物量により王政府軍が攻める。地の利、戦術をもって共和政府側が持ちこたえる。
そんな前線のキャンプに到着したのは、正午も過ぎた頃だった。雨は降り止み、時折水たまりに太陽が反射して眩しい。
カーリナ姉の言っていたグレイゴースト側から出されたという増援は、どんなルートを使ったのか、既に到着しており、その個性的な面々とも軽く挨拶を交わしておいた。そういえば、デュレンはそちらの組織に行っても中々元気にやっているようで、ひょんなところで消息が聞けたのが嬉しいところでもある。
また、先だっての襲撃時に居た、いろいろ姿を変えてくる猫背の男もその中にひょっこり顔を並べていた。ええ、とリーガルさんだったけか? シャルードさんがいつぞや言っていたような覚えがあった。
その節は迷惑をかけた、と人慣れしない様子ながらもぺこりと頭を下げる姿に目を丸くしたものだが、暗さが抜けたようで何よりだった。カーリナ姉が言うにはこの人はある意味で新種の魔法生物とも言えるそうで、珪素ベースの肉体を常に魔力を消費しながら維持しているらしい。あの時の滅茶苦茶な姿は能力が安定しないために起こったものだったらしく、ストレスを受けた深層心理の状態がそのまま形になってしまったものだとか……姉の連れてきた二人による精神への手当で驚くほど改善したという。
しかし横合いで話を聞いていた増援の中の一人が「珪素生物?」とかつぶやいて、腰のハンドガンっぽいものに手を伸ばしていたのがちょっと怖かったのだが、何か悪い響きでもあったのだろうか。
時間もないので、来訪者たちの特徴でもある各々の能力を確認することはできず、運用においてはカーリナ姉に丸投げする形になったのだが……まあ、あの姉ならなんだかんだで上手くやる気がする。
しかし舐めるような視線を感じないでもない。あと五年若かったらとか聞こえてきた時はさすがにびくりとしてしまった。口の中でつぶやいただけらしいから、誰も気付かなかったけど。紫とは何の事なのか。
作戦開始時刻になった。予定通りグレアム提督が囮を務め、その間に私も含む首都制圧チームが首都に突入するという事なのだが……
今私達は少し離れた地点から戦場を俯瞰しているのだが、どうやっておびき寄せたのか詳細は判らないものの、軽く要塞化さえされている岩場から開けた草原へと、続々と敵兵がおびき出されていく。敵兵の先頭で軍を率いながら叱咤を飛ばしている姿が目についた。もしかしたら、高い地位にある将でも真っ先に釣れてしまったのかもしれない。
私はというとその様子を見ながら、ちょっとその……そわそわとしていたのだが。
「てか、単身で囮役とかさすがに聞いてない、年考えろよ……あ、あ、ちょっとかすったし、やばいって爺さんちょっと助け呼びなって、艦長さんたち控えてるんだから、あ、ああさっきのやばかった……」
そんな私の頭の上に乗っているロッテさんがあくびをした。アリアさんが肩に飛びのり、私の頬に頭をすりつけ、ティーノは心配症ねと言う。もふりという感触がなかなか。
リーゼ姉妹が猫姿になっているのは省エネのためらしいが、それだけグレアム提督も厳しいということじゃないのだろうか。
「大丈夫よ、父様がお芝居を好きなのは知っているでしょう? 見るのが好きだとね、いつの間にか演じるのもそれなりに上手くなっているものなの」
そういえば幻術魔法の応用だよとか言ってえらく器用な事をやっていた覚えが……
「特にね、もう少し押せば破れそう、もう少し走れば追いつけそう、そう思わせる演技がとても上手。だから見ていなさい、敵は罠だと思っていても、全力で突入すれば噛み破れるものと信じて疑わない」
ほら、そろそろだよ、とアリアさんが促す。
三方から敵に追い詰められ、上空からも空戦魔導師が追いすがる。
いや、とうとう追いつかれ、集中砲火を直接貰ってしまった。同時に近接組が一斉に躍りかかる。
もうもうとした土煙が晴れ──無傷の提督が細身の杖を手に立っていた。
……ん、杖?
そういえば、今までデバイス使ってる姿を見なかったような。
グレアム提督がデバイスを一撫でするように振るうと、上空に魔法陣が一つ二つ三つ四つ……たくさん。ずらぁーっとなんて言葉がぴったりくる様子で浮かび上がり。敵も味方も呆気にとられる。
──かなり離れているはずなのにここまで地響きがきた。
「うわぁ……」
開いた口が塞がらない。私はどん引きした。
多分……誘導射撃だったのだろう。大きかったけど。軌道が曲がっていたし。大量に出てきた敵兵を「逃さない」とでも言うかのように、敵軍の後ろを囲うように大きな、大きなクレバスを作りあげた。
呆気にとられる敵兵を、まるでオーケストラの指揮者が客を一回り見るように悠然と見回し、地面を杖でとんと突いた。
「さあ、諸君。ここからが開幕だ」
不思議と戦場なのに朗々とした声が響きわたった。
◇
「どうやらお父様は作戦を少し変えたみたいね」
とアリアさんが相変わらず私の肩に乗って言う。
よく釣れたので、膠着ではなく制圧を狙うのだという。確かにこう、遠くから見ると待機していた部隊が大回りに敵の陣地に向かって行くのが見えた。
当のグレアム提督はというと。
……良い例えが浮かばない。
言ってしまうならラスボスだろうか?
しかも弾幕ゲームの。
私達の居る位置からもしっかり見える程に巨大な魔力スフィアが空中に浮かび、誘導弾が嵐のように飛びかい敵陣を蹂躙している。
アリアさんはその見た目からプロミネンスとか言われる魔法だとか言っていたが、いやいや、いやいや。オーバーSランク魔導師やばい。私の周囲に居る味方の連中まで口が引きつっている。
ティーダは何かわくわくした様子で見とれてしまっているが。
ビスマルクもまたうずうずとした様子で拳を握っているが。
そろそろ行動せにゃと声をかけても聞こえていない。指でつんつんしても気付かない。
シャルードさんに目を向けると肩をすくめて見せた。
「提督はどうも年頃の男の子には目の毒みたいね」
何故か目が合って妙に以心伝心。同時にこくりと頷いた。
デバイスに魔力を流し、ツッコミモード起動。
今回はシンプルに表面に100tと書かれているものだ。
おもむろに振りかぶり──
「……ちょっ、待! 待って!」
「待たない」
ぱぁんと良い音がしてティーダが二メートルほど吹っ飛んだ。
クッションのような形に魔力を纏わせているので、このくらいにしか使えないが、バリアジャケットとぶつかるとクッション部分の魔力が破裂して派手な音になるのだ。
ツッコミにはもってこいだった、怪我しないし。
隣ではいきなり仰向けに転移させられたビスマルクが後頭部を打って頭を抑えていた。
……緊張感のないやりとりもあったものの、グレアム提督が大暴れしている合間に、シャルードさんの転移で次々と武装隊が運ばれていく。
一見便利に見えるのだが、何でも通常の転移魔法とは少し違うそうで、一度に運べる人数や距離についても、その都度調整が必要で次元移動が可能なわけでもないという。
「別にキューブ状である必要すら実はないんだけどね、ま、ノルニルっぽくなったからにはこういうのが無いと格好付かないでしょっ……と」
ノルニルってなんやねん、そんな私のツッコミにも反応せず、転送用の、もはや目にも馴染んでしまったグリーンの魔法陣を起動させ、また一小隊ぶんを送り出した。これで武装隊は全て送り終わった事になる。
疲れたぁ、と息をつくシャルードさんにディバイドエナジーで燃料補給。ちょっとまだ慣れてない人の波長なのでロスが大きい。
「ありがと」
そう言って私の頭を撫でてくるのだが、ひょっとしてと思って言ってみた。
「シャルードさん……車の中で話は聞いてませんでした? 私これでも15ですよ」
ぴたりと手が止まる。ま、いっか、ミニマム娘は正義だし。などとつぶやきが聞こえ、また手が動きだす。
年齢を言ってもこういう扱いを覆すことはできないようである。私はがくりと肩を落としてしょぼくれたのだった。
◇
共和政府の拠点となっている旧都の制圧は着々と進んでいた。
私達が最後に転移した頃には既に先発した武装隊が城塞の二分の一は制圧していた状態だったと言っても良い。非公式だがエース級とも言われているリーゼ姉妹……私の知る限り、次元世界で最強の猫が加わっているとはいえ、仕事早すぎである。
もっとも、伝えられた情報によると、共和政府軍は城塞の方をお留守にしているようだったので、奇襲が完全にはまった形となったのが大きいようだが。
そして元首も含む首脳部も拘束され、会議場に使われていたらしい円卓のある部屋に集められていた。
「ヴェンチア・ゴドルフィンがいない?」
ティーダが困惑気な声を漏らした。
顔写真は行き渡っているし、そうそう逃すものでもないと思うのだが。
カーリナ姉が、一番偉いのに聞いてみるとするか、と頭を巡らし、一人の人物に目を留める。
苦々しげな表情で、捕らえられている初老の元首が口を開いた。
「奴なら地下に行ったよ、この期に及んで遺跡いじりとはな、信じたわしが愚かだったのかもしれんが」
そう言って深く項垂れた。事前に渡された情報によれば田舎の地方領主の息子……それも三男だった人だ。共和思想に共鳴し自らも精力的に動き、体制を作り上げた人だった。ヴェンチアが軍事を担当するならこの人は行政をまるまる担当していたと言っても良い。その心中はいかなるものか。
私は頭を振ってそんな安い感傷を追い出す。
最大の標的であるヴェンチアを逃した。突入タイミングを誤ったとも、読まれていたとも考えにくい。偶然としか思えないが……なんて間の悪い!
皆の顔にも緊張が走っていた。
こっちよ、と勝手知ったる人の家と言いたげなシャルードさんに導かれ、貨物運搬もできそうな巨大な昇降機に乗りこんだ。武装隊が集まるのを待っている暇はない。実質的な戦力はグレイゴースト側に頼らざるを得ないようだった。
「おおお、いかにも最終決戦の舞台っぽいな、やべえ、楽しみ!」
なんてはしゃいでいる脳味噌筋肉男も一人混じっているが放置しておこう。またシャルードさんに注意されてるし。
私は地下に行くに従い、強く流れる魔力の流れを感じていた。
いつぞやの海鳴でも感じたこの感覚……先だっての会議では姉に言い得て妙とか持ち上げられたのだが、申し訳ない事に私の体感だとこう……風呂釜のお湯を抜くときの水流に近い。渦を巻いて魔力が流れている感じがする。それも海鳴で感じたものとは流れの強さが大分違って、これだと上手く飛べるかどうか……
あ、いや地下で飛ぶってのも変な発想だったか。
そんなとりとめのない事を考えているうちに一番下まで下りきったようだった。
私達は扉が開いた瞬間来るだろう攻撃に備えシールドを張る。
重々しげな機械音を立てながら扉が開いた。
……攻撃がこない?
サーチャーで敵影が無いことを確認するとシールド魔法を解除する。
扉から出ると広い空間だった。
天井までかなり高さがある。空間の支えとなっている何本あるか判らない石造りの柱は、風雨に晒されないためか、表の建造物よりも綺麗なぐらいである。
ほとんどが石造りになっているのは外の建築と同じで、壁際には飾り棚や装飾もそのままに残されており、盗掘の被害にあったこともなかったようだ。
「地下遺跡といえばゲームなら迷宮があるものだけど」
ティーダが周囲を見渡しながらつぶやく。
調査作業用に設置されたものだろうか、照明がところどころに設置されており、それに照らされ、作業に使われていただろう機材などが無造作に置いてあったりする。
「見取り図だと判りにくかったかもしれないけど、地下と言っても神殿を埋め立てて、その上に城を築いたようなものだったからね」
地震がないからこそ出来る建築よねえ、と少し脱線気味にシャルードさんがぼやいた。
「構造は簡単よ、前の方に演説台みたいになっているところがあるでしょう、ここは多分民衆を集めて何事かを告げる場所だったのでしょうね」
そう言って奥の通路を指し示した。
「その先に扉があるわ、保管のために新しくしつらえたものだけど。そこを抜けると立方体の不思議な形状をした空間……祭壇の間と言った方がいいかもしれないけど、その中心に天の門が設置されてるの」
天の門というのは会議でも出た、鳥居によく似たロストロギアの事らしい。どこにでもありそうな名前だが、同時に発見された碑を解読した結果、そんな名前だったようなので、こちらはロコーンのような暫定名ではなくその名前で呼ばれる事になったのだった。
「よっしゃあッ!」
元気な掛け声一発。チームの連帯何とやら、全く後先考えてなさそうなビスマルクが駆け込んでいった。
「全くあいつは……とはいえ、行動は正しい。今は拙速を尊ぶ時だろう──行くぞ」
と、カーリナ姉が言い、私達もその後に続く。いや、続こうとした時だった。
どくん、と空間が脈を打つ。
いつか覚えがある……気色の悪い感覚。今なら判る。空間に漂っていた魔力が逆流し、全く異種の魔力がこの世界に流れ込んできている。それはこの先の広間である場所に集束しているようだ。リンカーコアが共鳴している。自然と漏れ出してしまった魔力を私は意識して制御しなければならなかった。
そうだ、この感覚。
アドニアが死ぬ前に感じた……いや、起動されてしまったのか?
異変は皆も感じとったようだった。一瞬目配せをし、無言のまま足を速める。
ビスマルクが例のごとく力業で何とかしたらしい扉を抜け、緊張の面持ちで祭壇の間に突入した瞬間。
爆音がした。
「うおおおおおおおッ!」
「人だとぉぁあ!?」
「ぎゃああッ」
人影が飛んできて前列を走っていた武装局員が巻き込まれごろごろと……うわぁ……
一番後列で良かった。
「な、何が起こったのですか?」
姫様が目を丸くしながら驚いていた。
腕を掴まれているティーダも事態がよく飲み込めてない。
私は動体視力の良さゆえがばっちり見えていたのだが。
「ええっ……とですね、ビスマルクがグルグル回りながら飛ばされてきて、前列に突っ込み、複数人を巻き込みながら地獄車を再現してみせました」
未だもうもうと煙る埃の中に居る連中を指さしておく。影しかまだ見えないが……バリアジャケット着ていたし、大丈夫だよね? 人影がぴくぴくしているように見えるのは気のせいだよね?
やがて立ちこめる埃の中でむくりと立ち上がり、手で払うようにしながら姿を現したのはやはり。
「うへえ、堅ェーなおい」
首をコキコキ鳴らして楽しそうに笑う。
巻き込まれた局員達も先頭で防御魔法を張っていた事もあり、衝撃をしのいでいたようで、何とか立ち上がっていた。
やおらビスマルクが私達をぐるっと見回すと、表情を真剣なものに変えて言った。
「気ぃつけな。やっこさん、とんでも無く堅え結界の中に居るぜ。表面上何もないようにしか見えねえけどな」
不用意に蹴り入れたら俺が吹き飛んじまったい、そんな事を言って飛ばされて来た方向を見つめる。
その先には見取り図でも示された通りの鳥居……いや、実際に見るとかなり違うか。ロストロギア、天の門なるものがあった。その柱にはいつかも見たような朱い発光する文字が縦横に走っており、時折魔力の波がさざなみのように表面を走っている。
その手前には何かを供えるかのような腰の高さほどの黒っぽい石台が設置されており、傲然とした顔で腰を降ろしている男の姿があった。
やはりどこか王に似ている、データに載っていた年より若く見えた。それほど長身ではないもののがっしりした体つきに無造作にオールバックで整えられた黒髪。口髭を蓄え、爛々と光る目はひどく野心的だった。
「来たか、王冠」
肩頬を歪ませ、低い声でつぶやく。これだけの人数に囲まれてもなお、その目は姫様のみを捉えている。
重々しげに立ち上がり手を広げ、まるで劇の一舞台でもあるかのように芝居がかった仕草で言った。
「見ろ、我らが先祖達の残した遺産を。何故これほどのものを封じていたのか理解に苦しむ」
そんな台詞を吐いている間にも私達が攻撃を加えていたりする。空気を読んでやったりなどはしないのだ。今のところ全て障壁のようなもので阻まれてしまっているが。
「もっとも、この俺では本来の機能通りに動かす事も出来んようだが、この通り資格者を守るための機能は働いているようだ……ふん、賭けだったがな」
世界が耐えられないとでも言うかのように、大きく動いた気がした。
実際の震動さえ伴うそれに建物が耐えられず、ばらばらと滑落する音がする。
次元震が起き始めた。それはより巨大なものの前触れであるかのようにゆっくりと長く続いている。
さすがのビスマルクも顔をひきつらせながら、いつか見た凄まじい威力の技を放つ。合わせて射撃魔法の使える者で集中砲火を一点に浴びせるも……効果が出ない。
あんたは自分が何をしているか判っているの! とシャルードさんが問いかけるも、ヴェンチアは有象無象の言葉など耳にも入らないかのように無視し、姫様から視線を動かさないでいる。
「来い王冠の女、ナティーシア・ノウンファクトよ。このまま俺を放置しておけば、この世界が滅びよう。手に入らぬならいっそ……などとは子供の理論だが、追い詰められた権力者には相応しいやり方だろう」
自虐なのか何なのか判らないような事を言って、ふはははと笑っている。おいおい……
「ティーダ、あれ完全に開き直っちゃってるようにしか見えないんだけど、どう思う?」
「考えたくなかった最悪のシナリオだね……」
いつかも見たクロスファイアに使うようなスフィアを一点に集中、一発の威力を高める撃ち方で放った。
私もそれに合わせて出せる最大威力の魔力弾を撃つ。
今度は来訪者さん達のもつレアスキル認定されるような能力も同時に着弾した。
1回はタイミングが合わずに空振ったが、これなら……
「通った……か?」
誰かが言ったつぶやきが聞こえた。
相変わらず異様な魔力はこの空間にどんどん流れ込んでいる。いつ、次の次元震が起きても不思議ではなかった。冷たい汗がこめかみから伝うのを感じる。
煙が晴れると、相も変わらず平然としている姿があった。
シャルードさんが忙しく分析作業のようなものを進めているが間に合うのだろうか?
◇
状況の悪化は既にリーゼ姉妹、散開している武装隊、グレアム提督にも伝えられているが、時間的に増援は……手詰まり感が漂う中、後ろでシャルードさんと何か一言二言言葉を交わしていた様子だった姫様が不意に歩き出た。
「姫さ……」
「下がりなさい」
止めようとした私とティーダを一言で制す。
「手立てはないのでしょう。いかなる結果になるとしても世界が崩壊するよりはマシというものです」
止める事は簡単だった。
バインドでもかけてしまえばいい。
姫様の魔力に関してはよく判らないが魔法を学んでいた様子はなかった。
ただ、言い返す言葉もなくて──
そんな為す術もない私達を、優越感に満ちた笑みをもって眺めるヴェンチア。そのもとに一歩一歩姫様が歩いていく。
少し高台になっている祭壇への緩やかな階段を上り、私達が攻撃しても攻撃しても弾かれてしまう場所に足を踏み入れ……そのまま通りぬけた。
「やはり、お前を有資格者と認めているようだな」
ヴェンチアはそうつぶやき、来よ、と姫様をさらに石台の近くまで招く。
「……ッ!」
息をのんだ。
ヴェンチアが後ろを向いた瞬間、姫様がどこに隠していたのか判らないナイフをつきだす──が、気付いたヴェンチアの腕をかすめ、かすり傷に留まってしまう。
かすり傷? 魔導師ではない?
そんな一瞬走った思考も、目の前の光景を見てどこかに飛んでいってしまった。
姫様の腕を後ろ手に捻り、ナイフをもぎ取ったヴェンチアはその後ろから抱きかかえるような体勢のまま笑う。
「……なんと王族にあるまじき悪い手だ、ふむ、ふむ……こんな手はいらんな」
湿った枝を無理矢理へし折ったような音がした。
「あ……ぐ、あぁ」
ぱくぱくと口を開き、声にならない声をあげる。
大きく開かれた目からは反射的なものからか涙がこぼれた。
ヴェンチアはその涙を舐め取り、よく味わうかのように口を動かす。
崩れ折れそうになる姫様を抱き支え、器用にナイフを使い、服を引き裂いた。こちらを向いて、口を開く。
「そこで見ているが良い、王冠の配偶たるに相応しいのはこの俺だと。そしてなにゆえ王冠の女と呼ばれるのかを」
その権限、貰い受けるぞと言ったかと思うと、姫様の唇を乱暴に奪った。痛みからか嫌悪からか、あるいは両方か、悶え、もがく姫様を後ろから抱きすくめ、右手はさらに残っていた衣服を引き裂きにかかった。
「やめろ!」と誰かが叫ぶ声が聞こえる。
怒りに駆り立てられた乱暴な構成の魔法が飛びかう。
接近戦をしかけ、雷光が飛び、炎が走る。
その全てが届かない。
そう、届かない。
だからどうしたというのか。
ティーダが血相を変えて私に何か言っていた。
よく判らないが心配しているようだった。
何か……何か言っておかないと。こいつに心配かけるのはなんか嫌だ。
「大丈夫、ちょっと、思い出しただけ」
唇から血が垂れていた。知らずに噛んでいたらしい。
舌で拭うと鉄の臭いが鼻につく。
水滴が落ちている、私も涙を流していたらしい。
ああ……ああ、酷いフラッシュバックだ。
本当に、胸がむかついた。
何も考えずに地面を思い切り踏みつけ、加速する。
デバイスには既に魔力刃を展開していた。
障壁があるだろう場所に思い切り叩きつける。
ぱぁんという音と共に弾かれ、デバイスが宙を舞った。
……まぁ、いいか。
拳を握りしめ殴りつけ──
「お?」
空振った。
とっと、なんて思わず口から漏らしながらたたらを踏んでしまう。
顔を上げればヴェンチアもまた間抜けな顔で口をぽかんと開けている。
少し疑問を覚えたが、とりあえず今は私もちょっと頭回らないし、何というかうん。
丁度いいや。
前に一歩踏み込む。背中で違和感を感じたが構わない。地面を蹴りつけ、腰の回転も利用し右下からアッパーの要領で殴りぬいた。
馬鹿なとか言いたかったのかもしれない。ぶろうわくば、としか聞こえないような声をあげて吹っ飛ぶ。
私はそのままの姿勢で息を吸い、吐いた。沸騰しそうな程に煮えていた気分を少しでも鎮めようとする。少しは納まった。
「ん……なんだか判らないけど、よし!」
私は何となく拳を高く上げ、ガッツポーズを決めたのだった。