結論から言おう。私は時間移動に失敗した。
香港の傷ついた時虚遺伝詞の治療。その風水を予定より早く途中で切り上げての途中下車。下車先は過去のどこかの時代、ではなくどこかの並行世界だったらしい。
何がどうなってこうなったのか全くわからないが、事実なので受け入れるしかない。そもそも、時虚遺伝詞を人の身で扱おうとすることが元から無理があったのだ。気がついていない些細なミスで時虚の果てに放り投げられても何もおかしくはなかった。そういったリスクを承知した上での時間移動だ。そしてそのリスクが見事に降りかかったというだけのことだ。
時虚遺伝詞から私という存在が弾かれた末に辿り着いたのが、このとある世界の1997年7月1日であるっぽい。
幼い頃の私が住む麻帆良学園都市。しかしそれが存在するのは埼玉県ではなくネオサイタマという聞き覚えのない場所だ。
あせった私はプライバシーやら何やらを無視して、長谷川千雨(8)の脳内を繋がったチャンネル経由で電子精霊の力を使って閲覧した。
すると、出るわ出るわ聞き覚えのない場所、もの、知識。
ここは“本来の私”がいた時間軸とは違う、別の世界であるようだった。
並行世界。パラレルワールド。
それは量子力学や宇宙論などの科学で存在が示唆されており、世界各地の魔法分野で存在が確認されている『時の精霊』達が「あるよ」と口を揃えて言う概念だ。
ある時を境に二つに分岐する世界。朝食に白米を選ぶかパンを選ぶかで分岐する世界。ささいな量子のゆらぎで分岐する世界。
その存在は、私も「ある」と確信をもって言えるものだ。
私は、自分が生きる世界を『ネギ先生が神楽坂を火星開発の生け贄にしない』世界に変えるために、世界のありとあらゆる『時間移動』に関する事件を探り過去に飛ぶ手段を探した。。
魔法の存在しない世界では『時間移動』など鼻で笑ってしまう妄想の類でしかないが、あいにく、と言うか都合のいいことに、と言うべきか、私の住む世界は魔法の存在する世界で、『時間移動』に関する事例が世界の各所で散見されていた。
その一つが麻帆良学園の超鈴音の存在。そしてもう一つが香港を舞台にした第五次神罰戦。
それらの事例を見て気づくことが一つ。『タイムパラドックスは存在しない』ということだ。
ある人物Aが過去に飛び、自分の親を殺したとする。すると、人物Aはその後生まれなくなり、人物Aが過去に飛ぶという未来がありえないことになってしまう。これがタイムパラドックス。
しかしパラレルワールドが存在すると仮定すると、このパラドックスは無視できるようになる。人物Aが生まれた本来の世界と、人物Aによって人物Aの親が殺された改変後の世界が二つ存在することで、矛盾が生まれなくなる。
パラレルワールドはなかなかにくい概念だ。
時間移動者が好き勝手に歴史をいじっても概念的な制限がないという一方で、時間移動者がいくら歴史をいじったところで、移動する前の世界には一切の影響がない。
魔法を使えば過去に向かって時を渡ることは不可能ではない。“実現は不可能”とされているが、実際に時間停止などの時の精霊の力を引き出す魔法や魔法道具は存在し、世界の奥底には時虚遺伝詞が存在する。
不可能ではない。不可能ではないはずなのに、実際に時を渡る人間がほとんどいないのは、このパラレルワールドの概念のせいだ。歴史を変えても元の世界に影響がないというなら、過去に向かう時間移動の意味が失われてしまう。過去に行くことそのものが目的の場合は事情が異なるが。
これが、『世界は常に最新の情報だけを宿し、そこに存在する人物の過去など参照しない。ゆえにタイムパラドックスは起きない』とかだったら、時間移動への挑戦者は山ほど生まれ、魔法と科学の発展する未来にはどこかの漫画で見たようなタイムパトロールが生まれたりするのだろう。が、あいにく世界はそんなに都合良く作られてはいないようだ。
そんな都合の良くない世界で過去に向かって時間移動をするなど、よっぽどの天才かよっぽどの馬鹿くらいだ。
よっぽどの天才は超で、よっぽどの馬鹿は私だ。
超ほどの天才がパラレルワールドの存在に気づいていないはずがなく、それでもあえて過去を変えに来たというのだから“改変された世界”と“改変される前の世界”を重ね合わせるだとかそんな滅茶苦茶な手法をとったりできるのだろうと見ている。
で、私はよっぽどの馬鹿だ。
大好きな――ああ、もうこの世界にはいないから正直にぶっちゃけて――大好きなネギ先生が仲間の神楽坂を犠牲に人々を助けたという世界が嫌で嫌でしょうがなくなって、私はその世界から逃げて過去を変えようと思った。“改変される前の世界”なんてどうでもよくて、私が生きる世界が私にとって厳しくなければ後はどうでも良かった。
クソ、私も大概愛が重いな。
神楽坂を犠牲にしたネギ先生を否定するんじゃなくて、神楽坂を犠牲にせざるを得なかった世界を否定しているんだからな。
まあそんなわけでパラレルワールドというものがこの世には存在する。
そして私はどうやらパラレルワールドに迷い込んでしまったようだ。
ネオサイタマ。ネオサイタマってなんだそれ。宿主の記憶に問いかけてみたところ、日本の首都だそうだ。
東京はどこにいったと記憶を辿ってみれば、『東京は世界大戦前の日本の首都。現在のネオサイタマ』であるそうだ。
少なくとも元の世界とは第二次世界大戦より以前に分岐した世界っぽい。
他にどんな部分が元の世界と違うか記憶を辿ろうとしたが、そこは小学三年生。世界の地理や歴史なんて全然詳しくなかった。
かわりに身近な麻帆良の日常を探ってみたところで、パラレルっぷりに私は驚いた。
麻帆良学園都市は魔法使いの都市である。町中には魔法世界人である獣人や亜人が普通に出歩いていて、他にも魔界出身の魔族や天界出身の天使がちらほらといる。
この世界では魔法の存在は一切隠されていないらしい。
いや、考えてみればそこまで驚くようなことでもないのか。
私の居た世界でも、火星開発を行う途中で魔法の存在を世界に公にした。魔法世界の人々を救うという火星開発の本来の理由。それを地球の全ての人々に知らせて、事業を本格化させた。人道という名目で多くの人々の心を動かすことができ、見たことも聞いたこともない世界の人のために働くなんてという人には魔法技術の益を見せつけた。
この世界でも、魔法の存在を公にするだけの理由が何かあったのだろう。
……いや、この場合、元の世界で『魔法の存在を秘密にするだけの理由』が何かあったと言うべきか。なんで魔法の存在がひた隠しにされていたのか私は知らん。
さて、私は過去に飛び、歴史を変えようとしていた。ネギ先生が神楽坂を火星開発の礎にした世界を否定しようとしていた。
そこに何の意味はないというのは、パラレルワールドの存在を知ったときから理解していたことだ。過去を変えても世界が違うので、元の世界には何の影響もない。でもそれでも私はよかった。
要は、私の生きる現実が私にとって優しければそれでいいのだ。自己中心的な理由だ。だが自分の意志で時間を渡ろうとする人間なんてそんなものだ。超に破れたネギ先生と私達が時間を渡って、学園祭の最終日を改変したのも自己中心的なエゴでしかない。
過去に飛んだ私は、ネギ先生が火星開発計画を発案しないですむよう世界を動かすつもりだった。
しかしまあなんだ。この世界ではどうもそんなことをする必要があまりなさそうじゃないかと長谷川千雨(8)の記憶を見て思った。
世界に魔法が公開されている。それはつまり、魔法世界の存在が地球人にとって周知の事実であることの証明で、“魔法世界の外に出られない”はずの獣人系の魔法世界人が地球にやってこれるくらいには身近な存在であるということ。
“魔法世界と魔法世界人は作り物でしかない”というのはこの時期の魔法界ではトップシークレットだが、魔法世界人が普通に地球の日常に溶け込んでいるということはその辺クリアされているんじゃねーかと思う次第で。
つまりだ。私が偶然迷い込んだこのパラレルワールドは、過去を改変するでもなく私にとって都合の良い優しい世界なのではないかと。
大好きな、ああ、正直に白状して大好きなネギ先生が、億の人間のために1の人間を生け贄にささげないで済みそうな、優しい世界じゃないか。
目的は果たされた。過去には飛べなかったが、飛んだ先は神楽坂を犠牲にしなくても元気にやっていけそうな良い世界だ。私の現実にするには相応しい世界じゃないか。
だというのに。
何が気にくわないんだお前は。
おい、長谷川千雨(8)。
なんでお前はこの世界をそんなに嫌っている。
◆
「くあっ……」
“私”が目を覚まし、目を開ける。瞬きを数回して、ぼーっと天井を眺める。そして、思考がゆっくりと始まって、掛け布団をよけた。
ゆっくりと上体を起こして、ぐっと背筋を伸ばした。
『おはよう』
念話を飛ばす。対象は“私”。今の私は“私”にチャンネルが同調しているので、自分の放った念話が自分に届く感覚に不快感を覚える。が、ここは我慢だ。
過去を変えるために無理にこの身体に留まり麻帆良に居続ける必要はなくなったが、この“私”を置いて、はいさようならというわけにはいかない。
「……?」
“私”は目をこすって左右を見渡した。起きて早々朝の挨拶をされるとは思っていなかったのだろう。
(……ダレだ? あいつが帰ってるとは思えねーが)
“私”の思考。
あいつというのは部屋の同居人だろう。
児童寮は基本一人部屋というのがない。初等部の子供に一人で生活させるなんて無理があるからな。生活面ではなく精神面で。
どこも二人部屋か三人部屋だ。
でも、この“私”が私と同じ人生を送ってきたのなら、中等部を卒業するまで寮には同居人がいないことになる。
仲の良い同居人がいるなら、赤面症で対人恐怖症は中等部に上がる前に治っていただろう。が、どうやらこの“私”も過去の私と同じであるらしく、さっと伊達メガネをかけて挨拶の主と精神の壁を作った。
まあこれに対してはとやかく言うつもりはない。私自身、結構歳を取るまで赤面症は治らなかったからな。対人恐怖症は生涯治らなかった。
『おはよう。ああ、周りを見ても誰もいない。これは夢だからな』
夢。
ありえない常識に囚われている“私”に語りかけるために、この状況が夢だと錯覚させる。騙す。
「夢?」
言葉を返したのは“私”じゃない。私だ。勝手に身体を操って反復させてもらった。
この言葉自体には特に意味はない。必要なのは声を出すこと。遺伝詞を声に乗せること。その声を媒介に風水(チューン)。
部屋の空間を風水でぽやっとしたものに変える。ちょっとした演出だ。この状況を夢と思わせやすいように部屋に入り込む朝の光を少し遮って不思議空間にしてみただけだ。ざっと四百詞階。“私”の身体に負担のかからない軽い風水だ。
「ん……」
“私”はごしごしと伊達メガネの下の目をこすった。いきなり周囲がぽやっとしたのだから目がかすんだと反射的に手が動いたんだろう。
でも、目の錯覚ではないのでこすっても変わりはしない。
『私は電子の精霊ちう。訳あって君の元にやってきた魔法の精霊だ』
「でんしのせーれー」
(せーれー……せいれい? まほうのせいれい……あああれかー。でんしってなんだ……でんし、でんし……?)
『私は電子の精霊。家電製品やテレビ、ラジオ、電話といった通信に宿る精霊だ』
(でんし……電子か)
うお、頭良いぞ“私”。
あー、この歳でもパソコンとかは詳しいんだっけな。さすがにネットには触れてないだろうが。
この時代はまだブロードバンド普及前で、電話代のかかるネットは小学生じゃ手を出せない代物だ。それでも電子機器には強い関心を寄せていたはずだ。
「電子のせいれいが私に何の用だ。せいれいにお世話になるような生活はおくってねーぞ」
(クソ……さいあくなユメだ。いきなり魔法のせいれいが出てくるとか……)
うわー、マジで嫌われてるぞ魔法。夢なんだからフィクション世界を楽しむくらいいいだろうに。
……無理か。この“私”にとってはフィクションの魔法すらも唾棄すべき非常識なのかもな。
『私はこことは違う世界からやってきた精霊だ。宿のない野良精霊。野良犬や野良猫みてーなもんと思ってくれていい』
とりあえず、自己紹介だ。
“私”に私を受け入れてもらう。嘘は言わない。常識から外れていよーが、私を私のまま受け入れてもらう。
全てはそこからだ
「野良せいれいって……アホか。私をひろってくださいとか町中でかい主もとめてダンボールにでも入ってんのか」
『いや、もう拾ってもらった。長谷川千雨、あんたに。許可される前にあんたの身体を間借りした』
そう念話で伝えて、千雨の体を動かし、目の前で手をふらふらと振った。
「おいいい!? 何かってに人の体に使ってんだ!? 悪霊か! 悪霊なのか! せいれいじゃなくて悪霊なのか!?」
『別に取り憑いてないから安心しろ。悪い霊じゃない。これはだな……チャネリングって言ってわかるか? チャネリング』
「しらねーよ」
(ちゃねりんぐ……? ちゃね……ちゃねるりんぐ……ちゃねるいんぐ……ちゃねる? チャンネル?)
おー。小学三年生の割には洞察力いいんじゃねーか千雨。
いや、自画自賛かこれ。……自画自賛になるのか?
『チャンネルって言えばわかるか。テレビやラジオのチャンネルだ。ラジオの周波数を合わせたら音が聞こえるあれだ』
(なるほどチャンネルか……いやだからなんだっていうんだが)
『私、精霊ちうがラジオ局だ。ちうは1000の周波数の電波を送る。で、千雨、あんたがラジオだ。チャンネルのつまみが1000になってる。生まれつきな。だから私と繋がってる』
「…………」
無言だ。でも、思考は無言じゃない。
なんでそこで私はチャンネル1000になってるんだよクソがとかそういった思考だ。
『私はこことは違う世界からやってきた。魔法世界でも魔界でも天界でもない。そうだな、現実世界とでも言っておくか』
「ゲンジツって、ここがゲンジツじゃないみたいだな。あ、夢か」
まあ夢と思わせているが、そうじゃない。
『私のいた現実世界には魔法がない。人型ロボットを動かせるような科学力がない。魔法世界なんて別世界がない。だから動物の耳が生えた人間も、動物の頭をした人間も、羽の生えた人間もいない』
「……ははっ」
千雨が笑った。
「そりゃ確かにゲンジツだ。わたしのいる場所よりずっとゲンジツだ」
◆
私の借宿である八歳の長谷川千雨は、子供の頃の私と全く同じ人間だった。
親も同じ、経歴も同じ、送ってきた人生も同じ、考えることも同じ。
漫画好き、小説好き、アニメ好き。でも、フィクションはフィクション、現実は現実。現実はフィクションみたいなとんでもない設定など一つもなくて、ただ平和で平凡で平穏であればそれでいい。それが正しい。
魔法なんて現実には存在しない。
ロボットが人に紛れて生活しているなんてありえない。
同級生にどうみても年上の人や、幼稚園児としか思えない子が混じっていることなんてない。
交換留学を行っているわけでもないのに異様に留学生が多いクラスなんてあるはずがない。
ましてや子供が担任を務めるなんてまずあるはずがない。
フィクションがノンフィクションの領域を侵すことはない。
そんな子供の頃の私が持っていた常識を、あろうことかこの世界の長谷川千雨も持っていた。
おかしい。どう考えてもおかしい。
だって、この世界は魔法が実在する世界なんだぞ。
いや、私のいた世界も魔法が実在していたが、隠されていた。でもこの世界は魔法が公に広まっている世界だ。なにせ実際に本人の記憶を読んで確かめたからな。
魔法世界人である獣人亜人の存在する世界で、同年代の人間の成長具合を疑問視する方がおかしい。
古い時代から魔力の宿った人形が動いていた世界で、ロボットが人に紛れているのを疑問視するのはおかしい。
魔法が世界に浸透しているのに、魔法の存在を否定するのはどう考えてもおかしい。
長谷川千雨(8)の中には、相反する二つの常識が同時に存在していた。
そしてこの幼い私は、“魔法が存在しない”常識を自分の常識として捕らえていた。
この小さな私は、世界でたった一人だけ常識の外に置き去りにされて泣いていた。
麻帆良の日常に馴染めなかった子供の頃の私を思い出す。確かに、私も小さな頃はこの子と同じような状況にいた。
でも、私がその“現実的”な常識を得るのに至ったのは、本やテレビ、ネットといった“現実側”の情報源があったからだ。
麻帆良に馴染めなかったのは、麻帆良がそんな現実的な世界の常識から明らかに浮いていたから。
でも、魔法が広まり、魔法世界人が隣人として存在するこちらの世界では、麻帆良はちっとも浮いていない。馴染んでいる。これ以上ないほど世界に馴染んでいる。世界樹の聖地に作られた魔法の学園。何も変なところはない。
しかし、この幼い私はそんな麻帆良の日常をありえないものとして嫌っていた。
この子に一体何が起きているのか。
わからない。記憶を辿るだけではわからない。でも、放ってはおけない。
だって、私だ。世界が違うとはいえ私なんだぞ。そしてその抱えている悩みの辛さは、実際に経験したから知っている。辛いよな。わかるぞその悩み。
……いや、本当はきっと私でもわからないくらい辛いんだろう。私に悩みらしい悩みがなかったのは偽ザジ・レイニーデイのアーティファクトが証明済みだ。
“自分の一番望む甘美な現実の世界に捕らわれる”という同年代の誰もがかかった彼女の幻術に、私はかからなかった。曰く、私はリア充だと。人生充実してたんじゃないかと。
確かになぁ。私、3-Aのヤツラのことを非常識だと思いつつも、その仲の良いクラスメイト達を傍観者視点で眺めて楽しんでいたし、非常識に巻き込まれて受けるストレスも完璧に発散できていた。だからこそ卒業式の日に神楽坂がいなかったのが辛くて仕方がなかったんだが。
でもこいつは違う。リア充なんかじゃない。
自分の常識の全てが世界そのものに否定されていて、矛盾する二つの常識にすりつぶされそうになっている。
どうする。どうする私。
きまってんだろ。こいつが私な以上、どうにかしてやらなきゃいけねえだろうが。
私以外の誰が私を助けるっていうんだ。
◆
「そりゃ確かにゲンジツだ。わたしのいる場所よりずっとゲンジツだ」
……すれてんなぁ。本当に小学三年生かこいつは。
千雨を救ってやれんのかね私に。こいつが私な以上、捨てるって選択肢は存在しないが。
「あれ? じゃあなんでゲンジツに魔法のせいれいがいるんだよ。ふざけんな」
気にくわない、という口調で千雨が言う。思考もふざけんな、で埋まる。
理想の現実世界に魔法の精霊なんて異物が居るのが許せない、と。
『1997年の現実世界には魔法がなかった。正確には魔法の存在が隠されていた。みんなの常識では魔法は存在しないとされていた。でも実際には存在した』
「…………」
『魔法は隠されていた。世界に住むみんなは魔法がないと思っていた。その世界にいる長谷川千雨も魔法なんてないと思っていた』
「……あ? わたし?」
『そう、その世界のあんただ。そして、その世界の千雨は魔法なんてないと思ったまま歳を取った。魔法がないと思ったまま中学三年生にまでなった』
「そりゃ……」
(いい世界だな、ちくしょう)
心底うらやましそうに千雨は心の中でつぶやいた。
『その世界ではずっと魔法が隠されるはずだった。でも、隠しているわけにはいかなくなった。だから、ある日魔法が隠されなくなった』
「最悪だな」
『ああ、魔法のない現実世界では最悪だ。でも、隠したままじゃ12億という人の命が消えることになったから、隠されなくなった。結果、12億の人達は助かった』
「12億人じゃしょうがねーな……ちっ」
うわ、舌打ちしやがった。
12億だぞ。私も12億の犠牲に神楽坂が使われたのが気にくわないから人のこと言えねーんだが。
「で?」
舌打ちした千雨は、話を促す。
「で、魔法なんてないと思ってたわたしはどうなった?」
ここで出てくるのが自分な当たりいかにも私らしいな。
まあそう思うように私の存在を挿入したんだが。
『魔法使いになった』
「はあ!?」
(わたしが? 魔法使いに? バカにしてんのかこいつ)
『長谷川千雨は魔法の存在を知った後も魔法使いになろうとはしなかった。魔法使い達の戦いに巻き込まれても、魔法を覚えようとしなかった』
「あたりまえだろ」
当たり前かねぇ。あの激動の魔法世界の数ヶ月を思うと、魔法を覚えないなんて正気を疑う所業なんだが。
アーティファクトも一切身を守るのにつかえねーし。
あれか? ネギ先生か? ネギ先生が守ってくれるって言ったからそれを信じたのか? ぐわ、なんか中学生時代の私にのろけられた気分だこれ。
『でも、ある日魔法を使わなきゃどうしようもない現実に直面した。自分には受け入れがたい現実。でもそれが魔法を使えば解決できることだった。さて、あんたならどうする?』
「…………」
『この世界のあんたに当てはめるとするなら、そうだな。魔法のない、魔法世界のない、魔法世界人のいない、発達しすぎた科学のない、常識的で平穏で平凡な現実を、魔法を使うだけで手に入れられるとしたら、どうする?』
「そりゃあ……」
(使う……いや、でも魔法でそれを手に入れるのはどーなんだおい)
『不思議なスイッチを一つ押すだけでそんな現実に行けるとしたらどうする』
「押す」
即答かよ。不思議なスイッチもフィクションの世界全開だってーのに。
まあそのあたりが長谷川千雨(8)の想像力の限界なのか。
『その世界の長谷川千雨にとって不思議なスイッチが魔法だったのさ。自分には受け入れがたい現実から逃げるために魔法を覚えた。そして電子の精霊になった』
「……あ?」
『電子の精霊になって、世界を渡った。なにしろ現実世界は受け入れられがたい現実で世界が成り立っていたからな。そして偶然この世界にやってきた』
「はあ?」
『さっきチャンネルの話をしたよな? あんたのチャンネルは1000。生まれつきな。じゃあなんで電子の精霊である私のチャンネルが1000なんだ。電子の精霊が長谷川千雨だからだ』
「いや、ちょ、おまえ、急に話とびすぎだ」
『飛んでねーよ。長谷川千雨は現実逃避したかった。だから魔法を覚えた。覚えた魔法で精霊になって世界から逃げた。逃げた先で長谷川千雨がもう一人いた。だからチャンネルが繋がった。そんだけだ』
「…………」
(いやわかんねーよ。わけわかんねー。今日の夢はふっとびすぎだろ)
わかってもらえなかった。
泣きたい。小学三年生なんて子供とまともに会話するのなんてこれが初めてだから、正直話の噛み砕き方なんてわからねえっつーの。
ああ、こんなときは子供時代のネギ先生の天才っぷりがいかに良いものだったかがよくわかる。子供は、苦手だ。
くそ、どうすっかな。
『……ちょっと身体借りるぞ』
「あ? って、んぐ……」
(ぎゃー!? なんだ!? あばばばばからだがうごかねー)
「夢の中なんだから金縛りくらい普通にあるぞ」
(っててめーなにかってにひとのからだつかってんだおらー!)
「まあそう言うな、すぐ終わる」
そう言い、ベッドに座ったままだった身体を勝手に起こし、部屋を歩く。記憶を検索。机の二番目の引き出しか。
記憶の通りに机に向かい、引き出しを開ける。
(ちょ、なにやってんのおまえ!?)
「別にプライバシー覗こうってわけじゃねーよ」
(ぷ、ぷらいばし?)
横文字は苦手なようだ。
と、あったあった。魔法練習用の杖。勝手に拝借して手に握りこむ。
魔法が世界に広まっている世界の麻帆良学園は、魔法の習得が必修授業の一つにあるようだ。
まあ、魔法の聖地だからな。とはいえ魔法学校とは違いそこまで厳しくは内容だが。低学年のうちはじっくり時間をかけて『火よ灯れ』とか、『風よ』とかの超入門魔法を覚えるだけっぽいが。ちなみにこの千雨はその授業が大の苦手、というか大嫌いなようだ。
だがすまんな。勝手に借りるぞ。
「エゴ・エレクトリゥム・レーグノー」
(しどうキー!?)
と、さすが麻帆良の小学生。杖を持って始動キーを唱えただけで、私が魔法を使おうということに気づいたようだ。
でも私の使うのは麻帆良で一般的な西洋魔法じゃない。始動キーを基点に、室内の電化製品のことごとくをハック。その演算力を使って魔法式を構築。魔力は千雨に宿っている私から精霊の力を徴収。
「『精霊召喚』」
使う魔法は、自分自身の召喚。効力は微少。世界の奥深くにいる私の本体からごくごくわずから分だけ力を抽出。光子を編むことによって物理世界に私の姿を顕現させる。
(――っ!?)
それでも、精霊を召喚したという事態に千雨は驚愕したようだ。まあ普通の精霊じゃなくて上位精霊だしなぁ。千雨の身体越しに自分自身の霊格の高さがわずかに伝わってくる。
「身体返すぞ……って、ぐわっ」
唐突に私に身体を返還された千雨がふらふらと身体をゆらす。
その様子に苦笑しつつ、私は召喚された光子のボディに意識を向ける。うーん、意識を飛ばすことはできないようだ。なんというか、ラジコン操作? そんな感じで光子の精霊の姿を操作する。
見た目の設定。光子の発光量を抑えて、視認できやすくする。素っ裸の姿が見えたので、光子を編み直してこの世界に来る直前の服に着替えさせる。
ホンコン・ヤードの制服だ。香港洞に忍び込みやすくするため着ていた服だ。半精霊から精霊に昇華したときに全て消し飛んだが。……あれ? もしかして時間移動の直前って私素っ裸だったのか? うわ、ネギ先生に裸見られたのかうわ。
「……誰だ?」
と、それかけた思考を千雨の声で引き戻される。
『私だ。長谷川千雨だ。電子の精霊ちうでもいいぞ』
精霊の私にポーズを取らせる。ネットアイドルとして洗練されたカメラ向けの決めポーズだ。うむ、完璧。
「……おばさんじゃん」
うわー、はっきり言うなぁ。
それ相手によってはすごい傷つくからやめておけよ。
『長谷川千雨、36歳、独身だ』
見た目は二十代だけどな!
「36才でドクシンって……」
それ私でも傷つくからやめれよ!
逃したよ! 結婚のチャンス逃したよ! 目の前で結婚してくださいって言われて逃げてきたよ! 悪いかコラ!
『……まあそういうわけで、話にすると短いが、魔法を覚えてからここにやってくるまではいろいろあったんだ』
「36才なのにゲンジツからにげたんだな」
『そうですね! はいそうです! でも忘れんなよ、私は長谷川千雨だ。お前も道を間違えればこういう末路に……』
「ならねーよ。いい男つかまえてけっこんするし。いいおよめさんになるし。てめーとちがってふつうの家庭をもつのが夢だ」
『いい男は捕まえてましたー。結婚しなかっただけですー。結婚だけが女の幸せじゃねーんだよ!』
「おばさんはみんなそういうんだよ……」
むがー!
…………。
ガキ相手になにやってんだ私は
『まあそんなわけで、電子の精霊ちうは長谷川千雨で、チャンネルがたまたま合ってあんたの精神とちょっと繋がっている状態なんだ。それが言いたかった』
「36才ドクシンババァがわたしとか手のこんだいやがらせか! 夢にしたってげんどがあるぞ!」
『見た目は精霊になった二十代で止まってるっつーの。それによくみろお母さんに似て美人だろーが』
「んー? うん? まあにてるちゃあにてるが」
『よろこべ、お前の未来は美人だ』
「自分でいうなよ……」
まあそうは言うがな。私の美人さはISSDA特別顧問だったころに出回った写真の数々で、世界の人達が保証してくれたんだぞ。
「リアルちうたんツリ目可愛い」「メガネっこ! メガネっこ!」「フォトショ加工して……ないだと……」と騒がれて無駄に私の自尊心を満たしてくれた。半精霊化する前は3-Aのナチュラル美人どもと違って肌の劣化と戦う日々だったけどな。
『まあそういうわけだ』
「どういうわけだ」
返答する前に私の姿が消える。召喚の時間切れだ。
それを確認した千雨は、はーっと大きなため息をつくと、ふらふらと部屋を歩く。そして、伊達メガネを外しベッドにぼふっと身体を投げ出した。
(……夢なのにすっげーつかれた)
もふもふとベッドの中で暴れる千雨。
まあ、わからんでもない。こんな小さな子に一度にここまでいろんなことを告げるのは我ながらどうかと思う。
しかし、こうでもしないと始まらない。どうしてこちらの世界の私は、こんな境遇にいるのか。それを理解するには千雨にまず自分自身を打ち明ける必要がある。だから。
『なあ、千雨』
「まだつづくのこれ!?」
『ああ、もう夢は終わりだ。だけど、残念なお知らせがある』
そう告げて、私は今この時までずっと続けていた風水を終了させる。
ベッドに突っ伏している千雨にはわからないが、周囲のぽやっとした空間が溶けて、窓から朝日が差し込むようになる。
『これは夢じゃない。現実だ』
「はあ!?」
がばっとベッドから身を起こす千雨。
鮮明な視界が、夢ではないことをはっきりと自覚させるだろう。
「は? はあ……?」
ぱくぱくと口を開けて呆然とする千雨。本来なら、身を起こした時点で今までの記憶を夢と断じて忘れてしまうことができただろう。でも、今の千雨は私とずっと会話をしたせいでばっちり“目が覚めている”。全部夢だと切捨てるには、意識がはっきりしすぎている。
魔法のある現実を嫌うまだ八歳の小さな私には、受け入れがたい事態かもしれない。
でも、ここには千雨の味方はいない。千雨の常識を肯定してくれる“常識的”な人間なんて一人もいない。両親は遠く海外で仕事中で頼れる人は居ない。だから私が私自身を助けるしかない。
『起きろ。受け入れられないかもしれないが、これはくそったれな現実だ。魔法の無かった世界から電子の精霊ちうがやってきたのは紛れもない現実だ。急げ、時間だ』
「なんの時間だよ!」
これはくそったれな現実だ。だから、心を鬼にして言わなくちゃいけない。
『着替えろ。顔洗え。髪とかせ。寮の朝食に遅れるぞ“おひとりさま”』
「せいれいのくせにせわやきだな!? おまえはわたしのおかーさんか!」
『おかーさんじゃねーけど、まあ本人なんだから血の繋がった家族みてーなもんだ。ちうおねえさまって呼んでいいぞ』
「だれがよぶか! ってああもう! こんらんしてわけわかんねー!」
『じゃあ代わりに準備して食堂までいってやろーか? 野良精霊だが宿を借りてる礼にそれくらいはする』
「いらねえよ!」
我ながら口悪いなぁ、子供の私。
文句を口と思考に垂れ流しつつも朝の準備を始めた千雨の順応性の高さに感心しつつ、会話をやめた私は意識の置くに引っ込みひとまずの成功に安堵した。
千雨とは時間をかけて打ち解けるしか手はない。正直、記憶をあさっても、なぜ千雨のこの常識が形成されたのか答えは見えてこない。まずは最低限千雨と対等に会話できるくらいにならないと、どうしようもない。
自分の中に居座れるのが嫌と言われたら、身体から出ていって麻帆良への再入場の方法も検討しなくちゃいけなくなる。
他人のことならどうでもいいと放っておけるが、これは正真正銘長谷川千雨の問題だ。放っておけはしない。
ままならねーな、現実。少しは私に優しくしてくれてもいいんだぞ。