この夜が明けない村で、時刻にどれくらいの意味があるのでしょう。
目に付くところに時計なんて無いし、そもそもあたしも時計を付けていませんし、親にケ-タイも持たせてもらってません。
こんにちわ、でしょうか。
こんばんわ、なのでしょうか。
多分ですけど、この村に迷い込んでから経過した時間を考えると、こんばんわ、だと思います。
という事ですので、
こんばんわ、天倉 澪です。
あれから、その場にへたりこみそうになる虚脱感をなんとか追い払い、あたしはお姉ちゃんを連れ戻すため、村の奥の方へと足を進めました。
角を曲がり、渡り廊下の下をくぐり、不気味な村の道を進みます。
そして、
「お姉ちゃん!」
その姿が見えたのは、あたしが呼ぶのとほぼ同時に、お姉ちゃんが角を曲がっていった数秒だけでした。
あたしは無我夢中で走りました。
前述したように、お姉ちゃんは脚を悪くしています。どんなに急いでも、ひきずるようにしか走れません。だから、追いつける。追いつけるハズ。
なのに、
「お姉ちゃん… 待って、お姉ちゃん!」
お姉ちゃんは大きな門に、まるで吸い込まれるかのようにして入っていきました。あたしも続こうとしたのですが、お姉ちゃんを捕まえようとした、その直前で、無情にも閉まってしまいました。
もちろん、あたしもその門を開けようと力を込めたのですが、ビクともしないんです。
あの最初に入った家に閉じ込められたみたいに、不自然な力で押さえつけられているようなそれとは違い、今度は鍵がかかってしまったようなのです。
お姉ちゃんが内側から鍵を掛けたのでしょうか? …そんなハズありません。
でも、
だったらどうして?
…とにかく、この門を開けるには鍵が必要です。調べてみると、それも二つ要るようなんです。
どうしましょう。
鍵を保管してある場所なんて、当然知りませんし、当てもありません。
この門は諦めて、別の入り口を探すとかした方がいいのでしょうか。
そう思って、
振り向いた、
そこに、
「…ヒッ!?」
男が三人、あたしの事を囲むようにして立っていました。
…いえ。男、という言い方は、本当は正しくないのでしょう。
なぜならその男達は、もうこの世の者でないということがハッキリしているからです。
霊感の有無なんて関係ない。十人がそれを見れば十人ともそう判断するでしょう。
墨よりもまだ黒い『何か』で描いた、悪意のある絵から抜け出てきたような、現実味の無い身体。
何か嫌なものが住んでいる洞窟のような、暗く、ぽっかりと開いた眼と口。
そんな、得体の知れない不気味な男が三人。あたしをここから逃がさないと言わんばかりに、こちらの様子を伺っているのです。
たまらず、閉まりきった門に背中を押し付けるようにして、あたしはその場から、恐怖で動けなくなってしまいました。
怖い怖い怖いっ…
それでも、目を背けたら、その瞬間に襲われそうな気がして、必死になってその三人を睨む… いえ、睨む勇気なんてありません。とにかく目を離さないようにするのがやっとです。そしてそれが、あたしに出来る精一杯の抵抗でもありました。
…と、
あたしの方から見て左にいる男が、懐から何かを取り出し… へ?
あれ?
取り出したのは… カメラ!?
それもあたしが持っている射影機のような古いものではなく、最新式の… や、あたしもカメラに詳しくは無いのですが、この村の雰囲気には全くなじまないくらい、立派なカメラを取り出しました。
そして、それをあたしに向けて、
シャッターを、
『待て』
…きろうとしたその時、真ん中の男が止めました。
『レイヤーに断り無く撮影するはマナー違反ぞ』
は? レイヤー? よく分かりません。が、
『おう、そうであった』
カメラを持った男は、しまったとばかりにレンズを下げました。 …あれ? なんでしょう?
なんだか、さっきまで感じていた恐怖とはまた別の恐怖が、ムクムクとわいてきましたよ?
『しかし、どうも府に落ちぬ』
そう言ったのは残る一人。右にいる男です。
『こやつ、本当にレイヤーか?』
『レイヤーでは無いと申すか?』
『撮影会場はココでは無いと申すか?』
『どうにも分からぬ』
『分からぬ』
『分からぬなあ』
『ではどうする?』
『尋ねよう』
『そうじゃ。尋ねよう』
そして、真ん中の男があたしの方をじっと見つめてきました。どうやらこの男がリーダーのようです。
『おぬしは、レイヤーか?』
…さあて、どう答えたものでしょうか? あたしにはレイヤーが何のことなのか分かりません。ですがとりあえず、話は出来るみたいです。
なので、ここは穏便に事を済ませられるよう、正直に答えた方がいいのでしょう。
適当な事を言って、変に逆ギレされたらそれこそお終いです。
あたしは汗ばんだ両手にぎゅっと力をこめて、カラカラに乾いた口を開きました。
「いえ、違います。あたしはレイヤーとか、そういうのじゃありません」
男達にちゃんと伝わるよう、まだ震えている唇に力を込めて、できるだけゆっくり、はっきりと話します。
でも男達は黙ったまま、身動き一つしません …たぶん、伝わったと思うのですが。
先を続けろ、という意味なのでしょうか。
「…あたしは、この門の奥に行ってしまったお姉ちゃんを助けたいんです」
男達はまだ、黙ったままです。あたしはさらに、言葉を続けます。
「お願いです、力を貸して下さい。勝手な事を言ってるのは分かってますけど、それでもあたしは、お姉ちゃんと一緒にこの村から出たいんです。お願いです、あたしをお姉ちゃんの所へ行かせて下さい」
そして、しばらくの間、あたしも、男たちも無言のまま、時間だけが流れていきました。
それは数分だったのか、それとも数秒の事だったのかは分かりません。が、
『なるほど… そなたはレイヤーではなかったのだな』
左にいた、カメラの男がつぶやくようにそう言いました。そしてカメラをゆっくりと、元の懐の中へとしまいこみました。
分かってくれたのでしょうか。助けてくれるのでしょうか。
…なんて、甘かったです、本当に。
「あーっ! ウソですゴメンナサイ! あたし本当はレイヤーです! レイヤーが何するモノなのか分かりませんけどレイヤーです! レイヤーに命かけてます! ウソついてゴメンナサイ!」
我ながら見事なまでの方向転換です。
だって、
カメラをしまったその手で、刃渡りの大きい鎌なんて出されたら、誰だってこうなると思いますよ?
『うむ、レイヤーであったか』
『しかし解せぬ』
『おぬし、衣装はどうしたのだ?』
え? 衣装? とりあえず、大鎌で襲われるという危機は脱したようですが… 衣装って、なんの事でしょう?
『衣装も無しで何をするつもりか』
『おぬし本当にレイヤーか?』
『我らを騙そうとしているのではないか?』
なんだかよく分かりませんけど、衣装が必要みたいです。でも、この人達が言うところのレイヤーでないあたしが、そんなもの持っているわけがありません
でも、だからと言って、持ってません、なんて正直に答えたら、またあの凶器が出てきてしまいそうです。
「あの… 友達の家に…」
人間、追い詰められるとこれ位のウソはつけるようです。そんなあたしの答えに、三人は顔を見合わせ、再び、あたしの方へ視線を戻します。
うう、そんな眼で… 眼があるかどうかなんて分かりませんが… できるだけ見ないで欲しいです。
すっごい不気味です。夢に出てきそうです。
『忘れたと申すか』
『今は無いと申すか』
『コスプレができぬと申すか』
コスプレ。というのは聞いた事があります。確か、アニメやゲームなんかの衣装を着るやつですよね? …え? ってことは、レイヤーってつまり、そういうこと?
『仕方ない。それでは今回は特別だ』
右の男がそう言って、何か、黒い服? を取り出しました。そしてあたしの方に近づいてきて… 怖いです… それを手渡してきました。なんでしょう? なんだかどこか、なじみのある手触りです。すこしだけ躊躇しましたが、思い切って広げてみました。
…え? スクール水着!?
『案ずるな』
『我らは向こうを向いている』
『着替えたら声をかけてくれい』
着ろと。
ここで着替えろと。
しかも水着に着替えるってことは、一度全裸になれってことじゃないですか!
いくら向こうを向いているからとか言われても、そんなの無理に決まってます。
なので、
「あ、あの~ ちょっといいですか?」
『なんだ』
「その… スクール水着をこんな所で着るのは、ちょっと…」
『気に入らぬと申すか』
『競泳水着の方がよいと申すか』
『旧スクでなければ着ぬと申すか』
『白スクでなければ納得できぬと申すか』
『こだわるなあ』
『こだわるなあ』
「いえ! その、学校で着ているので! …あと、できればもう少し、肌の露出が少ないのがいいなあ、と…」
『ふむ』
『一理あるな』
『では、わしが用意しよう』
…ふう。なんとか、こんな場所で水着に着替えるという、女子にあるまじき行動を回避する事はできたようです。
でもその代わり、今度は真ん中の男がなにやら取り出してきました。
あれは… 制服でしょうか? あたしの通う中学校の制服ではないようですけれども。
そしてまた、さっきと同じように、その制服を手渡してきました。
…出来れば地面に置いて、あたしがそれを取りにいくとかして欲しい… うう、近くで見ると一段と怖いよぅ… と?
『待て』
『そうじゃ、待て』
残った二人から物言いです。何か問題でもあるのでしょうか。正直、この状況を考えれば、スク水に比べたら全然いいんですけど… ココで着替えなきゃいけない、という以外はですけどね!
『その娘は、学校で着慣れているからと、スク水を拒否したではないか』
『そうじゃ』
『制服も同じではないのか』
『その通りじゃ』
『わかっておる』
文句を言う二人に、この男は自信たっぷりです。どうでもいいけど離れてくれないかなぁ?
『娘。制服の上からこれを着るのじゃ』
そう言って、さらに取り出したのは… エプロン?
『おお!』
『なるほど!』
さっきまで文句を言っていた二人から、驚きの声です。え? なんで?
『制服エプロン!』
『制服を着る年頃で、かつ、家にご飯を作りに来てくれるほど親密な娘がおらねば成り立たぬ、奇跡の組み合わせ!』
…あー。なんだかなー。しょーもない理屈だなー。
『よし、決まりだ』
『決まりだな』
『娘よ、それを着るのだ』
『我らは向こうをむいておる』
『終わったら声をかけてくれればよい』
『できれば… そうじゃ。妹風にな』
…はい?
『なんじゃ、分からぬのか』
『着替え終わったよ、お兄ちゃん。と言うのじゃ』
『わしは素直になれない幼なじみ風に頼むぞ』
そして、三人は向こうを向きました。
…正直、無防備な背中に向かって思いっきり蹴りを入れたいところですが、それが通じるかどうか分かりません。
もちろん、言われた通りにコスプレをするつもりもありません。
そんなことをしたら、今度はどんな行為を要求されるか、分かったものではありませんから!
と、いうことで。
『おのれ! あの娘、逃げて行きおったぞ!』
『わしのスク水を持ったままじゃ!』
『わしは制服とエプロンじゃ!』
『おのれ!』
『おのれえ!』
『わしらの純情をもてあそびおって!』
…どうやらこの村では、『変態』と書いて、『純情』と読むらしいです。
まあ、向こうを向いて、あたしが声をかけるまでそのままなわけですから、逃げるのは割と簡単でした。
スク水と制服とエプロンを持ってきたのは、ささやかな抵抗です。どこか、汚い所にでも投げ捨ててやります。
か弱い乙女にムリヤリ言う事聞かせようとしたのですから、この程度の罰で済んで、感謝して欲しいくらいですよ、ええ。
…射影機だってありましたしね。
恐怖で忘れてましたけどね!
実に無意味な恐怖でしたけどね!!
…ハア …ホント嫌だ。この村。
(あとがき)
夢枕 獏センセイの、陰陽師シリーズとか読んでます。