その日。
雄鶏よりも早く、エンチラーダの朝は始まりました。
エンチラーダはテキパキと身支度を済ませると、未だ夢の世界を彷徨うエルザにバラ水を霧吹きで吹きかけます
チリチリと細かい霧がエルザの頬に掛かり、エルザはさわやかな香りと頬に伝わる冷たい感触で目を覚ましました。
それは今までのエルザの生涯において、一番に優雅で最高の目覚めで。
同時に最低の目覚めでした。
なにせ、目を開けて一番に。昨日散々恐れたその人物が目の前に居たのです。
「おはよう御座いますエルザ」
「お…おはよう、ございます、エンチラーダ様!!」
エルザがそう挨拶するとエンチラーダはため息を一つ付きました。
「様は不要です。それを付けるべきは我らがご主人様に対してで、私はあくまであのお方の使用人ですので立場的には別に貴方の上と言うわけでも有りません」
「は…はい」
「それと、昨日までの演技はどうしました?別に演技をしろとは言いませんが、ご主人様の前でそのような態度はしてはいけません、あのかたは砂糖細工のハートですから、見た目子供の貴方が怯えた態度を取れば、それはそれは傷つきます」
そう言ってエンチラーダは少しばかり眉を下げました。
それは実に囁かな表情の変化で、注意深く見ていないと見逃してしまいそうなほどでしたが。
普段から表情の乏しいエンチラーダにしては最大級の不満顔でした。
「それに、私も多少傷つくのですよ?」
「……」
その言葉には嘘は有りませんでした。
エンチラーダは、別段エルザに対して敵意も警戒心も持っていなかったのです。
エンチラーダにとって、エルザは『主人の使い魔』であって、それ以上でもそれ以下でも無いのです。
主人と常に居るエンチラーダは、エルザとは今後、長い長い付き合いをする事になります。
で、あるならば、出来るだけお互い仲良くしたいと言うのがエンチラーダの考えでした。
「さあ、立って。今日も一日の始まりです。びくびくと一日を過ごすよりも少しでも今日という日を楽しんだほうが得でしょう?」
そう言ってエンチラーダはエルザの頭をなでます。
エルザはそれに恐怖をしました。
なにせ得体のしれない存在が、今、自分の頭を撫でているのです。
もし、自分がこの目の前の女の機嫌を損ねれば、この撫でている手は容赦なく自分を殺してしまうと。そう思うと恐怖を感じずには居られませんでした。
しかし。
不思議なことに。
奇妙なことに。
おかしなことに。
その恐怖と同時に。
エルザは得も知れない喜びも感じていました。
それはもしかしたらエルザの吸血鬼としての本能だったのかもしれません。
人間に擬態し、人間の保護を良しとする吸血鬼にとって。
絶対の強者からの好意は絶対的な喜びを彼女に与えるのです。
エンチラーダの指がエルザに触れる度に。
エルザの中を恐怖と幸福の2つの感情が走りまわるのです。
「ではまずは厨房へと参りましょうか…ああ、そこのフード付きのショールを纏うと良いでしょう。室内とはいえ朝ですので、日に当たる場所も多いです…それにまだ冷える季節です」
「はい」
フード付きのショールは、少しばかりエルザには大きくて、まるでマントのようでした。
体の殆どを布ですっぽりと覆い、エルザはエンチラーダについて行きます。
「エンチラーダさんおはよう御座います」
「おや、シエスタ女史、おはようございます」
「…ええっと、その隣にいる子供は?」
シエスタはエンチラーダの隣に佇むエルザを見ながらそう言いました。
「昨日ご主人様が召喚しました子供です。エルザと言います」
「ああ!あの噂の。ええっと…おはよう御座いますエルザちゃん」
「おはようございます」
エルザは礼儀正しく返事をしました。
普段のエルザであれば、人見知りをするような、少し怯えた表情をそこに入れるのですが、ここではそれはしませんでした。
そういった行動を、あまりテオとエンチラーダが好まないと思ったからです。
「か…かわいい」
如何にも子どもらしいエルザの反応にシエスタは骨抜きです。
「一応皆さんに紹介をしておこうと思いまして」
「ええ、そうですね。きっとみなさん気にいると思いますよ?」
「では」
「バイバイ」
「ええ。バイバイエルザちゃん」
次にエンチラーダたちが訪れたのは厨房でした。
「よう!エンチラ……その子供は?」
マルトーがエンチラーダの隣の子供を見てそう言います。
「ええ、実はご主人様が昨日召喚した子供で、エルザと言います」
「おはようございます」
「おう、おはよう。…そうか、変わった貴族だとは思っていたが、呼び出したのもやっぱり変わってたんだな」
何やら納得と呆れの入り混じったような声で、マルトーは言いました。
「今日はこの子に学院を案内しようと思いまして、申し訳ないのですが朝の手伝いは…」
「ああ、別に構わねーよ。むしろ、いつも言ってるけれどお前は手伝う必要もないんだ、一々断らずに休みたい時は休めばいいさ」
「ありがとうございます」
「バイバイ」
「おう、またな嬢ちゃん」
そんな調子でエンチラーダはエルザに学院の中を案内して行きました。
広い図書館、動く絵、踊る石像、室内の噴水。
それらをエルザに見せていきます。
エルザは緊張しつつも、今まで見たこともない貴族の学舎に興奮をせざるを得ませんでした。
エルザは長い年月を生きた吸血鬼でしたが、その人生の大半を平民に紛れて生きてきました。田舎の村で平民の生活をしていたエルザにしてみれば、まるでお伽話の世界に入り込んだように凄いものだったのです。
そしてエンチラーダとエルザが最後に訪れた場所が、
「さて、ココがご主人様の部屋です。っと言っても昨日すでに来てますから、知っているとは思いますが」
テオの部屋でした。
エルザは唾を飲みます。
エンチラーダと言う、よく解らない何か。それは確実に自分が敵うことのない、悪魔のような存在です、
そしてその悪魔が崇拝するテオフラストゥスという人間。
一体如何なる者なのか。
少なくとも目の前の女を従えるだけの存在であるわけです。
昨日の時点で彼に対してはさしたる恐怖を感じませんでした。
しかし、考えてみればそれこそが一番に恐ろしいことです。
なぜならテオフラストゥスは吸血鬼すら騙し通していたことになるのです。
あの優しさも、あの間抜けな言動も、あの甘さも。
全ては演技だったのです。
擬態の天才である吸血鬼以上のミミック。
テオフラストゥスの本性とは一体いかなるものなのか。
あのニヨニヨと笑う笑顔の下にどんな本性が隠されているのか。
それを想像するほどに、エルザは恐怖をせずには居られなかったのです。
カチャリと音を立ててエンチラーダが扉を開けます。
物音一つしない室内は、朝だというのに暗くて、まるでそれこそ吸血鬼の塒のようでした。
そしてその暗い部屋の奥のにあるベット、テオはそこで眠りの世界をさまよっていました。
エンチラーダとエルザは一歩ずつそこに近づいて行きます。
エルザは一歩近づくごとに自分の心臓の鼓動が強くなることを感じました。
そしてベッドの隣にたどり着いた時。
そこに横たわるテオは、
「う~ん、う~ん。もう食べられない」
「この、如何にもな夢を見てらっしゃるのが我らが愛すべきご主人様です」
「…」
「え?甘味?ならば別腹だからもう少し食べるか~むにゃ」
「この麗しき寝顔を見ているだけで、今日も一日がんばろうと言う気にもなりますね」
「……」
エルザは戸惑いました。
寝ている間も擬態をしているのだろうか。
しかし目の前のよだれを垂らしながら寝ているのは何なんだ?
これが本当にコノ悪魔を従える男なのか?
そんなエルザの困惑をよそに、エンチラーダはテオを起こします。
「ご主人様おはようございます」
「もうお腹…んん?」
エンチラーダの優しい揺さぶりで、テオは目を覚まします。
「ふむ…ああ、エンチラーダかそれと…こども?」
「ご主人様、エルザですよ、昨日召喚したじゃないですか?」
「昨日?ああ、吾の召喚した子だったな。うむ、おはようエルザ」
そう笑顔で朝の挨拶をするテオ。
それは屈託の無いもので、とてもその表情の裏に恐ろしい本性が隠れているようには見えませんでした。
「しかし今日は一段と早いなあ、いつもは朝食の頃に来るはずだろう?」
「ええ、今日は折角ですからエルザに学院の案内をしておりまして、ついでに朝のご挨拶をと思ったものですから」
「ふむ…せっかくだ、今日は久しぶりに食堂で食事をするか」
「ヨロシイのですか?」
「まあ、貴族の食卓というものになれさせておいたほうが良いだろう。今後の人生を吾と過ごすのだ」
そういうテオの様子は、やはり昨日見たままに、甘くてチョロイ。如何にもお人好しのメイジのそれで。エルザは、なぜエンチラーダが彼を崇拝するのか理解できませんでした。
◇◆◇◆
魔法学院の食堂はそれはそれは立派なものでした。
テーブルには豪華絢爛な飾り付けがなされ、
たくさんのローソクには惜しげなく火がともされ、かごにはフルーツが盛られています。
「すごいすごい!」
それは演技ではなく、エルザの本心でした。
エルザはこのように豪華な食事を見たことがなかったのです。
吸血鬼にとって、本来人間の食事はさして興味を引くものではありませんでした。
それは吸血鬼にとって、動植物の死体であって、食欲を唆るものではなかったのです。
しかし、そんなエルザでさえ、目の前に広がる沢山の食事には感嘆の声を上げざるをえなかったのです。
「すごい!」
「これ、あまり飛び跳ねるな、お前は…吾の膝だな」
そう言ってテオはエルザを自分の膝の上にのせました。
「ねえ、テオ、食べていいの?これ、食べちゃっていいの?」
「まあ好きなように食べれば良い…が、あまり汚らしく食べるのはよろしくないぞ」
「は!!?」
その時エルザは思い出しました。
昨日エンチラーダに言われた言葉を。
『マナーを守ること』
不必要に騒ぐ事はどう考えても良いマナーとは思えません。
「どうした、急にしおらしくなって」
「マ…マナー良くしないと…」
エルザの言葉にテオは微笑をその顔に蓄えました。
「まあ、その通りではあるが、然程気にし過ぎなければ構わんよ。マナーなんぞ社交界で媚を売るような輩が覚えれば良いことだ。あまり不快にならない程度にしていればそれでよい…ただ、むやみに騒ぐには確かによろしくは無いなだ…例えば…」
そう言ってテオが視線を向けた先。
そこには一人の男がキョロキョロと辺りを見ながら何やら騒いでいます。
「こんなに食べられないよ!俺!参ったな!ええおい!!お嬢様!!」
それは昨日ルイズが呼び出した使い魔。
サイトという名前の使い魔でした。
「ああいう風に騒ぐのは頂けない」
テオはサイトを見ながらエルザにそう言います。
「多少騒ぐのは構わんだろうが場所に合わせた行動が必要である。時と場所に合わせて相応の行動を心がけるべきだ、ああいうのは兎に角浮くのでな。見てて見苦しい」
確かにその男は食堂で一人だけ浮いていました。
如何にもお上りさんのようなその様子は、見ている方が少し恥ずかしくなってしまいます。
「なるほど」
エルザはそれをみて見苦しく騒ぐのはやめようと思いました。
少なくとも、自分はあのように見られたくはなかったからです。
「平民でさえそうなのだ、貴族には特に気品が必要だ。それは偉そうにふんぞり返ることではない。気品たるものこそが貴族である。例え相手が平民であっても、気品を忘れず紳士淑女的に対応するものだ。それができないものは貴族として失格である。例えば…」
そう言ってテオが見た先。
そこには小さな少女がハシャグ男に冷たい視線を向けていました。
「…アンタは私にの特別な計らいで床」
そう言ったのはルイズという、昨日サイトを召喚した少女でした。
「ああいうのは頂けない。人間を犬扱いするという行為には気品が全くない」
「なるほど」
それはまるでお伽話に出てくる意地の悪いメイジのようで。
平民に床で食事をさせるその姿は、まさに悪役のそれでした。
「って…先刻からごちゃごちゃ横で言ってるけれど!いつもは自分の部屋で食事するアンタが何で今日に限って食堂に居るのよ!」
テオの声が聞こえていたのでしょう。
ルイズは怒りを含んだ声でテオに話しかけます。
「なに、せっかくなのでエルザに食堂を見せようと思ってね、こうして一緒に食事中だ」
「なによ、あんたこそ使い魔を膝に乗せて食事なんて…まるでマナーがなっていないじゃない」
ルイスの言葉は確かに間違えではありません。
貴族の家庭において、子供を膝に乗せて食事をするというのはまずありえないことでした。
というより、貴族の世界で子育ては本来乳母にでもやらせることで、貴族自身が膝に子供を乗せるのは、マナーに反した行動です。
しかし、テオはそのルイズの指摘に対して、顔色ひとつ変えずに答えました。
「は!くだらん。全くもって意味のないマナーだ。子供を膝の上に乗せてはいけない?非効率極まりないではないか。一々係の者を呼び寄せて、彼女の食事を手伝わせるのか?良いかねミス・ルイーズ。形式化したマナーはな、一種の儀式であり、そして意味の無い儀式はな。ただの愚行というのだよ」
そう言いながらテオは口を歪めます。
その貴族らしからぬテオの言葉に、ルイズは呆れてしまいました
「そう言う君こそマナーを勘違いしている。そのような汚らしいものを食堂につれてくる人間に言われても困るね。全くこの食堂はあくまで貴族のための食堂だ、入るべきは貴族とその使用人であって、使い魔は使い魔用の宿舎で食事をするべきなのだ」
テオはサイトを指さしてそう言いました。
その言葉にサイトは少なからず腹を立てましたが、彼が文句をいう間もなく、隣のルイズの口が開いていました。
「あんた言ってること無茶苦茶だって理解してる?」
ちょこんとテオの膝の上に座るエルザを指さしながら、ルイズはテオに言いました。
「むさっ苦しい男と可愛い幼女を一緒にするな!」
怒鳴るようなそのテオの言葉に…
「納得できちまうだけにすごく悔しいぜ畜生」
サイトは納得してしまいました。
確かにサイトがテオの立場だったとして、自分のような男と、エルザのような少女、ドチラを傍らに食事をしたいかと問われれば、断然エルザです。
サイトはエルザと自分の食卓を比較しました。
かたや貴族と一緒に楽しい朝食。
ご主人様と一緒に美味しそうに料理を頬張る子供。
かたや一人寂しく床で食事をする自分。
硬いパンを齧りながら冷たいスープを飲む。
二人の話部位から。自分とエルザの境遇は同じ使い魔のようです。
しかし、この扱いの差。
サイトは不満を感じざるをえませんでした。
そしてそんなサイトの気持ちを代弁するかのようにテオはルイズに対して言葉を続けます。
「そもそも、お前のしているのは妙なプレイであって、人間に対する躾とはかなり違うとおもうぞ?」
それは正論でした。
彼女のしているのは幻獣や犬、猫に対する躾そのものです。
恐らく彼女は、当初考えていた対応。
つまりは、人間ではなく幻獣が召喚されると思っていた時の対応を、そのままサイトに対してしているようでした。
普通。
高慢な貴族といえど、普通は使用人や雇い人を床で食事させるなんてことはしません。
むしろ、部下を冷遇することは部下を厚遇するだけの財力がないと言っているようなものです。見栄をはりたがる貴族は部下に対して結構な高待遇をする者も少なくは有りません。
しかしルイズはそれをしません。
若く貴族の仕組みを理解しきれていないのか、単にサイトを人間というカテゴリーで見ていないのか。或いは単に応用力が無いのか。
結局彼女は幻獣の使い魔に対する躾方法をそのままサイトに行う以外の方法を思いつかなかったのです。
テオのその言葉に、サイトは心のなかで拍手を送りました。
そうだその通り、もっと言ってやってくれと。
しかし、そんなサイトの心内などどこ吹く風。
ルイズはこう答えます。
「甘やかすと付け上がるじゃない」
「君は飴と鞭を履き違えている、躾とは甘くする時は甘くして、厳しくするべきは厳しくするべきなのだ」
「ごちそうさま…」
エルザはそう言ってフォークをテーブルに置きました。
「エルザ、口の周りにソースべったりではないか、品がないぞ、さあ、口を出して、吾がハンケチーフで拭ってやる」
「モガモガ」
「よし、綺麗になったな。エルザ、デザートは何かたべるか?」
「たべる!」
「まったく、何でもかんでも好きに食べられるというわけではないんだからな、そういったワガママは決して君自身のためにならんぞ。エンチラーダ大至急厨房からデザートを」
「かしこまりました」
そう言うとエンチラーダは春風のように颯爽と厨房へと歩いて行きました。
その様子を見たルイズとサイトは呟きます。
「全然厳しくないし…」
「甘やかし過ぎだし…」
二人が呆れている間に、エンチラーダはトレイの上に幾つかのお菓子を乗せて戻ってきました。
「ベリータルトの他にクックベリーパイとモモのコンポートを持ってきました」
「全くエンチラーダ。それは持ってきすぎだ、エルザが虫歯になってしまう」
「食後にはしっかり歯を磨かなくてはいけませんね、ああ、そうだ子供用の歯ブラシの用意をしなくては」
「何、歯ブラシならば吾がつくろう。ユニコーンの毛のブラシと金の柄の物なんぞどうだろう」
「ご主人様、それは甘やかしすぎです、ブラシはせいぜいグリフォンの毛と、柄はせいぜい銀程度でヨロシイかと」
「む、そ…そうだな。子供の頃に物を与え過ぎると良くないからな。その程度で十分だろう」
「ああそうだ、歯磨きの時にはちゃんと鏡がなくてはいけませんね」
「む!そうだな、子供用の鏡台を作るか」
「ええ、では私が材料を探してきましょう」
その光景を見ていたサイトが言いました。
「な…なあ、このへんではこんな教育方針が普通なのか?」
それはまさに、親馬鹿がかわいい子供について話し合っている光景でした。
サイトの住んでいた現代社会にもそのような親が居なかったわけでは有りませんが。
話しに聞くことこそあれど、サイトはそれを現実に見るのは初めてでした。
あるいは、このような光景は貴族社会では当たり前なのかと思い、ルイズに尋ねますが…
「…いえ、流石にここまでの親バカぶりは珍しい部類だわ」
さすがのルイズもテオとエンチラーダのやり取りに呆れ返ります。
「ああ、そう言えばメイドの中には子持ちの者もおりますので、必要なものを聞いておきましょう」
「そうだな経験者の助言は大切である。できるだけ早急に必要な物を揃えなくてはな」
「洋服も買いましょう」
「護身用の道具も必須だな」
「勉強道具も大切です」
「装飾品も作らねば」
「玩具も…」
「お菓子…」
「かゆ…」
「う…」
「正直この優しさに不安すら感じる」
ボソリとつぶやくエルザを見ながらサイトは思いました。
今の自分のようにゾンザイな扱いは嫌だが、エルザのように過保護の対象になるのも嫌だなあと。
◇◆◇◆
教室内は奇妙奇天烈な生き物で溢れ帰っていました。
どれもコレもが変わった形をしていて、長いことハルケギニアで生きてきたエルザにしても見たことのない幻獣がたくさん居ました。
ハルキゲニア的生物は不思議がいっぱいです。
「ねえあの目玉のお化けみたいなのはなに?」
不思議な生物を指さしてエルザが尋ねます。
「バグベアだ…アイツこっちの方ガン見してないか?」
テオは妙に怯えた様子でそう言いました。
「…?気のせいでは?目が大きいのでそのように見えてしまうのでしょう」
エンチラーダはそう言いますが、テオは依然怯えた表情です。
「そうか?なんか、視線が物凄く怖いぞ、っていうかアイツの存在自体かなり怖い」
「あっちのウネウネは?」
「スキュラだ」
「海辺に住む幻獣ですね、あまり内陸では見ないと思います」
エルザが興味深くそれらを観察していると、教室に杖を持ったけっこうな年の女性が入ってきました。
それは土の授業の教師たるシュヴルーズでした。
彼女は笑顔で教室を見渡すと、満足そうに数回うなずきます。
「皆さん春の使い魔召喚は大成功のようですね。」
そしてシュヴルーズはエルザとサイトを見て、言いました。
「おやおやミス・ヴァリエールにミスタ・ホーエンハイムはずいぶんと変わった使い魔を召喚したのですね」
シュヴルーズがそう言うと、教室は笑いに包まれました。
「ゼロのルイズ、召喚できないからって、そこら辺の平民をつれてくるなよ、足なしは何処でそんな子供をさらってきたんだ」
その言葉を聞いた、ルイズは立ち上がり怒鳴りました。
「ミセス。シュヴルーズ!侮辱されました!風邪っぴきのマリコルヌが私を侮辱しました」
「かぜっぴきだと!俺は風上のマリコルヌだ!!」
口汚く怒鳴りあう二人とは対照的に、テオは終始無言でした。
まるで目の前のやり取りに全く興味がないといった様子で、気怠げにそれを眺めていたのです。
その無関心さが少し不思議だったエルザは、テオの方を見ます。
テオは、その視線に気がついて、エルザに言いました。
「言いたい奴には言わせておけ。口喧嘩というのは子供のすることだ」
そう言ってニヤリと笑うテオの表情は、なんだかこの世界そのものを馬鹿にしたような、何やら達観したもののようにエルザには思えました。
最終的にその口喧嘩はシュヴルーズの魔法でもって、生徒たちの口を物理的に閉じさせるという方法によって終了しました。
シュヴルーズはそのまま簡単な自己紹介を始めると授業の説明を始め、そして今日するべき授業の内容を言いました。
「みなさんには『錬金』の魔法を覚えてもらいます。もう覚えている人も居るでしょうが、基礎は大切な事ですので、再度おさらいをすることにしましょう」
そう言いながら彼女は教卓の上に置かれていた石に向かってなにやら呪文を唱えると、石は色を変え、輝きだしました。
「凄い…金だ!」
エルザがそう言いました。
彼女は錬金の魔法に関わることがあまり無かったのでしょう。
目の前で起きた錬金にたいそう驚いた様子でした。
「いえ、残念ながら真鍮です、ゴールドの錬金は『スクエア』のメイジで無くてはいけません。私はただの『トライアングル』なのですから」
少し恥ずかしそうに、シュヴルーズはそう言いました。
そしてそのまま、一回ばかり咳払いをすると。
「では、みなさんに錬金をしてもらいます。そうですね、まずはその可愛らしい使い魔さんを連れているミスタ・ホーエンハイムにやってもらいましょう」
「まあ、よいでしょう」
そう言いながらテオが指先を回すような仕草をすると、エンチラーダが椅子を押して教室の前の方に移動します。
教卓の前に移動したテオは、コホンと小さく咳をしてから、言いました。
「今更錬金なんぞと思わなくもないが、最初の授業、各々の実力を知るのは大切な事ですな、と言っても私は錬金は特別得意と言うほどでもないんですが…」
「いえいえ、ミスタホーエンハイムは優れた『錬金』を行うと聞いています。私、実はそれを見るのを楽しみにしていたんですよ」
「むしろ吾の本職は造形であって、その素材に対してはさしたる注意を払ってはいないのですよ。なにせ真の芸術とはその素材ではなくその形によって価値が決まる。たとえ木製の彫刻でも素晴らしい物は素晴らしいし、金で出来ていたとしても、不出来な作り物には素材以外の価値がない」
テオの言葉は止まりません
「つまり本来錬金というものは如何に優れた造形を作り出せるかで評価すべきなのです」
それは流れるような作業でした。
たしかに錬金は土の魔法の中でも基礎と言われる魔法です。言わば初級の魔法です。
しかし、だからと言って、何も考えず片手間で出来るようなものではありません。
それなりに精神の集中と、シッカリとしたルーンの詠唱が必要なのです。
しかし、テオは、ぶつぶつと話しながら。まるで世間話の合間についでにそれを行うようにさり気無く、石に向かって杖を向けると。
事はすでに終わっていました。
彼の手元には水晶で出来た髑髏が置かれていました。
「ふむ、短時間で作ったにしてはなかなか、歯の数が本物より少ないところが味噌だが、まあ時間がないので仕方が無いか」
そう言いながら彼は、その水晶の髑髏を右手にもつと指先でクルクルと弄びはじめました。
それは見事な物でした。
ただでさえ不純物が入りやすい錬金の魔法です。透明な物を錬金するのはそれだけで至難の技なのです。
それなのにその水晶のドクロは、まるで水でできているように透き通った物でした。
「さ…さすがですミスタテオ」
それはシュヴルーズが想像していた以上の出来事でした。
彼女はテオが『非常に優秀な生徒』であると聞かされてはいましたが、ココまで『異常に優秀な生徒』だとは、この瞬間まで思って居なかったのです。
「それは素材に対して言っています?それとも造形に対して言っています?」
「両方です」
「そりゃあありがたい事ですね。まあ吾としては造形以外の評価はさしたる…」
「ご主人様…それ以上は授業に差し障りますので」
テオの話が止まりそうもなかったのでエンチラーダが言葉を遮りました。
「む、仕方ない。たしかに吾のための授業ではなかったな。失礼ミス。どうぞ授業を続けてください」
そう言ってテオは髑髏を片手に席に戻ると、それをエルザに渡しました。
エルザは受け取ったその髑髏の目玉に腕を入れたり、口をカタカタ言わせたりと、楽しそうに遊びはじめます。
エルザは無邪気にそれを触っているようでしたが、実際の所、それを手にとってようく観察をしていました。
そしてその恐ろしいまでの透明度と緻密な造形に感心をしました。
なるほどテオは確かに優れたメイジのようです。
そして、その様子を後ろの席で見ていたサイトはルイズに言いました。
「マジかよ、あれ。水晶の髑髏だぜ?オーパーツとか作れるのかよアイツ」
「アイツだけよ、あんな事するのは。普通の錬金だとせいぜい金属の性質を変えるくらいよ。あんな事、ふつうのメイジは出来ないし、出来たとしても精神力のほとんどを使いきってしまうわ」
「でもアイツ簡単にやってたぜ?」
「だからアイツだけなのよそんなこと出来るのは、万能のテオ。学園始まって以来の天才…」
そう言って彼女は苛立だしげに爪を噛みました。
まるで彼が天才であるということを許せないかのように。
「ミスヴァリエール!授業中の私語は慎みなさい!」
「は!はい!」
「おしゃべりをする暇があるのならば次は貴方にやってもらいましょう」
「はい!」
「さあ、ミスヴァリエール」
「先生」
キュルケが立ち上がり言いました。
「何ですか?」
「止めておいたほうが良いと思います…」
「なぜですか?」
「危険だからです」
キュルケはシュヴルーズに対してルイズの魔法が危険であることを伝えますが、シュヴルーズは取り合いませんでした。
「さあ、ミス・ヴァリエール。気にしないで。失敗を恐れていては何も出来ません」
そしてその言葉にルイズは立ち上がり、
「やります」
と言いながら教室の前に歩いて行きました。
その様子に教室内はざわつき出します。
誰もが机や椅子の下に隠れ始めます。
「??どうしたの?」
周りの異常な行動に、エルザも不安になります。
「まあ、あの女の魔法だ、無理も無いかな」
「直ぐにわかりますよ」
そんな周りの反応とは対照的にテオとエンチラーダは余裕の表情でした。
「私たちは潜らなくていいの?」
何やらただならぬ雰囲気に怯えたエルザはテオに尋ねます。
「隠れるというのは弱者が強者に対して行うことだ。吾はそのようなことをする必要がない」
「ご主人様の隣に入れば安全ですよ」
「一体何が…
エルザが言いかけた時。
轟音が響き渡りました。
それはまさに地獄絵図でした。
突然の轟音と衝撃に、教室の内装はメチャメチャです。
さらにはそれに驚いた使い魔たちが暴れだし、教室の中は収集のつかない事態に陥っていました。
「ふむ、まさに大惨事」
そう言ってテオは笑いました。
「ビ…ビックリした」
エルザは驚きました。
まさか魔法が爆発する。それもあんな大きは音と破壊力を伴ってです。
それは今までエルザが見てきた如何なる魔法とも違うものでした。
そしてエルザが驚いたのはもうひとつ。
「全く。盾が一瞬でボロボロだ…」
それを防いだテオでした。
一瞬。
まさにその盾は一瞬で現れたのです。
アースウォールのような粗野な壁ではなく、
所々装飾の痕跡のある、立派な盾だったのです。
それを一瞬。瞬きよりも早く創り上げたのです。
他の生徒達が、埃を被り所々怪我をしているのに、自分たちには煤一つついていません。
その盾はあの頑丈そうな机や椅子よりもよっぽど防御力があったことが伺えます。
「せっかく綺麗な装飾を付けた盾を出したのだが、コレじゃあわからないな」
「いえ、たとえボロボロでも、ご主人様の作った盾は気品溢れておりますよ」
「まあ、衝撃を吸収するための装飾だからな、使ってこその盾であるし、壊れたのもまた、機能美の一つであるな」
エルザはその言葉を聞きながら、ただただ感心するばかりでした。
緻密な彫刻が出来るとか、貴重な素材を錬金できるとか。
エルザにとっての価値観は、そのようなことに重きを置いてはいませんでした。
人間を捕食する吸血鬼として。
エルザが注目するのはそのメイジが如何に強いかです。
そして、目の前で丈夫な盾を一瞬で作り上げたテオという存在は。
エルザの興味を十分に引くだけの才能を持ちあわせていました。
例えばコレが盾でなく剣であったら。
そもそも錬金でなくブレイドやマジックアローだったら。
恐らくテオは一瞬で敵を殺せるでしょう。
圧倒的強者。
目の前の主人テオフラストゥスはまさにそれだったのです。
「怪我は無いか?」
そう言ってエルザの頭をなでる彼はの笑顔は。
それはそれは眩しくて。
「うん」
エルザはただただ、その心地良い手の感触に酔いしれるしかなかったのです。
それは吊り橋効果だったのかもしれません。
もしくは、ただの使い魔のルーンの呪縛なのかもしれません。
或いは他者に取り入る吸血鬼の本能だったのかもしれません。
しかし。
それは、エルザが求めたものだったのです。
親を早くに無くし。
誰の保護も無く、一人で逞しく生きてきたエルザにとって。
自分を守ってくれる。
強い保護者の存在は、得られないことを知りつつ、心の何処かで求めていた存在だったのです。
サモンサーヴァントの魔法は、相性の良い使い魔を召喚する。
それは言い換えれば、使い魔に、相性の良い主人を与えると言うことです。
エルザはそれを、今まさに実感したのでした。
◆◆◆用語解説
・ミミック
宝箱タイプのモンスターのイメージが強いが、本来は擬態、及びそれをする者のこと。
この世界おける吸血鬼はまさにミミックと言うにふさわしい生物。
え?昆虫?遺伝子が泣き叫ぶ?なんのこと?
・もう食べられない
ざ・寝言。
・食事
吸血鬼の食事は勿論人間の血。
人間の食事が食べられるかどうかについては原作には記述がなかった。
食欲を唆るものでは無いらしいが、食べることが物理的に不可能であるとは言われていない。
人間に擬態する立場としては、人間の食事を一切食べないと言うのはこの上なく怪しいので、恐らく食べること自体は可能であると思われる。
おいしいと感じるかどうかに関しては不明。
・ハルキゲニア
なんか突起物のイッパイついたふしぎ生物。
間違い検索をして、その不思議フォルムにトラウマ者続出。
以下間違いやすそうな言葉羅列。
インゲニア・恐竜
アレゲニア・惑星
バルギゲニア・暴走連結生命体
ハルゲニア・色々調べたらHargeniaという鳥類が居たらしいが、コレはHarugeriaの誤記の可能性がある。
或いはドイツ語のhaargenial〈素晴らしい毛〉ということなのかもしれない。
まあコレだと発音がハァルゲニアルっぽくはなるけれど…
つまり以下のような意味になる。
「ハルゲニアのルイズ」→ルイズの髪はとても素晴らしいのです。
「ハルゲニアの住民」→シラミども
「ハルゲニアの危機」→ヘアダメージ
「ハルゲニアの平和は俺が守る」→ヘアケア
「ハルゲニアの爆発魔法」→アフロ
「ハルゲニアの陰」→陰毛
「ハルゲニア隆起」→カツラ・フライアウェイ
「俺はハルゲニアに戻りたい!」→フサフサよ今一度!!
今後、表記間違いをするだろうから今のうちから言い訳をしておこうと思っただけ。
「うわコイツまた間違えてるよ…死ねばいい!!」とか思わずに、「素晴らしい毛の上に皆立っているんだ」とか「むしろギャグ」とあたたかい気持ちで読んで頂けたらありがたい…
・バグベア
テオが恐れた理由。
「このロリコンめ!」って言われないかと恐れていた。
・スキュラ
下半身がタコ或いは犬の怪物らしい。上半身は美女とのこと。
亜人の類だとすると、もしかしたら亜人は結構頻繁に召喚されているのかもしれない。
・指先を回すような仕草
テオとエンチラーダの間で通じる手話のようなもの。
一々あそこに行け、ここに行けと言うのが面倒くさいので、指の動きや、仕草でエンチラーダに対する指示が出せるように編み出されたもの。
・強さ
生物は強い存在に寄り添いたいと欲する
強いものをリーダーにコミュニティーを作り、強い存在のいるコミュニティーに所属したがり。
強い異性の愛を求め、強い相手の遺伝子を求め。強い仲間を連れたがり、自身も強くありたいと願う。
強さは恐怖と同時に安心感を与えるのである。
・吊り橋効果。
ドキドキする状況では時に人はそのドキドキを恋と勘違いする。
危険な状況では人は恋に落ちやすいのである。
が、所詮その恋心はまやかしであるので、長続きはしないらしい。