ふえっくち!
うう… さすがに濡れたままの服でいると寒いです。
仕方がありません。あたしは肩に背負ったナップサックを下ろし、あの制服を取り出します。
コレをどうやって入手したかを考えると、本当は服としてではなく、布として使用したかったのですが仕方ありません。
ふ… ぅえっくちっ!
あうう… つべこべ言う間に着替えないと、風邪を引いてしまいます。
とりあえず、上着からです。濡れた服が肌に張り付いて脱ぎにくい… どうしてこんな思いをしなければならないんでしょう。
よいしょっと。
…あ、忘れてました。
どうもこんな時にすいません。天倉 澪です。
ただ今、ずぶ濡れとまではいかなくとも結構濡れちゃってますので、着替えている途中なんです。
激しい雨に打たれた。とか、あの川を渡っている途中、橋が崩れて落っこちた。とか、そんな理由ではなく、
オバケのせいなんです。
あの門をくぐった後、対岸に見える不気味な屋敷へと続く橋を、慎重に渡っていると、手にした射影機がかすかに震えました。
すぐさまファインダーを覗いて辺りを見回すと、
川に、白いワンピースを着た女の人の霊が、ゆらゆらと漂っていました。
すぐさま襲ってくるようなオバケではなさそうでしたので、下手に刺激するのもよくないと思い、やり過ごそうとしたのですが… そんなあたしの考えを見透かしたかのように、突然、襲い掛かってきました。
空中を、それこそ泳ぐように向かってくるオバケは初めてだったので、かなり時間がかかりましたが、それでもなんとか、撃退に成功しました。
成功はしたんですが…
なんだかね、やけに水をかけてくるんですよ。そのオバケ。
途中で姿が消え、射影機のフィラメントにも反応が無くなったので、ひょっとして逃げていったかな?
とか思ってたら、
頭上から、
冷たい水がポタポタと。
何事と思って見上げてみれば、
そこには、
恨みがましくあたしを睨む怖い顔。
…いや、あれは怖かったです。ビックリして悲鳴を上げて、その場にしりもちとか突いちゃいましたからね。
そんな事もあり、おまけに少しではありますが、雨が降り出してきたこともあって、この屋敷にたどり着いたときにはこの有様ですよ。
まったくもってヤレヤレです。
おまけに例によって例のごとく、屋敷に入ったとたん、その玄関の扉は閉まりきって、どんなに力を入れても開かないし、最初に入った家で手に入れた懐中電灯は点かなくなっちゃうし。
しかも急に雨がひどくなってきたのか、雨音に混じって時おり走る、雷の鋭い光と響くような音。ホラー映画の要素がここにきて一気に押し寄せてきましたよ。
懐中電灯にしてもそう。どこも壊れた様子も無い、それに電池切れで点かなくなるのなら、だんだん光が弱まっていくのが普通です。それなのに、この屋敷に入ったとたんに点かなくなっちゃうんですから。
…あ、ちょっと待って下さい。いま制服の上着を着ちゃいますから。
…とまあ、そんなわけで、すでに朽ちてボロボロとはいえ、入ったばかりの人様の屋敷の玄関で、着替えをするハメになってしまったわけなんです。
緊張感の欠片もありませんが、これでもね、
怖いんですよ?
なんと言いましょうか、今までいた村は、現実とあの世の中間にあるような感じがしたのですが、この屋敷はそこからさらにあの世に近いような。そんな印象を受けます。
身体にまとわりついてくるような空気にすら、なにか怪物が腹の中へとあたしを飲み込もうとしているような、無頓着な悪意を感じてしまいます。
ひょっとして、こんな所で着替えようと思ったのは、風邪を引かないよう、濡れた服を着替えるというのはもちろんですが、
無意識のうちに、この屋敷の奥へは行きたくない。少しでも先延ばしにしたいというような、ちょっとした悪あがきだったのかもしれません。
とはいえ、いつまでもここで時間をくうわけにはいきません。
もし、ここにお姉ちゃんがいるなら、早く連れ戻さないと。
…割と大丈夫な気がしないでもないですが、そこはそれ、これはこれです!
時おり光る、雷の明かりを頼りに、早く着替えを済ませてしまわなければ。
…ずいぶんと光ってますね。
あれ?
変ですよ?
さっきから、雷はあたしを照らし出すかのように光ってます。
それ自体は別に変ではないですし、むしろその光のおかげで助かってはいるんですが、どうにも違和感があります。
ゴロゴロと、雷の鳴っている音はたまにしか聞こえないのに、ずいぶんピカピカ光ってます。
光と音では到達するスピードに差があるため、雷が光ってもすぐに音が聞こえてくるわけではない、と学校で習いました。
それにしたって変です。光と音の回数に差がありすぎます。
光が7、音が3くらい。
おかしいな、と上を見上げた、その瞬間、また光りました。
『………』
………
『…あなや、見つかった』
はい。見つけちゃいました。
あたしはすぐさま射影機を構え、天井に器用にへばりついて、逃げ出そうとする黒い影に向かってシャッターを切りました。
『ぎゃん!』
ぼて、と、まるでカブトムシか何かのように、その影は落っこちてきました。
カメラを抱えてました。
カメラを守るように落っこちてきたので、ろくな受身も取れなかったようです。オバケのくせに、うんうん唸ってます。
なるほど。このカメラのフラッシュが、多すぎる雷光の正体でしたか。
つまりアレですか。あたしが着替えている間ずっと、このオバケは盗撮してたんですか。
しかも今、制服のスカートをはこうとしてレギンズを脱いでるから、上は制服、下はくまさんパン… もとい、下着姿というあられもない格好を写真に撮られたと、そういうわけですか。
そうですか。
そうなんですか。
そうなんですねえっ!!
『ひいいいいいいい…』
ふん。なにがひい、ですか。
『た、たのむ。データは消すからカメラだけは…』
高そうなカメラですもんね、大事なカメラなんでしょうね。
…でもね、
乙女の着替えを盗撮したのに比べれば、そんなものは、ただの高価な燃えないゴミですよ!
『ゆ、許せ。許してくれ』
いーえ、許しません。
あたしだって、怒るときは怒るんです。
それともなんですか。自分はもうオバケだから、この世の法や常識や良心は関係ないとでも言うつもりですか。
甘いですよ、そんな考え。
もし、そんな理屈が通るのだとするならば、
オバケの変態は、
あたしが裁く!!
『うおおおおおおお…』
…と、いうわけで。
悪は射影機の力によって消滅しました。
SDカードは二つに割って、ぐりぐりと足で踏みにじりました。
カメラはバッテリーのカバーとか、外せる部品は全て外し、緩められる箇所は全て緩め、玄関にあった瓶の中にまとめて放り込みました。
ずっと放置されていたようで、中の水は腐っていたみたいですが、運がよければ修理して、また使えるようになるでしょう。
…さて、
着替えも終わりました。夏服でしょうか? 半ソデの白のカッターシャツに、膝下まである、濃い青のスカート。そしてポシェット。
ノートパソコンを入れるようなデザインなのですが、それよりは一回り… いえ、それ以上にサイズが小さいです。携帯ゲーム機のケースよりは大きい、そんなところでしょうか。
射影機も、さっき問題なく作動したところを見ると、壊れてはなさそうです。仕方なかったとはいえ、濡らしてしまったので大丈夫かな、と思っていたのでよかったです。
それでも防水仕様というわけではなさそうですから、気をつけて使っていきましょう。今となってはあたしの味方はこの射影機だけかもしれませんし。
着替える前に着ていた服は、惜しいですけどここに置いて行くことにしました。濡れた服をナップサックに入れてしまうと、一緒に入っているフィルムなんかが水気でダメになってしまいますからね。
と、いうわけで、
玄関で、ずいぶんと無駄な時間をくってしまいましたが、
ポシェットに点かなくなった懐中電灯を入れ、
ナップサックを肩にかけ、
射影機を手に持って、
さあ!
お姉ちゃんを探しに出発です!
『おおお…』
『現役女子中学生の生着替えした服…』
『クンカクンカするのだ…』
『スーハースーハーするのだ…』
…その前に、もう一戦やらないといけないようです。
果てしないですね、ここの変態どもは。
(あとがき)
こんな変態な怨霊、いるわけないだろう。と言う、そこのアナタに尋ねよう。
アナタは、階段の下から、お姉ちゃんをローアングルで撮ろうとした事が無いと… 言いきれるのかな?
…どうでもいい所で尺を取りすぎですね。すいません。ただ今、眞紅の蝶、プレイ中です。