夜。
それは日没から日の出までの、世界の半分を支配する時間。
夜になると、人はその動きを狭めます。
もともと人間は日の出とともに起き、日没とともに寝るという生き物です。
何億年という生命の歴史によってもたらされた人間の体内時計は、昼明るいという状態にあって初めて正常に機能するものなのです。
人間が火を使うようになり、夜間に行動出来るようになってからもその本質は変わらず。
やはり人は闇夜で物が見えず、夜の眠気で力が入らず、夜の寒さに体が強張ります。
夜になれば人の行動範囲は極端に狭まり、そして個々の能力かなり制限されてしまうのです。
しかし、それと対照的な存在がいます。
そう、それは吸血鬼。
人間が弱まる夜にこそ、吸血鬼は活発に動けるのです。
もちろん、エルザも例外ではありません。
真っ暗な林の一角。
普通の人間では何も見えなくなるような闇のなかで、
エルザはゴソゴソと活動していました。
エルザは地面に文字を書きつつ頭の中身を整理しています。
自問自答をするようにして、彼女は考えを纏めていきました。
「再確認よエルザ。
テオはエンチラーダを裏切り者だと思っている。
事実かどうかは別として、テオはそう確信している。
テオはいい加減だけど、同時に現実主義者でもあるから、たぶん勘だとか、根拠の無い予想だとかじゃないわ」
そう言いながらエンチラーダは地面に書いた『テオ』の文字を二重に丸で囲いました。
「つまりテオにはエンチラーダが裏切り者であると断ずるだけの何かを知っている。
いいかえれば、エンチラーダは裏切り者と思われるほどの行動、行為をしている。
一体、エンチラーダは何をしたのかしら。
テオのオヤツを黙って食べたとか?
…さすがにそれは無いか」
そう言うと、エルザは地面に書かれた『オヤツ』の文字をグシャグシャを踏み消しました。
「でもどうしても信じられないのよね。エンチラーダが裏切り者?
あの揺るぎない忠誠心が嘘だとはどうしても思えない。
いや、その考えこそが危険ね。
テオもエンチラーダも擬態の天才。初めて会った時、微塵もあの強さを予想出来なかったじゃない。
吸血鬼を越える擬態の天才だもの、可能性はゼロじゃない」
エルザはその後もしばらく地面に何やら書き込み、独り言を言いつつ、脳内を整理していきます。
しかし、いくら考えても答えは導きだされませんでした。
所詮考察は予想の羅列に過ぎず、何一つとして確証を得られていないのですから当然とも言えました。
「ああ、やっぱり考えた所で埒が明かないわね、やはり大切なのは行動だわ。
エンチラーダが本当に裏切り者なのかどうかを、此の目で確認するべきよね。
さてミッションよ、エルザ。内容はエンチラーダの調査。
ちなみにこの任務に失敗してもテオは関知しないのでそのつもりで。
なおこの書き込みは2秒後に消滅する…と」
そう言ってエルザは地面に書かれた文字をザリザリと足で消しました。
「よし、このあたりの精霊との契約も完了っと…ええっと、精霊たちを混ぜずにシェイクして体にまとわせるんだっけ…最近魔法使ってないから鈍ってるわね」
エルザがそう言って呪文を唱えると、彼女の気配が希薄になります。
それは先住魔法でした。
そう、エルザはただそこで考察を重ねていたのではありません。
それはあくまでついでであり、彼女はその場の精霊と契約を結んでいたのです。
エルザが扱う先住魔法と言われるそれは、人間のメイジが扱う魔法とは違い、精霊との契約が必要となります。
エルザは気配遮断の先住魔法を使うために精霊との契約を行っていたのです。
吸血鬼の得意とする。気配を消す魔法。
と言っても、それ程に大したものではなく、せいぜい普通のメイジの使う『サイレント』の魔法のように、自分が発する音を消す程度の魔法です。
しかしその程度のことが、とても重要なのです。
尾行にしろ調査にしろ、自分の存在を相手に気取られない様にするのが、何よりもの条件なのですから。
「ととと、さてさて、エンチラーダは一体何しに森に入ったのかしら?」
そう言って彼女は森の中を睨みつけるのでした。
さて、なぜエルザが森の中に居るのか。
なぜ態々森の精霊と契約してまで先住魔法を自分にかけたのか。
そして、なぜそこまでしてエンチラーダ調査しようとするのか。
それは、エンチラーダの行動が原因でした。
エンチラーダが森に入ったのです。
日が落ちて暗くなった森に単独で入る。夜行性の動物を専門に狩る狩人でもなければ普通はしない行為です。
一介のメイドであるエンチラーダがそんなところに用があるとも思えず、どう考えてもおかしな行動です。
異常とすら言えるでしょう。
いえ、何よりも異常なのは、そのような行動を起こしておきながら、異常であると認識させないそのエンチラーダの自然さにあるのかもしれません。
誰もエンチラーダがいなくなっても気にもとめず、そしてエンチラーダが森に入ったことに気が付きもしない。
エルザだって、昨晩テオにエンチラーダが裏切り者だと聞かされたからそれに気がつけたのです。
もし、いつものエルザであれば、エンチラーダがフラリと消えても、また何処かで仕事をしているのだろうと解釈して、気にも止めなかったことでしょう。
しかし事実としてエンチラーダは夜の森に入りました。
この怪しげな行為を見逃す手は、エルザにはありません。
とはいえ、普通に追いかけては直ぐにエンチラーダにバレてしまうでしょう。
夜行性で夜の行動に優れたエルザといえど、相手はあのエンチラーダ。
生半可な尾行では、不安が残ります。
ですからエルザは態々こうして時間をかけて精霊魔法で気配を消しているのです。
暗い森の中、気配の無い吸血鬼はたとえエンチラーダであったとしても気づくことはできないでしょう。
「任務遂行は簡単だけど、正直私たちの平穏を守るのは大変そうだわ」
エルザはそう小さくつぶやくと、苦笑しながら森の中を進みます。
或いは時間をかけて探さなくてはいけないかと、エルザは覚悟していましたが、思いの外あっさりとエンチラーダの姿を見つけることが出来ました。
森の木々に囲まれた中にぽつんとある、開けた場所。
月が照らす森の中。エンチラーダは只立っていました。
森の中でメイド服という、如何にも場違いな格好であるにもかかわらず。
丸でエンチラーダは昔からそこに立っているかのように、堂々とそこにおりました。
そして、彼女は一人ではありませんでした。
彼女の前には、もう一つ佇む影が存在していたのです。
エルザは驚愕しました。
こうして、目の前の状況をみた今でも、それを信じきることができませんでした。
なにせエンチラーダの目の前に居る人物。それはエルザも知っている人間。
盗賊フーケその人だったのですから。
テオによって牢獄に入れられたはずの盗人が、なぜか今エンチラーダと親しげに会話をしているのです。
「で?アンタに言われたとおり、レコンキスタに協力したけれど?これからどうするんだい?」
フーケがエンチラーダに向かってそう言いました。
声は然程大きくはありませんでした。
しかし、100メートル先に落ちた針の音をも聴き取る女、エルザには耳元で喋られるかのように、はっきりと聞きとれました。
その言葉にエルザは驚愕します。
エンチラーダが裏切りものである。
この疑念が、いまフーケの言葉によって、疑念から決定的なものへと変わったのです。
「おや?私は別にレコンキスタに協力しろとは言っていませんよ?ただ、レコンキスタが貴方を牢から出してくれるでしょうと言ったのです」
「もうそれはレコンキスタに協力しろと言ってるのと同義じゃないか。私を牢から出したアノ男、協力しなきゃ殺すって雰囲気をバリバリに出してたんだよ!?」
「おやおや、それは災難でございましたね」
いかにも心のこもらない言い方でエンチラーダはそういいました。
「全く、他人ごとみたいに。だいたいさあ、正直な話、私はレコンキスタに牢から出してもらったわけだし、別にアンタの言うことを聞く必要もない立場なんだと思うんだけど?」
頭をボリボリとかきながらフーケが言いました。
「ええ別に義務はございません。これは純粋たるお願いに過ぎないのですから。もし貴方が拒否するというのであれば、私にはそれを止めるすべはありません。ああ、ちなみにご協力いただけるならば勿論報酬はご用意させて頂きます…ちなみにこれは前金です」
そう言ってエンチラーダは懐から小さな袋を取り出し、それをフーケに向かって投げました。
フーケはそれを受け取ると、中身を見て何やら驚愕した様子です。
「こりゃあ…」
「勿論もし行って頂けるのでしたら、それ以上の金額を用意させていただいております」
「まあ、報酬が得られるってうならば別に良いんだけど…」
先ほどの様相とは打って変わって、フーケの顔はにこやかになっていました。
恐らく、かなりの金額、或いは価値のあるものが袋には入っていたのでしょう。
「では、その袋に入っている指示書の通りに動いてください、なに、どれも貴方であれば簡単に出来ることばかりですとも」
「…まあ、見る限り確かに、特別難しい事は書いていないようだけど…」
フーケは袋の中から一枚の紙を取り出すと、それを読みながら言いました。
その様子を見てエルザは思案しました。
どうやらフーケを牢から出したのはレコンキスタのようです。そして今はフーケ自身もレコンスタの一員。
そして、エンチラーダ自身はレコンキスタとの直接の繋がりは無い様子です。
フーケとの繋がりはレコンキスタを介さない、個人的なもののようです。
「でもさ、この左に丸印が書いてある指示はいったいなんだい?」
フーケが手に持った紙を叩きながら言いました。
「ああ、それは場合によってはやらなくても良い指令です。万に一つ、貴方の相棒であるあの男が目的を達成できなければ、それらは行わなくても構いません」
「アンタは…つまり、自分たちが負けると思ってるのかい?」
その言葉にエルザは驚きました。
そう、恐らくエンチラーダのいう「フーケの相棒」とはレコンキスタの人間なのでしょう。
そしてそのレコンキスタの人間が目的を達成する。
すなわち、テオ達一行が負けると言うこと。
其れを、エンチラーダはさも当然のように言っているのです。
「ご主人様個人が負けることは無いでしょう。しかし、あの男と戦うのは『伝説』でございますので」
「伝説?」
伝説?
フーケ同様にエルザもその言葉に首を捻りました。
伝説?
伝説とは何だろう?どんな伝説なのだろう。
いや、エンチラーダの言いぶりからすると、誰かの事を指しているようです。
話からしてどうにもテオのことを指しているのでは無いようです。
「ええ、といっても、伝説は大抵において尾ひれが付くものです。実際の彼は、まあそれなりに強い戦士程度の実力しか持ち合わせていません。それでもあの男に打ち勝てるだけの実力はあるのでしょうが…まあ、正直、現時点ではドチラが勝つのかはわかりません。が、私個人はは恐らく伝説は負けるような気がします」
「へえ…でもその伝説ってのはなんだか強そうな響きじゃないか、あんがいあの男に勝っちゃうかもしれないよ?」
フーケがそう言うと、エンチラーダは笑いました。
月に照らされたその表情。
それはエルザにもしっかりと見えました。
それは嘗て初めてエルザがエンチラーダにあった日。
エンチラーダが見せた、あの恐ろしい笑と同じ物でした。
「そうですね、確かに、可能性はゼロでは無いのでしょう。条件がそろうならばきっと彼はあの男に勝てるでしょう。しかし、あいにくと今の彼には、
伝説が一つ足りないのです」
その場からすでに遠く離れたトリステイン魔法学院。そこの学生寮にあるテオの部屋。
その部屋の隅で鞘に入れられたまま無造作に置かれていたデルフリンガーが、コトリと音を立てました。
しかし、ただそれだけ。
ただそれだけでした。
◇◆◇◆
美しい月夜。
月の光に照らされながら、宿のベランダでサイトは剣を振っていました。
丸一日。サイトは食事をする時間以外を剣を振ることに費やしていました。
手は痺れ、肩は痛み、腰も、足も、疲労で震え始めました。
それでもサイトは剣を振りました、
一回毎に、サイトの悩みは少しずつ薄れるような気がしました
ほんの少しずつ、其れこそ刹那にも満たないほどですが、剣を振るごとに自分がテオに近づいて行くような気がしたのです。
「ねえ、アンタ、いつ迄剣を振ってるの」
ルイズの声が響きました。
「…」
その問いに答えること無く、サイトは剣を振り続けます。
「そりゃあ、負けて悔しいのはわかるけどさ、だからって剣を振ってればいいってもんじゃ無いと思うんだけど」
「…」
「ねえ」
「…」
「ちょっと何とか言ったらどうなの!」
「え?あ、ルイズ…いたんだ」
耳元の大声に、サイトは驚いたように声をあげました。
「い…いたんだじゃ無いでしょ!この馬鹿犬!!!!」
「いや、悪い、つい夢中になって」
「夢中って…」
ルイズはため息を一つつきました。
「なによワルドに負けたくらいで、そんな馬鹿みたいに練習すること無いじゃない」
「いや、そんなんじゃないんだ」
差も当然といった様子でサイトはそう言いました。
そのあまりにも平然とした様子に、ルイズは少し驚きます。
「多分さ、俺はあそこで鼻っぱしらを折られて良かったんだと思う」
「はあ?」
ルイズはサイトの口から出たその言葉が信じられませんでした。
「俺はさ、甘えてたんだ。確かに理不尽でクソッタレた状態だよ。不満だらけだ。でもさ、だからって不満を言うばかりじゃあそこらの子供と変わりない。やっぱりさ、今の状況に不満があるなら、自分で打開しないとな。男なら。うん」
剣を振る手を休めること無く、サイトはそう言いました。
口調は明るいものでしたが、その表情はとにかく真剣で、ルイズは不覚にも、そのサイトの表情にドキリとしてしまいました。
「ま…まあ、アンタは私の使い魔なんだから、そうやって自覚を持って努力することは悪いことじゃないけど!」
少し顔を赤くしながらルイズが言いました。
「いや、別にそういうわけじゃ…って、なんだありゃあ!」
突然サイトが大声で叫び、ルイズが振り返ります。
驚くサイトの視線の先には、真っ黒い大きな影が月の光を遮って居ました
「ゴーレム!?」
ルイズが叫びました。
彼女の言うとおり、其れはゴーレムでした。
しかも見覚えのあるゴーレム。
嘗てテオが倒した、フーケの巨大ゴーレムだったのです。
そして其れを肯定するように、そのゴーレムには嘗て何度も見た、フーケの姿がありました。
「「フーケ!?」」
二人は同時に怒鳴りました。
「あら、おぼえててくれたのね?」
ゴーレムの肩に座った人物がうれしそうに答えます。
「おまえ牢屋に入ったんじゃあ…」
サイトはフーケの方に剣を構えながら言います。
「私のような美しい人はもっと世にでるべきだって人がいてね、そのご期待にあわせてこうしてやってきたわけだけど…」
そう言ってフーケは肘より先のない右手を振りました。
暗くて良く見えませんでしたが、その隣には黒いマントを貴族らしき男が立っていました。
サイトとルイズはその男がフーケを脱獄させたのだと確信しました。
「そりゃまた奇特な奴が居たもんだ。で、ここに何しにきやがった」
「素敵なバカンスのお礼に来たのよ」
フーケがそう言うと、ゴーレムの拳がサイトたちの居たベランダを破壊しまします。
それはサイトたちに当たることはありませんでしたが、足場の大半を破壊し、破片が当たりに散らばります。
サイトはとっさにルイズを掴むと、そのまま駆け出しました。
部屋を抜けて、一階へと階段を駆け下ります。
そして何とか仲間と合流しようと、皆が居るであろう一階の酒場に向かいました。
降りた先の状況も、壮絶なものでした。
突然玄関からなだれ込んだ傭兵たちが、酒場を襲撃していたのです。
酒場に居たギーシュ、キュルケ、タバサ、ワルドも戦闘に巻き込まれ、果敢に応戦していますが相手の数が多くかなりの苦戦を強いられていました。
皆はテーブルを盾に魔法を使いますが、相手の傭兵たちはメイジとの戦闘に慣れているらしく、魔法の射程外に陣取って一方的に矢を射かけてきます。
結果、皆は傭兵たちの攻撃を防ぐのが精一杯です。
すでに負傷者もではじめていて、店主らしき男などは右手を射られたらしく、腕をおさえながらのたうちまわっています。
サイトはテーブルの影に隠れるキュルケたちの下に姿勢を低くしながらかけよりました。
外にフーケが居ることを伝えようとしましたが、それを口にするまでもなく、扉の外からはフーケのゴーレムの大きな足が姿をのぞかせています。
「参ったね」
ワルドのその言葉にキュルケが頷きました。
「フーケが居るってことは、アルビオン貴族が絡んでいるってことだよな」
「アイツら、こっちが疲れるのを待って、私たちの精神力が切れたことを見計らって突撃してくるつもりよ?」
「ぼ…僕のゴーレムで防いでやる」
ギーシュが青い顔でそう言いました。
キュルケは冷静にギーシュの実力と敵の戦力を比較した上で言いました。
「ギーシュ、アンタのゴーレムじゃせいぜい数人が関の山。相手は手練が中隊程度の量居るのよ?それに外にはフーケだって。テオのゴーレムならばまだしも…」
そこまで言ってキュルケはハッと気が付きました。
いま、このメンバーの中にテオが居ないことに。
「そう言えばテオは?」
「言われてみれば…居ないな」
「ひょっとしてまだ部屋にいるのかしら」
その時、聞き覚えのあるのんきな声がその場に響きました。
「おやおや、吾が夕食を取ろうと来てみれば、予想外の混雑。これではゆっくり夕餉がとれんではないか」
「ご主人様?何やら何時もと様子が違うようですが?」
「人いっぱい…」
「知ったことか…ああ、あのカウンター席が開いているな…何やら店主が腕に矢を生やして床を転げまわっているが、斬新な出迎え方だな。エンチラーダ、チップははずんでやれ」
「ちょっとアンタ!この状況を理解してないの!?」
テオたちの服をグイッと引っ張り三人をバリケードの影に押し倒しながらキュルケが叫びました。
「状況?何やら騒がしい上にテーブルもむちゃくちゃだが、なんだ?誰かのお祝いか?パーティーにしても騒ぎ過ぎじゃないか?」
「駄目だこいつ早く何とかしないと」
思わずギーシュがそう呟きました。
「あのね!今私たち傭兵たちに襲われているのよ!食事なんて出来る状態じゃないの、見てわかりなさいよ!」
「つまり、傭兵たちが邪魔で満足に夕食が食べられない状態ということか?」
「言うまでも無くそのとおりよ!」
ルイズの叫びにテオは少し考える素振りを見せ、そしてこう言いました。
「…なるほど、之は大問題だ」
このあまりにも緊張感の無いテオに対して、一同はもはや呆れを通り越して感動すら覚えました。
なぜこんな逼迫した状態でも、この男はこんなにもマイペースなのか。一同はある種尊敬にも近い感情を抱きます。
「諸君」
ワルドが低い声でいいました。
一同は黙ってワルドの声に頷きました。
「このような任務は半数が目的地に辿りつけば成功とされる」
その意味を理解したのか、その言葉にタバサがすぐに反応し、自分たちを指さし『囮』と呟きました。そしてワルド、ルイズ、サイトを指さし『桟橋へ』と呟きます。
つまり自分達が傭兵を抑えている間に、三人はアルビオンに向かえと言っているのです。
しかし、それにはルイズもサイトも戸惑いました。
「え?ええ??え!?」
「今から彼女たちが敵をひきつける。出来るだけ派手に暴れてもらって、その隙に僕達は桟橋に向かう」
「でも…」
ルイズはキュルケの方を見ました。
キュルケはその視線に気がつくと髪をかきあげ、こう言いました。
「まあ、正直私らはこの任務がどんなものなのか、良くわかってないしね。行くならとっとと行きなさい」
ギーシュはバラの造花を握り締めました。
「どうかな、僕は、僕は此処で死ぬかな、でもそれはいやだな。でも、僕のゴーレムならば大丈夫さ。きっと大丈夫」
タバサはルイズに向かって頷きました。
「行って」
しかし一人、異を唱える人間がおりました。
「俺は…俺は反対だ」
サイトが言いました。
その言葉に一同は驚いてサイトの方を見ます。
「これじゃあ逃げてるのと変わらない。敵はこの任務の妨害に来てる奴らだ。つまり、これは俺達が戦うべき相手なんだとおもう。其れを人に任せて逃げるなんて。俺はしたくない。確かにさ、任務は大切だよ、だけど、任務のために仲間を見捨てるなんて。そんなの…男じゃねえとおもう。行くならばルイズとワルドの2人で行ってくれ。俺は、俺のやるべき事をする!」
そう言ってサイトが剣を構えました。
サイトの今までに無い真剣な表情に、一同は驚きの声をあげました。
「何言ってんのよ、それじゃあ誰がルイズを守るの!?」
「ワルドが居る。悔しいけれど、俺よりもワルドのほうが実力は高い。頼んだ!」
「ば…馬鹿いってんじゃないわよ!アンタは私の使い魔なのよ!!御主人様と一緒に来るのが当然でしょうが!」
ルイズが叫びますが、サイトの考えは変わりません。
「悪いなルイズ。でも俺、決めたんだ、もう甘えないって。俺はここに残ってみんなを助ける。俺の事は気にしないでルイズは早く行け」
その表情、そしてその声に。一同はサイトの意思が硬いことを悟りました。
「ルイズ、此処は彼の意見を尊重しよう」
そう言ってワルドがルイズの肩を掴みます。
「ば…馬鹿!何処の世界に使い魔おいて逃げる主人が居るっていうのよ!」
泣きそうな声でルイズがそう言います。
「ルイズ、お前はお前のやることをしろ、俺は俺のやることをする!」
その時。
テオの言葉が響きました。
「馬鹿か、貴様?」
「「え?」」
「弱い弱い役立たずのお前が、頑張った所で邪魔でしか無い」
テオは冷めた視線でテオはそう言いました。
「ちょっとテオ!」
キュルケがテオを窘めますが、テオは笑いながら言葉を続けます。
「大体先刻から聞いていればなんだ?頼る?助ける?つまりお前は、お前が此処で戦わないと吾らがピンチだと、そう言ってるのか?吾がこんなザコどもにやられると、本気で思ってるのか?だとしたらそれは侮辱だ。切り刻んで捨てるぞ?お前がするべきことは他にあるだろう?」
サイトは、テオのその言葉にハッとしました。
その言葉に再度、サイトは気付かされました。
自分の未熟さを。
テオ達を守る。
それはとてもナンセンスなことなのです。なにせテオは自分なんかよりもずっとつよいのですから。
それを守るなんて、いわばアリがゾウを守ると言っているようなものなのです。
そしてテオの言う『するべきこと』
サイトの本当にするべきこと。
其れは任務の達成ではありません。
そして傭兵退治でもありません。
それはルイズを守ること。
魔法が使えなくて、プライドばかり高くて。
はっきり言って、殴り飛ばしたくなるくらいワガママで自分勝手で、
でも、その反面でサイトのことを変に気遣って、それで、なぜかどうしても嫌いになることが出来ない自分の主人。
ルイズを守ることこそが、本当にサイトのするべきことなのです。
まるでそれを思い出させるように、テオはドンとサイトの胸を押してサイトをルイズの方に突き飛ばします。
「ルイーズ、お前もこいつの主人ならば責任持ってお前が持っていけ、こんな所に捨てていこうとするな」
「さ…サイト。と…とにかく行くわよ!テオもこう言ってるんだし!テオ!ココまで言うからには任せていいんでしょうね!」
ルイズはサイトの腕を掴みながらテオにそう言いました。
テオはその言葉に答えずただ一言。
「とっとと行け」
そう言って、追い払うようなジェスチャーをしました。
その様子にルイズは少し怒りを含んだ表情でサイトを引っ張りながら裏口へと向かいます。
ルイズに引きずられるようにしながらサイトは何か決心したように叫びました。
「テオ!」
「…なんだ?」
突然大声をあげたサイトにテオは聞き返します。
「俺さ、俺、上手く言えないけど、頑張る。剣の練習もするし、勉強もするよ!」
「はあ?」
突然大声で訓練&勉強宣言をするサイトにテオは意味が分からないといった声をあげました。
「根性入れてさ、これから頑張る。せめてさ自分のことくらい自分でできるようにさ。だからさ…、その、テオもがんばれよ!絶対に死ぬなよ!?」
「死ぬか!馬鹿!」
サイトの言葉に珍しくテオが声を荒げました。
「じゃあな!アルビオンで待ってるからな!」
そう言ってサイトは引きずられるように裏口から出て行きました。
酒場から厨房を経由する間、ルイズは走りながら文句を言いました。
「何よあいつ!この状況でもなんであんな腹の立つことが言えるのかしら!」
「いや、アレでいいんだ」
怒るルイズに向かって、サイトが落ち着いたようすで言いました。
「はあ?」
「ああでも言わないと、俺がルイズに付いて行かないと思ったんだろ。まったく。あいつ、マジスゲーよ」
そう言ってサイトは笑いました。
その清々しいほどの笑顔に、ルイズは毒気を抜かれてしまいました。
先頭を走るワルドが、ドアの外に誰もいない事を確認するとドアを大きく開けて外に飛び出します。
そしてほぼそれと同時に、酒場の方から派手な音が聞こえました。
「始まったみたいね」
ルイズがそう言いました。
その表情にはどこか不安が混ざって居ました。
悪態をつきながらも、皆のことを心配しているのでしょう。
「大丈夫」
そんなルイズにサイトがそう言います。
「心配しなくても。アイツら殺したって死なないさ」
サイトが笑顔でそう言いました。
「し…心配なんてしてないんだからね!」
ルイズはそう言って叫びますが。
その表情から不安はきえていました。
◇◆◇◆
「テオ…アンタほんとに素直じゃないわよね」
キュルケが苦笑しながらそう言いました。
「何がだ?」
「彼に発破かけるにしてももう少し、優しい言い方があったと思うけど?」
「別にそんなつもりはない、事実として邪魔臭かったのだ。あいつはとっととアルビオンにでも行って、そこで無残に死に晒せばよい」
「ほんと、素直じゃないわね」
そう言ってキュルケはカラカラと笑いました。
「ふん、あそこでアルビオンに行くのがあいつの運命だったと言うだけのことだ」
そう言いながらテオは杖を取り出し呪文を唱えました。
すると部屋の柱の一本が燃えました。
とつぜん燃えた柱の明かりに、店内の傭兵たちは怯みます。
明るく照らされた店内をテーブルの隙間から見て、テオが言いました。
「なんだ、歯ごたえの無さそうな輩しかおらんな。強そうな奴はおらんのか?」
「御主人様、外にメイジが二人ほど居るようです、一人は見たことのないメイジですが、もう一人はミス・ロングビルのようです」
テオの隣のエンチラーダがそう言いました。
「ほう、ミス・ロングビルか、まあ彼女とは二回ほど戦ってるし、今回は別にいいか、もう一人のメイジと言うのが興味深いな…よし!こうしよう、吾はその謎のメイジを倒す、ザコどもは君等が担当してくれ、それくらい出来るだろ?」
「フーケはどうするのよ」
キュルケが扉の外から見える大きなゴーレムを指さして言いました。
「ミス・ロングビルはエンチラーダに担当してもらう。エンチラーダいけるか?」
テオはエンチラーダに向かってそう聞きました。
「当然です」
そしてその問いに対して、エンチラーダは間髪入れずに頷きます。
「え?ちょっと待って?彼女に…」
いくら何でもメイドであるエンチラーダに、フーケの相手は無理だろうと、ギーシュが言おうとした時。
エンチラーダはすでに動いていました。
シュ!っと音がして、次の瞬間、傭兵の一人がうずくまります。
「ギャア!!!」
傭兵はその場に転がり、その鎧の覗き穴から一本の銀の棒のようなものをのぞかせていました。
その棒の正体は先程までキュルケ達も使っていた馴染みのある道具。
つまり、フォークの柄でした。
「嘘!?」
思わずキュルケが叫びました。
専用の投擲道具では無く、何の変哲もないただのフォークを鎧の隙間に挿し込むなんてそれこそ神業のレベルです。
それを難なく行ったエンチラーダに対して一同は驚きを隠すことができませんでした。
「言ったろう?エンチラーダは有能だ」
楽しそうにテオはそう言いました。
一同は呆然としました。それは傭兵も例外ではありません。
その場の誰もが、そのエンチラーダの動きに見入ってしまったのです。
それはとても奇っ怪な動きでした。
まるで人間でない別の生き物のように、ヌルヌルと矢を避けるようにして動き、
そして、はね跳び、その合間に傭兵にナイフやフォークを投げつけます。
それは闇のなかで踊るがごとき、暗黒舞踏で。誰もがその動きに恐怖を感じると同時に不思議な魅力も感じるのでした。
結果、エンチラーダの前にいる傭兵たちは倒れ、そうでないものもエンチラーダから距離を取ろうと道を開けます。
瞬く間に、テオたちのいる場所から出口まで、傭兵の居ない通路が出来上がったのです。
「では吾らは行くからな、雑魚の相手は任せたぞ。」
そう言ってテオは立ち上がります。
テーブルの影から身を出したテオに傭兵たちの矢が集中しますが、矢がテオに届く頃にはもうそこにテオの姿はありませんでした。
風の魔法を唱えた彼はまるで、ガンダールヴの力を使ったサイトのように。
目にも止まらない速さで動いていたのです。
テオとエンチラーダの向かった先。
宿の外にある。巨大ゴーレムの肩の上には2つの人影がありました。
一つはそのゴーレムの造り主。怪盗フーケその人です。
そして、もうひとつの影は、仮面に黒マントのメイジでした。
「俺はヴァリエールの娘を追う」
そう言って男はひらりとゴーレムの肩から飛び降りると、そのまま暗闇に…
消えられませんでした。
彼が走りだそうとしたその時、彼の直ぐ目の前にウインドカッターが飛んできたのです。
「く!」
間一髪で男はそれを避けると、そのまま魔法が飛んできた方を睨みつけました。
「おやおや、ミスタこんな夜更けの一人歩きは危険ですぞ?」
挑発的な笑いを浮かべながらテオが男の前に立ちはだかります。
「貴様…」
仮面越しに男がテオを睨みつけますが、テオはそれを意に介しません。
「アノ小僧を殺しに行くんだろ?いやさ。別にそれはどうだって良いのだ。貴様ならアノ小僧を難なく殺せるだろうよ?別にそれを止めるつもりは無いさ。しかし。しかしね、しかし。貴様は吾に戦闘を仕掛けた。喧嘩を売られてそれを避けるほどに腰抜けでは無いつもりだ。貴様が始めた喧嘩だろ?火をつけといて逃げるのは貴族的ではないなあ」
笑顔のテオを前にして、黒ずくめの男はフーケのいる方を見ました。
彼女にこの目の前の青年の相手をさせて、その間に自分はルイズ達の後を追おうと思ったのです。
しかし、彼が振り向いた先では、すでにフーケがメイドの格好をした女と戦っておりました。
メイドは巨大なゴーレムの肩に飛び乗るとフーケと肉弾戦をしています。
まるでそれこそガンダールヴのような動きで持ってメイドはフーケに肉薄していたのです。
そうなってはフーケの魔法の腕は然程意味をなしません。
フーケは只々メイドの攻撃を防ぎながら、近くの林の陰へ消えて行くのでした。。
「ミス・ロングビルと戦うのも面白そうだったが、彼女とはすでに2回も戦っている。かといって彼女に邪魔をされても困るのでね、ご退場いただいた次第だ」
そう言ってテオは杖を構えます。
この戦いから逃れることができないことを悟り、黒ずくめの男もまた、杖を構えるのでした。
◇◆◇◆
テーブルの影でエルザは考え事をしていました。
この襲撃に関することです。
フーケがこの襲撃に参加していることを見ても、この襲撃の原因を作ったのは他でもない、エンチラーダに違いないのです。
これで、エンチラーダが裏切り者であることは決定的です。
しかし、その目的が今ひとつエルザにはわかりませんでした。
あの時、エンチラーダの話しぶりからして、エンチラーダ自身はレコンキスタとは繋がっていない様子でした。
確かにフーケはレコンキスタの一員ですが、エンチラーダはあくまでレコンキスタのフーケではなく、フーケという一人の個人に対して何かを依頼していた様子。
エルザはそこに妙な違和感を感じました。
違和感といえば、テオの行動にも違和感を感じました。
テオがエンチラーダを連れて戦いに向かったことです。
テオはエンチラーダが裏切り者だと知っています。
もし、テオがエンチラーダを本当に裏切り者だと思っているならば、先ほどの行動はとてもオカシイことになります。
なぜなら裏切り者と共に戦うなんて、絶対にあり得ないことです。
一緒に戦うということは、絶対の信頼がお互いに無ければできようはずもありません。
もしエンチラーダが裏切り者で、傭兵たちに向けているナイフを、テオに向ければその瞬間にテオは圧倒的不利に陥ります。
しかし、テオはエンチラーダに露払いを任せ、そしてフーケと戦わせています。
エンチラーダを裏切り者と言いつつその反面で信頼をするその矛盾した行為。
なぜそんな行動を取るのか。
何か、自分では理解出来ないような考えが、テオにはあるのだろうか。
そう思った時、
まるでその考えに同調するかのように隣から声が聞こえてきました。
「理解出来ない!」
エルザはその言葉にドキリとしました。
もしかして自分の心が読まれたのかと、声のした方を恐る恐る見ると、声の主であるギーシュはエルザではなく、扉の外を凝視していました。
どうやらエルザのことを言ったのではないようですが、果たして彼がなぜそんな言葉を発したのか気になってエルザは扉の外を見てみると、そこではテオが驚くべき魔法を繰り出して居ました。
どうやらギーシュはテオのその動きに対して言葉を発したようです。
「なぜだ!なぜあんな魔法が使えるんだ!?」
ギーシュは再度叫びました。
テオが有能なメイジだということは、ギーシュ達も知っていました。
メンバーの中では誰よりも強いのではないかと、そう予想もしていました。
あるいは、それこそトリステイン史上でも一番に強い可能性すら考慮して居ました。
しかし、
目の前で戦うその男は、
強いとか優秀という次元を通り越して、
完全なる異常でした。
風の魔法を、
火の魔法を、
水の魔法を、
土の魔法を、
それぞれ使って相手のメイジを翻弄していきます。
そう、まさに翻弄しているのです。
全く苦戦すること無く、ほとんど動くことすら無く魔法を繰り出すだけ。
かと言って一撃で事をおわらせるのではなく。
相手を翻弄して楽しんでいるのです。
「HAHAHAHAHAHAHAHAHA!!!!!!!!」
まるで気がちがってしまったかのようにテオは笑っていました。
純粋にテオは楽しんでいたのです。
その場の恐怖も、緊張も、怒りも、脳内に流れるアドレナリンも、すべて楽しんでいたのです。
「どうした、どうした、そんなものか?貴様の実力はそんなものか?違うだろ?」
笑いながらテオが叫びます。
誰もが、
ギーシュもキュルケもタバサも傭兵たちすらもその姿に呆然とします。
なんだ。
なんだアレは。
なぜあんなに魔法がつかえる。
なぜ。
なぜ?
なぜ2つ以上の魔法を同時に使える?
なぜあんなに早く魔法が唱えられる?
なぜアレだけの量の魔法を使い続けられる?
なぜあんなに威力の高い魔法を使える?
そして、そして、なぜあんなに、余裕を持っていられる?
「なんで、なんで彼はあんなにも…!」
ギーシュが叫びました。
それは純粋な驚きと同時に嫉妬の叫びでした。
あの異常なまでの動き、それが出来るテオの才能に、驚愕と嫉妬をしたのです。
なぜその才能が自分に無いのか。
なぜ神はテオにその才能を与え給うたのか。
あんな、あんな出来損ないの体に、なぜ不釣り合いな才能を…
もし、自分にあの才能があれば、彼なんかよりもよっぽど有効に使えるのに。
「別に不思議な事ではありませんよ」
「うわ!」
突如後ろからかけられた声にギーシュは叫びました。
「あ、エンチラーダ…フーケは?」
エルザのその問いに、エンチラーダはいつもの調子で
「ああ、逃げて行きました」
と答えました。
無論それはエンチラーダの嘘で、エンチラーダはフーケとすこしばかり戦ったふりをしただけで、フーケはそのまま穏便にその場をあとにしたのですが。
一同は簡単にフーケを撃退してしまったことを信じました。
それを信じさせるだけの実力を、先程エンチラーダが見せたからです。
ですからその言葉自体にはさして疑問を感じず、
それよりもエンチラーダが発したその前の言葉のほうに興味が行きました。
その雰囲気を察してか、エンチラーダは言葉を続けます。
「御主人様のあの魔法ですが、べつに特別な秘密が有るわけでは無いのです」
「え?」
「御主人様がなぜあんなにも天才的に魔法が使えるのか?勿論御主人様が生まれながらに才能豊かで有ることも大きいですが、それ以前に非常に単純にして簡単な『コツ』があるのです。それさえ実行すれば大抵の人間は御主人様ほど…とは言わないまでも、近いことは出来るようになると思われます」
「な…なんだってー!」
「!どんな!?」
「!!」
「ホント?」
その場の三人とエルザがエンチラーダに詰め寄りました。
簡単なコツで誰にでも出来る様になる。
その言葉は、そこにいる三人のメイジと一匹の吸血鬼の関心を大いに集めました。
そしてエンチラーダの口から語られるそのコツ。
それは非常に単純な物でした。
「ええ…簡単です爪が剥がれるまで杖を振るんですよ」
「「「「は?」」」」
「爪が剥がれるまで杖を握り、
腕が上がらなくなるまで杖を振り、
喉から血が流れるまで魔法を唱え、
魔法で体を治したらまたそれの繰り返し。
倒れるまで魔法の練習をする。
ああ、もちろん毎日ですよ」
ギーシュたちは一瞬エンチラーダが自分たちをからかっているのかと思いましたが、エンチラーダの声は真剣そのものです。
「比喩表現ではありません。実際に御主人様の嘗ての日常です」
「嘘…」
「…」
「本当なの?」
一同が疑問の声をあげました。にわかには信じられません。
言うのは簡単です。しかし、それを実行するのは現実的にはほぼ不可能だと皆には思えました。
「そうですね、私と出会う頃ににはすでに実力も上がり無茶な練習は控えられていましたが、それでも魔法の使い過ぎで気絶することは日常茶飯事でした。
御主人様は生まれた時からああも天才的だったのではありません。確かにもともと素質はあったのでしょうが、それだけで塔を抜け出す事はできようもなかったのです。ですから、御主人様は、『なった』のです。自身の力で、自身の努力で天才に」
皆は扉の外のテオを見ました。
丁度テオの魔法が相手のメイジの左腕を吹き飛ばしたところでした。
「なんだ、その程度か!?そんなものなのか?」
テオの言葉が当たりに響きます。
「私は御主人様ほどに仕えるに相応しいお方を知りません。たとえ壊れていようと、たとえ異常だろうと。アレほどに努力する人を私は他に知りません。アレほどに自分の道を自分で切り開く人は他に知りません。そして、アレほどに立派で偉大で、絶対の『貴族』を私は他に知りません」
テオの叫ぶ様子を見ながらエンチラーダが言いました。
その表情は、殆ど動いていませんでしたが、その視線と口調にはテオに対する崇拝の色が見えました。
そして、その表情を見て、一同は納得するのでした。
テオの才能の秘密を。
そして、
エンチラーダの忠誠の理由を。
そしてエンチラーダのその動きの秘密を。
テオの異常さに隠れてしまっていますが、それでも本来ならば驚愕に値する事なのです。
おそらく、エンチラーダもまた、異常なほどに己を鍛えたのでしょう。
少しでも自分の主人に近づくために。
テオにふさわしいメイドで有るために。努力を行なってきたのでしょう。
しかしエルザだけは首を捻ります。
裏切り者エンチラーダ。
彼女の主人に対する忠誠はすべて嘘なのです。
だとしたら、だとしたら、なぜエンチラーダはああも動けるのか。
努力は嘘がつけません。努力だけは、努力だけはごまかしようが無いのです。
嘘で人は強くなりません。
彼女がこうも強いのは事実努力したからなのです。
そして、大いなる努力は、大いなる信念によって引き起こされます。
エンチラーダはなぜ努力したのか。
テオが塔から逃げるために努力したように。
エンチラーダにも確固たる目的があるはずなのです。
もし、その目的が、テオの為でないのならば。
果たしてエンチラーダの目的とはなんなのか。
あの絶対的な忠誠の仮面の下に一体どんな目的が潜んでいるのか…
ボズ!!!
奇妙な音が響きました。
エンチラーダが音のした方を見ると、テオが相手のメイジの上半身を吹き飛ばしたところでした。
そして、次の瞬間には、相手の男は煙のように消えてしまいました。
恐らく相手は魔法で作られた偽りの体だったのでしょう。
「ああ、終わった終わった。案外あっけなかったな」
そう言ってテオは宿の方へと戻って来ます。
傭兵たちは自分たちの雇い主が消えたことを知って、さんさん轟々逃げ始めています。
「お疲れ様でございました」
戻ってくるテオに向かってエンチラーダがそう言って迎えます。
「うむ、さて、思いのほか早く終わったが…どうするかな、あの一行を追うべきか」
「恐らくその必要もないでしょう、要は手紙を取り返せば良いのです、タイミングを少し早めれば丁度よい時間かと」
「ふむ、それもそうか」
そう言ってテオは笑いました。
それは何時もの光景。何時もの様子でした。
異常な状況をニヤニヤと笑うテオと、その傍らに絶対の忠誠で付き従うエンチラーダ。
テオたちの日常的な様子。
その様子に、
エルザは震えました。
なぜ、なぜテオは笑っていられるのか。
自分を裏切る人間の中で考えうる限り最悪の相手が裏切っているのに。
どうしてそんな笑顔を向けられるのか。
なぜ、エンチラーダは平然としていられるのか。
この世の中で最もエンチラーダを信頼する人間を裏切っておいて。
どうしてそんなに当然のような表情が出来るのか。
二人の浮かべる笑顔も、言葉も、行動も。
すべて嘘のように見えて
エルザは、
只々、恐ろしくなるのでした。
◆◆◆用語解説
・オヤツ
エルザの想像。
「おや…こんな所に御主人様の食べかけのプディングが…。
…
……
食べかけ…
……
御主人様の食べかけですか…」
葛藤するエンチラーダ。しかし彼女は誘惑には勝てず、
そしてとうとうその食べかけのプディングに口を…
その時だった。
ガタン!
「!」
突然自分の後方でした音に、エンチラーダが驚いて振り向くと、そこには怒りの表情のテオが居た。
「なんという事だ、ちょっと吾が手洗いをしている間に…まさか吾のオヤツを横取りしようとは…」
「御主人様…これは…」
「このうらぎりものー!!」
・なおこの書き込みは5秒後に消滅する
お気づきの方も多いだろうが、今回の話にはスパイ系のパロディ台詞が混ぜられている。
ちなみに元ネタは以下。
『なおこの書き込みは5秒後に消滅する』スパイ大作戦
『混ぜずにシェイク』007
『任務遂行は簡単だけど、正直私たちの平穏を守るのは大変そうだわ』スパイキッズ
『100メートル先に落ちた針の音をも聴き取る女、エルザ』スパイ ダーマン(東映)
・俺さ、俺、上手く言えないけど、頑張る。
ティーン!
テオの予期していない所でサイトとテオに友情フラグが立ちました。
・暗黒舞踏
暗闇の中、白い格好でヌルヌル動く独自の舞踏。
妙な迫力がある。
・発破
爆発によって何かを壊すこと。ルイズの得意技。
転じて強めの励ましのことを「発破をかける」と言う。
間違って文字通り他人を爆発させないように注意しよう。