深夜に呼び出したのに水の精霊は特に不機嫌そうでもなく、と言うより、精霊には昼とか夜といった概念すら希薄なようでした。
ただ淡々とサイトに事の次第を尋ね、そしてサイトがもう湖を襲うものはいないと言うと精霊はあっさりとそれを信じ、『精霊の涙』すなわち、その精霊の体の一部をサイトの持つ瓶の中へと入れました。
そしてその後に問われたサイトたちの「なぜ水かさを増やすのか」と言う質問に対してこう答えました。
「我が守りし秘宝が盗まれた。お前たちの同胞が盗んだのだ」
「秘宝?」
「そうだ」
「じゃあ、人間に復讐するために水かさを?」
「復讐?そんな目的は持たない。ただ秘宝を取り返したいと思うだけだ。水かさが増えればいずれは秘宝に届くだろう。だから水かさを増やす」
なんとも気が長い話です。
サイトはすっかり呆れてしまいました。
「気が長いなあ」
「我とお前たちとは時間の概念が違う。今も未来も過去もさほどの違いはない。我は常に存在するゆえ」
「ふうん、それなら俺達がその秘宝を取り返してきてやる、そうすれば水かさを増やさなくてもいいだろ?なんていう秘宝だ?」
サイトのその問いに精霊は簡潔に答えます。
「アンドバリの指輪」
「アンドバリ?」
水の精霊はアンドバリの指輪と、それが盗まれた状況を説明しました。
人を操り、死体すらも動かす秘宝、アンドバリの指輪。
それはとても強力で危険な秘宝のようでした。
しかし、それを見つけなければ、目の前の精霊は今後も湖の水かさを増やし続けるでしょう。
サイトは決心したように頷くとこう言いました。
「よし、約束する、その指輪を何としてでも取り返してくるから、水かさを増やさないでくれ」
「わかった」
水の精霊はふるふる震えると、あっさりとそれを了承しました。
あまりにも簡単に了承するので、サイトは少し拍子抜けしてしまいました。
「何時までに取り返してくればいいんだ?」
「お前たちの寿命が尽きるまででかまわぬ」
「そんなに長期間で良いのか?」
死ぬまで。
水かさを増やし続けるよりはマシかも知れませんがやはり気が長すぎる話です。
しかし、水の精霊はそんな気の長い提案を、当然のようにあげました。
「構わぬ。我にとって明日も未来もあまり変わらぬ。時間など単なるモノが創りだした基準にすぎない」
そう精霊は言いました。
とにかく、これで目的の物は手に入れました。そしてタバサとキュルケの目的も達成しました。
もう何の憂いもありません。
後はこの『精霊の涙』を使って解毒薬を作るだけ。
それだけです。
そして、水の精霊がその姿を消すと、ほぼ同時に。
辺に音が響きました。
パチ パチ パチ パチ。
何かが叩かれるような音。
皆が驚いてその音がする方を見ると、そこにテオは立っていました。
月明かりに照らされて、とても楽しそうに手を叩いています。
ルイーズはそこから少し離れた位置におりました。
「ふむ。やっと手に入れたか、精霊の涙。まあ時間がかかったがよくやったと言うべきだろうな。そういった交渉ごとは吾の苦手とすることでもある。貴様らがそれを手に入れたことは吾に出来ない偉業といえるだろうな。誇って良いぞ?」
そうテオは嬉しそうに言いました。
「テオ…」
テオはとても上機嫌です。
それは別に不思議ではありません。
なにせ彼は誰よりも一等に解毒薬を求めていました。その材料である精霊の涙が手に入れば上機嫌になるのは道理です。
しかし。
なんだかその上機嫌さはサイトの不安を呼び起こさせるのです。
何か違う。
妙な違和感。
テオの様子からサイトはそれを読み取りました。
そしてそれを裏付けるように。テオは、一同の予想外の言葉を口にしました。
「よし、では寄越せ」
「え?」
「聞こえなかったのか?精霊の涙だ。それを寄越せと言った」
サイトの握る瓶を指さしてテオは言いました。
「ちょっと待て、これはモンモランシーが薬を作るのに…」
そう。この『水の精霊の涙』は解毒薬の『材料』。
モンモランシーが調合して初めて解毒薬になりえるのです。
これ単体では薬としての効果はありません。
「要らん。もう不要になった」
表情を崩さずにテオはそう言いました。
「どういうことだよそれ!!!!
オマエが、オマエが一番に解毒薬を欲しがっていたじゃないか!それなのに、もう不要ってどういうことだよ!!!」
サイトは叫びました。
「ふう」
サイトの叫びに対してテオは大げさにため息をつきます。
「一々と煩い奴だ、吾がそれを寄越せと言ったのだ。ならば貴様は黙ってそれを寄越せば良い。それ以外の選択肢はもとより存在しないのだから」
テオがこの精霊の涙を欲しがる理由。
単に解毒薬を作りたくなくなった…と言うわけではないはずです。だって、それならばこの精霊の涙を捨てさせるなりすればいいのですから。
それをあえて寄越せと言う理由。
サイトの中でエンチラーダの言葉がフラッシュバックします。
『御主人様が本気で研究したのならば今ある如何なる惚れ薬よりも強力な物が作れるはずです。それこそ恋心を永遠にしてしまうような薬さえも』
そこでサイトはある考えに至りました。
テオがサイトの邪魔をしなかった理由。
むしろエンチラーダに手伝わせ、進んで『精霊の涙』を手に入れさせようとした理由を。
精霊の涙は果たして解毒薬の材料でしか無いのか?
否。
精霊の涙は貴重な薬の材料であると。「解毒薬」ではなく「薬」の材料という表現からは、精霊の涙が解毒薬以外の薬に対しても有効な材料になりうる事が伺えます。
そう。
例えば『恋心を永遠にしてしまうような薬』とか。
「渡さない!これは。絶対に絶対に渡さない!」
サイトは叫びました。
するとテオはとても楽しそうに笑います。
「ほう、それは良い。つまりは力ずくで奪えということか。まあ、それはそれで面白そうじゃあないか。相手になってやる。何ならば全員でかかってきても構わんぞ?」
そう言ってテオはじろりと周りを見わたしました。
「いや…正直ボクはどっちでも…」
「私はテオに従ったほうがいいと思うけど…」
ギーシュとモンモランシーはそう言ってその場から後ずさります。
無理もありません。
なんといっても今のテオは如何にも好戦的に笑い、辺に殺気のようなものを振りまいています。
両足にはいつの間にか義足が付けられすっかり臨戦態勢です。
基本的にダメ男のギーシュと荒事は苦手なモンモランシーにテオに逆らうという選択肢はありません。
そして戦力になりそうなキュルケとタバサはと言えば。
「…物理的に無理でしょ」
「…」
縛られた上にエンチラーダに見張られていました。
「テオ!頑張って!」
ルイーズの声が響きました。
孤立無援。
サイトは一対一でテオと戦うしかありません。
「さあ、坊主。とっとと剣を抜け。吾に至るとは思えんが勝負に絶対は無い。或いは奇跡が起きるかもしれんぞ?」
そう言ってテオは杖を構えます。
「クソ!」
そう言ってサイトは剣を構えました。
ラグドリアン湖のほとり。
月のあかりに照らされながら。
テオとサイトの戦いは、こうして幕を開けました。
◇
テオはサイトの知る限り恐るべき実力を持っています。
巨大な石のゴーレム。
巨大な石矢の魔法。
大量の磁石ゴーレム。
一瞬で出てくる魔法。
こと、魔法に関してはテオは一番の使い手なのです。
しかしサイトは今、精霊の涙を持っています。
強力な魔法でサイトを攻撃すれば、サイトごと精霊の涙のビンも壊れてしまいます。ですからテオはサイトに対して、さほど強力な魔法は使え無いでしょう。
それはとても強力な優位点のように思えました。
なにせ、そうなると戦いは小規模な魔法や肉弾戦に限定されます。
そして身体能力に関しては、サイトは相当なものなのです。
少なくともサイトはそう自負していました。
勝機はある。サイトはそう思いました。
最初に動いたのはサイトでした。
テオが魔法を使うよりも早く勝負を決める。そう考えてサイトは目にも留まらぬ速さでテオに襲いかかります。
しかし、
ガチン!
大抵の防御ならばやすやすと弾くであろうサイトの攻撃を、テオはいつの間にか作っていた錬金の盾で防ぎました。
嘘だろ!
サイトは心のなかで叫びました
必勝の一撃。
渾身のスピードと、これ以上ない力を込めています。
なのに。
なのに。
「ほらほら、そんな動きでは鼠一匹殺せんぞ?」
そう言ってテオは簡単にサイトの攻撃防いでいました。
ガツン。
サイトの体を衝撃が走ります。
テオの作った盾から土の塊が伸び、それが腹に当てられたのです。
かなりの質量を持った攻撃にサイトの体には鈍い衝撃が響き渡りました。
強い!
サイトはその瞬間にテオの実力を理解しました。
贔屓目に見てもワルドと同等。いや、恐らくそれ以上。
考えてみればワルドの偏在に勝ったのだからそれは当然なのかもしれませんが、てっきりテオが勝ったのは純粋な魔法勝負で接近戦はさほど強くないとサイトは思っていました。
しかし、サイトは今、自分のその甘い見通しを呪いました。
接近戦なら勝機がある?
状況はサイトにとって不利。いえ、不利どころではなく、絶望的とさえ言えるでしょう。
もし、テオがその気になれば、先ほどの攻撃もあんな打撃ではなく、
それこそ魔法を繰り出してサイトの両手両足を簡単に切り落とし、その上で悠々とサイトから精霊の涙を回収できるでしょう。
しかし、彼はそれをしませんでした。
そう、それは、嘗てテオがフーケと戦った際に行ったことと同じでした。
テオは楽しんでいるのです。
余裕。
サイトの全力を、テオは余裕で遊ぶのです。
正に目の前の男は化物。
怪物。
勝てない。
サイトの中にそんな考えが浮かびました。
しかし次の瞬間にその考えを押し消します。
勝てない?
それじゃあダメなんだ。
勝てないといけない。
勝たなきゃいけない。
負けない。
負けられない!
じぶんが負ければ、負ければ!
ルイズが!!!!
サイトの中で想いが膨らみました。
そして、その想いは彼に力を与えます。
ガンダールヴの能力は、サイトの感情が強くなるほどに上昇するのです。
「だあ!!」
サイトは大振りに剣を振りました。
先程よりもスピードと力のある剣でした。
「ほう!」
しかし、それすらもテオの前の盾にいなされました。
まるで、まるでそれはサイトの前に立ちはだかる絶対の壁です。
その二人の様子を見ながら、周りの一同は息を飲みました。
「一方的ね」
「全然攻撃が当たらない」
ギーシュとモンモランシーはただ目の前の戦いに圧倒されました。
そのすぐ近くでキュルケとタバサはその動きを冷静に分析します。
「ダーリンが弱いわけじゃない。いえ、むしろ相当な強さだと思うわ。それこそ、今の彼と戦ったら私なんて簡単に負けてしまうと思う。でも、相手が悪すぎる。何アレ。あの魔法の速さ?アルビオンの時も思ったけれど、テオはまるで人間じゃないみたい」
「まるで怪物」
「いえ、そんなことはありません」
エンチラーダが言いました。
「確かに強い。とても強いですが、御主人様は良くも悪くも人間です。弱点もあれば欠点もあります」
「弱点?まあ、そりゃあ普通は有るでしょうけど…」
「性格以外に欠点?」
目の前の怪物じみた動きを見て、キュルケとタバサがそう言いました。
「ええ。そうでしょう。当然です。弱点を知られるほど愚かな事はありませんから、当然として隠しますよ。如何にその弱点を上手く隠すかが強さの条件の一つとも言えるでしょう」
「ねえねえねえねえ。なに?何なの?そのテオの弱点って」
うねうねとエンチラーダににじり寄りながらキュルケがそう質問しました。
このズケズケと確信を聞くストレートな行動に、隣にいたタバサは呆れましたが、同時に関心もしていました。
そして、もしかしたらその弱点が聞けるかもしれないと淡い期待を持ち、エンチラーダの口元に神経を集中させます。
「そうですね…実際とても単純な弱点ですよ。それこそよく考えればわかる程度に単純な弱点です」
「へえ、じゃあその弱点とやらを付ければダーリンにも勝機は有るのね?」
キュルケのその言葉にエンチラーダは頷きました。
「ええ。可能性はあります。ですがあくまで可能性ですよ」
弱点を突く。
ごくごく単純な戦法ですが確かな勝機。
しかし、戦っている当のサイトは、その単純な戦法を取ることができていませんでした。
その弱点が全く見えないのです。
人間であれば隙が有るはず。
癖が有るはず。
弱点が有るはず。
接近戦に弱い。
中距離戦に弱い。
動きが遅い。
そんな得手不得手があってしかるべき。
なのに。テオにはそれが見えません。
どんな攻撃も防御し。
そして反撃をする。
サイトは闘いながら思いました。
何何だコイツは。
弱点が見つからない。
無い…………。
弱点が無い…。
怪物。
怪物。怪物。怪物。
怪物。
怪物。怪物。
まるで本当に怪物に立ち向かっているような錯覚をサイトは覚えました。
しかし、サイトは諦めません。
なぜなら。
目の前の怪物から、ルイズという姫を助けだせるのは自分を置いて他に居ないからです。
その時です。声が響きました。正に今サイトが想った人物。
即ち彼女の声が。
「テオ~頑張って~!」
サイトは泣きそうになりました。
自分は正しい。正しい事をしているんだ。
テオという怪物から、ルイズを取り戻そうとしてるんだ。
そう自分に言い聞かせて必死に剣をふるいました。
なのに、ルイズの視線の先には、テオしか映っていなくて。
彼女は心からテオの勝利を祈っているのです。
これではサイトはまるで美女と野獣の仲を無理矢理に裂こうとする狩人です。
自分は正しいことをしていると信じているのに、なんだか自分が悪者になったような気持ちがして、サイトはとても悲しくなりました。
「当然」
ルイーズの声援に対してテオはそう言うと、錬金の礫でサイトの肩をしたたかに打ち付けます。
「グウ!」
サイトは痛みをこらえながら剣を振りますがテオはやはりそれを防御しました。
テオはチクチクとサイトを攻撃します。
それはわかりやすいほどに一方的な戦い。
いえ。
戦いとすら呼べません。
ただ。テオが。サイトを弄んでいるにすぎないのです。
それでもサイトは戦いました。
本当ならばもう心が折れてもしょうがないのに。
それでもサイトは諦めません。
もし此処でサイトが諦めれば、自分が一番に大切なものを失うことを知っていたからです。
満身創痍。
正にボロボロになりながら、サイトは今にも倒れそうでした。
そして、その時。
まるで天啓のように。サイトはあることに気が付きます。
テオの動きの有る法則に。
避けない。
そう、テオはサイトの攻撃を全く避けていないのです。
サイトの攻撃を全て受け止めています。
それはテオの癖なのか。戦略なのか。習性なのか。それとも拘りなのか。
いかなる理由なのかはわかりません。たまたまの偶然かもしれません。
しかし、いまのサイトには、それは。大きな『弱点』のように思えました。
もし、テオが攻撃を避けないなら。
すべての攻撃に対して、防御しかしないのなら。
その防御を超える攻撃をすれば。
テオを破る事が出来る?
そんな希望がサイトの中に見えました。
ならば、
ならば一撃に賭ける。
サイトは決意しました。
いいえ。
サイトは覚悟しました。
防御を捨て。
ただ一片。
一つの攻撃に賭ける覚悟を。
「うおおおおおおおお!!!!!」
動くことすら辛いその体を、無理矢理に動かし。
サイトはテオに向かって突撃しました。
まっすぐに。
それは模倣。
エンチラーダのあの動き。絶対的な真っ直ぐな動きの模倣でした。
模倣といっても、サイトはそれを練習したわけでも教わったわけでもありません。
ですから、その模倣ははっきりと拙いものでした。
エンチラーダよりもスピードこそ有りながらも、あの自然に流れるような動きは出来ていません。
もはや別物と言えるほどに劣化したそれですが、それでも、
そこには覚悟が込められていました。
そしてその攻撃は。
初めてテオに届きました。
サイトの力の入った攻撃は、
とうとうテオの盾を切り裂き。
そして、テオへと・
ガギョ!
音が響きました。
サイトの剣が見事にテオを貫いたのです。
テオの…
その義足を。
「あ」
サイトの剣先をテオは蹴りで防いだのです。
次の瞬間テオは足を曲げ、その義足ごとサイトの剣はサイトの手から引きぬかれてしまいます。
「今のは良い攻撃だったな」
テオは一言だけそう言うと、そのまま義足による蹴りをサイトに叩き込みました。
「グウェ!!!!!」
サイトの体は地面から浮き上がり、あまりの痛みにサイトはそのまま地面に倒れこんでしまいました。
「だが、所詮はそれだけだ」
そう言ってテオは倒れるサイトの前に仁王立ちしました。
そして悠々とテオは倒れるサイトのポケットから精霊の涙を取り出そうとします。
「や…めろ」
サイトは倒れたままそう言います。
しかしテオは当然止まりません。
サイトは必死でテオを止めようと、その渾身の力を振り絞ります。
しかし、サイトの疲れ果てたその手は、テオの腕を握る程度のことしか出来ませんでした。
「やめて…。お願い。お願いだから…やめ…」
気がついたらサイトは泣いていました。
泣きながらテオにすがりついていました。
たとえ。見苦しくても。
たとえ。なさけなくても。
どんなに惨めでも。
ルイズを助けたい。
だから、だからサイトは痛みに耐えながら、テオの足にすがりつきました。
そして、そして。
その姿を見て。
ルイーズが。
ピンクの髪の毛の、サイトの好きなその人が。
彼の名を呼びました。
「…………サイト…」
テオのことしか見ていなかった、彼女が。
今、サイトの名前を呼んだのです。
テオは戦う前に言いました。
『或いは奇跡が起きるかもしれん』と。
そうです。
今。
正に。
奇跡が。
「…サイト!!私のテオから離れろ!!!」
おきるはずもなく。
ルイーズはテオの体に触れるサイトに対して怒りを顕わにしていました。
「グフ」
サイトの心はポッキリと折られてしまいました。
全身から力が抜けて、テオを掴む手はするりと地面に落ちてしまいます。
自由になったテオはサイトの懐からあっさりと精霊の涙を取り出しました。
「なに、すぐに出来上がるさ。あとは精霊の涙を入れるだけのところまで薬は完成しているのだからね」
そう言うと、テオは自分の懐から、瓶を一つ取り出し。
そして、その中に精霊の涙を。
ぽたりと入れました。
絶望。
サイトは目の前が真っ暗になりました。
まるで死んだようその場で固まるサイトを他所に、
テオは、満面の笑みでこう言いました。
「ほら、
出来上がった…完成だ。
…………………解毒薬が」
「「「解毒薬????」」」
皆が驚いた声をあげました。
「テオ?悪い、今、なんて言った?」
地面に体を横たえながらサイトが言いました。
「解毒薬と言ったぞ?」
「ええっと、整理させてくれ。テオ?テオはその…惚れ薬を作っていたんじゃないのか?」
「はあ?惚れ薬、アホか貴様。そんなもの作るぐらいなら自害したほうがマシだ」
「え?じゃあ何?なんで俺達から精霊の涙を奪おうとしてたんだ?」
「だから解毒薬を作るためだ、それ以外に有るか?」
「いや、でもほら、それはモンモランシーが作るだろう?」
「そんなもん、そこのくるくるパーマに任せるよりは、自分で作ったほうが早いと思ったのでそうしたのだ。早いほうがいいに決まってるだろうが。事実として今この場で解毒薬が完成しただろう?」
一同はぽかんと口を広げました。
「むしろ貴様らが邪魔する理由が判らん。アレか?ルイズがもとの性格に戻るのがそんなに嫌か?まあ気持ちは判らんでもないがな、剣まで振り回すほど嫌がるのは少しばかり行き過ぎのような気もするぞ?」
◇
時間はほんの少しさかのぼります。
テオとルイーズがお花畑で戯れる。その時間まで。
月のあかりに照らされながら、テオは瓶を熱していました。
「ジャムの瓶で大丈夫なの?」
「…………多分大丈夫だ。ブルーベリージャムだから。臭いも良いし」
「なんだか分量も適当だし。秤が無いのは不味いんじゃない?」
「問題ない。適当に見えて計算されてるんだ。吾はモル単位でものが見えるからよかろうなのだ」
「モル?まあ…テオがそう言うんならいいんだけど」
そう言いながらルイーズはテオの作業を見守りました。
如何に月明かりが明るいとはいえ辺は暗く、作業をするにはあまり良い環境とはいえません。
道具もありあわせのそれで、とても薬作りをするような状況ではありませんでした。
でもテオの動きはとても流暢で、よどみなく、まるでこの作業を昔から何度もしていたかのように手馴れています。
「温度は低め…ゾル状になったら火を止めて…つぎの材料を入れる」
ブツブツと独り言を言いながらテオは手を止めません。
ルイーズはすっかり感心してしまいました。
彼の腕は淀みなく動き。その動きには一切の躊躇がありません。
全く止まる事無く、目の前の薬は次々と調合されていきます。
そして。薬を作り始めてから数分後。
ふと、目の前の2つの薬を前にして。
それまで流れるように動いていたテオの手が初めて止まりました。
2つの薬を見ながら、テオの表情に初めて迷いが出たのです。
止まってしまったテオの腕を見て。
ルイーズがテオの耳元で言いました。
「こっちの赤いやつよ」
「…え?」
突然耳元で発せられたルイーズの声に。テオは驚きました。
「ここに来て迷うなんて貴方らしくないわ、そっちの青いやつは惚れ薬の材料よ。解毒薬を作るならばそっちの赤い瓶を使わなくちゃ」
「…ルイーズ?」
「あら、女の子ならば皆一度は惚れ薬に興味を持つものなのよ?本当に作っちゃう子は稀だけど、作り方を知ってる子は結構多かったりするの、当然解毒薬の作り方もしってるのよ?」
そう言ってルイーズはカラカラと笑いました。
「君は…君は吾が何をしようとしているのか解っているのか?」
テオは少し大きめの声でそう言いました。
「言ったでしょ?テオ。私は貴方のこと愛してるのよ?愛している人の気持ちを察するなんて、女の子には簡単なことなのよ?少なくとも私にはわかるわ」
そう言ってルイーズは楽しそうに笑いました。
テオはその笑顔が理解できませんでした。
なぜ?なぜ笑っていられる?
自分が解毒薬を作っていると知りながら、どうして笑顔で居られる?
解毒薬を作るということは。
それすなわち。
ルイーズを殺すという事なのに。
「吾は君を殺す」
テオはそうはっきりと言いました。
自分のしていることがどういうことなのか、はっきりとルイーズに理解させたかったのです。
「ええ、貴方がそれを望むなら受け入れるわ」
あっさりと。
しごく当たり前のようにあっさりと、ルイーズはそう答えます。
「なぜ…なぜ君はそうもあっさりと死を受け入れられる?」
「別に受け入れた…とはちょっと違うわね。それ以外に道が無いことを知っているって感じかしら?」
「?」
「テオ、貴方は私を受け入れない」
カチリ。と何か嫌な音がするのをテオは感じました。
ルイーズのその言葉はテオの中の何かを締め付けました。
ルイーズは言葉を続けます。
「なぜかしら、不思議よね、でもわかるの。何となく。テオは絶対に私を受け入れない確信が有るの。
私が愛したテオフラストゥスと言う人間は。絶対に作り物の感情を受け入れない。
どんなに詭弁を使っても。
どんなに理由を作っても。
決して、作られた愛を認めない。
そんな確信があるの」
「…」
果たして。ルイーズの確信は正解でした。
彼女の言うとおりです。
テオは絶対に「作られた愛」を受け入れはしません。
たとえ、目の前のルイーズが、ルイズとは別の人間であると言うことを認めても。その感情が作られた物だということは変わらないのです。
それは。テオの足にある義足と同じでした。
たとえどんなに巧妙に作られた義足であっても。それは本物の足ではありません。
そして、どんなに立派な義足を付けたとしても。テオに足が無いという事実は変わりません。
どんなに魅力的な物でも。作り物は作り物でしか無いのです。
しかし。
しかしテオの中には葛藤がありました。
なぜならたとえ作り物の愛でも。
義足がテオの体を支えるように。
その愛はテオの心を満たし始めていたのです。
むしろ。テオはそれが恐ろしくありました。
なぜならこのまま行けば、自分が嫌う偽りの愛に、自分が溺れてしまうような、そんな恐怖があったのです。
だから。
だからこそ。少しでも早く解毒薬を作ろうとしているのです。
自分の気持ちが変わってしまうよりも前に。
ルイーズを元に戻してしまおうと。
テオは作りかけの薬が入った瓶を強く握りしめました。
自分は一体何をしているんだ?
自分のしている事は正しい。
正しいはずなんだ。
ルイーズのこの感情は偽物。たとえそれを永遠に作り替えたとしても、それが偽物で有ることは変わらない。
偽物の愛にすがる?それは意志のない人形を愛するのと同じじゃないか。
認められない。
認めてはいけない。
なのに。
なのになんでこんなに辛い。
ギチリ。
音がテオの脳に響きます。
気がついたらテオは奥歯が痛くなるほどに歯をかみしめていました。
そんな辛そうな表情のテオを見て、ルイーズは慌てて彼に寄り添うとこう言いました。
「でもね、別にそんなに悪い気分じゃ無いのよ?だって、だって、テオが私の愛を受け入れないのは、私の事が嫌いだからじゃないんでしょ?たとえこれが偽物の感情でも、幾らかは貴方の心を満たしている?少なくとも、解毒薬を作るのを躊躇うほどにはね」
それはとてもやさしい口調でした。
好意と愛情が込められ慈愛に満ちたとてもとてもやさしい声でした。
そして、そんな優しい声で発せられるその言葉が、テオをとても苦しめるのです。
辛い顔を続けるテオの様子に、ルイーズは何を言うべきか少し悩んだ末、彼の胸元に付けられた獅子牙花を指さしながら言いました。
「その花と同じよ」
「あん?…」
「花が咲く理由、知ってる?」
「知らん。なんか変形するのがカッコいいと思ってるからだろ?」
「違うわよ、はね、愛するために咲くのよ。花は別に美しくなりたいとか、咲き続けたいとか思わないの。そして他の花を愛して、そして愛の果てに枯れていくの」
テオは自分の胸に付けられた獅子牙花を見ました。
黄色い花が月のひかりに照らされて鮮やかに光っています。
「私も一緒よ。
私はね確かに貴方のことを愛している。もし貴方の心に永遠に残れるならばそれは私の最高の喜びよ。でもね、でも、私は貴方の心に心的外傷を作りたいわけじゃあないの。
その花の美しさを楽しむように。私と言う存在を感じてくれればそれで満足。
貴方の心に残るならば、それは良い思いでなくちゃ。幸せでとても素晴らしい思い出でなくちゃいけないの。間違っても罪悪感とともに覚えられるようなものじゃあ無いわ。さあ、笑って?今は楽しい二人の時間よ?たとえ貴方にとって不本意な状態でも、そんな状態さえ楽しんでしまうのがテオフラストゥスという男でしょ?テオ?貴方にそんな顔は似合わないわ?」
「…」
テオは何も言い返せませんでした。
ただ、目の前の少女の。ルイーズのその言葉に。
いえ、その言葉を言う、ルイーズの表情に。少し。少しだけ。見惚れてしまいました。
「さあテオ、早くその薬を作っちゃいましょう。貴方と一緒に居るのはとても楽しいけれど、あんまり長いと未練になっちゃうわ」
そう言ってルイーズはテオを急かしました。
テオは思いました。
自分は今日この瞬間まで、死ぬと言うことを恐れたことはなかった。
だから危険なことも当たり前のようにこなしてきたし、そして楽しんできた。
しかし、死を恐れないからといって、死にたいわけではない。
自分が死ぬ際は盛大にこの世の中を呪いながら死んでいくだろうとテオは予想していました。
苦痛に嘆き、世界を呪い、恨みつらみを爆発させて、そうやって死んでいくのだろうと。
少なくとも、自分の死の際に笑顔を浮かべる事はできないだろうと。
そう思っていました。
目の前のこのルイーズのように、死に直面した時に、こんな笑顔を浮かべられるだろうか。
テオはそう自問しながら薬の調合を続けるのでした。
◇
「ほれルイーズ、飲め。飲め。一気に飲め。ほれ、ほれグイッと」
そう言ってテオはグイッと瓶をルイーズの目の前に差し出しますが、差し出された瓶を前にルイーズは顔をしかめました。
「テオ…なにこれ、なんかこれものすごく臭いわよ。まるで夏場のトイレみたい」
「何?そんなわけあるか。ジャムの瓶に入れてたんだぞ、それもブルーベリーの…クン……………ウゴ、何だこりゃ。鳥小屋みたいな臭いがする…」
「え?いや、飲むのは承諾したけど、この臭いは無いわよ。何このイントラスティングなスメル?ありえないわよ」
「しかし飲んでもらわんと困る。飲め。飲みたまへ」
「じゃあ飲んでも良いけれど、一つだけ条件が有るわ」
鼻を摘みながらルイーズはそう言いました。
「なんだ?言ってみろ?」
「口移しで飲ませて」
「なん…だと?」
テオを始め皆が固まりました。
「ルイーズこの期に及んでワガママを言うな。さあ飲め。それ飲め」
「やだ。絶対飲まない。そんなゴミ捨て場に滴る汁みたいな臭いの薬、テオの口移しで無い限り絶対に飲まない」
ぎゃいのぎゃいのと騒ぐ二人。
何時まで経っても進まないやり取りに、なんだか周りもイライラとしてきます。
見かねたキュルケがとうとう口をはさみました。
「テオ…してやったら?口移し」
「おま!他人ごとだと思って!!」
「でも。このままじゃいつまで経っても埒が明かないし…」
サイトも特に異論は言いませんでした。
先程最大級の絶望を感じたせいか口移しくらい別に良いかと。特に嫌な気持ちは感じませんでした。
あるいはサイトも、いま目の前のルイーズのことをルイズとは別の人間であると認識していたのかもしれません。
「致し方がない、この状況を打破するためならば、吾はこんな臭いくらい…ウブ…ウエ…ォ…。クセエ、前にタバサに食べさせられたハシバミクッキーといい勝負だ」
テオのその言葉にタバサがむっとした顔で「それはさすがに失礼…」と言いましたが、その隣にいるキュルケは、あの壮絶なクッキーと同レベルなのかと、薬の臭いに対して恐れを抱きました。
テオは嗚咽を繰り返しながら何とか、それを口にふくもうと奮闘しました。
ルイーズはその様子を見てとても楽しそうに微笑み、そして彼女はこう言いました。
「テオってやっぱり優しいのね」
「優しい?優しい、優しいだと?本気で言っているのか?今から自分を殺そうとしている人間を、本気で優しいと言っているのか?」
「ええ、言うわ。だって本当の事だもの。貴方は容赦なく淡々と私を殺すことができるのに、それなのに、頑張ってその薬を口に含もうとしてる。そのくせ嫌われるようなことを言って、わざと私に嫌われようとしている。自分のしていることに罪悪感を感じているのよ。不器用よね。そうやって冷血なふりなんてして。もっと素直になればいいのに」
「ふん、貴様がどう勘違いをしようと勝手だ。しかしな、君の考えは全くもって的外れだ。吾は罪悪感など感じはしない。吾はう今まで軽い気持ちで人を殺したことは無いが、それでも必要にかられ幾つかの命を屠ってきた。今さら人を殺すことに罪悪感など覚えない」
「あら、ダメよ、たとえ誰が信じなくても、テオ本人が信じなくても、私が信じるわ。テオは優しいわよ。優しすぎるの」
「オマエは言ってることが一つ一つ的はずれなんだよ…」
テオはルイーズの言葉を否定しますが、ルイーズの表情は変わりませんでした。
「ふふ、そうね。あと最後に一つ。テオ?私は最初から最後の瞬間まで、貴方を『愛』し続けたわよ」
「ふん、詭弁だな。短い命の間、たまたまその感情が続いていたにすぎん。そもそも薬で出来た人間の『愛』等、本当の愛であるものか」
「あら、本当の愛よ。間違い無いわ」
自信満々。
まるでそれこそが自分の誇りであるかのように、ルイーズは愛を口にしました。
まるでその瞬間を待っていたかのように。
夜明けの光が射し込みました。
朝日が、湖を照らします。
「時間だ。じゃあな。ルイーズ」
「じゃあね。テオ」
そう言うと、テオは薬を口に含めました。
まるで先ほどまであんなに躊躇していたのが嘘のように。
そして。
そして。
二人は口づけを交わしました。
逆光に照らされてその姿はシルエットでしかありませんでした。
テオの胸元の獅子牙花だけが黄色く光るだけで、それ以外は真っ暗。
果たして口づけをする二人の表情がどんなものなのか、それを見る一同には見えませんでした。
ただエンチラーダだけは、
テオの頬に一筋の光が流れたことに気がつきました。
◆◇◆◇◆おまけ◆◇◆◇◆
ホレ薬の効き目が無くなったルイズは、いまの自分の状況に戸惑いました。
そしてつぎの瞬間には自分の口から出た言動の数々に身悶えました。
解毒薬はその人を正気に戻しはしますが、記憶を消すわけではないのです。
ルイズは自分のした事をしっかりと覚えていますし、そして、自分の行動に羞恥と怒りを覚えます。
そしてその怒りの矛先は殆どテオに向けられました。
それも実に直接的方法によって。
「何してんのよこの糞馬鹿!」
ばちこーん!!
「おうち!」
ザパーン!!!
ルイズの平手打ちがテオの右頬にあたり、テオは2メートル以上吹き飛び湖の中に落ちました。
後にサイトはこう語ります。
「あの張り手なら世界を狙えた」と。
◆◆◆用語解説
・愛のため
花は自分自身の雄しべと雌しべで受粉しているイメージがあるが、一部の花は自家不和合性を持っている。
これは色々な方法で自家受粉を避けるしくみである。
花は出来るだけ他の花と愛を育みたがっているのだ。
・獅子牙花
dent-de-lionを直訳したモノ。
dandelion、「ダンデライオン」は『タンポポ』の俗称。
ちなみにヨーロッパに多く生えるセイヨウタンポポやアカミタンポポは無融合生殖で不完全な花粉しか作らないとされてきたが、極稀にnや2nの染色体数の花粉を作るらしい。
花言葉は『真心の愛』『楽しい思い出』それと『別離』
・鳥小屋
知っている人は知っているだろうが。
ものすごく臭い。
わからない人はホームセンター等に鶏糞が売っているのでレッツトライ!
・あの張り手なら世界を狙えた
読むと強くなるゼロ魔SS ああルイズ灘。
伝説のクソSSだが、パスワードを入力するとルイズ体操第一が見られる。
三人の虚無が体にオーラを纏いながら踊るさまは正に圧巻。
・前に投稿していた部分はこれで全部
一応、番外編的惚薬話はもう一話あります。