惚れ薬の一件から始まる一連の事件は、王宮さえも巻き込むものとなりましたが、その事実は公表されませんでした。
結局あれらの出来事は無かったことにされ。関係者達も日常の生活に戻り。そして、相変わらずトリスタニアは今までどおりの様相を見せています。
いや、今までどおりと言うのは少しばかり齟齬が有るかもしれません。なんといっても戦時中です。
トリステインは未だアルビオンとの戦争が終わっていません。
しかし、それでも、トリスタニアの日常は、今までのものとさほどの違いは感じられませんでした。
ある人は言いました「人は遊ぶ存在である」と。
また、ある人は言いました「人は遊びの中で完全に人である」と。
遊びをせんとや生れけむ。
ひとは生きる上で娯楽をするのか。そもそも娯楽の為に生きるのか。
とにもかくにも人は遊びます。どんな状況、どんな場合でも娯楽を求める生き物なのです。
それはたとえ非常事態であっても変わりませんでした。
戦況が安定しているとはいえ、いまだトリステインとアルビオンは戦時下。
いつ本格的な戦争が再開されるかわからないこの緊迫した状況であるにも関わらず。
人は娯楽なしには生きられません。
トリスタニアの街。その一角にある店。
魅惑の妖精亭は今日も人でいっぱいです。
誰もが、笑いながら食事をし、皆、この店での時間を楽しんでいます。
たとえ戦時下でも、人は楽しむことを止められません。
しかし、人々が娯楽を楽しむ時。
その裏で、それを支える人間がいる事を忘れてはいけません。
人々の笑い声が響きわたるその店内のすぐとなり。
その店を支える厨房は。それこそ、戦場のような様相でした。
「2番テーブル料理追加!」
「うっす!」
「小皿足りないよ!」
「ほら厨房!スープが出てないよ!」
「いま出る!」
「サラダ!何処行った!」
喧騒溢れるキッチン。
飲食を扱う施設において、食事時はコックも給仕も皿洗いも、それはもう目の回るような忙しさに翻弄されます。
「はい皿洗い終わったよ!」
「そこに積んどいて!それが終わったら大鍋を洗って!」
「了解!」
そしてそんな忙しい厨房の片隅。汚れた食器を洗う、洗い場にサイトは居ました。
「はあっ…」
皿を洗いながら、サイトはため息をつきました。
彼がこうして皿洗に勤しんでいるのには理由があります。
それは、ルイズに与えられたとある指令が原因でした。
ルイズ。
アンリエッタからの信用を得る数少ない一人で有る彼女の元に、アンリエッタからとある任務の依頼が舞い降りたのです。
その内容とは情報収集任務。
早い話がスパイです。
トリステインとアルビオンとの緊張状態が続く現状。
先の戦闘により、アルビオンにはトリステインに進行する程の力は無くなったとはいえ、だからと言って何もしないとは限りません。
例えばトリステイン内の暴動や反乱の扇動をするかもしれませんし、何かしらの破壊活動や諜報活動をしてくるかもしれません。
そこで、平民たちの間で、何か不穏な活動が行われていないか、平民たちにまじり、街の状況や何か噂が流れていないかを調査する。
そんな任務がルイズに与えられたのです。
少々地味な仕事に思えますが、その任務内容を聞いた時、サイトはこの仕事は非常に重要なことだと認識しました。情報はとても大切な物だと彼は知っていたのです。
しかし、ルイズはその重要性が解っていないのか、不満気でした。
平民に混ざるということを嫌がり、更には質素な生活を嫌がりました。
そして平民に混ざって生活するには十分な量の経費が支給されながら、ルイズはそれを不十分であると認識しました。
彼女がそう感じることも無理からぬことで。一般人が生きるのに十分なその額も、ルイズという『貴族』にとってはあまりにも少なく感じられる金額だったのです。
そこでルイズはこう考えました。
金銭が少ないのならば、増やせばよい。
その彼女の考え方は別に間違いではありません。
現状に不満があるのなら自身の力でそれを解決する。当然で立派な考えです。
特に軍資金は多くて困ることはないものですから、費用を増やすという発想自体はなんら問題は無いのですが。
問題だったのはその増やし方です。
賭け事。
それが彼女の選択した方法でした。
与えられた軍資金をそのままベットして、その金額を増やそうとしてしまったのです。
そして、その結果。
支給さいれた経費どころか、個人的資金すら失うという、最悪の事態に陥ってしまいました。
無一文。
之では何もすることが出来ません。
任務が始まる以前に暗礁に乗りあげてしまった状況に、サイトもルイズも途方に暮れるほかなくなってしまいました。
「はあ…」
皿を重ねながら再度サイトはため息を付きました。
任務用の資金すら失った彼らには、もう何をすることも出来ません。
任務続行すら困難になり、町の中央の噴水横で絶望に近い気持ちで呆けていると、そこに救いの手が差し伸べられました。
オカマでした。
ムキムキの筋肉質に胸元がはだけた服、くねくねと気持ち悪く動き、野太い女言葉で喋る奇っ怪なオカマが、寝床と食事の提供を申し出てくれたのです。
そのスカロンと言う名のオカマは宿付きの飲食店を経営しており、そこでの労働を条件にということでしたが好条件で有ることは間違いありません。
資金の無いサイトとルイズは、その申し出に頷く以外の選択肢はありません。
かくして、
サイトとルイズの労働が始まります。
ルイズは接客。
サイトは雑用。
予想外の状況ですがサイトはさほど悪い状況ではないとも思っていました。
少なくともこうして一般人に紛れ込むことには成功しています。そして、今働いている場所は飲食店。
多種多様な人間が訪れ、いろいろな情報が飛び交う場所です。
姫に与えられた任務にはある種うってつけの場所ではないかとサイトは思っていました。
とはいえ、いくつか問題もありました。
一つはサイトのいる立場が『皿洗い』だと言うこと。
客前に出ない裏方の仕事では、店に訪れる人間の会話を聞くような機会も少なく、せいぜい店員同士の会話を盗み聞くことくらいしかできません。
そしてもう一つ。
それは…
ガッシャーン!!!
「何すんだ!このガキ!」
「ご~~~~めんなさあ~~~~~~い!!」
客席から、何かが割れる音と、誰かが怒る声と、オカマが謝る声が聞こえました。
「はあ~~~~。まただ」
その音にサイトは先程よりも大きなため息をつきました。
そう。
サイトがため息をつく理由。
問題は彼女なのです。
ルイズ。
任務をするにあたってルイズは一番良いポジションに居ます。
ルイズの仕事は接客。
店員の噂程度しか聞けないサイトとは違い、ルイズは色々な客と直接話しが出来るのです。
色々な立場の人間から色々な話を聞きだせる状況なのです。
そんな好条件で有るはずなのに。
残念なことにルイズはこの仕事に徹底的に向いていないのです。
動けば皿を割る。
ワインを注げばこぼす。
相手の服にソースの染みを作る。
すぐに怒らせる。
すぐに怒る。
暴れる
そんなルイズの、あまりの向いてなさに、サイトはため息をつかずには居られないのでした。
◆◇◆◇◆
「ルイズちゃん。此処で他のこ子のやり方を見学しなさい」
そう言ってルイズは店の端に立たされました。
ルイズは唇を歪めます。
彼女も、別にワザと失敗をしているわけではないのです。
たとえ気に入らない仕事だとはいえ、姫からの信頼を無碍にするつもりはありません。
彼女なりに真剣に仕事をしているつもりでした。
しかしメイジは貴族の生まれ、それも名門ヴァリエールの公爵家。
そんな自分が、愛想よく接客なんてできようはずも無し。
どうしようもないもどかしさに、ルイズは悲しい気持ちになった…
その時。
そこに予想外の人物が現れました。
バダン!!
まるで打ち壊さんばかりの勢いでドアを開けながら、その人物は店に入って来ました。
「フハハハ、吾登場!」
「失礼致します」
「こんにちわ」
テオフラストゥスでした。
傍らにはエンチラーダとエルザを連れ、何時ものごとく高圧的な雰囲気を醸し出しています。
「ヤバイ!」
ルイズはとっさにしゃがみました。
何故テオがこんな店に来たのかと彼女が混乱していると、店主のスカロンがテオに駆け寄って行きました。
「あ~~~ら、テオさま~~~~~!最近ご無沙汰だったじゃな~~い」
「吾も、暇では無いからな。店主、何時もの席は空いているか?」
「また一番奥の席?」
「無論だ」
テオはマントをエンチラーダに渡しながらそう言いました。
ルイズは驚きます。
テオの言動から、彼がこの店にかなりの頻度で訪れている事が伺えます。ルイズにはあのテオが、このような店の常連だという事が異様に思えました。
「今日も女の子は付けないの?」
「当然要らん」
「またそれ。偶には女の子とおしゃべりを楽しんでも良いんじゃないの?そもそも女性同伴でこの店に来るなんて貴方くらいよ?」
「店主、最初にも言っただろう。エンチラーダ以上の女であれば同席を許してやるとな」
「またソレ。確かにウチのお店の妖精ちゃん達はとても素敵な子ばかりだけど、エンチラーダちゃんを引き合いに出されると弱いのよね」
そう言ってスカロンはため息をつきました。
いつもテオにつきそうエンチラーダ。
彼女は正に完璧なのです。容姿、仕草、行動力に話術どれをとっても一級。
もちろん魅惑の妖精亭には、エンチラーダに負けない魅力的な女性は数多く居ます。
しかし、こと、テオを対象とした時。エンチラーダを越えられる人間は存在しないのです。
なにせテオとエンチラーダは付き合いが長く、その密度も濃いものでした。
テオの顔色一つで彼が何を求めているのかがわかるエンチラーダ。
そんな彼女以上にテオを満足させられる女性は、さすがの妖精亭といえどおりませんでした。
「安心しろ、ちゃんと全員分のチップは払う」
「ウチのお店のプライドの問題なのよ。テオ様はもう常連様だからこの際チップ無しでも良いから女の子を付けない?」
「遠慮しておこうかな。せっかくの食事を邪魔されてはかなわんからね」
「もう・・」
一応様付けで呼んでこそ居ますが、スカロンは妙に馴れ馴れしくテオに話しかけます。
テオもそんなスカロンの様子に別に不快そうではありません。
そんな様子にルイズは少し違和感を感じました。
テオは確かに平民の態度に怒るような人間ではありません。
しかし、貴族たらんとする彼は、平民に対してどこか尊大な態度を見せる事が多いのです。
それが、スカロンに対しては、妙にフレンドリーな雰囲気を出しています。
そう思いながらルイズはテオの表情を見ようとして。
目が合ってしまいました。
「やば!」
ルイズはとっさに観葉植物の影に身を隠しましたが時すでに遅く。
「………なあ、店主?あの観葉植物の影で震えているピンク色の物体は何だ?新しいオブジェか?楽しげだな」
「あの子?私のお店の新しい妖精よ。ルイズちゃんっていうの。ほら、ルイズちゃん?ご挨拶」
ルイズはなんとかその場から逃げようともがきますが、力強いスカロンの腕に首を捕まれ、とうとうテオの前にその姿を表してしまいました。
このままではいけない、なんとか状況をごまかさなくては!と思ったルイズの考えた言葉は…。
「わたし…ルイズじゃないわ!」
「……………」
「ちがうもん」
「…………」
「ちが…」
「…店主、気が変わった。そのちんちくりんを吾の席につけろ!」
「!?」
「まあ!まあ!まあ!あの難攻不落のテオ様を落とすだなんて!トレビア~ン!!ルイズちゃん大金星よ!!」
そう言ってスカロンがクルクルと回りました。
「店主!いつもの料理と…今日は…そうだな、なにかアバンギャルドな食べ物を持ってきてくれ。さて、では行くぞ、エンチラーダ、そこのちんちくりんが逃げ出さないように連れてこい」
「はい」
「ちょっと、また、お尻が擦れるから!ちょっと!止めて!引きずらないで!なんでアンタはいつも私を引きずるのよ!私のおしりに恨みでも有るの!?」
ずりずりずりずり。
エンチラーダに引きずられながら。ルイズは店の一番奥にあるテーブルにへと連れて行かれるのでした。
◆◇◆◇◆
さて、テオが来店したことは店の表だけではなく、直ぐに厨房にも伝わります。
「テオ様来店!」
「テオフラストゥス様来店!」
まるで緊急事態であるかのように皆が叫びました。
「え?テオ?え?え?」
突然出てきたテオの名前に、皿を洗っていたサイトが混乱します。
戸惑うサイトを他所に、厨房のコックたちの表情が真剣なものになりました。
「みんな覚悟しろ!今日もどんな注文が来るかわからないぞ!材料!多めに用意しておけ!」
「了解!」
「掃除用具も準備しておけ!また『はじけるうまさに再挑戦』とか言い出して、テーブルをめちゃくちゃにするかもしれん!」
「おう!」
その様子を見て、サイトは本当にあのテオが来店したんだと理解しました。
なにせ、目の前のコックたちのやり取りは。学院の食堂でテオが妙な注文をした時のマルトーたちの様子と瓜二つだったのですから。
「この雰囲気、ま、間違いない。奴だ。 奴が来たんだ!」
何故テオがこんな店に?アイツ、女の子とかにあんまり興味あるタイプじゃないだろ?前回のルイズの一件で目覚めたか?
サイトがそんなことを言っていると、コックの一人が大声をあげました。
「何だとお!!本当かあ!!!」
コックが発したその言葉に、彼に注目が集まりました。
そして、彼の口からはせられた次の言葉に厨房内は騒然となります。
「テオフラストゥス様のテーブルに座ってるウチの娘が居るだとおぉ!!」
「「「「ざわ・・・ざわ・・・」」」」
「??」
騒然となる厨房の様子にサイトは首を捻ります。
なぜ皆はテオの隣に店員が付いたことにこんなにも驚いているのか。
その驚きようときたら、少し常軌を逸しているようで。
皆、呆然としていたり、興奮していたり、中には、「やった!大穴だ!!!」「バンザーイ」と泣き出さんばかりに喜ぶ者もおりました。
「何、どういうこと?」
「ソレはこっちのセリフよ」
「え?」
突如後ろから話しかけられて、サイトが後を向くと、そこには黒い髪をした女性が立っていました。
ジェシカ。
スカロンの娘であり、この店で一番の稼ぎ頭。
客あしらいが一等に上手く、いつも沢山のチップを客から奪い取る女性です。
一方でよく後輩の面倒も見る面倒見のイイ女性でもあります。かくいうサイトも彼女には色々と仕事の仕方を教えてもらいました。
そんな彼女が、眉をひそめそこに立っていたのです。
「テオ様の隣に付いたの、貴方の妹よ」
「え…と、ソレが何か?」
妹、と言うのはルイズのことです。それは此処で働くにおいて考えた偽りの立場です。
テオの隣にルイズが付く。テオとルイズは知り合いなのでありえる話です。
ただ解せないのは、ソレに対して何故こんなにも周りが騒ぎ立てるのかということです。
「何がって、テオ様よ?あの難攻不落、不沈要塞、無敵艦隊、残念グルメ、湯上りたまご肌と呼ばれたあのテオ様よ?」
「なんか最後のちがくない?」
「兎に角!あの人はこの店に来て、食事だけしかしないのよ」
「は…はあ、それが?」
「この妖精亭で絶対に隣に女の子は座らせないの。信じられる?この店でよ?例外はエンチラーダさんとあのエルザって子供だけ。女の子は呼ばないの。いちおう全員分のチップを払ってはくれるんだけどね」
「まあ、テオらしいというか何というか」
「それこそ、テオ様の隣に誰かが座るかどうかの賭けが出来るくらい誰も座れなかったのよ?そのテオ様が初めて女の子を隣に座らせたのが貴方の妹!アンタの妹は何物なの?っていうかあなた達何物?テオ様とどういう関係?怪しい、怪しすぎるわ」
「関係って…」
サイトは言いよどみました。
確かにサイトはテオのことを友人だと思っています。
ルイズも口では否定するでしょうが、きっと心の底では彼のことを友人だと思っているでしょう。
しかし、此処でソレを言えば、自分たちの立場を明かすようなものです。
果たしてどう答えるべきか、サイトは迷いました。
「えっと…うんと、別に怪しいものじゃなくって。俺達、生まれも育ちもトリスタニアです…。姓はヒラガ、名はサイト…えっと…えっと……人呼んでフーテンのヒラと発します。皆様ともども、大トリステインに仮の住居まかりあります。不思議な縁持ちまして、たった一人の妹の為に、粉骨砕身皿洗いに励もうと思っております。西に行きましても、東に行きましても、とかく土地土地のお兄さん、お姐さんに、ご厄介かけがちなる若僧でございます。以後見苦しき面体お見知りおかれまして、恐惶万端引き立って宜しくお頼申しま………………」
「なにその取ってつけたような嘘口上は!」
怪訝そうなジェシカの声が響きました。
◆◇◆◇◆
「さ…最悪だわ」
テオの向かいに座ったルイスがポツリとそう言いました。
テオ。
ある意味で今、ルイズが最も苦手とする人間が彼です。
元々の性格が合わないと言うこともありますが、ソレ以上に惚れ薬に関する一連の出来事が、ルイズのテオに対する苦手意識を助長させています。
「まあ、とりあえずワインで口を湿らせ、前菜でも食べようじゃないか」
そう言って目の前で前菜を食べるテオ。
動きこそ最低限のマナーを守っていますが、速いペースで食べる様はまるで子供のようでした。
そして相変わらずのニヤニヤ顔。
まるで先だっての出来事が無かったかのように平然としています。
今までのルイズだったら、その顔に怒りを覚えたでしょう。
しかし。今のルイズは違います。
なぜなら、彼女は知っているのです。
テオが平然とした様子をしていても、彼の心はそうでは無いということを。
なるほど役者だわ。ルイズはそう思いました。
ルイズが惚れ薬の呪縛から抜けた後。
ルイーズが死んだ後。
テオは平然としていました。
しかし、アンリエッタとの戦いで見せたあの必死の形相。
血まみれになっても杖を振るあの様子。
アレが、平然とした人間の行動で無いのは明白です。
そう。テオは役者なのです。
自分の心を隠し、平然を装う人間。今、彼がするこの平然とした様子も上辺だけの物に違いないのです。
そんなことを考えながらルイズがテオを見ていると、不意に、テオがこう言いました。
「しかしルイズ、なんだってこんな店に?」
「…え!?…それは…その…ひ…ひ…秘密よ!」
ルイズは声高にそう言いました。
不味い。
ルイズは焦ります。
彼女が此処に居るのは数奇な運命によるものですが、その大本の理由は、姫からの密命です。
秘密の命令。
たとえ何度か一緒に冒険をしたテオであっても、その内容を教えるわけにはいけません。
「ふうむ、そうか。まあ女性の秘密を無理に聞き出すつもりもない。だがな、実は吾は既に見当が付いているのだ」
「!?」
その言葉にルイズは戦慄しました、
テオは馬鹿な行動をよくしますが、その反面で妙に鋭い部分を持っています。
しかも彼は、トリステインの現状も、王女の人格も、そして、その王女アンリエッタとルイズの関係も良く知っているのです。
ルイズが王女からの密命でここにいるという結論に達していたとしても何ら不思議はありません。
ルイズはゴクリと唾を飲み込み、覚悟を決めました。
そして。
「この店の賄いが目的なのだろう?」
「はあ?」
テオの的はずれな言葉にルイズは間抜けな声を上げてしまいます。
「ははは隠すでない、わかっておる。何せこの店の食事はうまいからな。ましてや賄いともなれば客には出さないあんな料理やこんな料理。それが食べ放題ともなれば、吾とて心動かされざるをえんよ。確かに貴族としては意地汚いかもしれないが、その気持ちはよ~く分かるぞ」
ルイズにはその気持ちは全く分りませんでしたが、それでもただ黙ってテオが言葉を続けるにまかせました。
「確かにほめられたことではないからな。隠したい気持ちも痛いほどにわかる。なに、安心したまえ。さすがの吾もこのことを言いふらすような非道なことはしないさ。エンチラーダとエルザもわかったな?この件は秘密だ」
「御意にございます」
「うん。ルイズお姉ちゃんって結構くいしんぼうだったんだね」
「………………」
なぜか決定事項となった、ルイズ意地汚い説。
ルイズは甚だ不本意でしたが、それでもこの勘違いを訂正すれば、自分がこの店にいる理由をテオに聞かれる事になります。
せっかく勘違いしてくれているのだから、このまま勘違いし続けてくれた方が都合のよいルイズは、ただただ不機嫌そうにうなずくのでした。
「おまたせしました~♪」
くねくねとシナを作りながらスカロンが料理を持って来ました。
「おお、待っていたぞう、此処の所ご無沙汰だったからな、此処の食事が楽しみだったのだ」
そう言うとテオは満面の笑顔で料理にホークを突き立てました。
暗い店内。それも、窓の光も全く届かない一番奥の部屋。
小さな蝋燭に照らされて、ボンヤリと見えるだけだというのに、まるで夜行性物のように、テオは食事を平らげてしまいました。
「なによ、アンタのほうがよっぽど意地汚いじゃない」
「そう言うな、食事は吾の数少ない趣味の一つでもあるのだ」
そう言ってテオは笑いました。
「ご主人様は多趣味でございますが。生憎と体を動かすことは不得意な部類ですので」
「食べるって楽しいもんね」
エンチラーダとエルザがテオを肯定します。
「食べるということに嘘は無いからな、食事の前で人は正直だ」
テオはそう言いました。
その彼の言葉を聞いて。この正直を好むテオの気質。ソレこそが、テオの本質なのだろうとルイズは思いました。
ルイーズの愛を受け入れなかった理由も、偽りの愛、つまりは嘘を嫌う彼の性質によります。
だというのに。彼は『正直』とは程遠いのです。
自分の考えや、弱点を隠す。下手な嘘つきなどよりよっぽど巧妙に本心を隠します。
「店主!おかわりを!おかわりをくれ!」
皿の上の料理を食べつくし、テオはスカロンの居る方向に向かってそう叫びます。
「まだ食べるの?」
ルイズは呆れてしまいました。
「また、当分食べられなくなるからな?」
「なんで?」
「なんでって…そりゃあ、もうすぐ戦争に行くことになるからな」
「え?」
テオの言葉に、ルイズは一瞬呆けてしまいました。
確かにテオの言っている言葉は変な言葉ではありません。
貴族が戦争に行くのは当然のことですし、今は戦時下です。
お互い大きな戦いこそしていませんが、しばらくすれば再度戦闘が行われるでしょう。
だから、それ自体は変なことではありません。
しかし、オカシイのは。テオの口からソレが出たということでした。
「戦争?そういえば貴方前も塹壕作って訓練なんてしていたわね。でも?どういうこと?貴方戦争に参加するつもりなの?」
「当然だろ?」
何を当たり前のことをといった様子でテオが聞き返しますが、ソレこそがルイズには不思議でした。なぜなら。
「あんた、この国とか姫様にそんな忠誠心とかあったの?」
そう、
ルイズが知る限りテオはトリステインに対する忠誠心とはかけ離れた人物だったからです。
「そうだな。正直あの王女は好きじゃない。この国も好きじゃない。いやさ、むしろ反吐が出るほどに嫌いだ」
そんなルイズの疑問をテオは肯定しました。
「じゃあ何で?」
愛国心が無いのであれば何故戦争を求めるのか。
「なぜか?そうだな。吾はこの国で育った」
「ええ。ええっと、じゃあ、つまり、あれ?郷土愛ってこと?」
「郷土愛?馬鹿か?吾をこうも邪険に扱ったこの国に愛何ぞあるはずが無かろう。ハッキリ言って心の底から滅びればいいと思っている」
「だったらなぜ?」
「吾はこの国で育った、この国に育てられた。ソレがふざけた育てられ方でも、放任に近いソレでも、この国に吾は育てられたのだ。ソレは借りだ。吾はこの国に施されたのだ。吾はな、借りは返す。施しは受けない」
まるで、まるで何かを弾劾するような口調でテオはそう言いました。
「で…でも、国に借りを返すならば別に戦争じゃなくても良いじゃない。アカデミーで研究をしたり、医者になって人を救ったり。むしろ、物を作るのが得意なテオならばそのほうがずっと向いてるじゃない…」
ルイズはそう言いました。
そう。
正直な話、テオは戦闘に向いていません。
彼が今まで戦闘が出来たことこそが奇跡なのです。
彼の魔法の才能はとても素晴らしいものです。
しかし、彼の持つ弱点が致命的。
数日前、ルイズ達が知ったテオの弱点。
極端な体力の無さ。そんな弱点を抱えたまま戦場に立つなど狂気の沙汰です。
確かにそれでもテオが戦争に役立ちはするでしょう。膨大な魔力と抜きん出た魔法の技術は、彼の弱点をある程度補えるに違いありません。
或いは素晴らしい戦果を上げる可能性もあります。
しかし。リスクが大きすぎるのです。
奇襲を受けたり、持久戦になったりすれば、その時点でテオの命運はつきてしまいます。
そんなリスクを持った状態で戦争に出るなど狂気の沙汰であるとルイズには思えました。
「…べつに、貴方なら戦争に出る必要は無い。いえ、貴方の足ならば寧ろ戦争に出るほうがオカシイのよ」
「そこだ」
「え?」
「足、そう、この足。コレこそが吾を戦争に掻き立てるのだ」
そう言ってテオはガンガンと数回義足を叩きました。
「足?」
「国の義理云々は理由の一つに過ぎない。最大の理由はだ、この足にある」
「何で足が無いと戦争に行くことになるのよ?」
「いや、足が無いと戦争に行く必要が出るわけではない」
「???」
ルイズは首を捻りました。
テオの言っている意味が理解できなかったのです。
そんなルイズに対して、テオは笑顔を崩さずにこう言いました。
「この世の中別に吾以外にも足のない人間は沢山いる。戦争、病気、事故、理由は様々だ。だがな、その違いは大きな違いだ。吾のように病気で足を失えば出来損ないだ。事故なら気の毒な間抜けだ。
しかし、これが戦傷で足を失ったのならば全く違う。同じ足なしでもな。戦争。その理由だけで、足のない人間は英雄に早変わりだ。それは名誉の負傷になる」
「…」
ルイズはそう言われて思い返しました。
確かに、戦傷を持つ人間は多数居ます。水の秘薬でも直しきれなかったり、処置が遅れたりしてその体に傷を残す貴族もいます。
そして、その誰もが、その傷を誇りにし、周りもその傷を称えます。それは勇敢に戦った証拠なので当然といえば当然です。
テオの言うとおり、病気や事故で足を無くした人間と、戦傷で足を無くした人間には大きな違いがあるのです。
「ルイズ。吾と奴らは何が違う?」
「え…それ…は…」
ルイズは言いよどみました。
「足がないと言う事は変わらないのに、方や出来損ない。方や英雄だ。彼らと吾の決定的な違い。ソレはなんだ?」
「それは…」
「そう、ソレは戦争だ。戦争、ああ、素晴らしき戦争。そこには夢が、名誉が、そして理由が有る」
笑顔で、肉をさしたフォークを振り回しながらテオはそう言います。
まるでソレは戦争に恋をしているようで。
まるでソレは戦争にさえ行けば全ての願いが叶うような。
まるでソレは戦争こそが存在意義のように。
「たとえ誰がなんと言おうと、吾は戦争に行くぞ。絶対にだ」
「で・・・でも、あんた一人が決められることじゃないでしょう」
そう。
たとえ志願したとしても。
すべての志願者が戦場にいけるわけではありません。
年齢、前科、体力、持病、それらを理由に兵になれない人間は沢山居ます。
そして、テオは正にその兵になれない人間の条件を満たしているのです。
「まあ、ふつうならば無理だろう。だから吾なりに行動はしていたのだが…」
「ひょっとして…それって…アルビオンの件?」
ルイズは合点がいったといった様子で叫びました。
アルビオンへの任務。
いくらマイペースで世間知らずなテオと言えど、ただ旅行がしたいからと戦時下のアルビオンに行くのは変です。
それも、尊敬もしていないアンリエッタの頼みを聞いて。
もちろん、旅行がしたいという言葉に嘘は無かったでしょう。それは彼の本心に違いありません。しかし。
その旅行と言う理由の裏に。もっと大きな理由が存在していて。それこそが姫に恩を売ると言うことなのであれば合点がいきます。
更には危険な任務をこなせば、それは戦場で活躍できるという証明にもなるのです。
なるほど、アレが戦争へ出るための伏線だとすれば、悪い手ではありません。
しかし。
その伏線は。
「でも、それって、もう意味がないんじゃ…」
そう、伏線は水泡に帰しているのです。
先日の戦い。
テオが姫と戦った時。
その瞬間に。テオはアンリエッタの恩どころか恨みを買い。
更には自分の大きな弱点を公表してしまっています。
「そうだな…あの件以外にも、タルブのガーゴイルとかな。あわよくば吾の手柄を作り、戦場への足がかりへとするつもりだったが。吾は関わって居ないことにされてしまったしな。伝説の双竜とか、馬鹿な話だ」
そう言って、テオはワインを一口飲みました。
「…というか…王女様に嫌われて弱点が知られた時点で、多分、きっと、絶対、戦場へはいけないんじゃないの?」
「いやいやそんなことはない。君はこんな格言があるのを知っているかね…バカと…バカと…バカと…えっと…バカとは…バカは」
「どんだけバカが居るのよ」
「バカとハサミは使いようですか?」
エンチラーダが言いました。
「そう、それ!ソレだ!どんな愚かしい者も、使いようだ。つまりな?使われるんじゃない。使うんだ」
「使う?王女様を使うってこと?不敬にも過ぎるわよ!?だいたいアンタはそんなこと出来る立場じゃ無いでしょう!?」
「立場なんぞ知るか。吾は行くと決めたからには行くよ。たとえ弱点があろうと、そこで息絶えようと、そんな事はどうでもいい。吾は戦争にいかなくてはいけない。コレは絶対の未来なんだ」
まるで。戦争にとりつかれたようなテオのその様子。
何を言っても彼は戦争に行く以外の選択をしないでしょう。
「そう…」
だからルイズは、ただ、そう言って会話を打ち切りました。
そしてルイズは改めてテオという人間を見ました。
そして、こう思いました。
病気で足を失う。果たしてそれだけが彼を歪めたのだろうか。
ルイズにも病気の姉が居ます。
と言っても、外見的には健常者と比べ何の変化もありません。魔法は使えますが、その力を使用すると彼女の身体に大きな負担を与えてしまうのです。
その姉、カトレアは父から領地を分け与えられて、ラ・フォンティーヌ家の当主となっています。
隔離されているとも見える処置ですが、ソレは違います。
父親であるラ・ヴァリエール公爵が病弱で家を出ることの出来ない彼女を気遣っての愛による処置のなのです。
ルイズはカトレアの優しさに溢れた笑顔を思い出しました。
そして慈愛あふれる姉の笑いと、狂気にも似たテオの笑いを比較しました。
はたして足が無いという事実だけが、彼の精神を曲げてしまったのか。
同じ病気で苦しんだ姉とテオ。
見た目で判りやすい違いこそありますが、そこに如何程の差がありましょう。
もし、2人に差があるとすれば。
それは、与えられる愛の差なのでは無いのかとルイズは思いました。
その違い。
もし、テオが自身の姉カトレアのように父の、いえ、誰のものであっても愛を向けられて育っていれば。
彼はこのようになっていなかったかもしれません。
このように戦争に対する執着を見せなかったかもしれません。
「お?追加の料理が来たな、さあ、食べよう」
料理を前に、無邪気に笑う彼の姿。
果たして、この彼の姿は、元からの彼なのか。
それとも歪みが生み出したもう一つの彼なのか。
それを考えて…
「チェリオ!」
「サンテ!」
カチン!っと杯が。ぶつかる音がしました。
「ほら!おねーちゃんも、サンテ!サンテ!」
そう言ってエルザがルイズに向かってグラスを向けます。
「あ…ああ、はい、サンテ」
そう言ってルイズもエルザと杯を重ねます。
シードルを飲みながらテオの隣に座るエルザ。ルイズはふと彼女の事が気になりました。
或いは、彼女こそ、テオに愛を向けられる唯一の存在なのかもしれない。
なんとなく、ルイズはそう思いました。
◆◇◆◇◆
「……だから、俺達とテオの関係を説明するとなると、その前提として、100柱の精霊の壮絶なる神話の話からしなくちゃいけないわけで…まず風の王の褌が盗まれるところから話は始まり…」
「なにその意味不明な嘘、しかもチョット面白そうだし!」
「兎に角俺達とテオの関係は複雑で説明しきれな…」
サイトがテオとの関係をなんとかごまかしているその時、スカロンの声が響きました。
「テオ様からチップよ!」
「「「ワアーーーーーー!!」」」
「え?なに?なんで?」
厨房内の歓声にサイトは驚きました。
「言ったでしょ。全員にチップって。あの人、女の子だけじゃなくて店中の全員にチップをくれるの」
「マジで!?」
厨房内の喜びようから、チップが結構な額であることが読み取れます。
テオからのというところに思う所はありますが。手持ちの少ない現状での臨時収入はとてもありがたいことなのでサイトは期待に胸を膨らませました。
「あ、サイトちゃんにはこれ」
そう言ってスカロンはサイトに一枚の紙を渡しました。
「なんすか?これ?」
「手紙よ、厨房に黒髪の坊主が居るだろうから、そいつにはこれをって」
「直々に手紙?ホントにアンタ、テオ様とどういう関係なの?」
「いやね…いやまいったな。その複雑でさ、ほんと。まあ、仲は悪くないっていうか…」
そう言いながらサイトがその紙を開くとそこには。
『ただし、貴様にはチップはやらん。
ばーか ばーか ばーか』
「…」
「…えっと…ホントに、どんな関係なの?」
ジェシカの疑問は尽きませんでした。
◆◆◆用語解説
・ま、間違いない。奴だ。 奴が来たんだ!
今はいいのさ すべてを忘れて。一人残った 傷ついた俺が…
・ざわ・・・ざわ・・・
テオ賭博。
果たしてテオは店の誰かを傍らに座らせるのか!という賭け。
毎月、月のはじめに今月こそは誰か座るのかで賭けが行われる。
・アバンギャルド
前衛的とかそんな意味。
バロットとか、カース・マルツゥとか、エスカモーレとかその手の料理じゃねーの?
・湯上りたまご肌
この湯上りたまご肌と呼ばれたテオフラストゥスがよ?
・嘘口上
俺がいたんじゃ、お嫁にゃ行けぬ、わかっちゃいるんだ、妹よ。
・チェリオ
このワザとらしいメロン味!な飲み物を飲んでいるわけではない。「乾杯」という意味。サンテも同意。
・シードル
りんご酒。アルコール度数はマチマチ。国によってはただの炭酸りんごジュースのことをシードルと呼ぶこともある。
・風の王の褌
ギップリャ!