04 / 剣闘士
「落ち着いて捌け! 強打がある相手ではないぞ!!」
アシュレイという少女と弟子のアーディルの試合が始まってまもなく、ガンドルフは自分の見立てが間違っていたことを思い知らされた。
確かに弟子の為にはなっている。むしろこれ以上ないほどの経験を積んでいるだろう。
間違っていたのは、彼女に対する自分の見立てだった。
彼女は、その年齢にしてはありえないくらい卓越している。
特に最初の蹴りは圧巻だった。
開始直後、絶対に手を抜くなと念を押して送り出したアーディルの速攻をことごとくいなし、返しの上段からの斬撃を盾で受けさせ、アーディルに反撃の横薙ぎを出させる。
アシュレイは右の脇腹めがけて放たれた剣の根元を叩いて落とし、すかさず奥足を真っ直ぐ突き出して靴の爪先をアーディルの下腹部に突き刺した。
もちろんアーディルは皮鎧を着ているし、アシュレイの靴も皮製の柔らかいものなので衝撃はほとんど通らないが、これが実戦ならば―――――
足を保護するために丈夫な皮を硬く締め込んだブーツや鉄のサバトンであったならば、たとえ下腹部を鎧で固めていたとしても衝撃は金的を貫いただろう。
相手の動きをコントロールする技量と柔軟性。
正攻法の動きの中で時折見せるトリッキーな動きは、相当の修羅場を潜ってきたことが分かる。
こちらの意図を汲んで決めの一撃を避けてくれているが、アーディルとの実力差は明らかだ。
「……うむ、そうだな」
背中を向けているアーディルの肩越しに投げかけられた「こんなものかしら」という視線の言葉に是と頷く。
彼からの返事を受けて、アシュレイが動いた。
蹴り足から手首まで続く連動を一息かからず行い、剣先を最短距離でアーディルの首筋へと奔らせる。
電光石火の突き。
だがアーディルもだんだんと彼女の速度に慣れてきたのか、意識の全てを防りにまわすことで何とかそれを受け止め、代償として盾を持つ手を痺れさせた。
手に伝わる感触からそれ直感したアシュレイはさらに攻めを加速し、たった一歩の踏み込みで一足一刀の間合いから相手の左手側に回りこむと、自分の盾で相手の盾の縁を抑えて動きを制限し、
右足をすばやく滑らせてアーディルの左の踵を蹴飛ばした。
構造上、最も弱い方向へと加えられた力に虚を疲れたアーディルが対応出来るはずも無く、体を入れ替えようとする勢いのまま盛大に転倒する。
背中を地面で強打し、混乱の中でとにかく急所を守ろうと身体を丸めた彼をあざ笑うかのように、アシュレイの剣は彼の両方の足首を同時に打って、試合を終わらせた。
/ / / / / / / / / /
「うん、お代わりをちょうだい」
試合の後、アシュレイはさあ奢れとガンドルフの背中を蹴飛ばして街の飲食店まで連行した。
最初はガンドルフも負けたアーディルのことを心配していたが、放心したような表情でノソノソと立ち上がる彼を見て、そのどこにも深刻な怪我を負っていない事を認めると、一言二言言葉をかけて他の者たちとともに修練場に返した。
そして現在、約束どおりアシュレイに飯を奢っているわけだが、その身体に似合わぬ食べっぷりに心底呆れているところだった。
もともと質より量の店だ。一皿に持ってある量は、並みの店の倍はある。
なのに入るや否や、メニューにあるもの全部もってこいと叫んだ少女は、テーブル上にこれでもかと並んだ食べ物を片っ端から貪り、今お代わりを要望した。
それをガンドルフは鳥の足を齧りながら呆れた顔で見ている。
「お前、どれだけ食べたら気がすむんだ?」
「ん? 満足するまでよ」
「そうか、愚問だったよ」
はぁ、とため息をつき、財布に手を落とす。
この間の報奨金は、自分を買い戻してもまだ十分なお釣りが戻ったが、この財布の中身は今日の支払いで消し飛ぶなと、彼は予想外の出費に溜息をつく。
そうしてしばらく、彼女の注文した料理を適当につまみながら彼女の腹が満足するのをまって、本題を切り出す。
彼女の剣の腕はいやというほど思い知った。
これほどの剣の腕を持っていて、さらに『手っ取り早く稼げる』仕事といえばひとつしかない。
「なぁアシュレイ。お前、剣闘士になる気は無いか?」
「剣闘士ってさっきの?」
食べて食べて遂に満足したのか、果汁を絞ったジュースを飲みながらアシュレイは首をかしげた。
そのままふむ、と考えるような仕草を見せると、コップを置いてずいと身を乗り出す。
「それは、私に見世物になれということ?」
「そうだな」
「ふぅん、面白い事を言うのね」
瞬間、アシュレイの右手が翻った。
彼女の手に握られた木製のフォークがガンドルフの喉仏めがけて振るわれるが、彼はそれを掴むと同時に握り潰す。
リン―――――と幻聴すら聞こえそうな緊迫感が出現し、ただならぬ雰囲気を感じ取った周囲のテーブルから音が消えた。
「最後まで聞けよ、アシュレイ。
お前は『手っ取り早く稼ぎたい』といったよな。だったら、この街で一番の仕事は剣闘士だ。
必要なものは剣の腕。賭けた命の見返りは、栄光と莫大な賞金。
最下級の試合でも、30日は食っていける金が手に入る。どうだ、アンタにはぴったりの舞台だろう?」
「……まぁ、確かにそうね。
少々腑に落ちないところもあるけど、貴方の目に嘘はなさそうだし、生活するためには金が必要なのも確かだわ。
で、私が剣闘士になるにはどうすればいいの?」
冷然と、アシュレイは唇の端を吊り上げた。
背筋がゾクリとするほどの貌。この表情は何度か見たことがある。
人の死などなんとも思わない修羅の貌だ。
ガンドルフは自分がとんでもない化け物を剣闘の世界に連れ込んだのではないかという予感に襲われる。
膨大な基礎反復練習の賜物である、基本に忠実で隙の無い剣術。
地獄と見紛う戦場でのみ身につく、鉄火場の機微。この少女はいったい何者だ?
「あと、そのフォークはあげるわ」
そんなガンドルフの葛藤など無視して、アシュレイは最後に注文した果実に手を伸ばす。
近隣て採れたリンゴを皮のまま齧ると、酸味と甘みが口内を満たす。
瑞々しい香りを口いっぱいに感じて幸せに包まれる彼女の顔は、もう年相応の少女のものだった。
その顔を見て、ガンドルフはとりあえず疑問を先送りにすることを決めた。
目の前の少女がどこかの国の貴族でも、はたまた北の蛮族が鍛え上げたバケモノでも知ったことかと開き直る。
剣闘士たちは皆、金を得るために、命を掛け金としてタバナクル(闘技場)に立つ事を選んだ。
だからたとえ死んでも自己責任というやつだろう。
自分は先日剣奴から開放されたばかりの一般市民で、街の秩序を守る兵士でも、神とやらの教えを説く神父でもないのだ。
「良し、なら善は急げだ。食べ終わったならついてきな」
そうして、ガンドルフは会計を済ませてずいぶんと軽くなった財布を懐にしまって歩き出す。
隣を歩くアシュレイをつれて向かったのは、自分が所属する剣闘士団の修練状だ。
/ / / / / / / / /
「―――――で、こいつがアーディルを子ども扱いしたって娘か?」
「貴方がここの団長? はじめまして、アシュレイよ」
「ふむ……」
ガンドルフが所属するクインス剣闘師団の団長は、予想と違うアシュレイという少女の容姿に少々面食らった。
若手では一番の有望株のアーディルを圧倒したというから、全身を筋肉で固めた大女を想像していたのだが、出てきたのは戦いよりもダンスが似合いそうな少女だ。
身長も女性にしては高いが四肢は細く、肌は透き通るように白い。
たわみ無く背中を流れる黒曜石のように輝く黒髪。
少女の儚さと女の色香を絶妙な割合で同居させる唇と、綺麗に通った鼻梁は、その肌と同じ白いドレスも、その髪と同じ黒いドレスもさぞ映えるだろう。
女性特有の丸みはまだまだ発展途上だが、これほどの美しさならば、たとえ流民でも身請けしたい貴族や豪商はいくらでもいるだろうに、彼女は剣闘士の道を歩むという。
「私じゃあ不満かしら?」
「 ッ!」
だが団長のその考えは、彼女と視線を合わせた瞬間に吹き飛んだ。
色はこの国ではさして珍しくないブラウンで、猫のように丸く大きなそれは愛らしさを感じる。
だがその奥に宿る光は、団長をしても中々見たことが無い鬼の瞳。
この光をもつ女となれば、お目にかかったことは皆無だった。
「……よし、じゃあ入団テストといこう。ガンドルフ、相手は誰がいい?」
「そうだな、エイキースとかどうだ?」
「アイツかぁ。
また確かに適任では在りそうだが、大丈夫なのか?」
名前の上がったエイキースの普段の素行を思い浮かべて、団長は渋い顔をガンドルフに向ける。
しかし彼は何の問題も無いと答え、むしろ彼が一番適任だろうと言い切ると、団長はしょうがねぇなと言いながらそのエイキースを呼びに言った。
「ねぇ、入団テストって、さっきアーディルとか言うのを相手にしただけじゃあ足りなかったってこと?」
「まさか。けどそれを見てない奴も多いからな。
五月蠅いのは早めに潰しといた方がいい。せいぜい派手に勝てよ」
そう言われて、この修練場の内情を知らない彼女は、そんなもんかと頷いた。
半刻後。
ガンドルフに連れられて武器庫から適当な皮の防具と歯引きの剣を見繕ったアシュレイは、どこで聞きつけたのか、剣闘師団に属する剣闘士たちが集まる修練場の中央に立つ。
武器はあの時地下で拾った剣と同じくらいの片手剣を選んだ。
両腕は薄いガンドレットを填め、両足は丈夫な皮の具足で固める。
兜は被らず、1つだけ持つことが許される補助武器はに盾ではなく短剣を選び、鞘と共に腰にぶら下げるこの姿こそ、帝国を苦しめた姫将軍アシュレイの完全装備だった。
「それで、相手は貴方かしら?」
対するは、縦にも横にも彼女よりふた回り以上も大きい巨漢だった。
纏う鎧も、その体躯に見合った重厚なもので、ガンドレットとサバトンで手足を覆い、鋼鉄の兜を被る姿は、いかにも力自慢の闘士といった井出達である。
唯一胴体の守りが薄いのは、それがルールだからだろう。
なぜなら民衆が見たいのは敗者の血であり、渾身の力で剣を叩きつけても割れないような分厚い金属の鎧は許されていないのである。
そして男が手に持つのは、叩き潰すことを目的とした戦槌。申し訳程度に、ヘッド部分に皮が巻いてあるが、まともに受ければそんなものは関係なく骨を砕かれるだろう。
「なんでぇ、この小娘は。
おい団長! こんなんの為に俺を呼びやがったのか!?」
遅れて修練場にやってきたエイキースは、兜の前面を上にあげ、さっそく団長に食って掛かった。
完全にアシュレイを舐めている。
見た目どおりかと、彼女は怒りを通り越して呆れていた。
「そうだ、詳しいことはガンドルフに聞いてくれ」
「紛れも無くその通りだ。
気をつけろよ、そんななりでも、アーディルを完璧に叩き伏せられるような猛者だぜ」
「ケッ、一度もタバナクルに立った事もねぇような餓鬼を甚振っても自慢にもならねぇよ。
おい嬢ちゃん。
勝った奴が負けた奴を好きにしていいのがここのルールだからよ、犯されたくなきゃさっさと消えな。
それとも、俺に抱いてもらいたくて指名したのか?」
そう言ってエイキースはゲラゲラと笑った。
一方のアシュレイは、彼の言葉を聴いたとたん、表情を消して伏いてしまう。
心なしか、肩も震えている。
「……ほう、なかなかそそる仕草も出来るんなねぇか。
よし、さっきのはやっぱり止めだ。こんな茶番はさっさと終らせて、寝床でゆっくりと愉しもうぜ」
アシュレイの震える肩を見て、自分に怯えていると見て取った、エイキースは下卑た顔で尚もゲラゲラと笑う。
彼の頭は、もう彼女をどう倒すかではなく、どう犯すかを考えていた。
まずはあの色気の無い鎧を剥ぎ取って、髪を掴んで後ろからか。いやいや、それでは絶望にそまった顔が見れない。やはりまずは前からだ。上に乗っけて踊らせてやるのも悪くない。
ニヤニヤと、欲望に塗れた視線でアシュレイを観察するエイキースと、その視線をただ身に受けて震えるアシュレイ。
蛇ににらまれた蛙という言葉があるが、それ以上に誰の眼にも、これから行われる試合の結果は明らかに思えた。
「―――――合図を」
そのアシュレイが、小さく掠れるような声で開始の言葉を求めた。
不味いな、というのがガンドルフと、先ほど彼女の目を見た団長の共通意識だった。
エイキースはアシュレイを小娘だと思って完全に侮っている。
こんな男でも、団長からすれば長く共にやってきた同胞である。
気を抜くなと助言してやりたいが、それはルールに反するだろう。せめてもの気遣いとして準備はよいかと重ねて尋ねたが、彼は欲に染まった顔で準備よしと答えるのみだった。
犯すときに手間の無いように、腹を叩いて一撃で終らせてやるとエイキースが戦鎚を構えた。
一方のアシュレイは、目を伏せたまま、剣もだらりと下げたままその時を待つ。
「ではこれより、そこの娘、アシュレイの入団試験を行う。
この修練場の取り決めどおり、敗者は、命以外であるならば、勝者の望むものを与えること。よろしいか?」
「もちろんだ」
団長の宣言に、自分の勝利を疑わないエイキースは意気揚々と答え、
「……ええ、かまわないわ」
アシュレイは低い、凍りつくような声を返す。
その声にガンドルフと団長以外の者たちも一様に違和感を覚えたが、欲望に支配されたエイキースだけはそれと無関係だった。
目の前の女の味を想像し、舌なめずりをしつつ、その時を待つ。
ちらりと視線の端に見えた、ニヤニヤと嗤うガンドルフの顔が、わずかに引っかかった。
「始め!!」
「おおおおおおおぉぉぉーーー!」
合図と共に、エイキースは距離を詰めた。
粗暴に過ぎる彼だがエイキースはすでにタバナクルで50戦以上を行い、その半数以上の相手を撲殺してきた強豪である。
剣闘師団内においてこの横柄は態度が許されるのも、相応の実力が合ってこそだ。
地面に野太い脚を叩き付け、裂帛の気合とともに放たれるのは、戦鎚の真骨頂である振り降ろしではなく、横から小さく円を描くような薙ぎ払いだった。
獲物の重さを利用し、小さく素早い攻撃で相手をよろめかせ、無防備になったところを仕留めるのが彼の最も得意とする攻撃の組み立てである。が、
「失せろ」
エイキースの視線の中で、アシュレイがいきなり大きくなったかと思えば、なぜか凄まじい衝撃が兜の側面から頭を貫く。
一瞬で目の前が真っ白になる。何が起こっているのかわからない。
ぐらぐらとゆれる視界の中で、何とか倒れまいと踏ん張ったところで、今度は背中に槍を突き立てられたような激痛が奔り、彼の思考を痛覚だけが満たした。
「あ~あ、そいつを小娘と侮るからだよ」
エイキースのやられ様をみて、ガンドルフは溜息を吐いた。
試合開始とともに仕掛けたエイキースの横薙ぎを、アシュレイは前に跳躍することで躱すと共に、剣先で彼の兜を鋭く薙ぎ払い、さらに着地と共にエイキースの脇腹の後ろあたりを長手持ちの剣で思い切り薙ぎ払ったのだ。
「アンタは私の禁忌に触れた。楽に死ねると思うなよ、下種」
激怒に震えるアシュレイの頭から、既に手加減などという言葉は吹き飛んでいる。
両足を踏ん張り、頭と腹の激痛を必死に堪えるエイキースの首に軽く一撃を入れればそれで試合を終らせれられる。
だが彼女はそれを良しとせず、彼女は更なる痛みを与えるためにその顔面を剣の腹で引っ叩く。
噴き出す鼻血を汚い物を見る眼で避け、エイキースの右膝の側面を狙って硬い爪先を突き刺す。
さらに倒れるのは赦さないと顎を跳ね上げ、万が一を考えて手首を打って戦鎚を取り落とさせた。
武器を奪われ、視界を奪われ、痛みと目の前の悪魔が発する殺意が全身をくまなく覆う。
とにかく丸くなって、致命傷となる急所だけは必死に守る彼を嘲笑うように、アシュレイは防御の隙間に剣を通して着実に体力を削っていく。
「アハハハハハハハハ、さっきの元気はどこにいったの!?
ほら、ここが開いているわよ!!」
「ぐえぇぇ……」
アシュレイが背中から引き抜いた短剣で喉を打たれ、思わず腕を上げたところで、左の脇腹に歯引きの刃がめり込んだ。
人体にとって最も重要な臓器のひとつである肝臓を強打され、痺れるような痛みがエイキースの胴体を透って背中まで突き抜けた。
「あっ、しまったね」
その反応にアシュレイは舌を打つ。
怒りと興奮で我を忘れていたようで、ガードが開いたのが見えた瞬間に思わず全力で剣を振りぬいてしまった。
これまでの嬲るような全身への攻撃から打って変わって、人体急所への痛激を受けて、遂にエイキースの意識が悲鳴と共に断ち切れた。
気を失ったことでエイキースの巨体が傾き、頭から地面へと墜落する。
彼女はそれを興味を失ったように一瞥すると、相命を奪ったことを示す為にエイキースの首を軽く打って、剣を天へと突き上げた。
シンと静まり返る修練場。
誰もが彼女の発する怒気と狂気に気負られた。