割れんばかりの大歓声。無数の観客達の好奇の視線。当たるスポットライト。
(いつ来てもここは慣れそうにない)
リングの中心、対戦相手と向き合ったヒノメはぼんやりとそう思った。
ヒノメの研ぎ澄まされた五感は、会場中のどんな些細な音も捉え、無数の視線を肌で感じてしまう。
それは、本来ヒノメが欲しがる情報に無数のデコイを混ぜる結果となり、少なからずヒノメを苛立たせた。
最も、いざ戦闘が始まれば自然と情報は取捨選択され会場のことなど忘れてしまうのだが。
それでも戦闘前のこの情報に翻弄されるような感覚は好きに慣れそうにない。ヒノメは同様の理由で、あまり人混みの多いところも好きではなかった。
『さぁてお次はいよいよ本日のメインイベント! ここ天空闘技場に来て以来連日連勝! 常勝無敗ッ! 破竹の勢いで200階まで勝ち上がってきたヒノメ選手とォ!』
パッとヒノメから対戦相手へとスポットライトが移る。
『ここまでの戦績は3勝1敗! 三連勝中で波に乗っている武闘家カストロ選手ッ! 果たしてヒノメ選手は“200階クラスは初戦は負ける”というジンクスを破れるのか、それともカストロ選手がまた一歩フロアマスターへと駒を進めるのかァ――! それでは試合開始です!』
試合開始のベルが鳴り、審判がファイトの宣言をする。
すると、カストロが爽やかな微笑を浮かべた。
「……どうやら逃げずに来たようだね」
「? どうして逃げる必要があるの?」
「ふっ、相変わらず強気だね。それじゃあまぁ、せっかく来てもらったんだ。こちらも約束通り教授しよう」
――ダブルの真髄を、ね。
そう口の中で呟き構えるカストロを見て、ヒノメはぼんやりと昨日のことを思い出した。
「――ダブルの真髄?」
ヒノメは、このカストロと名乗る男の言葉にコテンと首を傾げた。
目の前で自信に満ちた様子でヒノメを見やる男はどう見てもヒノメより格下としか見えなかった。
それは纏うオーラの質や、纏の練度などの様々な挙動からもわかる。何より致命的なのが、隠で隠したヒノメの分身がカストロの背後に陣取っていることに気づいていないことだ。
それは、カストロが凝が出来ない、あるいは凝が戦闘レベルに達していないことを表している。
恐らく、カストロは念を覚えてからそう日が経っていないのではないだろうか、とヒノメはアタリを付けた。
そんな存在から何を学ぶというのか。
そう疑問に思うヒノメを余所に、カストロは言う。
「まぁ突然こんなことを言われても戸惑うだろうね。私達は同じバトルオリンピアを目指すライバルでもあるのだから」
(別に目指してないけど……)
と内心で呟くヒノメ。
ヒノメの天空闘技場へのスタンスは、成り行きに任せて戦い、その結果貰えるものがあるなら貰うというもの。何がなんでも欲しいものがあるから戦うといった感じではなかった。
「それに加え、こうして向き合うだけでも分かる隙の無さ。その歳でかなりの使い手だ。既に念も修めている。素晴らしい。だが……」
カストロは不敵に笑い。
「ダブルの扱いには私に一日の長があるようだ」
ピクリとヒノメの眉がはねあがる。
(ダブルの扱い?)
ヒノメはやや俯くと考え込む。
そうだ。先ほど彼はなんといった? ダブルの真髄を教えようと言ったのではないだろうか。決して、念を教えようといったのではない。あくまで彼が言ったのはダブルの扱い方だ。
念自体の力量はヒノメの方が勝っているのは疑いようのない事実だ。しかし、ことダブル限ってはヒノメがカストロのダブルをまだ目にしていない以上彼の方が優れているという可能性があった。
ヒノメのダブルの使い方は、至ってシンプル。ダブルを出し、戦わせる。ただそれだけだ。それは剣で言うなら、降り下ろす。銃で言うなら引き金を引くといった基本的な使い方。
だが剣もまたただ降り下ろすだけではなく、無数の流派が生まれるほどの多彩な戦い方がある。
この男がダブルについてそういった戦術的なことを言っているのなら……。
ダブルの真髄、そう表現したことにも頷けた。
ヒノメの思考はさらに加速する。
そう、考えてみればこの男はヒノメがダブルを使えることを知っている。それはつまりヒノメがダブルを使って戦うところを見ていたということ。
ヒノメのダブルを見て、カストロが自分の方がダブルを使うのが上手い、とそう判断したに違いないのだ。
まさか、彼が自分は世界で一番のダブルの使い手だ、などと傲慢な思い込みをしているはずが無いのだから。
「……とはいえ、だ」
そのカストロの言葉に、ヒノメはハッと我に返る。
「君にも武道家としての誇りというものがあるだろう。簡単に他の者に頭を下げるのは抵抗がある筈だ。そこで、だ」
カストロはどこか演技掛かった動作で告げる。
「明日、君との試合を組ませて貰った。そこで私のダブルの使い方をその目で見、有益だと考えたのならこの話、前向きに考えて見てくれ。……どうだい?」
ニコリと微笑みそう言うカストロに、ヒノメはしばし考えた後コクりと頷いたのだった。
「……仕掛けてこないようならこちらから行くぞッ」
ぼんやりと回想中だったヒノメをどう思ったのか、痺れを切らしたカストロが先制攻撃を仕掛けてくる。
ヒノメは、それを一歩も動くことなく悠然と構え迎え打った。
そんなヒノメに、カストロは猛烈な勢いでラッシュを放つ。
(ん、体術はなかなか)
かなり鍛えてあるのだろう。そこら辺の念能力者ならば纏のみで倒せるレベル。最も、そのようなレベルではヒノメにかすり傷一つつけることはできないのだが。
ヒノメはラッシュの一つ一つを見切りいなし、交わしていく。
幾度か反撃出来そうな機会はあったが、ヒノメは敢えてそれを見逃しカストロがダブルを仕掛けてくるのを待った。
そして。
「ッ!?」
不意に、全く予期せぬ方向からの攻撃がヒノメを襲う。
諸に受けたヒノメは、地面に叩きつけられるとそのまま吹き飛ばされ転がって行った。
「クリーンヒット! 1ポイントカストロ!」
『おぉっと! カストロ選手の猛烈なラッシュラッシュラーッシュ! それをいなし切れなくなったのかぁ? ヒノメ選手今試合初めてのクリーンヒット!』
審判と、実況、そしてファンのものなのだろう悲鳴を聞きながらヒノメは思う。
なるほど、上手い、と。
あの一見動き辛そうなヒラヒラとした服は、相手の死角を作りやすくしそこにダブルを具現化するためなのだろう。
ヒノメはダブルを使うという事前情報を知っていた為カラクリがわかるが、初見では達人であっても見抜くのは至難。
上手く考えている、とヒノメはまずカストロを称賛した。ダブルを活かす為に最大限の努力をしている。
だが、これではっきりした。このカストロという男は。
「どうかな? 私の腕は」
「……失敗例」
「……なに?」
ぽつり、とヒノメの漏らした一言に、カストロの顔色が変わった。
「どういうことだ?」
「貴方、強化系?」
ヒノメは、カストロの問いには答えずパンパンと埃を払いながら問う。
「……だとしたら、なんだ?」
「やっぱり」
ヒノメはこっそりと嘆息する。
このカストロという男は、典型的な失敗例だ。
能力者の発、というものは必ずしも本人の趣向と才能が一致するとは限らない。
絵の才能がないのに画家を目指す者がいるように。音楽の才能がないのにミュージシャンを目指す者がいるように。
念能力者の世界にも、そういった才能と趣向が一致しない者がたくさんいる。むしろ、一致しない者の方が多いのではないだろうか。
カストロもまた、そういった不幸なタイプの一人だった。それだけのことだ。
ヒノメはカストロをどこか哀れみを含んだ目で見る。
「負け惜しみにしては……面白くないな」
それが彼の癇に障ったのだろう。涼しげな表情はどこへやら、カストロは全身から怒気を放つ。そんなカストロにヒノメはわずかに思案する。
(まぁ、少しだけレクチャーしてあげようかな)
「貴方のそのヒラヒラした服」
「……」
「なかなかいいアイデアだと思うけど、それ、裏を返せば貴方の能力への自信の無さとも取れるよね?」
ピクリとカストロの眉がはねあがる。
「貴方、もしかして素早い能力の発動が出来ないんじゃない?」
カストロのように、具現化系から離れた系統の能力者が何かを素早く具現化するのはとても大変だ。その困難さは、強化系がオーラを変化させるのの比ではない。
どんなに具現化系を自身のできる範囲で極めたとしてもその具現化には多大な集中力を要するだろう。今のカストロでは、最短でも数秒の時間を要する。
その時間をカストロはラッシュで稼ぐなどしていたのだろうが……。
「何かを集中しながらのラッシュでは当然その動きは単調なものになる。貴方のラッシュ、とても隙だらけだった」
それでも曲がりなりにもちゃんとした攻撃になっていたのは、カストロの肉体に染み付いたこれまでの武錬の賜物と生来の強化系という系統の恩恵だろう。
それだけに惜しい。彼がその有り余る才能を生来の系統に注いだなら、有数の使い手になれただろうに。
……最も、彼が強化系というのは不幸中の幸いでもあるのだが。
「でもまぁ、参考になった。ありがとう。それじゃあお休み」
そう言って悠然と間合いを詰めていくヒノメに、何かを感じ取ったのだろう、カストロはじりっと一歩後退する。
「ッ……舐めるなぁァァァ!」
そして、そんな自分が許せぬように咆哮するとヒノメへと向かっていった。
その瞬間、カストロの顔面を見えない衝撃が襲った。
「!?!?!?」
顎を打たれ、カストロの視界がグニャリと歪む。そんな歪む世界の中で、しかしヒノメの声だけはどこまでもカストロの耳に鮮明に届いた。
「見えた? ……その様子じゃ見えなかったかな。今、一瞬だけ具現化して殴って、消してみたの」
(バカ、な)
全く、見えなかった。カストロは、あまりのレベルの差に愕然とする。
「じゃあもう一度やってあげるから、防いでみて。……無理だと思うけど」
(そ、そうだ。だ、ダブルを…………ッ、だ、せないッ!?)
カストロは集中しダブルを出そうとするが一向にダブルが出る気配はない。そんなカストロの鳩尾や肩、太ももなどを次々に衝撃が撃ち抜いていく。カストロはボキンボキンと骨が折れる音が体内に響くのを聞いた。
「ただでさえ能力を出すのに集中を要する貴方が、精神の乱れた非常時に能力を出せるわけがない。……まぁそういう訓練を積めば話は別だけど」
カストロのように具現化系から離れた能力者が、非常時にも素早い具現化を可能にするには方法は二つ。
一つは如何なる状態でも心を乱さぬ不動の精神を身に付けること。もう一つは、寝ている間でも具現化し続けられるほど具現化に慣れること。
ヒノメは後者を、しかしカストロはそのどちらも取得できていない。
「あぁ、それに能力の操作もまだまだ。貴方、凄く単純な動きしか出来ないでしょう? あれじゃあ使い物にならない」
ヒノメの言葉一つ一つがカストロの胸を穿ち、そのプライドを打ち砕いていく。
だが、なぜだろう。それに屈辱を覚えないのは。
カストロは、子供の頃、道場で虎咬拳を習い始めた頃のことをなぜか思い出していた。
痛みと共に、体に教訓を叩き込む実践式の指導。才能に溢れたカストロは、すぐに師範を追い越し習うことなどなくなってしまったのだが、そうだ、あの頃もこうして殴られながら骨を叩き込まれたものだ。
それがなぜだか酷く懐かしい。
「……とりあえず全治半年位にしておくから、その間ずっと能力を消さずに自分の世話をさせ続けてみて。そうすれば少しはマシになると思うから」
脳が揺れ、思考が真っ白になっているからなのか。
ヒノメの言葉が、彫刻刀でゴリゴリと削られるようにカストロの脳裏に刻み付けられていく。
「それじゃあ、お休み」
(押忍……)
カストロは、心の中でそう呟くと気絶したのだった。
『見事にジンクスを破り、初戦を華々しい勝利で飾ったヒノメ選手へ皆さん拍手をッ!』
観客達の盛大な拍手と歓声を背に、ヒノメは舞台を立ち去る。
人気のない選手専用の通路を歩きながら、ヒノメは今日の戦闘を回想した。
あのカストロという選手は、念技術も未熟、ダブルも未完成ではあったが、その戦い方自体は面白かった。
彼はその未熟さ故、ダブルを最大限に活用出来なかったようだがダブルを極めたヒノメならより幅広い戦略を取れることにヒノメは気づいたのだ。
例えば、カストロ戦で出したように一瞬ダブルを具現化し直ぐに消す戦法。これは、相手が超一流であれば微かに攻撃を察知できるかもしれないが、初見でそのからくりを見抜くのは不可能だ。
これを利用し、さらに死角から攻撃したらどうだろうか。
例えば戦闘中、一瞬脚を引っ張りバランスを崩させる。別の部位に意識を手中させてから顎や後頭部、金玉などの急所を狙い打つ。敢えて本体で硬の攻撃をすることで相手に流の防御をさせオーラの薄い部分を穿つ、等々。選択肢は無数。
ヒノメは、今までドッペルゲンガーは“自分が出来ることしか出来ない”能力だと思っていた。単純に数的有利を作り出すだけの能力だと。故に、そこに選択肢を加えるためドッペルミラーを作り出した。
だが、違った。ドッペルゲンガーは、“自分が出来ることなら何でもできる”能力だったのだ。そして、そこに相手に変身できるドッペルミラーが加われば選択肢は無限に広がる。
今さらながら、ヒノメは能力とは使い方次第なのだと気づいたのだ。
(あのカストロという男……)
彼は、実に良い教材だった。
一つは反面教師として。強化系にもかかわらず、具現化、操作の能力を身につけてしまった彼はヤマトに自分の系統に合わない能力を身につけてしまった場合どうなるかの良い例になる。
それでも、カストロはまだ幸運だ。なぜなら、彼は特に複雑な発を必要としない強化系なのだから。纏と練を極めていけばそれが必殺技と呼べるほどになる強化系にとって、よほど複雑な発にならない限りメモリだなんだという話とは無縁だ。その点、カストロはそのメモリをダブルにすべて注ぎ込んではしまったが、特殊な付加能力を与えようとさえしなければ充分強化系の能力は使える。何せ、生まれもった系統なのだから。
これが変化系なのに操作系に執着してしまったものの末路や、放出系にもかかわらず具現化系を覚えてしまったものの悲惨さ足るや。どれほど基礎技術を極めてもそこそこの能力者が精々となる。
そういった意味で、カストロは非常に幸運だった。
そして、もう1つはヒノメにとってのダブルの教材だ。彼は、弱い。ヒノメに比べてあまりに不完全なダブルは、否応なしに彼にその不完全さを埋めようと努力させるだろう。その結果生まれるのが、非常に柔軟性に富んだダブルを用いた戦術の数々である。多少の不便が進歩の栄養剤となるのは人類の歴史が証明している。必要に駆られたものが、それ以外のものより有益なものを生み出すのは道理。ことダブルにいたってはヒノメよりカストロの方が洗練された戦術を生み出してくれることだろう。
ヒノメは、それを見て面白いと思ったものを自分に取り入れて行けばいい。カストロが苦労と思案の末に切り開いていった、いわばダブル流というものにヒノメはタダ乗りできるのだ。
故に、ヒノメは決めた。
(あのカストロって人、本人が頼んで来たら少しだけ念を教えてあげよっと)
カストロを、ヤマトの片手間ではあるが鍛えることを。
今のカストロのダブルではあまりにできることが少ない。それではヒノメが参考にできることなど少なく、旨味がない。ならば、参考にできるそこそこの範囲までヒノメが鍛え上げてやればいい。
当然、素質が無い分彼は苦労することになるだろうが、まぁそこは“死ぬ気”で頑張って貰おう。……ヒノメがより成長する為に。
と、100%自分の利益しか考えていない、しかしカストロにとっては二重の意味で涙が出るほど有難い育成プランを考えながらヒノメが歩いていると、ふと前方に人の気配を感じた。
その人間が放つ洗練されたオーラに、ヒノメはわずかに身構える。
(かなり、強い……)
この天空闘技場では破格の強さだ。腕輪が作動しないところを見ると、どうやら敵意を持ってはいないようだが……。
そんな風に立ち止まるヒノメに、相手はしかし無造作に歩みよってくる。まるで隙だらけな挙動。それは私は敵意なんて持っていませんよ、と語りかけてくるかのようだった。
やがて、暗闇から一つの男が姿を現す。
大体、見た目は20代後半くらいだろうか。ボサボサに跳ねた頭にだらしなくズボンからはみ出たシャツ。メガネを掛けた柔和な顔立ちは、警戒心を失わせるような朗らかな笑みを浮かべている。
男はパチパチと拍手をしながらヒノメに語り掛けてくる。
「いや、先ほどの試合、実にお見事でした。その歳であれほどのダブルを一瞬で出したり消したりできるとは」
その言葉に、ヒノメは男への警戒心をより高めた。
(コイツ、あれだけで見抜いたのか)
確かに、カストロにアピールする為連続で出したり消したりはした。しかしそれでも凡百の使い手に見破られるスピードではないはずだし、それをダブルを見抜けるということは男が念能力に深い造形を持っているという証拠だった。
ヒノメは、僅かに、ほんの僅かに腰を落とし戦闘体制を作る。
だが、そんなヒノメの警戒は次の男の一言で根こそぎ吹き飛んだ。
「さすが、カルロス先輩の娘さんだ。いや、才能を見るにエリナさん似なのかな?」
「ッ!?」
男が知るはずもないヒノメの両親の名前。それにヒノメはハッと息を飲む。
「父さんと母さんを知ってる、の?」
「ええ、良く知っています」
(最も、理解していた、とは今となっては口が裂けても言えませんが……)
とは口に出さず男はヒノメに手を差し出すと言った。
「申し遅れました。私、カルロス先輩の弟弟子のウイング、と申します」
「弟弟子……」
「良ければ、これからお時間はありますか? あなたに会いたがっている人たちがいるんです」
「誰……?」
そう問いかけるヒノメに、ウイングはニコリと笑い。
「カルロス先輩のご両親……あなたのお祖父さんとお祖母さんですよ」
そう言ったのだった。