ある日家に帰ると、狐が自分の尻尾で首を吊ろうとしていた。
時折、霊夢に捕獲されているのを見掛ける可愛らしい狐で、まるで尻尾が幾つも重なっているのではないかと思える程毛の量が多く、フワフワな手触りが心地良い。その尻尾をブラッシングするのが私の趣味の一つなのだが、その尻尾を使って当の本人は自殺しようとしていた。
驚いた私は、ピンと張りつめるほど尻尾を伸ばし自分の首を絞めようともがく狐を後ろから抱きしめ、尻尾を引きはがし、落ち着くまで黙って撫で続けた。最初はかなり暴れていた狐だったが風呂に入れ、微温湯でシャンプーを初めて時点で大人しくなっていた。ただ、しょんぼりとした姿が可愛らしかった。
金色のフカフカの塊になって山へと帰って行った狐だったが、私はその日の事がどうもきになって霊夢に尋ねてみた。
「狐が尻尾で自殺って……兄さんの勘違いじゃない?」
「そう?ならいいんだけど?」
お茶を啜りながら応える霊夢はいつも通りだ。動物もストレスで体調を崩すことがある。山で餌でも不足しているのだろうか。
「そう言えば、あの狐、尻尾が多くない?一本以上あるわ」
「そう?ただモコモコなだけだと思うけど?」
私がシャンプーをした後なんか特にモコモコでフワフワだ。
「ねえ、兄さん。九尾の狐って知ってる?」
「傾国の美女とかよく小説とか漫画で出てるね」
大体悪役で登場することが多いが、それは単に狐が過去に家畜を襲っていたからだと思う。
「権力者相手に股開きまくったビッチ」
小学生の妹からとんでもない言葉が飛び出たので私は思わず、コップを落としてしまった。幸い中身は空でコップも割れなかったが私はかなりショックを受けた。
「私の勘がね兄さんはもう少しあのbit…狐に気を付けた方が良いって言ってるの」
霊夢の勘は必ずと言っていいほどよく当たる。霊感なのかは分からないが、危険なことや将来に起こる出来事に対する的中率は異常な程。でも、ロト6とか金銭的なものには働かない。勘は鋭くても金運は無い。
「霊夢。女の子がそんな言葉を使うのは駄目」
「もう言わないわ。ただ兄さんに注意したかっただけだから」
「まあ、何回か誘拐されかけたしね」
「私がいるから大丈夫よ。それにあの狐にはちゃんと話したから」
「ん?」
「兄さんには関係の無いことよ」
あの不思議な穴に一回堕ちたが、霊夢によって誘拐犯が撃退されたため無事に帰ってこれた。前歯が何本か折れた様に見えたけど、あの誘拐犯大丈夫だろうか。
「兄さん。お茶」
「ああ、もうそんな時間か」
夕食から一時間後くらいになると霊夢はお茶を飲みたがる。それを淹れるのが私の仕事だ。
「それが兄さんの仕事よ」
「はいはい」
適当な雑談の後風呂に入り自室に戻るとベッドの脇から誘拐犯の腕が生えていた。
「あ、どうもお久しぶりです」
腕が左右にユラユラと揺れて意思表示してきた。どうして会話ができないのだろうと思っていると腕が移動して私の机からペンと紙を取るとこう書いた。
『申し訳ありませんが、まだ顔が腫れていて話せません』
「お大事に」
すっと腕が伸びてきて私の右手の甲に触れた。その感触を確かめる様にゆっくりと指先が私の手を確かめていく。スルスルと私の体を這い上がり私の頬を、額の感触を確かめていく。何もない空間に浮いた腕に撫でられるというのはどこか夢の様な奇妙な感覚だった。
「あなたは何がしたいんですか?」
霊夢をなんども誘拐してようとして、撃退され、そして、私を誘拐しようとして。一体何をしたかったのだろう。腕は何も答えず、筆談もしなかった。ただ、私の頬を撫でると消えた。
「兄さん!」
その直度に霊夢が部屋に飛び込んで来た。何故か消毒液とタオルを持って。そのあまりに必死な形相に身が竦んでしまったが、霊夢は私に構うことなく消毒液の染み込んだタオルで私の頬と手を擦り始めた。
「あのババアッ」
「いや、どうしたの?」
「兄さんには常識ってものがないのかしら?」
それを霊夢に言われたくないと思ってしまった私は正常だと思う。
「兄さん。お風呂直行ね」
「もう入ったよ」
「もう一回」
「……はいはい」
ここで逆らっても無駄なので大人しく風呂に入り直した。その後、自室に戻ると何故かベッドのシーツと枕カバーが変わっており、机は丁寧に磨かれていた。筆談に使われたペンはどう見ても新品に変わっていた。何時の間に調達したんだろうか。
「まあ、いいか」
新しい方が寝やすいのは事実だ。ここは素直に感謝しようと思いその日は素直に眠りについた。何か赤と白の球体がベッドの横に置いてあるのが気になったが特に害は無いようなので放置した。
ある日、家に帰ると黒猫が塀の上からこちらを見ていた。尻尾が二本あり、先端だけ白い珍しい猫だった。まあ、尻尾が九本ある狐がいるくらいだから尻尾が二本ある黒猫がいても別に不思議なことではないのだろうと思い、特に気にしなかった。
特に逃げる様子もなかったのでそのまま通り過ぎると今度は部屋の窓の外に静かに座っていた。その日は課題が多かったのですぐに机に向かった。
「雨?」
ふと顔をあげると雨が降っていて相変わらず黒猫は窓の外からこちらを眺めていた。寒そうだったので窓を開けると部屋に入ってきた。逃げるかと思ったが人間に慣れていたらしく、私がキッチンからホットミルクを持ってくる間も部屋の隅で大人しくしていた。
「飲む?」
かなり頭が良いらしく私が一歩下がってからミルクに口を付け、床を汚さないようにゆっくり飲んでいた。ただ、雨の音と静かに猫がミルクを舐める音だけが聞こえる穏やかな日だった。
「またおいで」
雨が止むと黒猫は私に軽く頭を下げて出て行った。
「雌猫の匂い」
「ああ、あの猫雌だったんだ」
帰宅した霊夢の第一声がソレだった。
「猫がいたの?」
「雨が降ってたから中に入れてあげた」
「ふーん。どんな猫?」
「普通の黒猫だけど?」
「そう」
お茶を飲みながらのんびりと霊夢と語る静かな日常、こんな日々が私は好きだった。
「兄さん。頭下げて」
「こう?」
霊夢の袖口から何か飛び出たと思ったら後ろから悲鳴がした。また誘拐犯が家に不法侵入していたらしい。最近、医者を志すべきか迷いつつある。正体不明の腕の手当。これも私の日常の一部だ。