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No.36710の一覧
[0] Eismeer(ストライクウィッチーズ、女オリ、逆行)[かくさん](2014/08/18 23:41)
[1] 0  1940年 プロローグ[かくさん](2014/03/06 19:29)
[2] 1  1939年 バルト海 氷の海01[かくさん](2014/02/27 22:54)
[3] 2  1939年 バルト海 氷の海02[かくさん](2014/02/27 22:53)
[4] 3  1939年 バルト海 氷の海03[かくさん](2014/03/02 21:35)
[5] 4  1939年 バルト海 氷の海04[かくさん](2014/02/07 23:11)
[6] 5  1939年 バルト海 氷の海05[かくさん](2013/10/31 14:02)
[7] 6  1939年 バルト海 氷の海06[かくさん](2013/11/15 03:17)
[8] 7  1939年 バルト海 氷の海07[かくさん](2014/03/08 20:18)
[9] 8  1940年 バルト海 氷の海08[かくさん](2014/03/04 01:27)
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[36710] 7  1939年 バルト海 氷の海07
Name: かくさん◆b134c9e5 ID:82b7ca1d 前を表示する / 次を表示する
Date: 2014/03/08 20:18
重苦しいエンジンの音が聞こえる、まるで猛犬の唸り声だ。顔にまとわりついて滞留する空気、風の音は嫌と言うほど聞こえるのにその流れを感じない。狭い、足を開くほどの余裕もないそこは一人乗りの航空機の中、息苦しい操縦席だった。不規則に右へ左へと揺れ動く計器の針と、視界のほぼ全域に広がる涙滴型の風防は戦闘機のものだ。
手には操縦桿が握られ、機体は水平飛行を続けている。
ふと、疑問に思う。
たしか、私はストライカーユニットを駆っていたはずではなかったか。
外に目を向けながら考えてみるが、クリアな視界とは裏腹に、頭の中に靄がかかったように結論まで行きつかない。思い出せそうで思い出せないのは少し不愉快だ。指先で頬をかき、首を傾げる。
少しして、やはりダメだと考えることを放棄した。本気で頭を働かせても出てこないなら、何をやっても無駄なのだ。そのうち何かわかるだろう、と私は気を取り直して正面に視線を合わせた。
どうしてか、目が細まる。
忙しない計器の動きと、空気を切って回るプロペラ、機首に掻き分けられていく薄い雲。何もかも懐かしいとすら感じた。
不思議と、久しぶりだ、などと思ってしまうと途端に飛行機の操縦が心地いいものに思えてきた。窮屈で自由の効かない操縦席の中なのに、まるで揺りかごようだ。操縦桿を握ったまま、静かに目を閉じる。
そのままどれくらいの時間が経っただろうか、突然に通信機がやかましい雑音を垂れ流し始めた。
邪魔をされた。
今まで続いていた上機嫌に影が差し始める。雑音は断続的に不快感を携えて鼓膜を揺らす。何度も、何度もだ。
だが、しばらくイラつきながらも聞き耳を立てていると、段々と雑音に混じって違う音が聞こえていることに気がつく。これは誰かの声ではないか、と。途切れ途切れに何かを叫んでいるのだ。
胸騒ぎがする。吐き気を催す不快感が胸の中に溢れかえった。段々と明確さを帯びてくる通信機からの声。鬼気迫る様子が少しずつ伝わってくる。

『……死……に動……く!』

違う、胸騒ぎの理由はそんなことじゃない。私はこの声を誰よりも知っているのだ。
理解したくない、だが間違えようがない。

『こんな……い、命令を聞い……れてもいいだろう!』

これは、誰でもない、私自身の声だ。
気持ちが悪い、何の冗談だろうか。何故こんなものが聞こえてくる。今度こそ喉元までせり上がってきた吐き気を無理に飲みこんだ。
嫌な予感がした。ここにいてはいけない。
しかし、半ば本能的に機体を旋回させようとして、操縦席に縫いとめられたように、身体が硬直する。

「……嘘だろう」

茫然自失として呟くと、先程は存在しなかったはずの巨大な壁が、風防の側面一杯に広がっていた。
いつからそこにあったのだ、そんなことを考えている余裕もない。
腹に響く重低音を撒き散らしながら空に浮かぶ巨大な壁。言葉にならない圧力が絶え間なく私の身体を締め付ける。厚い装甲に覆われた翼が伸び、空気を切り裂くのではなく強引に押しのけながら進む姿に目が釘付けになる。針のように突き出た突起は一目で数えただけでも十を超えていた、それらが全て機銃砲座である。
ディオミディア級超大型爆撃機だ。
禍々しく、本能に恐怖を植え付ける絶望その物のような化け物が目の前にいる。

『動け、動けよ! 少尉! なあ!』

通信機からの『私』の声に呼応するかのように、無数の銃座が私の機体へと向けられる。
血の気が引き、体温がゼロになったのではと思わせる悪寒が身体を包み込んだ

「死にたくない」

ただその言葉だけが漏れる。
願いは聞き届けられるはずもなかった。
言葉が終わると同時に機銃の掃射が始まる。銃火の閃光が見え、次いで不快な射撃音、装甲板が断裂する音、風防が砕ける音、それらが一斉に押し寄せてくる。

『チクショウ……!』

苦しげな『私』の声が微かに聞こえ、ついに意識は暗転した。

















叫び声をあげながら瞼を開く。
私は死んだ? いや、生きているのか?
小刻みに震える身体と激しい呼吸音を認識する。明確に感じとれる衣服の感触、自分の身体はここにある。視界はぼやけているが、少なくとも心臓の鼓動と共に私は生きているということを知覚し、安堵した。
何だ、ただの夢じゃないか、いつも通りの悪い夢だ。今の私は戦闘機のパイロットではなく、ウィッチなのだ。
乾いた笑い声を漏らす。私はまだ死んでいない。

『何をしている、離脱したはずだろう!』

だが、また突然に聞こえた声によって、私はもう一度悪夢に引きずり込まれる。
横隔膜が痙攣して息をのみ込んだ。この声も聞いたことがあった、死の間際、最後に聞いたウィッチの声だった。
しだいに目のピントが合って、視界が鮮明になってくる。目の前にあるのは、殴りつけられひしゃげた計器と固く操縦桿を握り締める私の両手。
そんな、悪い夢はもう終わったのではなかったのか。
焦燥に駆られながら操縦桿から手を離そうとするが、まるで溶接され磔にされたかのように微動だにしない。呼吸が荒くなる。風防越しの正面には、巨大な壁が立ちはだかる。
あの化け物、ディオミディアだ。まだ私を苦しめようというのか、一体何度この醜悪な機械に殺されなければならない。
ひとりでに、私の機体は針路をディオミディアへと向けた。
これから何が起こるか、もうわかってしまった。

『死ぬ……? エールラー中尉、まさか!』

苦しげなウィッチの声。
そうだ、私は彼女に死ぬ前に一仕事させてほしいと言ったんだ。
でも違う。

「違う……死にたくない」

さきと同じ呟きが漏れる。

「いやだ……私は、私は……もう」

自分の意志とは関係無しに、機体はその身を限界まで加速させる。逃がしはしないと私に言葉無く伝えているようだ、最早回避行動も間に合わない。
死ぬのだ、私は。
絶望が心を染める、もう助からない、だけど、それでもせめて救いの手を。
すがるように頭上に拡がる空を見た。最期のあの時、天使のように見えた一人のウィッチに目を向ける。
ああ、でもダメだ。
そこには誰もいなかった、狭すぎる風防に切り取られた空だけだ見えるだけ。夢の中ですら、私には救いなど無いとでもいうように。
手を伸ばすこともできない、誰に看取られることもなく、何もできず、全てが終わった。


























「エールラー、顔色が悪い」

泥のような思考の海から、私を掬いあげるフレデリカの声。
地面を這わせていた視線を持ち上げ遥か先まで続く滑走路を見渡し、アイドリング状態のストライカーが発する振動を感じ取る。燃料補給、整備、各種準備も全て完了している、今まさに離陸前なのだという状況であった。
そんな中で突然に体調不良の兆しありと告げられ、短く言葉を吟味して答える。

「気のせいだろう、私はいつも通りだ」

動きに乏しい瞳が私を真っ直ぐに見つめてきた。
苦笑して返事をすると、フレデリカはじっと私の顔を観察して、そう、とだけ言って正面を向く。見た目でわかる変化があれば、さらに何か言ってきたのだろうか。顔色だけで心の内を察してしまえそうな雰囲気が彼女にはある、今はそれが少し怖い。
納得がいかないのだろう、いまだにチラチラとこちらをうかがっている。私は、つとめて笑みを返した。

「無理しちゃだめだよ姉さん、いっつも私にそう言ってくれてるんだから」
「具合がよくないならすぐ言わないと、心配こそすれ誰も文句なんか言いませんよ?」

会話とも言えない、ごく短いやりとりだったが、後ろにいたテオとライネルトにはしっかりと聞こえていたらしい。
二人から贈られた気づかいの言葉は嬉しい、それでも私は手を振って問題ないと返す。
嘘は言っていないのだ。別に風邪をひいた訳でもないし身体はいたって健康、今すぐ検査を受けても満点で通れる自信がある。
健康だとも、そう、身体は。いや、そんなこと、今はどうでもいい。もうすぐ飛び立つのだ、忘れてしまおう。
余計なことを頭から押しのけるために、滑走路の進路上に意識を集中させる。
どこか、心が濁るのを感じた。

やがて、管制官から離陸の許可が下りた。
ストライカーのエンジン音と、無線の感度に最終チェックをかけ、ベーア隊長の訓示に耳を傾ける。

「準備はできたな? スオムスからリバウまで、いつも通りの帰り道だ。積み荷も降ろしたんだし一安心って気持ちもわかるが気を抜くな、空飛ぶガラクタ共はいつ、どこで、どのくらい湧いて出てくるかもわからん。油断大敵」
「ヤー……ホント、似合わないわよねぇ」
「けっ、うるせえや」

ベーア隊長とフライターク中尉のやり取りに、全員、笑い声を交えながら返事する。
離陸直前はいつもこう、軽口を言い合う二人の声を聞きながら空を飛ぶ体勢に移るのがこの中隊のやり方だった。
上官達が飛び立つと、その後ろからは我々部下がひな鳥のように続く。しつこく進路の安全を確認し、私もようやっと滑走を開始した。冷気に屈することなく力強く加速していくストライカーユニットはすぐに我々を大空へと招き入れた。
出力は上げたままにしておき、すぐさま角度をつけて上昇にうつる。吹雪が近いらしく今日の空は少し風が強い、当然のことながら遮蔽物が存在しないため、それなりの横風に煽られることとなる。意識して重心を調節することで身体を制御、あまりふらついて僚機と後続の邪魔になってしまうのはごめんだ。
経験豊富な三人は慣れたもので、危なげなく上昇を終え、早々に水平飛行へと体勢を変えた。
私も強風の元で離着陸を行った経験は無い訳でもない。戦闘機は出来得る限りコンパクトに設計されているとはいえ言うまでもなく車などよりも図体がでかい、風の影響を受けるには十分すぎる。それに比べれば、少女一人分の空間しか占有しないウィッチの離陸はまだ楽な方だ。着陸の場合でも、失敗したところで上手く調節できれば何かに衝突しても目を回すだけですむ、失敗に上手く調節と言うのもおかしな話だが。
さて、私の後ろでは最後に離陸した二人が続いていた。新米だ何だと言われながらも、体勢を崩すことなく昇ってくる彼女らの姿に小さく安堵する。テオは緊張がほぐれてくれば案外器用だし、ライネルトは大抵のことならそつなくこなして見せる。今までの素行と雰囲気では想像しにくいものだが、彼女らも段々と戦えるようになってきているのだろう。


しばらく飛行を続けると、先行していた輸送機が見えてきた。
ベーア隊長がハンドサインと通信で命令を飛ばし、読みとった隊員が各々の編隊で輸送機に並ぶ。ロッテが三つ、私は中隊の四番機として三番機のフレデリカと組んだ。
今回の飛行は輸送を終え、スオムスからの復路である。荷を置いても鈍速なJu52に合わせると自然と巡航速度はゆっくりとしたものになる、リバウまでは少々時間がかかりそうだった。正直、今日ばかりは早く帰って寝てしまいたい。あまり長いと考えることも増えてくる、よくないことまで思い出してしまいそうだ。
現在の私のロッテではフレデリカが前で、私が斜め後方を担当していた。上官二人は前方、新米二人とは距離がある。誰も私の姿を見ている者はいない。
ふと、離陸直後から気になっていたことがあって、それを確かめたくなった。
一度誰の目も私に向いていないことを確認、利き手をMG34から離して、顔の前まで持ってくる。
そして、暗い感情のこもった溜め息が漏れ出した。手が弱々しく、小刻みに震えているのだ。忌々しいとすら思う症状に、自分の手を睨みつけ力ずくで打ち消すよう、思い切り銃身を握り締めた。
最近になって、あの坂本達、扶桑海軍との模擬戦を終えた日からだ、私はたびたび悪夢にうなされることがあった。
死に際の記憶をそのまま思いだすよりも、さらに悪辣だと感じる酷い夢。涙を流しながら死にたくない、ともがき、最期は結局運命を変えられずに破局を迎える。
手が震えるようになったのは、それを初めて見た時からであった。まったくもって、不愉快極まりない。
無意識のうちに銃身を握る手に力が入った。



と、胸の中で鬱々とした感情が醸成され始めた時だ。
そんな気分を吹き飛ばす声が聞こえた。

「ねえエールラー、聞いてるの?」

フライターク中尉だ。
胃の中が撹拌されるような不快感はそのままだったが、自然と意識はそちらに向く。私はすぐに答えようとして、言に詰まってしまう。フライターク中尉の言葉を理解して、答えようとしたのだが、自分が何も聞いていなかったことをいやがおうにも自覚させられた。

「申し訳ありません副隊長、何のことでしょうか?」
「あらら、ホントに聞いてなかったんだ。ちょっと以外かも、あんまりぼーっとしてないでね?」

顔が火照るのがわかる。
何ともまあ、迂闊にも程度があるだろう。任務中に余計なことを考え、集中力を散漫にしたあげく、上官にそのことを気どられたのだ。入隊したての当時ですらやらかさないような失敗だった。フライターク中尉が対して怒りを抱いていないというのが救いか。本気で起こっているなら、普段ベーア隊長と怒鳴り声の応酬をしているように、痛くなる程の大音量を耳に叩きつけられていただろう。
通信機から聞こえるのはフライターク中尉の言葉に皆が同意する声だ。部隊の初出撃の時もそうだったが、巡航中の雑談に興じていたのだろう。この部隊はなかなかに縛りがゆるい、ウィッチの部隊は基本的に十代の少女で構成されるのだから、そう珍しいことでもないのだが。
とは言え、今までの会話の中身がわからなければ、輪に加わることができない。よく内容が理解できずにいると、ライネルトから助け船が出された。

「テオちゃんのストライカーについて話していたんですよ、ほら、少しだけ特殊じゃないですか」

せっかく差しのべられた手だ、ここは素直に受け入れるのが正解である。
なるほどと頷き、少し姿勢を調節しながらテオの方へ目を向けた。今まで一緒に飛んでいたのだから、気付いていないということはないが、テオのストライカーはBf-109とは違う形状をしている。
初めて見たときの印象は、重そうな機体、というものであった。スマートな胴体部分はBf-109と似通った設計思想を感じさせるが、主翼には補助翼もついていて全体的に一回り以上大きく見える。人間が直接装着するのが大前提にあるストライカーの中では、大型の部類に入る機体だ。名を、Bf-110という。

「私のBf-110って、変ですか……?」

自分の機体に、特殊と言う評価をつけられたテオはおそるおそるという風に聞く。
隊員達の返事は無言か、うーんと唸るかのどちらか。不安げな質問に呼応しているかのような反応である。

「いい機体だけどさ、私らの仕事にゃ合わないんじゃないか? Bf-109に比べると重いし小回り利かないしってな。少なくとも私はやめとく、向いてないよ」
「後ろに回り込まれるとまず振り切れない、私も遠慮する」

初めに反応したのは東部戦線で実際の挙動を見ているであろうベーア隊長とフレデリカ。二人の評価ともBf-110に対して辛口であった。
性能自体は高い水準にあると言っていいのだが、およそ格闘戦を行うには向かない機体であった。Bf-110という機体は制空用ストライカー特有の軽快さと、およそ対極の位置にいると言ってもいい性能なのである。
もとの開発計画からして航続距離を重視しているため、燃料の積載重量と機体の大きさの関係で挙動が重たい。エンジンを全開にしてもすぐには加速を得られず、旋回性能もあまり良いとは言えないだろう。
その代りにBf-109よりも積載と航続距離に優れ、圧倒的な火力を敵に叩きつけることができるのが利点だ。
それを活かすために、昼間の制空戦闘への投入に見切りをつけ、現在は地上攻撃や夜間戦闘で重宝されているはずである。
ようするに、悪くはないが用途が違うのだ。
では、テオは何故そのような畑の違う機体を使っているのだろうか。本人に聞いたことは無かったため、気になるところではある。私は口を開かずに聞き耳を立てることにした。

「大体その機体、もともとお前が履く予定じゃなかったんだろ? 何で今も履いてんのさ?」
「本当はBf-109の予定だったんですけど、私の機体は輸送中に不具合が見つかっちゃったらしくて。取り寄せようとしても他の機体も数が足りないって……」
「そしたら制空で不評だったBf-110の余り物か、酷い事するもんだな」

ベーア隊長は納得いかなさそうに唸る。私としても同じことを考えていた。
祖国カールスラントの戦力、物資不足も深刻な段階にあると見える。ストライカーユニットが高価なものであるが、ウィッチはそれに命を預けているのだ。何とか一人分を捻出してくれてもいいのではないか。
どうしようもないことであるのは理解できる、それでも何とかしてほしかったと思ってしまうのは、悪いことだろうか。
やりきれない感情を抱いていると、今度はフライターク中尉がベーア隊長の会話を引き継いだ。

「でも取り寄せの申請はしてるわよね、司令に頼んでみたら? 用意でき次第送ってもらえるかもよ」
「申請、ですか? 出してませんけど」
「出してない?」
「はい、最初はちょっと嫌だなって思ってたんですけど、使ってるうちに手放せなくなっちゃって」

申請自体していないだと。
あっけらかんと言うテオにフライターク中尉がオウム返しをして、いろいろと思うところがあったはずの私は、何だそれはと固まった。
テオはエヘヘと笑う。

「待って、どうして? わざわざ取り回しが難しい機体を使わなくてもいいじゃない」
「難しいですけど、すっごく速いんです! 初めてエンジン全開で飛んだ時は惚れ惚れしちゃって……」

早口の返答だ。興奮した様子の幼馴染に対して、私は薄ら寒いものを感じた。

「最初の加速はゆっくりで、ああこの子は私に向いてないのかなって思ったら、それはお寝坊さんなだけだったんです。どこまで加速してもぐんぐん伸びるしエンジンも余裕があって、長い距離を速い速度で飛んでいられるのが幸せで幸せで……風の音を聞きながら雲を突き抜けていく感触なんてもう」

ああ、Bf-110の利点に航続速度があったか。今の会話で思い出した。
しかし、誰もそこまで聞いてはいないのに矢継ぎ早に言葉を飛ばしてくる。何人も目に写らず、恍惚とした雰囲気は恋する乙女のそれに似ているようにも思えた。しかし、歌いあげるような口上にはほとんどが口を閉ざしてしまう。
その中でライネルトだけが小さな声で呟く。

「こんな雰囲気の子でしたっけ?」
「……さあ、私も知らんよ」

何か私に向けられた言葉のような気がして、反射的に答えを返した。
妹のように思っていた幼馴染だったのだが今だけは大きな隔たりを感じる。新たな一面を見いだせたと言えば聞こえはいいが、こんな一面なら別に発見できなくてもよかったように思える。
幼馴染がいつの間にやら速さにとり憑かれていたとは考えもしなかった。。
離陸前よりも何となく距離をおかれていることも気にせず、テオはまだ興奮したままであった。本当に楽しそうに語りを締める。

「だからみんなで機種転換するべきなんですよ! Bf-110に! 何て素晴らしい!」
「……いや、いいってば、というかお前が機種転換しろよ、今のお前にゃ扱いきれないだろ」
「そればっかりは私もベーアと同じ意見だわ、危ない目に会う前に換えておきなさい」
「へ? ……そんなぁ、い、いやです! だってこんなに速いんですよ! それなのに使ってあげないなんて、可哀そうだよねティニちゃん! フレデリカさんも!」
「あれま、そこで私とフリッカちゃんに振りますか。いえ、こんな風に頼られるのも嬉しいんですけどね、速いだけじゃ面白みに欠けるので私はパスと言うことで」
「……うるさい、静かにして」
「そんなヒドイ!」

たちまちに、寒空の中で騒々しいやり取りを始める仲間達。
せっかくライネルトが気を利かせてくれたのに、結局輪の中に入りそびれてしまった。
私はほんの少しの溜め息を吐き、風に流した。

「戻ったらBf-109の取りよせ申請な、絶対だぞ。これ隊長命令だから」
「いやあ! 絶対いやぁ! そんなの横暴! 横暴ですぅ」
「泣くなやかましい! 何でこんなに頑固なんだよ!?」

だが、聞いているだけでも十分に楽しいものだ。
邪魔ものなど、どこにもいないと言うように、思うがままに飛んでいる彼女達を見ているのも悪くない。
口元が緩むのがわかる。
いい空だ。


そんなもの、いつまでも続かないことは、わかっていたけれど。
















「9時方向、所属不明機を発見」

スオムスからの復路も半分を過ぎ終盤に差し掛かろうというところで、先頭を飛ぶベーア隊長が緊張を生む報告を発した。
全員に聞こえるように言ったが、その意図の半分は私へのメッセージだろう。気持ちの悪い自惚れと思われるかもしれないが、私の固有魔法が理由である。中隊の目と自称するには力不足であると思えども、発見直後にはそれなりの効果を発揮できていた。

「敵機です。ラロス級、数8。距離16000、高度5000を針路2-6-5から1-2-0へ、160ノット」

とは言え、各国が連携を取り合っている中で所属不明などと、正体など最初から割れているようなものであろう。敵機の表示が見えても、やはりと思うことができたし、報告を行っても隊員には動揺が広がった気配はない。

「扶桑海軍の警戒線ギリギリじゃない、こんな近場にまで出てくるなんて」

故に、フライターク中尉の言葉に驚きの成分が混じったのは、ラロスが出現したことが直接の原因ではないのだ。彼女が怪訝に思ったのは奴らが現れた地点だった。
一大戦力としてリバウ軍港に居を構えた扶桑海軍は、来たるべきネウロイの侵攻に備えて厚い警戒網を敷いている。敵機が頭上を飛び始めてから迎撃を行ったのではまったく間に合わない、監視が強化された警戒線にネウロイが侵入すれば、即座に発見の報せが届き、扶桑海軍のウィッチにスクランブルがかかるという仕組みだ。
我々が発見した敵機はそのギリギリのライン、あと一歩踏み込めば大規模な空戦になりかねない位置を飛んでいる。

「叩き落とされても余裕があるのか、化け物にも命知らずがいるのか、それともただ気にしてないのか」

ベーア隊長が可能性をあげつらっていく。どれが正解なのか、私には知るよしもない。わざわざ危険地帯に片足を突っ込みながら飛ぶことに何の意味があるのかなど、学者連中も理解できないネウロイの思考を読みとることなど無理というものであろう。
一つだけ言えるのは、奴らは確実にリバウへと近づいている。あの平和な港町が戦火にさらされるのも、そう遠い未来ではないということだ。

「ま、どれでもいいこったな。今は余計なこと考えてる場合じゃねえや」

せん無きこと。ベーア隊長も早々に思考回路を切り替えたのだろう。我々の任務は輸送機をリバウまで安全に送り届けること、明日よりも先の話に悩むのはそれこそ後ででいい。
矢継ぎ早に繰り出される命令に耳を傾ける。

「ライネルトとヴァイセンベルガーをバックアップで残す、それ以外で四機編隊シュバルムを組んで迎撃。警戒線間際を飛ばれるのは正直癪にさわるが、逆を返せば味方の目が届く範囲にいるってことだ。ここをしのぐだけで輸送機の安全が確保できる。その上で、保険として扶桑海軍に直掩機を要請する。質問は?」

私は特に疑問を感じることはなかった。初陣で食らった新手による奇襲も、味方の勢力圏近くなら起こり得ない話だ。
他からも特に声は上がらない。
ベーア隊長の歯切れよい指示が飛んだ。

「よし、なければ行動を開始する。とっとと帰って飯だ! 行くぞ!」

言葉と共にスロットルを開いたベーア隊長が急速な上昇を開始。甲高い機械音を響かせて私を含めた三人が続いていく。
本来の進行方向から、やや左後方を目指して高度をあげる。増速し段々と離れていく輸送機を俯瞰し、迫ってくる敵機の針路に上からかぶさることのできる位置取りだ。敵機が自分達に気付かないほどの間抜けであれば万々歳、そうでなくとも敵機が輸送機に向うのを簡単に妨害できる。単純計算で一人2機の割り当てだが、僚機の実戦経験の度合いを考えると楽観視してもよいくらいの戦力比に思えた。
だが、銃を握り直すと、どうしても消えないそれが襲ってくる。身体の内側から皮膚を食い破るように湧き出てくる酷い悪寒だ。全身を掻きむしりたくなるような感覚に軽い吐き気をもよおすと、もう嫌だという感情よりも、苛立ちすら感じてきた。
あの悪夢のせいか?
そんなくだらないことを考えた途端に悪寒が増す。危うく舌打ちをかましそうになった。夢見の一つや二つで心を折るほど、私はそこまで弱くないというのに。
当てもなく八つ当たり気味に、自分が身を隠していた雲を睨みつけているうちに、ついに敵機が真下にさしかかった。機影が小さいウィッチはやはり捕捉しにくいのか、上空で息をひそめる我々に気がついた素振りはない。
機首を輸送機へ向け、獲物を狩る肉食獣のつもりでいるのだろう。獲物は、お前達の方だ。
今か今かと待ち焦がれ、八機のラロスが我々の下をくぐりぬけようというところで、ついに戦闘の幕が開ける。

「一撃離脱だ、攻撃開始!」
「ヤー、幸運を!」

雲間を矢のように飛び抜け、ベーア隊長とフライターク中尉が太陽を背にして真上から躍りかかった。
ほぼ直上から放たれた弾丸がラロスに突き刺さる。射撃を受けた2機のうち片方が尾翼を吹き飛ばされ、もう片方が主翼を損傷して脱落。高高度からの逆落としにより目一杯の加速を得て、スコアを増やした二人が上昇に移る。
僚機を落とされた残りのラロス六機は泡を食って編隊を乱し始める。しかし、その程度で済んだことを褒めるべきか、混乱が見受けられながらも奴らは二人を追うために速度をあげた。
が、そう思い通りにはさせない。
次は後続を任された私の番だ。フレデリカと組み、編隊が崩れた状態からの急な増速で、足並みの揃わないラロス編隊を狙う。先行したベーア隊長、フライターク中尉と同じように死角となる雲を隠れ蓑にしながらの一撃離脱だ。急降下から、薄雲を突き破りながらはぐれた一機を標的として、照準器を覗いた。
そして、まただ、と思った。
またもや手の震えが始まったのだ。どうしようもなくイラついたが、つとめて冷静に、と意識して照準器を覗きなおした。狙って当てるのが難しいなら、狙わなくとも当たる位置で撃てばいい。そんな幼年学校を修了していない子供でもわかる、空戦の必勝法を実践してやろうではないか。
身体を小さく捻り、せまるラロスに向けて進路を修正する。最高のタイミングはほんのわずかな時間だ。すれ違う寸前ギリギリで引き金を引いて、すぐさま離脱へ移行。
私の視界からラロスが完全に流れ去る直前、エンジン部から鮮やかな火炎が噴き出されたのが、一瞬だけ確認できた。
撃墜数に一個加点だ。
背後を振り返って戦果を確認したい欲求を抑えて、さらに加速する。上昇の為に余分に速度を稼いでおかなくてはいけない。
手ごたえとしては十分である。何だ大丈夫じゃないかと、私は内心安堵していた。妙な感覚が付きまとうのもただの気の迷いだと頭から一蹴する。まだ戦争は始まったばかり、本番はこれからなのだ、この程度では東部戦線でやっていけない。
降下加速の状態から同じタイミングで仕掛けたフレデリカに目配せすると彼女はハンドサインで上昇の指示を飛ばしてきた。加速も高度も十分である、頷いて針路を上方に取る。ここまでは何の問題も無く状況は推移している。
その時、フレデリカからの通信が私に届けられた。

「後方、敵機の立ち直りが早い」

余計な情報の一切を排した短い注意に背後をチラリとうかがう。
フレデリカも一撃離脱に成功していたのだろう、敵機の数は当初の半分に減っていた。しかし、残された四機が上方への進路を阻もうと、しぶとく向ってくるのが見える。
鈍重と侮られた旧式のラロスにしてはなかなかやるものだ、ただの偶然かもしれないが、素直に感心してしまった。
まだ距離には余裕がある。少し予想外ではあったが、彼我の速度差は食いつかれるようなものではない。私はこのままエンジンを吹かせば振り切れると判断した。
と、ここで彼方に光る物を捉えた。ラロスのうち一機が発砲したのだ。
フラフラと照準もつけていないだろうでたらめな射撃だが、一発が甲高い飛翔音をともなって身体をかすめるように通り過ぎた。とんでもないラッキーショットだ、とっさにシールドを展開、二、三発の弾丸が光る紋様に衝突し弾ける。
遅れて、今の危険を認識した身体が、勝手に冷や汗を流し始める。空戦では何が起こるかわからない、やはり油断は禁物であった。ほんの少し、瞬きよりも短い時間も遅れていれば、ここで私は戦死を遂げていたかもしれないのだ。
思わず、目線だけでなく体を回転させて振り返った。自分に鉛玉をぶつけてきた相手の居場所を確認しよう程度の認識だ。次の危険が及ばないための予防策、ラロスのスマートとは言えない寸胴な機体に目を向けて。
その瞬間、あやつり人形の糸を切ったように、全身から力が抜けていった。

「は……? 何だ、これは」

事態にそぐわない間抜けな声が漏れる。
何が起きたか理解できなかった。何だこれは、と上昇中の自分の身体を確かめると、手だけではなく全身が震えている。力が抜けただけではなく制御を受け付けなくなったのだ、戦闘開始前の私の腕のように。
ストライカーに注がれる魔力の制御もおぼつかない。何故という言葉が頭に反響し、私は突然に、混乱の極致に立たされた。
空を飛ぶ原動力は魔力と燃料だ。片方の要素が抜け落ち、エンジンは出力を保持することができず、風を切り裂いていたような速力が目に見えて落ちていく。そばを飛んでいたフレデリカが、無表情を崩して目をむき、視界の外に消えた。
体勢を維持するだけで精一杯だ。水分が吹き飛び、かすれた喉から誰に向けた訳でもない疑問が飛び出す。

「く、どうしてっ?」

このままだと危険だと念じても、身体は一向に言うことを聞こうとしない。せめて目だけを動かして周囲を見回し、状況を確認する。
見えた。
私を追いかける四機のラロス、彼らの機銃が私に銃口を向けているのを感じる。
死の予兆そのものが迫っていた。

「うぁ……あ、あ」

誰にも届かぬような、かすれた声が出てくる。
違う、ありえない、そんなはずはないのに。
だが他ならぬ自分自身に嫌でも理解させられてしまった、この身体の震えは恐怖から来ているのだ。
何故、何故、私は弱くないはずなのに。どうもできない自問自答が繰り返される。

「いやだ……来るな、来るなぁっ」

かつての死の間際が、眠りの中で私を責める悪夢と共に思い出される。金属の壁に叩きつけられる衝撃、諦観、恐怖、それらが記憶の中から溢れだしてくる。十二年という新たな思い出は、深く残った傷跡を埋めることはできなかったのである。
古傷はもう開いてしまった。
私へと一直線に迫ってくるラロスの向こうに、自分を殺した化け物の姿を幻視した。歯がカチカチと打ち鳴らされる。どうしようもない恐怖と悪寒に包まれ、簡単に思考を放棄する。
嫌だ、と頭を何度も振り、訴える。

「死にたくない……まだ、死にたく、ないんだ……」

固有魔法は残酷に、ラロスの機銃が私を捉えたことを教えてくる。
銃口が弾丸を吐き出し、ついに私の視界は暗転した。






















また夢を見ている。いつも自分の死で終わる最悪の悪夢だ。十二年間、最期の瞬間を記憶の隅に置き去りにしてしまいそうになると、決まって眠りの世界に現れるのだ。
心を抉るそれを何度も忘れようと思ったが、同じくらい忘れたくない、否、忘れるわけにはいかないと考える自分がいた。
捨て去るには、あまりにも重すぎた。
今を生きる人間にとって異物のような自分が、『ハインリーケ・エールラー』であると確信できる唯一の目印。
だが、最早、劇薬として私を私たらしめていたかつての記憶は、恐怖と言う猛毒となって心の内にしみ込んでいった。
もうそろそろ目を覚ます時間だろう、また、私の死で夢が終わる。




















乾いた眼球は痛みを発したが、無視して重たい瞼を開いた。
正面、一番初めに見えたのは天井だった。普段は何とも思わない電灯の光を眩しいと感じ、顔をしかめる。次に知覚したのは、強い消毒液の匂いとシーツの感触、私は仰向けの姿勢でベッドに横になっているのだ。
身体が火照った感じがする、頭がぼんやりとして働かない。
積極的に動く気になれず、目に見える範囲を眺めていると声が聞こえた。

「エールラーが目を覚ました」

事務的な報告を行うような口調は、思考のめぐりが悪くともフレデリカだとすぐにわかった。
言い終わるかどうかと言ううちに、イスから立ち上がる音が連続し、室内がにわかに騒がしくなる。やがて、いくつかの気配が枕元に近づいてきた。

「姉さん、リーケ姉さん……!」
「ああ、もう! 心配しましたよエールラー少尉!」

天井を中心に据えた視界の中に、左右から現れた顔はテオとライネルトのものだった。テオの目には涙が溜まり、ライネルトは普段の調子のよさげな笑みを崩して迫ってくる。
二人の反応に少し驚きつつも、一応自分は無事だったのだと認識して、ゆっくり体をおこしてみた。軽いめまいに襲われ、枕に倒れ込みそうになりつつも何とか上半身を保持する。
天井と二人分の顔しか映っていなかった視界が前方180度にひらける。あらためて身の回りに何があるのかを確かめ、ようやくテオの一歩分後ろに立っていたフライターク中尉とフレデリカに気がついた。

「大事なくて本当によかったわ、頭から落ちてった時は生きた心地がしなかったもの」
「銃弾が頭部を掠めたことによる脳しんとう、一日安静にしていれば復帰できるらしい、安心して」

テオの両肩に手を置いてフライターク中尉が微笑む。フレデリカの雰囲気も心なしか柔らかい。
この辺りでやっと、ぼんやりとした思考がハッキリしてくる。
撃墜されておきながら、運よく軽傷で済んだのか。両手足を細かく動かして欠損している部位がないかを確認し、異常のないことを理解して大きな安堵感に包まれた。
私が安心したように小さく息をついたのを見たのか、ライネルトが嬉しそうに言う。

「私はベーア隊長を呼んできますね。今頃ハンドリック司令にも報告が終わったところでしょうし、早く安心させてあげましょ」

軽口を叩くようなこともせず、うきうきと。小走りで跳ねるように退室していったライネルトの背中を見送る。
慌ただしい彼女が出ていった後は、静かな空気が室内に拡がった。誰も口を開こうとしないが、剣呑な雰囲気ではなかった。
私の言葉を待っているのだろうか。だとすれば何を言ったものか迷う、ストーブで燃料が燃える音を聞きながら少し考えた。

「気を失った後は、どうなったのでしょうか」

あまり難しいことを考えたくはなかったが、これが一番気になっていたことだ。ラロスの銃口から弾丸が飛び出して、その後は何も覚えていない。戦闘中だったのだ、私はあの空戦がどんな結末を迎えたのか聞かなくてはならない。
疑問を解消してくれようとしたのは、やはり戦闘に参加していたフライターク中尉とフレデリカであった。

「私が落下するあなたを捕まえて、シールドを張って突っ込んできたベーアがガード」
「輸送機も無事、敵機は私が撃墜した」
「うん、ロージヒカイトにラロスを任せて、その後は荷重に強いBf-110を履いてるヴァイセンベルガーがあなたを抱いてリバウへ急行した。この子ったら、残りの道程を全力で飛ばしてきたのよ。しばらく機種転換しろなんて強く言えないわね」

やさしくテオの背中を撫でるフライターク中尉。
きっとギリギリまで魔力を出しつくしたのだろう。私なんかの為に、テオがどれだけ頑張ってくれたのか想像に難くない。
テオは涙目のまま笑う。

「よかった、姉さんを助けてあげられて」
「ああ、ありがとうテオ」

噛みしめるように、よかったと。
心の底から私を心配してくれているのがわかる。だからだろう、ほとんど意識せずに手を伸ばしていた。そっと頭を撫でる。軍学校に入ってからはずっとやっていなかったことだ。
テオは目を細めると小さく笑みをこぼした。つられるように私も安心感を覚える。
すると、出入り口の外から足音が聞こえる、急いでいるようで少し速い。誰か、大体の見当はつくが。
勢いよく扉が開け放たれて、パッと明るいライネルトの笑顔が現れた。

「ただいま戻りました! ベーア隊長をお連れしましたよ!」

どうやらライネルトは自らに課した任務を無事に達成できたようだ。
開いた扉の向こう側からベーア隊長が顔を覗かせる。ライネルトが閉まる扉を抑えるのに続いて入室し、私に目をとめた。

「よう、目ぇ覚ましたんだな」

安堵かどうか、小さく息を吐いて確認するように言った。私の顔を見ながら、表情はすぐに喜色に染まっていく。

「心配かけさせんじゃねえよこの馬鹿! あんなところで落とされやがって、本気で死んだかと思ったぞ!」
「それは……申し訳ありませんでした」

口を開くなり快活でありながら無茶苦茶ことを言いなさる、返事には苦笑が混じった。
ベーア隊長はベッド脇に立つと、大声で笑いかけながら背中を叩いてくる。苦笑も三割増しだ。背中に喰らった衝撃にしびれを伴う感覚を覚えながらも、嫌な気持ちはしなかった。これもベーア隊長なりの気づかいと言うものだ、パイロット時代にもそんな人物はそれなりに多かったし、私自身も嫌いではない。

「はーいストップ! アンタこの子が怪我人だって忘れてるでしょ!」

結局、されるがままになる私を見かねたフライターク中尉が止めに入るまで、ベーア隊長の絡みは終わらなかった。スキンシップを妨害されたベーア隊長の文句に、小言をかぶせながらフライターク中尉が割り込んでくる。緊張感を感じさせないやり取りにまたもや苦笑いだ。
そして入れ替わりに私の前に出てきたのはフレデリカであった。口数少ない彼女にも、私に言いたいことがあるのだろう、そう思って、投げかけられる言葉を待つ。
ところが、少し見ていると、彼女の表情があまり優れているとは言えないことがわかってくる。持ち前の変化に乏しい表情を維持しつつも、私と目を合わせようとしないのだ。何かに悩んでいるようにも見えた、初めて見る反応である。
やがて、フレデリカは一しきり考え事をしていたと思うと、エールラーと名を呼ぶ。会話の前振りか、私の勘がチクリと、よくないものを感じとった。

「貴女は撃たれる前、上昇機動の最中に失速していた、何故?」

疑念と心配が入り混じった表情とでも言うのだろうか、ミリ単位で眉ひそめたフレデリカの顔を見て私は、ああやはり、と思う。
僚機が飛行中、それも戦闘の最中にストライカーの制御を失ったとあれば、原因を気にするに決まっている。聞かれて当然のことだ、この問いが来るであろうことも予測がついていた。だが、私はどう返すべきか、まだ答えを見いだせてはいなかったのである。
本当のことを伝えるべきか。
まさか。ほんの少しよぎった考えを一笑にふす。
敵に恐怖したことが理由だと、一度殺されたことがあるからだとでも言えばいいのか。そんなことを伝えて、何になるというのだ。

「すまない……混乱していたのか、私もあまりよく覚えてはいないんだ」

だから何も言わないと決めた。彼女らを私の過去に付き合わせる気はない、悲しみを共有させたところで、そんなこと、きっと誰の為にもなりはしないのだから。

「操作を誤ったんだろう、情けない話だ、まったく」

考えずとも、口から自然と飛び出た虚言をつなぎ合わせる。

「それは、本当? 出撃前にもいつも通りだと言っていたけれど、ここには軍医もいる。遠慮する必要はどこにもない」
「いや、心配をかけてすまない。でも体には違和感も感じない、私は大丈夫だよ」

私などを心配してくれるフレデリカと向き合うのが、辛い。そうだとしても、胸に小さな痛みを感じながらも、感情を抑えつければ舌はよどみなく回り続ける。

「それにしても、流石だな。僚機が脱落しても敵機を落と……。っ!?」

だが、下らないワンマントークは唐突に終わりを迎える。無意識に相手を持ち上げてやり過ごそうとして吐きだした言葉が半ばで途切れた。
首が締まる、息が苦しい。
何故だろうかと、呑気に自分の置かれた状況を確認して、襟元を握られて身体を引き起こされているのだと気がつくのに、たっぷり数秒を要する。真正面、相手の瞳に映る自分が見えるような距離、犬歯をむき出しにしたベーア隊長の顔があった。
疑問が一つ解消されて、またもう一つ湧きあがってくる。
どうして隊長が、私にこのようなことを?

「お前、私らを舐めてんのか……?」

ベーア隊長は唸るような声で、吐き捨てるように言う。

「大丈夫……大丈夫だと? 横から聞いてりゃグダグダと! 見え透いた出まかせぬかしてんじゃねえぞ!? ああ!?」

次いで鼓膜の奥に突き刺さる声量が脳を揺らした。ベーア隊長の手に籠る力が増して、無理矢理に私を持ち上げようとしている。抵抗しようにも不思議と身体に力が入らない。
されるがままとなっていた私に降り注ぐ言葉は、今、最も聞きたくない内容だった。

「見くびるんじゃねえ、初陣で二機もラロスを撃墜したウィッチが落とされてんだぞ、今のお前が普通じゃないことぐらいハッキリわかってんだ」

釣り上がった目が私を射抜く。
私が垂れ流した虚言は、最初から通じていなかったのだ。情けない、嘘をついたところで隠し通すことすらできなかったのである。思考の自由を奪う、黒い泥が心の中に湧きあがる。
私はとっさにベーア隊長の言に否を返した。

「やめてください……私はどこもおかしくない」

呼吸が上手くいかず声がかすれる。満足な答えを出せないのは、きっとそれだけが原因ではない。
ベーア隊長の瞳から感じられる炎がさらに熱を帯びる。

「だったらどうして落とされた。油断か、それとも最初からやる気がなかったか、何なんだ、言ってみろよ」
「やめなさいベーア! ダメよ、落ち着きなさい」

叫びたかった、もうやめてくれと。
だが声は出ない、自分にも相手にも、納得のいく答えを返す自信が少しも無かった。
割り込もうとしたフライターク中尉の声がとても遠く聞こえる。

「飛びたくもないのに飛ばないといけない奴はそうかもしれない、でもお前は違うだろうが! お前は躊躇った私に『我々はウィッチです』と言った! それだけの啖呵切って! 何でこんなことになってんだよ!」

もう限界だ。
屈折した心のうちが身勝手にも反転し、怒りへと全てが変わる。何も考えずに動いた腕が、襟元をつかむ手を本気で締めあげ始めた。それでも、ベーア隊長の表情は変わらない、私に対して烈火の怒りをぶつけてくる。
いい加減にしろ、何も、知らない癖に……!
私は今どんな顔をしているのだろうか、知りたくない、何も考えたくない。
が、もうどうでもいい、と感情の壁が決壊しそうになった時、暗い衝動を押しとどめたのは、腹部に感じた小さな衝撃だった。
何かが自分にぶつかってきたのだとすぐに判断し、振り払おうとする。しかし、私の眼は、その前にぶつかってきたものが何であるかを理解してしまう。

「やめて……ベーア隊長……姉さんも、お願い、だから……」

泣きながら、涙をのみ込みながら、消え入りそうな声で私とベーア隊長を止めようとする。テオが私に抱きついていたのだ、まるで私を庇うように。
手から力が抜けた。ベーア隊長の腕を握り、対峙したまま動けなくなる。
ベーア隊長の顔からは怒りが消え、何も感じられない仮面のような表情に変わった。襟元を締めていた手の力を緩め、支えを失った私はベッドにへたり込む。
そのまま、ベーア隊長はうつむく私に、こう言い放った。

「仇を見る目で睨んでいたのに、どうしてお前の手は、脅えるみたいに震えてるんだ?」

言われて、眼前に持ってきた両腕は、無様なまでに震えていた。
強く唇をかむ。

「申し訳、ありませんでした」

返せた言葉はそれで精一杯だった。最早、思考は凍結し、喉すらも声を発することを拒絶する。
私の言葉を待っていたのだろうか、しばらく待ってから、私に答える術がないことを悟ると、ベーア隊長は抑揚無く言う。

「……だんまりかよ」

その言葉に込められている物は何だ。失望だろうか、顔を見ることも出来ない私には、何もわからない。
わからないのに、耳に聞こえる声だけなのにどうしようもなく心を揺さぶる。もうどんなことも聞きたくなんてなかった。

「なあ……訳もわからないまま、部下に死なれたら、私は一体どうすればいい?」

噛みしめるように、小さな声で最後にそう言って、ベーア隊長は出口へ足を向けた。
やはり、背中にかけるべき言葉は出てこない。
誰にも言えることなどない。つられるようにベーア隊長の後を追って、一人ずつ出口へ向かい、部屋を去る。テオは最後まで残ったが、フライターク中尉に手を引かれて出ていってしまう。
一人だけ取り残されて、震える手を見つめた。

「どうしてしまったんだろうな……私は……」

もはや自分自身すらわからなくなってくる。
答える者は、もう誰もいない。




















いつもありがとうございます。
シリアスって難しい!


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