皆神村と黒澤家をつなぐ橋を渡っていて、ふと思います。
この川は、一体ドコから流れてきているのでしょうか。
夜が明ける事がないせいで、水面に日の光を浴びる事が無いせいで、夜の闇ばかりを映してきたせいで、こんな黒い、暗い川の流れになったのでしょうか。
さながらそれは、地の底の底を流れる、何か得体の知れないモノが、『川という形』を取って、この村に溢れ出しているのかもしれません。
だとするならば、その川に掛かっているこの橋は? その橋を渡らなければたどり着けない黒澤家は?
そしてその橋を行き来している… 私は?
そんなとめどない考えというか、妄想を頭を振って追い払い、黒澤家へと向かいます。なんと言いますか、この橋の上にずっといると、それこそ川の中に引き込まれそうになるんですよね… むしろ自分から飛び込みたくなるというか。以前テレビでやった心霊スポット特集とかでも、自殺が多いとされる場所にはそんな所があるとかなんとか言ってましたし。
そんなわけでどうも。天倉 澪です。
いろいろあって、やっとお姉ちゃんが閉じ込められてしまった座敷牢。その鍵を手に入れることが出来ましたので、急いでお姉ちゃんの元へ向かいます。
なんかね、あの逢坂家のいろいろを経験したその後、あたしはお姉ちゃんに会いたくてしょうがないんですよ。
そりゃあ、いつもはお姉ちゃんってマジウザ… もとい、少し空気読んでほしいな、とか思ったりするんですけど、今となってはあのゴーイングマイウェイなお姉ちゃんにいてほしいんです。 …いや、別にお姉ちゃんがいないとダメ! みたいなのでなくてですね、毒を以って毒を制すと言いましょうか。
この村、人の話を聞かない人が多すぎるんですよ。
ツッコミすら入れることが出来ないこの状況。一人エアツッコミとか悲しい行動を取らざるを得ないこの現状。さっきなんか、無意識に壁に頭を打ち付けてましたからね。おかげでオデコを少しすりむいちゃいました。なんかもう、精神的に限界だなー と自分で思うんですよね。
…多分、今のあたしってすごく荒んでるんだろうなー。どうしましょう。すっごい目つきが悪くなってて、おまけに目の下にクマなんて作ってたりしたら。
とにかく、お姉ちゃんさえいてくれれば、一人ぼっちでこの村を彷徨うなんてことは無いわけです。たとえボケ倒しでツッコミを入れまくる事になろうとも、会話のキャッチボールができるだけ遥かにマシなんです。投げたボールがあさっての方向にしか返ってこないとしても、魔球を投げ返されるよりはずっといい。
そんなわけで、橋を渡りきり、出たときと同じように、裏口から入ってお姉ちゃんのいる座敷牢へ向かいます。
…向かった、ん、ですけど。
…扉が開いてる?
「お姉ちゃん?」
声を掛けても返事がありません。もしかして、まだ気絶したままなのかな、と思い、恐る恐る中を覗き込んでみたんですが、
…いない。
え? え? なんでなんでなんで?
あれだけビクともしなかった扉がどうして開いてるの? なんでお姉ちゃんはいないの?
…ひょっとして、ふざけてこの座敷牢の中に隠れてるんでしょうか? 結果として置いていかれたことにスネてしまって、あたしをちょっと脅かしてやろうとか?
お姉ちゃんならありえます。この座敷牢、奥のほうが書庫になっててそこそこ広いですから、やろうと思えば隠れるところの一つや二つあるでしょうし。
でも、
「お姉ちゃん! 隠れてないで出てきてよ!」
いくら探しても、どれだけ呼びかけても、お姉ちゃんの影も形も見当たりません。なぜ? どうして? 鍵がココにある以上、お姉ちゃんが自力で出たとか考えられません。とすると…
連れ去られた?
その考えにたどり着いたとき、あたしは一気に血の気が引いていくのを感じました。
連れ去られたのなら、誰に? ドコに? 何のために?
不吉な考えが、頭の中でグルグルと回り始めた、その時です。
ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ…!!
突然、射影機が震えだしました。いきなりの事で、思わず落っことしそうになりましたけど、この強い反応。近くに『何か』がいるよです。半ば慌てて辺りを見回します。と、
『………』
…いました。
いつの間にか、あたしの後ろに『それ』は静かに立っていました。服装からして男性でしょう。歴史の教科書に載ってた、平安時代の貴族のような格好をしています。教科書と違うのは、その手に… 錫杖(しゃくじょう)って言うんでしたっけ? 杖の先にいくつか輪っかが取り付けられている物を持ち、さらには頭に被った烏帽子から、白い布か紙が、まるでその顔を隠すようにして垂れ下がっていること。
それはまるで、顔に布を被せられた死者のようで。
ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ…!!
射影機の反応が尋常じゃありません。まるで怯えているかのよう。戦え、というよりも逃げろ、と叫んでいるように思えます。と、
『八重様』
男が話しかけてきました。低い、それでいて、よく響く声です。それにしても…
『紗重様はすでに立花の家へと向かわれましたぞ』
また八重、そして紗重。樹月くんも、あたしの事を八重と呼んでいました。この人も同じように、なにか勘違いしているのでしょうか? …ただ、樹月くんと違うのは、
『八重様も桐生の家へと向かわれませ』
…桐生家?
『左様』
厳かに、かつ事務的に、男はあたしの問いに答えます。
『天地の橋でつながる双子の家。急ぎ禊を行わなければ』
この人の声と、その雰囲気から感じる、有無を言わせない迫力。言葉こそ丁寧ですが、その裏で言う事を聞けと言っているのがまるわかりです。
『八重様』
そう言って、一歩、こちらへと近づいてきました。あたしはその迫力に押されながらも、なんとか口を開きます。
「お姉ちゃんは、自分でその… 立花家って所に行ったんですか?」
そんな訳がない。それは分かっていましたが、とにかく何でもいいから話さないと、雰囲気に押されて動けなくなってしまいそうで。それでも、あたしのそんな苦し紛れの質問に何か感じるものがあったのか、男の二歩目を踏み出そうとした足が止まりました。
『お姉ちゃん? …八重様、何をおっしゃられているので?』
顔に垂らされた布だか紙だかのせいで分かりませんが、こちらをうかがう様に首を傾げています。
樹月くんと同じだ。あたしがお姉ちゃんのことをお姉ちゃんって呼ぶと、そこに違和感を感じるようです。やっぱり何かおかしい。何か勘違いをしている。
…もういい加減にして欲しい。なんでこんな事に巻き込まれているの? あたしたちが何をしたの?
「あたしは八重って名前じゃないし、お姉ちゃんも紗重じゃありません!」
思わず今までの心労を全て吐き出すかのように叫ぶあたしに対して、男は何も言わず、冷静に、ただ静かにこちらを見ています。その、あたしの今までの苦労なんか知らないとでも言いたげな姿に、ますます頭に血が上って、
「あたしたちを解放して! この村から出して!」
半ばヤケクソ気味に、大声を叩きつけてしまいました。と、それとほぼ同時に、何故か男の姿が消えてしまいました。 …居なくなったのでしょうか? 肩で息をしているほどのあたしの剣幕に、何か違う、おかしい、と思ってくれたのでしょうか?
ニ エ ノ サ ダ メ ニ シ タ ガ エ ! ! ! !
ッーーー!!??
突然、でした。後ろから叩きつけられた声。その声に突き飛ばされるかのように、あたしは前へと倒れこみました。
…違う。突き飛ばされたんじゃない。
あたしの中から『何か』が『飛び出しそう』になった。
その『飛び出しそうになった何か』に引っ張られるようにして、地面へと半ば衝突するようにして倒れこみます。その衝撃と痛みで、目の前がクラクラします。
痛みとは別の意味で、手のひらに嫌な汗がにじみます。理屈ではなく、とてつもなく恐ろしい事をされたのだと本能が怯えています。
あたし、バカだ。射影機があれだけ震えていたのは、戦えとか、逃げろとかじゃない。
油断するなと、
そう警告してくれていたのに。
…痛む体を、得体の知れない恐怖に震える体を、半ば引きずるようにして立ち上がり、まだ少しだけクラクラする頭で男の姿をとらえます。男は最初に会ったときと同じように、あたしから少し離れた場所に、静かに立っていました。
『二度目はありませんぞ』
男の言葉に答える事無く、あたしは射影機を構え、ファインダーに捕らえたその瞬間、シャッターを切ります。問答無用です。レンズから光が走り、
捕らえていたはずの男の姿が消えて、
すぐそばで、シャン、と何か金属音が聞こえたかと思うと、
「かっ………!?」
背中に何か打ち付けられるような痛みと衝撃で、再び地面に倒れこんでしまいました。
『…二度目は無いと申し上げましたぞ』
倒れたあたしを見下ろすかのように、男が手にした錫杖を、シャン、と鳴らします。さっきの衝撃の答えはアレのようです。もっともそれが分かった所で何の気休めにもなりませんけれど。
強い、この人。今までのヘンタイ幽霊とは全然違います。本気であたしを、お姉ちゃんを、儀式とやらに巻き込もうとしています。射影機もなんなく避けられてしまう。じゃあ… 逃げる? 逃げられる? …多分、無理です。やってみなければ分からないとかそういう問題ではありません。絶対にあたしを逃がさない。立ちふさがる男からは、何も言わずともそんな意思が強く、ハッキリと伝わってきます。
どうしよう。このままじゃ、あたしたち…
『時に八重様』
また、八重。違う。あたしは八重じゃない。八重なんか知らない。そんな反論もできないほど、その時のあたしは追い詰められていました。そんなあたしの様子などお構いなしとでも言うように、男は言葉を続けます。
『…なんですかな、その格好は』
…へ?
『スク水の上に制服など、はしたない』
………う、
『八重様の服の好みにまで口を出すつもりはありませぬが、人前でする格好ではありませんな』
うわああああああああああああん!?
よりにもよって、よりにもよって! この村の人からそんな常識的な意見が出るなんて! しかもそれで責められるなんて! 言われたくないですよ! 屈辱だ! うわーん!!
…まあ、でもこの人は比較的まともそうな人ですし、普通に考えればそうなんですよね。…ちなみにどうして今現在、こんな格好なのかと言いますとですね… まあ、前回、逢坂家でレギンズと下着を汚してしまって、コレ以外に着る物が無かったんですよ。
ええ、それだけです。
………
お願いします! それ以上は聞かないで下さい! あたしだって年頃の少女なんです! まだ子供ですけど、世間体ってのもそれなりにあるんですよ!
…失礼しました。っていうか、そんな場合じゃなかったんですよね。どうやってこの場を切り抜けるか、ちゃんと考えないと…
『制服の下にスク水を着るのなら、スカートは脱ぎませんと』
…あ?
『そして白のオーバーニーソックスですな。さらに女子が身につけるには少しゴツイ感じの運動靴。これが鉄板ですぞ』
…い?
『パンツじゃないから恥ずかしくない。だからこそ制服の下のスク水が映えるのです』
…う?
『紳士の目線を奪う瑞々しい絶対領域、見えそうで見えないワキチラリズム』
…え?
『健康的な魅力と背徳的な色気を兼ね備えてこその制服スク水ですぞ』
…おーい。
まあ、アレか。そうですよね、この村にマトモな人がいるわけないですよね。うん、なんだかさっきまでパニクる寸前だったのが急に冷静になれちゃいました。まあ、だからと言って強敵なのは変わりませんが… それなら手の打ちようもあるってものです。
そんなわけで、
あたしはいきなり、男の背後を指差して、
「あーっ! あんなところにブカブカで今にも脱げちゃいそうなスク水を着た少女がー!」
ぶっちゃけ、棒読みです。が、
『なあんですとお!?』
男はあっけなく、実にあっけなく、あたしの指差した方へ、体ごと視線を向けます… 思いっきりあたしに背を向けて。もちろん、これが狙いです。すぐさま射影機を構え、シャッターを切ります!
『ぐおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?』
レンズから伸びた光が、まるで槍のように、男の体に突き刺さります。 …が、
『おのれ… よくも嘘をついてくれましたな…っ』
流石に強い… 今までのように、一撃で、という訳にはいかないようです。すぐさま射影機を構えなおし、もう一撃、と思ったのですが、
『させませぬ!』
シャン、と、涼しげな音を立てて、凶悪な一撃を食らわせようと、男は錫杖を振り回します。が、射影機のダメージのせいか、先ほどのように瞬間移動することもなければ、攻撃に鋭さもありません。やっと振り回しているといったところです。
ですが、あたしも結構なダメージを受けてしまっています。そんな温い一撃でも避けるのが精一杯で、なんとか動きを止めなければ、その姿をファインダーに収める事もできなさそうです。
どうしましょう。さっきのような手はもう効かないでしょうし、それに、
『よくも純情をもて遊んでくれましたな… 桐生家に行く前に、少しばかり灸(きゅう)を据えさせてもらいますぞ』
…怒らせてしまったようです。もっともスク水と少女で出来た純情なんてロクなものでは無いのでしょうが… あたしがピンチな事に変わりありません。しかも、確実に錫杖の一撃を食らわせようというのか、油断無く身構えつつ、ジリジリとこちらににじり寄って来ています。
どうしましょう… なんとかもう一度、動きを止めないと。でも、どうやって?
『覚悟を決めなされ、八重様』
覚悟… あ、そう言えば一つだけ、一つだけ方法があります。けれど… どうしよう、やりたくない。効果はバツグンだという確信はありますが… う~ん。それ以外に他にいい案は無いものでしょうか?
そうやって迷っているうちに、いつの間に間合いを詰めたのか、男が錫杖を振りかざしました。 …ええい! もう仕方がない!
『きえええええええええええっ!』
男が声を上げて、錫杖を振り下ろそうとした、その瞬間、
あたしは、
自分のスカートを、
ペロンとまくり上げました。
『おおっ!?』
予想通り、男の動きが止まった、その瞬間!
『ぎゃあああああああああああああああああああっ!?』
素早く射影機を構え、シャッターを切りました。
『お… おおお… お…』
腹の底から吐き出すようなうめき声と共に、グズグズと、まるで黒い綿がちぎれ飛んでいくかのように、男の姿は消えていきました。
『…まさか生で見る事ができるとは…』
…いいからさっさと消えてしまって下さい。
恐ろしい敵でした。変態じゃなかったら負けてました。あのまま何もできずにいたら一体どうなっていたのか… 考えたくもありません。とりあえず、ゆっくりと息をして、呼吸を落ち着かせながら、これからどうするのか考えます。
…男が言ってました、お姉ちゃんは立花家へ向かったと。普通に考えれば、立花家に行ってお姉ちゃんを救い出せばそれでいい気もしますが、
―天地の橋でつながる双子の家―
―桐生家―
―禊を行わなければ―
…何故でしょう。一筋縄ではいかない気がします。と言いますか、半ば確信めいた思いが胸の内から湧き出てきます。
とにかく余計な事は考えずに行くしかないようです。あたしは、ともすれば取り留めのない思考でいっぱいになりそうな頭を振り、その手に抱えた射影機の感覚を確かめると、座敷牢を後にしたのでした。
そうです。余計な事は考えずに、です!
余計な、事は、
考えず…
………………
…パンツじゃ無くても恥ずかしいモノは恥ずかしいですよ!!
〈あとがき〉
気がついたら夏が終わってました。