この世界にやってきてから三日が経過した。
私は『精霊召喚』の長時間維持で小さな実体を作り、千雨の周囲を漂って過ごしていた。
そんな私の姿のせいで始めは周りの子供達に注目され、千雨は迷惑そうにクラスメイト達をあしらっていた。
しかしここは魔法が世界に知れ渡っている世界。そして西洋魔法使い達の本拠地、関東魔法協会のお膝元だ。低位の精霊を呼び出すくらいならば初歩の魔法でもできる。私はそこまで珍しい存在ではない。
そんなわけでお披露目三日目の今日では、すでにクラスメイト達の興味が私から外れていた。
千雨の周りには誰も残っていない。千雨のヤツも友達の一人くらい作っても問題ねぇのにな。
そんな初等部の学校風景。
ちょうど今は「まほう」の授業の真っ最中だ。
そう、この世界の初等部は授業に魔法の習得実習が含まれていた。時間割的には体育の授業よりいくらか少ないくらいだ。麻帆良独自のカリキュラムだろうか。
「プラクテ・ビギ・ナル。玉よ動けー」
授業の内容は、魔法実習室のテーブルの上に用意された小さなゴムまりを初歩魔法で動かそうというもの。
五人で一班を作り、一人ずつ順番に魔法をかけていく。
同じ練習用の初歩魔法である発火と違って危険がない魔法だが、一時間ぶっつずけでやり続けるには魔力の消耗が厳しいので交代制になっているんだろう。
まわりの様子を見ていると、魔法の発動に失敗しゴムまりがぴくりとも動かないという光景がちらほら見られる。
西洋魔法っつーのは、術理の知識が一切無くても正しい呪文さえ唱えれば魔法を使えるという特徴がある反面、初歩魔法であっても使えるようになるまでがそこそこ長いという特徴がある。
毎日練習をしても最初の発動までに数ヶ月かかることもあるので、このカリキュラムだと三年生で使える子は確かに少ないだろうな。
水泳の授業みたいなもんか。泳ぎを覚えさせるが、課程修了までに泳げない子がいても構わねぇっつー。
と、そんなことを考えているうちに千雨の番がはじめてまわってきた。
千雨は普段私が携帯させている練習用の杖を軽く握った。寮の引き出しに入っていたこれだが、この授業で使うための杖だったわけだ。
「プラクテ・ビギ・ナル」
始動キーを唱える千雨。このキーは初心者が使う共通のものだ。
本格的に魔法を学ぶようになると自分専用の専用始動キーを使うようになるんだが、授業でやってる程度ならみんな共通キーを使うだろう。ちなみにネギ先生は魔法学校を卒業したときに専用始動キーを考えたんだとか。遅えよ。
「玉よ動け」
呪文を唱え終わると同時、テーブルの上のゴムまりがふわりと宙に浮いた。
「おおー」
一発での成功に、班員から驚きの声が上がる。そして。
「……マジか」
千雨が一番驚いていた。
くいっと杖を上に動かすと、ゴムまりが宙を漂う。杖の先が示す場所にゴムまりが正確に移動していた。
「すごい長谷川さん!」
「前の時間は動かなかったのに、練習したの? あ、それとも精霊さんのおかげ?」
『いや、私は別に力とか貸してねーな』
「じゃあうまくなったんだねー」
キャッキャと班員達に囲まれる千雨。
なんというか、体育の跳び箱で他の人が跳べないような段を飛べた子が出たみたいな反応だ。
そして千雨は急な成功に困惑するばかりだった。
千雨の魔法成功には実はタネがある。
私は直接的には手を貸してない。しかし間接的には手を貸したと言えるだろう。
この三日間。私は精霊体を維持するため、度々千雨の身体を借りて情報魔法の行使をしていた。西洋魔法をエミュレートした『精霊召喚』だ。
そのせいか、千雨の身体は、魔法を行使するために必要な体質へと急激に変わっていった。
毎日走っていたら自然と体力が身につくように。千雨が知らぬうちに、彼女の身体は魔法使いとして作り替えられていた。当然悪いことじゃねぇ。
魂と言うべき千雨の精神は実際に魔法を使っていないので、非魔法使いのそれのままだが、初歩魔法を成功させる分には身体だけで十分だった。
そんなわけで千雨は練習という労力を払わずに、西洋魔法を使えるようになった。
授業は続き、その後も千雨は授業中に何度も魔法を成功させた。
他の班員からも驚かれ、先生には褒められた。
そして授業は終わり、千雨達は実習室を出てクラスメイト全員で教室へと向かっていた。
千雨は元々はそこまで仲が良いわけではない班員と離れ、私に話しかけてくる。会話の内容は先ほどの授業のことだ。
『ま、良かったんじゃねえの』
ちなみに私は情報魔法を使って西洋魔法のエミュレートはできるが、西洋魔法自体は使えない。他に出来るのは風水くらいだ。無難な感想くらいしか言えねぇ。
「『まほう』のじゅぎょうってきらいだったんだけどな」
そんなことをぼそりと言う千雨。
だが今の千雨はどこかにやついている。
授業でうまくいってクラスメイトにちやほやされるのは、人慣れしてなくても嬉しいもんだからな。そもそも長谷川千雨って生き物は、他人に認められることを何よりの喜びとするアイドル指向だ。
『魔法がうまくいかなかったからか?』
「うんにゃ。魔法自体がきらいだったからだ。でも今はそうでもねぇ」
『そうなのか』
「ほら、私ってチャネリングがあるんだろ? それでこのごろいろいろ考えてたんだ」
確かに、夕方のアニメを眺めているときや、食事中などどこか上の空のことが多かった。強い思考じゃないので勝手に私の方に考えが流れてくることはなかったが。
ちなみに私は元の世界になかったアニメを全力で楽しんだし、食事も嗜好品として寮生達に餌付け的に分けて貰っていた。元人間の精霊なんだしこれくらい楽しむのは許して欲しい。
「私が魔法とか魔法のある世界とかがきらいだったのってさ、チャネリングで見てた夢の世界がすきだったせいなんじゃねーかって。なんつーのかな。ゆめとげんじつのこんどー、みたいな」
『面白いアニメ見てて、この世界はこんなに楽しいのに現実はなんてつまんねぇんだって感じるやつだな』
「そーそー。私が見てた夢ってさ、魔法のない世界の夢なんだぜ。見終わった後はいまいち覚えてねーんだけど、その夢の中で主人公みたいなのは、すごい楽しそうにしてた」
彼女がどんな存在から夢を受信していたのかはわからん。
私にチャネリング能力があるわけじゃねぇから、受信を試して逆探知ってわけにもいかんしな。
「でもあんたが来てから夢を見なくなってさ。そしたら現実じゃない世界にのめりこんで、今までなにやってんだろってバカらしくなった」
なるほどね。夢から醒めて周りをしっかり見れるようになったのか。
夢を見なくなったのは、私が憑依していることでチャネリングの受信能力をほぼ使い切ってるせいだろうな
立派だな、この子は。
私は中学時代の自分を思い出した。2-A、3-Aというクラスに所属して、私は非常識なクラスメイトを見てストレスを溜めていた。
自分の定めた常識から外れたものをひどく毛嫌いしていたんだ。周りがどうであれ、自分が平穏な生き方さえできればそれで良いというのに。
そして今。私は『気にくわない現実』から逃避してこの世界にやってきた。現実がどうあろうとも、自分が幸せなら別に無視してりゃよかったのに。
でも今更私は自分の生き方というものを変えられなかった。中学生活で歪み、明日菜の眠りを知って取り返しが付かないほどひねくれてしまった私だ。
そんな私と比べると、小学三年の千雨はなんて真っ直ぐなんだろう。
私なら夢から醒めてもずっと夢の世界を追ってしまいそうだ。
幸せになって欲しいな。。
この小学三年の長谷川千雨には、どうかずっと歪まないで生きてもらいたい。そんなことを私は思った。
◆
放課後。
誰と会話するでもなく直で児童寮に帰宅した千雨。
実質一人で住んでいる自室の三人部屋の扉を開けると、千雨は思わぬ光景に驚きの声を上げた。
「うわ、なんだこれ」
パソコンである。
OSインストール済みのメーカーパソコン。オプションとしてスピーカーとモデム付き。ディスプレイはCRT。
二日前に千雨が寮の中にある電話機に近寄ったときに、私が電話回線をちょろっとハッキングして学園長に注文していたものだ。
『言っただろ、パソコンやるって』
「いやそうだけど、それがきのうのきょうで……」
『情報精霊的に身近にパソコンあったほうが便利なんだよ』
それが本音である。
なおパソコンは小三の身体には重たいので、勝手に業者の人に設置して貰った。
この部屋ならまだ見られて困る物は置いてないだろう。
『とりあえずスイッチ付けてみ』
「……えーと、どこだ」
『ここここ』
ミニマムサイズの精霊の身体でパソコンの四角い電源スイッチを指し示すと、千雨はおそるおそるとスイッチを押した。
――ぺろ。
軽快な電子音が鳴り、ファンの音が低く鳴り響く。
ついでにディスプレイの電源も押させ、ゲーム機と違って起動に時間がかかるので今のうちに私服に着替えろと促す。
言われたとおりに箪笥へと向かう千雨。
たださすがは新品と言うことか、起動にはそれほど手こずらず桜背景が表示され、すんなりとあの懐かしい起動音が鳴った。
――ほーんぺろーん。ほーんほーんほーんほーん……。
突然のサウンドに着替え途中の千雨がぎょっとして振り返るが、気にするなと返しておく。
さて、デフォルトのものではない桜が背景になっているあたり、メーカーパソコンらしく独自の初期設定がいろいろされていると予想できる。
なので私はパソコンの中を動き回っている低位の電子精霊に呼びかけ、さっさとパソコンを掌握することにした。
前までならアーティファクト『力の王笏』の助け無しにこんなことは出来なかったのだが、今の私は高位の情報精霊である。元の時代からすると骨董品とも言えるパソコンを支配することなどたやすい。
このパソコンは千雨のヤツに与えたパソコンだ。しかし千雨はまだ子供で初心者。よって、私なりに彼女が使いやすいよう初期設定をしなおしてやることにした。
こてこてのメーカーパソコンなので、どう考えても使わんメーカーソフト群を一掃。年賀状作成ソフトとかいらねーよ。プリンタないし。
このパソコンのハードディスクから考えると、それなりの使用容量削減となったが、削除にかかった時間は全て一瞬だ。
私は電子の精霊ではなく、もっと複合的な情報の精霊なので、ハードディスク内の磁気情報を課程を飛ばして直接いじったりもできる。
さくっと完了。
うーん、やればできるもんだな。まあ元々アーティファクトを介して何度もやっていたことだ。独特の感覚さえ掴めれば昔とやっていることは変わらん。
そして服を着替え終えた千雨がパソコンの前へとやってくる。
彼女の表情はは新しいおもちゃを前にした子供のそれだ。私ってば昔から精密機械の類は好きだからな。
とりあえずはマウスとキーボードの使い方だ。使ったことはあるかと聞いたら。
「マウスはスーファミのMペイントでなれた。キーボードはファミリーBAシックとかいうので少しさわったことあるけど、あそび方わからんゲームだったからすぐやらなくなったな」
おう、そんな経歴が。ファミリーBAシック使いこなしてたならパソコンは夢の箱だったろうが、さすがにあんなもん子供が一人で使いこなすもんじゃねぇな。
だがマウス初心者じゃないってことは大きいな。パソコンのGUIってものはマウス操作が基本になっているから。
それじゃあ開始しよう。
「これはこんな感じでな……」
十数分ほどかけて、千雨にメーカーインストール済みのソフトウェアついて説明を進めていく。初心者向けのパソコンの使い方説明ってのは、システムの説明じゃなくてソフトの説明をまず先にして「パソコンは何が出来るか」っつーのを教えてやらんといけねー。
パソコンはすでに私の支配下なので、マウスポインタを勝手に動かしたりして視覚的な説明ができるのが便利だ。
「なんか大人が仕事に使う道具って感じだ……」
子供に良さが伝わってねー!!
そりゃそうだよな。この時代のメーカー製パソコンのプリインストールソフトで子供の興味を引きそうなのって、せいぜいタイピングゲームだ。それもしょぼいやつ。
仕方ねぇ。私はふわりと部屋の中をただようと、本棚の前で止まった。
えいやと気合いを入れて、物質への干渉力を上げる。そして棚の中から一冊の漫画本を引き抜いた。
ピンクダークの少年第21巻。
前世にはなかったその単行本を両手で抱えると、床まで下りてページをぱらぱらと一気にめくった。
『デスクトップ画面にできたフォルダアイコン――黄色い四角い絵をダブルクリックしてみ』
千雨は私の指示に従い、慣れないダブルクリックを行った。
エクスプローラが開き、フォルダの中身が表示される。さらにフォルダの中身をダブルクリックさせると。
「お、おおお!?」
画像ビューアーが開きピンクダークの少年のページがディスプレイ上に表示された。
ビューアーのボタンを押すと、ページがどんどん進む。千雨は今、パソコンで漫画を閲覧していた。
『パソコンは簡単に言えばなんでもできる箱なんだぜ』
ちなみに今千雨が見ている画像は、私が精霊の視界で単行本のページを精霊スキャンしパソコン上に送ったものだ。画像を表示しているビューアーはスキャンの最中に作った即席プログラムだ。この時代のパソコンに画像ビューアーなんてデフォルトで入ってねーからな。画像をダブルクリックしたらWEBブラウザが開きやがる。
『スキャナーって機械を使って全ページ取り込めば、パソコンでも漫画が見れるぞ』
……まあ綺麗なスキャンは本の解体が必要だから私はやってなかったけどな。今の時代でやるにもハードディスクの容量がネックになるし。
2035年の世界は全ての新作漫画に電子書籍版が存在していて便利だったなぁ。早乙女ハルナのヤツが頑張ったおかげで魔法世界や月面都市にも漫画文化が浸透して、物質的な漫画本は輸送の問題で時代遅れになっていた。
千雨の趣味で釣ることで少しはパソコンに興味を持って貰えただろうか。
まあそれよりもインターネットだ。子供にもわかりやすいパソコンの楽しみ方っつーと、ゲーム以外だとインターネットだ。
物理的な準備は終わっている。業者さんがモデムと電話回線をちゃんと用意してくれている。ただ、児童寮なのでこの時代最速であるISDNは用意されてない。当然のようにナローバンドである。
回線の接続先は業者が説明書類を置いていってくれた。私はそれを見ながら千雨に指示をして、ダイヤルアップ接続を開始させた。
――ぴぽぱぱぽぴぴ。
モデムから響いた突然のダイヤル音に千雨の肩が震える。
おおこれは懐かしのダイヤルアップ接続音。過去にやってきたんだなぁという実感を今更ながらに得た。
――びびぎーごごごずどがぎゅーがががががが。
「うるせー!」
部屋中に響き渡る奇妙な接続音に、千雨は耳を押さえて憤りの声を上げる。この時代にしか味わえない風物詩だというのにそんなに嫌か。
さて、接続も終わり準備完了。
この世界のネット事情にはまだ詳しくないんで、とりあえずブラウザを開かせる。メーカー製パソコンなのでブラウザの初期設定がされている。何もわからないときはそれに従うと良い。
今は1997年。前の世界のネット史に習うなら、検索エンジンはすでにそれなりのものが登場しているはずだ。
OSデフォルトのブラウザが起動すると、前の世界でも見覚えがあるポータルサイトが開いた。ここを玄関口として好きなホームページを探すのが初心者向けのインターネット利用法だ。
この時代のこのポータルサイトはディレクトリ型検索エンジンを採用しているんで、見たいサイトをトップページのカテゴリから選んで探せる。もちろん入力フォームに文字を入力して直接探してもいい。
「いや、キーボードはやっぱりまだふあんがあるっつーか……」
千雨は無難にマウスクリックでポータルのカテゴリを辿っていく。興味があるものを探してみろと言ったら、即アニメを選びやがった。
そして千雨はアニメジャンルから「魔砲少女四号ちゃん」という作品を選んだ。知らないアニメだな。これだけ世界が違うんだから放送されてるアニメも違うか。
ブラウザにずらっとホームページへのリンクが並ぶ。それを千雨は上から順番にじっくり時間をかけて閲覧していった。
「おお、おおおお……」
二時間は経過しただろうか。次々とホームページを開いて感嘆の声をあげていた。
ネットの初体験は未知の世界が開けるって感じですごいよなー
今千雨は、魔砲少女四号ちゃんとやらのコスプレ画像をじっと見つめている
私はそんな千雨を見て、他人を自分色に染め上げる黒い喜びを噛みしめていた。
そんなときだ。
『――ちうさまー』
電子精霊だけが感じられる電脳世界の奥深く。私を呼ぶ声が聞こえた。
『ちう様! ようやく探し当てましたー』
精霊の聴覚に届いてくる念話。これは……数日ぶりに耳にする私の手下、情報精霊七部衆の声だ。
電脳世界に響く念話の声はきっちり七匹分。「しらたき」「た゛いこ」「ねき゛」「ちくわふ」「こんにゃ」「はんへ゜」「きんちゃ」。七部衆勢揃いだ。
『おー、お前らちゃんとこっちこれてたか』
時空移動の直前になって私についてくると言い出した七部衆。
アーティファクトに宿る精霊だったのに、仮契約の破棄で世界にアーティファクトが返還されて私を主として従い続けている奇異なやつらだ。
そんな七部衆との念話を開始する。
こいつらが時空を彷徨いこの世界に辿り着いたのは三日前のことだ。私と同じ。当然だ。こいつらは私にくっついていたんだから。
1997年7月1日。降り立った場所は精霊の本体が住む霊的(アストラル)世界だった。
思わぬ時空の旅路にあぶぶあぶぶと翻弄されていた彼らだったが、虚空のかなたに消し飛ばされることなく無事まともな世界に降り立つことができてほっと胸をなで下ろした。
と思ったら、自分達がくっついている主が、何やら霊的な身体を置き去りにして精神をどこかに飛ばしてしまっていた。
すぐさま物質世界――地上に探しに行こうと行動を開始。するはずがそうもいかなかった。
こいつらは情報精霊千人長。配下に有力な情報精霊を従えている。しかしそれは前の世界でのこと。新しくやってきたばかりのこいつらはただの野良精霊に成り下がっていたのだった。やるせねーな。
それでも主のためと、七部衆は新たな配下獲得に乗り出した。野良精霊とはいってもそこは電子と光量子をつかさどる未来の高位精霊なわけで。主が好きそうな情報ネットワークに強い電子精霊を霊的世界で次々と手下に加えていった。
そして三日後の今日未明。霊的世界に一つのコンピュータ系電子精霊の派閥ができあがっていた。
そして地上での探索を開始。香港か麻帆良にいると当たりを付けて電話回線を探っていたところで、私に使役されたという電子精霊を発見。その情報を伝って無事私を見つけることができたというのだ。
なるほどよく頑張ったもんだな。頼りになるぜ。
『それでちう様、いっかい霊的世界に顔見せにきてくださいー』
『あえ? んだよそれめんどくせーな。私の本体になにかあったんか』
『いえーそれがですねー。僕達の力とちう様のアストラル体を見た電子精霊達がー、ちう様を統一王としてあがめて大騒ぎになっているんス。なんとかリアクション取ってあげて下さいー』
『ええーなにそれ』
統一王ってなんだ。そもそも2025年の未来でも、コンピュータネットワーク系の情報精霊には精霊王が存在してなかったぞ。貧弱な回線環境でも移動に困らないように、データを軽くして質よりも量でいくってタイプの精霊だから一匹に力が集中しないんだ。
ああ、だからか? 私は人間から精霊になった口だからデータ量も魔力も無駄に大きい。
しかたねぇなぁ。
私は念話の向き先をマウスをいじってディスプレイに張り付いている千雨に変えた。
『おい千雨、ちょっと出かけるから身体から抜けるぞ』
「んあー」
結構大事なことをいったつもりなんだが、返ってきたのは完全に生返事だった。
◆
二週間後の児童寮。そこには見事なネット廃人の姿が!
いやー、すごい。千雨のヤツここまではまるとは。
この部屋のネット回線は、電子精霊に必要ということで24時間繋ぎっぱなしでいいということになっている。
個人で電話代を払うならすごい金額になってしまうが、これは麻帆良のネットワーク事業の必要経費として落ちている。なので千雨は寮にいる間、ずっとパソコンにかじりついている。
キーボードの配列を見て目を回していた少女は、今ではフリーのタイピングゲームを使ってブラインドタッチを完全マスターするまでになっていた。
やっぱりこいつどう見ても私だわ
そして今日は夏休み初日。きっと朝から晩までネットに入り浸っていることだろう。
今はちうネットというサイトで運営されているブラウザゲーム、『大江戸コレクション日本語β版』を一心不乱でプレイ中だ。
そう、ちうネットである。
これは私が電子精霊達に作らせた新世代ポータルサイトである。
なぜこんなものが存在しているか。そこに至るにはちょっとした霊界の出来事を思い返す必要がある。
二週間前、千雨の身体から意識を抜き霊的世界にある精霊としての本体に戻った私を迎えたのは、世界を埋め尽くす無数の電子精霊達だった。
私にくっついて時間と世界を渡った光量子精霊の七部衆達、「しらたき」「た゛いこ」「ねき゛」「ちくわふ」「こんにゃ」「はんへ゜」「きんちゃ」もそこに全員いた。
慣れない霊界でのすごい光景にめまいのような何かを感じながら、私は七部衆に話を聞いた。これはなんぞと。千人長の率いる数じゃねーだろと。
『それをご説明するにはー、まずこの世界の精霊事情から話さなきゃですー』
曰く、電子精霊の歴史は浅く、雷の精霊から分化して誕生してからまだ120年ほどしか経っていない。
それでも人間が世界中に電話回線を引き、さらにはインターネットの誕生で情報インフラを拡充していっているおかげで、電子精霊達の力は超マイナーな自然精霊ほどには強くなってきている。
しかし、問題が起きた。
人間達に電子精霊を使ったインターネット関連の西洋魔法を生み出そうという動きがあるらしい。
人間が電子精霊を使った魔法を使うことは喜ばしい。供給される魔力の循環で電子精霊はさらに繁栄できる。
西洋魔法使いは、精霊と契約を結び新しい魔法を作り出す。一度作り出された魔法は、契約時に定められた詠唱さえ知っていれば他の魔法使いでも使うことができる。
だが、七部衆の参加にくだったコンピュータ及びインターネットに宿る電子精霊達の力では、人間との契約で強力な魔法を新たに作り出すことが難しいとかいうのだ。
なるほど。
確かに、強力な西洋魔法の呪文詠唱では、精霊王や妖精王の名がよくよく登場していた。
高殿の王。氷の女王。女王メイヴ。炎の覇王。奈落の王。
そういった精霊王達は太古の昔に人間と契約を交わして、力の一部貸してあげるから魔力こっちにまわせや、などと魔法を作りだした。
で、IT系電子精霊は、強力な魔法に力を貸してもいいぜーってできるほど地力のある存在がまだ生まれていないというわけか。
IT系魔法は大量の電子精霊を使役するという仕組みが基本だ。低位の電子精霊1000体を回線に流して、DoSアタックしてこいとかな。
でも魔法使いが個別に1000体の精霊を操るというのはなかなかに難しい。そこで、魔法使いは1000体の精霊を従える強力な精霊一体のみを使役して、間接的に1000体の精霊を動かすという手法を取るわけだ。
で、精霊側の事情として、1000体の精霊はいるがそれを従える強力な精霊が不足している世知辛い状況にある、と。
『そこにやってきたのが我らというわけです』
世界に降り立ってたったの三日間で、七部衆は膨大な数の電子精霊を従えた。
未来で培った精霊統制能力を見せたところ、こいつについていけば人間から魔力貰えるようになるんじゃね、となったIT系電子精霊が自然と集まってきたという。
魔力の源は生命だ。だけども電子精霊が司るのは機械とネットワーク。それらは魔力を生み出せない存在だ。
精霊は霊的な存在なので魔力があるととても嬉しい。ないと消滅するってほどじゃねぇが、あるとより活発的になれる。
魔力の予感に惹かれて電子精霊達が七部衆の元に集ってきた。
『そこでこのこ達は王を見たのですー』
精霊達はびっくりした。電子精霊に似たすんごい精霊が、七部衆を従えて眠っているのを目撃してしまった。
すごい精霊の七部衆。彼らにはさらに上の親玉がいた。
電子精霊は思った。あれって王じゃね。
精霊王じゃね?
あれに従えばすごいよさそうじゃね。
王だ。
IT系電子精霊を統べる統一王だ。
我々の時代が来た!
彼らが目撃したその王というのが、一千八百万の詞階(オクターブ)を持つ電子精霊の上位互換、光量子精霊の私だというのだ。
なるほど。
……精霊王かぁ。さすがに私にそこまでの力はねぇぞ。
一千八百万詞階(オクターブ)といえば、どこにでもあるような河川に宿る水龍一匹分程度の力だ。
自然界にはものすごくありふれている存在。しかし、自然は何万何億という年数をかけて地球で形作られてきたもの。
一方電子精霊は誕生から120年。国際電話用の海底ケーブルとかになら強力な電子精霊も何体か生まれてしていそうだが、そういったやつらはこの場にはいねぇ。いたとしても新時代のインターネット用の大魔法を物質世界で引き起こせるほど情報の蓄積がされているかどうか。
2035年の世界ならネット系の大魔法なんてありふれていたんだがな。まあそんな未来のネットワークを知識に宿す私は、確かに珍しい精霊とも言える。
私は霊的世界の一画を完全に埋め尽くす電子精霊達を精霊特有の視界で眺める。
これが全て私の配下になるのか。
精霊王。悪くないかもしれねーな。
『よーし、わかった。今日から私がてめーらの女王だ』
そう言うや否や、電子精霊達が歓声をあげながら動き回りはじめる。
始めは無秩序に飛び回っていたかと思ったが、やがて規則的な流れができあがり、やがて無数の精霊達は軍隊パレードのように綺麗に整列した。
そして突如、前方にいた精霊達が一斉に念話を飛ばしをはじめた。
――ちーう! ちーう! ちーう! ちーう! ちーう!
謎のちうコール。
ノリの良いやつらである。さすが人間の文明から生まれた精霊だ。
こんなんでもコールをしている前方のやつらは、知能を持って言語的なやりとりが成立している以上、霊格の高い上位層の電子精霊なんだよなぁ。
『で、魔法の契約ってどうすりゃいいんだ』
ちうコールに適当に手を振り返しながら、七部衆に訊ねる私。
一応こいつらも高位精霊として二十数年のキャリアがある。精霊としての生き方にそれなりに精通しているだろう。
『そこは僕達にお任せを』
『ちうたまとつながってますので代理契約してきますぅ』
「僕達だけで契約できれば良かったんですけどね』
『下を統率するのは得意でなんですがー肝心の力がからっきしでー』
『なにより我々データの軽さが信条なんで!』
……そうだよなぁ。名前入力がひらがな四文字の精霊じゃ、数より質的なパワー任せの魔法なんて契約できないよなぁ。
電子精霊1000体を一斉制御する大魔法とかなら、こいつらと契約するのが大正解なんだろう。けど、電子精霊の特性を把握していないだろう今の人間じゃ、大魔法を作るならとりあえず強い力を持つ精霊と契約してみようって感じになってんだろう。
ちうたまー
ちうたまー
わーいおうさまー
コールをやめた無数の電子精霊達は、整列を解き今度は私のまわりを勢いよく飛び回りはじめていた。
よっぽど王の誕生が嬉しかったんだろう。
ちうさまー
おうちつくってー
おうきゅーおうきゅー
あん? 精霊達が何かを伝えようとしているようだ。
ちじょうにおうきゅー
おうさまのおうちー
ちうたまー
おうさまー
『……翻訳!』
また七部衆に解説を丸投げする。
人間の言葉と違い純粋な精霊の念話なので、おおよその意図は伝わってきてたことはきてたんだが一応だ。
『これはあれですなー。人間界に精霊王の住処を作って欲しいみたいです』
『ほー、住処?』
精霊王の住処だから王宮か。
『地球には神域や聖域などと呼ばれる自然に恵まれた場所がございますね。あれらは精霊王が顕現する王宮と自然精霊達の中で言われているのです』
『それがうらやましいから、欲しいって-。ぼくたちも欲しいですー』
『力の王笏もうないから宿無しですよー』
そういえば仮契約解除したから七部衆が物質世界で顕現するための媒介がなくなっているのか。
アーティファクトという枷がないので、その気になれば適当な電子機器を借宿にできるんだろーけどな。
『王宮ねぇ……』
王の住処か。考えもしなかったな。私は麻帆良に住む気満々だったからな。
これは検討すべきか。
しばし考え、そして思いつく。
『よし、いけるな』
中空で指を動かし、テキストファイルを作り出す。ファイル名はchi_u_net.txt。
三分も経たずに完成した低容量のそれを、七部衆に渡して高位の電子精霊達にもコピーさせる。
『よーく聞け! お前達の最高の遊び場、chi-uドットネットを地上のネット界に作りだしてやる!』
うおー!
電子の精霊達が雄叫びを上げる。空気を振動させる物理的な声なんて全く上がっていないのに、全身に念話がびりびりと響くようだ。
テンション上がってきた。
来たよ。来たよ私の時代。この精霊達は全て私の手下! 電子精霊界でもぶっちぎり一位の派閥!
『そう。そう、私は精霊の女王だ! 再びこの世界でもNET界のNo.1カリスマとなって……全ての人間たちを私の前にひざまずませてやる!』
――ちーう! ちーう! ちーう! ちーう! ちーう!
それからというもの、麻帆良学園都市には無数の電子精霊達が飛び交うことになった。
電子精霊はみんな力が弱いので、学園結界で行動を阻まれることはない。
人前に姿をあらわすのは稀と言われる精霊の常識を無視し、電子精霊は有識者達の前に顕現し言葉をささやいた。
あるときは麻帆良大学工学部にあらわれ実験サーバの借用を取り付け、あるときは資産家の下にあらわれ資本の投資を募り、またあるときは学園長室にあらわれ法人設立の必要性を説いた。
そんなこんなであの日から二週間後の今、電子精霊の理想郷(予定)ちうネットが千雨のパソコンの画面に映っているっつーわけだ。
今は大学の小さなサーバ一台で動いているサイトだが、いずれは全世界の人間がアクセスする総合ポータルにするのだ。
ちなみに、現段階でもちうネットのサービスの質は同業他社のそれよりも十歩も二十歩も先を行っている。
まず、今のパソコンとOS事情を考えた未来的ウェブブラウザの配布。未来知識と精霊パワーで細部までこだわって作ったそれは、過熱化しつつあるブラウザ戦争を一瞬で終結させてしまうだろう。
それをダウンロードしてネット閲覧の煩わしさから解放されてちうネットを再閲覧してみると、相変わらずの未来的UIが出迎えてくれる。
未来的検索エンジン(情報蓄積中)。未来的多言語翻訳(前世界でISSDA承認済み)。未来的ソーシャル情報共有(麻帆良大生に早くも人気)。未来的動画チャンネル(麻帆良映像研究会大感激)。未来的ブラウザゲーム(千雨が廃人寸前)。などなど他にも私の未来知識を原案とした電子精霊を総動員して作った未来的コンテンツ多数。
未来的UIのおかげで、サービスが多くてもとても未来的に見やすい。サービス多くて何をすればいいかわからないよぉとならないように未来的誘導が助けてくれる。まさに2035年ネット社会の暴力的侵略だ。
私と同じ時間渡航者超鈴音は、歴史改変の目的のために一時的に未来の技術(オーバーテクノロジー)を過去の人間に使わせた。
だが、元の時代に変えるときにその技術を処分していったらしい。協力者葉加瀬聡美の脳内に残された記憶と、絡繰茶々丸という超技術ガイノイドを除いて。
でも私はそんなSF的倫理観を採用するつもりは毛頭無い。別に未来に起きる出来事を吹聴してまわろうっていうんじゃねぇんだ。持てる技術を使って何が悪い。
そして学園長に頼まれた麻帆良内のネットインフラ整備が終わったら、麻帆良内に世界中のアクセスに耐えられる環境ができあがる。そこに置かれるのがちうネットだ。麻帆良の地に未来的精霊宮が誕生する。何も間違いなんてない。
麻帆良大学のサーバでは、できたてのちうネットが世界に覇を唱える日を今か今かと待っている。すでに麻帆良大のネット利用者はちうネットの魅力に取り憑かれ、口コミでその評判を広げ始めている。
そんな裏事情のあるちうネットで、今日も千雨はネット廃人への道を一歩ずつ登っているようだった。
「よし、来たぞ。来たぞ。来たぞ」
彼女が今プレイしている『大江戸コレクション日本語β版』は、私がこの世界の歴史を学ぶついでに作った長期プレイ用のブラウザゲームだ。
内容はこの世界の江戸時代を舞台にした日本行脚ゲーム。
システムはあえてシンプルに作っており、100名ばかり用意した江戸時代の著名人(全員女性キャラ化)を味方ユニットとして集める近未来的ゲームだ。
製作協力は麻帆良歴史研究会。こういうゲームを作るから江戸時代の著名人をピックアップしてくれと丸投げしたら、彼らは見事に五日間で100人分のエピソードを用意してくれた。
そんな良い仕事っぷりに満足しながら、私はピックアップされた著名人を女性化したキャラデザインを行った。
こういうゲームは可愛い二次元イラストを使うと人気が出やすいが、キャラ数が多いのでローポリゴンの3Dモデルを用意。そのスクリーンショットをイラストとして採用する。
ただし3Dを二次元イラスト的に見せる技術はまさに未来的。
それを歴史研究会に再度送ると、今度は三日で女性化対応のキャラ設定を送ってきてくれた。
その設定を元にゲーム全体を再調整し、歴史的イベントを実装して先日β版が開始されたというわけだ。
人間の尺度で見ると開発期間はあまりにも短すぎるの一言だが、キャラ設定を作った方々以外のスタッフはみんな精霊だ。人間界の常識は通用しなくなる。
「うおおおお! マツオ・バショーがついに覚醒だ!」
おや、スーパーレアのマツオ・バショーをこの短期間で鍛えきったようだ。
電子マネー制度は準備に時間が相当かかるため課金要素はまだ用意していないので、千雨が廃プレイを強行していることがうかがえる。
あくまでもお手軽ブラウザゲームなので、クライアント型ネットゲームのように生活を全て捨てきったひどい廃人は生まれることはないが。
なおマツオ・バショーとは江戸初期にいたウォーロードのこと。エド・トクガワの臣下としてセキバハラのイクサを戦い抜いたイクサビトだ。
前の世界の松尾芭蕉とは似ても似つかない。前世界で有名な紀行文「奥の細道」は、この世界では日本のどこかに隠された秘密の巻物という、ある種の伝説的アイテムとして扱われていた。
ちなみに、歴史研究会のメンバーの一人は、マツオ・バショーはニンジャだと主張していたらしいが――。
「ニンジャは実在しない。いいね?」
「アッハイ」
と他のメンバーによりそれは否定された。
ニンジャとは、『古事記』に登場する神話的存在だ。その描写は、どこのナギ・スプリングフィールドだってくらいすごい。そして ニンジャはあくまで神話上の空想の産物だというのが歴史家達の見解のようだ。
このようにこのゲームの製作を通して私は、当初の目論見通りこの世界の日本史にある程度触れることができた。
その歴史はあまりにも前の世界と違いすぎて、どうして今この時代の日本が前の世界と似たようなものになっているのか不思議なくらいだ。
あ、ニンジャのことだが、当然、前の世界において大名に仕えていたという隠密集団忍者とは別物だ。神話的存在だからな。
……あ、別物じゃねーや。
前の世界で長瀬楓のやつ、生身で宇宙空間を疾走して地球と火星を超高速で往復するっつー、信じられない偉業を達成してやがった。あれこそまさに神話的存在だ。
「あー、兵糧たりねー午前中はここまでかー」
そう独りごちて。ごろりと寝転がる千雨。
ここ最近、千雨の一人言が増えた。パソコン中に今何をしているのか実況したり、思っていることを叫んだりするのだ。
何もおかしいことではないけどな。
なにせこいつは長谷川千雨。部屋で一人ネットをしているときに一人言を喋り続けるなんて、私にとってはデフォルトスタイルだ。
千雨も陰鬱な状態から正常な精神状態に改善しつつあるということの証明だ。
そう、この状態が私にとっての正常。なにせ中学二年の時に魔法界で、ザジのアーティファクトによる『リア充』のお墨付きを貰ったからな。
(うーん……)
パソコンから離れて床に寝転がっている千雨がこちらをちらりと見てくる。
何だ? 兵糧の有料購入はしばらく実装するつもりはないぞ。
ちなみに今私は、『精霊召喚』で実体化した精霊体を人間サイズまで戻し、裁縫を行っている。
麻帆良の中では千雨から離れられない私は、千雨がパソコンを使っている間、ちうネットの構築を水面下で進めながら部屋で暇を潰すようになっていた。
漫画本を読んだり、アニメのビデオを見たり、背が伸びて着れなくなった千雨の服を仕立て直したりだ。
そう、私は裁縫が得意だ。作るのはもっぱらコスプレ衣装だけどな。
いくつか仕立て直し終わった千雨の服も、当然コスプレ衣装に改造済み。まだ袖を通してくれたことは一度もないが、興味ありげなのは確かだ。
ちなみに今作っているのは、『大江戸コレクション日本語β版』に登場するロリキャラにして看板キャラ、エド・トクガワの衣装。
もう一人の看板キャラ、マツオ・バショーは巨乳キャラなので、子供の千雨向きの衣装としては入門難易度が高く作っていない。
(しかしなぁ……)
千雨の脳内の呟きが私に伝わってくる。ちらりちらりとこちらの様子を伺っているようだ。
なんだ。裁縫中の衣装が気になるのか。でもこの衣装は千雨がエド・トクガワをゲームでゲット出来てから着せてやろうと思ってるからまだ早い。
エド・トクガワは来週開催の試験的ゲームイベント、「セキバハラ荒野の亡霊」のクリア報酬で必ず一つゲットできるようになっているので、待っていて欲しい。
「あのさっ!」
突然千雨はがばりと起き上がり、こちらに寄ってくる。
『どーかしたか?』
今まさに気づきましたよ、という風を装って振り返る。
精霊の視覚は360度あるということを千雨に言い忘れていたから、視線に気づいてないふりをしておいた。
「えーと、そのさ。ちうってゼノン・トーキョーのことくわしいか?」
『まだこっち来て二十日程度だから千雨の方が詳しいんじゃねーかな』
ゼノン・トーキョーとは。関東一帯を網羅する大首都ネオサイタマの東部にある地域の一つである。
第二次大戦時に東京大空白襲によって大打撃を受け、さらに言詞爆弾の投下により壊滅した旧首都らしい。
ぶっちゃけていえば前世界での東京だ。
言詞爆弾というこの世界独自の兵器によって、土地の霊的な力が狂ってしまい首都機能は完全にストップ。その結果大首都ネオ・サイタマが生まれたんだとか。
『東京がどうかしたのか?』
「その……」
わずかに逡巡した後、意を決したように千雨は言った。
「アキバに行きたいんだけど、ついてきてくれるか?」
なんだと。なんといきなり秋葉原デビュー!
「ネットで見てさ、なんかすごそうな街があるって。ちょっと行ってみたい」
そうか。そうだよな。この時代のあそこはまさに楽園だ。
誰が呼んだか電気街秋葉原。小っちゃい精密機械というものが何よりも大好きな私にとって、街がアニメ・ゲーム関連ショップで表通りが埋まる前の秋葉原は、私が訪れられなかった失われた聖地なんだ。
『……ああ、せっかくの夏休みだ。行こうぜ!』
人混みが苦手なのは昔の私と同じハズだ、千雨。それでも行くのか。
「そうか、そうか。行くのかぁ。……どうやっていけばいいのかな。あ、そうかこういうときこそネットで検索か。便利だな」
どうやら小学三年の長谷川千雨は幸せを逃すことなく掴み取り、満ち足りた生き方を選べるようだ。そんなことを私は思った。