ヤマトを拾ってから、早一月が経過した。
この一月で、ヤマトは大分成長した、とヒノメは思う。
50キロの荷物を持って15キロ歩けるようになったし、腕立て伏せも100回できるようになった。
燃の修行も、最初は10分もやれば気がそぞろになり、30分もやれば居眠りし始めていたのに、30分は集中してできるようになった。最近は、強制的に起こしてとも言わなくなった。……最も、これはヒノメが細かな手加減は苦手といいながら大きな岩を念弾で粉々に砕いたのが効いているのだが。
……これを、成長したと思ってしまうくらいヒノメはヤマトに毒されつつあった。
初日にヤマトのダメっぷりを嫌というほど思い知ったからだろう。多少の欠点は眼を瞑れるようになったし、少しでも成長すればかなり成長したように思えた。
それに、ヤマトを拾ったメリットもある。
予想以上に、ヤマトの料理の腕は中々のものだったのだ。
その料理の腕が披露される機会は少なかったが、とても野外で作られたものとは思えぬほど手の込んだものであり、ともすれば量だけに拘った大食い店より美味しかった。
ヤマトからすれば、飯が不味ければまず間違いなく捨てられるので彼も必死である。この甲斐あってヤマトはなんとか捨てられずに済んでいた。
それに、ヒノメ自身は気づいていなかったが、彼女は自分でも気づかないうちに手料理というものに飢えていた。
飲食店で出される食事と家庭で出される食事というものは、その質を全く異ならせる。
ヒノメは、その境遇からは料理から愛を見いだす性質があった。
飲食店での食事は、確かに腹を満たしてはくれたが、ヒノメの心までは満たしてはくれなかった。
その点、ヤマトの手料理は手作り故の愛が感じられるようにヒノメには思えた。
愛、というと語弊があるが、言い替えれば思いやりである。
その一点において、ヒノメはヤマトを非常に評価していた。
それに加え、生涯のほとんどを一人で過ごしていたヒノメにとって、例え相手がヤマトであろうと常に誰かがいるというのは新鮮な環境だった。
道中一人黙々と歩くのではなく、他愛ない話をしながら移動する。寝る前にはお休みという挨拶があり、起きればおはようという挨拶がある。
それは、徐々に徐々にヒノメの孤独を癒し、彼女は少しずつヤマトに心を開きつつあった。
最も、それは恋愛感情というものにはほど遠く、今はまだ友情にも届かないほどの物ではあったが。
確かにヒノメはヤマトに好意を抱きつつあった。
さて、一方そんなヤマトは、と言えば。
「………98、99、100! あー、もう無理!」
腕立て伏せ100回を終えたヤマトは、仰向けになると荒い息を吐く。
腕立て伏せ、腹筋背筋、スクワット。それぞれ各100回を一セットとし、これで3セット目。
一応は運動部だったヤマトだが、さほど熱心だったわけでもなくすでにヤマトの腕はプルプルと震え始めていた。
(H×Hの世界に来たから何らかの“特典”があるかと思ってたけど、そんな感じはしねぇよなぁ)
ヤマトが日本にいた頃読んだ二次創作の先輩方は極普通の一般人だったにもかかわらず、みるみるうちに人外の身体能力を身につけていたものだ。
一トリッパーとなったヤマトも、空気にプロテインといわれるハンター世界。すぐに原作クラスの怪力を手に入れられると鷹をくくっていたのだが、未だ元の世界の限界すら越えられそうになかった。
(ま、念さえ覚えちまえば身体能力はあんま重要じゃねぇんだけどな)
念の存在が出てからの、原作での身体能力、体術の冷遇っぷりはかなりのものだ。
3の門まで開けられ、幼少の頃から鍛え上げられ続けたキルアが念能力者としてはさほどの腕前でもないズシを殺しきれないほどだ。
もちろん、殺そうと思えば殺せるだろうが、圧倒的弱者のズシがキルアの攻撃に耐えられるだけの防御力を手に入れられたのも事実。
ならば必然念>肉体という方程式が成り立つ。
ヤマトは、キメラアントの弱兵ラモットがゴンの一撃を食らっても死ななかったことをすっかり忘れ、そう考える。
それは、遅々として進まない肉体改造からの逃避であった。
(でもなぁ、その肝心の念がなぁ)
ヤマトは命の恩人でもあり自身の師匠でもある少女を頭に思い浮かべる。
ヤマトはヒノメに命を救われたことを感謝していた。彼女がいなければ猪に殺されてしまっていただろうし、何とか猪から逃れても彼女がいなければヤマトはの垂れ死んでいただろう。
故に、ヤマトはヒノメに感謝している。感謝してはいるのだが、念の師匠として見ると彼女にはどうしても不満を抱かずにはいられなかった。
当初のヤマトの予定としては、速攻で念を強制的に起こしてもらい、纏と練を覚えたら他の技は放置しひたすら練の持続時間を増やすつもりだった。
なんせ、練の持続時間は10分伸ばすのに一月かかるという。後半からはオーラ量=強さという感じになっており、一分でも長く堅の持続時間を伸ばす必要があった。
計画としては、常に重りを体に身につけて、肉体改造と平行しながら昼間は燃や纏の修行。寝る前に練をして、就寝。
絶や発などの残りの四大行、凝を初めとした応用技は、とりあえず堅の持続時間が一時間を越えてからでいい。オーラ量がある程度あってからの方が応用技を覚えやすいだろう。なんせ、オーラ量があればあるほどたくさん練習できるのだから。
だが、そんなヤマトの計画は初っぱなから躓いてしまった。
それは、ヒノメが強制的に起こすことを頑として首を縦に降らなかったからだ。
どんなに頼んでも頷かないヒノメに、ヤマトは一つの疑念を抱いた。
もしかして、強制的に起こせないんじゃねぇの? と。
原作でウィングも言っていた。
これは邪法と言われる方法だ。未熟な者や悪意のあるものが行えば死ぬこともあると。
ヒノメは、見も知らぬ他人のヤマトを拾ってくれるほどだ。悪人ではないだろう。後者は当てはまらない。ということは、彼女は未熟者ということになる。
このヤマトの懸念は当たった。
あまりにしつこいヤマトに根負けしたヒノメはついに真実を教えてくれた。曰く、私は手加減が苦手なの、と。
そういって彼女の指先から放たれた念弾は、ヤマトが椅子に使っていた岩を粉々に砕いた。
それ以来、ヤマトはヒノメに強制的に起こしてもらうのを諦めた。
念は覚えたいが五体不満足になるつもりはなかったからだ。
最も、この件でヒノメを責めるつもりはヤマトには全くない。
ヒノメは、見たところ11~14歳の間といったところだろう。年齢幅が広いのは、身長的には11歳くらいにもかかわらず、その胸元は身長に見合わず意外に豊かだからだ。目測でCかDカップほどはあり、外国人は発育がいいことを考慮しても14歳くらいに見えた。
要は原作のゴンたちとそう変わらない歳ということであり、原作主人公たちは人類トップクラスの才能ということを考慮して、ヒノメの力量はズシよりマシ程度とヤマトは考えていた。
それで他人を教えているのだからよく頑張っているとは思うが、物足りないのも事実だった。
実のところ手加減が苦手云々は、ヒノメがヤマトをあしらうための嘘であり、ヤマトを思いやってのことだった。
カルロス譲りの鑑定眼を持つヒノメから見て、ヤマトの念の才能は街中で適当に石を投げ当たった奴を連れてきた方がマシなレベルだ。
念は努力さえすれば誰でも身につけることができるが、その時間は才能がものを言う。ヤマトが自身の才能を思い知りやる気をなくさないようにとの配慮だった。
それに、ヤマトの身体能力はヒノメからするとあり得ないほど低く、今は念なんぞより肉体作りの方が先と考えていた。
なぜなら、オーラとは生命エネルギーであり、生命エネルギーは肉体が生み出すのだから。
故に、ヒノメはヤマトを強制的に起こしたりはしなかったのである。
最も最大の理由はヒノメがヤマトに念までは教えるつもりがないというのが最大の理由だったが。
しかしそんなヒノメの思いやりを知らないヤマトは、
(このペースじゃ原作開始に間に合わねぇよ……。あーぁ、同じロリはロリでもビスケの近くにトリップしてたらなぁ)
などと恩知らずなことを考えていた。
ヤマトの計画では、原作開始までに念を覚え、念を教えることで原作主人公たちと仲良くなるつもりであった。
だが、その最初の段階で躓いてはその計画もおじゃんだ。
これがもし、自分を拾ってくれたのがビスケなら今頃自分は念を習得していたかもしれない。とヤマトは思う。
ビスケは、原作最高の指導者として描かれており、その念、マジカルエステは育成に非常に適した能力だ。
念の腕前もトップクラスであり強制的に起こすなど造作もないだろう。
ヤマトは、ビスケの性格や念の秘匿性などを全く考慮せずそんな都合の良いことを考えた。
(今が3月でハンター試験が新年からだからあと9ヵ月以内……。それまでに念を習得して肉体作り、間に合うか?)
ヤマトは、現在の日付と原作開始日時を考えタイムリミットを計算する。
原作の主人公たちがライセンスを取得したのが287期。今年286期があったので、来年の初めにハンター試験があるのは確定的だ。
ちなみに、どうやって今年286期があったのかを調べたかというと、ネットでである。
その金はどうしたかというと、ヒノメから貰った小遣いで払わせて貰った。
ヤマトは、新しい街に行く度に、数百ジェニーのお小遣いをヒノメから貰っていた。
その金は主に買い物のお釣であり、ヤマトは俺はガキかよと思いつつも貰えるものは有り難くもらっていた。
そうして貯めたお小遣いでヤマトはネカフェで情報収集したりお菓子を買ったりと色々と活動していたのである。
(1000万人に一人の才能の主人公達がゆっくり目覚めさせて一週間。10万人に一人の才能のズシが3ヵ月……だったか? 仮に俺がズシくらいの才能だとしても念を覚えるだけで3ヵ月じゃ原作開始までには練をギリギリ覚えてるかいないかじゃん……。あー、もういっそ肉体改造に焦点を絞って念は主人公たちと一緒にウィングさんに教えてもらうか? 多分あっちの方が教え方上手いだろうし。でもなぁ、主人公勢に念を教えるのは魅力的だよなぁ)
原作に介入しない、という選択肢はヤマトにはない。
この原作開始直前のタイミングでトリップしたのは、原作介入しろという世界の意思に感じられたからだ。
自分という原作知識をもつ存在をストーリーに介よさせることで、本来のストーリーを何らかの形で変更させる。
その為に自分は呼ばれたのだと、ヤマトは考えていた。
それは、突然家族や知人から引き離され、着の身着のまま見知らぬ国どころか異世界に放り出されたヤマトの精神を保つための自己暗示だった。
何の意味もなく、漫画の世界に迷い混みました、など普通の少年に耐えられることではない。
もう二度と家族や知人と会えないかも知れず、命が紙より軽いこの世界では、いつ死んでもおかしくない。
そんな代償を払っているのだから、“見返り”があって当然と、ヤマトは自分では気づいていないがそう思っていた。
「…………何をサボってるの? ちゃんとメニューは終わった?」
そんな風にヤマトが頭を抱えていると、いつの間にかウサギやら野鳥やらの動物たちを山ほど捕まえて帰ってきたヒノメが側に立っていた。
「ぉ、おかえり~。も、もちろん終わったに決まってるじゃん」
ちなみに、メニューの内容は5セット。ヤマトは3セット目の始めの腕立て伏せまでしか終わっていない。
そんなヤマトを見たヒノメは、うっすらと微笑む。
「そう、少し成長した?」
「へ? なんで?」
「いつもより疲れてないみたいだから」
「ぉ、おう。成長期だからな」
(う………なんだかすげぇ悪いことしたような気がしてきた)
ヤマトがサボっていたなど微塵も疑っていない様子のヒノメに、さすがのヤマトも罪悪感を覚える。
(明日からは絶対最後まで真面目にならないとな)
そう心に誓うと、ヤマトはいつもより気合いを入れて飯を作り出すのだった。
(美味しい……)
ヒノメは、自分の頬が緩むのを止めることが出来なかった。
どうして同じ材料を使っているのに、こうも味に差が出るのだろう。
ヤマトは、態度も軽薄、頭もあまり良くなく、怠惰なところがあるが、この料理という一点については非の打ち所がなかった。
ヒノメはさらに一口シチューを啜る。
シンプルなシチューは、特別な調理法をしたわけでもないのに、体の隅々まで行き渡り身も心暖めてくれる気がした。
(なんだか癒される)
そう、ヒノメは思った。
同じ調理法で同じものを作っても、味は同じになっても美味しさは再現できない。
つまり、この癒しはヤマトが作った時のみの現象だということだ。
(どうしよう。もうこれがないと夜営はできないかも)
料理を覚えたらヤマトを捨てるつもりだったヒノメだったが、こうも胃袋を掴まれては簡単には捨てられそうになかった。
しかしなぜこうも美味しいのか。
(やっぱり愛があるから……なんて)
ヒノメは自分の思いつきに微かに頬を赤くして首を振った。
自分とヤマトが出会ってまだ一月。ただの知人と言っていい間柄だ。それで愛だのなんだのはさすがにおかしい。
(どうかしてる)
ヒノメは恥ずかしさを振り払うようお皿の残りをかっこみ、おかわりをよそる。
そこで、ヤマトの怪訝そうな視線に気付いた。
「…………なに?」
「いや、なんか挙動不審だったから」
見られてた……。ヒノメは顔が熱くなるのを感じた。それを誤魔化すよう関係のない話題をふる。
「別に。これからどうしようかと思っただけ」
「これから? これからって?」
「深い意味はない。どっちの方向に行こうかってだけ」
「あぁ。行き先の話ね。つか今どこらへんなの?」
「ん………ヨークシンの近く」
ヒノメは、地図を頭に思い浮かべ言う。すると、ヤマトはキラキラと眼を輝かせ始めた。
「ヨークシン? ヨークシンっつった?」
「どうしたの? 急に」
「どうしたの? じゃねぇって。ヨークシンっつったら天空闘技場に次ぐ金稼ぎポイントじゃん」
(何を言うかと思えば……)
ヒノメは嘆息する。
「もしかして、オークションをやるつもり?」
「おう! フリーマーケットで掘り出し物を見つけて売れば差額で大儲けさ!」
「…………そのお金はどこから?」
ヤマトは無言でヒノメを指差す。
「却下」
「そこをなんとか」
「ダメ」
「マジで何倍にもできるんだって」
「あり得ない」
「いやいやいやいや、とりあえず話だけでも聞いて、さ」
「…………はぁ」
(話だけ聞いて、突っぱねよう)
ヒノメはそう考えながら先を促す。
「で?」
「とりあえず、ヒノメちゃんっていくら金持ってるの?」
「……20万くらい」
実際は、懸賞金と刺客を返り討ちにした際の臨時収入で100万はあるがヒノメはそう言った。
「20万……うん、ちょい少ないけどいけるな」
「あなたのお金じゃないんだけど……」
一応釘をさすヒノメに、ヤマトはわかっているのかいないのか。
「もちろんわかってるって。で、作戦っつうのは―――」
そしてヤマトは、まるで自分が思い付いたかのように嬉々として原作の念でボロ儲け作戦を語った。
「…………なるほど」
すべてを聞き終わったヒノメは、腕を組み頷く。
最初はどんな妄想話が飛び出してくるかと思ったが、なかなかなるほど。利にかなかった作戦だ。
一流の芸術家の中には天然の念能力者も多い。埋もれた彼らの作品を凝で見つけ出し、それを売ることができれば最小限のリスクで利益を得ることができるだろう。
だが。
「ダメ」
「なしてですかぁっ!?」
「若いうちからあぶく銭を持ったらろくな大人にならない」
「おかんかよ!」
ヤマトはビシッとツッコンだ後、爪を噛み考える。
(不味い……作戦を説明すりゃ確実に頷くと思ってたんだが)
ヒノメは予想以上に財布のヒモが硬いようだった。まさか最初のスポンサーを得る段階で躓くとは。
そんなヤマトを見て、ヒノメはため息を一つつく。
「そもそも、どうして急にお金稼ぎなんて言い出したの?」
(ん……? これだ!)
「実は……」
「実は?」
「ヒノメちゃんにお礼がしたいと思ってさ……」
「えっ」
予想外のヤマトの理由にヒノメは驚く。
「ほら、俺ヒノメちゃんに命を救われてからもずっとお世話になりっぱなしだろ? そこでなんとか恩返ししたいと思ってたんだよ。これで稼いだ金でプレゼントの一つでも買えたらな、ってさ」
「…………………」
(なんて可愛いことを考えるんだろう……)
自分への恩返しのため。
普段のヤマトの態度からは予想もつかない理由に、ヒノメは胸がキュンとするのを感じた。
それは、母親が子供に初めて渡したお小遣いでカーネーションをプレゼントされた時の感覚に似ていたが、本質はヒモがパチスロで負けた時の「10倍に増やしてお前のプレゼントを買おうと思ってたんだよ。な? わかるだろ?」的な言い訳となんら変わりないことにヒノメは気づかなかった。
ヒノメは今までにない優しい微笑みを浮かべると、言う。
「ヤマトには、ご飯とかしっかり恩返ししてもらってる。気にしなくていい」
それを聞いたヤマトは心中で舌打ちする。
(チッ。やはり無理だったか)
「でも」
(ん?)
「そういう心がけは大事だと思う。今回だけ特別に15万だけ貸してあげる」
「マジか!」
「今回だけ」
「わかってる! うわーっ、マジかー! ありがとうヒノメちゃん! ヒノメちゃんマジ天使!」
「……や、やめて」
誉められなれてないヒノメが頬を赤らめ俯くのを尻目に。
(オシッ! これで一回数百ジェニーのお小遣い生活とはおさらばだ!)
未だ見ぬ大金の使い道を考えヤマトは顔をニヤケさせるのだった。