首都での事件以降、考え込むことが多くなったキャロ。悩みの対象はもっぱらルーテシアに言われたことである。
六課に来てから度々感じさせられていた違和感が彼女にはある。ぬるま湯のような優しさに溢れたこの場所にキャロは馴染むことが出来なかったのだ。身内で固められた六課での日々は、これまで過ごしてきた殺伐とした日々とはあまりにもかけ離れたものだった。それでもその違和感を表出させることなくやって来たのだが、一度形として自覚してしまうと今度はかなりのストレスとして圧し掛かってくる。
真の意味で心を開ける相手はブルーアイズのみの彼女は誰にも相談することが出来ず、鬱屈した気持ちを蓄積させていく。息を抜く機会でもあれば話は違ったのかもしれないが訓練と出動は続き、時は八月。
機動六課で最強なのは誰か? ふとしたことで話題にのぼり六課全体に広まった騒動は、『自分より強い相手に勝つためには、相手よりも強くなければならない』という命題の真偽にフォワード陣が答えを出すことで一旦の終結を見た。
——だがキャロだけはその答えに満足しなかった。
勝利するためには相手よりも優れている点で戦うことが肝要である、それは彼女とて分かっている。だがこれはあくまで戦いの心得に過ぎず、最強を誰と決めるものではない。穿った見方をすれば、論点をずらすことで答えをはぐらかしているとも言えてしまうのだ。
力とは己が生き抜くためにたった一つ信じられるものであり、敵を叩き潰し己の絶対領域を守るために与えられた武器、彼女はそう考えている。常に敵を叩き潰せないのであればそれは不足、絶対の力たりえないのだ。
戦えば戦う程に勝敗は付き、全ては条件次第で変化する……力量が拮抗している者同士であるならばそれもいいだろう。だが“そんな段階”にある限り、決して最強などと呼べはしない。雑魚ごときでは触れることすら許されぬ、誇り高き獅子、それこそが絶対強者として最強を名乗ることを許されるのだ。
故に、『最強は時と場合による』という答えをよしとしている隊長陣はキャロのライバルにはなり得ない。誰が来ようとも、どのような状況だろうとも覆し、全力で粉砕する。苦難の数々をそうして乗り越えてきたのだから。
それを証明するかのようにキャロは隊長陣との模擬戦に単独で挑んだ。リミッターが掛かっているのは共に同じ、であれば勝負を分けるのは慢心の有無、気構えの有無、そして地力の強さだ。
模擬戦の実施回数は二回、既にシグナムとヴィータを屠った。隊の雰囲気は当然悪くなるが、キャロは態度を改めはしない。仲間の説得は何の意味も持たず、三回目の模擬戦日がやって来る。
キャロにとってなのはは以前の模擬戦で引き分けたため優先度が低く、また総隊長のはやてが出張る訳にもいかない。故に今日は、フェイトとの模擬戦だった。
陽光は眩しく空は快晴、だが心情は真逆の観客達を前にブルーアイズに跨ったキャロは対戦者を待ちわびていた。廃棄都市フィールドの中で既に待機しているのだが、当の相手が来ていないのだ。
「今日もまた同じだ……俺は敗北者どもの屍を築きあげ、天に輝く栄光を手にする」
そう一人ごちるとフィールド外にいるシグナムとヴィータを見下ろし、鼻で笑う。敗者として指を咥えて見ているがいい、とその目が語っていた。
その視線に殺気立つ二人の副隊長にもキャロは動じない。今はフェイトのことしか頭にない、興味がない。
「キャロ……」
そうして漸く姿を現したフェイトの表情は何とも形容しがたいものだった。彼女自身、キャロに何を言えばいいのか分かっていないのだ。
上官として叱責すればいいのか、保護責任者として寄り添えばいいのか。かつて強さを切望した者として共感すればいいのか、先達として戒めればいいのか。
このままではいけないと思いつつも、どうすればいいのか答えが出ない。当然だ、どう感じているのかも、どうしたいのかも決まっていないのだから。そうして流されるままにこの時を迎えてしまったのだ。
「……貴様とのデュエルは心が騒ぐ」
一方のキャロはこの状況に対して何ら胸につかえるものがない。当然だ、この状況は彼女が望んだことなのだから。それこそ何年も前、フェイトに引き取られた頃から。
「構えろ。腑抜けた状態で戦いに挑むことは許さん」
「キャロ、止めようこんなこと。こんな戦いには何の意味もない!」
「それは貴様にとってだ。俺にとっては大きな意味が存在する」
一人倒せばそれだけ最強に近づける。フェイトの懇願を切って捨てブルーアイズを駆るキャロ。デバイスは発動待機状態であり、いつでも魔法を放てる状態になっている。
「くっ……」
「行くぞ、滅びのバーストストリームッ!」
フェイトが飛び立つのに合わせてブレスを叩き込むブルーアイズ。飛行軌道をずらして難なく回避されるが、そんなことは分かっているとばかりに攻撃を繰り出していく。
フェイトの持ち味はスピードと高い空戦適性だ。小回りの利かないブルーアイズでは本格的な空中戦を挑んでも上手く行かず、上下左右に死角を突かれて撃墜されるのが関の山である。それゆえブルーアイズは飛び回らず、フェイトの隙を突いてブレスを放つ戦法を採っていた。
(同じ轍を二度は踏まぬ……そうして既に二人を片付けたのだ)
以前のなのはとの模擬戦で勝負を決定付けたのは、ブルーアイズの体力だった。あれから更に力を増しており百を超える砲撃を放つことも可能だが、限界があることには変わりない。そして闇雲に百発撃ったところでフェイトには当たらない。
『Haken Saber!』
「甘いぞ!」
だからこそキャロは自分でも魔法を使う。直射撃を、誘導弾を、空間設置型バインドを使ってブルーアイズの攻撃を通す。シールドを、バリアを、フィールドを使ってフェイトからの攻撃を防ぐ。全ては勝利せんがために。
「誘導弾っ? くっ、バルディッシュ!」
『Sonic Move!』
「ふん、よく逃げる。だがいつまで続くかな?」
戦いが始まってから、フィールドには強いAMFが張られている。魔法生物である竜は魔力結合阻害に対する耐性が人間よりも強い。当然キャロは強い影響を受けることになるが、高速で飛び回らなければならず湯水のように魔力を消費せざるを得ないフェイトと比べれば雲泥の差だった。
十、二十と積み重なる攻防の最中、ふとキャロは口を開いた。
「分かるか、俺が何故貴様との戦いに執着したか?」
「分からない、分からないよ!」
迫るブレスをギリギリで回避しながら答えるフェイト。問答をしながらもキャロは攻撃の手を止めない。
「貴様は過去の象徴なのだ。それを粉砕することが俺の未来を輝かしいものにする……」
「未来? あなたには過去だって、今だってあるでしょう!?」
その言葉に歯噛みし、更に攻撃を苛烈にするキャロ。
「俺の過去には憎しみと怒りしか存在しない……貴様の下らん幻想などとは違うのだ!」
幼少の頃に身一つで里を追い出され。
竜の棲む危険地帯をブルーアイズとともに生き抜き。
街に降りてからは狭苦しい施設暮らしを強いられ。
局員となってからは醜い感情と休む間もない危険任務を押し付けられた。
悪意と謀略が渦巻く世界で全ての害悪を跳ね除け続け、生きてきた。
それが終わったのはフェイトに引き取られたときだ。退役してから勉強を始め、ソリッドビジョンシステムを開発し特許を得て莫大な財産を築いた。彼女は過去を打ち倒したのだ。
ここにいるのはかつて里を追放されたときの弱い子供ではない。大企業の社長として君臨する強者である。
腕を振り上げ声を張り上げる。憎しみよ天に届けと、怒りよ皆に届けと。
「俺は全てを憎んでいた……俺を追放した村の者達を、俺を恐れ蔑み遠ざけた部隊の者達を!」
「キャロ……」
「貴様は俺が弱かったことの象徴なのだ。俺はこの場で忌まわしい過去と共に貴様を葬り去る……覚悟を決めるがいい!」
魔法陣が広がり、膨大な魔力がブルーアイズへと流れ込んでいく。何をしようとしているのか気付いたフェイトは体に走る怖気を止められなかった。
「この反応は……っ!」
「見るがいい、そして慄くがいい! 来い、我が究極の力、アルティメットよ!」
光に包まれながら変容していくブルーアイズ。やがてその姿を、ブルーアイズ・アルティメットドラゴンとしての姿を現した。
三本に首を増やした白竜が放つプレッシャーは三倍どころではない。ただ目の前にいるだけで跪くことを強要するだけの威圧に、直接対峙していない観客でさえもその威圧感に顔を青くしている。
「究極竜……これがその姿」
「俺は未来にしか興味はない、過去など踏みつけるために存在する。俺にとって過去の記憶など、朽ち果てた石ころほどの意味もないのだ!」
「どうして、どうしてこんなことに!?」
「貴様が俺を拾った時から決まっていた。言うなればこれは、時を越えた宿命のデュエル!」
断言するキャロに、しかしフェイトはかぶりを振った。戦うためだけに出会ったなど悲しすぎる。こんな結末を望んだ訳ではない。
「……ねえ、キャロ?」
究極竜を呼んでからいつの間にか止まっていた攻撃にフェイトも中空で足を止めた。じっとキャロを見つめ、話しかける。想いを伝えるために。
思い出されるのは引き取った頃の刺々しさが段々と抜け、ほんの僅かずつでも明るさが戻っていったキャロの顔。
「私は……キャロと出会って過ごした過去が、大事」
「言った筈だ、俺は未来にしか興味はないと」
思い出されるのは自分やエリオ、ティアナやなのはに向けてくれた強い眼差しと、そこに隠れた思いやり。
「あなたの不器用な優しさと傷付きやすさを、私は知っている」
今に興味がないのなら、ふとした優しさなど見せる筈がない。エリオに、ティアナに優しさを見せてしまったのは、彼女が今を大事に思っている証だ。
「憎しみと怒りこそが俺にパワーを与えてきた、全てを支配する力をな」
「あなたに力があるから手を伸ばしたんじゃない。あなたに笑って欲しかったから、私達は出会ったんだ」
その言葉にぐらつくものを感じながらも、キャロは会話を終了させた。迷いぐらつくことこそが弱いことの証であると、今こそ弱さを打ち倒す時であると信じて。
「何をほざこうがこの攻撃で、勝利は俺にもたらされる!」
話を終わらせたのは、それ以上続けたくなかったから。ならばまだ、手遅れではない。
チャージを始めるブルーアイズを見てかぶりを振り、バルディッシュを構えた。まだ、まだ時間は残っている。
「……切り札の存在は分かってた。キャロが渡り歩いた部隊の報告書を全部読んだから。その対策も……ある」
(奴は俺のアルティメットを読んでいたというのか……?)
「全く、楽しませてくれる奴だな」
何をみせてくれるのか。期待したキャロだが、フェイトが口にしたのは全く別のことだった。
「キャロ、アルザスがああなってしまったのはあなたのせいじゃない」
「……なに?」
「小さかったあなたが責任を感じる必要はないし、ましてや罪悪感で自分を傷つける必要なんてもっとない」
「何を言っている」
突然始められた話に付いていけず困惑するキャロ。だが止めるわけにはいかない。彼女がしっかりと聞いてくれるチャンスなど今をおいて他にないのだから。
キャロの問いかけに応えることなく、フェイトは言葉を続ける。吐露してくれたお陰でやっと推し量ることの出来た彼女の内心を、心の闇を、露わにしていく。
「お金を稼いでルシエの人達を見返そうと思ったんだよね? 自分はこんなに必要とされるべき存在なんだって、里の人達に」
「っ……そんなことは」
一瞬言葉につまるキャロを見て確信するフェイト。引き取られてから勉学に励むキャロには鬼気迫るものがあった。その理由を当時は教えてもらえなかったが、今ならば分かる。
この世で人間の有用性を示すために一番効率的なのはお金だ。都市に出てアルザスとの違いに圧倒された少女が、人間の欲望を叶えるその手段に飛びついたのは自然なことだった。
寝食も惜しんで専門書を読み漁り、フェイトのツテを頼って当時のシミュレーターを見学し、技術協力の名目で研究をさせてもらい、遂にはソリッドビジョンを完成させたのだ。
「でもいざ特許をとってアルザスに帰った時、そこには誰もいなかった。キャロが出て行ったことで真竜の加護を失ったルシエの人達は、とっくに居なくなってしまっていた」
凍りつくキャロ。その顔からは表情が失われ蒼白になっていた。
アルザス最強の竜、ヴォルテール。彼が直々に加護を与えたキャロは、いわば神の選んだ巫女である。その彼女を人間の都合で排斥することは当然、竜達の逆鱗に触れた。
キャロが姿を消して間もなく、ルシエの民は竜を使役できなくなった。心通わせてきた相手に牙を剥かれた結果、ものの数日で部族の全員が死に絶えた。一人の例外もなく。
それをキャロが知ったのはずっと後になってからだった。自分を追放した者達を見返そうと戻った彼女が目にしたのは、竜達に破壊され廃墟と化した里の姿。アルザスは制御を失い完全な野生となった竜達が跋扈する地になっていたのだ。
キャロはブルーアイズとともに全てのドラゴンを殺し尽くした。焼き、貫き、切り裂き、抉り、悉くを屍に変えていった。そうしてヴォルテールをも屠って、アルザスは草一つ生えない土地になってしまった。
それでも、心の喪失感は埋まらなかった。復讐の対象が勝手にいなくなってしまったのだから。その原因に自分も関わっていたのだから。
その時のことだ、キャロに一つの魔法が備わったのは。ルシエの民が死に絶え、アルザスの竜を殺し尽くした先で、彼女は手に掛けたあらゆる竜魂を操り降霊する技術を見につけた。
The Fang of Critias、クリティウスの牙。ヴォルテールをも超える神竜クリティウスを殺したことで得た、竜召喚部族としての奥義にして禁忌。
強大な力は呪いのように彼女を苛んだ。里の皆を、隣人たる竜を、帰るべき故郷を全て失って手にしたソレは自分の罪を見せ付けてくる。お前のせいで、皆が不幸になったのだ、と。
キャロは逃げて、逃げて、逃げられず……一人ぼっちになった。
「それでもキャロは皆との絆を忘れないように、無くさないようにしたかったんだよね? だからキャロの会社の名前は」
——“ルシエ”コーポレーションというのだ、と。
「黙れぇぇっ!!」
激昂するキャロ。長年の仇を睨みつけ、憎悪を叩きつける。
それでも猶、フェイトが恐れることはなかった。ただ、彼女がそんな目をしていることがどうしようもなく悲しかった。
「俺は貴様を倒し全ての頂点に立つ、その時が来たのだっ!」
絶叫するキャロ。残った魔力の全てをブルーアイズに注ぎ込み、何重にも強化を施した。目の前の存在を消し去ることでしか進めないのだと。
「あなたの怒り、憎しみ、全て粉砕するために……貫け、轟雷!」
フェイトはカートリッジを三発ロードし、眼前に魔法陣を呼び出す。持ちうる最大威力の砲撃を放つため、全てを終わらせるため、左手に持ったスフィアを叩き付けた。
「トライデント・スマッシャー!」
「喰らえ、アルティメットバーストォッ!!」
ブルーアイズもまた三本の首からブレスを撃ち放つ。一発ですらオーバーS、単純に三倍に増えたその威力は、熱量はただびとに抗いうるものではない。
事実、衝突した雷砲とブレスは拮抗することもない。雷は押され、周囲を破壊し尽くしながら境界はフェイトの方へと近づいていく。
飲みこみ押し潰そうとするブレスを強めようと、更に魔力を送り込むキャロ。より勢いを増したブレスは雷を散らし、もはやフェイトの数メートル前まで迫っていた。
「勝った……っ」
「まだだよ……まだ私の手札は残っている! バルディッシュ!」
『Thunder Fall!』
バルディッシュから放たれたスフィアがフィールドの上空に飛び立ったかと思うと暗雲がたちこめ、黒く渦を巻き始める。並列で準備していた儀式魔法、サンダーフォールだ。
降り注ぐ雷が次々とブルーアイズへと突き立ち、そのエネルギーを削り取っていく。そして一際大きな雷鳴が響き、補助で動けないキャロへと轟雷が直撃した。
「がっ、ぐ、あああああああああああああああああああああっ!!」
バリアジャケットの防御機構など紙とばかりに貫き襲いかかる衝撃に、キャロの意識が白く染まる。体外に逃がそうにもここは空中、逃げ場など存在しない。
轟雷を受けたのはブルーアイズも同じだ。キャロからの支援を失い勢いを失ったブレスは逆に散らされ、その体へと雷砲が直撃する。
スパークする視界と、混濁していく意識。何とか繋ぎとめていた意地も、絶対の信頼を置いていたブルーアイズの敗北で折れてしまった。
「俺が……私が、負けるなんて……ッ、私が負ける筈がない。だって」
勝手に漏れ出していく涙も、封印した昔の言葉遣いも、熱量の大きさにすぐさま蒸発する。それでも流れることを止めることはできない。
「負けたら、すべてが……全部が嘘になっちゃうよぉ……」
見返してやると、強くなると誓ったことも。悪意に耐え苦しみ抜いたことも。里の皆に申し訳なくて、でも贖う方法が見付からないことも。
「そんなの、イヤだ、イヤだよぉっ!」
真っ白に漂白される。体も、心も、憎しみも、悲しみも。全てが真っ白に染められていく。
ようやく止む雷。力を失い墜落していくキャロを、寸での所でフェイトが抱き上げた。
「ごめんねキャロ……もっと早くに気付いてあげられなくて、ごめん……」
ぽたり、ぽたりとキャロを濡らしていく雫。戦いに勝者はおらず、等しく打ちのめされていた。
だがそれでも。
(憎しみの果てにあるのは虚しさだけ。憎しみに打ち克って、キャロ)
真剣にぶつかりあったことだけは無駄じゃない、否、無駄にしない。透明な表情で眠るキャロを固く抱きながら、フェイトは誓うのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
次回、『過去』