ぷぉおおお、と大きな音が響き、作業をしていた者は顔を上げ、村中に緊張が走った。
――――ついに来たか。
ミズオも土を掘り返すのに用いていた板から土を払い、中ほどにある取っ手を掴む。それの本来の用途は盾だった。
結局、掘りを作るのは間に合わなかった。
仲間に、柵の内側に撤収するように伝える。
高らかに響いた音は、海岸で拾い集め、加工したホラ貝の音だ。遠くまで響くため敵襲を知らせるのには都合が良かった。
本来なら歌と踊りのアクセントとなるはずだったのに。初披露がこれとはやる瀬ない。
だがこの襲撃を乗り越えれば、また平和な日々が戻ってくるはずだ。
歌って踊れる幸せな日々がまたやって来る。
そう信じて、戦うしかない。
ホラ貝の音は一度。別働隊はない。正面から来る敵だけだ。
ずずず、と森の向こうから地鳴りのような音がする。
息せき切って見張りに出ていた仲間が囲いの中へと飛び込んで来る。
その内の一人、ムラサメさんが普段出さない大声で叫んだ。
「みんな、心しろ! でかいのが来るぞ!」
その言葉の真意を問う暇もなく、村の南、森の一角が弾け飛ぶ。折られ、蹴り飛ばされる木々の散らばる中を巨大な生き物が走り出てきた。
その光景、ムラサメさんの言葉の意味が分からなかった者はいないだろう。
森から出てきたのは、まるで自分が縮んだかと錯覚するような大きさの生物だったのだ。
確かにでかい。でかすぎる。
――――――も゛ぉ゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!
カタツムリのように目が飛び出た体高6メートルはある、家より大きな六本足の赤い象。
それが5頭、半狂乱になりながらこちらに向かって走ってくる。
赤い象は追われていた。尻に十数本の槍を突き立てられ、血を流しながら走り、今なお後ろから槍で追い立てられている。
走る速度は早くない。しかし、その大きさ、重量こそが、問題だ。まるで山が迫って来るかのような焦燥感。
「マジかよ……!」
ミズオは戦慄に唾を呑んだ。こんなこと、思いついても実行するか?
胴体が妙に細長く、肌の青白い蛇のような生き物が叫びながら四本の腕で、枝を尖らせた槍を振り回し、象たちの皮膚に穂先を突き刺し、行進を無理やり加速させている。
あの蛇が村を潰した生物だろう。槍を作るほどに賢く、そして無邪気な残忍さが窺い知れる。
ぎゃあぎゃあと憎たらしいほどに楽しそうだ。ミズオの中に怒りが膨らんでいく。
―――――ふざけやがってッ!
地響きと共に柵へと突っ込んで来るそれに、しかしミズオ達の準備も役に立たない訳ではなかった。
ミズオは手を挙げ、手に握る雄牛の杖を振り下ろす。
「よし―――――投げろ!」
「ォオオオオオオオオオオオオオッ!」
既に構えていた鬼族たちが、いっせいに、丸太を投げ飛ばす。昨日抜き過ぎて余って居た丸太を手ごろな大きさに輪切った物だ。
下手な岩を投げるより、威力がある。
それは風切り音を上げながら哀れな赤い象や、その向こうの蛇っぽい生き物たちに向かって飛び、次々に着弾する。
蛇っぽい生き物には避けられるが、象には当たり、さらに地に落ちた物が土煙りを巻き上げて、その侵攻を僅かばかりと言わず妨げる。
鬼族たちはミズオ族が両手で渡す生木を片手で掴んで受け取り、即座に第二投。
鬼族の長などその巨体を生かした剛力で、長いまんまの丸太を投げ放ち、柵の目前に迫る象の顔にぶち当てる。
衝撃で頭を揺らす先頭の象の足に、落ちた丸太が絡み付き、一体の象を転倒させた。疲労しているのだろう、倒れた同属に足を取られて、赤い象たちは次々に転倒していく。
しかし距離が近すぎ、そして赤い象の身は大きかった。
「―――――っ! 柵から離れろっ!」
柵がメキメキと押し潰されて行く。柵の、斜めに据えられた鋭い丸太の切っ先が象の体へと食い込んで、象の絶叫と共に吹き出す血が辺りを染めて、そこに青白い蛇たちが降り立ってくる。
利用されただけの哀れな象たちの死を悲しむ暇は無かった。そんなことをしていれば、すぐに後を追うことになりかねない。
柵が速攻で壊されたことに歯噛みしつつ、眼前の敵を見据える。
蛇であった。
改めて見ると、蛇に手が生えただけの生物に見えた。四本の手が胴体から突きだして、それぞれの手の先に短い槍を構えている。
足は無く、腰から下が蛇の尾となってくねっていた。縦割れの瞳を細め、口からチラチラと舌を覗かせる様は、そのまま想像上の蛇と合致する。背はミズオ達より低いが、蛇に似合わぬ三本指の腕は鱗がびっしりと、しかしその下の筋肉がくっきりと浮き上がっていた。
蛇たちは血の広がる地面に降り立つや、這うような姿勢で滑るように向かってくる。
ミズオは叫んだ。
「―――――数はこっちの方が多い! 囲むぞっ!」
同時に石斧を持って駆け出した。左手には盾。
勢いのまま斧を振りおろし、接近に驚いて槍を振ろうとする蛇の頭を叩き潰した。頭蓋が潰れる嫌な感触が腕を這い上ってくる。
舌打ちしながら振り払うように腕をなぎ払い、後続の蛇が突きだしてきた槍を弾く。
場が、怒号と悲鳴に満たされ、血が、断末魔が溢れ出して行く。
象の死体を登って入ってくる蛇たちを囲むように半円形になったミズオ達が、一方的に嬲るような展開になりつつあった。
だが、手は緩めない。
―――――――皆と話し合ったのだ。躊躇はしない。情けをかけず、仲間を守る。
幸い、ミズオ達に殺しの忌避感はほとんどなかった。
それは微生物時代から培った、死への概念と同時に身につけた物である。
殺さねば、殺されるのだ。
「ぉおおおおおおおおお!」
ミズオは己に気合いを入れ、盾で相手を勝ちあげて、斧で胴体を殴りつけた。
鬼族とミズオ族が数の差から有利に戦いを進めていた。
ミズオ族たちは盾と斧で、鬼族たちは丸太とその剛腕で。
怪我をして子どもを守る数体を除いた、総力戦だ。足元には次々と蛇の死体が積み重なっていく。
しかし蛇たちの勢いは緩まない。
一体何匹いるのか、決壊した堤防から噴き出す水の如く、次から次に象の死体を下りてくる。
その内に、柵の向こう側に居る蛇の一体が尻尾をバネのようにして、高い跳躍を見せた。
丸太の柵を軽々と飛び越えて、包囲をしているミズオ達の中へ飛び込んで来る。
――――――へ、蛇のくせに飛ぶなよっ!
ミズオ族や鬼族も慌てて対応するが、振り下ろした武器の半数は空を切り、ついに敵の武器がこちらに届く。
後ろに行かれると相当やばい。挟まれるし、下手すれば後ろの子供が襲われる。
混戦になれば、途端に被害が大きくなるだろう。敵は素早く、武器も十分に殺傷力がある。
上がる悲鳴。そちらを向いている暇は無かった。
頭上を飛び越そうとする蛇に斧を投げつけ、突き出される槍を角で払い、視界の端を通り過ぎようとする尻尾をひっつかんで投げ飛ばす。隣の鬼族は丸太を投げ捨て蛇を殴り落としている。
すぐ近くに降り立った蛇は、とても素早く、攻撃は鋭かった。
ぬるりと滑るような動きでこちらの斧を回避して、一息で三つも四つも槍を振るってくる。
一対一ではかなり分が悪い。ミズオ族と鬼族で囲んでタコ殴りに出来ている現状だから何とかなっている。
どうすればいい。どうすれば。
目の前の蛇を押し返すので精一杯で、思考がまとまらず、焦りが募る。
動作が乱れ、敵の槍が体を掠り、やがて抉ることも多くなる。
視界の端で、槍を顔に受けて倒れる仲間が見えた。遠い。助けれない。やばい。やばい…!
「ォオオオオオオオオオオ!」
そんな時、突如雄たけびが響く。横目で見やれば、鬼族の長が二匹の蛇族の尻尾をひっつかみ、両手で振り回していた。
暴風のように暴れまわり、倒れた仲間にとどめを刺そうとしていた蛇を弾き飛ばしている。
踏み込みは土の地面を凹ませて、振り回され口から舌と血を流し出す蛇を掴んだその姿は、まるで般若のようであった。
それを見た鬼族が真似をし始め、徒手空拳から敵をひっつかんで武器とし始める。
その姿に、明らかに敵がひるんだ。
――――――行けるか?
ミズオは敵を吹き飛ばしながら一人語ちる。
だが、即座に希望はかき消された。
鋭い音が響いて、蛇たちが戦意を取り戻したのだ。
柄の先に火のついた長い槍を持つ、大きな蛇が象の死体に登っていた。
槍を掲げ、しゅうしゅうと呪いのような声を吐く。
目の前の敵の槍が頬をかすめ、ミズオは舌打ちをする。
「長、見たか?」
突然、近くから声がかけられる。低い声。ムラサメさんだ。
蛇を槍ごと斧で両断しているあたり、斧使いNo.1の男は伊達ではない。
彼の言葉に、ミズオは一瞬考え、そして彼が言いたいことに気付いた。
「……敵の長かっ!」
気が付けばそうとしか思えない。
あの威風堂々たる様子。ミズオ達と死する仲間を睥睨し、しゅるしゅると舌を震わせている。
長だ。間違い無い。周りに蛇が十数匹、象の死体を登ってきて守るように侍った。
ムラサメさんが低く呟く。
「倒せば退くか?」
「わからん。でも行くしかないな」
このままやっていれば、いずれ死者が出るだろう。それは嫌だ、仲間が死ぬのは己の腕が千切れるより嫌だ。
ムラサメさんが蛇を斧で地面に縫いつけながら言う。
「俺が行くぞ」
ミズオも言う。
「俺も行くぞ。一緒に行こう。その方が確率が高い」
ミズオの言葉にムラサメさんは鼻からふん、と息を吐き、槍を受け止め、敵を殴り飛ばしながら呟いた。彼の左手にはすでに盾がなかった。
「死ぬなよ。ベーコに頼まれているんだ」
「ベーコ? いや、死ぬかよ。ムラサメさんこそトチるんじゃねぇぞ」
「俺が誰だと思ってる」
「むしり過ぎて髭のないおっさんだよ」
ミズオとムラサメさんは同時に地を蹴った。
目の前に飛び出してきた蛇の頭を強烈に蹴りつけ、踏みつけ、跳躍。
高く、羽を広げて、飛翔した。
「―――――!」
バサ、と羽ばたかせると風を孕んで体が一段上に浮く。丘のように柵の上に横たわる象の死骸。そのさらに上へと跳び上がる。
「ぉぉ―――――――」
蛇の長がこちらを見上げている。指をさし、仲間に鋭い音で指令を出す。
(盾がもつか―――?)
多くの蛇がこちらを見上げ、槍を突き出してくる。
これは負傷も免れまい。
「―――――――ッ!」
覚悟していると、轟音が響く。
飛来した何かが、ミズオ達を待ち構える蛇たちに直撃し、吹き飛ばす。
見やれば鬼族の長が、片手の武器(蛇)を投げつけてくれたようだった。
正直、かなり助かった。
開けた場所に、四本の脚で着地する。
象の皮膚は意外と硬い。岩を踏んでいるかのようだ。死後硬直だろうか。
まぁいい。好都合である。
ミズオはさらに体を沈みこませるように、踏みこんだ。
――――――いくぞ。
奥歯が砕けるほど歯を食いしばる。
下半身に力が漲って、筋肉がはち切れんばかりに膨張し、全て一瞬で終わらせてミズオの体は弾けるように飛びだした。この体系で一番得意な動作。突進だ。
鬣《たてがみ》が風に逆立つ。皮膚がチリチリと粟立つようだ。
一歩で地面を蹴り抉り、二歩で最高速に到達したミズオは風と化し、眼前の敵を吹き飛ばす。
ごぉんごぉんと盾が揺らめき、突きこまれる槍が肩を抉り、盾に亀裂が走り、槍が額を削ってこめかみに滑り、後ろに流れて行く。流れる血が、目に入る。
やがて盾が割れ掛ける頃に、敵の親玉の姿が見えた。
蛇に囲まれ、余裕の表情でこちらを見ている。
―――――――ふざけやがって!
「ぉおおおおおおおおおお!」
さらに足に力を込めようとした瞬間、隣に燃え上がる様な熱気を発する男が現れる。
ムラサメさんだった。世界一、頼りになる男だ。
それを肌で感じ、無我夢中でミズオは叫んでいた。
「俺を踏んで――――跳べッ!」
もはや目も向けず、しかし確かにムラサメさんの頷いた気配がする。
やや足を緩めた。
同時に高く地を蹴る音。
下半身―――馬の背中にハンマーでも振り下ろされたような容赦のない踏み切りの蹄が落とされる。
ぐぁん、と頭上をムラサメさんの巨体が舞った。通り過ぎる影が一瞬視界を暗くする。
「――――――――!」
絶叫。
開けた視界でムラサメさんが蛇の長の頭を、手に持つ長い槍ごと両断する。パッと槍の柄の先で火の粉が散った。
(これで……)
そして同時に、ミズオは己の体に無数の槍が突きこまれていることを知った。
熱い。
痛みは無く、ひたすら熱い。
内臓が抉られ、喉の奥から血が溢れだしてくる。懐かしくすらある、命が流れ出して行く感触だ。
―――――おお。
―――――これは流石に。
―――――助からないな。
―――――死か。
素直に理解して、受け入れた。
最後の仕事と、眼前の蛇どもに向かってミズオは吠えた。
「お前ら――――――」
血でぬめる斧の柄を強く握り、振り払う。
「全員、道連れにしてやるぁあああああああああああああああああ!」
体から血を吹き出しながら、ミズオは斧を振るった。
斧は刃が砕け、盾はあっけなく割れ。
その後は敵の槍を奪って突き殺した。
敵からの反撃は、不思議と無かった。
やがて蛇たちが逃げだして行く。
それを見るミズオは今、立っているのか座っているのか。自分でも分からない。
「―――――!」
誰かが声をかけてきている。シルエットしか見えない。
平和になったか? そう聞きたかった。もうこの斧を放り出しても良いのか?
声は出ない。
ああ、意識が。暗がりに。
ぼんやりする頭で、俺たちに歌と踊りが戻ってくればいいな、と思った。
斧なんか捨てて、みんなと一緒に踊りたいぜ。