ネギ・スプリングフィールドが『完全なる世界』に対し示した、魔法世界の住人を助けるための代替案。それは、魔力を失い崩壊つつある魔法世界の基盤となっている火星を緑化させることであった。
魔力とは生命、自然から生まれ出るもの。世界が魔力を失い崩壊するのであれば、新たに魔力を供給すれば良いという答えだった。
魔法と科学を組み合わせれば不可能ではない未来図だ。
魔法に出来ないことは科学で、科学に出来ないことは魔法で。両方に出来ないことは両方を組み合わせた新技術で。
不可能ではない。人材は豊富だ。魔法世界の崩壊がかかっている。魔法世界に住む全ての人々が力を合わせて取り組むだろう。
そして、新技術による火星開発という大事業に、地球の人々も益を求め力を貸すだろう。
人の手は足りている。技術もある。資金も潤沢だ。
しかし、時間が足りなかった。
火星の開発を完了させるには数十年、長くて百年の月日が必要だ。地球から火星は遠く、火星とその上に存在する魔法世界は次元を隔たれ、火星への渡航技術の確立だけでも多くの時を消費する。
魔法世界は崩壊の危機を迎えている。火星の緑化を待つ前に魔力を失い消滅する。
だがネギ・スプリングフィールドの用意した代替案には時間を解決する方法も盛り込まれていた。
火星の緑化が終わるまで魔法世界の消滅を押しとどめる延命の手段が用意されていた。
それは、『黄昏の姫御子』、魔法世界の造物主の末裔、アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア姫の存在だ。
『黄昏の姫御子』の力は完全魔法無効化能力。しかし、その力を反転することで造物主の末裔としての力を引き出すことができる。その力は世界を作り出す力。それは造物主の配下が『黄昏の姫御子』を用いて『完全なる世界』の構築儀式を行おうとしたことからも証明されていた。
ネギ・スプリングフィールドの代替案は魔法世界を救う手段として、世界の人々に受け入れられた。
そして『黄昏の姫御子』は、魔法世界の礎となる。
火星が命を宿すまで、造物主の末裔の力を引き出し百年の眠りにつく。
かくして物語は幸福な結末を迎えた。
滅び行く宿命から逃れ、誰一人命をこぼすことなく世界は蘇る。
これ以上を望むべくもない未来を世界は選択した。
だがこの未来を望まぬ者が一人、ネギ・スプリングフィールドの傍らに居た。
長谷川千雨。魔法の力も戦う力も持たない小さな少女。彼女は世界を救う強い意思も持っていなかった。なんの力も持たない少女である。それでいて、世界が己が望むままにならないことを受け入れられない矮小な少女だった。
……世界が己の望まぬ未来を進んだことに少女が気づいたのは、『黄昏の姫御子』が百年続く眠りについてから一週間が経った後のことであった。
■香港 2025年7月1日午前0時 香港洞にて
「ダ・ズマ・ラフア・ロウ・ライラ」
唐突だが香港の話をしよう。
この諸島群が世界の歴史に登場するのは西洋諸国が世界進出した大航海時代になってからだ。
イギリスの東インド会社は、清との交易に広州とこの香港を港として使った。
当時のイギリス人はアジアの香辛料、そして紅茶をたいそう好んだらしく、結果としてイギリスは大規模な貿易赤字を抱えた。
イギリス人の紅茶好きはネギ先生を見ていればよーくわかる。
ちなみにネギ先生は珈琲のことを泥水とか言っていたが、紅茶が大量輸入されていた当時から珈琲はイギリス人に広く親しまれていた。ネギ先生のあれは単に苦いものが苦手な子供舌なだけだ。
ともあれ貿易赤字だ。国の資産が外国にどんどんと流れ出ていくことにイギリスの公人達はたいそう焦った。
大航海時代、西洋諸国は後進国から資源と金を吸い取っていかに富むかで覇を競い合っていた。消耗品の香辛料と茶葉をいくら輸入しても国は富みようがない。
イギリスは当時の中国、清からは茶葉と工芸品を輸入していた。しかし清に対して輸出する品がほとんどなかった。ここでも立派な貿易赤字が起こっていた。
そこでイギリスは中国、当時の清に阿片を輸出することでその貿易赤字を埋めようとした。
阿片。麻薬、ドラッグのことだ。
こんなものを送り込まれては清もたまったものではない。
阿片の輸入は当時当然のように禁止されていた。それでも大量に阿片が密輸入された。さらには阿片は金になると察知した清の商人達が、自国での消費向けに阿片を作るという自爆行為にまで事態は発展した。
清は怒った。怒られたイギリスも怒った。感心するくらいの逆ギレである。
怒ったイギリスは清に軍隊を送った。そして列強西洋諸国パワーで清の軍隊をぼっこぼこにした。
これがいわゆる阿片戦争だ。1840年のことである。
「つむがれよ天と地のはざまに」
阿片戦争に勝利したイギリスは、清に南京条約を結ばせた。
当時流行していた不平等条約というものだが、香港の話だけ抜き出すことにする。
香港はイギリスの植民地になった。
数ある清の皆との中でなぜ香港が選ばれたかというと、ここで魔法が登場する。
当時も魔法は一般人に対して隠されていたらしいのだが、政府のお偉いさんはみんな魔法の存在を知っていた。イギリスは古くから魔法大国だったからだ。清教徒革命なんてものがあった国だが、魔法を忌避する一神教的価値観は割と薄い魔法の国だった。ローマと陸続きじゃない島国だからとかいろいろ説明されるがそこはよく知らん。
香港は魔法的に強い力を持つ土地だった。京都や麻帆良みたいな場所だ。
他にも中国で魔法の聖地と言えば上海がある。そっちも香港と同じように貿易港として機能する土地だが、聖地としての格が高すぎて魔物が跋扈しまくる魔境になっていて、イギリスは上海については開港させるだけに留めて植民地にしなかった。
1842年、香港はイギリス領となり、地脈の力を得るため多くの西洋魔法使いが香港の地に足を踏み入れた。
そして時は巡ること半世紀。魔法の世界史に一大事件が起こる。
幻と呼ばれていた魔法世界が発見されたのだ。魔法世界には多くの魔法使いが住んでいて、高度な魔法文明が築かれていた。
世界各地の魔法の聖地では、魔法世界と地球を結ぶゲートが設置された。イギリス領である香港にもそのゲートが設置された。
しかし、そのゲートが正常に機能した時期は非常に短かった。
ゲートが設置されたのは、西洋魔法使い達が地脈の交差地点に作った香港洞と呼ばれる地下都市だ。だが、西洋魔法使いと魔法世界人の進出を良く思っていなかった風水五行師達によるテロが香港洞を襲った。
香港道の最深部、ゲート地点で細菌兵器が爆発し、香港洞は人の住めない死の井戸になった。
ゲートは直ちに閉鎖された。香港にやってきた魔法世界人を残して。
人の住めない死の香港洞。しかし香港洞の外では魔法を隠して生きなければならない。結果として魔法を駆使して香港洞に住む者達が現れた。
「――この大地の命と引き換えに!」
南京条約では香港は永遠にイギリス領とするとされていた。
しかしまあ阿片戦争は誰がどう見ても滅茶苦茶な戦争で、さすがにそれはねーべといろんな国からつっこまれていた。二十世紀後半のことらしい。
それを巡って香港では魔法使い達の内紛が起こった。国境付近の政府軍も巻き込んだどえらい内戦だったらしいが、その最中にとんでもない大魔術が偶発的に引き起こされたと記録されている。
大魔術。魔法使いが三人過去に飛ばされるという大魔術で大事件だ。
その後、いろいろあって1997年に香港は無事中国に返還された。そのどさくさでまた魔術的大事件があって香港洞が人の住める場所に変わったりしたのだが、私にとってそれはさほど重要ではない。
重要なのは、この土地が魔法の聖地であり、さらに時を渡る大魔術の舞台となったという事実だ。
私は大学を卒業してからというもの、この香港で十五年間生活をしてきた。
表向きの理由は、魔法世界復興のために新たにゲートが開かれた土地だから。裏の理由は、ここならば時間を超えるというとんでもないことを実現できるかもしれないから。
そう。私は時を超える。
それはかつての中学生時代、未来人超鈴音の魔法道具で体験した奇跡だ。
私が魔法というふざけた世界に足を踏み入れることになった原因。麻帆良学園女子中等部最後の学園祭のハプニング。
それを私は今、自らの手で再現しようとしていた。していた、じゃねーよ。するんだよ。ここまで来て傍観者気取りか私は。
『ちうさまー。陣の構築完了しました!』
従者は七人。電子精霊から光子精霊に昇格した『力の王笏』の七部衆。
こいつらは既にアーティファクトという枷から外れて、正真正銘私の使い魔になっている。
「おう、ご苦労」
そう言いながら私は周囲の空間をさっと眺めた。
ここは香港洞の最深部――よりもっと深くにある私の秘密基地。
香港の重要拠点となっている魔法世界へのゲートの位置より少し離れたもう一つの地脈の交差点だ。
そこに今、私は時を超えるための陣を構築していた。術式は古代西洋魔術。魔王と呼ばれた大魔法使いが使ったとされる、星の記憶にアクセスする魔法を私式の情報魔法でエミュレートしている。
二十二年前、かつての魔法世界の旅でほとんど活躍することのなかった私のアーティファクト。
しかしこれは荒事に関係のない平時においてはとんでもない効果を発揮した。『力の王笏』はインターネットに自在にダイブできるハッカーの夢の道具……などではなかった。
それに気づいたのは魔法世界の最後の戦いで、神楽坂を目覚めさせるために『最後の鍵(グレート・グランド・マスターキー)』をハッキングしたときだ。
『最後の鍵』は魔法世界の造物主による最上級の魔法道具。パソコンでもなんでもない。しかし私のアーティファクトはハッキングできてしまった。つまり私のアーティファクトは高度な魔法道具を支配することができてしまうわけだ。
魔法世界から帰還した私は、実際にその力を試してみた。成功した。他人のパクティオーカードの中に待機状態にあるアーティファクトをハッキングして、自在に操作することができてしまった。
とんでもない道具を手にしてしまったと当時の私は恐れおののいた。
なんていったってアーティファクトのハッキングである。アーティファクトはどれもぶっ飛んだ奇跡を起こす高度な魔法道具の数々なのだ。
私はビビリだ。魔法世界に迷い込んでからずっとネギ先生の傍らにいたというのに、一切の戦う術を身につけようとしなかったくらいのビビリだ。何せあの状況で戦えるようになったら、チートキャラ達のトンデモバトルに私も巻き込まれるのが必至だったからだ。
しかし平時なら問題ない。荒事に巻き込まれないように努めれば、私の好きなタイミングで他人のアーティファクトをちょろまかすことで、自分の思うがままの生活ができた。
私が魔法の世界に再び足を踏み入れることはもうない。超の事件から始まった私の受難の日々は終わり。アーティファクトは好きに使わせてもらうが、ネギ先生の相談に乗る駄賃のようなものと思えばいい。……あの日まで私はそう考えていた。
『ちう様! 儀式場に人が近づいてきていますー!』
「あん? ホンコン・ヤードか? 深夜なのに大変だなぁ。魔法使い用の人払い魔法重ねがけしとけ」
私は魔法を使うことができる。
香港の地で学んだ風水とはまた違う、西洋魔法、のようなものだ。
『力の王笏』は魔法道具をコンピュータに見立てて自在に操ることができる。
では、ネットワークはどうか。魔法のネットワークとは?
答えは、地脈。
地球の生命、自然によって生まれる無数の魔力、それが大地の下で流れている。地球そのものをケーブルに見立てた魔力の有線ネットワークだ。私はそこに自在にアクセスすることができる。
かくして私は自前の魔法コンピュータ『力の王笏』、他人の魔法コンピュータである魔法道具とアーティファクト、そして魔力と魔力を繋ぐ地脈ネットワークを手中におさめた。
それで何ができるかというと、魔法ができた。正確には魔法のようなもの。『力の王笏』の演算能力を使った古今東西あらゆる魔法のエミュレートだ。魔力は地脈にアクセスすればいくらでも引き出すことができた。私の魔法の才能や保持魔力量は関係ない。コンピュータを使って数式を計算するときに、操作者の頭脳は一切使わない。
私はこれをとりあえず情報魔法と呼ぶことにした。
『ダメですー! 最終防衛ライン突破されましたー!』
「ん……は? ええ!? なんか早くねえ!?」
のんきに考えていたらとんでもないことになった。
「香港に今そんなことできるやついたか!? 誰が帰ってきたんだ! アキラか!? ガンマルか!?」
『ネギ先生ですぅ!』
「ネギ、と呼んでください」
七部衆達の声に紛れて、儀式場の入り口から声がした。
視線を向ける。そこには、身体を雷化させたネギ先生が立っていた。
「よかった、ちうさんのところに向かったら分厚い魔法防壁がいくつもあったから、誰かに捕らわれてるんじゃないかと心配しましたよ」
ほっと胸に手を当てて雷化を解くネギ先生。うん、なるほど。雷化して力業でここまで突破してきたと。
そりゃあ一瞬で最終防衛ラインを突破されるわけだ。雷の速度で動く超一流魔法使いなんて、こっちの処理速度の限界を超えている。
「て、待て待て。今なんつった。私のところに向かったって? どうやってここがわかった。どこから来やがった」
「あ、はい。ちうさんの魔力の気配がしたのでホテルから飛んできました」
「日帰りじゃなかったのかよ!」
「やだなあ、結婚を認めてくれるまで帰れません、とは言いませんけど、仮契約を破棄しろなんて言われて帰るわけないじゃないですかー」
いいのかそれでISSDA最高責任者。
「いや、それでもここと地上は数キロ離れてるんだが。魔力が外に漏れないようにしてんのに、ネギ先生……ネギの前で見せた覚えのない私の魔力を嗅ぎ取ったとかぬかすなら、ちょっとネギの人外度を評価し直す必要がある」
「やだなー。さすがに僕じゃそんなこと無理ですよ。まだ不老不死にも慣れてないひよっこ吸血鬼ですよ?」
そう言いながら、ネギ先生は手に何かを呼び寄せた。
カード。あのサイズと形状は、パクティオーカードか。
「ホテルでちうさんのパクティオーカードを眺めていたら、カード越しに魔力を感じたんです。でもちうさんの家の方角からは何も感じなくて。それで気になってここまで」
「あー、やっぱり一方的に契約破棄しとくんだった!」
「そんな!」
私の言葉に、泣きそうな顔を作るネギ先生。
ええい、てめえもう三十路をとっくに越えたおっさんだろうが。そんな女の母性本能を刺激するような表情をナチュラルにするんじゃねえ。
私が睨み付けると、ネギ先生はびくんと身体を振るわせる。だがそれは一瞬のこと。すぐに表情を変えて私を真っ直ぐな顔で見つめてきた。
「……ちうさん、ここで何をしようとしているんですか? もしかして仮契約の破棄と何か関係ありますか?」
はい、関係あります。
「まあそうだな。ネギが納得しようがしまいが、仮契約は今この場で破棄するつもりだよ」
私の言葉にネギ先生ははっとした顔をする。
「まさか! ゲートのハッキングをするつもりじゃあ!? それで僕に迷惑がかからないよう仮契約を破棄しようと!」
「いやちげーよ。一つもかすってねーよ。ゲートのハッキングなんてして私に何の得があるんだ。てめーの迷惑なんて知ったこっちゃねーし。そもそもゲート程度こんな場所まで来なくても家でごろ寝しながらでも掌握できるわ」
びっくりするほどの外れ推理だった。
つーかこいつ私がネギ先生のことを考えて行動してくれていると思っていやがるな。私の目的にネギ先生は一切考慮に含まれてねえよ。
私の言葉にショックを受けつつも、ネギ先生は私の周囲に展開している魔法の陣をじろじろと眺め始めた。
「これは……古代魔法? 星の記憶に接続? ……千雨さん、本当に何をしようとしているんですか?」
おいおい呼び名が千雨に戻ってるぞ。
だがまあいい。魔法の防壁は構築し直した。ここは既に香港の住民達とは隔絶された空間だ。
風水五行師達はいない。本名を明かしても面倒になることはない。
「自分で考えろ。……と言いたいところだが、ここまで来ちまった以上は最後まで見てけ」
私の言葉に、きっと鋭い視線を向けてくるネギ先生。
「そう睨むな。別に誰かに迷惑をかけるような魔法を使おうとしてるわけじゃねえ。これは私のために私に対して行うちょっとした儀式だ。約束してやる。魔法で契約してもいい。これからするのは一切合切この世界の他人に、なんら影響を及ぼさない自分のためだけの儀式だ」
そう言いながら、私は情報魔法を展開する。
魔法の杖は必要ない。今の私は半精霊。存在そのものが魔法のような存在だ。
私の魔法に、ネギ先生はぎょっとした顔をする。
ころころと表情を変えるやつだな。まあネギ先生に私の魔法を見せるのはこれが初めてだから驚くのも仕方がないが。
「……千雨さんは香港一の風水師だと聞いています。でも、これは東洋魔術じゃないですね。僕らの使う西洋魔術だ」
「ま、ずっと働きもしないで引きこもってたからな。ネギ先生の足元にも及びはしねーが西洋魔法の真似事くらいはできるようになった。あと香港では一番じゃなくて二番目だ」
やってるのは正規の魔法じゃなくて魔法エミュレートだがな!
魔法に対する努力は風水を覚えるのでいっぱいいっぱいだ。なので西洋側の魔法に関してはずる(チート)してスーパープレイだ。
しかしまあ、私もいつの間にやら魔法使いか。あれほど私の現実にファンタジーが侵食することを嫌っていたというのに、すっかりファンタジーの住人になってしまった。
学園祭のあの日はあれだけ魔法に関わるのが嫌だったというのにな。
「……なあネギ先生。今ならなんとなくわかることがあるんだ」
魔法演算を組み立てながら、私はネギ先生に言葉を投げかける。
魔法の準備はほとんど七部衆達が行ってくれる。自前の魔力を使う必要もないし、私は最後に呪文の詠唱をするだけで良い。なのでそれまでおしゃべりタイムだ。
話題はそう、学園祭のあの日のこと。
「超のやつはきっと私とネギ先生の子孫なんだと思う」
「えっ」
私の言葉にきょとんとした顔になるネギ先生。そして次に赤面した。
「僕と結婚してくれるってことですか!」
すごい嬉しそうな顔で私に叫ぶネギ先生。本当に百面相だな今日のこいつは。
「ちげーよ。……魔法に関わったのに麻帆良を出てMITで科学を学んだ私。香港に住んで中国人になった私。その延長線上になんとなく超の姿が見えるんだ」
勘違いするネギ先生を置いて、私は一人語る。
いつどのタイミングでネギ先生が私のことを好きになったのかは知らん。
中学生時代の私がネギ先生に好意らしきものを抱いたのは、魔法世界での旅を経てのことだった。多分ネギ先生のほうもそのときだろう。
私が魔法のいざこざに巻き込まれたのは超が学園祭でタイムマシンを使った大事件を起こしたせいだ。
じゃあ、超が3-Aにいない『超が生まれた本来の歴史』だと、私は魔法世界にいかなかったのか? ……行ったんだろうなぁ。
そうじゃないとネギ先生が魔法世界で無様を晒して死んでいた可能性が非常に高い。自画自賛するようでなんだが、魔法世界で私は、パートナーとしてネギ先生を正しく導けていたと思う。戦いには一切参加していないが。
あと、超が変えたかった『本来の未来』というのも何となく想像できる。
あいつはファンタジー世界の住人じゃなくてSF世界の住人だからな。おおかた『月は無慈悲な夜の女王』って感じの事件が地球と火星の間でも起きたんだろう。ま、こっちのほうは想像じゃなくて妄想だけどな。
ただ、超の生まれた未来では私とネギ先生が結婚していたんだと思う。だってネギ先生マジで求婚してくるし。
「きっと幸せな家庭を築いたんだろうな。私は子供の頃からずっと平凡で平穏な日常ってやつに憧れてたんだ。笑うなよ、初等部の頃の私の夢はお嫁さんだ」
「笑いませんよ! それにその夢、今からでも遅くありません!」
「遅いんだよ。遅すぎる。私は知ってしまったんだ。他の誰でもない超の手によって。中学三年生の学園祭で。……人は時間を超えて歴史を変えられるって」
魔法の構築が完了した。七部衆達が私の周囲をぐるりと囲む。西洋魔法の行使には、魔力の源である自然、すなわち精霊の力が欠かせない。
「だから私は平凡を捨てて魔法を選んだ。情報魔法を覚えて風水を学んだ。精霊の身になった。平凡な人間じゃ扱えない大魔法を使うために」
「なにを行ってるんですか? 千雨さん、何を……?」
私の言葉に、また表情を変えるネギ先生。
困惑だ。そして疑念。良い表情をするじゃないかぼーや。
「簡単なことだよネギ先生。……あいつと別れた“あの日”から、私は“この日”のためだけに生きてきた。私は、時を渡る!」
「なっ……!?」
私はネギ先生に高らかと宣言した。
二十二年間私を動かし続けた私だけの目的を、初めて他人に伝えた。
これは、私の計画開始ののろしだ。さあ、呪文を唱えよう。陣を構築しよう。
「エゴ・エレクトリゥム・レーグノー!」
西洋魔法の始動キー。真面目に西洋魔法を覚える気がなかった私は『力の王笏』の発動呪文をそのまま始動キーに使っている。
すなわち『我こそは電子の王』。今思うと傲慢で私に相応しい始動キーだ。そして、古い子供時代に取り残された私に相応しい始動キーだ。
「契約により我が身に宿れ光子の王!」
唱えるのはオリジナルスペル。他人の魔法のエミュレートではない、私が一からプログラミングした魔法の呪文だ。
西洋魔法は精霊王から力を引き出す魔法だ。しかし、生まれてから半世紀の時しか流れていない電脳世界の精霊……情報精霊には精霊王がいない。
「蘇れ星の記憶! 来たれ万物を流す時の大河!」
だが、王に匹敵する強力な精霊はすでに存在する。それこそが私の偉大な情報精霊群。「しらたき」「た゛いこ」「ねき゛」「ちくわふ」「こんにゃ」「はんへ゜」「きんちゃ」。
世界のネットワークが0と1の電子ネットワークから、量子コンピュータと量子テレポーテーションを組み合わせた光量子ネットワークに変わった現在。そんな今でも、電子精霊群千人長七部衆は光子精霊へと昇格し世界の光子情報通信網の支配者として君臨している。
だからこそ、私は彼らの精霊の力を直接使い、本来なら人の身ではなしえない大魔法を使うことができる。
そら、発動だ。
「『時の魔法(カシオペア)』!」
「なあっ!?」
私の周囲から魔法の光が吹き荒れ、ネギ先生を巻き込んで時の魔法が空間を満たす。
ネギ先生が驚愕しているが当然だ。これは地球の時間の流れに干渉する魔法。
その名もカシオペア。……といっても超が使っていた時間移動の航時機とは何の関係もない。
世界中に点在する時間に関するあらゆる魔法をまほネット経由でを盗んで集め、分析し分解し私の使える情報魔法に組み立て直したものだ。
今私は地球、香港の時間の流れと直結している。この魔法は時間の流れと己自信を結びつけるだけの魔法だ。
これ自体には特にこれといった効果はない。せいぜいが、時間と直結しているため他の時間魔法の影響を無視することができるくらいだ。
だからこれはただの下準備でしかない。そして、下準備はまだ終わっていない。
「アデアット!」
私だけのアーティファクトを呼び出す。『力の王笏』。既にオモチャの杖のような面影はない。
パソコンは日進月歩。ならアーティファクトも日々改造していかなきゃだめだ。
手に収まった『力の王笏』を私は眺める。それはすでに笏と呼べるものではなかった。
槍だ。管楽器と槍を混ぜた形状の魔法道具。神形具(デヴァイス)と呼ばれる風水五行師の仕事道具だ。製作は欧州五行総家のマルドリック家現当主によるもの。
今や『力の王笏』は、神形具としてもアーティファクトとしてもちょっとしたお値打ち品になっている。宇宙ステーションが一個建ってもおかしくない品だ。
「満たされし器、それは波。大いなる霊、それは粒。量子の霊よ、水面を漂え」
そんな国宝級の一品を私は起動させる。神形具としてではなくアーティファクトとしてだ。
『力の王笏』の効果は電脳世界へのダイブ――ではない。情報精霊を組織的に統制する。それがこのアーティファクトのただ一つの機能だ。
電脳世界に精神を送るのも、魔法道具をハッキングするのも、魔法をエミュレートするのも、全てはこの精霊使役の力がもたらすものだ。
改造を重ねて膨大な演算能力を得た『力の王笏』を使い、私は情報精霊を統制する。
行うのはハッキング。対象は、私だ。
「――『我こそは光子の王』」
そう唱えると、私は王笏の刃を自らの胸に突き刺した。
「千雨さん!?」
それまで私の儀式を眺めるだけだったネギ先生が焦ったように私に駆け寄ってくる。
が、別に私は自傷行為をしているわけじゃない。私は刃で貫いた胸元をネギ先生に向かって見せた。
血の一滴も流れてはいない。そもそも刃は肉を穿ってすらいない。
「詞変(ワードアクセル)、一千八百万詞階(オクターブ)の遺伝詞よ」
今度は『力の王笏』をアーティファクトとしてではなく神形具として使用する。
私は風水師(チューナー)。風水は万物を構成する魔法因子、遺伝詞に干渉してあらゆるものを癒し、調律し、改変する。
行うのは改変(ハッキング)。対象は私だ。
「ル」
言葉にのせて自分の遺伝詞を神形具に送る。
『力の王笏』に風水の力が灯る。私は自分自身の拍詞を神形具越しに捕らえ、遺伝詞を改変する。
半精霊の私の遺伝詞は三百二十万詞階。そこに私は地脈から汲み取った魔力――遺伝詞を次々とぶち込む。総量一千八百万詞階だ。
そら、生まれ変われ私。
「千雨さん!」
胸から『力の王笏』を引き抜いた私に、ネギ先生の手が伸びる。抱擁。
まあ惚れた女が自分自身に槍をぶっさして魔法を使ったんだから、このリアクションも当然だ。しっかしでかくなったなぁネギ先生。
「あっ!」
私を抱き留めようとしたネギ先生の腕が、私の身体をすり抜ける。
まあそりゃそうだ。今の私は人間には触れられない。私は今、完全な精霊に変わった。物理世界への干渉は私がしようと思わなければできない。
今の私は自然そのものだ。いや、自然と言うべきか。電子と光子と遺伝詞による情報通信ネットワークが私を精霊たらしめている。要するに私は半精霊から情報精霊に昇華した。
「千雨さん、これは……」
『ちっと人間を辞めてみた。一千八百万詞階しかないから『光子の王』を名乗りにはちっと力不足だけどな』
「辞めてみたって! そんな軽く!」
『昼間も言ったが驚くようなことじゃねーだろ。闇の魔法の副作用でなりたくもない吸血鬼になっちまったネギ先生よりは健全だぞ』
「そういうことじゃありません!」
『じゃあどういうことだ? 何か? 私が精霊になったから女として見れなくなって困るとかか?』
「それはありえません」
『さよけ』
私はそう返して手の中に今だ収まったままの『力の王笏』をくるくると回した。
しかしなんだな。精霊になってみたものの人間とあんま変わらんな。肺と気道と声帯がなくなったので言葉を伝えるのは念話だが。
ああ、そうか。しょっちゅう電脳世界にダイブしてたから人間の肉体に頼らない状態に慣れきってるのか。長かったからなぁ、引きこもり生活。
「これが、千雨さんのやりたかったことですか?」
泣きそうな顔でネギ先生は私の顔に手を伸ばしてくる。
しかしその手は空を切るだけ。精霊である私の身体は光子で形作られている。まあ別に光子でなくてもいいんだが、ネギ先生に見やすいように考えた結果、光という目に見えてわかりやすいものがいいんじゃないかと思った次第だ。
ネギ先生には儀式を最後まで見てもらうと言ったので、最後まで私の姿は見せてやろうというサービスだ。私は今や伝説となり妖精か妖怪の類ではないかと噂されているナンバーワンネットアイドルのちう様だ。この程度のファンサービスには慣れっこである。うん。
『……ちげーよ。言っただろ。私は時を渡るって。これは時間移動しやすいように肉体を捨てて魔法に近い存在になるちょっとした下準備だ。ああ、そうだ。下準備最後の工程残ってるんだ。ネギ先生、ちょっと私の顔を見てくれ』
「は、はい」
『背伸びたなぁ。見下ろしやがって』
「カッコイイですか? 結婚してください」
『うるせえ。それで、ちょっと目を閉じてくれ』
「え、な、なんでですか? あ、まさか僕が見ていない間にいなくなるつもりですか!」
『ちげぇよ』
言葉に従わないネギ先生の目を私は手で覆った。光子の手だ。まぶしかろう。
「ぶわわ!? ち、千雨さん何で目隠しするんですか! あっ、あの、いい加減ここの場所で何をしようとしているのか教えて下さい!」
『うるさい黙れ』
「ふむぐっ!?」
はいぶちゅー。唇だけを物理干渉させて、ネギ先生の唇と触れあわせる。
おー、やわらけー
「ムー! ムー!」
はい、魔法発動。逆仮契約。
唇をそっと離す。あんま長くやってると何か変な気分になりそうだ。
「あ、あの、千雨さん!?」
キスから解放されたネギ先生が顔を真っ赤にして私から距離を取る。
おいなんだこの反応。キス一つしたくらいで子供かこいつは。
……まさか。ちょっと懸念していたが、ネギ先生もしや童貞だったりしないよな。この歳で。別の意味で魔法使いじゃなかろうな。ハーレム状態で女との一夜の過ちなんてありふれているだろうに、女性経験がなかったりするのか。
もしそうだとしたらやべぇ。ネギ先生の愛が重ぇ。女達の誘惑を振り切って私しか見てこなかったとかだとちょっと計算外だぞ。いやこんなこと考えてる私も生娘だが、ガチネット廃人の引きこもりな私は生娘で当然だ。世界を飛び回るネギ先生とは違う。
いや、何うろたえているんだ私は。
私も恥ずかしい反応を返しちゃってるじゃねーか。今そんなことをしている時間はない。
『悪いな先生』
口を押さえて顔を真っ赤にする先生に向けて、私は今だ手の中にある『力の王笏』を掲げて見せた。
『勝手に仮契約破棄させてもらったぜ』
「えっ!」
ばきりと。ネギ先生の叫びと同時に『力の王笏』から音が鳴った。
それは、アーティファクトが消滅する音。仮契約の力を失った『力の王笏』が崩壊する音だ。
竜が踏んでも壊れない欧州五行総家の至高の一品に見事なひびが入る。
本来なら契約を失ったアーティファクトは世界に返還される。しかし、改造に改造を重ねた私の『力の王笏』は壊れない。アーティファクトの機能が消えても、神形具としての機能は残る。アーティファクトとしての初期パーツは、五行師に打ち直して貰ったときにほとんど捨て去っているのだ。
『さすが、ガンマル。良い仕事するぜ』
情報精霊統制機能、アポート機能が完全に失われても、『力の王笏』は見事一つの神形具として世界に残った。
そして風水師の私にはわかる。この神形具には私が中等部三年の頃から私の相棒であり続けた、歴史の遺伝詞が残り続けている。
大魔法を発動するにはこれほど頼もしい要素はない。
「千雨さん!? なんで契約破棄なんてするんですか! 僕のこと嫌いになったんですか!」
『あー、そういや先生それ聞くためにわざわざ香港残ってたんだったか。大丈夫だ、嫌いになんてなってねーよ』
詰め寄るネギ先生を物理的にスルーし、念話を飛ばす。
『言っただろ。時を渡るって。でも私じゃ超のヤツみたいな完璧な時間移動なんてできねぇ。だから、肉体を捨てて、世界との魔法的な契約も全部捨てた。スリム化だ』
「そういうことだったんですか。……だから、『ちうのホームページ』を閉鎖したんですね」
『んな!? それは関係ねえよ! というか昨日閉鎖したのに何で知ってやがる!』
「毎日見てますから」
『仕事しろやCEO!』
いや引きこもりの私が仕事しろっつーのもおかしいが。
ちなみに私の表の人生の象徴だった『ちうのホームページ』は、一身上の都合により2025年6月29日に閉鎖している。
半精霊化により永遠に歳を取らなくなった私だが、火星開発の過程で世界に魔法が公開されたため、老化しないネットアイドルちうは割とすんなり受け入れられた。妖精だとか妖怪だとか噂が流れたが。
そんな表の私だが、ISSDA特別顧問に就任したことにより顔写真が全世界に向けて公開されていた。あと魔法世界を救った白き翼のメンバーとして魔法使いの間では有名になっていた。
当然「長谷川千雨ってちうじゃねえ?」と言い出す人がいるわけで。電子の王の魔法道具を手にした私も、ネットを介さない人の噂は止められない。
そんなわけで『ちうのホームページ』は、気がついたら魔法世界の救世主長谷川千雨の公式サイト扱いをされるようになっていたのだ。
泣いた。私は泣いた。
全世界の人間に趣味はコスプレとばれるとか前代未聞の羞恥プレイだった。
『力の王笏』で全世界に拡散した私のコスプレ画像を消してホームページを爆破しようかとも思ったが、結局私はネットアイドルを続けることにした。唯一の私の癒しであるコスプレは捨てられなかった。くっ。
『あー、くそ。シリアスにやらせる気はねえのかこの腐れネギ坊主は』
「?」