「私、エルザ」
少女はそう言いました。
テオはエルザと名乗るその子供の、名前と容姿を脳内で何度も反芻しましたが、彼の記憶にはそれらしいものは存在していませんでした。
それはテオに対して、全く縁もゆかりもない子供だったのです。
テオは、自分が完全なる無関係の人間を召喚してしまったのだと思いました。
テオは戸惑いました。
ひょっとして自分は『虚無』の属性では無いのかと、一瞬思いましたがすぐにその思いを打ち消します。
自分が虚無の才能が無いことは彼自身が一番によく知っているのです。
自分にその才能が無いかと、過去何度か虚無の魔法に挑戦しそしてその結果、その才能が無いことを理解していたのです。
では、なぜ自分の目の前にこの幼女が現れたのか。
まず考えられるのはテオ自身の属性です。本来、サモンサーヴァントでは、自分の属性に近い物が呼ばれます。
しかしテオは一応は土のメイジとされながらも、全ての属性を使いこなします。
その全ての属性を兼ね備える幻獣がおらず、人間が呼ばれたと言うのであれば、いちおう考えうることでもあります。
そして次に考えられるのは、自身がそれを望んだからというものでした。
『人間というのは一番使い勝手のいい存在』
『使いようによってはドラゴンよりも有効な使い魔』
此等は先程ルイズが人間を召喚した時にテオ自身が言った言葉です。
この言葉は皮肉でも的当に口から出た言葉でもありません。彼が本当にそう思い口にした言葉です。
あるいは彼は憧憬を持ったのかもしれません。
彼の召喚の直前に行われた、ルイズの召喚に。
その伝説の属性に。伝説の使い魔に。そして、生涯の相棒に。
テオは心の何処かで、苦楽を共に出来る意志の通じるパートナーを召喚したルイズを、虚無を、羨ましいと思ってたのかもしれません。
だとすれば、目の前に子供が召喚されたことも、別に不思議なことではないのです。
サモンサーヴァントでは、召喚主の希望や理想が多少なりとも反映されることが珍しくは無いからです。
とはいえ、テオとしては納得がいかない部分が一点。
それはその人間が「子供」だと言うことです。
平民の子供。それも、一人前に召喚された男とは違い、その少女はこのハルキゲニアの人間です。服装や反応から見てそれは間違いありません。
そんな子供が自分の希望で理想である。
それはテオにしても受け入れがたいことでした。
(小児性愛の気は無いはずなのに…)
そう思いながらテオは頭を抱えます。
ひょっとして自身の心の中には自分でも気づかない性嗜好障害が潜んでいるのではと、テオは自分の心に恐怖を感じ、そしてその体を震わせるのでした。
一方。
その目の前に居る、エルザも震えていました。
エルザの目の前にいたのは足のない一人の男です。
隣にメイドを連れ、上質の服を身に纏った男。
足が無いながらも、彼が貴族であることは疑いようのないことでした。
貴族であるからには勿論メイジです。
そして、今その周り囲むようにしてこちらを見ている沢山の人間も、皆、貴族のメイジであるようでした。
貴族社会に詳しくないエルザでも、ああ、此処が話しに聞く貴族の学校というものだというのがわかりました。
つまり今エルザは、恐ろしい恐ろしい貴族の群れの中に、一人放り投げられた状態でした。
エルザはその状況に震えます。
それはトリステインにいる平民の子供であれば当然の反応でした。
しかし、エルザの心の中は、その「当然」とは違っていたのです。
なにせその震えは恐怖からくるものではありませんでした。
それは歓喜の震えでした。
◇◆◇◆
数分前。
夕方。日も傾き、影が伸びた頃。
それはエルザの前に現れました。
それは楕円形の鏡のようなもので、一見するとそれが何なのか全くわからないような不思議なものでした。
しかしその楕円形の鏡のような物を目の前にしたとき。エルザは悟りました。
自分が召喚されようとしていることを。
ハルケギニアのすべての生物は、それを目の前にした時に、それが何であるかを理解します。
そしてその鏡は、それを望むものの目の前にしかでてこないのです。
使い魔と主人が多くの場合強固な信頼関係で結ばれる理由は、一説ではサモンサーヴァントの魔法は初めから主人と相性のいい存在を選んでいるから、と言われています。
ですから基本的に召喚の儀式は失敗することはありません。
たとえ人間以上に力のある、マンティコアやグリフォンやドラゴンが召喚されても、それらが召喚主を攻撃したり食べてしまったりということはまずあり得ません。
召喚される対照が、それを納得した上で召喚されるからです。
自分が召喚されることを理解し、そしてそれを望んだ相手だけが召喚される。
或いは今まで人間が召喚されなかった一番の理由はコレなのかもしれません。
大抵の人間は、無条件に誰かの下僕になれと言われて良い気持ちはしません。突然呼び出され、使い魔になれと言われても納得はしないでしょう。
結果、良い主従関係は結べ無いのでそもそも召喚がなされない。よって人間や知恵ある亜人が召喚されない、というのであればそれらが召喚されない説明は付きます。
その鏡の中に入れば、自分は召喚され、何処かのメイジの使い魔となる。
普通の人間では、納得し得ないであろうことでしたが、しかしエルザは違いました。
エルザは自分が誰かに召喚されるという事実を、理解した上で、自らもそれを望んだのでした。
普通の人間ならばで嫌がるであろう使い魔に、彼女はなりたいと自ら思ったのです。
なぜなら。
なぜなら、エルザは普通の人間ではありませんでした。
と言うより『人間』ではありませんでした。
エルザは吸血鬼だったのです。
「最悪の妖魔」
それが吸血鬼に付けられた枕詞でした。
太陽の光に弱いながら、それ以外の弱点は特になく、力も強く生命力も高く。初歩のものなら先住魔法を使う事も出来ます。
とはいえ、力で言ったら、オークやオーガの方がよっぽど強く。魔法ではエルフのほうがよっぽど強いのです。
それでも、吸血鬼には、それら他の亜人を差し置いて最悪と評価されるある一点の理由がありました。
それは、「人間と見分けがつかない」ということです。
外見は人間と全く変わらず、牙も血を吸うとき以外は隠しておけ、魔法でも正体を暴くことはできず、なにより狡猾。
吸血鬼は誰にも知られること無く人間社会に入り込み、いつの間にか人間たちを食い殺すのです。
それが吸血鬼を最悪と言わしめる理由でした。
そんな吸血鬼ですが、天敵が居ないわけではありません。
吸血鬼の唯一とも言える天敵。
唯一にして最大の天敵。それは他ならない『人間』でした。
人間は集団で持って吸血鬼を見つけ出しそして殺します。
如何に力強く魔法の使える吸血鬼といえど数の暴力には勝てません。
そして人間の中でも特に「メイジ」という人種は危険でした。
かつてエルザの両親もエルザの目の前でメイジに殺されています。
それは実に悲しい出来事でしたが、しかしエルザにとっては良い教訓でもありました。
決して人間に正体がバレてはいけない。より狡猾に、より慎重に。そう生きることを教えてくれました。
エルザは身寄りのない子供のふりをして人間社会に紛れ込み、
両親をメイジに殺された『人間』の子供として、メイジを自分から遠ざけながら生きていました。
彼女は人間を捕食しては居ましたが、同時に人間に怯えてもいました。
何時か自分も両親のように人間に殺されるかもしれない。
そんな恐怖が、消えること無く彼女の心のなかでくすぶっていたのです。
そんな彼女の目の前に突如現れた鈍く光る鏡は、彼女にとって幸運の片道切符でした。
彼女は迷うこと無くその鏡の中に入ります。
その先にある輝かしい未来を信じて。
◇◆◇◆
光る鏡の先に飛び出た光景を見て、エルザは自分の選択が正しかったことを知ります。
召喚主は貴族です。
自分を呼び出し、コントラクトサーヴァントをしたそのメイジは野良の戦士でも、どこぞの三流メイジでもない。地位のあるメイジなのです。
地位。それ即ち力です。
絶対的な力なのです。
そして使い魔となると言うことは言い換えれば召喚主の庇護下に入ると言うことでもあります。
つまり、
エルザは力ある貴族という存在の庇護下に入ると言うことでした。
たとえ人間の血を吸っても、まさか貴族の関係者に吸血鬼が紛れているとは誰も思わないでしょうから、之ほどに都合の良い立場はほかにありません。
更に言うのであれば、エルザにはもっと素晴らしい計画がありました。
それは召喚主をグールにすることです。
グールとは、吸血鬼の下僕のことです。
吸血鬼は人間を血を吸い殺したあとの死体を、一体、動く死体として自由に操ることができるのです。
グールは外見上は生前のその人と変わらず、更には記憶も生前の物を持っています。太陽にも強く、見た目は全くグールであると解る要素はありません。
しかし、それは見た目だけであって、中身は動く死体で吸血鬼の操り人形に過ぎないのです。
隙をみて、この男の首筋に歯を入れて、グール〈下僕〉に仕立て上げてしまえば、もうエルザには怖いものはありません。
貴族の下僕を使い、好きなだけ血を飲むことが出来ます。
たとえば不自然に平民が消えたとしても、誰も貴族が犯人だとは思いません。思ったとしても相手が貴族であればたいていの人間は泣き寝入るしかありません。
この世界では人の命はとても軽く、ましてや貴族に比べれば平民の命など紙にも劣るのです。
今までエルザは、吸血鬼でありながら、その平民と言う紙のような生き物のふりをして生きていくしかなかったのですが、それが貴族の主人として、ヒエラルキーのトップに立てるのです。
エルザは自分に舞い降りた幸運に狂喜乱舞したい気持ちを必死で抑え、怯えた演技を続けます。
「ああ、幼女…エルザか。そう震えるな。プディングじゃあるまいに。むしろ震えたい気持ちでは吾のほうが絶対に上だ」
「ミスタ、そんなことより早くコントラクトサーヴァントを」
コルベールがテオにそう言いました。
「了解だ、まったく、違うぞ、吾は絶対に違うからな、例の属性ではないからな……違う…よな」
「ご主人様?」
「ええいわかっておる!我が名は『テオフラストゥス』五つの力を司るペンタゴン。この幼女に祝福を与へ、我の使い魔となせ…」
そう言いながらテオはエルザに口付けをします。
エルザは自分の口に付けられたテオの唇に歯を起てないように我慢をしていました。
出来ることならば今すぐにでもこの男の血を貪り、グールに仕立て上げたいとも思いましたが、そんな事をすれば、自分が吸血鬼であることがバレかねませんので、自重します。
タイミングは慎重に選ばなくてはいけません。
まずはこの男の信用を得ること。
そして誰も自分に対して疑いを感じなくなった頃合いに、事をすすめるつもりでした。
薔薇色の人生が待っているのです。一時の欲求で全てを台無しにするほどにエルザは短絡的では有りませんでした。
一瞬の光りが辺りを包んだかと思うと、次の瞬間、エルザの体に熱が宿ります。
「ルーンは?何処かに刻まれているか?」
テオがそう言うとエンチラーダはエルザのからだをさわり、ルーンの位置を確かめました。
「胸元です…ええっと、コレは例のものではありません」
エンチラーダはエルザの胸元を確認しながらそう言いました。
例の物と言うのが何を指すのか、エルザには解りませんでしたが、その言葉を聞いてテオの表情がかなり和らいだのが解りました。
「違うか?」
「ええ、一番目でも二番目でも三番目でも、たぶん四番目でもありません、たしかこれは使い魔の弱点をほんの少し改善する程度の、ありふれたルーンのはずです」
「そうか」
そう言ってテオはわかりやすく安堵の息を吐きます。
そしてその言葉に、心の中で一番に反応していたのはその隣りのエルザでした。
エルザはますます自分には運が向いて来たと思いました。
弱点を改善する。それはとても素晴らしいことです。ほんの少しと言うのがどの程度なのかはわかりませんが、少なくとも今よりは良くなるのは間違いありません。
吸血鬼の弱点といえばなんといっても太陽です。
アノ忌々しい太陽の力に少しでも耐えられるようになるのですから、それだけでアノ鏡に潜ったかいが在ったというものです。
「さて、では皆教室に戻るぞ」
コルベールがそう言うと、他の貴族たちはフワフワと浮いたかと思うとそのまま移動を開始しました。
「コルベール師、吾、ちょっと、っていうか、かなり気分が悪いので部屋に戻って良いだろうか」
テオが力なくそう言います。
「ミスタ・テオ。確かに顔色が優れないな。無理は良くない、直ぐに部屋に戻って休みたまえ」
テオの顔色を見たコルベールはそう言いました。
「申し訳ない」
「ご主人様大丈夫ですか?」
「大丈夫?」
心配そうにエルザがテオに尋ねます。
今の彼女に必要な演技は、いつものメイジに怯える子供でも、不幸な子供でもありません。
眼の前の貴族に気に入られる、あどけない少女の演技です。
「ああ、大丈夫だ」
そう言ってテオはエルザに笑いかけます。
「…ではコルベール師、失礼する」
「ああ、あまり無理はしないように」
そう言ってテオは、エンチラーダに車椅子を押されながら自室へと戻って行きます。
道中、使用人たちや生徒たちが遠くからその様子を伺っていました。
正確にはテオの使い魔であるエルザを見ていました。
しかし、その中に誰一人としてエルザを吸血鬼であると疑っている人間はいません。
部屋に行くまで。エルザはショウウィンドウの中のケーキを物色するような気分でした。
自分たちを見る人間たちをチラリと見ては思うのです。
あの女の血は美味そうだ、
偶にはあの男のような奴の血も悪くないだろう、
あの壮年のメイジの血はどんな味がするのだろう、
あそこに居る奴らの血を飲み比べるのはきっと面白いに違いない。
杏の種を割るようにあそこの女の骨の中の骨髄を味わうのはきっと楽しい。
そんな事を思いながらテオと共に移動をしました。
一方テオはそれに気づくどころか隣で青い顔をするばかりです。
エンチラーダに車椅子を押されながら、頭を抱えブツブツと独り言を続けます。
「幼女とか召喚とか…メイジとしてと言うか人間としてまずい…大丈夫なのか?いや、色々と倫理的に。
いや、別に如何わしいことをするわけではないから良いのか?
しかし幼女だぞ?
むしろ逆に考えろ…如何わしいことを考えなかったからこそ純真な子供を召喚したのだ。
そうだ、そうに違いない、そういうことにしよう」
そしてそんなテオの様子を見ながらエンチラーダが一言呟きます。
「ああ、苦悩するご主人様も素敵です」
◇◆◇◆
部屋につくと、テオは早々にベットに横になり、エルザには約束通りクックベリーパイが差し出されました。
エルザはクックベリーパイには全く、完全に興味がありませんでした。
吸血鬼である彼女にとって、食べ物は人間の体に流れる液体しかありえず、目の前のクックベリーパイは粘土の塊とさして違いありません。
しかし、彼女は差し出されたそれを、とてもとても美味しそうに頬張りました。
それが、子供らしい行動だからです。
気怠そうに上を見ながらテオはエルザに幾つかの質問をしました。
その殆どはたわいもない事でした。
やれ年齢は、好きな食べ物は、なにか欲しい物はあるか、そして…
「住んでいた村の名前はわかるか?」
テオはそう聞きます。
その質問に対してエルザは嘘をいうことも出来ました。
しかし、エルザはそれに対しては真実を答えることにします。
嘘を言ってそれを看破されれば、自分にとってマイナスですし、もし、上手くすれば、このメイジは自分の故郷に行くことになります。
旅行先の他にメイジの居ない状況。
この男をグールにするには一番の機会です。
特に自分の住んでいた村であれば地の利もありますので、ますますそれが容易になります。
「サビエラムラ!」
エルザはそう答えます。
「サビエラムラ?」
テオは脳内でその名前を検索しますが、彼の知る限りトリステインにそんな名前の場所は有りませんでした。
「サビエラ村?たしかガリアの山間にある村では?」
「たぶんそこ!」
エンチラーダの言葉にエルザが肯定を返します。
「ふむ、ガリアか…」
「一応あちらの貴族にも顧客は多いですから、行くこと事態には問題ございません」
「ふむ、すぐにでも行きたいが、向こうの都合もあるでな。まあとりあえず手紙を出しておこう、向こう側からの返事があってから向かうとするか」
「それがヨロシイかと思います。手紙は私が代筆しておきます」
「では頼んだぞ」
エンチラーダはその会話を聞きながら終始上機嫌でした。
目の前の貴族は今食べているクックベリーパイよりも甘い男のようです。
たかだか一人の平民のために、他国まで行こうとしているのです。
取り入るのも簡単そうならば、そのまま襲うのも簡単そうです。
そんなエルザの心内を全く知らないテオは、ため息を一つつくと、
「エンチラーダよ、吾は今日疲れた、色々と思うこともある。出来れば一人になりたいのだが…」
そう言ってテオはチラリとエルザを見ます。
正直、テオとしては、いま心の整理が未だに付かず、一人で自分の心と向き合いたいと思っていたのです。
主のそんな気持ちを察したエンチラーダはこう言いました。
「私の部屋であずかりましょう」
「ふむ、それがよいか。小さくともレディーである。男の部屋に泊まるよりはそっちのほうが良いだろうし、まあエンチラーダなら安心である」
そう言ってテオは上半身を起こし、エルザの方を向くとこう言います。
「エルザよ、エンチラーダのいう事を聞いて良い子にしていなさい」
「はい!」
元気よくエルザは返事をします。
「ではご主人様失礼します。エルザ、行きますよ?」
「はい!じゃあね!」
そう言ってエルザとエンチラーダはその部屋を後にします。
部屋からはテオの独り言がブツブツと漏れ出して居ましたが、エンチラーダもエルザも気にせずその場を後にしました。
エンチラーダはテクテクと歩き、エルザはその隣を歩きます。
普段通り、というか、それらしい演技をしながらエルザは歩いていましたが、その心内はとても上機嫌でした。
彼女の頭の中では食べ放題のヨーデルが奏でられ、これからの素晴らしい未来を想像しては、にやけそうな顔を必死で押さえつけていました。
よくよく見れば、目の前の女も中々に美味そうな容姿をしています。
シミひとつ無い肌。
程よい肉付きの体格。
主人をグールに仕立て上げた後は、まず始めに眼の前の女を味わおうとそう思った時。
眼の前の女、つまりはエンチラーダが口を開きました。
「さあエルザ、こちらです」
そう言って彼女は扉を開けました。
いつのまにか目的地に到着していたようです。
「うん」
そう言ってエルザは室内に入ります。
その部屋はよく整理された質素な部屋でした。
ダブルベットが一つと机が一つ、そして本棚しか有りません。
「一応此処が貴方の部屋ということになるでしょう…ああそうだ、ココで生活するにあたって注意点が幾つかあります」
「注意点?」
「ええ、まあ、わかりやすく言うとやってはいけないことですね」
「やってはいけないこと…」
エンチラーダはエルザをベットに座らせるとその前に立ち、指を立てながら注意点を上げて行きました。
それは当然といえば当然のことでした。
エンチラーダはエルザを子供だと思っているのでしょうから、エルザに対して、子供にするような簡単な決まりごとを課すのでしょう。
エルザはそう思い、その言葉に子供らしく反応しようと思いました。
「まず、大声で騒いだり、走りまわったりはしないこと。どうしてもなときは室内ではなく庭で騒いでください」
「解った!」
エルザは元気よく答えます。そういう子供は誰からも好かれるからです。
「次に、マナーを守ること、と言ってもあまり厳しいことは要求しません、なにか間違えたマナーがあればその都度注意します」
「うん!」
エルザは素直に答えます、そういう子は誰からも好かれるからです。
「3つ目はそうですね、ワガママはあまり言ってはいけません。勿論要求があれば私もご主人様もある程度は叶えますが、度が過ぎた要求は当然却下しますのでそのつもりで」
「はい!」
エルザは行儀よく答えます、そういう子は誰からも好かれるからです。
「そして最後…まあ、コレは努力義務ですが、ココで当分は血を吸うのはお控えなさい」
その言葉で、エルザの心臓は凍りつくような感覚を覚えました。
今眼の前の女は何と言った。
なぜその言葉を口にしている。
なぜ、なぜ、なぜ、なぜ。
そんな疑問が頭の中を駆け巡り、恐怖がエルザを支配します。
しかしそんなエルザの反応とは反対に、エンチラーダの反応は全く変わらずそのまま言葉を続けます。
「貴方は一応ご主人様の使い魔です、貴方が問題を起こせばご主人様の品位に関わりますので」
まるで騒いではいけないという注意と同じようなトーンで、エンチラーダはそうエルザに注意をします。
「え?ちが…」
「ああ、そういった惚けは不要ですよ吸血鬼。偽証は不要です。無駄です。」
エルザは必死でそれを否定しようとしますが、エンチラーダはにべもなくそれを潰します。
「何、簡単な推理ですよ。
普通サモンサーヴァントで呼び出されるのは人間とは限りません。
むしろ割合からすると人間が呼び出される事は実に少ないんです。
可能性であればエルフや羽人、獣人、夢魔、或いはミノタウルスが召喚される可能性だって十分にあるんです。
勿論吸血鬼である可能性もね。
実際のところ、被害妄想にも近い考えです。しかし私にはご主人様の安全を第一に考えるあまり、色々と疑ってかかる癖が付いてしまいまして。
それで貴方のことを観察していたんですが。
此処に来るまで、器用に陽の光を避けて歩いていましたね。
私の比較的難しい言い回しにも普通に反応してました。
クックベリーと一緒に出された薬草茶を、顔色一つ変えずに飲みました。
まあ、本当に被害妄想に近い私の考えすぎなんです。たいていは杞憂で終わるんです。
ですが。
貴方の反応で確信に変わりましたよ」
その言葉を合図にエルザは自衛のための行動を起こします。
「眠りを導く風よ!」
エルザは呪文を唱えました。
先住の魔法。
ハルケギニアの魔法使い達が使う魔法とは別の異質の魔法。
『眠りの風』は相手を、それこそ一流のメイジであっても眠らせることのできる魔法でした。
「今何を…ああ、眠りの先住魔法ですか、へえ、そんな呪文なんですね」
しかし、目の前の女はそんな魔法を気にもとめませんでした。
確かに一部の人間や亜人には、魔法の効きづらい者は居ます。
でも、それでも全く効かないなんてことはあるはずがなかったその魔法を、その女は涼しい顔で耐えたのです。
「無駄ですよ、私にはその魔法は効きません。眠りも、魅了も、混乱も出来ない体ですので」
そう言ってエンチラーダは依然としてそこに立っています。
勝てない。
エルザは咄嗟にそう判断しました。
そして迅速に次の行動を起こします。
「私遠くに行く!もうここには来ないから、だから、だからタスケテ!」
それは必死の懇願でした。
エルザにはプライドも誇りも存在しません。
ただ自分が生きることこそを第一と考え、それ以外は二の次です。
兎に角今彼女は目の前のメイドの靴を舐めてでも生き延びたいと、そう考えるのでした。
しかし、エルザに対するエンチラーダ反応は冷たいものでした。
「貴方ナニを馬鹿なことを言っているのですか?」
それは何処か怒気を含んだ声でした。
「そんなことが許されると思っているのですか?」
そしてそれは決意を持った目でした。
エルザは自分の言葉が、何かエンチラーダの逆鱗に触れたことを理解します。
「貴方は自分の立場を理解しているのですか?」
エンチラーダの言葉は止まりません。
「あの御方の使い魔でありながら、それを止めて遠くに行く!それはあの方のサーヴァントという立場を、使い魔を止めるということですか?貴方は今、あの方の使い魔という。素晴らしい立場だというのに!!だというのに!!!」
そしてエンチラーダはエルザの両肩をがしりと掴むと叫ぶように言います。
「それを すてるなんて とんでもない!!!」
「ひい!」
エルザは怯えました。
今までたくさんの人間を殺し、たくさんの人間を騙してきたその吸血鬼は、
目の前の、一人の女性、それも平民のメイドに確かに恐怖していたのです。
「あら、怯えてしまって、可哀想に」
そう言ってエンチラーダはその手を彼女の頬に当てます。とても優しく。
しかしその行為はむしろエルザの恐怖を助長させるだけでした。
「!!」
恐怖のあまりエルザは声が出なくなり、その体を震わせます。
「安心なさい、私は別に貴方をどうこうしようと言う気は無いのですよ…だって、貴方はあのおかたの 使い魔なのですから」
そういうエンチラーダの声はとても優しげでしたが、エルザの恐怖は止まりません。
むしろこれだけの気迫を出しながら優しげで居られるエンチラーダに対する恐怖は増すばかりです。
「貴方はまだ、気がついていないのですね?貴方今、素晴らしい立場にあるのです。なにせ私ではかなわないそれが貴方には許されているのです」
エンチラーダはエルザから手を離し、その手を自分の胸に当てるとまるで宣教師が教えを説くように語ります。
「誇りなさい、喜びなさい、私がどんなに望んでも、渇望しても、決して手に入れられないものを貴方は手にしようとしているのですよ?そして同時にそれは貴方だけががあの方に与えられるものです」
何処か虚構を見つめながら、身振りを交えた語り口。
それは隙だらけの動き。
本来ならば逃げる絶好の機会です。
この女が自分から手を離している隙に、渾身の力で持ってこの女を蹴り飛ばして逃げるべきなのです。
なのに。
なのにエルザは動けません。
まるでゴーゴンに睨まれたかのように指一つ動かせず、その視線はエンチラーダから外すことができませんでした。
「ああ、今貴方は、あのかたに愛される権利を手に入れようとしている」
焦点の合わない視線を何処かに向けながら、目の前の女は叫ぶように言います。
「コントラクトサーヴァントは一種の呪いです。それは使い魔の心を変え、主人を愛するようになる。そしてその効力は主人側にも適応されます。きっと貴方はあの方に愛されます」
まるで夢遊病のように首を振りながらエンチラーダは続けます。
「なんて素晴らしいんでしょう。あの方が幸せに近づく。あの方が幸福になる。あの方が愛を、愛を知るのです」
そしてエンチラーダはその焦点を再びエルザに戻し、こう言います。
「あの方に愛されなさい、それこそが貴方の役目であり存在意義です…良いですか?」
それは先程の注意点を語る調子とは全く違う言葉でした。
先程より優しげで、柔らかい口調でしたが、それは一切の拒否を許さない絶対的な命令でした。
エルザがそれに対する答えとして言えるのはたった一つ。
短い短い一言の言葉だけでした。それ即ち。
「はい…」
エルザに拒否権は有りません。
いま自分に残された道は彼女の言うとおりに動くこと。
それ以外に置いて自分が助かる道は無いのだと理解しました。
それは理性ではなく、本能でそう感じたのです。眼の前の女には逆らってはいけないと。
「ヨロシイ、聞き分けのある子は好きですよ。ああ、まあ子という年齢かどうかは見た目じゃわからないんでしたっけ。まあ、貴方が年上か年下かなんてどうでもいいことですよね」
そう言ってエンチラーダは再びエルザの肩に手を置きます。
「それさえ守れば、後はナニをしても構いません。それこそこの学院のあの方以外の全ての人間の血を吸い尽くしたってかまいませんよ?もちろんあの方の立場もありますので、バレないようにと言うのが前提ですが」
その言葉を聞きながらエルザは思います。
いま自分は、この世で一番恐ろしい生物の隣にいる。
人間より、メイジより。ずっとずっと恐ろしい何かの隣にいる。
そして、自分はその庇護下に入ってしまったのだと。
それは確かにエルザの望んだ絶対的な立場でした。
なにせ目の前の生物は今までエルザが見たどんな生き物より恐ろしいのですから。
その庇護下というのはある意味でとても安全な立場なのでしょう。
しかし、
しかし、それは………
「ああ、そうだ、それと一つ言い忘れていました」
そう言って彼女はエルザの方を見て笑いながらこう言いました。
「貴方を歓迎しますよ吸血鬼」
それはエルザの長い人生の中でも、
一番に美しくそして、恐ろしい笑みでした。
◆◆◆用語解説
・小児性愛
ペドフェリアのこと。
13歳以下の子供に対する性的欲求、またそれを抱く人間のこと。
ロリコンとの違いは、ロリコンは専門用語ではなく単なる概念で定義が曖昧であり、特に対照が13歳以上でも場合によってはロリコンと定義されるし、また、性的欲求を持たず、単にファッションや芸術的な趣向による興味であってもロリコンとされるのに対して、ペドフェリアはガチである。
ちなみに13~17歳程度の子供に対して性的欲求を抱くのはエフェボフィリア、もしくはヘベフィリアという。
・吸血鬼
ハルケギニアの吸血鬼は、一種の種族として存在しており、我々の知るそれとは若干違う。
繁殖方法も普通の生物と同じであり、吸血鬼に噛まれることで吸血鬼になるということはない。
ただ、吸血鬼は噛んだ人間をグールという下僕にすることができる。
・グール
原作ではグールの記述はあまり多くないので詳しくは不明だが、吸血鬼は沢山の人間をグールにすることは出来ず、基本的に一体をグールにすることしかできないようだ。
その反面で、作ったグールを結構あっさりと使い捨てている描写(他人を吸血鬼と思わせる為に使った後に殺させている)があったために、一生に一体とは思えず、一度に扱えるのが一体ということのようだ。
アンドヴァリの指輪のように死体を動かす先住魔法と共通点も多く、魔力の関係上一体しか扱えないと筆者は想像している。
・太陽
吸血鬼の弱点が太陽ならエルザは、サモンサーヴァントの時は大丈夫だったの?と言われそうなので。此処で解説。
前回の話で主人公テオ達は木陰で休んでいた。
その直ぐ側の木がじゃまにならないスペースに移動したが、シッカリと木陰はそこまで伸びている…ということにしておいてください。
弱いと言っても人間に隠れて生きるからには、太陽に触れた瞬間蒸発とかではなく、太陽に触れると軽いやけどを負い、長時間で死ぬ…程度だと考えている。でないと直ぐにバレるし。
直射日光をもろに浴びなければ。多少体調が悪い程度で耐えられるのだと勝手に想像してみたり…。
・枕詞
歌にみられる修辞で、特定の言葉の前に置くことで、言葉の流れを整えたり情緒を出すための言葉。
○○といえば最初に○○と付く、というような定番の言葉という意味にも使われる。
例
ちはやぶる…神、氏
若草…夫、妻
たらちねの…母
インディアン…嘘つかない
・例の属性
虚無の属性 OR ロリコン属性
・プディング
プリンのことだが、ババロアやカヌレなど、液状のものを固めた物を広義的にプディングという。
甘い物とは限らず、ブラッドプディングやヨークシャープディングのように甘くないものもある。
・杏の種を割る
梅干しの種の中のテンジンさんみたいに、杏の種中にも食べられる部分がある。
コレが俗にいう杏仁。本来の杏仁豆腐の材料である。
特別美味いというわけではないが、独特の匂いがするので、好きな人は好き。
しばしばアーモンドと混同されることがあるが、別ものである。
・食べ放題のヨーデル
トリステイン 学院で 飲み放題 飲み放題
骨髄も割放題
ハッピーヘブンパラダイス
残念ながらこのあとエルザの脳内はハッピーヘブンパラダイスからゴートゥーヘルした。
・それをすてるなんてとんでもない!
何か特別なものを捨てようとしたときに表示される。
・ゴーゴン
メドゥーサに代表される頭に蛇生やした魔物