蒼く澄んだ空にわたあめのような雲がふわふわと浮かんでいる。
風が海から吹き付けているのだろう。街の中というのに、かすかに潮の臭いがした。
「ここに来るのも久しぶりだな」
相変わらずスーツ姿の姉がそうこぼした。
二年の間伸ばしていた髪は長くなり、腰ほどにも届きそうだ。紫にも見えるそれが風でなびき、鬱陶しそうにかき上げる。
ティーダとティアナちゃんは手をつなぎ、物珍しそうに辺りを眺めている。
私達は第97管理外世界、地球……それもお馴染みとなった感のある海鳴市に来ていた。
既に予約はしてあると言い、さっさと先に行ってしまう姉を追うように私達は続く。
一応、渡航申請の名目上はティアナちゃんの保護者だというのに、相変わらずな人だ。
着いた先は有名所のマンスリーマンションだった。予約はしてある。本契約を結び、入居する場所を一通り見て回った。
「ん、なかなか値段にしては良いところだな。物の置き場所にも便利そうだ。よし……ではティーノ、ティーダ。ティアナよ、私は早速各地を巡ってくるぞ」
後は若いものに任せる、と妙に年寄りめいた言い回しを使うと、ふらっと出ていってしまった。
……まあ、あの姉はね。
そんな適当さを初めて見たらしい、ティアナちゃんがぽかんとしている。
私は一つ頬を掻き、ティアナちゃんの頭を撫でた。
不思議な表情になって私を見上げる。だいぶ背が伸びた。本当にこの頃の子供は二年も経つとまるで違う。
今更ながらにその間の成長を逃してしまった事が悔やまれる。もう一回天の門とかくぐったりしたら今度は過去に行けないだろうか?
「おねえーーーちゃんッ」
考え事していると、甘えるような口ぶりで、ぽふりと私の胸にじゃれついてきた。
二年前、飛びつかれるのはお腹だったものだが……そのくらいには身長差が埋まっているのだ。
あと頭一つちょっとくらいで私も並ばれてしまいそうだ。まだこの子は7歳児だというのに……子供はいつまでも子供でいてはくれないと言ったのは誰だっただろうか。
私はティアナちゃんの、お母さん譲りなのか、明るい色の髪を指ですき通す。
でも、まあ、なんだ。
「うああ、癒やされる……」
愛らしさにたまらず抱きしめそうになった。
季節を思い出して、手を留める。中途半端なところで指がわきわきとして我ながら変態臭い。自重しろ私。
さすがに夏場にハグは暑苦しい。うん。
ティアナちゃんの髪もちょっと汗で湿ってきている。
ミッドの気候に慣れていると日本の蒸し暑さはかなり厳しいものだろう。湿度が違いすぎる。
エアコンを入れ、ひとまず飲み物でも、と近くのコンビニエンスストアにでも行こうと再び外に出る。
日差しが強い。局謹製の日焼け止めクリームはここでも大活躍だった。真夏の太陽の攻撃に私の紙防御ではまったく歯が立たないのだ。メラニン色素が羨ましい。
何となく周囲をぐるっと見る。
アブラゼミが喧しく騒いでいる。海鳴は木々の割合も多いのでその喧噪たるや大変なものだった。その喧噪をさらにかき消すような音をたてて大型トラックが目の前の道路を走り去ってゆく。
私にとっては数ヶ月前に来たばかり、されど世界はその数倍の時間が過ぎていた。
何となく取り残された気分になり、歩道に転がっている小石を蹴り飛ばした。
◇
あの「次元世界ではない世界」から帰還した私達は、二年の時差……時差ってレベルじゃないのだが、それに気付き慌てて政府側に連絡をとった。しかし、最初は悪戯と思われて困ったものだ。幸い姫様の護衛隊長さんは未だ現役だったので、その名前を出すと話を通してくれた。
シャルードさんはやることがあるからと、研究室に残る様子。先に話を聞いておいてちょうだいと言い、私達を送り出すのだった。
深夜、秘密裏にと王宮に迎え入れられた私達を出迎えてくれたのは、護衛の隊長さんと……姫様だった。公の場でない事を示すためか、寛いだ格好で。
あの事件の折、急場だったとはいえ、失神させられ、脱出させられた形だったのがずっと不満だったと言う。ゲンコツを一つ貰ってしまった。
「お友達と思っていたのに置いてきぼりにするなんて、なんてひどい事を……私は……私は」
怒ってますよ、と言った後は突如悲しげな顔になり、涙を見せた。まるで舞台の上であるかのようにさめざめと泣いてみせる。実に……芝居がかった仕草だった。二年の間にますます進化を遂げたらしい。冗談まじりなのは分かっているのだが、とても芝居がかっているのだが……ちょっと気を緩めると、本当に私達が酷いことをしてしまったかのような気分になってしまいそうだった。
熟練度が増してしまった演技の影響から逃れようと、私はふるふる頭を振り、報告があるのですがと切り出す。姫様は何事もなかったかのように顔を上げ、穏やかな顔で頷いた。ツッコムのも野暮だけど涙どこいった。
あまり人に聞かれたくない話はここでするのです、と招かれたのは何の変哲もない図書室の奥にある管理室だった。
部屋に入ると違和感を感じた。怪訝に思って壁を叩くと、全く反響音がしない。かなりの防音仕様のようである。それにもしかしたら本局の一部のように魔法の干渉を防ぐ措置もとられているのかもしれない。魔力のささやかな揺らぎもぴたりと静まっていた。姫様が壁のスイッチを押すと隔壁じみた扉が閉まる。無造作なのにどこか品良く感じられる所作でソファに腰掛け、私達にも対面に腰掛けるように促した。
「では報告を聞きましょう……といきたい所ですが、あなたたちからすれば二年間進んでいるのでしたね」
そう言って目を瞑り、軽くため息を吐く。
「そうですね……とりあえずあなた達がいなくなった後の事から教える事にしましょうか」
大人びてさらに艶っぽくなっている姫様がゆるく笑い、目にかかっている髪をかき上げた。
私達がロストロギア、天の門……これは正式に管理局にも認定されたそうだ。それの機能により転移した後、それはもう大変な混乱だったらしい。
ヴェンチアにより引き起こされた暴走は何とか収まったものの、一時的にしろ次元震が頻発するほどの魔力流入が起こっていたわけで、半年余りはそれが原因による気候変動や地震、自然災害に見舞われたという。元々転移魔法や念話も難しい程に荒れていた魔力の流れはさらに攪乱され、射出系の魔法さえ制御が難しくなり、魔法文化そのものが落ち目になる状態だったと言う。
皮肉にも魔法が戦力として役立たなくなったおかげで、魔導師たちが半ば自失状態に陥ってしまい、元共和政府の兵士を軋轢も少なく吸収することができたということらしい。
そして私達についてだが……どうも戦死者扱いのようだった。
「個人的にはあなたたちを利用したくはなかったのですが……」
姫様は決まり悪げに紅茶を口に運んだ。
政治的には都合が良かったのです、と続ける。
王家と管理局による合同の国葬が行われたらしい。
何でも、その場で目撃していた第三者からすると、姫様の命を救い、代わりに命を賭してロストロギアの暴走を収めたように見えたらしく、その美談は王家にも管理局にもメリットのあるものだったので、本来行方不明とするところを、死亡扱いで葬式を出してしまったという事のようだ。
「おかげで、我が国の民も今までよく知らなかった管理局に対して好意的になりましたし……」
局にとっては世界の連鎖崩壊を招きかねなかったロストロギアを抑えたという実績に加え、地方の世界であろうと管理局は見捨てないという体面を守った形でもある。
……まったくもってなんと言えばいいか。そういう星の下にでも生まれついているのだろうか、今度はティーダも含めてプロパガンダにご利用である。
むうと一声唸り、乱暴に頭を掻いた。数ある次元世界のうち一つで死んだ事になってても別に構わないのだけど、私としても親しく思っている姫様に利用されてみると、ちょっと微妙な気分にならないでもない。
……隣のティーダに髪を整えられた。収まりの悪いアホ毛がまた反逆していたらしい。
妙な目付きでそれを見た姫様は一つ咳払いをした。
「ところで二人に選択肢をあげます。目立つ復帰と目立たぬ復帰、どちらが良いですか?」
個人的なお薦めは前者です、特に……などと言葉を濁し、ティーダを見た。
視線を受け止めたティーダは少し考えると何か思い当たったのか苦笑いを一つし、後者です、と言う。
「つれないですね。それともティーノ、行方不明になっている間に何か……そう何かありましたか?」
何故だろう。にこにこしているのに目が笑ってない。怖い、こわいよひめさま。わけわからん。
ふう、と一息つくと、そんな表情は跡形もなく消え去る。
「管理局の動向については直接話してみるといいでしょう。通信施設を使えるようにしておきます」
話を区切るかのようにお茶を一口含んだ。
「さて、次はあなたたちの報告を聞きましょう。共に残ったはずのビスマルクはどうなったのか、あのロストロギアについての情報、そしてティーノ、あなたの背中の件についても。聞きたい事が山ほどあります」
私は天を仰いだ。ちょっと高めの天井が見えるだけだけど。
長くなりそうですし、と姫様がお茶とお菓子を運ばせるようだった。
私達からの姫様への報告は夜が更け、うっすらと空が白ばみ始める頃まで続いた。
話す事が多かったというよりも情報の取捨選択に迷った。事によってはかなり政治に使いやすい情報も多いし、なにより次元世界ではない世界の件ともなると、もう一管理局員の手に余る。
報告の優先順位は、立場上管理局が優先だというのは姫様も理解していてくれて、あまり深くは突っ込んでこなかったのはありがたかった。時々悪戯げにカマをかけるような質問をしたりなどはあったが。
一通り話した後、退室しようと席を立った時、姫様がむんずと私の背中に手を回す。
まさぐるように手を上下させた。
「……ティーノの幻術魔法は触感もカバーできるのですか? 触っているはずなのに……」
不思議な顔になっている。
ええとまあ。さすがにそこまで完璧なカモフラージュは無理なんだけども。
「目をつむって触ってみてください」
そう教えると、疑わしげな顔で目をつむる。再び私の背中の翼を触る感覚が伝わった。こそばゆい。
「これは……なぜでしょう」
目を開けると不思議そうな顔になった。
「えーと、いってみれば脳が騙されているんです」
さすがに日常的に使うものだけにいろいろと細かいアレンジが加えられてもうオプティックハイドとは言えないような代物になりつつある。アリアさんが使っていたような、認識を阻害する系の結界のような機能が付随し、実体はあるけど認識されず、目視もされないという仕様になっていた。この通り目でも閉じた状態で触られれば、ばれてしまうものでもあるのだけど。
労力の方向性が間違っているようでもあるのだけど、どうもなんだ……むかーし羽根の色とかで迫害を受けていたのが尾を引いている気がしないでもない。あまりこの羽根を目立たせる気はなかった。
便利なものですね、と一つ感心したように姫様は頷くと、くるりと背を向ける。薄紫のナイトドレスをおもむろに脱ぎ始めた。細いうなじが出て、肩、背中と剥き出しになっていく。
慌ててティーダが後ろを向いた。
その様子に気付いた姫様が振り向き、横目で微笑む。
「ティーダ、どうぞじっくり見てもいいのですよ、それとも私の肌ではやはり鑑賞には耐えませんか」
「姫様……からかわないで下さい」
くすくすとおかしげに笑う姫様。
もっとも私はその背中にあるものに目が行っていたのだが。
「ええと……触っても?」
「構いませんよ、でもあなたなら分かるでしょうけど……そっとね」
人間には有り得ない位置に骨があり、独特の関節と筋肉。肩胛骨の下あたりから伸びているその翼の付け根にそっと触れた。
「や……あん」
悩ましげな声が聞こえる。
ティーダがみじろぎした。軽く足を蹴っておく。
……全くこの姫様は。久しぶりに会えたのでここぞとばかりにからかってでもいるのだろうか。
ともあれ、それは小振りで、私のとは違いあまり邪魔にはならなさそうな……キューピットの羽根と言えばいいのだろうか。小さな一対の翼、髪の色と同じとは限らないらしい、小麦色の翼が背中にあった。
「王家の女系のみに遺伝する形質がこれです。グレアム提督に聞きましたがティーノはラエル種というそうですね」
そう言い、こちらを向く。
私は目を瞠った。
「……負け……た」
「あなたはどこを見ているんですか」
若干呆れた様子で姫様は少しかがんだ。視線が私と同じ高さになる。あまりに見事な谷間だった。
「多分私達の先祖はつながりがあるのでしょう。この広大な世界の中、あなたに出会えた幸運に感謝を」
額にキスされる。
なんでこういう芝居がかった事をさらっと出来るのかな、ほんと。急にこんな事されて硬直しっぱなしである。
「ところでティーノ」
と急に顔を崩して私の肩に手を置く。
「遠い親戚なのですから、私の代わりに王女でも代行してみませんか?」
「……馬鹿言わないで下さい。大体できるわけないでしょう。血筋でもないし」
あら、と人差し指を唇に当て、少し考えるそぶりを見せた。
「じゃあ、血筋の証明と体面さえ整えばやってくれるのかしら」
「割と本気でお断りさせてもらいます」
「あら残念」
冗談にしても笑えない冗談だった。本当に。
ようやく退出し、割り当てられた部屋に入る。仮眠用ベッドなどが据え付けられている休憩用の部屋だ。
ちょっと気になった事をティーダに聞いてみた。
姫様が問いただしてきた「目立つ復帰と目立たぬ復帰」という言葉の意味である。
野暮なのかもしれないが……こういうのは気になると仮眠もままならない。
「ん、要するに僕らが生きてた事を大ぴらに知らしめて、凱旋パレードでもしながら帰還するか、今のところは公表しないで、内密に記録を書き換えてしまうかってことだと思うよ」
凱旋パレードってあんた……いや、それはそれで利点があるのか? 国威昂揚、ん?
「つれないって言ったのは?」
と聞くと、ティーダは少し恥ずかしげな表情になった。
「そこまで大々的に扱われれば……昔からある通りの手法だよ。英雄はそうやって作るんだ。そして気付いたかい? 姫様が王宮であそこまで自由に差配を効かせられるってのは支配力がそれだけのものになってるって事だと思う。二年の間に実権を握ったのだろうね。そうなると出てくるのが配偶者問題。格下しか配偶者が居なくなるんだ。管理局と関係を結んだ以上できれば配偶者も外との結びつきを強めたい。となると……ね」
最後は消え入るような言葉でごにょごにょと濁す。
あ、ああ……以前からティーダは姫様に気に入られていたようだったし。冗談交じりな感じだったと思ったけど案外本気だったのだろうか。つまり、その。目立つ復帰というのが英雄兼配偶者としてのティーダのお披露目、その暗喩だったって事……か?
いやいや、まさか。うん。さすがにそれはティーダの考えすぎだろう。自分で言っていれば世話ないのだ。少しもてるからって調子に乗りすぎだろうきっと。
大体そういう場合は管理局に強い影響力を与えられる人物を選ぶものだろうし……いやそうすると手綱が握れなくなる可能性が?
あれ?
考えてみれば、魔導師というより執務官の方向で将来有望で、私を通じてグレアム提督やハラオウン家とも交流があり、デバイス製造会社の息子とは友人関係。
権力欲は薄く、頭が回る。礼儀作法も一通り。今回の一件で国内の人気は十分とれる。
いかん、実は姫様にとってかなり条件が良い奴なんじゃないだろうか。
まさか、割と最初からそんな事まで見通していたとか?
「いやいや、いやいやまさか」
頭煮えてる。考えすぎだ、妄想すぎて笑うしかないと自分でも思っているのだが何故か思考が止まらない。
仮眠用のベッドで悶々としている間に時間だけは過ぎていった。
◇
本局に連絡を取ると、何はともあれ報告のためにも早急に帰還しろと言われた。
出立前に姫様が「記念にどうぞ」と渡してくれた貨幣、南北統一記念硬貨らしいそれには何やら王家の紋章を中心として左に翼が生えてる女性が、右に銃を持ち敬礼している男性が描かれていて──受け取った私は少々固まってしまった。
「ひ……ひめさま、これは?」
「よくできているでしょう」
銅像も幾つか作ったらしい。
勘弁してください……と私が頭を抱えていると、なんとも満足げに姫様は微笑んだ。
「二人はそれほどの事をしたのですよ、もっと自信をもちなさい。いざという時に私を気絶させてのけものにした怨みなんて篭もってませんともええ」
後半の台詞がなければ自信を持てたかもしれなかった。怨みつらみがぷんぷん漂ってくる。
さらには既に子供向けアニメなどにも使われているらしい。侍女に持ってこさせたそれのパッケージをちらっと見て、私は見なかった事にした。魔法天使なんちゃらとか全く見えてない。先端の星形が光りながら回転しそうなステッキなど全く見えてないのだ。
本局に戻ったら戻ったでそりゃもう大変である。
今回はシャルードさんも参考人として、共に行ったのだけども……
とりあえず一週間ほど医療施設に缶詰にされ、検査の毎日。未開の管理外世界に行ってきたのと同じ扱いになった。あいつら血抜きすぎである。
もっともその間に報告書を書く時間が取れたのは正直ありがたかった。それも私一人で頭を悩ませていたのでは何週間かかってもまとめきれなかっただろう。同じく検査漬けで暇そうにしているティーダが居てくれたのは非常にありがたいものだった。
「本来ならば生還して戻ったのだから取り消しになるのだが、ここで多数の魔導師を抱える世界との軋轢を生じさせるわけにもいかんのでな」
グレアム提督に呼び出され、そう前置きして渡されたのは、二階級昇進の辞令だった。
おお、と内心で喝采をあげる。何となく期待していた事でもあるが、先程言っていたように本来なら取り消しなはずだった……ずるい事になってしまってるな、とも思うけど私の場合はこれまでの経歴も結構こんな感じだし今更である。お給料上がるならそれはもうありがたく頂くのだ。これでティーダは元々空曹だったので准尉になり、私は元々が臨時任官だったので二階級下がって上がるという不思議な形で空曹となった。
軋轢というのは、姫様を我が身を犠牲にするようにして助けた形の人物を管理局が適当に扱うわけにはいかないということなのだろう。王家を軽視していると見られてしまう。
私達が飛び越してしまった二年の間に次元世界は騒がしい事になっていた。
第122管理世界、最前まで私達が居た世界だが、そこに起きた紛争は残党勢力が他の管理外世界に飛び火するような形で広まりを見せていた。管理局の囲い込みが失敗してしまった形である。
また、それに伴い、これまで管理局が接触を持たなかった世界にも様々な情報が伝わってしまった。複数勢力が揉めている世界などでは武力目当てで、係争している両方の勢力から管理局の応援を請われたりなどといった案件も多くなり、とても面倒な事態が続いている。
とはいえ、時空管理局としてはそれを世界ごと見捨てるという選択肢なんて取りようもない。ただでさえ人手不足だった次元航行隊は広がってしまった管理区域のために駐留人員が足らず、本局の決定ではあるが、やむなく安定している管理世界の陸士を引き抜き、駐留部隊として当てたりしているので、元より仲が良くなかった陸と海の関係は悪化しているようだった。流れの中に居なかった私達だからこそ、その空気を強く感じるのかもしれないけども。
二週間も経った頃には諸手続や報告、検査なども一通り完了、本局に詰めっぱなしの生活も終わる事になった。
やれやれと胸をなでおろし、当分の間は本局にいる事に決めたというシャルードさんと別れる。無限書庫が気を引いたらしい。
私の実家とも言うべき施設にティアナちゃんを迎えに行ったら、出迎えてくれたのは盛大なクラッカーの音だった。グレアム提督はさすがに忙しいようで居なかったがリーゼ姉妹、学友だったディンとココット、施設の家族たちが帰還パーティを開いてくれたのだ。
──しかしなんと言えばいいのだろうか。不意を打たれた。何とも言えない感情が湧き出す。
そう、元より爺様だったグレアム提督や、使い魔であるリーゼ姉妹、全く顔の変わらないロウラン提督ぐらいにしかまだ会ってもいなかったのだ。
カラベル先生は変わりないようだったが、少し痩せたかもしれない。ただ、背筋は曲がらずに相変わらずぴんとしていた。
そして、他の面々は……そりゃもう変わっている。時に取り残された事を実感してしまった。
ディンとココットは同い年くらいのはずなのに、すっかり大人びてしまったし、施設での、私の弟や妹であったティンバーやラフィたちも皆大きくなっている。ティンバーなんて大きく育っちゃって、私の背丈をもう越してしまっている。そりゃそうだ。一番背が伸びる時期なのだし。
と、最初は戸惑ってしまったものの、別に人が変わってしまったわけでもなく、一時間もする頃にはすっかり馴染んでいたのだけど。
……問題はティアナちゃんだった。
いやもう謝って済む事ならティーダと共に雁首揃えて床に頭を打ち付ける所存なのだが……長期任務ということで預けていったまま、二年放置された形になってしまったのだ。本当は捨てられたんじゃないかと思ってしまったらしく、無表情になってるわ、なかなか近寄ってくれないわでもうどうしたものかと……目が合ってもすっと逸らしてしまうし、そのたびに言葉に出来ない罪悪感だか何だか判らない刃が心臓にぐさりぐさりと突き刺さる。隣でティーダが灰になっていた。私もそろそろ精神にダメージが溜まりすぎて倒れそうである。
困り果てていると、先生が助け船を出してくれた。何やらティアナちゃんに耳打ちをする。さすがの貫禄というもので、何やら吹き込まれたティアナちゃんは、おずおずとながら「おかえりなさい」と言ってくれたのだが。
その後は私達にべったりだった。
トイレに行くときまで手を掴んで離さない。お風呂に行っても離さない。その様子に罪悪感がまたひしひしと。子供に寂しい思いをさせすぎた。これで私の実家的な施設に預かってもらっていたのではなく、ランスター家に一人残したままとかだったら……想像するのも恐ろしい。
一緒にベッドに入った時に初めてティアナちゃんは泣き始めた。
小さい頃からあった気の強さと頭の良さが絡んで、涙を我慢するようになっているのかもしれない。まだ6歳というのに。
ようやく寝静まった時には、左手に私の手を、右手にティーダの手をしっかり掴んで寝息を立てていた。
あまり意識しないようにはしているものの、川の字で寝るというやつである。特に意識はしていないけども。そんなシチュエーションなんか意識しないけども。大事な事なので三回は繰り返しておく。
臨時に与えられた休息期間の間、私とティーダで交互で添い寝したり、昼間もまた出来るだけの時間を一緒に居たりして、やっと以前の笑顔が出てくるようになった。しばらくはティーダもこちらの施設に泊まる形でゆっくりしている。施設の子たちに算数を教えたりしている姿はなかなか様になっていた。私も教わった事があるけど案外教師向きなのかもしれない。
しばらく穏やかな日々が過ぎ、ティアナちゃんも私達が遠くに行かないと確信できたのかもしれない。そろそろと離れだし、同い年くらいの子供達と外で遊ぶようにもなった頃だった。辞令が下ったのは。
第97管理外世界で起こっていたあるロストロギアを巡る一件……通称PT事件、その事後調査である。
私達が居ない間、といっても数ヶ月前のことらしいが、そんな事件があったらしい。ロストロギアによる度重なる次元震があった事件でもあるので、その世界に悪影響が残っていないか、時間を置いて異常が起きないか、ある程度の期間をもって観測データを取る必要があるらしい。
また、一度調査に行った事もあるし、元より地球で拾われた身だ。土地勘があるとして抜擢されたのだろう。
というのは表向きの理由……なんでも私とティーダが復帰するにしてもワンクッション欲しかったらしい。死んだと思われていた二人がまさかの生還、騒ぎ立てられるには格好の素材になってしまう。しばらく馴染んだ世界でほとぼり冷ましてこい。局主導で騒ぐのは良しとしても外部から騒がれるのはよろしくない、ということである。
何故か辞令を伝えてくれたのは運用部のレティ・ロウラン提督で、歯に衣着せぬというか、裏向きの理由までずけずけと当の本人に明かしてしまうあたり、二年前より図太くなっている気がしないでもない。さらに、この子を勧誘してきてくれない? と軽い調子で渡されたデータには目を疑った。
高町なのは。
恭也や美由希の妹さんのはず……表示されてる画像を見ると、あの頃からすれば成長してるものの間違いなく当人だった。同姓同名とかではない。
内心慌てて渡されたデータの詳細に目を走らせる。
事件の始まりは今より数ヶ月前、春に起こったものらしい。ロストロギア「ジュエルシード」に端を発した一連の流れ……
少々腑に落ちない部分も多いが、大まかには把握した。
全体的に管理局の対応が鈍い。
原因は言わずもがな、現在あちこちの世界で騒がしい事になっていて、人員が薄く広く散らばってしまっているからだろう。
その中でSランク魔導師であるリンディさんや、それに次ぐ優秀な魔導師、クロノ君が乗っている船が駆けつけられたというのは僥倖以外のなにものでもないようだった。
もしかしたらこの事件の首謀者と見られるプレシア・テスタロッサも、現在の状況からして管理外世界にそこまで戦力を出せるはずがないと見ていたのかもしれない。
そういえば、さらっと流してしまったがクロノ君は執務官試験の再チャレンジに受かった事は耳にしていたが、この二年で順調に実績を重ね今ではアースラの切り札とまで言われるようになっているらしい。
ティーダも執務官志望だったのだが、元よりあった士官学校という差をさらに広げられ、大きく距離が広がってしまった形だ。
隣から覗き混んで、その項目に目を止め固まってしまったティーダをよそに、私はさらに読み進める。
現在その事件の中心であったプレシア・テスタロッサが公判中のようで、クロノ君は現在アースラを離れて、その件を担当するために本局に居るらしい。後で顔を見せておくのもいいかもしれない。
今回はアースラのバックアップによるハラオウン艦長の魔法で押さえ込む事が出来たものの、あと数個もジュエルシードが揃っていれば抑え込めた可能性は低く、運に恵まれた。今回のような件がいつどこで起こるかも判らず、早急な体制強化が必要……と締めくくられている。それだけの戦力が揃っててもかなりぎりぎりのやり取りだった事が判る。戦力増強が必要らしいですよと言ってロウラン提督を見れば、袖をまくりあげて手をひらひらと振りはじめた……無い袖、ってことか。どこで地球産のネタを仕込んでくるのだろうこの人。
いやまあ、本題はその件に協力してくれた民間協力者の欄だった。
さらにその魔導師としての適正、最大値……今回罪に問われたプレシア・テスタロッサの娘……現在クロノ君の保護下にあるようだが、フェイト・テスタロッサと並んで、私を含めた普通程度の魔導師が唖然としてしまうような資質である。というか正直羨ましい。
私は頭を抱えたい衝動にかられた。
そりゃいろいろと思う事はある。仲良くしてもらってる家の家族がよりにもよって……と思わないでもない。魔法の才能に優れているのは決して悪い事ではないのだが、ここまで突き抜けているとそりゃあ悪い虫は寄ってくるだろう。局の傘下にでも入ってくれればカバーもできるってもんだけど、それはそれで地球と距離を置く形になりかねない。それに、その年で将来を決めかねない選択をするというのも、何だかこうもやっとするものを感じないでもない。
いろいろ考えたあげく、全くまとまらなかった。
頭を振ってレティ提督に言った。
「……あまり良い事ばかり並べないかもしれませんが、説明してみます。それを聞いて本人がやりたいと言ったら……あー、うー、家族も良しとしたら誘う、それで構わないでしょうか?」
レティ提督の口元が軽い笑みを作った。
「ミッド出身だと魔導師の資質に恵まれてるのは頭の出来が良いのと同じくらい『良い事』だものね。感性が違うんだから今までみたいな誘い方じゃ駄目だと思ってたのよ。世界ごとの文化の違いに対応出来ないとね。ま、それはこれからの課題だけど……うん」
じゃ、任せたわ、とひどく軽い調子で締めくくるのだった。
◇
マンスリーマンションというものは、家電や家具などの大物は既に揃っているものの、生活用品は自分で整えなければいけない。
いや、契約会社からセット品でその手の細々としたものも一緒に頼むことだってできるのだけど、あくまで購入になるので、引き払う時には持っていく事になるのだ。どうせだったらこの後も使うような食器などを選んでおきたかった。滞在が終わったら捨てるなんてことは私の貧乏根性が許さないのである。
ついでに言えば、毎回外食で済まさせる気は毛頭ない。外食が悪いとは言わないが、好き嫌いも考えて食べられる形にし、なるべく万遍なく食べさせなくては。食は生活の基本である。私の数少ないこだわりなのだ。
そんなわけで、私は久方ぶり……と言っても体感時間は一年に満たないが、海鳴の商店街に買い出しに繰り出した。ティーダとティアナちゃんも一緒だ。
「ゆらーん、ゆらーん」
ティアナちゃんは私とティーダの手をしっかり掴んで間にぶら下がった。ブランコのように揺れる。私とティーダは苦笑してそのまま歩調を揃えて歩いた。ぶら下がったまま進むのがどうも楽しいらしい。もっとも、ティアナちゃんもすっかり背が伸びてしまったので、私は若干腕を上げておかないと位置が合わなかったのだが。
以前より甘え癖が強くなった気がする。いや、それだけ寂しい思いをさせてしまったのだろうけど。
ティアナちゃんに関しては、ある意味管理局の妙なところが出たと言ってもいいかもしれない。法に触れない部分はわりと人情主義がはびこっているのだ。今回助けられたのではあるけども。ティアナちゃんの精神的負担も考慮され、カーリナ姉が保護者として一緒に渡航することで許可が降り、三ヶ月ほどの滞在期間中一緒に居る事になったのだが……公私混同という点からすればよろしくないに決まってはいる。
……この笑顔見せられるとそんなお堅い考えもどっか行ってしまいそうになるけども。
買い物は順調に進んだ。
平日の昼間なので、人通りもまばらで二人が物珍しげにあっちに行っちゃこっちに行ってを繰り返してもそうそう迷子にはならない。
さすがに買い出したものが多くなってしまったので、途中でひとまとめにして宅配してもらうことにした。
ティーダが配送の手続きをしている間、屋台のクレープを買ってティアナちゃんと一緒に頬張る。
本場のフランス人もこの発展にはびっくりだと言う日本で独自進化を遂げたそれを食べているとふっと美味しいコーヒーが欲しくなった。
少し反対方向ではあるけど……
最後のひとつまみを口に放り込み、包み紙をゴミ箱にシュート。
夏休みだから恭也や美由希も店の手伝いをしている事だろう。ついでに言うと、この時期ならではの水出しコーヒーなども楽しめるかもしれない。
ティーダやティアナちゃんも紹介したいし……挨拶も兼ねて喫茶翠屋に行ってみる事にしよう。
手続きを終えて戻ってきたティーダに、フルーツをトッピングしてもらったクレープを渡しながらそんな事を思うのだった。