「実際問題、ヴィータちゃんは直接的ではないにしても、周りから色々言われたと思う。まぁ『今回』はまだともかく、少なくとも『前回』は生粋の犯罪者だからね。それがプログラムされたものであったとしても、だ」
だけど、と男は言葉を区切った。
空からはまた一つ、雨の雫がぽたり。
「被害者、と言うのかな? そう言う人たちが、君に敵意を向けている訳じゃないんだよね。言っても司法機関だからさ、酌量の余地なく、所謂「犯罪者」を憎んでいる人も多い訳よ。別に自分がどうこうされた訳でもないのにね」
それは尤もの話だろう。
ヴィータとて、納得の行く話ではある。
かつて犯した罪はなくならい。それは重々承知している。
そして、司法組織に所属している以上、周囲の目が「罪」に対して厳しいものなのも分かっていた。
だけど。
それだけじゃない、筈だったのだ。
世界の目は厳しくて、憎しみは空気と共にある。
日常を回すのは情報だ。かつて犯した罪という情報が、憎悪で世界を動かしていた。
それでも、逃げ道はあったのだ。抜け穴があった、筈だったのだ。
例えば、親友だったり。
例えば、仲間だったり。
例えば、家族だったり。
例えば、他愛のない話をして、いつもヘラヘラ笑っている男だったり。
その穴が、狭まってしまう。
そしてそれは、ヴィータが思っていたより、自覚しているより、巨大な穴だった。
彼女の心は無風になった。少なくともこの状況下において、他の抜け穴の存在を考えられなくなる程度には、男の存在は大きいものになってしまっていた。
「どうして……! お、お前は……あたしに……お前はっ……!」
声が、どうしようもなく、震えてしまう。
空気は湿っているが、喉は干からびていて、乾ききっていた。
そこから出る言葉も、意味を成さず、自分でも何を言いたいか分からなくなる。
「直接「何か」された被害者はさ、まぁ直接って言っても、友達や家族、っていうカテゴリーなんだけど」
ヴィータの言葉を聞こえなかったように。
届かないように。
男は更に語る。虚ろな瞳の行く先は、何処にもなかった。
「意外とそう言うの、ないんだよ。恨み言吐いたり、憎しみをぶつけたり。本人達に聞いた訳じゃないけど、多分、どこか達観しちゃったんだろうな。罪に対する思考を重ねすぎて、思い至るんだろうね。もしくは諦めるのかな? 『向こうも被害者だ』、『恨んでも、憎んでも、悔やんでも、過去はどうしようもない』とかさ、そんなん。……まぁ僕に一言言う権利があるのなら」
すっ、とヘラヘラ笑いが、なくなった。
ヴィータの目の前には見知らぬ男が居た。
いつも柔らかく上がっていた口角は、歪な程に吊り上げられていた。
瞳は見開かれ、だけどそこには変わらず何も映っていない
「糞食らえだっ! そんなもの!」
二人きりの公園に怒号が響く。雨が一つ一つ、降り注ぐ。
生暖かい風が吹き、その雨を薄く揺らした。
男の目は空っぽで。だけど顔は熱に浮かれた様に、らしくなく、紅潮していた。
「過去は戻らない! この公園で歩いた日々も! 母さんの手料理も! 父さんと笑った日々だって! 戻ってくる訳がない! どうしようもないことは、どうしようもないんだ!」
かつて。
幸せな日々があった。
幸福な家庭があった。
優しい両親がいた。
でもそれがある日突然なくなって。
後はからっぽ。中身はない。どこにもない。
人生の残りカスみたいな日が続き、両親の後を継ぐとか適当な理由で、食い扶持の為になんとなく管理局に入り、処世術でヘラヘラした笑顔を身に着け、それでも叶わぬ妄想を抱き、必殺の抜き打ちを磨いて、だけど満たされない惰性でしかないロスタイムを送り、そして。
「どうしようもないどうしようもないどうしようもないどうしようもない! ……どうしようもない!? で!? それで!?」
そして、話を聞いた。
覚醒の声を聞いた。
だけど事件があっさり解決したと聞いた。
それらが咎らしい咎を受けず、同僚になると聞いた。
そして、そうして、仇である『鉄槌』を見て。
からっぽのこころに、極上の雫が溜まってしまった。
ギリッ、と強い歯軋りが、雨音に混ざる。
「……それで、何!? 『向こうも被害者』!? 知るか! 『過去は戻らない』!? だからなんだよ! おかしいだろおかしいだろおかしいだろぉ! なんで僕だけが我慢しなきゃいけない!? なんで僕だけ不幸にならなきゃいけないのか!」
雨が降る。降り注ぐ。
男は歯を剥き出しにしながら、左懐に右手を入れた。
体はやや前傾、僅かに腰を落としたそれは、いつも通りの彼のポーズ。
空っぽの日々で、それでも磨き上げた、いつもの動作。
「君だけ幸せになる。君だけ笑う。駄目だよ、それは。例え世界が君を許して、認めたとしても、それでも、僕は」
次第に強く降りしきる雨の冷たさがそうさせたのか、男の口調は随分と冷静で、落ち着いたものになっていた。
だけど、同時に。
次第に強く降りしきる雨の冷たさがそうさせたのか、男の口調は限りなく冷酷で、そしてねっとりと嫌な雰囲気を纏っていた。
「僕だけが不幸にならなきゃいけない理由なんて、ない……」
男の声色は落ち着いていたが、それ以上の呪いがそこにあった。
まるで呪詛のようにぶつぶつと呟く男を尻目に、ヴィータは思い至る。
(ああ、そうか)
此処にきて、ヴィータは理解した。いや、理解せざるを得なかった。
男が彼女に近づいたのも、結局はそう言うことだったのだ。
男の魔導師ランクはB。対して彼女はAAA。
ランクは絶対ではない、ないが、平時において男がヴィータをどうにかするのは、先ず無理だ。
見かけは幼い少女であるが、それでも彼女は歴戦のベルカの騎士。生半可な実力、不意打ちでは易々と崩れない。
男は弱くない。しかし彼女にとって見れば、それは「生半可」に過ぎないものでしかなかった。
だからこその、接触。そして、交友。
(仲良くなれば、簡単に殺せるってことか? ……当たりだよ)
ヴィータが『弱い』としたら、それは精神面だった。
いや、弱い、と言うよりは変化による短所、と言うべきだろうか。
優しさに触れ、だけど憎しみにも触れ、感情が豊かになり、繋がりを求めて。
それで、彼女は強くなったつもりだった。壊すだけでない、守る強さを手に入れたつもりだった。
プログラムされたことをただ実行するだけの人形じゃなくて、自身の意思が決定権を持つ、一つの自我を手に入れた。
だけど、結果はこの様だ。
変化した精神は、彼女に執拗なダメージを与えた。
男と過ごした日々を思い出す。
話して。飲んで。食べて。笑って。
特に何もない日々。だけど、それが、それこそがヴィータが望んだ日々だった。
つまり、ヴィータは、男を。
(……期待したあたしが馬鹿だった、ってことだな)
思いの触れ幅が、精神への影響を加速させる。
希望の後の絶望。絶望の後の希望。そしてまた絶望。
そしてその触れ幅は、ヴィータの心に重く、負担となって圧し掛かる。
耐え難い、重圧だった。時間を空けて考えれば、それでも持ち直せる重さだが、果たしてその時間は得られるのだろうか。
男が、思い出したようにヘラヘラした笑いを顔に貼り付けた。
「終わりにしよう、ヴィータちゃん。僕、もう疲れたんだ。気持ちを抑えつけるのに、さ」
雨が、降っていた。
目の前の男は、雨に濡れながらジャケットの懐に手を入れていた。
男は笑っていた。いつもの様に、ヘラヘラと笑っていた。
そのいつもの笑みが、どうしようもなくヴィータを哀しくさせた。
もう、手遅れなのだろう。もう、どうしようもないのだろう。
雨に濡れて、顔を濡らして、ヴィータは判別出来なかったが、もしかしたらそこには雨以外の雫があるのかも知れない。
――今の自分の様に。
「ははは……」
ヴィータも笑った。
目の前の男に倣う様に。
どうしようもなく、芯から壊れた様に、ただただ笑った。
降り注ぐ雨が、彼女の体を冷たく濡らす。
だけどその冷たさも、何もかも、気にはならなかった。
「いいよ」
ヴィータは言った。
両の手を大きく広げた。
目の前の壊れた男の全て受け止める様に。
自分が壊してしまった男を、受け止める為に。
志は、半ばだった。
まだまだ自分にはやるべきことが残っているのも理解していた。
自分が無抵抗で居ることによって、誰も救われないことも知っていた。悲しむ人が。涙を流す人が居ることも分かっていた。
だけど。
「あたしが、全部受け入れてやるよ」
雨が降る。ただ降る。
「ありがとう」
人は過去に対して無力だ。
だから前に進むしかない。
だけど、過去を蔑ろにして良い訳でもない。
空に雲。公園に雨。人に罪。罪には罰だ。
「あ、ああああああああああああああああああああ!」
叫び声と共に抜かれたデバイスは、待ち焦がれるように、先端に鉛色の魔法弾が灯っていた。
ヴィータは避ける気がなかった。終わらせるつもりだった。
もう、なにもかもが、どうでも。
ミッドチルダの首都、クラナガン。その外れに位置した公園。
そこで、二人の男女が向き合っていた。
雨に濡れながら。そして、互いのことをどうしようもなく、想いながら。
短編:『壊れた世界』
end
「僕と、結婚して下さい!」
start
短編:『ヴィータちゃんとお風呂に入りたい』
「え」
「あ」
『break barst』
「やべ」
男の台詞、次いで、デバイスから魔法が撃ち出された。
それはまぁいい。
だけど、ヴィータは混乱していた。魔法が目の前に迫っている刹那、とびきり混乱していた。
叫びを聞き、魔法の発動を確認して、死を覚悟したらコレである。意味が分からなかった。
(え? は? なに、け、けっこん? 何が? 誰と? は? け、血痕死手管砕? なにそれ新魔法?)
朴斗・血痕死手管砕。
効果:なんだかんだで死ぬ。
こんな魔法に違いない。そう、だからこの魔法は避けちゃいけないのだ。
「やべ、間違えた」みたいな顔している男なんて、いない、いないのだ。
走馬灯の代わりに、ぐるぐる回る思考。
そうこうする間に、ヴィータに魔弾が。
「ヴィータちゃん避けてぇえええええええええええええええええええ!」
「お、おおおおおおおおおおおおおおおお!?」
当たらなかった。
悲鳴染みた男の声に反応したヴィータが、かろうじて避ける。
背後にあった木に魔法が当たり、パン、と弾けた。
だけどヴィータは後ろを振り向かず、ぽかん、と口を開けて男を見ていた。
「あ、あぶないところだった……つい癖でいつもの魔法を撃っちまった……これだからストレージは融通が利かない」
さらりとストレージデバイスの所為にして、男はまた懐に手を入れた。
そして出す。手には小箱が乗っていた。
「ん、んん」
わざとらしい咳払いの後、では、改めて。
「ヴィータちゃん、僕と結婚して下さい」
男は見せ付けように、小箱を開けた。
ヴィータは、変わらず、ボケッ、とその様子を見ていた。
「ちゃんと給料三か月分なんだよ、それ」
小箱の中には、指輪がキラリ。
「……………………は?」
三点リーダを大量消費しての、疑問符を、ヴィータは上げた。
その余りにも呆然とした彼女の様子を見て、男は照れたようにポリポリと頬を掻いた。
「……まぁそうだろうね、いきなりこんなことを言われても困るよね。大丈夫。返事は急がないから。さ、cafe.行こう?」
「それじゃなくて」
「ん? ああ、cafe.の発音? いやー、練習したのがやっと形になってさー、どや?」
また無駄に上手いのがムカつく。
『cafe』の後の『.』が特に。なぜ一呼吸置く必要があるのか。
それはともかく。
ヴィータはこめかみを押さえた。
展開が、意味不明だった。
なぜ、自分は今、求婚されたのだろうか。
「悪ぃ、ちょっと整理の時間が欲しい」
「ええ!? そんな! ヴィータちゃんにそんなものは来ないと思っていたのに!」
「いや、マジでお前黙れ。な?」
『Gigantform』
「すんません」
とりあえず、雨に濡れっぱなしは拙いと、ハイパー今更なことに思い至った彼らは、公園の一角にある東屋の中に居た。
屋根はあるが、囲いはない。とりあえずの雨宿り。
中にあるベンチに座り、ヴィータはぽかんと間抜けに口を開けて、亡羊とした目線で空を見ていた。
と、そこで、手に感じる熱。
下を見ると、そこには自分以外の手が上に乗っていた。
顔を上げる。そこには男のヘラヘラ笑い。その目は空っぽ……だと思っていた。
違う。その瞳には、間抜け面をした自分が映っていた。
ギュっと強く手を握られたその感触に、ヴィータはやっと我に返ることが出来た。
バッ、と手を離す。心なしか、顔が熱かった。
「お、おか、おかしいだろぉっ!?」
「どこが?」
「……あたし、お前の両親の……仇、なんだろ?」
「ん、ああ。明言された訳じゃないんだけどね。でも、魔力が抜かれたことからヴォルケンリッターであることは確定だし、その傷口から『鉄槌』の仕業っつーのは分かっていたしね」
「……恨んでるか?」
「まぁね」
「憎んで、いるのか?」
「そこそこ」
「で?」
「君と結婚したい」
「……血痕死体?」
「ああ、一緒の家に住んでイチャイチャしたい」
どうやら聞き間違いではないらしい。
ヴィータは逡巡する。
仇。
恨んでいる。
憎んでもいる。
で。結婚してください。
「どこをどう考えてもおかしいだろ!」
「なにがよ」
「どこの世界に仇に求婚するやつがいるんだよ!」
「ここに」
「お前以外で!」
「それは知らんけど、僕は結婚したい」
「なんでそうなるんだ!」
「好きだから」
「ぅへぇっ!?」
「愛しているよ、ヴィータちゃん」
「ぅ……ぁ……」
今度は心なしか、ではなかった。
顔にある熱量を、彼女はきっちりと悟っていた。
男の空っぽだった瞳には、顔を真っ赤にした彼女の姿が映っていた。
へらへら笑って、男が言う。
「両親は殺された。でも好きだ。恨みはある。それでも愛している。憎しみは多分消えない。だけど」
また、手を握られた。
ヴィータは、抵抗しなかった。
男の顔が近づく。だけど、ヴィータは動かない。
「この先の人生、僕とずっと、コーヒーを飲んで欲しいんだ」
耳元で囁くその言葉に、ヴィータは暫し動けなかった。
空いている方の手で、力なく男を押しのけるのが精一杯で、だけど男は彼女の意を汲み、ゆっくりと体を離した。
相変わらず、ヘラヘラ笑っていた。
ヴィータは胸元に片手を当て、高鳴る胸の鼓動を抑える様に、震えた声を出す。
「ちょ、ちょっと、整理、させて、くれ……」
「だからヴィータちゃんにそんなものは必要な」
『Gigantform』
「すんません」
ちなみに実際ギガントフォームを出している訳じゃない。
ここ東屋だから。屋内だから。壊れちゃうから。
「よ、よーし把握は出来た……理解は出来ないけど」
されど未だ顔は赤い。
序に手も握りっぱなしだったりする。
ヴィータにはその辺りを気にする余裕なんぞないのだ。
「あたしは、お前の両親を……殺した」
「君は覚えてないかもだけど、そうだね」
「でも、お前は、あたしのことを……その、なんだ、す、すす、好き……ってこと、だよな……?」
「この指輪に誓って」
「ちょっ、勝手に……なんでサイズピッタリなんだよ!」
握られていた手を持ち上げられ、すっ、と指輪が薬指に入れられる。
そこでやっと、ヴィータは握れられていたのが自身の左手だと気づいた。
通常、指輪のニーズには遠い、小さい指。だけど指輪はぴったりで。
ヴィータは憤慨しつつも、恐ろしい程優しい手つきで、その指輪を男に返した。
一つ、息を吸う。
「あたしが、お前の両親の仇で、だけど、……好き、なのは、わ、分かった」
それは、まだいいとして。
「だったら、なんでそれを一々あたしに言うんだよぉ……」
そう、これが一番大事だった。
仇、でも、好き。
その辺りの事情は、ヴィータには何も言えない。
男の感情は、想いは、誰に否定出来るものではない。
が。
なぜそれをわざわざ自分に言うのか。
知らなければ、分からなければ、あるいは、指輪は今も彼女の手に――――
「ヴィータちゃん」
男が言う。声色は、澄んでいて、どこまでも暖かい。
「愛は言葉にしないと伝わらない場合も」
「そっちじゃねぇ!」
「あー……仇?」
ヴィータはこくりと頷いた。
男は暫し虚空に目線を向け、そして言う。
「いや、僕、正直、見た目さえないし、優秀な魔導師じゃないし、給料もよくないし、まぁとにかくパッとしないじゃん」
「……そんなこと」
「だから、負い目につけ込めば結婚出来るかな、って」
「屑野郎かお前は!」
「わりと」
要は脅しである。
多分、次元世界でも類を見ない、愛と憎しみと打算に塗れたプロポーズだろう。ドロッドロである。
ヴィータに屑野郎呼ばわりされた男は、だけど飄々としていた。ヘラヘラ笑っていた。
「ってかさ、ヴィータちゃん、勘付いてたでしょ、僕が、所謂『被害者』だって」
「っ……!」
「図星? うーん、なんとなくね、分かったんだ。僕は隠そうとしていたし、言うつもりも実はなかったんだ。でも、会話の端々で、なんとなくだけど、そんな気が、ね」
目を見開くヴィータを他所に、男はただ語る。
「何も言わず僕が好きだと伝えて、それでヴィータちゃんは……受けられる? 僕のことを好きとか嫌いとか関わらずにさ。……多分、ヴィータちゃんはその時になって、調べるんじゃない? で、僕が被害者だと分かる」
「んっ……!」
そう言って、男はヴィータの指に指を絡ませる。
男の指の艶かしい動きに、ヴィータは僅かに肩を震わせた。
抵抗は、出来なかった。というより、しなかった。
「結局、今と同じ状況に陥るわけだ。まぁさっきは言うつもりはなかったなんて言ったけど、ツガイになる以上は、いずれ分かることだ。だから言った」
ぎゅう、と絡まる指に更に力が加わる。
痛みは感じない。ただ、猛烈に熱かった。
ふと、気づく。
今まで、自分ことばかりで、この状況に振り回されっぱなしで意識していなかったが――――
男の顔だって、ヴィータに負けないぐらい、真っ赤なのだ。
男は息を深く吸う。
そして、吐く。言葉と共に。想いと共に。
「君と結婚できたなら、少なくとも僕は幸せだ。だから、僕は我慢しない」
幸せとは一体何か。
その答えは、所詮人それぞれ。
「失った日々は帰ってはこないさ。でも、『どうしようもない』だけで片付けたくもない。あの時以上の幸せを、僕にくれ」
大事なのは、それを目指せるかどうか。
ただ、それだけなのだ。
「何度でも言う。改めて言う。ヴィータちゃん、僕と結婚して欲しい」
「―――――っ!」
顔はヘラヘラ。だけどどこまでも真剣で。
男の目はヴィータしか見ておらず、思わず、彼女は目を逸らしてしまう。
「だ、だいたい! なんであたしなんだよ!」
「いや、だって僕……ろ、いや、ろり、いや…………」
「……」
「ロリコンだから」
「言い切んなぁ!」
実を言うと、若干「そうなのかな」とは思っていた。
そうじゃなくては、わざわざ自分に声なんて掛けないから。
でもそれは、また別に感じていた「復讐」、「被害者」と言う想像からの逃げだったのだ。
そうだったらいいのにな、と言う、救い。
まぁ間違っても善性な性癖とは言い難いが、それでも好意には違いない。好意は、救いなのだ。
今はその救いが、この状況におけるヴィータの混乱を加速させていた。
被害者で、復讐者で、ロリコン。
ヤバいものにヤバいものを混ぜても、結局ヤバいものしか生れないのだ。救いなんてなかった、
「だから僕の両親が死んだのも! 僕がヘラヘラ笑いしているのも! 僕がロリコンなのも! 全部ヴィータちゃんの所為なんだよ!」
「あたしに余計な罪を負わせんなっ!」
このままだとヴィータが背負うカルマは無駄にとんでもないことになってしまう。
「あ、あたしじゃなくても、その、居るだろ……なんで、あたしが、よりによって、仇のあたしが」
「誰かが誰かを好きになるのに、理由は要らない」
「んぅ、く……あっ……」
すっぱりと男は言い切った。
男が指を動かすたびに、ヴィータは易々と反応してしまう。
自分でも吃驚する位、淫靡な声を出してしまう。
「正直に言おう。一目惚れだった。幼い顔も。勝気な瞳も。つるぺったんも。何もかも、惚れてしまったんだ。仇なんて、どうでもいいと思わせるぐらいに」
加え、どこまでも真っ直ぐな、台詞、想い。
裏にあるのは欲望と打算かもしれない。
だけど、今ここにある愛は、紛れもない本物で。
「そして、君と会って話しているうちに、惚れ直したんだ。強さに隠れた弱さ。意外にある献身性。喋り方。考え方。生き様。何もかも、好きだ、好きなんだ!」
「っはぁ……ぅくっ……」
指の動きと相まって、ヴィータの思考に霞が掛かる。何も、考えられなくなる。
「ヴィータちゃん! 今気づいたけど、雨でおっぱい透けてる!」
からの、これである。
何かも台無しである。ヴィータは急激に男と距離を取った。
「お前ぇええええええええええええ!」
『Gigantform』
「今度は引かない! それとも、僕を潰すのかい!? ここで、両親の様に!」
「屑か!」
「わりと!」
すぅーっ、と深く、深く深く、男は息を吸う。
そして、吐く。
「多分大多数の人は巨乳好きだと思うし、正直その感覚も理解できなくはないよ。おっぱいと言うものは母性の象徴だ。その神神しいまでの輝きは、生命を育む必要な母乳と言うファクターを捻出する訳ことからも解る様に、全ての命の源なんだ。そして、その輝きはやはり大きさによって決定されがちな風潮がある。まぁそんなもんだよね。大きい方が安心感が出る。大きい方が頼もしい。揉みごたえも大きい方が良いだろうさ。ああ、そりゃあ、弾力では勝てないだろうさ! でも、でもね! 僕は思うんだ! 小さいおっぱいだって、いいじゃないか! このなだらかなライン! 一つの芸術の様に美しく均等の取れた乳頭! 乳首の感度も抜群! 恐らく如何に名の知れた天才画家でも決して出せないであろう究極のピンク色! 嗚呼、正しく神々の黄昏! この世ならざるものが生みだした最強にして無敵の黄金比! それが小さいおっぱい、略してちっぱい! …………ああ、そうだヴィータちゃん」
「…………」
「愛してる」
「このタイミングで!?」
ここまで最低な間の「愛してる」があるものなのか。
なまじ、その言葉自体に嘘偽りの色が無いだけに余計タチが悪かった。
「はぁー……」
ため息、一つ。
状況は意味不明。
だけど、決意したことが、ある。
「その指輪は、受け取れねぇ……少なくとも、今は」
ヴィータは男を正面から見据えて、そう言った。
男は何も言わず、ただヘラヘラ笑い。
「時間が欲しい。……考え、させてくれ」
好きとか嫌いとか。
仇とか恨みとか憎しみとか。
罪とか罰とか。
考えることは山ほどある。
何が罪で何が罰で、何が幸せで何が不幸で。
男は幸せになれるのか。では、自分は?
懺悔での結婚。それで、果たして、男は、自分は。
時間が、必要だった。
少なくとも、『そう言う関係』に喜んでなれる様な、証明が欲しかった。
そしてそれは多分、すぐ現れるものでもない。
だけど同時に、そう遠いものでないことも、知っていた。未だ熱い己の顔が、その一端を『証明』していた。
「良いよ、いつだって待つ」
「……ああ」
男はヘラヘラと笑う。
つられて、ヴィータも笑う。
雨は未だ止まず。されど二人は此処に居た。
「雨、止まないね」
「そう、だな」
「結構濡れてるね、僕たち」
「だな」
「……ヴィータちゃん、あそこの建物、見える?」
「……見える」
「雨に濡れて、気持ち悪くない?」
「まぁ、な……」
「ねぇ、ヴィータちゃん」
「……」
「僕さ」
「……」
「――――――――――――――――――――」
男の台詞は、丁度勢いを増した雨音に遮られて、何も聞こえなかった。
だけど、ヴィータは、男が何を言わんとしてるか察して、顔を引き攣らした。
なんだかんだで、断れそうに、なかった。
end
あとがき
最後に男が何を言ったか。
まぁタイトルでお察し。
詐欺なんてなかった(ゲス顔)