ギイイイイ… と、耳障りな、まるで鼓膜を針でつつかれているような、神経に障る音を鳴らしながら戸を開けました。そして懐中電灯で中を照らしながら、探るようにして中を覗き込みます。
シンとした屋内。懐中電灯の光も、奥の方までは照らせないようで、それが返って暗闇を強調しているかのよう。辺りを警戒しつつ… もっとも、この夜が明けない村で、それにどれだけの意味があるのか疑問ではありますが… 開いた戸を押しのけるようにして、静かにゆっくりと家の中に入ります。
誰もいません。
ただただ真っ暗な中、懐中電灯の光に埃がチラチラと舞っているのが見える以外に、動いているものなんかありません。それなのに、いたる所から感じる『何者』かの視線… 廊下の角とか、朽ちた家具の隙間だけでなく、無造作に転がっている木片の小さな影からも、人ではない、あるいは人だった何かがこちらをうかがっているような視線を感じます。
それでも行かないわけにはいきません。あたしはゴクリと音を立ててツバを飲むと、懐中電灯と、強い味方である射影機を持ち直し、一歩ずつ、目的の場所へ向かって歩き出します。
どうも皆さん。天倉 澪です。
お姉ちゃんが座敷牢に囚われたあと、黒澤家を抜け出したあたしはまっすぐに樹月くんの元へ向かいました。もちろん座敷牢を開けるための鍵がどこにあるのかを聞くためです。正直、いくら樹月くんでも知らないんじゃないかな。と思っていたのですが―
「座敷牢の鍵なら逢坂家にあるよ」
と拍子抜けするぐらいにあっさりと教えてくれました。見せてもらった地図によると、なんとあたしとお姉ちゃんがこの村に来て一番初めに入った家です。 …でもなんでそんな家に座敷牢の鍵があるんでしょう?
「あの座敷牢は資料の保管庫でもあるんだ。逢坂家は昔からアニメや漫画に詳しい、いわゆるオタ」
ハイそこまでです、これ以上は嫌な予感しかしません。お姉ちゃん臭がプンプンです。樹月くんはあたしの心の支えであって欲しいのです。
まあそんなワケで、あたしはこの家の仏壇の裏側に隠されているという鍵を手に入れるため、この逢坂家にやってきたというワケです。しかしまあ、初めて入った時はこの村に迷い込んだ事の重大さにまったく気付いてませんでしたから、この囲炉裏のある部屋で呑気にお姉ちゃんを待ってたりしたわけですが、今思うとずいぶん神経の太い事をしてたんだなあ、と我ながら感心します。
まったく。
あの時は、本当に1話読みきりのつもりだったのになあ…
とかそんな事を考えていたら、
ドシン バタン ドシン バタン
突然の物音に、あたしはビクリと体を震わせます。
何の音でしょう?隣の部屋からなにやら重たいもの叩きつけるような音が聞こえてきました。かなり激しい音です。まるで何かが暴れまわっているような音。
あたしは慎重に、何が出てきてもいいように心を落ち着かせ、音の方へ向けて射影機を構えます。障子を隔てているせいでしょうか。かなり鈍い反応ですが、それでも射影機は確かに震えています。その上、
『―! ―――! ――――!』
『!! !! ―――!!』
何か叫んでいるような声。それも一人ではありません。男の人と、女の人。合わせて二人の声が聞こえてきます。
ドシン バタン ドシン バタン ドシン バタン ドシン バタン
『! ―――!! ――――! ―――――!!』
『!!! !! ―! ――!! ―!』
…これはひょっとして逃げた方がよかったんでしょうか? 激しい音と、謎の二人の叫び声はどんどん大きく、激しくなり、さらに部屋同士を隔てている障子が大きく震え、ついには文字通り、蹴破られるような音と共に吹き飛ばされて、
『た、た、助けてくれえ!!』
男の人… 幽霊ですが… が悲鳴を上げながら転がるように飛び出してきて、
『待ちなさいよ! この甲斐性なし!!』
それを追いかけるように、女の人… こちらももちろん幽霊ですが… が飛び出してきました。そしてそのまま男の背後から体当たりするようにして、床の上に突き飛ばします。
『う、うわあ!?』
たまらず倒れこんだ男を、さらにムリヤリ仰向けにすると、女性はそのお腹にまたがり、ぐいぐいと男の襟首を掴んで、ガクガクと揺さぶります。 …よくよく見るとあの女の人、以前にこの家であたしとお姉ちゃんに襲い掛かってきた人ですね…
ちなみにあたしはと言うと、予想もしてなかった突然の展開に射影機のシャッターを押す事も忘れ、ポカンと口を開けて、二人のドタバタを見ているしか出来ませんでした。
今まで変態の相手しかしてませんでしたから、あたしにとってはまさかの展開ですよ。
『いったい何に使ったのよ!』
『何にって… 何を?』
『ふざけないでよ! 結婚資金に貯めてたお金、カラッポになってるじゃない! 通帳の残高がどうして一ヶ月足らずでゼロになってるのよ!』
『それは… その… あの…』
うわあお。今どき月9でもやらないような内容のケンカです。それでも当人達にとっては大事な問題なのでしょう。煮え切らない男に、女性はさらに声を大きくして怒鳴りつけてます。
『二人で稼いだお金の中からコツコツ貯めてたのに… 一体何に使ったの!』
『あの… お袋が病気でさ、治療に大金がいるって言うから、その…』
『…アンタのお義母さん、一週間前にバッタリ駅前で会ったわよ』
『えっ』
おうふ。関係ないけど思わず頭を抱えてしまいます。この村に駅前があるかどうかはさておいて!
『すぐにバレる嘘までついて隠そうとするなんて、アンタ…』
胸ぐらを掴んだままの手がワナワナと震えてます。そして、それまでの怒鳴り声とは打って変わって、静かな声で、ポツリと、
『女ね』
たったそれだけの言葉ですが、その言葉に全ての感情を込めたとでも言うように、女性は無表情な声でつぶやきました。
『な、何をバカな事を言ってるんだ。そんなワケないじゃないか』
『違うの?』
『もちろんだよ』
『じゃあ…』
男の顔を覗き込むように… ガンを飛ばしているように見えなくも無いですが… 女性は顔を近づけ、囁くようにして言います。
『アタシのこと、好き?』
『当然じゃないか。キミ以外の女なんて、目にも入らないよ』
なんとも軽い言葉に、女性はさらに顔を近づけて、
『ドコが好き?』
『え? ええっと…』
いやいやいや。そこで言いよどむ時点でもうアウトでしょう、誰か知りませんけど男の人。土下座でもなんでもしてひたすら謝らないと、月9が火曜サスペンスですよ? と、あくまで他人目線で成り行きを見守っていたのですが…
今にして思えば、そんな犬も食わないような痴話ゲンカは無視してさっさと行ってしまえばよかったんでしょう。女性の質問に何とかして答えようとしたのか、そのために、何かヒントになるようなモノを探そうとしたのか、急に辺りを見回した男とバッタリ目が合ってしまいました。
あ、ヤバイ。
そう思ったのも束の間。男は救いを求めるようにこちらに手を伸ばしてきて、
『そ、そこのキミ! 警察を呼んでくれえ!!』
一瞬で巻き込まれました。いや、警察があるんでしょうかねこの村に。とか考えていると、馬乗りになったままの女性も、ぐりん、とこちらに顔を向けてきました。あたしは関係無いですよー と言おうとしたそれより早く、
『アンタ… あんな子供に手を出したの?』
知らんがな。身に覚えの無い事で殺気を向けるのは止めていただきたいものです。
ですがその時、ほんのわずか、締め上げている手の力が弱まったのでしょう。チャンスとばかりに男は女性の下から乱暴に抜けだすと、
『た、助けてくれえ!!』
こっちに向かって走ってきます… って、ええええええええ!?
『待ちなさいよ!』
女性もまだ気が済まないとばかりに、それこそ鬼か般若かというおっかない顔つきで男の後を追って… つまりはあたしの方へと突進するかのような勢いと迫力で迫ってきます。
ちょっとちょっとちょっと!?
あたしも思わず走り出します。ええ、身の危険をメッチャ感じますから! ていうかそれ以外感じてませんから!!
と、いうわけで。
「ちょっと! あたしは無関係です! こっち来ないでよ!!」
『助けてくれえ! コロされるぅ!!』
『いつまで情けないマネしてんのよ!!』
鍵を探しにきたハズのこの家で、複雑なようで頭の悪い鬼ごっこが始まったのでした。
ああもう!
さっさと行けばよかったなぁ…
〈あとがき〉
再開した早々、こんなネタですいません(笑) ネットの無い生活もいいな、とか思ってたのは最初の10日くらいでした。