気持ちの良い風が吹く。負けっぱなしであった私も一つ白星を付けることができて至極満足だった。
あの後さらに美由希も交えて、少々の運動をした。特に目的も定めないまま、私達は散歩に興じていた。
話題と言えば、やれこの時期はいつぞや見たハマナスも咲き始めた頃だな、とか美由希は最近ニーチェを読みふけっていて云々、ツァラトゥストラについてかんぬんと語っていたり。
恭也がぽつりと赤星という奴が居てな、と話し始めた。何でも剣道と剣術という違いはあれど、同じく剣の道に傾倒しているらしい。恭也にしては珍しく話の合う男友達のようだ。友達……できたんだね。おめでとう、おめでとう。と大事なことなので二度言って祝福したら口をヘの字にしていたが。どうも恭也はからかわれるのが苦手と見ゆる。
ぶらぶらしているだけでいつの間にやら日は傾いていた。
別れを告げて、拠点であるホテルに戻ろうとした時、思い出した。駆け寄って声をかける。
「美由希ともちょっと話したけど、明日あたりの夜に廃工跡の例の小屋で豪快な野外料理でもしようと思うんだ。良かったら二人とも来ない?」
ふむ、と恭也が少し考え。
「それもいいかもしれない。いい機会だからなのはも連れていくとしようか」
「あ、そうだね。ツバサく……ちゃん、にもちゃんと紹介したいし」
ああ、末の妹だっけ、ええと確か……今小学一年? あれ?
いや、待ておい。
「二人とも……さすがにそんな年頃の子供を夜にあんなお化けでも出そうな場所に連れていけないよ……」
肝試しじゃないんだから……と私がこめかみに指を当てて言うと、二人は顔を見合わせた。揃って首をかしげる。
「俺たちの妹だぞ?」
「お化けが出ても親身に相談に乗ってあげそうだよねえ」
……え、ええと。高町家の常識というものを疑うものが多々ある。いや私自身もちょっと常識的かを言われると自信ないのだが。
「と、ともかく、子供連れてくるんだったら、臨海公園の浜辺でやろう! 丁度そういうの許可してる場所知ってるし、夜の海は綺麗だよ」
と、浜辺でやることにさせてもらった。セオリーといえばセオリー通りである。
都合ついたらでいいからと、士郎さんと桃子さんも誘っておいて、と伝えておく。
「料理は不肖、私とみ──ぶっ」
突如美由希が私の口を塞ぐ。何故か恭也を見て。
「壬生浪士って素敵だよね! 恭ちゃん! ちょっとツバサくんと女の子同士のお話してくるから待っててねッ!」
強引にも程があるだろうという言い訳をし、私をぐいぐいと引っ張る。恭也から少し離れると、こそこそと耳打ちをする。
どうも、サプライズだそうで美由希も腕を振るうというのは秘密にしておきたいらしかった。
少し……いやかなり疑問を感じる部分もあるのだが、うんまあ。いいか。
「料理は私が腕を振るうから。楽しみにしておいて」
そう言っておいた。
集合時間だけ決めておく。もちろん美由希は一緒に料理する予定なので、早めに来ることになるのだが。
また明日と言って別れ、拠点であるホテルに戻ることにした。
◇
カーリナ姉が物に埋もれていた。
借りたホテルの一室である。
それなりに広かった部屋なのだが、カーリナ姉を中心として物が積まれ、もう既に空いた場所の方が少なくなってきている。
「ああ、ティーノか。おかえり、楽しめたか?」
私が入って絶句していると、物音で気付いたのかこちらを軽く振り向いた。
「カーリナ姉さん……この物の山は何?」
「ああ、今整理中だが、私の習慣のようなものだな。しかしなんだこの世界は。過剰包装もいいところだぞ」
そうぶつくさ言い、何やら箱から靴を取り出したりしていた。
しかしまあ、一日でどれだけ回ったのか……習慣と言っていたが、あれか。たまに土産とか言って持ってきてくれるのはこうやって買ったものだったのか。
私は少々呆れながらそのお土産の山を眺める。
土偶、妙に古めかしい瓦、陶磁器、徳利、扇子、三味線……温泉の元大箱、サランラップにティッシュペーパー、輪ゴムにホチキス……そしてこちらは、うん、私の責任かもしれない。施設でも人気だったなーと思う。新作の漫画、小説、ゲームのソフト、ハード……そしてこれは、勘違いした外国人の選択のような感じだが、越後屋のノレンに手裏剣、くない、マキビシ、肥後ずいきって……最後なんだ? 記憶に何となくひっかかるけど思い出せない。手にもってぶらんぶらんさせてみる、ブラックジャックのごとく殴打する武器……とか違うな。自分の頬をぺちぺちとそれではたいてみる。
「カーリナ姉さん、これは何?」
「ああ、それか、店主に聞いたら言葉を濁していたが、ハス芋というものが原料らしい。保存食だろう」
保存食か……ちょっと先を囓ってみる。
味はあまりしないな、芋がらの干したものに近いだろうか、ぬめりが少しでてくるようだ。
「んー、料理に使うなら戻してから酢の物とかかなぁ」
「料理に使うならやるぞ、食料もいろいろ買い込んであるがな」
そう言ってカーリナ姉はくい、と顎で示す。
そちらにはまた日持ちしそうな食料品がどっさりと、転送魔法に質量の大きさはあまり影響しないとはいえ、さすがに買い込みすぎではないだろうか。
何となく見ていってみると、インスタントラーメン、缶詰、瓶詰、かまぼこ、後ろ手を縛られた子供、ポテチ、利尻昆布……あれ?
「子供?」
食料品に埋まってなぜか子供……見た目6,7歳だろうか、黒髪だが目の色は茶。どこか日本人とどこかのハーフっぽい雰囲気もある。丁度可愛い盛りの年頃である。それが猿ぐつわをかまされ、後ろ手を縛られ転がっていた。
「ってええ!? ちょっとカーリナ姉、この子はどういう? まま、まさか保存食? ってかどうやってホテルに連れ込んだ!?」
うああ、落ち着け私。我ながら混乱している。ホテルマン、見てたならこの姉止めろよ、怪しいだろいかにも。
「ああ、バッグに詰めてな」
しれっとそんな事を言う姉である。連れ込んだんじゃなくて持ち込んだのかー! 謎は全て解けた!
「じゃないっ、ごめん、うちの姉が本当ごめん!」
私は慌ててその子の縄をほどいた。いや本当この姉どうしてくれよう、拉致だよ拉致誘拐、この場合局員の私が捕まえるのか? 自信ないぞちくしょう。ああもう、涙が出てきた。
「ああ、ティーノ、解かない方がいいぞ?」
へ? と間抜けな声を私が上げたのはその子の猿ぐつわを取っ払った時だった。
子供とは思えない動きで跳ね起きると私の喉めがけて手刀の形で突いてきた。
とはいえ、こちらはちょっと前まで恭也の変態的な動きに慣らされていた身なのだ。とりあえず苦もなく手を掴んだ。
「くそっ!」
手を掴まれたままその子は毒づいた。
随分、攻撃的な子供だけど、カーリナ姉に何かされたか? 私は悪い予想に冷や汗が流れたが、ひとまずここは穏やかに。
「え、ええとね、ちょっとそういう乱暴はよくないよ、良かったらお姉さんと話してくれないかな?」
半モデル業で鍛えた笑顔を振りまいてみる。そりゃもうにっこにこである。警戒心を解いてくれるだろうか。
その子は眉根を寄せ、しばし私を観察するような表情で見た。
「……なら、俺の目を見ろ。5つ数える間でいい」
これはよくある目を見れば嘘か本当か判るとか、そういうあれか。私は警戒させないようにゆっくり頷くと、目を合わせてみた……って、魔力!?
驚いている間にその子の目に魔力……それもかなりの量の魔力が集中し、見ている間に目の表面、角膜に妙な模様、何だろう、V字を歪にしたような模様が形作られた。
デバイスを通さない……私が常時展開している幻術魔法のようなものだろうか?
「俺に従え」
驚きながらもそんな事を考えていたら、従えなんて言ってきた。
何とも言い方が荒いというか……いやでも、この年で従うなんて言葉知ってる方が大したものなんだろうか? これはどうしよう、褒めた方がいいのだろうか。
「お・れ・に・し・た・が・え!」
大声で言い出した。
その怒鳴りつけるような言い方にさすがに私も困った。
「だから、言っただろう。お前のそれは視線というラインと通し、魔力素を媒介に使った暗示でしかない。リンカーコアを持っている人間には抵抗力があるからな。通用しない」
騒ぎの中悠々と物を整理し続けるカーリナ姉がこちらを軽く見て、そんな事を言う。若干疲れたような口調である。珍しい。
肝心のその子は、下唇を噛み、うつむいた、肩がぷるぷるしているが、その、大丈夫だろうか。
と、急に顔をあげたかと思うと、その口が勢いよく動き始めた。
「畜生、お前ら何なんだよ、一体俺をさらって何のつもりだ、大体なんでウーノが地球に居るんだよ、おかしいだろ!? おかしすぎるだろ!? ウーノって誰だよ訳わかんねえよ。なあ! 大体お前もお前で何なんだ、誰なんだ! 厨二こじらせて三回転半ひねりのトリプルアクセル加えたような見た目しやがって! コスプレじゃねえか、コスプレだろなあ! 今時ロンゲ銀髪オッドアイとか流行らねえよ!」
と、ここまで一息で言い切った。恐るべき肺活量である。
何というか……うん。その勢いに圧倒された。思わずカーリナ姉を見れば、辟易した面持ちで見ている。
「というわけだ。喧しすぎるので縛っておいた。大体その、な。私に説得とか懐柔は無理だしな。お前が帰るまで待っていたのさ」
カーリナ姉は、ぽりぽりと決まり悪げに頬を掻く。止める間もあればこそ。落ち着いたら呼んでくれ、と言い残し颯爽と部屋を出た。なんと颯爽という言葉が似合わない撤退であることか。
「あ……」
私はなおも耳元でがなり立てる子供と共に部屋に残された。
なんだか、カーリナ姉にはいつも事後処理というか、状況を押しつけられてばかりな気が……
思い切りため息を吐きたかったのだが、さすがに飲み込んだ。こういう時、子供の前でため息とかつくと絶対勘違いしかされないのだ。少なくとも良い方向には行かない。
並の子供というにはまあ、その、少々問題があるみたいなのだが、私も人の事を言えない身である。内心で、よしと一つ気合いを入れた。
とりあえずこの、毛を逆立てて吠え立てる子犬みたいなこの子を落ち着かせないと。そう、かつて私もかけられた言葉を思い出した。
いい加減掴んでいた手を離し、右手でその子の頭を撫でる。優しく。
「落ち着いて? 驚いてるかもしれないけど。少し待っててね、お茶でも淹れるから」
そう言って、ちょっと目を走らせると案の定姉の買い物の中に紅茶の茶葉を発見する。ティーポットはないが、ホテルに備え付けの急須で我慢してもらおう。
◇
熱い紅茶が冷めてしまうほどの時間が経ち、私は念話で姉を呼んだ。
落ち着かせるのにはもっと大変だと思っていたけど、そうでもなかった。
美味しいお茶にミルクと砂糖。
それを二人で飲みながら茶飲み話のように話を聞かせてもらった。
おおむねそれはその子の一人語りだったけども。かなり苦労……というより神経をはりつめている生活を送っていたようだった。
順序立てた話ではなく、途切れ途切れの愚痴にも近いものだったのだが……どうも、彼はその異能? カーリナ姉が言うには暗示だろうか。それによって人の家庭の中に家族の一員と思わせることで入り込み、生活していたようだった。ただ、その力はひどく取り扱いの難しいものだったようだ。記憶の整合性がとれなくなれば人は疑いを持つ。また、他の人間に何度も注意されればそれも疑いの種になる。
この年だと言うのにあちこちを流離っていたようだ。推測だが、いつ崩れるかわからない暗示による平和と日常。気の休まる時もなかったんじゃないだろうか。
あまりにも疲れた様子だったので、膝の上に乗せて施設の子にやるように子守歌を歌っていたら、最初は嫌がっていたのだが、うんまあ……
「静かになったよ」
「ふむ……気持ちよさげな膝枕だな、後で私も寝かしてもらえるか?」
待機していたかのように現れたカーリナ姉が面白げな顔になってからかってきた。私は一つ小さいため息を吐くと、子供を起こさないように小声で言う。
「で、説明。私は何が何だか判らないよ?」
カーリナ姉は煙草を一本懐から出すとくわえた。私が眉をひそめると、火は付けんよ、と言って話しだした。
「何から話したものか……ひとまずな、そいつがトリッパーとか言う存在さ」
「……トリッパー?」
私は記憶を探るが、どうも覚えのない言葉……ん?
カーリナ姉を振り返る。
「思い出したか、いつぞやのマフィア絡みの事件でも少しだけその言葉は出てきただろう? 私自身は盛大に間違われた身だからな。あの後も暇を見つけては追っていたのさ」
そしてどこか遠くを眺めるかのような様子でカーリナ姉の一人語りは続いた。
不自然な金の流れを追っていたら偶然に見つけた一人の酷く弱々しい青年。
それは灰色の髪と顔色の悪い青白い肌。痩せ細って歩くことも困難な要介護の病人だったらしい。
「そいつは私を見るなり言ったんだ。あなたが捜している情報、全て持っていますよ、とな。レアスキルとも言える……しかも多重だ。遠くの事象も透視でき、限定的にだが未来視すら出来た。だが」
それが負荷にならないはずがない。そう言って一息吐く。
私が用意しておいた紅茶を一口飲み、喉を湿らせた。
「レアスキルなんてのはある種の異常だ。それを多重で抱える男は次第に能力以外の力が弱くなっていった。その男が見た……未来の自分自身は、後三年もしないうちに臓器不全で死ぬそうだ」
まったく、とつぶやき、カーリナ姉は天井を見つめた。
「だが、彼が見た未来には問題が多かったらしい」
その姿勢のまま、そう続ける。
「私はその具体的な事については聞いていない。未来視は扱いが難しいからな、そこは判る。ただ、一言。酷い事になる、とだけぽつりとつぶやいていたよ」
先程から、彼、彼と……この人もしかして実はこっそり春が来ていた?
私は真剣みを増す話そっちのけで、そんな事を思って慄然としていたのだが。
「それを見てしまった男はこれまでその能力で貯めた資産を使い、グレイゴーストという非営利団体を立ち上げた。やることは単純でな。多数いるはずのトリッパー、あるいは転生者でもいいが、そいつらの保護事業さ。その酷い未来に彼等は直結しているらしい」
何だか、話が一気にこう……稀少動物の保護みたいな感覚に……
しかしまあ、さっきから単語ばかりでてきて内実がよく判らないのだが。
「カーリナ姉さん、そのトリッパーってのは結局どういう存在?」
「成り立ちや特性については定義付けができない。私の知った限り何でもありのようだな。神に会ったというのもいれば悪魔に会ったという者も居る。あるいは寝て起きたら、あるいは事故で死んだら、などというのもあるようだな。転生者についてはそのまま、よく前世の記憶があるなんて言ってる奴が居るだろう。生まれ直した記憶を持っている連中の事を指す。両者ともにレアスキルを持っている確率は高いが……それも確定ではないようだ。まったく特徴が現れないものも居る」
正直なところ、それだけではトリッパーさんってのは妄想が過ぎているか、文字通り薬をやっている人と変わらないんじゃないだろうか? まぁ、後は例の病気をこじらせてしまった時とか……あるいは私もかつてその可能性を言われた事があるが、違法研究などで記憶をいじられた場合などもあり得るか。
「彼等をひとくくりに呼ぶのはある共通点があるんだ。多かれ少なかれ、生活に基づく知識……通常は人が幼少期から学ぶような事だが、それを有している。なぜか地球基準でな。さらに脈絡も、また繋がりもない記憶を持っている。普段から意識に上る事がないので固有名詞を並べて確認しただけだが……」
その並べた固有名詞のうち、人名を記憶している事が多かったらしい。それを聞いて驚いた「クロノ、なのは、グレアム」なんて名前はその中でも多かったと言う。なのは?
高町家は魔法については関係ないと思うのだが……なんでまた。いやあんだけ世界があるのだ。同名の別人だって存在するか。
しかしまあ、考えるだけ訳の分からない話でもある。グレアム提督にしろクロノにしろなかなか名前は知れているわけだが、何でそれが共通する記憶として出てくるのかが判らない。必要性がないと思うのだ。
そういう現象を産み出すロストロギアが有ったとか、そっちの方が管理局に勤めている身には判りやすかった。
とまあ、さすがに痛くなってきた頭をマッサージしながら、思いついたので聞いてみる。
「じゃあ、この世界にカーリナ姉が来たのはこの子の保護?」
膝の上で寝る子を見る。あれだけ喧しかったこの子も寝ている時は年相応に可愛らしい寝顔だった。
姉は頷いたが、もう一つと指を一本立ててみせた。
「グレアム提督から聞いたことはないか? この土地は異常だと。その調査ももちろん兼ねている……あるいはティーノ、お前がここに公式では転移事故だったか? を起こしたのも無関係ではないかもしれん。覚えてないだけでお前もグレイゴーストに保護されるべき者なのかもしれんぞ?」
そう言って私を脅すように覗き込むのだが口元が笑っている。
むしろそんな単純な存在ならいいのだけど、私が何者であるかなんて一番私が知りたいのだ。
ため息をついて一応言葉を返しておく。
「別に今更トリッパーと言われようが転生者とか言われようがどっちでもいいけどね、ネーミングセンスだけはどうにかならないかな? 安直すぎだよ」
「……お前にネーミングについて言われては、最初に自称し出したトリッパー君は浮かばれないだろうな」
ひどい事を言われた気がした。言い返せないけど。
◇
実のところ、すっかり忘れていたのだ。
学生時代に確かに、カーリナ姉とマフィア相手に、おおあばれーな事をしたというのはそりゃ記憶に残っていたが、さすがにその事件の中でふっと出てきた単語をいつまでも覚えておけるほど私の脳細胞は優秀ではない。それは自信を持って言える。大体その後は飛び級しようとしていて忙しかったのだ。
ともあれ要点としては、共通する記憶を持ってる、レアスキル保持者の人たちが世の中にはけっこう居る、それがトリッパーで、転生者さんは同じような存在だけど、生まれ直した記憶があるって事か。
前世の記憶、そんなものを想像してしまう。仏教の輪廻転生なんて概念は実在したりして。
……まあなんだ、正直あまり触れたくないというか何というか……カーリナ姉も多分知っているはずだ。私もまた妙な記憶、未来にあたる地球での記憶を残していたことを。だから、ああいう風にからかい文句も生まれるのだろうけども……
そういえば、トリッパーさんや転生者さんたちはその記憶からフィードバックした情報と、現在の肉体から来る齟齬……精神状態とかはまともでいられるのだろうか? 私もまた似たようなものかもしれないし、秘訣でもあるなら教えてもらいたいところだった。
私は自分のこめかみをこんこんと意味もなく指で叩いてみる。思考がまとまらない。
カーリナ姉に対して私が言った事は別に照れ隠しや嘘ではない。正直自分がトリッパーとか転生者とかそんなのに分類されようが、割とどうでもいいというのはある。私が施設の子たちを好きなのは本当だし、ティーダ、ディン、ココット、恭也、美由希とは一緒にいると楽しい。ティアナちゃんがニコニコと私に近寄ってきたりするとそりゃもう幸せな気持ちになるのも確かだ。
ただ、同時に私がどういう存在であるのか知りたいという部分もまたあった。分類上のものではなく、欠けているのか、ぐちゃぐちゃになっているのかすら判らない私の過去。どういう道筋を辿ってどういう事になり、私になったのか。それを知りたいという気持ちもまた。
……まぁ、いつものことだが考えるだけ泥沼なので考えない事にする。美由希ではないが「だが思考は自閉される」みたいな感じで考えないようにしていた……うん、何気にいいなこの言い回し。元ネタでもあるのだろうか。
◇
ふう、と無意識に息が漏れた。例の病気に染まりかけていた。考えてみれば私も肉体年齢的には染まっていてもおかしくない。
別に疲れているわけでもないはずなのだが、精神的に肩こりのようなものを感じた。ふと時計を見やればなかなか良い時間である。
さて、夕食どうしようか、食料自体は姉が買い込んだものが山になっているわけだが、大半が味気ないというか、保存食やら菓子やらである。
「カーリナ姉さん、そろそろ時間も時間だから何か食べ物でも買ってくるよ」
そう言って立ち上がると、まあ待てと手で止められた。
「商店街で見かけたのだが、今日はこれを頼もうと思う。何しろ……街頭テレビでやっていたが、妙になんだ、美味そうだったからな」
そう言って取り出したのは某ピザ屋のチラシだった。ああ、CMにやられたか……ああいう、何というか胃袋を煽るたぐいのCMは地球文化すごいからな……
カーリナ姉は身振りを交え、チーズがとろとろでな、こう糸を引くんだ。と、まだ言っている。これはばっちり煽られてきたようだった。この人理系すぎて感覚的なものにひどく弱いところがあったりする。
ともあれ、別に止める事もない。宿をとっているこのホテルもその手のルームサービスは無いみたいだし文句は来ないだろう。これも記念といえば記念だ。配達を頼むことにした。
やがて、一昔前の謳い文句通りに三十分もしないうちにピザが届き、臭いにつられたのか、ベッドに移しておいた子も目を覚ました。
確認するように瞬きをすると突然頭を抱えて唸り出した。何か持病でもあったのかと慌てて近寄るとブツブツとつぶやいている。
「な、何でこんなやつに……なんで初対面なのにぺらぺらと語っちまったんだ、追い詰められすぎだろう俺、うああ、恥ずかしい恥ずかしすぎる恥ずかしすぎます、やめてとめてやめてとめていっそころせ、ああくそ転がりてえ、転がったらますます生ぬるい目で見られるだろうが、ちきしょう、まとめて言うとちきしょう、何なんだこの状況は!」
……お喋りな子である。
別に転がらないでも私の目はとてもぬるく優しくなったような気がした。
ひとしきりブツブツつぶやいたらすっきりしたのか、周囲を見渡し、何やら端末に打ち込んでいるカーリナ姉を見つけると、頭痛でもしたかのように額に手を当てて小声でため息をついた。
「やっぱウーノが居るし、本当なんなんだかなあ」
「ウーノか、私を指しているのか。それともこの世界のカードゲームでも遊びたいのか?」
振り返らずに言うカーリナ姉にぎょっとした顔をする。甘い甘い、カーリナ姉もまたどんな仕組みを使ってか、地獄耳な時があるんだぞ。
「ち、違うってのかよ、ドクターの秘書で……秘書で……あれ?」
「……私の姿を見たら記憶が浮き上がってきた。そうだな?」
そう言っておもむろに振り返った。その長い足を組み替え、子供を見据える。
「あ、ああ。急に……そんなの昨日までは知らなかったはずなのに、今は知らないほうが不思議というくらいにあ、あれ」
混乱しだす子供に、カーリナ姉はふむ。と予期していたかのように軽く頷いた。
「それ以上考えるな。何も考えないだけでいい。思考を逸らすのも良い……そうだな、そこの私の妹のヌードでも進呈しようか。別の方向に思考を使うんだ。私が見てきた連中にはよくある症状だから安心するといい」
そう言って何やら端末に映して渡して見せている。
混乱してる子供に何見せているのか……この姉は。何を見ているのかこの子供は……凝視するな。しかも落ちついたようだし……
大体私の裸なんぞに価値は……ああいや最近は胸も出てきたし、それなりにあるのか? 年頃も年頃だし需要あり? む。よく判らない。局に戻ったらティーダに聞いてみるとしよう。
それよりも、と言ってカーリナ姉はピザの箱を開けた。一つ大事な話があるのだが、そう言って中の一切れをつまむと豪快に囓りついた。チーズが伸びる。
「いやあんた、大事な話と言いながらピザ食ってんじゃねえよ! 俺だって腹減ったよ! 一つくれよ!」
「一つと言わずたくさん頼んだから食うといい、でだな」
懐柔苦手とか言いながらしっかり懐柔している。素のボケでやっているところがアレなのだが……この姉は本当に自覚がない。
複雑な心境のまま私も便乗してピザに手を伸ばした。
食事をしながら、先程私に説明したようなことをカーリナ姉はかいつまんで説明した。そして、肝心の用件はというと、その保護組織であるグレイゴーストの会長と一度会って欲しいということである。そして出来れば庇護下に入ってほしいということ。何でもその会長、聖王教会ともつながりがあるらしく「これは理解できなければあまり関係ない話だが」と前置きして言ったのは教会の名門グラシア家が表向きの庇護者となるらしい。確か院長先生が家庭教師をやっていた頃の話で耳にした覚えがある。結構な格式の家ではなかっただろうか。
用件を聞き終えたその子はぐーむ、と唸って考え込んだ。
だがその悩む時間も数秒だったろうか、顔を上げ、何か言いかけ。
「待った」
私が間に入ってストップをかける。
おお、子供らしく唇をつきだして不満げな顔を……可愛……いかんいかん。わ、私は……ショタの気すらあるのか?
自らの隠された欲望にひそかに戦慄を覚えたのだが、ま、まあ今は関係がない。
「名前」
私は人差し指を立てながらそう短く言った。
大体、愚痴は聞いたものの名前すら聞いていなかったのだ。
「私はティーノ・アルメーラ。そして姉のカーリナ・ベーリング。君は?」
「あ、ああ、デュレン。デュレン……メジロだ」
メジロ……目白? 確か東京にそんな地名があったような。聞いてみたら、最初に感じたとおりハーフの子らしい。どうも苦虫を噛みつぶしたように言ったところをみると名字の方はあまり気に入ってはいないようだったが。
じゃ、よろしく。と言ってその小さな手を握って軽く振った。
「実は私からも説明しておきたいことがあるんだ」
そう言って管理局の事をかいつまんで話しはじめる。
「ティーノ、局とは既に話がついて」
「判ってる。でもそれとこれとは別だよ」
多分カーリナ姉の言い方だと既に教会と局の間で交渉は行われた後なのだろう。
ただ、この子は私と同じように漂流者保護の適用対象とまではいかないものの「先天的に魔法能力を有している場合、それを適正な方向に導くため」という名目の保護規定には入ると思うのだ。ならば、そう言う道筋も選べるよ、という事はきっちり説明しないといけなかった。管理局員としてお給料貰っている身である。そのくらいはやらねば、とは思う。
「……というわけで、そういう方向性もまたあるんだ」
そう言って締めくくる。
少し考えると、ふと気がついたかのように。
「ちょっとまて、考えたら何でどっちかにしなくちゃいけないような事になってんだよ?」
そう言い立てる。もっともだ。
でも多分……
「それはお薦めしない。言っただろう、トリッパー達には非合法組織からの賞金がかけられたことがあると。それはまだ生きている上に、そろそろ嗅ぎ当てられていてもおかしくない」
カーリナ姉の口調はからかったり嘘を言ったりしている口調ではない。
付き合いの長い私としては本当かよと言いたくもなったが。
倫理的にもこのままこの子が野放しというのは避けたいところではある。私は黙っていた。
◇
どうやら姉の言った、会長に会って欲しいという言葉にデュレンは惹かれたようだった。
「では軽く診断をさせてもらえるかな」
そう言ってカーリナ姉は聞き取りを始める。
私も見ていて良いらしく、デュレンの横で見ていたのだが、渡されたのは顔写真とその名前だけが入っているだけのリストである。どうも、覚えがあるかどうかのチェックに用いているようだった。
「あ、グレアム爺さん。アリアさんにロッテさんも」
「馬鹿、お前は知っているに決まっているだろうが。そのリストは有力局員と次期有力局員の候補を纏めただけのリストだ」
ちなみにクロノやティーダも映っていた。私が載っていないのはまあ、うん。判るけど釈然としないものである。
そして、記憶……トリッパーとしての記憶だが、どこまで連続している記憶なのかを聞いていた。デュレンの場合は何ともまあ、コメントしがたいのだが、車に轢かれた後に気付いたら物心つくかつかないかの子供だというから驚きである。ただし、その車に轢かれる以前、自分がどういう存在だったかは今ひとつピンとこないらしい。そこは私に似ているのかもしれない。私の場合はすり減るように無くなっていった感じがあるが。
そして今日に至るまでの経緯を聞き取ろうとしたのでさすがに私も遠慮して席を外させてもらった。
終わったぞ、と念話を受けて部屋に戻ってみれば、デュレンはまたベッドに横になって健やかな寝息を立てていた。
「なんだかんだで緊張していたらしいな。それに聞いてみればまだ7歳の体だ。眠りも欲しくなるというものだろう」
そう言って苦笑しきりである。どこかカーリナ姉も力が抜けたような印象があった。
「素行に問題はないようだ。軽犯罪は犯しているものの、生活のためという情状酌量の余地のある事だし、本人も率先して悪事を行うタイプではないだろう。会長も喜んで引き受けるだろうさ」
これを使わずに済んで重畳と言ったところだ。そう言ってテーブルの上に指輪を投げる。どこか見覚えのあるデザインだった。というか魔導師用の囚人護送用リングである。魔力の運用を非常に困難にする効果があったはず。こんなものまで用意していたのか。呆れてカーリナ姉を見れば、心外なと言いたげな顔になる。
「あまりに問題のある人間だったらこれでもはめて、そのままお前に逮捕して貰うつもりだっただけだ」
いろいろと考えているようだった。先に言っておいてほしいものである。