 返事をしろよ、榛名!」
「じゃあな、一夏。シャルロットとラウラに謝っておいてくれ。クラスのみんなにも。ついでに会長にも馬鹿野郎って」
おれは篠ノ之博士さんが改造した装備を発動させた。何を持って付けさせたのか判らない、新機能。
シールドエネルギーを爆発させて推進力を得る。ひたすら機動性を突き詰めた紫雲に相応しいとか言ってたこの機能を、福音と密着した手首と肘、膝のブーストから全力で開放する。
全エネルギーを注ぎ込んでの盛大なゼロ距離大爆発だ。この直撃をくらえば、流石の福音とて機能停止する。もちろん、爆発の起点となるおれも機体も無事では済まない。
でも――ISの所為で狂わされた人生だ。死んでいるも同然の人生だし、いま死んでも大して変わらないだろ?
「榛名!」
変換されたエネルギーが爆発を起こす直前、誰かの叫び声が聞こえた。
――本音を言えば、やっぱり怖い。でも、これでいいと思う。
直接別れを言うと――顔を見ると、決心が揺らぐ。
『――』
極光の中で、耳慣れない声を聞いた気がした。そういや、お前もだっけ。ごめんな……
ああ、死ぬ前に一度でいいから、キスしたかったな――
●
「榛名ァァアアアア!」
エネルギーを失い、落下するしかない一夏と箒。その視線の先では、紅蓮の大火が咲き、彼の親友が空に散っていった。
太陽と見紛う光が収束して引き起こした大爆発は、余波が大波を発生させ、峻烈な熱風が広範囲に渡って吹き荒んだ。
榛名の最後の言葉が脳裏によみがえる。
『だから、お前も今からおれがすることに文句言うな。おれも友達が見捨てられないから、体が勝手に動くんだ』
『じゃあな、一夏。シャルロットとラウラに謝っておいてくれ。クラスのみんなにも。ついでに会長にも馬鹿野郎って』
(俺の所為なのか……?)
使えて一回の零落白夜を、福音の光弾から密航船を守るために使い、窮地に追い込まれた。
好機を逸し、絶体絶命の二人を護るために犠牲となった榛名。だが、福音を倒すことを優先していれば、密航船の人々を犠牲にしていた。
『一夏はさっき、死ぬ覚悟はできてるって言ったよな? おれ、言いそびれたけど、そんな覚悟はして欲しくなかった。相手を殺す覚悟をして欲しかった。
みんな、お前が大事なんだ。あの密漁船だって見捨てろって思った。篠ノ之さんもそう思うだろ? 犯罪者なんかより、一夏に生き残って欲しいに決まってる。おれも、篠ノ之さんも、織斑先生も、IS学園のみんなも、誰も、お前に犠牲になって欲しくないんだよ』
「俺だって、お前に犠牲になって欲しくなんか――!」
口に仕掛けて、自分に榛名を責める資格がないことに気づく。あの状況では誰かが犠牲になる他なかった。
どうでもいい他人のために自分が犠牲になるか、他人を犠牲にするかしか道はなかったのだ。
一夏は前者を選んで、榛名なら後者を選んだ。状況が変わって、榛名は親友のために自分を犠牲にした。
結果のみを見れば、一夏は他人のために二人を巻き添えにし、榛名がその尻拭いをして犠牲となった。
不甲斐ないのは誰なのか。
強力な専用機を得て慢心し、浮かれていた箒にも同様の思いがあった。
一夏に叱責され、戦場にいながら戦意喪失した。結果として、榛名は戦えなくなった二人を護るために身を差し出す他なかったのだ。
「――榛名は!?」
紅炎が薄れ、視界が晴れてゆく。宙空に制止した銀の福音が、ゆっくりと落下してゆく最中だった。
紫雲の姿はない。爆風で遠くに飛ばされたのか。
「ふたりとも、怪我はない!?」
落下する二人を鈴が抱きとめた。見れば、他の専用機持ちも近くまで来ていた。
セシリアが福音のパイロットを確保し、全員がまだ見ぬ榛名の姿を探そうと躍起になる。
「榛名は……榛名はどこ!?」
「コア・ネットワークに繋いで! 海に落ちた可能性が高いわ! 紫雲のコアが破損していたら特定できないから、全員海面を捜索して!」
半ば恐慌状態のシャルロットと、的確に指示を出す楯無。
最悪、榛名の五体が不完全になっている可能性は口にしなかった。
鈴が二人を陸地に下ろし、皆が榛名の捜索に全力を注ぐのを、二人は見ていることしかできなかった。
榛名の言葉が途切れることなく、繰り返し胸を打った。
●
――引き上げられた榛名は、息をしていなかった。
ラウラが海流に流されていた榛名を発見し、砂浜に運んだ。
生気のない青白い顔。外傷は奇跡的に見られなかったが、心臓は既に止まっていた。
「そん、な……」
シャルロットが膝をつき、呆然と呟いた。滂沱と止めどなく流れ落ちる涙が砂を濡らす。
目を伏せる鈴とセシリア。何が起こったのか、未だに理解できていないラウラと一夏、箒は立ち尽くすしかできなかった。
楯無は自らの無力さを悔やむ。噛んだ唇から血が滴る。強がる榛名を引っ叩いてでも止めるべきだった。
簡単な任務だとうそぶく束の言葉に乗せられるべきではなかった。
「なんでだよ……なんでこうなるんだ……!」
「私の所為だ……私が増長しなければ、こんなことには……」
己の無力を嘆く二人をシャルロットが睨んだ。
「なんで……なんであんな人達のことを救けたの!? 一夏は榛名や箒よりも他人の方が大事なの!?」
「そんなわけないだろッ!」
「結果を見れば同じじゃない! 榛名は二人を護って、一人だけ犠牲になった!
どうして、どうして……逃げなかったの……榛名の、ばかぁ……!」
行き場の怒りをぶつけられて、一夏は何も言えなくなった。ずっと、そのことばかり考えていたのだ。
榛名に縋りつくシャルロットの悲愴な泣き顔に、言い返すことができなかった。
「候補生と持て囃され、図に乗っていた自分が愚かしくて情けなくなりますわ。国家の代表候補が出撃機会すら与えられない中、ただの学生に過ぎなかった榛名さんが勇敢に戦い、目標を無力化し全員を守りぬいた。男性が弱いと考えていた過去の自分を呪いたくなります」
「自分がどういう立場にあるか判ってないから、気安くああいう行動が取れるのよ。悲しむ人がたくさんいることも知ってたら、あんな行動、普通取らないわよ。……明日から、どういう顔して学校行けばいいのよ」
「母は、なぜ目を開けないのだ? 私が見つけたんだ……ちゃんと見つけ出して、助けたことを褒めてもらいたかったのに……」
「ラウラちゃん……」
この場にいる全員が、夢であって欲しいと願った。
対立し合ってもおかしくない全員が仲違いを起こさないでいられたのは、振り回されながらも、気配りを忘れず中立でいてくれた榛名の存在が大きかった。
どんな無茶にも、しょうがないで済ましてくれる榛名に甘えていた面もあるだろう。
その死を悼む者、信じられない者、受け入れられない者、悔やむ者。
榛名の亡骸を中心に集まった専用機持ちの中に、息せき切った千冬が割り込むや否や、悄然と怒鳴りつけた。
「なにをしている馬鹿者どもがッ! 心肺蘇生法はどうした!?」
その言葉に全員が現実に帰った。親しい者の死が強烈すぎて、完全に頭から抜け落ちていた。
「呼吸停止してから時間は浅い。何のために訓練してきたと思っている! まだ間に合う、金剛を助けたくば早くやれ!」
叱咤され、全員の視線が榛名の唇に向けられた。緊急事態だ。普通なら気にするのも失礼だが、全員がキスの経験もない初心な生娘だった。
一夏を想う箒、セシリア、鈴は自然と除外され、率先して自分から動こうとしたラウラを楯無が引き止めた。
榛名の近くにいたシャルロットが、決意を固めて、掌をかたく握りしめる。
(僕は、榛名に助けてもらった。だから、今度は僕が榛名を助ける番だよね)
シャルロットの唇が、榛名のそれに届こうとした、その時だった。
「なにモタモタしてるんだよ!」
「うわあ!?」
シャルロットを押しのけ、一夏が榛名の横に座った。
「いま助けるからな、榛名――!」
一夏の懇親の想いとともに、一夏の唇と榛名の唇が合わさった。
『――』
全員の時が固まった。正しくは、一夏以外の時間が。
全員、口が「あ」と発声したままの状態で固まり、完全な無音状態となった。
響くのは、一夏の呼吸と波の音だけ。
そして、一夏の万感の想いが実を結んだのか。榛名が水を吐いた。
「は、榛名が息を吹き返したぞ! 待ってろ、榛名……!」
再び唇を合わせる一夏。もう、榛名が助かるかも、なんて誰も意識していなかった。
二回、三回、四回と嬉々として一夏が人工呼吸を繰り返す。
繰り返すが、全員が完全に固まっていた。
泣こうが喚こうが、二人のファーストキスどころかセカンド、サードすらも帰ってこない事実だけが残った。
●
息苦しくて目が醒めた。肺が膨らんでない? 鼻摘まれてない? 顔に当たる吐息が生温かくて気持ち悪い。
気のせいか……いや、気のせいじゃなくて、唇も塞がれてないかな?
というか、おれ生きてるの? 何で?
おれは恐る恐る目を開けた。
――目の前に目を瞑る一夏の顔があって、心臓が止まるかと思った。
「む”ーッ! む”ーッ!むぐぐぐ――!!!!!!」
「あ……よかった。生き返ったんだな、榛名!」
いや、いやいやいやいや、さっきまで死んでたことより、キスされていたことの方が衝撃的で死にそうなんだけど。
おれは不意に唇を手の甲で拭った。一夏のものと思われる唾液が付着していた。
マジか……いや、助けてもらったことには感謝しなきゃいけないんだろうが、なんか後味悪いというか、あんな別れ方したから、生きてたら格好つかないというか、気恥ずかしいというか。
ファーストキスだったんだがなあ……男だからノーカンか?
「……あれ? どうしたんだよ、みんな。榛名が生き返ったってのに」
一夏の言葉に周りを見渡してみると、専用機持ちや教員の方々が勢揃いしていた。
皆が皆、固まったまま微動だにしない。なにが起こっているの?
「しゃ、シャルロット?」
傍で蹲ってフルフルと震えていたシャルロットに声をかけたが、反応がない。
嫌な予感がする。
「――そ、」
「そ?」
同じく震えていた鈴音さんが発した声を一夏が復唱する。次の瞬間、吠えた。
「そこはアンタじゃないでしょうがぁぁあああ!」
「そうですわ! 一刻を争う状態ではありましたが、そこはシャルロットさんに譲るべきでしょう!」
「なぜお前がするのだ! 百歩譲ったとして、なぜ何回もした? 心臓マッサージもしろ! キスばかりするな!」
「え? え?」
ゆらりと、幽鬼の如くシャルロットが立ち上がった。
起き上がった顔は、頭から突っ込んだのか砂まみれだった。
「ゴメン……一夏。僕、もう許せないよ……」
「な、なんか知らんが、に、逃げるぞ榛名!」
「はあ!? ま、待ておれは病み上がりならぬ死に上がりで」
「フン!」
何かお姫様抱っこされた。逃げる一夏を四人が追いかけてくる。
「殺す!」「生かしておけませんわ!」「もう許せん! 乙女の敵め!」「榛名を返せ! 榛名の純潔を返してよ!」
「なんだか判らぬが、母が無事でよかった」
「うーん……めでたしめでたし?」
「織斑先生! 織斑先生! しっかりしてください!」
……終わり?
あとがき
ハヽ/::::ヽ.ヘ===ァ
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♪ /:::::\ト ,_ し′_ ィ::/::|
((. ( つ ヽ、
〉 と/ ) )) ♪
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>「物騒なことを言うな。私たちがいれば、できないことなんて何もない。そうだろう?」
;ハヽ/::::ヽ.ヘ===ァ
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;>:´:::::::::::::::::::`ヽ;
;γ:::::::::::::::::し::::::::ヽ; …ぐッ!
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;∧::::ト “ ,rェェェ “ ノ:::/;
;/:::::\ト ,_|,r-r-| ィ::/::| ; ……まだンゴンゴするのは早い…ッ!
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Ll i i l矢───┴‐┴─-、三z厂 :
>二人は幸せなキスをして終了
ハヽ/::::ヽ.ヘ===ァ
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>:´:::::::::::::::::::::::`ヽ、
γ::::ノ(::::::::::::::::::::::::ヽ
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