大使館で落ち着くような落ち着かないような微妙な時間を過ごす事、三日。結局最後まで自分の意志を曲げず、それどころか着々と政治的な手を打っている姫様に押された形で、私達もまた進軍する王軍の中にあった。
目指すは共和国首都ベリファなのだが……私達からすれば「また戻るの?」といったところでもある。何せ姫様を誘拐されかけた時の転移先が敵方の首都の近くでもあったのだ。せっかく安全地帯まで移動してきたのに引き返すことになろうとは、まったく思いもしなかった。
「しかし、考えてみると本当よく無事に辿り着けたもんだよなあ」
そんな独り言がふと口をついて出る。敵地のど真ん中に放り出されたのだ。正直私一人だったら姫様を抱えて飛んで、あっという間に捕捉されて撃墜されるのがオチだっただろう。
頭の出来……いやそんな事で片付けると怒られそうだ。今思えばティーダの局員としての経験というものが馬鹿にならないものだったと思う。
私も訓練ではそれなりに好結果を残していたと思っていたけども……実際の荒事は大違いだったというわけだ。
むぅ、と唸りながら乱暴に頭を掻いた。なでつけたアホ毛がはねる。整髪料切らしてるからなあ……しかしなぜ頭頂の一部分だけ逆向きに生えてるんだか。漫画のようなアホ毛は見た目面白いけど手入れが大変なのだ。
ちなみに進軍といっても、別に馬に乗ってぱっこぱっこと進んでいるわけではない。あくまで中世風なのは思想と文化である。
兵員輸送車とでも言えばいいのだろうか? トラックを装甲で固めたような車が列をなし、私達は姫様の付き添いという形で指揮車に便乗させてもらっている。
私達からすればまた引き返すようなものといえども、通る道筋は全く違う。今回は大群が通るために主要街道沿いにしか進めないのだ。この主要街道は山を大回りするルートになっており、時間もそれなりにかかるのだった。
私はあくびをかみ殺した。不謹慎きわまりないのだが、眠気が……何せ軍勢に守られているおかげで襲撃はないし、ほどよい車の揺れと陽気の良さが相まってとても眠気を誘う。
ちなみに姫様はとっくに夢の中に行っている……ようなのだが、また一つとんでもない点を見つけてしまった。
この姫様、おだやかな笑顔のまま寝られるのだ。耳を澄ますとすーすーと静かな寝息が聞こえるのだが、見た目は起きているようにしか見えない。
そりゃ人に見られる事が多いだろうから、その中で身についたスキルなのかもしれないが器用なものである。
車両は違うものの、カーリナ姉も例のグレイゴースト側から出された人員を率いて軍に同行していた。管理局との協調体制を取ると言ったものの、別にべったり局側と一緒に居るというわけでもないらしい。そこは聖王教会も間に一枚噛んでいる様でもあるし、私としてはあまり触れたくない系の話でもある。
流れる景色を何となく見ながら、その姉が連れてきた、グレイゴースト側の人員というのを思い出し、何とも言えない気分がこみ上げ口の端がひきつった。
あれを見てしまうと……私の頭の中ではトリッパーや転生者というのはちょっと変わった次元漂流者という認識だったのだが……ちょっとではなくかなり変わっているのかもしれない。私も人の事を言えないけれども……
◇
カーリナ姉も同行するということで、調査のために連れてきたという二人を紹介してもらったのだが、その見た目にまず驚かされた。
私は古い記憶が思い出され、失礼ながらもその人を指さしてしまった。似ているのだ、というか服装までばっちりそっくりである。
「知ってる! 私知ってる! ええと、あれだ!」
名前が出てこない、そりゃ大分昔の記憶だし、無くなってしまった思い出も多いので無理ないのかもしれないが。割と有名だったゲームキャラで、私も誰かに貸してもらってやっていたような。喉まで出てるのだけども。うおお、むずむずする。
そうだ、と手をぽんと叩いて言った。少しだけ思い出した。
「エロゲの主人公だ!」
そう、大声で言ってしまった。軍勢がこれから出発しようという時にである。人波でごった返している時にである。
空気が凍った。
「ぐばあっ」
凄まじい自滅技を放ってしまい、頭を抑えて私は崩れ落ちた。
「……うむ、あの愉快な事をやっているのが私の妹のティーノだ。二人ともよろしく頼む」
などと姉が私を紹介している声が聞こえた。
ともあれ、私も復活しこほんと一つ咳払い。初めましてと挨拶をしておく。復活が早くなったな、などと姉の声が聞こえるがスルーである。
指さしてとても失礼な事を言ってしまったのだが、その人は気にするなと言うかのように手を振り、そのままくるりと後ろを向いた。はて?
「さて、何故知っているのかはともかくとしてだ、私は主人公などという柄ではない。英雄の列にも加われぬ半端者、ただの掃除屋に過ぎん」
赤いロングコートのようなものに身を包み、時代錯誤な鎧を着込んだ痩せマッチョはなぜかいそいそとした感じで顔だけ振り向けて言う。
その行動に意味あるのかはともかく、後ろ姿はイメージと似ているような、てか主人公じゃなかったっけ? あれ、と首をひねる、覚え違いだったろうか。
と、もう一人の小柄な、長い金髪の男が慣れた様子で、気取んなアホと突っ込んだ。ため息を吐きながら頭の後ろを掻いて面倒臭そうに口を開く。
「知ってんのはそろそろ原作出てる頃だからだろ馬鹿、これでますますコスプレ男でしかなくなっていくなぁ、カミヤ君よ」
「……真名で呼ばないでくれるか」
「だから真名とか……痛々しいんだってお前は」
「痛々しくとも貫くのが男というものだ」
カミヤ……? 神谷さんなのだろうか。地球とか言ってるし、日本の出身だったりするのかもしれない。
「しかし、ティーノ……いつの間にそんなゲームを?」
先程から黙っていたティーダが白い目で私を見ていた。
何故か一歩引いている? あ、あれ、ちょっと風向きが変だ。
「……い、いや違う。これには深い事情が……誤解だ、きっとお前は誤解をしてる! な、話を聞いてくれティーダ、澄ました顔でどん引きしないでくれ、ええい何で私が浮気がばれた夫みたいな台詞を言わなきゃならないんだ!」
「ごめん、ちょっとそれは勘弁してほしいかな。それとティアナにはしばらく近づかないでくれるかい?」
「……ま、待って、変なところでティーンエイジャーの潔癖症発動させないで! ティアナちゃんは、ティアナちゃんだけは勘弁して!」
……そんな寸劇はともかくとして。
その後、話したところ二人はあくまで情報収集のために連れてきたという事らしかった。そのカミヤさんの特技というものも見せてもらったのだが、見事な幻術魔法である。投影魔術と言って欲しいものだとか言ってたが。
宙にぬいぐるみだのペティナイフだのを浮かべてみせるそれは、性質はフェイクシルエットに似ていて、衝撃に弱く見せかけだけだが、細部の作りまでよく出来ている、余程近づかれても気付かないだろう。ただ私はどことなくイメージとその能力が合ってないような気がしてならなかった。
「んー……なんでだろ? カミヤさんは、こう剣がずらーっと刺さっているようなイメージがあるんだけども」
ずらーっと、と手を広げて身振りで示す。
私はかつてプレイしたゲームのイメージを思い浮かべる。そう、確か私の記憶をサルベージしてた幽霊さんがそれをネタにしてたような。
ええと、体は麺で出来ている……あれ、美味そう?
「それは言わない約束だ……それに本来の投影魔術、グラデーション・エアとして考えるならこちらの方が近いといえば近いとも言えるんだ」
何故か肩を落とし、哀愁を漂わせながらそう語るカミヤさん。付け加えるように口を開いた。
「それと、カミヤという名字はその……呼ばないでほしい。一文字違いで私としても不本意なところなんだ……せ、せめてアーチャーと」
「弓なんて引けないからどちらかってぇとアチャーだがな」
そう言いつつジェスチャーであっちゃぁ……といったポーズをとってみせ、アチャーさん(仮称)の肩をさらに落とさせたのは、もう一方の男性だった。
リマインダーと名乗った小柄な男性は色の濃いサングラスの位置を直しながら言う。
「サイコ……いや精神感応能力者でもいい、大した能力でもないがな」
「ふん……能力だけ毒島が。そちらこそ格好つけるな戯け」
「……んだとぉ?」
口争いを始める二人を前に私はその……投影魔術だの、ぶすじまだの、ぽんぽん出された単語にはてな顔だったのだが。
カーリナ姉に目で助けを求めると、一つ軽く息を吐き、私達に説明してくれた。
「二人はこれでも仲が良くてな。ついでに言えば能力の相性も良い。主に情報収集用ではあるが」
そう前置きして、説明してくれたところによると、何でも投影魔術と本人が言っている能力は、特化された幻術魔法とも言えるらしく、それは大規模に展開すれば平原をすっぽり包んでしまう程の規模を持ち、精密さに絞れば、一部屋程度ではあるが幻影とは思えないレベルのものが作れるという。私も幻術魔法とかそれなりに使う身だが、凄い。
そしてサイコなんちゃらと言いかけていた能力については、文字通りの能力のようだった。精神操作系だそうで、二人の能力の相性が良いというのは……ええと。幻術に精神操作かぁ……姉は情報収集とか言っていたが……尋問用、いやいやまさかまさか、そんな物騒な……そうでないと信じたい。
それにしても、だ。
「トリ……来訪者って……なんなんだろうか」
改めて不思議な存在である。
その能力もモデルがあるようだし。というか、そのモデルになってるゲームなんだったか、ああ気になる。喉に小骨が刺さって取れない感じがする。もう発売してるような事言ってたから今度ロッテさんに頼んで調達してもらおう……って、しまった、エロゲだったか。エロゲを買う猫……ぐっ、笑っちゃ駄目だ。
私が妙な事に頭を悩ませていると、カーリナ姉が、まだ確定ではないがと前置きして話し始めた。悩み顔を勘違いさせてしまったのかもしれない。ちょっと心配げな口調だった。
「ロストロギア関連。そして恐らく97管理外世界の日本が関係しているのは間違いない。彼等に共通している知識はもとより、能力のモチーフもまた日本の文化圏にあるものが多いようだ」
地球に限定するにしろ、もう少し他の国の文化圏から来ても良いはずだというのに……だ。そう続け、考え深げな顔になる。癖になっているのか、耳たぶをいじっていた。
「しかし、彼等から聞き出したモデルとまったく同じ能力になるわけでもない。例えばあれ」
未だに掛け合い漫才じみた応酬を続けるカミヤさんとリマインダーさんを顎で指した。
「投影魔術と本人は言っているが、彼がモデルにしたものは魔力によって剣を物質化するものらしい。だが、結果的にそれは再現出来ず、全く別方向に行っているようで、あれはある意味で本来の形に近いと言う。非常に面白い例だな」
面白いと言いながらも姉の顔に表情は無い、目を細め頭を働かせている顔だった。
「また興味深いのは、その能力に関する記憶、それも時系列から切り離された形で整合性を持って存在している事。そしてばらばらに切れてしまったかのような記憶も同時に持ち合わせている事だ。リマインダーに数人探らせた結果はまさかの……いや、咄嗟の事態に見た幻覚、あるいは妄想か……その可能性は未だ……」
自分の考えに没頭してしまい、ぶつぶつとつぶやく姉の後ろにこっそり回り込む。腕を回した。
ティーダがおいおい、大丈夫かとか口パクで合図してきたので指でシー、とジェスチャーをしておく。
私は自分の顔あたりにあるカーリナ姉の豊満なバストに手を伸ばし。
「てい」
「あん」
……お、おう。何か聞いてはイケナイ言葉を聞いたような……
私が冷や汗をたらし、当たりを見回せば、先程までうるさかった来訪者さんのお二方もぴたりと止まっている。
ティーダに至ってはすでに背中を見せて遠ざかっていた。見捨てるのか、見捨てたのか薄情者!
「ティーノ」
平坦な声が降ってきた。はひ、とかすれたような声が出てしまう。
私からは顔が見えないのだが、耳が赤くなっている。恥ずかしかったようだ。
「姉の胸に甘えたい年頃なら存分に甘やかしてやろう」
そんな平坦な声を聞いた私は一目散に逃げようとしたのだが、遅かったようだ。前触れも無しに魔力で編まれた糸が私の四肢を縛り――
コアラのように抱っこされたまま、軍勢内をねり歩かれたのだった。
その後は思い出したくない。
今は恥ずかしさに悶えて転げ回れるようなスペースはないのだ。
◇
進軍は文字通り山も谷も無く順調に進んだ。
共和国軍はグレアム提督の作戦により、これまで戦線を維持してきた強力な部隊はそれぞれが孤立。機動戦により線を切り刻まれ、点在した部隊でしかなくなっている。
王軍の行く手を遮るものと言えば散発的に拠点に篭もって時間稼ぎのような抵抗があるだけである。
今日は今日で、中央交易地である都市を制圧し、その戦勝に王政府軍は浮かれムードが漂っていた。
私とティーダは姫様に付き従い、王子の戦勝祝いとして司令部の置かれている幕舎に行ってきたところである。
あまり接点がなかったので、姫様の兄君に当たる王子に会ったのはこれが初めてだったのだが……うん。多くは語るまい。ピザが好きそうな王子だった。顔立ちは姫様と似ていたが、体型は飽食を繰り返してしまった感じである。
ともあれ、外部の人間である私達が何を言う筋合いでもない。問題は──
「すっかり気が緩んでいたね」
姫様に割り当てられたこじんまりしながらも豪勢な幕舎に戻る途中、ティーダが来た方向を振り返り物憂げな目をしてそう言った。
「共和政府ができて以来、ここまで攻め込めた事がありませんでしたから……私も間近で戦闘を経験していなければ、今頃同じ輪に加わって暢気にしていたことでしょうね」
姫様が背中を向けたまま答えた。
管理局が出張ってきてからは確かに勝っていたものの、それは国軍が直接乗り込んで勝ちを得たわけでもなく、抑圧されていたものもあったのだろう。自分達の力で得た戦果に昂揚しているようだった。
気持ちは判るのだけども……何とも言えない気分になる。
私は現在居る野営地を見回した。
都市を制圧したとはいえ、民間人もそのまま残っていたのでさすがに軍勢が入ることは避けたのだ。
今はその都市から少し離れた場所、細い川が流れている盆地に陣取っている。
理由は単純で、兵の炊事に使うための水が確保しやすいからなのだが。
やがて日が隠れようとした頃、温度が下がったせいか急に霧が出てきた。
さすがに視界の悪化を危ぶんで、早めに明かりが灯され、警戒態勢に入る。
私はほっと一息ついた。気が緩んでいたと言ってもそうそう浮かれてばかりではなかったようだ。
「やれやれ、すごい霧だな。視界といってもせいぜい10メートル程か」
「カーリナ姉さん?」
けぶるような霧をかきわけて出てきたのは姉だった。
姫様にでも用事だろうか、さすがに野営地でアポイントメントはお持ちですか? などと聞くつもりはないが、前もって連絡もないというのは不思議だ。
聞けば、単純に襲撃に良い条件になっているので、念のため合流しておくという考えのようだった。
来訪者の二人はと聞けば非戦闘員らしく、幕舎に残しているという。引率役が何をブラついているのか……とも思ったが、どうも心配してくれているらしかった。
考えてみれば園遊会の時は姫様もろとも行方不明になってしまっているわけで、家族としてはその、無理からぬこと……なのかもしれない。
私は何とはない居心地の悪さを感じてみじろぎをした。視線を彷徨わせるが、辺りは一面の霧である。一つ思い出したので話題転換に出してみた。
「そういえば、視界の悪さで思い出したのだけど、桶狭間の戦いってのが地球にあってね」
日本では一番有名な奇襲戦の話である。ふっと思い出したのだ。別に王子が義元っぽいなどと思っているわけではない。断じて。
桶狭間では雨だったと思ったが何となくシチュエーションが似てるような気がする。
まとまった軍勢でもって敵地に侵攻。拠点を制圧し、今はその治安用にいくらか部隊を割いている。狭隘な盆地と悪い視界。
いやまあ……桶狭間の戦いといってもそんなに詳しく覚えているわけでもなかったのだが。
ざっと話し終えたところで、ティーダが川の方を向き、縁起でもないなぁとつぶやいた時だった。
「敵襲だ!」
という声が聞こえたかと思えば、司令部から通常通信と、全方位に発せられた念話で警戒態勢を促す指示が下った。
◇
私は束の間唖然としていた。
「ティーノ……今後お前はその手の縁起悪い話は禁止だ」
姉が私の頭をぽふっと叩いた。
何とも言えない表情で固まっていた私もようやくそれで動き出した。
おいおい、嘘だろと言いたいのは山々なのだが、いや、今は考えまい。
「ティーダ」
「ああ、この場所は少し孤立しすぎている。司令部に合流した方が……」
言いかけた所で、人影が霧の奥に浮いて見えた。草木の色で染められたかのようなローブがひらりと舞う。
やがて特徴的な色合い……髪も瞳もグリーンという女性がその姿を現した。
一瞬リンディさんを思い浮かべてしまう色合いだ。
その女性の後ろには何かぶつぶつつぶやいている怪しげな男……あまりにも適当なジャージ姿で、下を向いているため表情は伺いしれない。ぼさぼさの黒髪に猫背が特徴的だった。
警戒する私達に向かいゆっくりと歩きながら、女性は懐に手を入れ、見覚えのある黒い立方体を取り出した。
……いや、見覚えのあるはずだ。あれは園遊会の折の襲撃者がもっていた何らかの効果を発揮する……デバイスか何かか。あの時は侍女姿だったし、髪も目立たない色だったが、顔には面影がある。
その女性は私とティーダの姿を認めると、ビンゴと小さくつぶやき、いかにもしてやったりと言いたげに口角をつり上げる──が、さらに隣のカーリナ姉を見た瞬間固まってしまった。
「……は? な、なんであの女が居るの? ちょ、ちょっと……ええ?」
襲撃者の女性は、いかにも慌てていた。しかし姉よ……私の知らないところで何してるんだ本当……
そんな姉はとてもイイ笑みを見せて一歩進み出る。私は一歩引き下がった。
「ティーノ、あの女の勧誘が私達の目的の一つだ。面識もある。こちらは任せておけ」
言うや否や飛び出した。飛行魔法でもないのに飛んでいるかのごとき速さで襲撃者の女性に迫る。
襲撃者は慌てた様子で黒いキューブに指を走らせると、以前私達を転移させた奇妙な魔法陣が浮かび、姉もろともグリーンの輝きと共に消え去った。
風が一つ吹き抜ける。
私もティーダも、幕舎を守る隊長も護衛隊の面々も、果ては襲撃者側の片割れ、猫背の男も。
間抜けな顔をして一つ息をついた。
「……さ、さて、仕切り直しだ」
そう言ったのはティーダである。いや、いくら間の抜けた一幕であったとしても、別に油断していたわけでもないんだが。
私達は残った猫背の男に向かい構えた。
一応形式通りに問いただすと、それには答えず、こちらにもよく聞こえるほどの大きなため息をつく。
あからさまにこちらを無視する感じに思わず眉をひそめたが、なにやらぶつぶつつぶやいている声も大きくなっているので聞き耳を立ててみた。
「ああ……面倒臭い面倒臭い、なんで有無を言わせず連れてくるのあの女、かと思えば一人で逃げちゃうし、やってられないだろ、傍若無人だし、ああ怠い。大体アリスもいないのに形ができるわけないだろうが、初めて発動したときなんて運動会だぞ、止まれ止まれとかリアルでやることになるし……せめて暴走部位が股間でなけりゃまだ体面も……いや、もう故郷じゃバケモン扱いだし……ああ死にたい死んでしまいたい、あるいは死ねみんな死ね、俺以外皆いなくなればいいのに、いやでもどっちでもいいや。あああ、怠い……」
──聞かなかった事にできないだろうか。
アリスとか暴走とか気になる単語は出ているものの、何より暗い……暗いよう。
私もまたがっくりと項垂れそうになる頭を、力を入れてもちあげる。
ティーダが投降を呼びかけているが、聞く耳持たない……というよりも最初から耳に声が入っていないようである。
「ああ……もういいや、なんかうるさいし……放っておかれたんだから好きにやれってことだろ、あははは。……ああもう……知らね。後の事なんかどうでも……」
いいや、というつぶやきが聞こえたかどうか、という瞬間だった。
形容しがたい音……太い丸太に斧を打ち込んだ時、同時に落雷が近くであったような、そんな不協和音と共に男は姿を変えた。
始めは首──雄牛のようにふくれあがり、バランスを崩した彼は前のめりに倒れる。のたうつように腕が……私の持っているデバイスの起動状態のように巨大な槍になった。胸からは植物の根のようなものが地面に刺さり、背中からは複眼を持った昆虫の顔が現れる。足は分裂し、太い虎のような足になった。ただし8本の。
その、男だったものは長く、鞭のように変化した左手を振りかぶり薙ぎ払う。
「ティーノ!」
普段とは違う緊迫したティーダの声にはっとした。
「プロテ──」
間に合わない、バリアジャケットだけで防げるのか? 思わずぎゅっと目をつぶった……が何かを弾くような音が聞こえ、目を開ければ。
「よし、今度は格好ついたかな」
「……その台詞を言わなければ10点満点」
多分私が呆けている間にも用意していたのだろう、精密な作りのシールド魔法を展開させたティーダが庇っていた。
お姫様だったら「ポッ」となっているところだ。
私はついつい台詞につっこんでしまったわけだが。
「おいおい、これは一体どうなっているんだ……」
と、隊長さん。相当に困惑しているようだ。それも無理ない。
猫背の男だった人は、何というか見た目的なインパクトがものすごい存在になってしまっている。
周囲の霧も相まって、ホラー映画のようだ。顔が上下反転して首にめり込み呻き声を上げている。
何故かそこだけは人間の形を留めている下半身のキャノンが、妙に人らしく生々しい。
まるで子供の悪夢をそのまま形にしたかのようにちぐはぐな存在が目の前に居た。
「話が通じそうもないな。隊長、護衛隊は姫様の警護を厳重に。今の隙を突かれないとも限らないはずだ」
ティーダがそう言えば、一つ頷き、隊長は部下に念話を出しながら幕舎に引き上げていく。
妙なヒエラルキーできてないか? いや、それは後でつっこむとしても今は目の前の対処が先決だった。
幸い魔力を伴った攻撃ではないらしくシールド魔法を貫いている様子ではない。
ただ、地面に鞭のような攻撃が当たった場所……そのえぐれ方からすると、そう油断できるものでもないようだ。生身で受けたら胴から真っ二つとかそのくらいの威力はありそうである。
「とりあえずシュート!」
言った言葉の通り様子見の一撃を撃ってみる。
どこを狙えばいいのか判らないような姿になっているので、狙いも適当だ。
「あ……」
「うッ……」
なぜかティーダも痛そうな声だしてるし。
胴体を適当に狙った魔力弾は見事に弱点に当たった。男の持つ弱点に。
名状しがたい声をあげ、土をはねちらしながら暴れる。痛かったようだ。
暴れながら、体はまた変化を始めた。肩口から触手のようなものがうねうねと生えてきたと思ったら、まるで槍投げの槍のように向かってきた。
今度は自前のシールド魔法で防御する。無事防ぎきれたが……削られた?
「学習してる?」
「……うん、言葉は正常に話せなくなってるけど、知能がないと考えるのも危険かもしれない」
見ればその触手の先にかすかな魔力光めいた残滓が見える。どういう使い方しているのかは判らないが……
ともあれ、その見た目に惑わされずに基本を守っていけば何とかなるか?
リングバインドで縛る。バインドの基本もいいところだが、魔力に余裕のある私はこういう単純なものをバカスカ撃つのに向いていた。マルチタスクも使わないので便利便利。複数対象は苦手でもあるが。
ティーダを見れば目で了承の意を示してきた。
すでに用意済みだったらしい。
『HowitzerShoot(ハウザーシュート)』
魔力スフィアが3つ、ティーダの拳銃型デバイスの銃口に生まれた。
今回はバインドで止められているので、集中させて威力を増すらしい。砲撃魔法とも少し違う。言うならば砲弾を発射する魔法と言ったところだろうか。登録されてる魔法名は何ともティーダらしい。
「ファイア」
との声と共に密集した魔力の砲弾がバインドで身動きもとれない、元猫背の男に向かった。
迷わず成仏。
南無南無、と手を合わせる。
いや、冗談だが。さすがに人の姿でなくなったからといって殺しにかかるはずもない。
この霧の中でも舞い上がった土煙が晴れた所に居たのは──
「は?」
私は間抜けな声を出してしまった。さらに名状しがたいというか、なんじゃそりゃあ……
「ティーダ……これは予想外って言うか……来る!」
「くっ」
呆気にとられたような顔のティーダも一瞬で我に返り、半球の大きなプロテクションで一面を囲った。
一瞬遅れて辺り一面に攻撃が降り注いだが……しのぐ。
念のためディバイドエナジーで軽く魔力を補充しておいた。
「……ティーノ、気使ってくれるのは嬉しいんだけど、背中を叩くのは勘弁してくれないか……」
軟弱な事を、私の闘魂注入にも耐えられないようでは本家の背中バンには到底耐えられないぞティーダ。
なんておふざけはともかくとして、これどうしようか。
今の私達を外から見れば途方に暮れている表情がありありと見える気がする。
巨大化してたのだ、この元猫背さん。というかますますわけわからない形態になっている。
とりあえずまたバインドを多重にかけておくが……変形することで外されてしまった。ありえん。
黒っぽい色調なのは変わらないのだが、山羊みたいなのが生えてきていたり、足から触手が生えたかと思ったら蟻っぽくなったり。剣みたいなのが何十本も蠢いたかと思えば飛んできて、土を掴んだかと思ったらそれを圧縮成形して撃ちだしてくる。見た目の問題もあるが、何というか生き物として滅茶苦茶もいいところである。
魔力の使い方も段々上手くなっている気がするし、あまり考えたくもないのだが、リンカーコアとか作り出したりしないよな?
今のところ攻撃はプロテクションで防げているし、私の魔力弾やバインドも効いている。動きもそう速いわけでもなく、動作を見逃さなければ避けるのは簡単だ。だがしかし、なんと言えばいいのだろうか……効果的なダメージが与えられない。
痛みは感じているようなのだが、それが全くダメージとならずに、さらに強化してくるのだ。始末に負えなさすぎる。
私は飛び散り、蛇に変化し足に噛みついてこようとする欠片を踏みつぶした。
しばしその残骸を見たティーダは何かつぶやき妙な構成の魔法を使っていた、のだが私もあまりよそ見はできなかった。何分この敵の攻撃、荒っぽい上に全方位攻撃というか、流れ弾がやたら多いのだ。姫様の陣幕の方にも攻撃が向かいそうになるたびに、その部位を攻撃して逸らしたり、場合によってはシールドで防いでいるのだけど、これは正直。
「イタチごっこもいいところ、か」
魔力弾を立て続けに連射して破壊したはずの、蟹のハサミにも似た腕が再生する。
ちょっと前に敵兵に追われた時とは違い、まだ余力はあるもののどうしたものか。額をごんごんと叩いてみる。良い考え出てこい。
「……解ったかもしれない」
後ろからそんな声がした。良い考えが出てきたのはティーダの方だったようだ。
……相変わらず私にゃ見せ場ってものがないらしい、と嘆く心を抑えつつ、短く「どうすれば良い?」とだけ聞いた。
「あまり使わないルーチンを魔法に組み込まないといけない、時間を」
「おーけぃ」
みなまで言わせず、軽い返答で返す。実際、気分的に楽になった。姫様は正式な護衛隊が守っているはずだし、面倒臭い敵ではあったが、ティーダが突破口は見つけたみたいだし。だとすれば私のやる事は単純になってくる。
相変わらずただ暴れるだけの攻撃を仕掛けてくる敵の一撃を避けて、一歩踏み出した。
「あんよはお上手、鬼さんこちら、手の鳴る方へ、と」
移動手段にしてる足っぽいものにところどころバインドをかけながら、かわしてかわして、逃げまくる。子供の相手は大得意である。
飛んでもいいのだが、ただでさえ流れ弾多めなのに、わざわざ拡大させることもない。
逃げる私をずるずると追う正体不明敵との鬼ごっこを続ける事数分。
(準備完了したよ。距離をとって)
念話が来た。ティーダの準備も整ったようだし、とお土産にリングバインドをさらに十個追加、捕縛性能も考えないとりあえずのばらまきである。バックステップして距離を取り、そのまま翻ってティーダが陣取っている場所に帰着する。
「ただいま」
「おかえり」
パンと手を合わせ、選手交代だった。
「……ヒントはティーノが踏みつけたそれにあったよ」
魔法陣が銃型デバイスの前に展開し、ティーダのどこか太陽の色を思わせる山吹色の魔力光が渦を巻く。
意外な台詞に私は思わず振り返り、土塊のように砕けている蛇だったものを見る。
「それは末端に行くに従って土の組成に近くなっていた。まるで、原子配列がある一点の基点から変換されているかのように」
お得意の交差誘導射撃に使うような魔力スフィアが2つ浮かぶが、何か複雑な処理をしているのか、砲撃魔法のような溜め時間がかかっている。
そろそろ、敵さんも私がばらまいてきたバインドを突破しそうだ。
念のため囲うようにプロテクションを張っておく。ティーダは目で感謝し、続けた。
「想像が正しければ、それは質量兵器全盛期にも考案され、今でも医学界では細々と研究が進められているはず」
敵の新たに生やしてきた、蠍の尾のような一撃を受けて、プロテクションの壁がきしむ。
だが、ティーダは焦る様子もなく、淡々と魔力を注ぎ続けた。
「そう、あれはナノマシンの集合体だ。なら信号経路に過負荷を起こさせてやればいい、だから──」
ファイア、と言うつぶやきと共に普段より三倍増しの輝きを放つ射撃魔法がスフィアから放たれた。
それは誘導制御の得意なティーダらしく、余すところなくある一点に着弾する。
敵はぶごっ、と声をあげ、一度二度震えると前のめりに倒れる。今までの打たれ強さが嘘のようにあっけなく沈黙した。
「プラズマバレット……着弾時の放電タイミングを合わせるのに手間取ったよ、魔力変換も滅多に使わないしね」
そんな事を言いながら、やれやれ疲れたと肩を揉んでいる。
そういう……その場で魔法アレンジしましたとか、滅多に使わないようなものを咄嗟に組み込んでみせるとか……こともなげに言わないでほしい。
私は一つため息をついた。
気を取り直して、その沈黙した敵さんに近寄る。
何となく、デバイスの先っちょでつんつんとつついてみた。
時折ぴくぴくっと、痙攣のようなものが走っているが、とりあえずもう攻撃する元気はない様子で……?
「崩れていく?」
全長6メートルもあっただろう体はところどころにヒビが入り、崩れ落ち、あるいは空気がぬけるようにしぼみ始めた。
数秒も経った頃にはその崩れた残骸の中に、最初見た通りの男が倒れていた。全裸で。近くに寄って確認したところ完全に意識を失っている。
まあ、ひとまず王族誘拐犯の片割れを確保ということで良いのだろうか。
私は安堵の息を吐く。念のためバインドで縛っておくのは忘れなかったが。
◇
ティーダがこちらに歩いてくる。お疲れさんと、片手を上げて緩い調子で言っておく。
──が、その後ろに嫌なものが見えてしまった。
私はティーダを思い切り突き飛ばし、起動状態で本当に良かった。デバイスに魔力刃を纏わせるのももどかしく、打ち合わせた。
「ガン」とも「ギン」とも聞こえるような盛大な音が響き渡る。
私はその衝撃で思い切り後ろに吹き飛ばされながらも、飛行魔法を使って姿勢を戻す。相変わらず蹴りと武器がかち合ったとは思えない音だ。
「不意打ちにも対応可能ってか? 本当にミッド魔導師らしくねえなあ」
「目がいいもんでね」
腰に手を当てて、やたら自然体で佇む少年──ビスマルクに、私はせいぜい余裕げな口調で返した。手の平は汗びっしりだが。おっかないったらない。
ティーダは……無事だったか。ちょっと全力で突き飛ばしすぎたかもしれない……が、後で謝っておこう。
私は新手の襲撃者、ビスマルクと相対した形で油断なく構える。油断なんぞしてたら、次の瞬間気を失っていてもおかしくない。何をしてくるかも不明なのだ。
と、そのビスマルクの隣の空間が揺らぎ、カーリナ姉が追っていった女性が転移してきた……のだが、妙にぼろぼろだった。おまけに荒く息を乱していて、全力疾走でもしてきたかのような様子でもある。
「よぉ、救難サインとか出すから回収にきたけど、どうしたよ?」
ぜーはーと、息を荒げていた緑色っぽい女性は、荒げた息もそのままに、きっとビスマルクを睨み、襟首を掴んだ。
「あ、あんた、あの女が来てたんなら報告しなさいよ……! 何であたしがあんなとんでもないのを相手しなくちゃならないの!」
激しく揺すられながらも、動じずに黒髪をぼりぼりと掻いて「悪ぃ、報告忘れてたわ」などと平然と返すビスマルク。
「あああもう! なんなの、この脳筋男、信じられない、生まれる世界間違えてるでしょうが、この戦闘民ぞ……」
女性は言葉を言いかけ、固まった。視線は私の後ろに向いている。
「ほほう、次はどこに転移するのかと思えば、案外近いな……」
そんなカーリナ姉の声が私の後ろから聞こえた。
無言で私の隣に来て、状況が変わったか、とつぶやく。
女性がもう来たああああ! とか盛大に怖がってるのだけど、何していたのだろうかこの二人は。
ビスマルクもまた呆れた様子だったがちらっと目を動かした。にやりと口元が笑みを作り、足に力が入る。
向こうは姫様の──不味い。ビスマルクを警戒しすぎた。本来守るべき方向がさっきの突撃で開いてしまっている。
もうビスマルクは動く挙動に入っていた、護衛隊が付いているとはいえ、こいつを相手にするのはまずい、私は低空では本来制御が難しい飛行の魔法を使って突撃をかける。間に合え!
「駄目だ、ティーノ!」
ティーダの声が聞こえた気がする。
ビスマルクは姫様の方に向かわず、そのままくるりと回転した。かかったな、と口が動くのを見た。変則的な動きで馬鹿らしい速さの蹴りを放ってくる。
かろうじて、デバイスを構えたものの、その衝撃は二度目があった。どこをどう攻撃されたかも判らず私は──視界が急速に暗く──