「さて、忘れ物、思い残しはないかしらん?」
かしらん、なんて古い小説にでも出てきそうな言葉を使い、シャルードさんはこちらを振り返った。
冗談めかしているが、そう言った本人が一番感慨深そうでもある。
昨晩、弱いくせにやはり早いペースでアルコールを摂取してしまった当人が言うには、本人の感覚だと10年ぶりの帰郷だと言う。こちらの世界では1年足らずだったらしいし、相当に複雑な思いがあったようだ。
「友達に会ってもあたしだって判らないだろうなー」
そんな寂しげにつぶやかれた一言が何となく耳に残っていた。
そう言えば私……アドニアでない方の私。それが生きていた痕跡もあるのだろうか。友人も居たのかもしれない。今となっては確かめることもできないが。
何となく振り返り、集落のある方を見る。木々の間から漏れる朝日が眩しかった。
感傷にひたりそうになったが、頭を振って追いやる。
淤美神社の外れにある岩、魔力の流入する基点となっているそこで、打ち合わせ通り私がシャルードさんに魔力を供給する。いくら流入している魔力があるとしても私達が居た世界から比べると少ないので、こうやって水増ししてやらないと厳しいらしい。
「そういえば、今回はあの……なんだ。恐怖神話っぽい神様に当たったりとかはしないですよね?」
「大丈夫よ、手は打っておいたし。あたしの読み通りとするなら……んー、説明面倒……行きましょうか」
後はごろうじろってね、なんてまた古い言い回しを使う。地面に刺さったままの短剣の上で空中に文字を描いた。
立体的な魔法陣と緑色の風に包まれ、転移の感覚が身を包みこむ。
◇
一瞬の後、襲ってきた軽いめまいを振り払って周囲を見れば──
「へ?」
まぬけな声が出てしまった。
両側を見通しの悪い森に囲まれた、作り物っぽい道が続いているだけの空間……ええと、シャルードさんは確か天の門が持つ使用者への保護領域とか言っていたか。
「……来る時と違って随分とあっけなかったですね」
ティーダが当惑気にそんな言葉を出す。
「直接二点を結びつけちゃったからね。私の能力ってのは、どこでどうねじ曲がったのか判らないけどひどく応用が利くのよ。特に結界とか空間に関してはね。多分ヴェンチアが篭もってた結界も出力次第で作れるんじゃないかな。正直自分でも解明できてない部分が多いからあまり使いたくはないけれど」
じゃあ、ぽんぽん便利に使っている転移はなんやねん、と私の中のツッコミ根性が吠えた。
収まれ、収まるんだ右手、と衝動を鎮める。
私が口を出さないのをどこか残念そうに見て、言葉を続ける。
「ま、次はティーノちゃん、あなたの番だね。この空間が存在しているという事は、鍵であるあなたが未だに認証され続けているという事でもあるの。例の亡霊さんにでも聞いてみてくれないかな?」
「亡霊?」
……ティーダが聞き逃さなかったようだ。あはは。
ええと、どうしよう、本当どうしよう。
そういえば、なかなか時間が合わなかったり、その後は局員の任務だったり、誘拐されたり、異世界に行ってしまったり……あまりに慌ただしくて全く事情を話せていない。
間が悪い事が多すぎるのだ、あああ、どんどん積もって話しづらくなる。
いや、シャルードさんにはすでにざっと一通り話してしまったのだから同じような事なんだろうけど、ティーダに話すのとでは意味が違うし。
「いや、いやいや、ティーダに言うのと何が違うってんだよ……」
自分で自分に突っ込む。何かどつぼに足を突っ込みそうな気がして、慌てて考えないようにし……多分、これがいけないのだろうな。
思わず小さなため息が出る。考えないといけない、なんて思い直したばかりだというのに。
「ティーノ、どうし……」
「なんでもないッ」
そう言い返して肩をどん。
怪訝な顔にさせてしまった。
シャルードさんの方を向き直ると「女の子の心は本当によく解らないな」なんてつぶやきが後ろからぼそっと聞こえてきたが、ほっといてほしい。自分にだって解らない。
(青春の悩み美味しいです)
もぐもぐなんていかにも美味しく頂いているようなイメージを作って伝えてくる亡霊さん。
本当どこで聞き耳立てているのか……そして最初はこんなにネタに走っていただろうか?
(ごめん、宿り主に毒された。わたしも昔は真面目だったのに。まあ気にしない、常に世の中ケ・セラ・セラ)
ああ言えばこう言う。この困ったちゃんどうしてくれようか。
私が渋面を作って額に指を当てていると、ところで、と急に真面目な声音で伝えてくる。
(あまりわたしを呼び起こして認識しないほうがいい。あなたが思えば私は簡単に浮かび上がる。それを軽く考えているのはあまり望ましくはない。だから)
その会話に気を取られた一瞬、ふわりと浮遊感を感じ慌てた。
目をみはる。石造りの部屋に光景が変わり、シャルードさんやティーダの姿もない。
20畳もありそうな広間で、窓の外は一面に霧のようなもやがかかり、その先を見通すことができない。
「あなたの意識をわたしの認識に引きずりこんだ」
ハスキーな声が聞こえて振り返ればいつの間にか女性が立っている。
相変わらずこの亡霊さんは女性であるという事以外認識が難しい。
「この領域は、本来のわたしの機能。自我があまり出来ていない時にアドニアに対して行われるはずだった、教育も兼ねた情報の転写用」
確か前に説明された覚えがある、記憶の統合実験、その寸前でパパ……じゃないセフォン研究員が連れ出してくれたのだったか。
い、いやいや待て。
「た、確かそれって死亡したり植物状態になったりするんじゃなかったっけ?」
亡霊さんはこくりと一つ頷く。
「大丈夫、痛いのは最初だけ」
ちっとも安心できないセリフが飛び出してきた。
慌てて首を振っていると、冗談……とつぶやかれた。抑揚が変わらないので本気か冗談なのか分からない。というか洒落になってないからやめてほしい本気で。
「……問題が起きなければ、わたしの情報は暗号化されたまま、あなたの中に溶けて消えると思っていた」
ままならない、とでも言うかのように首を振る。
やおら、思い返すかのように振りかえり、私に背を向ける。手を一振りすると部屋の内装が変わった。やけに現代チックというか、子供用教育机?
嫌な予感がした。
「この領域内では体感時間の調整もできる。言うなればそう、精神と時の部屋。時間は気にしなくていい」
また、この亡霊さんは私の中からそんな漫画ネタを……
「データそのものを受け渡すことはもう不可能に近い。アナログな学習に頼らざるを得ない。だから──」
指で示した。教育机を。
ノートに教科書のようなもの、おまけに私が外で愛用しているペンも復元しているなど芸が細かい。
「お勉強の時間」
私は肩を落とした。
子供用のあのデザインの机はやめてほしかった。そりゃこの亡霊さんからいろいろ聞き出したい事、知りたい事などは多い。だが、だが。
ちらりとまた目を向ける。
色気がないとでも思ったのか、椅子がデコレートされていた。ピンク色に。とても可愛らしく。マスコットっぽいぬいぐるみまでおまけに飾られていた。
何だろう本当にこの装いは……私は幼児かと、しかし、この亡霊さんは悪気があってやっているわけでもなさそうで……
天の門に関する最低限の事を教わるまで、私は何度やりきれないため息を抑えればいいのか……
良い反応を見せない私を見て、少し考えるように首をかしげた亡霊さんはもう一つ手を振った。
冷蔵庫が部屋の端に現れる。おもむろに歩み寄り、扉を開け、私によく見えるようにする。
「超神水も完備」
怪しげな瓶がぎっしりと入っていた。
……飲めと?
◇
実は私は座学がそう嫌いでもない。
ただそう……嫌いではないというだけで当然ながら得意不得意は存在する。
しかもかなり顕著に。
「ね、ねぐろまてぃく式は魔力素の物理測定機器では観測不可能な事象を説明するために生まれたものでありその──」
「そしてこの解にするために必要な関数と数式は?」
元気よく手を挙げ、先生解りません! と言ったらチョークが飛んできた。相変わらず抑揚のない声で、少しは自分で考える、と言われてしまう。
そう責めないでほしい。こちらは空元気なのだ。理数は一番苦労するのだ。脳味噌向いてないのだ。ティーダとかココットとか何であんなに複雑な計算式を見て整理できるのか私にはとても理解できない。
スーパーの買い物だったら値段の合計出すの早いのに……ああ、全く関係無いかそうですか。
私はがっくり項垂れ、教わった事を順番に思い出していく。全く理数と関係ない事ばかり出てくるのだが……
この亡霊さんから教えてもらった事は多岐にわたった。
ロストロギアの取り扱いだけでも良いかと思っていた当初が懐かしい。
亡霊さんが生きていた時代の当時の文化であったり、その文明の歴史であったりした。時にはその時代の料理のレシピなんてものまであったのだが、これはばっちり記憶した。後に再現してみせる。
なんでそんな雑学だらけなのかと呆れて聞いてみれば、少し恥ずかしそうに押し黙った。ぼやけているのに恥ずかしそう、というのもおかしなものだが。
ただ、何となく予想はつかないでも……以前説明されたところによると、彼女の基になっているのは古代のプライベートな記録のようだから、無理もないのかもしれない。
……ただ一つだけ。
この亡霊さんは説明下手だ。伝えたい事というのがあっても必ず脱線していってしまうタイプのようである。
指摘すると、平然と頷いた。
「説明上手だったら、アドニアの記憶を掘り返して見せていたりはしない」
それもそうかもしれない。あれは長かった……
ともあれ、いろいろと有益だかなんだか判らない事も教えてもらった。
例えば魔法が段々体系化されていく過程や、過去の文明が、亡霊さんが「あれ」と呼ぶ神様、それと関係をもっていたこと。
そして、私が天の門を起動させることができたのはどうも種族特性だったようだ。
ラエル種というものが、作り出された最初期は人がその無色の力を利用するためのパイプ役だったらしい。天の門や、その小型のロコーンといったものとはワンセットだったという。
魔力の乱れを感じ取りやすいのはその名残のようだ。
だが、そこでふと疑問を感じた。
「それだと私が地球に転移する前に居た……場所でもロコーンとラエル種族が居たはずだけど、何かの偶然で起動させる事はなかったの?」
良い質問だとばかりに一つ頷くと、疑問に答えてくれた。何でもリンカーコアの有無が問題らしい。
「本来あれは起動時にも魔力が必要。悪用、反乱を防ぐためにラエル種にリンカーコアは備わっていなかった」
リンカーコアも持っている私が異常らしい。まあ、研究所でいろいろされただろうから……うん、どうなっててもおかしくないような気はするけど。
そう言えばパ……セフォンさんがリンカーコアがどうのとかぶつぶつ悩んでいたような覚えもある。今更に答えがわかったよ、と墓にでも報告すべきだろうか。いや、あの世界に行くのか……うーん。悩み所でもある。
いやまて、今更に気付いたけども。
「それだとノウンファクト王家ってのはもしかすると?」
「戻ったらティーノと遺伝子情報を比較してみるといい。わたしが生きていた時代より後、遺伝子操作技術に優れた文明が栄えなかったとは言えない」
含みのありそうな言い回しだった。
「特定の血筋に遺伝が残るシステム、それによる支配の恒久化、ただ……あの力は取り出したところで運用法を知らなければ無用の長物、あの男のようなやり方では暴発しか起きない」
斜めを向き、自分の思考に入ってしまうかのような調子で続ける。少し時間を置き、ふっと私に向き直った。
「ティーノ、あなたも心すべき。これからは門を動かせる存在として狙われるかもしれない。秘密が知れればアドニアの故郷が狙われる。人の欲は果てがない」
どこか上の空でそう言う。遠く、はるか昔に思いを寄せているのが何となく私にもわかった。
◇
「これで一通りは終わり」
そんなセリフに私はほっと安堵して顔を緩める。
体感的には数十日といったところだったろうか。亡霊さんは実は無理をしていたらしい。少し眠ると言い残し、さっさと薄れてしまった。
ふらっと意識が遠くなる。
感覚が全部ばらばらにされたかのようだ。
「ティーノ?」
しゃがみ込んだ私を二人が心配してくれる。
感覚に違いでもあるのだろうか、くらくらする。
目頭を押さえ、頭を二度三度振った。
様子からすると、さほど時間は経っていないようだ。
息を整える。
「あれ?」
気付けばティーダに肩を借りていた。
脳味噌に負担かかっている気がする……コマの落ちた映画でも見てるような気分だ。
まあ、とにかく。
ええと、やり方としては念話と同じような感じで、さらに波長合わせて……
私の前にコントロール用の魔力スフィアが浮かび上がった。
シャルードさんを招き寄せ、スフィアに手をかざす。
(49384E3 4172EC6 B97D843DEE)
本当ならもっと簡単に操作できるらしいが、あんな複雑な暗号アルゴリズム覚えられるかと言いたい。デバイス持ち込めれば記憶させられたのにと思わないでもなかった。
来た時よりはるかにスムーズに、浮遊感を一瞬感じ、私達は元の世界への帰還を果たし──
元の世界に戻ってきたら、門ごと瓦礫に埋まっていた。
鳥居のような形の門は頑丈に出来ているらしく、瓦礫の中でわずかなスペースを作り出している。
私達がぽんとはじき出されるように転移したのはそんなわずかなスペースだった。
「結局あの後は崩落してしまったんだね……」
照明用にと灯りを作って、辺りを確認しながらティーダがつぶやいた。
今のところ息苦しさもないし、空気はあの折のまま残っているようだったが、残っている空間というのも精々が2メートル四方といったところだ。あまり悠長にしているとまずいかもしれない。
シャルードさんが一つため息をついた。
「この遺跡も掘り直しね……せっかくいい状態のまま見つかったのに」
落ち込んだ様子でキューブを取り出す。
「まあ、しょうがないのかー。さて、ティーノちゃん。そろそろ行ってもいいのかな?」
そう私に促した。
ちょっと待って、と手振りで合図すると、開きっぱなしの空間の穴、それを閉じるための終了処理に入る。
と言っても魔力スフィアに手をかざして少し念じるだけなのだが。
やがて魔力の流出は細くなり、渦を巻いていた魔力の流れも薄れて消える。
完全に空間の穴が閉じきると、周囲を完全な静寂が包んだ。
次いで、狭いスペースの中にすっかり見慣れたシャルードさんの転移魔法の輝きがともる。
着いた場所はいつかも来た覚えのある研究室だった、が……
「……あら、ら?」
その研究室の主が間抜けな声をあげる。
いや、何というか。私もちょっと絶句気味だった。
以前来た時の面影もない。
書類は散らかされ、雑多に保存されていた数々の資料は根こそぎと言っていい程ひっくり返され、めぼしいものは持っていかれているようだった。
ご丁寧に壁に設置されたエアコンも持っていったらしい。穴が開きっぱなしになっている排気口から鳥が一羽、はたはたと逃げていった。
「ぎゃあああああッ! なんてこと! なんてこと!」
シャルードさんが涙を浮かべて驚きの声を上げた。
「あああもう! 嘘でしょ!? 空き巣とかありえねー!」
うわああああ、と髪を振り乱しながら散乱した書類をかき集め始める。
私とティーダも黙って視線を交わし、手伝うことにした。
しかし、やけに埃っぽいような……
あれ……待て、まてまて。確かシャルードさんが向こうの世界では一年足らずだったのにこちらでは10年とか言っていた。時間のズレがあるとすれば。
血の気が引くのを覚える。
ちょっと前まで体感時間のずれなんてものを経験してた私だからぱっと思いついたのだろう。
二人はまだその事には思い至ってないようだ。
そりゃそうだ。頭で時間のズレがあるなんて理解してても体感的なものが変わらなければそうそう気付かない。気付く方が変だ。
確か、この世界はテレビ、ラジオが主要な情報源だったはず。
私はティーダが奇異の目を向けてくるのを尻目に。慌てて隣り合っている部屋に向かった。
テレビをつけて国営放送を確認すると──
「ただいま入りましたニュースによりますと、北部地域で観測されていた魔力流出が急激に止まりました。政府の発表によりますと、これに伴った急激な地震等災害や気候の変化は無いとの事です。近隣にお住まいの皆様は慌てられる事のないようにお願い申し上げます。追加のニュースが入りました。今日中に政府は調査団を派遣する意向を決定しました」
……おおごとになっちょる。いや、それも大変だが、問題はその後で。
後ろを向くとティーダも見ていたようだった。
何がと言えば、そのニュースが切り替わるときのテロップ、その時に出た年度である。
「ティーダ見た? ミッドの暦に換算すると何年だと思う?」
「……ああ。見た。おかしい。どうもおかしい。ティーノ、ちょっと床を見てくれないか? 僕の頭のネジが三本ばかり抜けてる気がする。どう考えても新暦65年に換算できてしまうんだ」
ネタにもキレがない。とはいえ、この状況でそんな緩んだ事が言えるのだから大したものである。
私は力無く笑いを漏らした。
「あは、は……二年経ってるとか、ね……ないってホント。どうしよ?」