「ぐぉぉ……全身が筋肉痛だ」
「大丈夫でございますのですか? シモベ様」
「これが大丈夫に見えるか……?」
うめき声を上げながら、俺は廊下を歩く。後少しで、自分の教室である3Aにつくのだが、睡眠不足の上、腕足腰は筋肉痛でまともに動かせなく、ダルい。
畜生、あの鬼畜マスターめ。あんな仕打ちはあんまりだ。
昨日、くれはの蹴りで気絶していた俺はものの見事に喫茶店パタータのバイトをサボることになってしまった。そのことにマスターが静かに怒ってしまい、『今日は店の掃除をしてもらおうか。オープンした当時のようにフローリングがピカピカになるまでね。あ、時間外手当てはでないから』と言いつけられてしまった。そのせいで、夜遅くから朝日が登までピカピカに店を掃除するはめになったのだ。しかも、時間外手当ては出ないそうだから、金は一銭も入らない。骨折り損のくたびれもうけとはまさにこの事だろう。
下を見ながら、一歩一歩教室にと向かう。その時、俺は気になるものを発見した。
「なあ、クロあればなんだと思う?」
「センエツながら……ウチにはコンクリに青いゴム的な塗装を施したものかと」
「それは床だ! 俺が言いたいのは、その床の上に落ちてるコレだよ」
ヒョイと問題の物を取り上げる。
それは、鳥の羽根のようなものだった。しかし、俺はこんな綺麗な桃色の羽根を持つ鳥を知らない。
「何でこんな所に落ちてんだ?」
「さあ? そんな時にこそ、考えるな感じろと天使界の方々には教わりましたのですが」
「ふむ。じゃあ匂いでも嗅いでみるか?」
羽根を鼻に近づけて、くんかくんかと匂いを嗅ぐ。うむむ……? 解せん。女の子みたいな香りがするぞ?
何で鳥の羽根からこんな匂いが……?
「ハッ……! もしかして」
「どうしましたのですか?」
「この鳥の飼い主はハイパー美女だ! 俺の勘がそう告げている!」
「はぁ……よく分かりませんが、その羽根からはただならぬ気配を感じますのです」
「あ、ユキちゃーん!」
ころんが、俺の姿を見つけるなり駆け寄ってきた。随分と慌ててるが、どうしたのだろうか。
「ユキちゃん、実はね、マーロー君がお腹すいたって嘆いてるの!」
そういや、朝からマーロー君見ないと思ったら、ころんに着いてったのか。しかし、マーロー君がお腹すいただと? アイツ、ただの判定機じゃないのか? クロに目をやると、訳が分からないと肩をすくめていた。
「さっきから虚ろな目でころんを見つめて、体も冷たくなってるし」
「虚ろな目って……」
ころんの隣に浮かぶ石顔を指差す。
「もともとこんな顔だろ? しかも、冷たいってそりゃ石だからな」
「う〜でもでも! 可哀想だよ、マーロー君が!」
「そう言われてもなぁ……」
マーロー君何が好物なのか検討もつかんし。
「オソレナガラ……シモベ様、その羽根をマーロー君の口に入れてみればいかがでございますのでしょうか」
「なっ……ざけんなっ! せっかくの美女の香りがマーロー君の口の匂いで消されたらどう責任とってくれんだっ!」
「ヒィィ、しかし、魔女の証拠かもしれませんのです!」
ぐっ……た、確かに。けれど美女の匂いつきの羽根を手放すのは……ぐぬぬ。
心の中で葛藤していると、ころんがてくてくと近づいて来た。そして、「えい」という可愛らしいかけ声と共に俺の手から羽根を奪うと、俺が止める暇なく無慈悲にもマーロー君の口の中に入れてしまう。
「ああ! ころん何てことをっ!」
「マーロー君、これで大丈夫?」
「お前、お前なあ……!」
ころんが男だったら容赦なくコブラツイストを決めている所だったが、美少女に手を出すこと(ただしセクハラは除く)を良しとしない俺はただ血涙を流すことしかできなかった。
『魔力反応アリ! 魔力反応アリ!!』
「おおっ、シモベ様! やはりこの羽根には魔力反応がありましたでございますのです!」
クロが何やら喜んでいたが、俺は気分が萎えきってしまっていた。ああ……美少女飼い主の羽根……。
「シモベ様から、家庭と仕事に疲れ果てた四十代のサラリーマンと同じ哀愁がただよってますのです」
「もう、ユキちゃんったら……えい」
むぎゅ。そんな音とともに、体に柔らかい感覚が押しつけられた。
これは……見なくても分かる。ころんが自分の胸を、俺の腕に押し付けているのだ。くれはよりはちっさいが、適度な大きさを保ったおっぱいは、俺の腕をまるで聖母のように暖かく包んでいた。
「こここ、ころん!?」
「えへへ。ユキちゃん、コレで元気になった?」
俺より背が低いころんは、意図せずして上目ずかいになっている。それに加え、桜色にほんのりと染まる頬……。何という可愛らしさ。俺の胸キュンポイントを正確無比についてきてやがる……!
「何というラヴコメ。砂糖を吐きそうでございますのです」
クロの言葉は耳に入ってはこなかった。何故なら、俺はころんの唇に目を奪われてしまってたから。
血色がよく、みずみずしい柔らかそうな唇。あれに、貪りつきたい。
思考回路は麻痺……もとい活性化していた。据え膳食わずは男に非ず。いただきまーす! 俺はころんに唇を近づけて……。
「ははは破廉恥なっ!」
「へぶりんちょ!!」
突然右頬に衝撃が襲ってきたと思えば、いつの間にか俺は床とキスしていた。な、何が起こったんだ一体。何故俺は床たんとキスする羽目に!?
「この色情魔! 神聖な学校で、後輩になななんてことを!」
この張りのある声は……。
「くれは!?」
ばっと立ち上がると、魔女容疑者でスタイル抜群な羽織くれはが顔を真っ赤にして、まるで親の仇と言わんばかりに俺を睨んでいた。
「どうしてここに……」
「どうもこうもここは私のクラスの前でしょ! それより、長瀬君! あなた一体ここで何をしようとしてた訳!?」
「何って……ナニ?」
「馬鹿なこと言わないでちょうだい! 下級生に無理やり迫るなんて……」
「お、おい別に俺は無理やりなんかじゃ……」
「黙らっしゃい!」
反論はピシャリと封じられた。うう……今回は別に無理やりって訳じゃないのに。
くれはは、ころんの肩をつかんで顔を覗き込んだ。
「あなた、大丈夫? この変態に何もされてない?」
「別に、何も……」
「弱みを握られてるの? それとも彼を庇ってるのかしら?」
「ううん……別にユキちゃんは……」
「安心して。わたしが何とかするから」
……何だか酷い言われようだ。ムカッとは来るが、今までの自分の行動を省みると何にも言えなくなる。
「長瀬君。昨日言ったわよね。破廉恥な行動は慎むようにって」
キッとくれはに睨まれる。
確かに言われたけど……どうしてくれははこんなに怒ってるんだよ。そう考えた時、一つの仮説が生まれた。
「ははん。もしかして、くれは」
「何よ」
「焼きモチ焼いてんのか?」
「なっ……!」
くれはは言葉を無くしたように口をぽかんと開けた。おっ、図星か?
「あれだろ? ころんにだけキスしようとして、拗ねちまったんだよな。でも大丈夫だよ。俺は女の子は平等に愛す主義だから」
「……」
パクパクと口を開けたり閉めたりしたままくれはは何もいわない。
ふっふ……くれはもいじらしい所があるじゃん。俺はラノベなどで良く見る展開を好機と見て、くれはにルパンダイブで襲いかかろうとする。
「うひょー……ぶるぁ!」
「何をバカなことを」
くれはのストレートが今度は左に入った。それは、腰の入った世界を狙える拳だった。
「長瀬君! あなたには今日の放課後に学校中のトイレ掃除を命じます!」
「ふぁい……」
ビシッと指を突き立ててきたくれはに、俺は冷たい床に慰められながら、小さい返事を出すことしか出来なかった。
**
放課後。
俺はくれはから押しつけられた掃除道具を片手に、屋上にとやってきていた。
「ぎゃああああ!」
「ど、どうしたクロ?」
「ウチらアクマは太陽に近いところは苦手でして……」
「お前、本当に天使に改宗したんだよなぁ?」
クロとのバカなやり取りも最近はなれてきた。
「シモベ様? トイレ掃除はよろしいのでございますのですか?」
「いいんだよ。何で俺が野郎のトイレを磨かなきゃいけねえんだ。だったら、バイトの時間までサボった方がマシだ」
くれはから罰として言いつけられたトイレ掃除は、なんと男子トイレのみと後から条件が付け足された。
女子トイレに合法的に侵入できると思っていたのに、何たる仕打ちか。くれはめ、見てくれは良いけど男の子のリビドーを理解してくれないところはマイナスポイントだぞ。
ため息をついて、壁に寄りかかるように座る。クロは最近定位置と化した俺の右肩にちょこんと座って、一緒にぼーっと屋上を眺めていた。
「しかし、不思議だな。この学園は」
「センエツながら……ここは元々魔法使いたちが作った建物を利用している学園のようなのです」
魔法使い、ねえ。万年桜や屋上の魔法陣も彼らが作ったものなのだろうか。
だとしたら、一体何のために?
まだ見ぬ魔女に思いを馳せていると、フェンスの上で優雅に羽やすめをしているピンク色のハトを発見した。
あの羽根の色……まさか!
「クロ、お前カメラ持ってるか?」
「あ、あるにはありますが……ウチのオススメはこのエンゼルス日光カメラ! 対象を五分間動かさないようよろしくお願い申し上げますのです」
……コイツはなんでわざわざ日光カメラをチョイスしたのだろうか。
「普通のカメラは?」
「はぁ……ありますが、ウチの性分にはあわないのですが」
「んなもん、今はどうでも良いわい! さっさと撮れ!」
クロのケツを叩いて、カメラで写真をとらせる。フラッシュが焚かれ、カシャという音が鳴った。
「ひぃぃ……魂が、魂が吸われる〜」
「迷信だ」
クロの戯れ言を切り捨てて、俺は写真が現像されるのを待つ。三分後に出来上がるらしいので、それまではぼーっとハトを眺めた。
ハトは少し経ってから、可憐に羽根を広げて大空へと旅立つとその姿を消した。
「シモベ様。現像が終わりましたのでございますのです」
「おお。後はこの写真を」
写真をマーロー君の口の中に入れた。
『魔力反応アリ! 魔力反応アリ!! 魔女のカクリツ五〇パーセント! ソコソコですな』
……マーロー君のキャラがいまいち掴めない。
まあ、どうでも良いことなので置いておくとして、今までの証拠を繋げて分かった事を整理してみよう。
一、くれはは練習の後いつの間にか姿を消している。それも、熱烈なファンの追跡をも振り切って。
二、廊下に落ちていた桃色の羽根は今さっきフェンスで休んでいたハトのもの。立ち振る舞いを見る限り、誰かに飼われている?
むぅ……恐らく、あのハトはくれはの使い魔的なものだと思う。あの羽根の匂いは、思い返せばくれはの匂いに似ていたし。
しかし、そう考えるとどうも引っかかりを覚えるんだけど……よう分からんな。
「だいたい、俺は頭が悪いんだ。こんな探偵もどきの推理するよか、魔法を使ってる決定的瞬間を抑えた方が早いかもな」
今度は生徒会室にでも凸してみようか。
今日は無理だが、証拠が見つかるかもしれんし。
**
「ふぅ……」
キュッキュッと皿洗いをする。
この裏方バイトも慣れてきた。初日のように山のように積み重なっていた皿は、おれあと少しで終わりそうだった。
今日はころんが手伝ってくれたからな。
曰わく、「ころんのせいでユキちゃんが怒られちゃったからそのお詫びだよ」らしい。別に俺は構わなかったのだが……。
「ユキちゃん。お皿洗い終わったよー」
「お、サンキュー」
「シモベ様、ウチは本日九枚しか割らなかったでございますのです」
「クロも進歩して……ないな。なんで二桁近くまで割ってんだよ」
うぅ……俺の給料が。
「あ、ユキちゃん。魔女探しの件はどうなったの?」
「ん……ああ、そろそろ終わらせるよ」
「そっか。ころんに手伝えることがあったら言ってね?」
ころんの優しさが身に染みた、放課後のバイトだった。