ガタガタと、古ぼけた引き戸をムリヤリ揺らして出来た隙間に、これまたムリヤリ指を突っ込み、力任せにこじ開けます。外とは違う、埃っぽい、カビ臭いツンとした空気があたしの鼻を刺激します。その、なんとも言えない空気に顔をしかめつつ、開いた戸の先に見える屋内に、懐中電灯の光を走らせます。
元々、そんなに強い光ではないので、そこまでハッキリとは見えませんが… それでもボロボロの障子や、何のために掛かっているのか分からない暖簾(のれん)、土間には、おそらくは水や、穀物を保存していたと思われる瓶が、無残にも大きなヒビが入った姿で無造作に転がっています。
あたしは慎重に、懐中電灯の光をそこらに這わせながら、ゆっくりと屋内に上がりこみます。と、あれだけ苦労してこじ開けたハズの戸が、
スウっと、
まるで自動ドアのように滑らかに動いて、
パタンと、
乾いた音を立てて、閉じてしまいました。あたしはそれをチラリと見ただけで、すぐに屋内へと視線を戻します。もう慣れっこです。どうせ開けようとしても、さっき入るとき以上に力を入れたとしても、開かないのでしょう。絶対に。
そんなわけで、ちょっとずつこの村の怪奇現象に慣れっこになってきました。天倉 澪です。
―桐生家。
座敷牢で襲い掛かってきた男が言っていた、立花家と天地をつなぐ橋でつながれた家。以前、樹月くんに逢坂家についての話があった時、一緒に教えてもらってたので、場所は分かってました。それに天地の橋… この家と、通りを挟んで建っている家、立花家。その二つをつないでいた渡り廊下こそが、おそらくは『天の橋』なのでしょう。
なんでもこの村は、祭主である黒澤家を筆頭にして、桐生家と立花家、逢坂家、槌原家といった有力者達で治められていたのだそうで。通りでずいぶんと大きな家です。黒澤家には及びませんが、それでも立派に屋敷と言っていい構えでしょう。
もちろん最初は、桐生家ではなく、お姉ちゃんが向かったという立花家へ向かうつもりでした。けれども、立花家へ入る扉は、全て閉め切られ、どこからも入ることが出来ませんでした。どういうつもりなのか、扉という扉、窓という窓、全てに板が打ち付けられていたんです。
そしてさらに不気味な事に、その板に鎌やノコギリ、斧、あげくには包丁なんてモノまでやたらめったら突き刺さっていました。
まるで、一度閉じ込めたハズの何かを、ムリヤリ引きずり出そうとでもしたかのように。
そんなわけで、あの座敷牢の男の言葉を頼りにこの家に来たワケなのですが… なんと言いましょうか、立花家と違う、この桐生家に入って感じた印象は、
何も無い。
今まで訪れた場所は、人ではない、この世のものではないにせよ、『何か』の気配がしていたんです。何かいる。その暗がりに、天井の隅に、あたしの影の中に、何かがいた。あたしが見えない所で、気がつかない所で動いて、囁いて、様子を伺っている何か。
それが、この家の中には全く感じない。 …いえ、そうじゃない。
この家は、桐生家は、
終わっている。
終わっているから、何もない、続かない、始まらない。終わったままだから、何も動かない、囁かない。終わって、終わり続けている―
それでも、この家を抜けて、なんとかしてお姉ちゃんのいる立花家への通路を見つけないといけない。そして二人で、この村から抜け出さないと。桐生家が終わっているからと言って、あたしがここで終わるわけにはいかないんだから。そう気持ちを奮い立たせ、懐中電灯と射影機を握り締め、あたしは一歩、踏み出して―
転びそうになりました。
「…え?」
後ろから急に、スカートを引っ張られました。突然の出来事に、あたしは一歩目を踏み出そうとしたそのままの姿勢で、固まってしまいました。それでもスカートはまだ、引っ張られ続けています。
誰に? 何に?
射影機は全く反応してない。それに、スカートを引っ張れるほど、すぐそばに『何か』が居るハズなのに、何の気配も感じません。得体の知れない、それでも確実に背後に居るであろう『何者か』に、全身の毛穴から嫌な汗が噴き出します。
おまけにスカートを引っ張る以外に、何かしてくる様子も無い… いえ、めくりあげられたりずり下ろされたりしたら、それはそれで大ピンチですが… とにかく、振り向くしかない。振り向いて確かめないと。そう思って、あたしは恐る恐る、ゆっくりと後ろへ振り向いたのですが…
「何も… いない?」
目に入ってきた物は、あたしが入ってきたばかりの引き戸、ただそれだけ。本当にそれだけです。それ以外になんにもありません。じゃあ、スカートを引っ張っているのは、一体?
ゆっくりと深呼吸しながら、ちょっとずつ目線を下げていきます。
すると、
なんとそこには!
予想だにしなかった光景が!!
…引き戸にスカートが挟まってました。
もう一気に脱力です。さっきまでの緊張感を返せ! と叫びたくなりました。あーもう、なんだかなー。前回、油断したせいで酷い目に会ったから、必要以上に警戒してしまったようです。とはいえ、警戒するに超したことは無いんでしょうけど、これはいくらなんでもあんまりです。
まあ、いつまでもスカートを挟んで動けないままでいることも無いでしょう。あたしは苦笑気味に、スカートを引っ張りました。
…取れない。
少しばかり引っ張る力が弱かったでしょうか? 全く、こんな事でいちいち手を煩わせたくは無いと言うのに。そんなわけでワンモアです。さっきよりは力を入れて、スカートを引っ張ります。
…取れない。
え、ちょっと待って。あたしはもう一度、スカートを両手で持って、体重をかけて引っ張ります。
ふんぬううう~~~~~~っ!
…やっぱり取れない。
えーっ!? ちょっと待って。これマジで? ウソでしょ? ようやく事態を飲み込めてきたあたしは、慌ててスカートを挟んでいる引き戸を開けようと試みます。が、もちろん分かっていた通り、ピクリとも動かない。ならばとスカートを引きちぎろうとしましたが、コレが縫製がしっかりしていて全く破けません。う~む、さすがあのヘンタイ三人衆のコスプレ衣装。あなどれません。
いやいや、そうじゃない、感心してどうする。ハサミとか、あるいはその代わりになるものがあれば良かったのですが、その類のものは、あいにく持っていませんし、手の届く範囲にそれらしき物も無いようです。さっきとは違う意味で、嫌な汗が出てきちゃいました。
どうしよう。いやマジでどうしよう? どうしたらいいの!? …と、予想だにしてなかった事態に慌てるあたしの耳に、
カタン、
と、『何か』の音が聞こえました。古くなった天井から何か落っこちたのかな? と思って音のした方へ目を向けると、
女の子が二人、立っていました。
とっさに懐中電灯を向けます。間違いなく、女の子です。双子でしょうか。二人とも同じくらいの背丈で、黒っぽい着物に、少女特有の艶やかな黒髪を胸の辺りまで伸ばしています。前髪も長く伸ばしていて、それが目元を隠しているせいで表情まではうまく読み取れませんが… ただじっと、土間を上がった板張りに立って、あたしを見つめています。
まるで、人形に見つめられているようです。そう思ってしまう程、二人ともピクリとも動かず、かろうじて見える口も、まるで生まれてから一度も開いた事が無いみたいに閉じられていて… ハッキリ言って不気味です。笑うと可愛らしいでしょうに、二人がそこに立っているだけで、なにか不吉なものが漂ってくるような、そんな印象を受けてしまいます。
すると、あたしから見て左の女の子が、いつの間にかその手に持っていた何かをカチャカチャと動かし始めました。…なんでしょう? よく分かりませんが、ゲームのコントローラー、というか、リモコンのような? もっとよく見ようと思って目をこらした、ちょうどその時、もう一人の女の子の腕が動き始めました。前へならえ、の格好で、両腕をピンと伸ばし、指先を水平にした形で、まっすぐにこちらに向けて―
カタン、と音が鳴って、
指先が折れて、
折れた箇所にはなぜか穴が開いていて、
パンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパン!
…乾いた音と共に、スカートが挟まって動けないあたしの50センチくらい右の壁に、何か細かいものがたくさんぶつかりました。あたしは恐る恐る、壁にぶつかって落っこちたソレを見やります。 …考えたくないですけど、コレってあの前へならえしてる女の子の指先から発射されたんですよね? そして目にしたソレは、
BB弾!? え? ええ~~~!?
一気に血の気が引いていくのが分かります。ここにきて物理攻撃とか、この村の文化レベルが分かりません! …いや、そんな事でパニクってる場合じゃない。女の子の一人がリモコン ―もう確実にリモコンでしょう― を動かし、それに合わせるように、前へならえした女の子が… 女の『子』では無いのでしょうけど、ウイイイン、とかキコキコ、とか、明らかに人間が出さない音を出しつつ、その指先を少しずつこちらへ向けてきています。 …気のせいか、リモコンを操作してる子が、少し笑ってるような… いやいやいや! ダメでしょそんなコトしちゃ! 親はどんな教育をしてるんですか!
とにかく、この家の教育方針に文句を言ってる場合じゃない。さっさとここから逃げて、少なくとも射線上から逃れないとBB弾の餌食になる事は明白… なのですが、
「えい! この! この!」
何度引っ張ってもスカートが取れてくれません。まさか、このためにスカートを挟んであたしを動けなくしたとか? …いえ、止めましょう。今はそんな事を考えてる場合じゃない。 …もう方法は一つしかない。
スカートを脱ぐ!
恥ずかしいとか言ってられません。あたしはスカートのホックを外し、チャックを下ろすと、前傾姿勢のようになって、なんとかスカートから下半身を抜こうと試みました。我ながら間抜けな格好ですが、スカートは引き戸に挟まったままなワケですから、こうしないと脱げないんです。そうやってジタバタと両足をもがいた、その結果、前に転がるようにしてスカートから『脱出』し、とっさに横へと飛んだ、というか転がった、次の瞬間!
再び乾いた音を立てて、
BB弾の雨が、
さっきまであたしがいた所に降り注いだのでした―
〈あとがき〉
個人的に、桐生姉妹は『紅い蝶』から『眞紅の蝶』にリメイクされて、一番カワイクなったと思うキャラクターです。出来れば二人の儀式のムービーとか追加されて欲しかったなァ…
あと、表題から【チラ裏から】を取って、番外編を一番下にしました。