―― 《狂人のカズヤ》。
それは、八月の頭から九月末にかけて行われたSAOベータテストにおいて、たぶん、もっとも知名度の高かったであろうプレイヤーの名前である。
彼の人物は、“いつログインしてもヤツはそこにいる”とまで噂されるほどの長時間プレイを行っており、いつだって目撃情報に事欠かないプレイヤーだった。
初期はあまりに奇矯な行動を取り続けるイロモノプレイヤーとして、中期以降はフロアボス攻略の中核を担う要として、多くのベータテスターたちにその名を知られていった。
その活躍は目覚ましく、彼のプレイヤーがいなければ、二ヶ月のベータテスト期間で第十六層まで駒を進める事などできなかったのではないだろうかと言われているくらいだ。
その無駄に長いプレイ時間を使って、フィールドやダンジョンのマッピングをガンガン進めていく。
フロアボス攻略戦ともなれば、自身の身の丈の倍以上もあるボスモンスターを相手に、ためらいもせずに突撃していく。
そのくせ、何故か死亡率は極端に低く、私の知る限りでも両手で数えられるほどしか死んでいなかったハズだ。
その為、彼の加入した後の攻略組の進軍速度は凄まじかった。気がつけば、テストが終了する二ヶ月後には十六層まで進んでいたという塩梅である。
おまけに、ドロップ率など関係ないとばかりに次々とレアアイテムをドロップする神がかり的な強運の持ち主でもあった。
そしてまた、そのドロップしたレアアイテムを、自分は使わないからの一言で捨て値同然の値段で売りさばく奇特な人物でもあった。
故に、ついたあだ名が、 ―― 《狂人のカズヤ》。
他にも、《SAOのヌシ》やら、《王さま》やら、色々なあだ名がつけられていた。
一体何を考えているのか、余人には全く理解できない。
けれど、何か面白い事をやらかしてくれるんじゃないだろうかと、ついつい期待してしまう。
そばにいるだけで、何故だかワクワクしてしまう。……そんな不思議な雰囲気を持った男だった。
だからだろうか、このデスゲームが始まってからと言うもの、私は多くの元ベータテスターたちから彼の行方を訊ねられる事になった。
彼らは皆一様に、ベータテスト時に情報屋を営んでいた私ならば知っているのではないかと思っていたようだが、生憎と私にも彼の足取りを掴む事はできていなかった。
まさかと思って、デスゲーム開始直後に《はじまりの街》の黒鉄宮に現れた《生命の碑》を確認しに行ったりもしたが。
Kazuyaの名前は確かに刻まれていたし、横線がひかれている事もなかった。
つまり、彼は今もこのゲーム内のどこかでちゃんと生きているハズなのだ。
けれど、そうだとするなら、彼は今、一体どこで何をしているのだろうか?
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第6話 インターミッション的な何か。 …… 第一層 ⇒ 第二層
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本当だったら、私はSAOの正式版では情報屋をするつもりなんてなかった。
と言うよりも、正式版では情報屋なんて商売はやりたくてもできないだろうと思っていた。
そもそも、ベータ版で情報屋なんて商売が成り立っていたのは、ゲーム内の情報を外部に公開してはならないという規制があったからだ。
お手軽に情報を入手する手段がないからこそ、情報屋の仕入れてきた情報を金銭と交換するという商売が成り立つ。
けれど、情報規制のかけられることのないであろう正式版ならば、ゲームの情報などそれこそ攻略サイトを読むだけで事足りてしまうだろう。
そして、タダで手に入る情報を、わざわざ情報屋に金を払って購入するような物好きなんているハズがない。
故に、正式版では情報屋は商売として成り立たないと、そう思っていた。
だからこそ私は、そんな需要のない職業をロールプレイするくらいならば、いっその事、攻略組に転向するのもいいんじゃだろうかなんて思っていた。
情報屋をするにあたり自らに課した“誰にも肩入れしない”という制約を捨て去って、アイツらと一緒に気侭な冒険者ライフを送るのも悪くないんじゃないだろうかなんて本気で思っていた。
そんな私の密かな思惑は、けれど、製作者 ―― 茅場晶彦による“デスゲーム開始宣言”のおかげで、その全てがものの見事にご破算となってしまったのだった。
あの日、あの時、あの場所で ――
唐突に、フィクションでしか在りえなかったハズの出来事に巻き込まれた私は、ただただ呆けている事しかできなかった。
だって、いきなりデスゲームだなんて言われたって、信じられるハズがなかった。納得なんてできるハズがなかった。
けれど、だからといって、実際に確かめてみようだなんて気にもなれなかった。
自分は何をするべきなのか、自分は何がしたいのか、それすらも分からず私は一人、茫然自失の状態で立ち尽くす事しかできなかった。
だからこそ、私には元ベータテスターたちが“アイツ”を求めた理由がよく分かる。
突然、こんな事件に巻き込まれて、真に冷静でいられる人間なんているハズがない。
それは、初めてこの世界にやってきたビギナーも、予めプレイした事のあるテスターも関係ない事だろう。
誰も彼もが不安で仕方がないのだ。
だからこそ、求める。己の立脚点を、拠り所となるものを。
不安だから、心細いから、恐ろしいから。
助けて欲しかった。守って欲しかった。導いて欲しかった。
だからこそ、アイツを知る者は皆、アイツに期待してしまう。
ベータテスト時代、誰よりもひたむきにゲームと向き合っていたアイツに。
誰よりも戦い、誰よりも傷つき、けれど決して負ける事のなかったアイツに。
それが無責任な願望の押しつけでしかない事は、当然、自覚している。
けれど、それでも、アイツならばきっとなんとかしてくれる。
そんな期待を抱かずにはいられない。そんな雰囲気をアイツは持っていたのだ。
そして、私もまた、アイツに魅せられ、期待を寄せてしまった人間の一人だった。
それはあたかも、暗闇の中で母親が自分を見つけてくれるのを待ち続ける迷子の子供のようで…
……まったく、こんなのは私のキャラじゃないだろうに。
こんなんじゃ、泣く子も黙る敏腕情報屋《鼠のアルゴ》の名が泣いているに違いない。
そんな風にも思うのだけれど、それでも気が乗らないのだから仕方がない。
今は何もやる気がしない。今は何もやれる気がしない。
だから私は、今日も無駄に歩き回る。危険のない街の中を、何の目的もなくただフラフラと…
このゲームが始まってしばらくしたある日のこと、そんな私のもとに一通のインスタントメッセージが届いた。
メッセージの差出人の名は、カズヤ ――
差出人の名前を見た瞬間、私は大慌てで受信アイコンをタップし、そのメッセージを開く。
そして ――
「―― ぷっ…! くくくっ… にゃハッ にゃハハハッ! にゃーハハハハッ!!」
そのメッセージを読み終えた私は、知らず大笑いしていた。
けれど、それも仕方ないことだろう。
だって、こんなにも変わってしまったこの世界で、けれどアイツは少しも変わっていなかったのだから。
少しも変わる事なく、私たちが期待していたとおりにアイツがアイツのままでいてくれたのだから。
私には、その事実が、ただただうれしかった。
メッセージに書かれていたのは、あからさまに元ベータテスターを標的としているであろう悪辣なトラップの数々。
そして、この情報を元ベータテスターたちに広めてくれという一言。
製作者の性格の悪さがにじみ出ているかのようなそれらのトラップは、知らずに遭遇していれば多くの犠牲者を出していたに違いない代物ばかりだった。
けれど、それは同時に、知ってさえいれば対処は容易いという事でもあった。
―― 情報は力だ。この世界では、情報収集を怠った者から死んでいく。それこそが、ベータ版から変わる事ないこの世界で唯一無二の絶対の真理。
けれど、正確な情報なんてものは、素人がそう易々と手に入れられるものじゃないんだ。
そして、ベータ版では、マップ情報や攻略情報を彼から仕入れ、周囲に広めるのは私の役目だった。
だからだろうか、彼はこの私にベータ版と同じ事をこの正式版でもやれと言っているようだった。
私が何の目的もなくフラフラとしていたこの数日の間、けれど彼は戦っていた。
死が現実のものとなってしまったこの世界でも、以前となんら変わる事なく彼は戦い続けていた。
そしてまた、私にも戦えと言ってきた。
武器を振る必要もなければ、モンスターと戦う必要もない。けれど、それでもそこは、確かに命懸けの戦場だった。
そして、再び私にそこで戦えと、彼はそう言ってきたのだ。
正直にいえば、自由気侭な冒険者ライフに未練がないのかと訊かれれば、答えはNOである。
むしろ、今すぐにでもアイツの元へ駆けつけ、共にありたいと願う気持ちが余計に膨らんでしまったくらいだ。
けれど、それでも、こんな風に求められてしまったなら、応えたくなるのが人情ってもんだろう?
これは、私にしかできない仕事。私だけの仕事。だったらもう、どうするのかなんて決まっている。
どうやら、私が情報屋を廃業するのは、もうしばらく先の事になりそうだネ。
「ふふふっ… 仕方がないナァ。あぁ、仕方がナイ。なにせ、これは“王さま”からの直々のお達しなんダ。それを無碍にする訳にはいかないよナ?」
あはっ… たかがメッセージが一つ届いただけで、コレか…
あっさりと手のひらを返した自分の現金さにやや呆れ返りつつも、不思議と悪い気はしなかった。
「なにはともあれ、そうと決まれば善は急げだナ」
なんとなく気まぐれで購入していたメーキャップアイテムをストレージから取り出す。
そして、私は《鼠》のチャームポイントである動物のヒゲを模した三本線のマーキング、“おヒゲ”を自身の頬に描くのだった。
さあ、これで情報屋《鼠のアルゴ》、完全復活だ。
「さてさて… それじゃまずは、この世界でも“王さま”は健在だって事を皆に喧伝して回る事から始めようかネ。アイツの事を気にしてるヤツは多そうだったしナ」
人は、目的があれば立ち上がる事ができる。
人は、目標があれば前へと進む事ができる。
人は、希望があれば明日を紡ぐ事ができる。
だから私は、 ―― 否、オレっちは、死と隣り合わせになってしまったこの世界でも、再び前へと踏み出す事ができる。
さあ、みんなに教えてやろう。
母親を待ち続けている子供は、他にもたくさんいるのだから。
* * *
唐突だが、このゲームには、階層間を移動するための方法が三つある。
一つ目は、迷宮区ダンジョンを通り、自らの足で移動する方法。
二つ目は、一度でも訪れた事のある場所に転移する事のできる転移アイテムを使用して移動する方法。
三つ目は、主街区の中央部にある《転移門》を使って移動する方法。
以上の三つだ。
けれど、理由なく一つ目の手段をとる者はあまりいないし、ただ階層間を移動するためだけに貴重な転移アイテムを使用する者もあまりいない。
だから、ベータテストではほとんどのプレイヤーが三つ目の手段、《転移門》を使っての移動を行っていた。
では、そも《転移門》とは一体何なのか?
一言でいうなら、各階層の主街区中央部に存在する大きな門の事である。
これらの門は相互に連結していて、有効化されている他の《転移門》を指定して門をくぐれば、その門へと転移する事ができるという大変便利なオブジェクトなのだ。
そして、《転移門》をアクティベートさせる方法はただ一つ。 ―― フロアボスモンスターを撃破する事である。
フロアボスが討伐されてからきっかり二時間後、次層主街区に存在する《転移門》が自動的にアクティベートされ、下層主街区のそれと連結される。
ここで初めて、フロアボスを攻略し迷宮区ダンジョンを踏破したプレイヤー以外の一般プレイヤーたちも新しい階層へ行けるようになるのだ。
もちろん、門を手動でアクティベートする方法もある。
プレイヤーが《転移門》に直接触れる事で、二時間の待機時間を待たずにアクティベートさせる事ができるのだ。
ベータ時代に都合十五回行われた《街開き》では、前層のボスを倒したレイドパーティの面々が《転移門》の前に並び、下からテレポートしてきたプレイヤーたちから惜しみない拍手と称賛を浴びせられる、なんて光景が何度も繰り広げられたものだ。
「とまあ、そんな訳でやってきました、《転移門》!」
「わーっ ぱちぱちぱちっ」
そんな俺の言葉に、リーファからかなりおざなりな感じの歓声と拍手が上がった。
アインクラッド第二層主街区《ウルバス》にやってきた俺たちは、装備武具の補修を済ませるとすぐさま街の中央部にある《転移門》の前までやってきた。
「それで、これからどうするの?」
「そりゃもちろん、門を開通させるのさ。まあ、黙って見てなって」
首をかしげるリーファにニヤリと笑ってそう返すと、俺は門に近づいていく。
遠目からはただの石積みのアーチにしか見えないのだが、間近からよく見るとアーチ中央の空間がほのかに揺らいでいるのが分かる。
それはあたかも、ごく薄い水の膜を通して見ているかのような光景だった。
そして俺は、その揺れる透明なベールへゆっくりと手を伸ばしていき ―― 触れた。
その瞬間、鮮やかなブルーの光が溢れ、俺とリーファの視界を染め上げた。
「―― っ!?」
突然の出来事に驚き身構えたリーファの気配を背中で感じながらも、俺は視線を外す事なく輝く門を眺め続ける。
すると、ブルーの光は同心円状に脈動しながら、幅五メートルほどもあるアーチいっぱいに広がっていくのが見て取れた。
この光が、アーチ内の空間一杯に満たされたその時こそが、《転移門》の開通、 ―― すなわち《街開き》である。
これと全く同じ現象が第一層の主街区にある門でも発生しているハズで、きっと第二層の開通を知ったプレイヤーたちが今や遅しとたむろしている事だろう。
そんな事を考えながら、俺は呆気にとられたような顔で門を見つめているリーファのもとへ向かった。
しばらく二人で門を眺めていると、ゲートの内側がひときわ大きく輝き、広場の片隅に陣取っていたNPCの楽団が高らかに《開通のファンファーレ》を奏で始める。
そして、青い光に満たされたゲートから、無数のプレイヤーたちが色とりどりの奔流となって溢れ出 ―― てこなかった。
「……あれ?」
大量のプレイヤーたちが転移してくるだろうと思って身構えていたのだが、そんな俺の予想に反して、ゲートからテレポートしてくるプレイヤーは一人としていなかった。
「……なんでさ?」
そのあまりに想定外な光景を前にして、俺は思わず呆気にとられてしまった。
《転移門》が故障した……なんて事はさすがにないだろうし。
アクティベートに失敗した……なんて事もないハズ。
となると ――
「……あっ」
もしかして、アレか? 門が開通した事に、誰も気づいていないとか?
そんな馬鹿なと思いつつも、いや、よくよく考えてみれば全くあり得ない話とも言い切れないと思い直す。
なにせ、俺たち以外のプレイヤーは、いまだ迷宮区ダンジョンどころか《トールバーナ》にすら辿り着いていないのだから。
……ま、まあ、それだったら仕方がないか。
とりあえずメッセージでも送っておこう。アルゴ辺りに伝えておけば、たぶん、すぐに広まるだろ。
なんとなく拍子抜けな気持ちになりながらも、俺はメニューを開いた。
階層が違うので、インスタントメッセージでアルゴに連絡をとる事はできない。
だから俺は、唯一フレンド登録しているクラインへとフレンドメッセージを送った。
【一層の犬王様、撃破。二層の門、開通完了。って、アルゴに伝えておいてくれ】
これでよし、と。
アイツは顔の広い情報屋だし。クラインだって、アルゴの名前くらいは知ってるだろうから、連絡が取れないって事はないだろう。
* * *
「いいかお前ら、いくら相手がザコMobだからって気を抜くんじゃねぇぞっ!
こいつはただのゲームじゃねぇ、たった一つしかない本当の命がかかったデスゲームなんだって事を自覚しろっ!
何度も繰り返し言ってる事だが、絶対に無理はするな、無茶もするな、危なくなったらすぐに助けを呼べっ! わかったなっ!」
「―― はいっ!!」
赤い髪に黄色と黒のバンダナを巻いた男が、自身の前に並ぶ三人の少年少女たちへ言い聞かせるように告げる。
そして三人は、そんな彼の言葉を受けて、大きくうなずき返した。
「よしっ! なら、まずはエミル、お前が壁役だっ! お前はボアの攻撃を防ぎながらヘイトをかせげっ!
そして、ユウダイとサラサは攻撃役っ! 二人は、隙を見て横からソードスキルをブチ当てろっ! ―― 以上、散開っ!」
直後、彼から指示を受けた三人が、正面にPOPしたフレンジーボアに向かって一目散に挑みかかっていった。
ここは《はじまりの街》周辺にある広大な草原フィールドの一角。
その場所でバンダナ男ことクラインは今、新米剣士三人の監督役をしていた。
本来ならば、このフィールドに現れるボアやウルフなどは、ソードスキルを2,3発ヒットさせるだけで倒せる程度のザコモンスターでしかない。
だから、そんなザコMobに対して三人プラス監督役で当たるなどというのは、あきらかに過剰戦力であった。
そして、当然の事だが、パーティの人数が増えれば増えただけ、一人当たりが獲得できる経験値は減っていく。
三人でボアを倒したとしても、それこそスズメの涙程度しか獲得する事はできはしないのだから、経験値効率は最低の部類だろう。
けれど、この狩りの主目的は三人のレベルアップではない。
今回の主目的は、これまで街の訓練場で木人を相手に剣を振っていた彼らに、実戦を経験させる事なのだ。
考えてみてほしい。
たとえステータス的にはザコでしかないのだとしても、身の丈一メートルを超えるイノシシを、そしてオオカミを相手に真正面から対峙できる者が一体どれほどいるのだろうか?
自らの命がかかった状況で、冷静に戦闘のできる者が一体どれほどいるのだろうか?
そんな事ができる者などいるハズがない。仮にいたとしても、それはごく少数に限られるだろう。
そして、それ以外の大多数の者は、恐怖のあまり錯乱するか、身を竦ませて棒立ちになるかのどちらかだ。
故に、まずは比較的安全な状況下で戦闘の経験をつませる。モンスターと戦う事に慣れさせる。
その為の三人パーティ。その為の監督役だ。
フレンジーボアを相手に死闘を繰り広げている三人の戦闘風景を観戦しながら、クラインは遣る方無い気持ちでため息を一つついた。
エミル、ユウダイ、サラサの三人は、三人ともが15歳の中学生。いまだ義務教育すら修了していない少年少女だった。
本来ならば、まだ大人の庇護下にいるべきハズの子供なのだ。
にもかかわらず、そんな彼らすら命の危険のある戦場に引っ張り出さなければならないという今の状況に、クラインは遣る瀬無さを感じずにはいられないのだった。
この二週間で、前向きに攻略する気概のある大人連中は皆、ここを卒業して街の外へと旅立っていってしまった。
そのため、今、《はじまりの街》に残っているのは、クラインのような他プレイヤーの支援を行っている者たちを除けば、宿に引きこもってそこから一歩も外へ出ようとしない現実逃避組と、戦闘に向かない女子供組だけだった。
初期資金の残っている今はまだいい。だが、それも無尽蔵にある訳じゃない。いつか、それもそう遠くない未来に底をついてしまうのは確定事項だ。
では、その時、残された《はじまりの街》の住人たちをいったいどうやって養っていけばいいのだろうか。
いまだ全プレイヤー中の半数以上が残っている《はじまりの街》の全ての住人を、十数人程度しかいないクラインたち支援組が養うというのは現実的ではない。
ならば、一体どうするべきか。その事を支援組内で話し合った結果、やはり自分の食い扶持くらいは自分たちで稼いでもらおうという結論に落ち着いたのだった。
将来を見据えた、非戦力層の戦力化。
それが仕方のない事なのだと分かってはいても、それでもやはり子供たちにはいつまでも、命の危険にさらされるフィールドなんかには出ないで安全な街の中にいてほしい、というのが彼の偽らざる本音なのだった。
故に、クラインは彼らの訓練に力を入れる。
せめて、自分の身くらいは自分で守れる程度にはなってほしいから。
そしてなにより、一人の大人として、若い命を無駄に散らせる事にだけはなってほしくないから。
などと、益体もない事を考えていたクラインがふと気づけば、いつの間にやらエミルたちがボアを撃破していた。
初陣を勝利で飾った事を互いに喜び合っている三人。けれど、そんな彼らの背後から忍び寄る影が一つあった。
グレイウルフ ―― フレンジーボア同様、草原フィールドに出現するザコMobの一種である。
突撃しかしてこないボアと異なり、その高い俊敏力でプレイヤーを撹乱し、隙を見ては鋭い牙や爪を用いて襲いかかってくるという初心者が相手にするには少々難儀な相手だった。
けれど、初勝利に浮かれている三人は、その新たに出現したモンスターの接近に気づかない。
そして、気づいた時には既に手遅れ、グレイウルフが三人の中で最も近場にいたエミルへと飛びかかろうとしているところだった。
突然の事態に驚いて、エミルは思わず目をつむり、一瞬後に来るであろう衝撃に身を固くしてしまう。
だが、いつまでたってもエミルが攻撃を受ける事はなかった。
その事を疑問に思い恐る恐る目を開くと、愛用の曲刀を正面に突きだしたクラインと、無数のポリゴン片に爆散するグレイウルフの姿が目に入ってきた。
―― 片手曲刀基本技《リーバー》
その光景を呆気にとられたような気持ちで見ていたエミルに笑いかけながら、クラインは突き出していた曲刀を下げる。
「初勝利に浮かれる気持ちもわかるがよ、常に周囲の警戒だけはおこたらないように気をつけろな。ここは安全な圏内じゃない。敵がどこから襲ってくるのかわからないフィールドなんだからよ」
そう言って、クラインはエミルに手を差し出してた。
「あ、は、はいっ」
いつの間にやら自分が尻もちをついていた事に気づいたエミルは、やや気恥ずかしそうな面持ちとなりながらも差し出されたクラインの手をとり立ち上がる。
「そんじゃ、お次はあそこにいるボアだ。今度はユウダイが壁役で、残りの二人が攻撃役な。ほれ、駆け足駆け足」
クラインに急かされ、慌ててフレンジーボアのもとへ駆けていく三人の後姿を見つめながら、彼は思わず口元に苦笑いを浮かべる。
なぜならば、今彼がエミルに告げたあの言葉は、もともとは今のエミルと似たような状況に陥った自分がそのとき一緒にパーティを組んでいた相手に言われた言葉だったからだ。
「カズヤ、か… そういやあの野郎は今、一体どこで何をしてるんだろうなぁ」
全てが始まる事となったあの日に出会い、この世界での生き方を教えてくれた友人の事を思う。
その後別れて以降、全く音沙汰がないので、彼の友人が今どこで何をしているのか、クラインは全く把握していない。
この街を卒業していった教え子たちに、見かけたら教えてくれないかと頼んでもいるのだが、そちらからの連絡もいまだにない。
以前、ヒゲの情報屋に訊いてみた事もあったが、どうやらあちらさんもアイツの行方に関してはまるで分かっていないらしかった。
これだけ手を尽くしても、いまだに尻尾すらつかませないとか、アイツは一体どこで何やってるんだか…
まあ、《生命の碑》に刻まれた名前が消されていない以上、“死”という最悪の可能性だけはあり得ないのが救いなのかね。
きっと、今もこの世界のどこかで元気にやっているに違いないのだから。
そんな事を考えながら三人の戦闘風景を観戦していたクラインの視界の隅に、ポーンという軽いSEとともにメッセージの受信を通知するアイコンが現れた。
「……あん? メッセージだぁ? こんな時にメッセージを送ってくるなんて、一体どこのどいつだよ?」
街にいる知り合いは、今自分が監督役をしていて手が離せない事を知っているハズだ。
にもかかわらずメッセージを送ってきたと言う事は、余程の事態が、つまりあまり歓迎できない何かが起こっているという事の示唆に他ならないのではないだろうか。
「おぃおぃ… できれば、これ以上の厄介事は勘弁してほしいんだがなぁ…」
再びボアを撃破しつつも、今度はしっかりと周囲の警戒をしている三人の様子を視界の端に納めながら、クラインはそんな風にボヤいてメッセージを確認する。
「んで、差出人は、っと… ―― って、カズヤかよっ!?」
メッセージの差出人がつい今し方まで考えて友人だった事に驚き、クラインは思わず声を荒げてしまう。
「はぁ? 犬王様撃破? 二層の門開通? はぁぁぁーーーーっ!?」
そして内容を読み、更に驚愕の声を上げるのだった。
* * *
アインクラッド第一層の北西部に広がる森林フィールドを超えた先にある遺跡ダンジョン。
そのダンジョンの中を今、とある三人のプレイヤーが進んでいた。
「―― っ!!」
巨大な芋虫の突進を、フルプレートアーマーで全身を覆った戦士が、真正面から受け止めた。
「ハァッ!!」
そして、戦士はお返しとばかりに手にしていた盾をワームへ叩きつける。
「ギギャッ!」
《シールドバッシュ》の直撃を受けたワームが、悲鳴と共に大きく後方へと叩き飛ばされた。
そして、その着地点で待ち構えているのは、長槍を手にした槍使い。
「はいよ、お勤めご苦労さんっ!」
そして槍使いが、飛んできたワームを槍で刺し貫く。
―― 両手長槍基本技《スラストワン》
突き出された長槍に貫かれ、百舌の速贄状態になったワームは、そのHPバーを急速に減らしていき、すぐに無数のポリゴン片となり消えていった。
「ふぃ~… 一丁上がりっと」
そう言って、槍使いが突き出していた槍を肩に担いだ。
「レイ、まだ終わってないよっ! 前方二時の方向から、ワーム3、ゴブリン2、接近中っ!」
と、そんな槍使いの背後から、警戒を促す声が飛んできた。
「うげっ… そいつはまた、随分な団体さんじゃねぇか。……今日は厄日か何かか?」
その言葉を聞いて、思わずゲンナリした顔になる槍使い。
広範囲を殲滅できる魔法が存在せず、範囲攻撃型のソードスキルもその効果範囲はせいぜいが武器の間合いプラスアルファ程度しかないSAOでは、転移結晶などの退避手段を持たない状態で複数のモンスターに囲まれるという事は、即ち死を意味する事になる。
その為、通常、ゲーム内ではほとんどのモンスターは単独か、あるいは二、三体単位でしか現れない事になっているハズだった。
少なくとも、ベータ時代はそういう仕様になっていた。
にもかかわらずのこの大盤振る舞い。槍使いでなくても、愚痴の一つや二つ言いたくなる状況だろう。
「ボヤかない、ボヤかない。死にたくなかったら、口じゃなくて手を動かして」
「わーってるよ! ったく…」
後方で索敵を担当している相棒にせっつかれた槍使いは、大声で返事を返した。
そして、隣りにいたもう一人の相棒に声をかける。
「んで、そっちはまだ大丈夫そうか?」
「大丈夫。……そっちは?」
「俺もまだまだ余裕だぜ。 ―― っつー訳で、とっとと蹴散らして先に進ませてもらうとしましょうかねっ!!」
そう言って、槍使いと戦士はモンスターの一団へと飛びかかっていった。
その後、二時間ほどの探索を経て、一行は遺跡の外へと抜け出す事ができた。
「ふぃ~ ようやく、お天道様の下に出る事ができたな。やっぱ、人間ってのは太陽の下で活動するのが一番だぜ」
「天井があるから、太陽なんて見えないけどね」
「うっせぇ! 気分的な問題だよっ!」
遺跡を出て早々に漫才を始めた二人を眺めていた戦士は、ふと自分宛てにメッセージが届いている事に気づいた。
一体誰からだろうかと首をかしげていると、その様子に気づいた二人が問いかけてきた。
「どうしたんだ、ユウ?」
「……メッセージが」
「メッセージ? おっ、本当だ。なんか、俺んところにも来てるな」
「あ、こっちにも来てる。たぶん、いままで遺跡の中にいたから気づけなかったんだね」
その言葉に、なるほどとうなずき返す二人。
「ふむ… どうやら、アルゴのヤローからのメッセーみたいだな。内容はっと…」
三人が、送られてきたメッセージに目を通す。
【どこぞのバカがイルファングを単独で撃破した模様。《ウルバス》の門は開通済みダヨ】
「………………」
そして、あまりにもあまりなその内容に、三人とも言葉を失う。
「……ねぇ、レイ。コレって、本当だと思う?」
「……アルゴからの情報だからな。単独撃破の方はともかく、《ウルバス》の門が開通してるのはまず間違いないだろうな」
「……ねぇ、レイ。カズって、本当に人間なのかな?」
「……とりあえず今の俺には、カズがTASさんだったと言われても驚かない自信があるな」
「……ねぇ、ユウはどう思う? って、いない!?」
そう言って振り返った先に戦士はおらず、顔を突き合わせて話していた二人を置いて一人でずんずんと先に進んでいた。
「ちょっ、ちょっと待ってよ、ユウっ! 一体全体どうしたの?」
慌てて追いすがってきた二人に向けて、戦士がポツリと答えた。
「……今ならまだ、間に合うかもしれない」
何に、とは言わなかった。
「……今ならまだ、会えるかもしれない」
誰に、とは言わなかった。
けれど、三人の脳裏に思い浮かんだのは、いまだ再会する事の叶わない一人の少年の姿だった。
このゲームが開始されてから既に二週間も経過しているというのに、いまだ出会う事も連絡をとり合う事もできていない大切な親友。
これまで音信不通だったのが故意なのか偶然なのかは分からない。ただ、彼が自分たちの事を避けているのは何となく理解していた。
こちらが彼の名前を知っているように、彼もまたこちらの名前を知っているのだ。
だから、その気になれば、今すぐにでも連絡を取り合う事は可能なハズ。
にもかかわらず、これまで彼からのメッセージが送られてきた事は一度だってなかった。
こちらからどれだけメッセージを送ろうとも、彼がそれに返してくれた事も一度だってなかった。
理由は分からないが、どうやら彼は自分たちと顔を合わせる事を避けているようだった。
……けれど、それがどうしたと言うのだ。
あの人に会いたい。だからこそ、あの人を追いかける。
あの人の事情なんて知った事ではない。それは、自分たちの足を阻む理由にはならない。
なぜなら、少し避けられた程度で切れるような、そんなヤワな付き合い方をしてきた覚えなどないからだ。
自分にとってあの人は、かけがえのない親友で、代替のきかないリーダーで…
そしてなにより、一度ではとても返しきれないほどの恩を与えてくれた恩人なのだ。
故に、諦めるだなんて選択肢は、ない。
なぜ? なんていう疑問は、この際わきに放っておく。
そんなのは、実際に顔を合わせた時に問い詰めればいいだけの事。
だから、あちらが逃げるというのなら、こちらは追いかければいい。ただそれだけの話。
彼を捕まえるまで、いつまでもどこまでも、追いかけ続ければいい。ただそれだけの話。
「ふぅ… そんじゃまぁ、とっとと二層の《ウルバス》まで行って、バカズヤの野郎をとっ捕まえてやりますかね」
そう言って、槍使いはニヤリと口元を釣り上げた。
その言葉に残り二人もコクリとうなずき返し、三人は一塊となって《トールバーナ》への道を駆けていく。
遺跡ダンジョンを越えた今、《転移門》のある《トールバーナ》までの距離は文字通り目と鼻の先だ。
駆け足で行けば、それこそものの数分もかからずに、第二層の《ウルバス》へと辿り着く事ができるだろう。
―― 再会の時は、近い。
* * *
深夜、完全に人通りのなくなった《はじまりの街》の転移門広場に、ふらりと一人の人物が現れた。
夜の帳が完全に落ちて薄暗闇に包まれたその場所を、その人物は迷うことなく突き進んでいく。
そして、《転移門》の前までくるとその足を止めた。
「…………」
門を見上げるその人物は、頭の先から腰元までをすっぽりと覆う暗赤色のフード付きケープを身につけていたために、はた目からはその容姿や性別を判断する事はできない。
しばしの間、門を見上げていたその人物は、視線を下ろすと腰に差していたレイピアをひとなでした。
そして、ぼそりと何事かをつぶやくと、《転移門》をくぐる。
その瞬間、ライトブルーの閃光が薄暗い広場を淡く照らした。
そして、光の収まった後に残されたのは、再び静寂を取り戻した薄暗い転移門広場だけだった。
――― そして、物語の舞台は第一層から第二層へと移っていく ―――
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と言う訳で、インターミッション的な何か。をお送りしました
インターミッションなので、本編の時系列的には、前回の終わりからほとんど進んでおりませんがご容赦ください
たまにはオリ主くん以外にスポットを当ててみるのもいいかもね的な実験作
作者は基本的にカッコイイ主人公スキーなので、勘違い要素をしこたまちりばめてみました
だから、肌に合わなかった人もいるかと思います
だが作者は謝らないっ! むしろ、どんどん勘違いを加速させてやるっ! ふぅーーはっはっはっはっ!!!
こんな作者のこんな話でよろしければ、これに懲りずにまた付き合ってやってください
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――― おまけ
< 設定のノート ~ 捏造設定置き場 ~ >
○ 《転移門》について
ある一定以上の規模のある街の中央部に設置されているワープ装置
第一層で転移門のある街は、《はじまりの街》と《トールバーナ》の二つのみ
主街区の転移門へはフロアボス攻略後に一度アクティベートされれば誰もが転移できるようになるが、
主街区以外の街の転移門に転移する為には、それぞれ個々人でアクティベートしておかなければならない