テオは女性が苦手と言うわけではありませんでした。
女好きではありませんでしたが、同時に毛嫌いしていると言うわけでもありません。
テオは女性を前にしても自分のペースを崩すことはありませんでした。
たとえテオに関係を迫ってくる女性であってもです。
テオに対して性的なアプローチをしてくる女性は今までに居なかったわけではありません。
その大半はテオの力や財産などを目的としていましたが。中にはキュルケのように利害なしでテオを誘惑する者もおりました。
しかし、そんな女性達に対しても、テオが戸惑ったりしたことはありません。むしろ独特のペースで、相手のペースを乱すのです。
そんなテオは今、女性を前にペースを崩していました。
「ルイーズ君?あの、なんでまた…にじり寄ってくるんだね?」
「だってテオの側に居たいんだもん」
「それにしても近すぎだと思うのだが…」
「そんなことないもん」
そう言ってルイズはベットのテオに覆いかぶさるように接近してきました。
「その…なんだ。出来れば吾と距離を置いてくれると嬉しいんだが」
「ヤダ」
にべもなくルイズはテオの頼みを断ります。
そしてついに。
「えい!」
「ぐえ!」
ルイズはテオに抱きついてしまいました。
「テオ、今の私達ってまるでラビオリみたいね…布団に包まれて、まるで一つの具材になったみたい」
「また斬新な例えを…とにかく布団から出るぞ」
そう言ってテオは布団をはだけました。
「グブチュ!ビチャア!」
「擬音リアルだな!破けて中身が飛び出る音の再現とか、芸の細かさに少し感心するぞ!」
「うふふ、二人一緒にベットから出る。まるで新婚夫婦みたいね」
テオは辟易としました。
もし、目の前のこの女を力任せに殴り飛ばせればどんなに幸せでしょう。
しかし、テオはそれをしません。
それができません。
もし、ルイズに何か打算があったり、或いはからかい半分でテオに絡み付いているのであれば、テオも容易にそれをいなすことが出来たでしょう。
しかし、今のルイズは薬でテオを心から好きになっているのです。
だから…。
「……だから?」
そこでテオは自問しました。
なぜ?
なぜ自分はルイズを無理矢理にいなせないのだ?
確かにルイズは被害者です。
彼女に罪はありません。
しかし。
相手に罪があろうと無かろうと、自分の我を通すのがテオ流です。
淑女に手を上げるのは貴族的ではありませんが。それでも、貴族の流儀に反しない範囲でルイズを拘束する方法が無いわけでもありません。
なぜ自分が目の前の小娘を自由にさせておくのか。
テオは自身で不思議に思い…。
ピッン!
「あいた!」
鼻に強い衝撃を感じてテオは現実に引き戻されました。
ふと見ると、ルイズの指が鼻の真上に来ています。
どうやら彼女がテオの鼻を弾いたのでしょう。
「テオったら、朝から難しい顔しちゃうんだもん。それ、貴方の悪い癖よ?自分の世界に入り込み過ぎるの。テオはもう少し違うことに興味を持つべきよ…そうね。特に恋なんかに興味を持つべきだわ」
ルイズのその言葉に、テオは少し顔を歪めました。
「ルイーズ。それは無理なことなんだよ」
「?」
「ルイズ、吾はね。この全世界の如何なる人間とも、恋に落ちるつもりは無いのだよ。ましてや愛なんて幻想にすがるつもりは全くもって無いのだ」
「また、そんなことを言う。テオ。愛は有るわ!私が保証する!なんてったって、その愛は!今の私の中に有るのよ!」
そう言ってルイズはドンと自分の胸をたたきました。
「確かに君の心のなかには、永遠とも思える感情が芽生えているかもしれない。しかし、しかしそれは愛ではないのだよ」
「嘘よ。これが愛じゃないのならば世界に愛なんて存在し得ないわ」
「そう……まさしくそのとおりだよ」
何処か寂しそうに、テオはそう言いました。
「確かに君のそれは愛に近い感情だろう。無を焦がすような劣情。しかしその感情も所詮は一刻のものにすぎない。ある日突然浮かんでは、泡沫の夢のように消えてしまう感情だ。偽物だよ。
だが別にそれは変なことではない。
君にかぎらず、すべての愛なんてものは偽物に過ぎないのだよ。
永遠にして絶対の愛なんてものはお伽話の世界にしか存在し得ないのだ」
「偽りなんかじゃないもん」
ルイズはテオを見ました。
「この気持、嘘なんかじゃない。だって、私テオを見てるとすごくドキドキするもん。それだけじゃなくて、息苦しくて、どうしようもなくなっちゃうの。薬なんて関係無い。断言する」
そのルイズの言葉に、テオは。
テオは。
とても悲しそうな顔をしました。
それは、まるで今にも泣きそうな程に。
そしてテオは不思議に思いました。
自分はなぜこんなにも悲しい気持ちになるのか。
昨日のように怒りが沸き起こるのならばまだ理解の範疇です。
しかし、なぜか自分はどうしようもなく悲しい気持ちに襲われています。
その原因が解らず。テオは只々その顔を歪めることしか出来ませんでした。
そんなテオの顔をみて、ルイズはテオの顔を心配そうに覗きこみます。
「どうしたの?テオ。どこか痛いの?大丈夫?お医者様を呼ぶ?」
「あ…ああ。大丈夫だ。ルイーズ。何、直ぐに治るとも。具体的にはモンモランシーから薬を貰えばそれで万事解決だ」
「薬?それでテオは治るの?じゃあ急いで薬を貰わなくっちゃ」
「ああ、そうだな、一刻も早く薬をもらおう。それが…一番だ」
そう。
モンモランシーから薬さえ貰えば。
ルイズが正気に戻り、この状況が解消されれば。
自分のこの不快感は直ぐに消え去る。
もう少しの我慢だ。
テオはそう自分に言い聞かせ。
無理矢理に笑うのでした。
◇◆◇◆
魔法学院の廊下は騒然となりました。
それは異常な光景でした。
ルイズがテオと廊下を進んでいます。
いえ、それだけならばまだ異常とは言えませんでしたが、今のルイズときたらまるで恋人のようにテオにベッタリと寄り添っているのです。
「「ヒソヒソ」」
その様子を見た者は須くその様子に驚き、そして他の者とその状況について小声で話始めます。
幸いだったのは朝も早く、廊下には未だメイドしかいないということでしょうか。
もしもこれがもう少し遅い時間で、その様子が生徒たちに見られていれば学園は大騒ぎになっていたに違いありません。
「あの…その…テオフラストゥス様…ルイズ様おはようございます」
シエスタが目を真ん丸に見開きながらテオとルイズに挨拶をしました。
「…うむ…おは…よう」
「おはようシエスタ」
ルイズはにこやかにそう挨拶をしました。
シエスタは驚きました。
今のテオとルイズの状態にもですが、それ以上にルイズのにこやかな挨拶に驚きました。
何時ものルイズであれば、シエスタに対してもっと不機嫌そうに挨拶をするはずなのです。
なにせシエスタは最近サイトと中々良い雰囲気になっています。それこそ、あと一歩で恋人同士になりそうなほどに。
それが非常に不愉快であるらしいルイズは、シエスタに対して非常に不機嫌そうな反応をするのです。
しかし、今日のルイズときたら、テオの腕にしがみつきながら、まるで長年の友人に挨拶をするかのような笑顔でシエスタに挨拶をしています。
そして、そんなルイズの様子に驚いていたのはシエスタだけではありませんでした。
テオも驚いていました。
実の所テオはルイズが、自分と接する異性に誰かれ構わず噛み付くのではないかと危惧していました。
ただでさえ直情的なルイズです。惚れ薬などを飲めば彼女の行動は更に攻撃的になるのだろうとテオは考えていました。
ルイズ以外の女性と会話でもすれば即座に虚無の魔法が飛んでくる覚悟までしていたのです。
しかしルイズはテオが他の女性と話をしてもその表情を崩すことはありません。
意外なほどにルイズは理性的でした。
というのもこれには理由がありました。
なぜなら。ルイズは知っていたのです。
テオという人間が、メイドや使い魔に対して欲情しない人間であることを。
彼は好きという感情こそ持ちながらも、それが恋愛感情へと発展するようなことが無い人間で有るということを。
そして実際、テオはシエスタを目の前にしても、全く男性的反応をすることはありませんでした。
普通年頃の男性であれば、見た目それなりに麗しい女性を前にした際、相手の胸元や足に視線が行ったり、或いは表情に何処か好色の色が浮かんだり、声が少し変わったり、機嫌が少し良くなったり。兎にも角にも何かしらの反応が有るはずなのです。
しかし、テオはシエスタに対して、一切、その態度や表情を変えることはありませんでした。
本当に、心の底から。シエスタに対してメイドであると言う以上の価値を見出していないのでしょう。
ですからルイズは嫉妬をすることはありませんでした。
恐らく、ルイズはシエスタに限らずテオの周りに別の女性が現れてもさほど気にはしないでしょう。
もしルイズが嫉妬を覚えるとしたら、それはルイズのライバルと成り得る存在。
つまり、テオの恋愛対象となりうる存在に対してだけなのです。
そして、少なくとも、学院の生徒やメイドの中には、テオの恋愛対象になりそうな人間はおりませんでした。
「あの…ルイズ様…どうかしたんですか?」
「どうか?いえ?別にどうもしないわよ?あ、いいえ、違うわね。どうかしてるかも。なんてったってどうかしてるくらい気分が良いんだもん」
そう言ってルイズはテオに絡めて居る腕のちからを強め、そのままテオにもたれかかるように身を近づけました。
そんなルイズの様子にシエスタは言葉に出来ない恐ろしさを感じました。
「あ…あの、テオフラストゥス様?」
ルイズに語りかけることが怖くなったシエスタは、隣に居るテオを見ましたが…。
「…」
テオは死んだ目で遠くを見ていました。
「あ…あの…」
「聞くな。何も言いたくない」
遠くに視線を向けながらテオはそう言いました。
聡明なテオは理解していました。
此処で本当の事を言えばどうなるかを。
ルイズが事故で惚れ薬を飲み、そして事故で自分を見てしまった。
それを此処で説明したらその後どんな噂が立つのかを。
もし、これがシエスタと自分だけであれば、テオも自分とルイズに起きたことをそのままに話すでしょう。
シエスタはとても素直ですし邪推と言うものをしない人間です。
しかし、シエスタ以外の人間はそうではありません。
例えば、今この場でテオ達の会話に耳を向けている他のメイドや、シエスタの口から今後この状況を聞く人間。
その人間達は一体どう思うでしょう。
或いは、テオの言葉をそのまま信じるかもしれません。
しかし、中にはそれを歪曲して理解する者も居るでしょう。
例えば、女に縁の無いテオが、ルイズに惚れ薬を使った。
例えば、テオは惚れ薬を作り、それをルイズで実験した。
例えば、テオは日頃気に入らないルイズに仕返しのつもりで惚れ薬をルイズに使った。
そんなことを考え、そしてそれが噂になるかもしれません。
他人の評価をあまり気にしない質である、テオですが。
それでも、自分が惚れ薬を作ったと思われるのには我慢なりませんでした。
自分がこの世の中で有数に嫌いな存在を、自分自身が生み出したと、そう認識されるなどテオに取って我慢出来ないことだったのです。
だからテオはその口から事の顛末を語りはしませんでした。
彼の口からは、ただ、魂が抜き出るような大きなため息が出るばかりです。
「はあぁぁぁ……………鳥になりたい」
「鳥?まあ素敵ね、オシドリ夫婦ってとっても素敵な響だと思わない?」
その二人の対照的な様子に、シエスタは本格的に怖くなってしまいました。
「あ…あの、私、朝の仕事がありますので…それじゃ!」
そう言ってシエスタは逃げるように何処かへと消えてしまいました。
そして、廊下から姿を消すシエスタと、ほぼ入れ違いで現れる影がありました。
それは廊下の反対側から現れたサイトでした。
サイトはテオとルイズの存在を目視すると手を振りながら大声で彼らを呼び止めました。
「あ、ルイズ、やっぱりテオのところに居たのか!」
そう言いながらサイトは二人の元に駆け寄ってきます。
そんなサイトを見て。
テオの脳内に昨日のサイトの言葉がリフレインされます。
ルイズを監視しておけと言ったテオに対し。親指を立てながら、凛々しい笑顔で放たれたその言葉。
「任せとけ!」
しかし今テオの隣には、サイトに任せた筈のルイズがベットリと張り付いています。
任せた結果がこれだよ!
テオはとても腹が立ちました。
テオはサイトに文句の一つでも言ってやろう…いや、魔法の一つでもぶつけてやろうと杖を持ちながら口を開き、
途端。
「私のテオに近づくなあああああぁぁぁ!!!」
ルイズが吠えました。
「なぜこいつに過剰反応する?」
ルイズの剣幕にテオが驚いた声をあげました。
「え?ルイズどうしたんだよ?」
サイトも突然怒鳴ったルイズに目を丸くしています。
そしてルイズは大きな声で叫びました。
「アンタ!私のテオを狙ってるんでしょ!!!」
そう。
ルイズが嫉妬を覚えるのは、テオの恋愛対象となりうる存在に対してだけなのです。
「「ねーよ」」
サイトとテオの二人の声が重なりました。
「ネタは上がってんのよ!テオに色目なんて使っちゃって!」
「使ってねーよ!」
「どうかしら、なんか私の知らないところで友情とか深めてるみたいだし!なんか妙に息があってるし!しまいには私を置いてテオと旅行に行く始末!決定的なのは昨日!私がテオの部屋に行こうとしたらサイトは私の邪魔をするし!怪しい!怪しいのよあなた達!!!テオ!ダメよ!ダメだからね!男となんて非倫理的だわ!」
「「「「「ヒソヒソヒソヒソ」」」」」
ルイズの叫び声を聞いて、
周りにいたメイドたちがすごい勢いで何やら囁きあい始めました。
「何やら良からぬ噂がとてつもない速さで広まっている予感がする…」
自分の認識がとても面倒な物になりつつあると察したテオは頭を抱えました。
テオが他人の評価をあまり気にしない質とは言えど、ありもしないサイトとの仲を邪推されるのは非常に不快です。
「ルイーズ、確かに吾は愛を否定したよ、しかしね、だからといって吾が衆道の道に走っていると邪推するのは止めてくれないか?しかもだ、よりによってコノ糞餓鬼と?何が楽しくてコノ糞餓鬼を好きにならんといかんのだ、むしろその対極の感情をこいつに対しては抱いているよ」
「じゃあテオが好きなのは!?」
「え?」
「サイトが一番で無いならば、テオが一番に好きなのは?」
「いや、一番とか言われても、別に好感度に対して順番を決めるものでも無いし」
困った様子でテオがそう言いますが、ルイズの追求は止みません。
「ごまかさないで教えて!テオが一番に好きなのは!?」
「いや…別に…強いて言うのならばプリンが一番好きだが…」
「わかったわ!!」
そう言うとルイズはピョイとテオの腕から離れて何処かへ行こうとします。
「ルイーズ。一体何処に行こうとしているのだね?」
「ちょいと厨房を破壊しに…」
「待て待て待て待て!!!厨房を破壊しても何もならないぞ!」
慌ててテオはルイズの腕を掴み彼女を止めました。
「そうよね、それでテオが私を好きになるわけじゃないわね。まず私がプリン以上に魅力的にならないと!でもどうすればなれるのかしら、カラメルソースを頭からかぶれば良い?」
「いや………別にカラメルを頭からかぶったからって好感度が上がるわけではないし…と言うか、普通に引くと思う」
「ルイズ…あの、プリンに対抗心を燃やすのは人間として間違ってると思う…」
サイトがそうやってルイズをなだめようとしますが、サイトの言葉はルイズにとって挑発にも受け取られました。
「何よ!その余裕の態度!テオにプレゼントをもらってるからって、もうテオの心を手に入れたつもり!?」
「プレゼントって…あの剣か?」
あの役に立たない銀の剣をプレゼントと称するならば確かにテオはサイトにプレゼントをしました。
しかし、アレはあくまでテオがサイトに対して行った嫌がらせに過ぎませんし、そこに善意の気持ちはひと摘みも有りはしませんでした。
しかし、ルイズはそのテオのプレゼントに対して大いに嫉妬をしたのです。
「私はまだテオから何のプレゼントももらってないのよ!」
「そりゃあ…そうでしょうよ?」
そう言ってテオは頭を抱えました。
眼の前でプリンやサイトに対抗心をむき出しにするルイズに心底辟易としたのです。
そんなテオの様子に、ルイズは慌てました。
テオを好きになっているルイズはテオが落ち込む様子を見たくなかったのです。
だから彼女は怒りを引っ込めて、彼を励ますように語りかけました。
「あ、でも、別にテオを攻めてるわけじゃないのよ。その、ちょっと言ってみただけなの。私解ってるんだもん。ただ、要求するだけなんてとても浅ましい事だって。
与えられることを待ち続けるのじゃなくて、与えあうのが愛しあう者の正しい姿よね。
そうだ!忘れるところだった。じつは私のほうからテオにプレゼントが有るの!」
そう言ってルイズは何処に隠していたのか、突如としてあるものを取り出しました。
「じゃ~ん!」
そう言って彼女が取り出した物を見て。
「何だこりゃ」
思わずサイトはそう言ってしまいました。
それは毛糸が複雑に絡まりあった奇っ怪なオブジェでした。
いかんとも表現しがたい形をしたそれは、強いて言うのならばバージェス動物群や澄江動物群の生物に似ていました。
ユンナノゾーンかレアンコイリア当たりに似ているような気もします。
ゴクリとサイトは唾を飲み込みました。
ルイズは一体全体どういう意図があってこの謎の固まりをテオにプレゼントしたのだろう。
或いは、これはプレゼントをくれないテオに対する遠まわしな嫌がらせの類なのでは無いのか?
そう思いながらサイトがテオの方を見ると、
テオはその固まりを手にしながらこう言いました。
「なんぞ…この素晴らしい物は!」
「え?」
「この奇っ怪なフォルム。網目に込められたストレス、禍々しいまでのオーラ。吾はこのような素晴らしいものを今まで見たことが無い!」
そう言いながらテオは震える手でその毛糸の塊を手に取ると、感動に打ち震える声で叫びました。
「ルイーズ、許して欲しい。正直今日この瞬間まで吾は君のことをただのピンクの髪の毛のヒステリックなだけが取り柄の小娘だと思っていた、はっきり言って吾の中で、君はそこら辺に落ちている馬糞と同等の価値と認識していた」
「非道い評価だなおい」
テオのその評価にサイトが思わずそう言いました。
「しかし、その認識を改めよう、君にこんな才能が有るとは、如何にも素晴らしい芸術じゃあないか」
「…テオ…それ、一体何に使うものなんだ?」
テオがこんなにも感動するのだから、きっと凄い用途に使うものなのだろうとサイトは彼にその使い方を尋ねますが、テオは首をかしげながらこう答えました。
「知らん」
「え?」
「前衛オブジェじゃ無いのか?でなければご神体とか?いや、吾が知らないだけでルイーズのご実家の辺りに居る希少な生物を模した人形とか?」
「違うもん…それ…セーターだもん」
ちょっぴり悲しそうにルイズがそう言いました。
「「…セーター?」」
テオとサイトは再度その物体に目をやりました。
「セーターか…」
「セーターか?」
二人はそれをよくよく目を凝らして見なおしてみますが、どう見てもそれはセータには見えません。
と言うよりも衣服には見えませんでした。無理に衣服の類だとするのであれば、それは拘束着が一番近いフォルムだと言えるでしょう。
「ねえ、着てみて」
「着るの?これを?」
サイトは信じられないという声を上げました。
眼の前の毛糸の塊。
どう考えても人間が着る構造になっていません。
いや、そもそも、構造云々以前に着るには余りにも見た目が奇っ怪な形です。
誰もいない室内ならばともかく、他人の目のある廊下でそれを着るのは一種の拷問のように思えます。
少なくとも自分なら恥ずかしくてとても着られやしないと思いながらサイトがチラリとテオの方を見ると。
「こうか?」
すでにそれを着ているテオがいました。
「お前すごいな!」
思わずサイトはそう叫んでしまいました。
なんの躊躇もなく天下の往来でそれを着れるテオの神経にサイトは度肝を抜かれました。
そしてテオの口からは更に信じられない言葉が飛び出ました。
「ふむ…アリだな」
「アリなの!?」
まるで羽化直前の蛹のような格好になったテオから発せられたアリという言葉にサイトは驚きました。
「フィット感が凄いぞこれ。なんだか新感覚で悟りが開けそう」
「それ首しまって酸欠になってるからじゃないか?」
テオの様子をよく見てみると、首が締まっているせいか妙に目がうつろな上に顔が青白くなってきています。
そして、サイトはふと考えました。
そのセータらしきもの。
どう考えても昨日一晩で作られたものではありません。
編み物なんてしたことの無いサイトですが、編み物を編むのは時間がかかる作業だということくらい知っているのです。
ということは、その毛糸の固まりは、ルイズが惚れ薬を飲むよりも前から作られていることになります。
だとすると。
本来その不思議な服はだれのために編まれたものでしょう。
いえ、たとえそれが誰かに着せるために作ったのでないとしても、作ったからには誰かに着せたくなるのが人情です。
で、あればを着るはめになっていたのは。
恐らくルイズに一番近い人間。
つまりは。
俺!?
そう思うと、サイトはブワリと全身から汗が出るのを感じました。
一歩間違えればあの酸欠で逝きかけていたのは自分だったのかもしれないのです。
「危ないところだった…」
誰にも聞こえないよう小声でそう呟きながら、サイトはブルリと体を震わせました。
そんなサイトの様子とは別に、ルイズの様子はとてもゴキゲンでした。
自分の作ったセーターはテオの絶賛によって迎えられ。更にはそれを躊躇なく着てもらった結果、その評価もかなり良いものでした。
もうルイズの心は爆発せんばかりの歓喜に包まれ。そして、ルイズの体は思わず動いてしまうのでした。
「テオ!」
「うお!ルイズ、離れてくれ!…ただでさえピチピチなのでこれ以上締め付けられると色々出てしまう」
急にルイズに抱きつかれたテオはそう叫びますが、ルイズの抱擁は止まりません。
「やだ!今日はずっとこうしてるの!」
「まったく、かくなる上はまた眠りの魔法を…
……しまった!腕が出なくて身動きが取れない!!これじゃ魔法も使えやしない!」
ルイズ特性の拘束着をホイホイ来てしまったテオは、魔法を封じられ、ルイズを引き離すことができなくなってしまいました。
「てお!テオ!テオ!テオ!」
「くそう、こんな芸術的な拘束をするなんて。勿体無くて破ることができないうえに、脱ぎたくないとすら思わせる。まさかそこまで計算して作られているとは!………なんという狡猾な罠!!策士!策士ルイーズ!!」
「えへへへへテオ…クンカ、クンカ」
サイトはそんな眼の前の二人の様子を少し冷めた目で見ながら、
こいつら実は結構お似合いなんじゃないか?と思ってしまうのでした。
◇◆◇◆
さて、テオ達が廊下で騒いでいる頃。
モンモランシーは部屋で絶望していました。
その絶望の理由は至極単純です。
それはテオが昨日モンモランシーに命じた薬が未だに出来ていないからです。
ただ、それはモンモランシーがサボっていたわけでも、或いは彼女が無能だったわけでもありません。
彼女はこと薬作りに関してはそれなりに優秀でしたし、まじめに薬の調合を行っていました。
それでも彼女が薬を作れなかった理由は。
純粋に材料が手に入らなかったからです。
ただひとつ。その一つの材料が手に入らないが故に薬は完成しませんでした。
その材料とは「精霊の涙」です。
元々「精霊の涙」は非常に貴重で高価な材料です。
ただでさえ手に入りにくいその材料ですが、正に今トリスタニアの薬屋で売り切れており。さらには今後の入荷さえも絶望的だとのことで。モンモランシーはトリステイン中の薬屋を回って探しましたが、結局その材料が見つかることはありませんでした。
「どうしよう。私殺される」
絶望的な声でモンモランシーはそう言いました。
「大丈夫!いざとなったら僕が守るさ!」
そう言ってギーシュが杖を出しました。
ギーシュは昨日からずっとモンモランシーの側で彼女を励ましていました。
はっきり言って薬を作る間に横で動きまわるギーシュの存在はとても邪魔でしたが、同時にモンモランシーにとって大きな救いであったのも事実です。
なにせ…。
「………」
少し離れた位置からエンチラーダが無言で二人の様子を見ていました。
そう、彼女と二人っきりになるよりはよっぽどマシな状況なのです。
そしてモンモランシーには今のエンチラーダの様子も不気味でした。
テオ至上主義で且つテオにモンモランシーのことを殴っても構わんと言われているにも関わらず、彼女はモンモランシーに対して一切の危害を加えることはありませんでした。
彼女は何をするでも、何を言うでも無く。ただ無言で常にモンモランシーの隣に居るのです。
モンモランシーが現時点で薬を作れていないのに、その態度を変える事はありませんでした。
更にはギーシュがモンモランシーを守る、言い換えればテオと戦うといっているのに、それでも彼女は何の反応も示しません。
その寡黙さが、逆にモンモランシーには不安でした。
ドンドンドン!
部屋の扉が叩かれました。
「ヒイ!来た!」
そう言ってモンモランシーは扉のある方から反対方向に飛び退きました。
「ええい、僕のモンモランシーを守るためならば、たとえテオだろうが幻獣だろうがモンスターだろうが…
そう言いながらギーシュが勇敢にも扉に手をかけました。
その表情には確固たる意思が宿っているようで、その姿はとても凛々しく見えました。
いつもはチャランポランな彼ですが、やはりいざというときに頼りになるとモンモランシーは彼に対する評価を大幅にあげます。
そしてギーシュはそのドアを開け…
「ぎゃあ!なんか凄いのが来た!?」
慄くのでした。
奇っ怪な毛糸の固まりに拘束され、傍らにルイズを侍らせ、顔をうっ血させて真っ青な顔で、うつろな目をしながら、片手で車椅子を動かすテオのその姿は、最早妖怪や妖魔の類に見えました。
そのあまりにも恐ろしい姿にギーシュは腰を抜かし、その場に座り込んでしまいます。
「どうか!どうか命だけは!」
地べたに座りながら、祈るように手を組み必死にテオに対して命乞いをするギーシュの姿は非常に滑稽でした。
「この男に少しでも期待をした私がバカだった」
そしてそんな様子をみたモンモランシーは、ギーシュに対する評価を大幅に落とすのでした。
「さあ、一日たったぞ。薬を出せ。そら出せ。今出せ。すぐに出せ」
カクカクと首を揺らしながら部屋に入ってくるテオは、昨日の様子とは違う恐ろしさがありました。
「テオ、冷静に聞いてね」
「ああ、吾は冷静だ、冷静だとも。どれくらい冷静かというと、意識が半ば宇宙に行っちゃうくらい冷静だ」
チアノーゼになりかけのテオはうつろな目でそう言いました。
その口調は実に穏やかでしたが、青い顔とうつろな目のテオの様子は不思議な不気味さを醸し出していて、モンモランシーの恐怖を助長させるのでした。
「じつはその、あの、くすり…だけどね。あのね、もうほぼ、ほぼよ、殆ど完成しているんだけどね、その、あとひとつ、精霊の涙が…その…足りないの」
モンモランシーは身構えました。
激怒したテオがどんな行動をするのかはわかりませんが、苦悩の様子からとんでもないことになることは明確に思えたのです。
しかし、実際のテオの反応はモンモランシーの予想に反し。
「ふーん」
恐ろしいほどにあっさりとしていました。
「あの…テオ?怒ら…ないの?」
「なんだ、怒って欲しいのか?」
「いえいえいえいえ、そんなことは全くございません。でも、昨日アレだけ怒ってたから、ほら、もうちょっと怒るかなあと思って」
「今貴様がこうして普通に吾と話をしているのならば、吾が怒る理由は無いのだろう」
「???」
「吾は昨日エンチラーダに監視を命じた。
もしも、貴様がサボっていれば殴って構わんとな。
エンチラーダのパンチは強力だぞ?それこそ首が胴体から取れる程の威力だ。
もし貴様がそれを食らっていれば今こうして吾と平然と話などできようはずがない。
エンチラーダが貴様を殴っていないというのならばそれはエンチラーダが貴様の働きぶりに及第点を出したということだ。
であれば、これ以上に貴様を責め立てる事はせんよ。
実際精霊の涙は確かに手に入れるのが面倒な材料だ。吾でもそう簡単には手に入れることはできんだろうしな」
そう言って。
テオはあっさりとモンモランシーを許しました。
昨日のテオと比べるとその様子はあまりにも寛大。
いえ、ある意味ではそれは普段のテオに戻ったといえるでしょう。
むしろ昨日のテオの様子こそが異常であって、普段のテオは妙に寛大なところのある人間なのです。
「だから、あと3日ほど待ってやる」
「は?」
「取りに行くのに一日、帰ってくるのに一日、調合に一日。合計3日だ」
「えっと…それって今直ぐ行けってこと?」
「いや?別に今直ぐでなくても構わんよ。ただ期限が3日と言うだけのことだ。その期限を無視して貴様が死にたいと思うのならば。それもまたひとつの選択肢だろうよ」
表情を崩さずにテオはそう言いました。
つまり、テオは3日の猶予を追加こそしてくれましたが、モンモランシーの状況は全くもって良くはなっていません。
いえ、それどころか、彼は『死』と言う言葉を明確に口にしました。期限内に薬ができなければ「殺す」と明確にしている分、状況は悪くなって居るのです。
「君!それはさすがに聞き捨てならないよ」
モンモランシーに対する殺害宣言をするテオにギーシュが掴みかかろうとしますが。
「ふん、道化は黙っていたまへ」
「ぎゃっぽ!」
テオが繰り出した魔法でもって、ギーシュは錐揉みしながら壁にぶつかり、そしてそのまま気絶してしまいました。
それはまるで昨日の再現。
そして。
モンモランシーは理解しました。
たとえ怒っていようがいまいが。
テオという人間は。
即ちこういう人間なのであると。
◆◆◆用語解説
・ラビオリ
イタリアンな餃子。重ねた平べったいパスタに具材を詰めて茹でたもの。イタリア料理として有名だが、ヨーロッパは勿論のことアジアやアメリカ等でも良く食べられている。缶詰や乾燥したものもあるので日本でも比較的容易に手に入れられる。筆者の好物でもある。
・オシドリ
雌雄の仲が良いと考えられ、おしどり夫婦と言えば仲の良い夫婦の事を指すのだが。実際のオシドリは一年ごとにパートナーを交換する。
ちなみに生涯夫婦で添い遂げる鳥も居る、身近なところでは鳩などがそうだ。
さらに黒コンドル等は群れ単位で浮気を監視。もし浮気をしそうな個体が居ればパートナーは愚か、群れ全体に攻撃されるらしい。
・衆道
アッーーー!!!な関係のこと。
・バージェス動物群
原作にあった表現。
ちなみにバージェス動物群の代表的な生物といえば、アノマロカリスやピカイア、そしてなんといってもハルキゲニアがいる。
・そこら辺に落ちている馬糞
交通手段に馬が使われている時代や地域では、道端に当然のように馬糞が落ちている。基本的には飼い主が回収する事はあまりなく、そこ居らに垂れ流しなのだが、馬糞には有機肥料や燃料としてそれなりに利用価値があるので誰かによっていずれ回収はされる。
・チアノーゼ
皮膚が青紫色の状態。と言ってもドラーグ人やナヴィやシヴァ神というわけではない。
要は鬱血した状態なのだが、厳密には毛細血管血液中の還元ヘモグロビンが5g/dL以上で出現する状態。
病気や怪我で肌が青白くなっている時に「大変だ、肌が青白くなってしまっている」よりも「チアノーゼが起きている」のほうが、なんかそれっぽいから物語やフィクションなどで良く使われる言葉である。