はがきに記された略された地図を見ながら歩く。
以前はあった土地勘もさすがにこれだけ時間が経つと覚えも相当曖昧だ。建物もだいぶ違うものになっていて、イメージで覚えるタイプの私としてはもう地図と道に設置されている看板などが頼りである。
きょろきょろと目印を捜し、あっちに行っちゃこっちに来てを繰り返すうち、精神的なものだろうが、少し疲れを感じてきた。持ち込んだいつもの木刀、もちろん袋には入っているが、それを肩たたき代わりにぽんぽん肩の上を叩きながら歩く。
とはいえ、何とか……うん。自力でその喫茶点、翠屋というらしい。にたどりつくことに成功した。名前の通り外装にもカーテンにも若草をイメージさせるような明るい緑色がところどころにアクセントとして使われている。喫茶点という割にはかなり大きく、どうやら二階もあるようだ。あるいは住まいとしてでも使っているのかもしれない。
店に入る前にふと思い返した。恭也と美由希とは手紙をやりとりしていたものの、考えてみれば私から写真を送ったことはなかったのだ。私自身、あまり自分の写真を取っておくわけでもないし、局で撮った写真は……うん、見られたらあれは……恥ずかしいな。特に局の事情知らない人には「これがコスプレというやつか」としか思われないだろう。
「んん、普通に入ってみるか」
私だと判るだろうか? なんて悪戯とも言えないような事を思いながら店に入る。
内装もまた観葉植物が随所に飾られ、明るい雰囲気で、休日のお昼時らしく家族連れやカップルで訪れる人も目立つ。
すぐにいらっしゃいませと声がかかり、現れたのはウエイトレス姿の美由希だった。すぐに判った。まるで雰囲気が変わってない。長くなった三つ編みを揺らしながら、やはりどこか小動物めいた動きで歩いてくる。
ともあれ、久しぶりである。口語で今の心境を語れば「わ、久しぶり久しぶり、懐かしいよ懐かしい! 身長ばかり高くなっちゃって、その背少しわけろー」と言った感じで、はしゃぐ事しきりだったのだが、気付かれてもいないのにこちらからネタばらしは何かしら悔しい。ほら気付け、はやく気付け、こんな変な外国人ルックスそうは居ないぞ! そんなうずうずした感覚をぐっと抑え込んで、表面上は冷静さを保つ。
しかし私の思いもむなしく、この容姿にか、美由希はすこしびっくりしたように目を開いたものの……少なくとも表面上は気付かぬ様子で私を空いている席に案内するのだった。
……別に意地になっているわけでもないが、何となく話しかけるタイミングを見失った。とりあえずコーヒーを頼んでおく。
もやもやとしたものが残らないでもない。ま、まあ話しかけるだけならいつでも出来るわけだし。うん。
しかし美由希も綺麗になった。もう可愛い可愛いと言う感じではなく綺麗と言った方がぴったりくる。ええと……換算すると今中学3年生くらいだろうか。そりゃ大人っぽくなってもおかしくないのだ。が、まさか身長で抜かれているとは……案内されている時に判ったのだが、明らかに私より目線が高い。昔は頭一つ勝っていたのに。こ……これでも私も成長しているのだ、成長しているのだが……
「くっ」
悔しさをおしぼりにぶつける。
広げてから三角に畳み下端から固く巻く。三角の先端は残して内側に折り込んだ。びろんと伸びているおしぼりの一端を折りたたんでいき、尻尾とする。残ったもう一端でその畳んだ部分を固定するように巻き付け、あいた隙間に先を入れて形を整える。三角の先端部分をちょっと開いて形を整えればくちばしになり、おしぼりで作るアヒルの子供の完成だった。我ながら完璧な出来である。
「ふむん」
満足げに息を吐くと、視界にトレイを持ったウエイターの姿が入った。恭也のようだった。先程の光景をばっちり見られていたらしい。少々の恥ずかしさを噛みしめて飲み込みながら、取り澄まして待つ。
昔と変わらない仏頂面をしている。客商売でそれはよくないぞー、と心の中で突っ込んでおいた。背が伸びているのは勿論ながら、やはり男の体である。細身ではあるもののやはりがっちりとした印象になっていた。手もまたごわごわと骨太である。
ふっと、男性恐怖の気がもたげるが、うん。このくらいの距離でならなんとかなるレベルのようだった。相当近寄られるか……でもしない限りは問題はなさそうだ。
恭也はその仏頂面とは打って変わって、慣れた仕草で音も立てずカップを置いた。
ちらりと視線が私に向いた。気付かれないと思っているのだろうけど、こちらの視野はえらく広いのだ。ばっちりその仕草は見えている。気付かないふりをしてはいるが。
さて、そろそろ気付くか? 気付くのか恭也……!? つうかいい加減気付け、とまあ、うずうずぴくぴくしそうな表情筋を私は抑えた。
やがて、椅子に立てかけてある包みを見て、ほう、とでも言いたげな顔になった。
「失礼します……お客さまそちらの袋は……」
などと丁寧に言いかけるので、じれったくなった私は袋の手元に引き寄せ無言で紐を解いた。かつて恭也に渡された鉄芯入りの重たい木刀の柄を見せる。見えにくいが馬とか刻印が入っていたりする。誰が製作したかは判らないが、私が全力でぶんぶん振ってもビクともしない一品だった。
やはり。と驚くより一つ腑に落ちた表情になる恭也に、にやりと笑いかけ声をかける。
「久しぶり、恭也」
恭也はまた一つ頷いてなるほど、とつぶやいた。
「……なるほど、道理で……美由希が、見覚えがあるけど思い出せない、とか俺に言ってくるわけだ。久しいなツバサ」
久しいな、って高校生くらいのはずなのに渋いなおい。などと思いながら持ってきてくれたコーヒーに口をつけ──ようとした時だった。
恭也の後ろから、それはもうドラマのように皿の割れる音が響いた。恭也も眉をひそめて振り向く。
「うしょ……つ、つばさきゅん……?」
呆けた顔で、噛み噛みな言葉を吐く美由希が居た。一体どうしたというのか、幼児退行してしまったかのようである。
そのまま美由希はふらふらと私に近づいてくると、未だ信じがたいとでも言いたげな顔で「本当に?」と聞いてきた。
ふむ、と一瞬考えて、思いついた。私自身忘れてしまっていたのだが、そういえばこの二人と別れた時は髪が短かった気がする。
「これで……どうだ?」
すっかりロングと言われる程にまで伸びてしまっていた髪……さすがに量が多いのでバレッタで大まかに後ろで纏めているのだが、まとめきれない髪は適当に横に流している、その髪もかき上げて後ろでポニーテール状に手でまとめてみた。耳がすーすーする。少しは昔の面影にならないだろうか?
しばし、私のその顔を見ていた美由希だったが、なぜかその視線が顔より下に向かった。最近はなかなか良い具合に膨らんできた胸をわしっとばかりに掴まれる。
「ほ……ほんものだ。つ、つばさくんが女の子に……あは、あはは、なっちゃったぁ」
遅ればせながら、そこにきて私は、どうも美由希の雰囲気がどうもかなりおかしいことに気付いた。驚きのあまりって感じじゃないぞ。
「……お、おい恭也、美由希ちゃんどうしちゃったのさ?」
と、恭也に聞くも腕を組んであきれたように首を振るばかり。
当の美由希は私の胸を揉みしだきながら「私のひと夏の思い出を返してよう……」などとぶつぶつつぶやいている。
いや、しかしさすがにこそばゆいというか、乳腺発育中で敏感になってんだからちょっと……段々私も余裕が無くなってきたぞおおい。
「と、とりあえず恭也やーい、おおい恭也さん? み……見ないふりしないで美由希ちゃんを止めて……くれないかな……あ」
だが、肝心の恭也は見ないふり、聞こえぬていで、先程、美由希の割ったらしい皿を片付けていた。は、薄情者め……
◇
騒ぎを耳にしてか、あるいは最初から気付いていたのか、店長……ええと士郎さんだったか、がゆったり歩いてきてその人なつっこげな表情を浮かべ、おやおや何の騒ぎだい、と声をかけてきた。美由希はぴたりと止まり、素早い動きで私の対面に座る。
私は乱れた服を直した。顔の赤さはなかなか服のようには収まってくれそうになかったが。
「ああ、父さん、紹介しておくよ。以前話したこともあったと思う。美由希のはつ「恭ちゃん!」……友人のツバサだ」
何となく思い出したが恭也ってさりげに人いじるの好きだよね……そんな事を思いながら、初めましてと無難に頭を下げて挨拶をしておく。
「話はいろいろ聞いてるよ。うちの子たちのやんちゃ相手してくれてありがとうな」
そう言ってニッと微笑む。全くもってつられてしまいそうな笑顔だった。恭也にも真似させてみたいものである。こういう笑顔を出せるのが外食産業では大きな力になるのだ。
ランチタイムなので忙しいようだ。士郎さんは仕事の合間を見計らって来たようで、すぐに戻るのだった。
なぜか煤けた表情で、いつの間にか持ってきていた水を自棄になったかのようにかぷかぷ飲んでいる美由希を見て、恭也は苦笑した。
「すまないがツバサ、美由希をちょっと見ててやってくれ」
そう小声で言って手伝いにと戻ろうとする恭也に、ちょい待ち、と声をかけた。
「オーダー頼むよ、今日のお薦めランチセットを……」
少し美由希を見やり、指を二本示す。
恭也は頬を少し掻いて、承知した。と一つ言い残すとオーダーを伝えに行った。
言い回しにはもう突っ込まない事にした。
テーブルにへたり込んでやさぐれている美由希のつむじを何となく見る。つむじが二つあるな。意外と腕白なのだろうか。しばらく待つと恭也がランチセットを運んで来た。私の前に置くと一度戻り、次には両手にトレイを持っている。
「せっかく友達が来ているのだから一緒に食べたらどうか、と言われてな。ほら美由希」
そう言って美由希の前にもトレイを置く。士郎さんと、ええと桃子さんだったか、ママさんの名前は。二人には気を使わせてしまったかもしれない。ランチタイムに人員を引き抜いてしまってごめんなさいなのだ。
ともあれ、せっかくの心遣いだ。ありがたくランチセットと共に頂くとしよう。
そのメニューは量は若干控えめながら、しっかりとした作りのものだった。シンプルながらも美味しい、メインのふわとろオムレツをついばみつつ、少々食事中の行儀としては悪いのかもしれないが……時間を埋めるように三人でこれまでにあったこと、あるいは馬鹿話に花を咲かせる。
もちろん、管理局や魔法の事は基本伏せないといけないので、私の身分はロンドン在住で今回はライターの姉の取材旅行についてくる形で来ている、ということにしてある。
食事も終わり、美味かったーなどと食後のまったりムードで会話も途切れた頃合いだった。
どうやらいつの間にか混んでいる時間帯は過ぎていたようだ、客の姿もちらほらとしてきて、ぱっと見て数えられるほどになっていた。
ある程度仕事に切りがついたのか、奥から大きなトレイを持った美人さん……うん、桃子さんだよね。写真で見た。が私達のテーブルに歩いてきた。
しかし、若い……綺麗、写真では判らなかったが、肌の艶とか十代にしか思えない。美由希、油断したら姉妹にしか見えないと思うぞ。
そんな驚愕を隠しつつも、一応の型通りの挨拶をしておく。
「はい、これはおまけよ。初めての来店ということで。これからも翠屋と、私達ともよろしくね」
そんな事を言いつつトレイからテーブルに降ろされたのは中々良いサイズのシュークリームだった。
桃子さんが空になったお皿などを引き替えに回収して去ると、美由希が私に耳打ちした。パティシエのお母さんが作るうちの看板メニューなんだよ、とのことらしい。
それはもう期待も高まるというものだった。
丁重に蓋のように切り取られている上部を外せば中からはなかなか色の濃いカスタードクリームが顔をだす。バニラの香りがふわりと漂った。
その蓋を軽くちぎってクリームをすくい、口に放り込む。サクサクとした皮の食感に加え、このクリームが凄い。ふわふわした舌触りにバニラの香りが続き、それが鼻孔を抜けた頃にはもう喉を越した後である。変な粘つきがなく、まさに口でほどけて溶けると言うのが近いだろう。甘さは控えられていて、これはたっぷり食べられそうなクリームだった。というか美味い、うま、うまー。
もう外聞を取り繕うことも出来ず、時折悶えながらさくさくもふもふ。あっという間に至福の時間は過ぎ去り、後には綺麗なお皿が残った。
ふと気付けばどうも恭也と美由希の視線が私に集中している。
「お、おや?」
何かあるのかと念のため自分の後ろを確認してみたりしたが、変なものはない。
な、なにかな? と聞いてみれば。
「あ、いや。ツバサがあまり旨そうに食べるものでな」
とは恭也。
美由希は何かぶつぶつとつぶやいていたのでちょっと聞き耳を立ててみれば……
「おかしい、おかしい、なんでツバサ君がこんなに可愛い顔しちゃっているの? これが流行の? いえ違う、胸なんか存在しない、あれは幻に過ぎない、世界が私を騙しているの。私はおかしくない私は正常だ、まさか女の子女の子したツバサ君を見てかか、可愛いとか思っているとか────いけない止まらないといけない。そう、その思考を自閉する」
ちょっと引いた。
あ、いや、年頃考えればあれか。一年遅れのあれだね。うん、そういう時期なんだな。美由希も大変だな。
私の視線がちょっとだけぬるま暖かくなった事は多分間違いない。
◇
さて、そろそろと言った感じで腰を上げた。が、少々名残惜しい気分が表にでてしまっていたのかもしれない。
コーヒーのおかわりはどうかなとテーブルに来ていた士郎さんが、ふむと顎を撫でながら言った。
「恭也と美由希は今日はもう上がっていいぞ、ほれ、朋あり、遠方より来たる。また楽しからずや、と言う奴だ。せっかくのゴールデンウィークなんだし、うちの手伝いばかりしてることもないだろう、遊びに行ってくるといい」
ところが恭也は珍しく眉を少し困ったようにひそめた。
「いや、父さん、体がまだ……」
「なに、気を使いすぎだぞ恭也。もう心配いらんさ」
士郎さんは芝居がかった仕草で指をちっちっと目の前で振りながらそう答える。
なおも二言、三言似たような会話、心配しては平気平気というやり取りがあった。
店を出て、すたすたと先に歩く恭也の後を何となく追いかけながら、私は小声で隣を歩く美由希に先の一幕のことを聞いてみると、少し悩んだあと、まあいっかと説明してくれた。
どうも、一年ほど前に何やら士郎さんは大怪我をして、一時は生死の境を彷徨ったほどだったらしい。長いリハビリの末、日常生活を送れるようになったのもここ数ヶ月ほどだという。
なるほど、先程の妙なやり取りになるわけだ。私も納得した。腕を組んで、昔の恭也を思い出し、そんな事態になったらを想像してみる。
「しかし、そんな事になったら子供ながらにお堅い恭也だったし、さぞかし思い詰めて大変だったんじゃない?」
「そりゃーもう……」
そう行って美由希は思い出したのかげんなりした顔になる。
「とーさんに何かあったら俺が支えて行かなくては。とか何か覚悟決めちゃったような顔するし、毎日張り詰めてるし、鍛錬無茶するし……今考えるとホント余裕なかったなぁ」
私も人のこと言えなかったんだけどね。とどこか遠い目をした。
「なのは、あ、末の妹なんだけど、あの時は随分寂しい思いさせちゃったみたいなの……最近じゃ学校で友達作ったみたいで自然に笑うようになってきてくれたんだけどね」
お姉ちゃん失格だなあとか言っているので、頬を引っ張っておいた。美由希は対抗策としてぷーと膨れて私の指をはじき返した。や、やりおる。
「まったく、お姉ちゃんに失格も何もないよ、とだけ言っておくさ。自分で納得いかないのだったら、これから良いお姉ちゃんになれば良いじゃない」
そんな月並みな励ましでも少しは気分も前向きになったらしい。気分を変えるかのように今度はやれ料理をさせてくれないだの、なのはが可愛くて生きているのが辛いだのと、話しだした。
「うん、料理についてなら私も手伝えるだろうし、そうだ、私が居る間に1回くらい一緒に料理してみよっか」
そんな事を言っていると思いのほか美由希も喜んでくれる。昔私が使っていた廃工跡の住処もどうも二人がたまに片付けてくれているようだったし、野外料理の一つ二つはできるだろう。カーリナ姉も交えてそんな夕食も楽しいかも知れない。
そんな事を話しているといつの間にやら景色が変わり、見覚えのある神社の階段の前だった。
私が、お? と疑問符のついた声を出すと、恭也が手に提げていたバッグを開けた。
「なに、俺たちで一緒に遊ぶこととなればまずはこれだろう?」
と木刀を二本覗かせる。
「……ばとるまにあ」
「聞こえないな」
一つため息をつく。とはいえ、うん。そういうことならば、ふふふ、私も五年ぶりのリベンジに燃えてしまっていいかな。ティーダにもかなり負け越しているが、恭也には何しろ一つも勝ちがない。ええと、なんだっけか……そう。
「それじゃやるとしようか、今度こそはその蜜柑の技とやらも引き出させてやるさ」
恭也と美由希が揃って脱力した。
「どうしよう恭ちゃん、私は戦わずして負けた気がする」
「……ああ」
「え、ちょ、ちょっと二人ともどうした!?」
御神の技だったらしい。
そんな大ボケはともかくとして……かつて、恭也や美由希と一緒に泥だらけになって追いかけっこをしたり、ちゃんばらごっこをしたりとまあ、言葉にすれば随分子供らしい事をしていた場所に着く。
恭也の体も逞しくはなったものだが、私も負けてない。身長は負けているが。手足も伸び、背の翼も含めて、昔に比べ格段に身体を使えるようになっているし、木刀もほぼ毎日振って今では手の延長のようなものである。そして局員になってからは躍起になって模擬戦を繰り返し、戦闘経験もなかなかのはずだ。もちろん、魔法と剣術では違うので一概には言えないが、経験は経験である。
「よし、今日は勝つよ?」
そう言って腕まくり、動きやすい格好でよかった。髪も後ろで纏めて服の中に流しておく。こうしないと枝にひっかかったりで大変なのだ。
鉄芯入りの馴染んだ木刀を取り出し、いつもの素振り、その最初の一振りをするように片手で正中線に沿って真上に高く上げた。
思い切り振り下ろす。ただ真っ直ぐの線を描ければいい。それだけの何の技巧もない振り下ろしだ。
それでも私の全力の馬鹿力で最速で振り下ろした剣である。
剣風なんてものが出来て、振り下ろしの音もとんでもない音が出る。地面すれすれでぴたりと止まった切っ先に、今日の調子は良、と判断した。
それを見た恭也は、ほうと一つ感心したように頷き……本人も知らずか、口が好戦的な笑みを描く。
今の私の馬鹿力は本気でやるとちょっと酷いものなので、これを見せれば油断してうっかり当たってしまった、なんてこともないだろう。
私も恭也に笑い返した。
「んじゃ、やろっか」
軽い口調で言った。
応よ、と短く答え二刀を構える恭也。その挙動の無駄の無さは構えるだけでも絵になる。まるで舞でも見ている気分になった。小説家が小説を、あるいは画家が自らの絵をもって自分の表現とするように、恭也もまたこれが自己表現の形なのだろう。
友人としてそれに付き合うのもやぶさかじゃない。もちろん勝つ気で行くが。
「二人とも、少年漫画じゃないんだから……全くもう」
そう苦笑しつつ、美由希は少し離れたところに移動した。右手を上に大きく上げ……下ろした。
「はじめ!」
◇
草の香りが鼻を刺激する。春と呼ばれる時期も過ぎ、夏に向け一段と草木の生命力が高まる時期だ。
意識することもなく、だんだんと神経が鋭敏になってくる。
美由希のかけ声と共に真っ先に動いたのは私だった。
両手に小太刀状の木刀を持った恭也は下段で構え、いかにも堅牢そうだ。
守りをくぐりぬけ、あるいはフェイントで釣り……なんて技術は私にはない。思い切り振り下ろす仕草なども見せればその間に足を払って勢いを止めてくる。何度それで痛い目を見たか。
踏み込みの勢いのまま体の回転と共に横に薙いだ。
受け──ることすらなかった。
当たるかという、丁度3センチほど手前で見切られ、体をずらし、切っ先が抜ける。一寸の見切りとか武蔵かっての。
ここで私の動きが止まれば、すぐに馬鹿らしいほどの速さで斬撃が来る。回転の勢いを止めずにそのまま蹴りつけ……守りの一刀で防がれた。
そのまま蹴り飛ばし、反作用で私も後ろに飛ぶ。間合いを取った。
「ふっ……」
止めていた息を浅く吐き出す。
その蹴り飛ばす時にすら反撃を食らっていたりする。柄尻の部分で足首を打たれた。びりびりと痛みが走る。とんでも剣術なのは判っているがそのいやらしさもアップしていたようだった。これが実際の集団戦のようなものだったら、こんな休んでいる暇はない。機動力がなくなったら即、獲物だった。いや、魔法戦闘と比べることはできないんだが。
「すごいな、受け流したつもりだったが」
そう言って恭也は蹴りを受けた方の手を見て数回握り直す。
手を痺れさせることくらいはできたようだった。
ふと、私に視線を合わせ真面目な顔になった。
「ツバサ、油断するな」
む? と首をかしげると一言。
「行くぞ」
とつぶやいたかと思うと脱力したかのように足を踏み出し。
──て、か、はや……い、あっという間に至近……に!
「ぐッ」
反射的に防御しようと木刀を前に出したが恭也の一刀で払われた。がらあきの所を手首を掴まれ……びりびりと背筋に冷たいものが流れる。情けなくもヒッとか喉の奥から出てきてしまった。その声を噛みしめ、漏れないようにする。こんな時に、と思う。そしてその硬直を見逃すわけもなく……
「うべぇぇ……」
そんな年頃にもあるまじき呻きをあげながら私はへたっていた。
全くすがすがしいほどの五月晴れ。本当は梅雨の合間の晴れのことらしいから微妙に当てはまらないけども。
仰向けに倒れてそんな青く清々しい空を眺める。
切迫できたのは最初だけで、その後はなかなかに一方的な展開だった。そりゃもう私がフルボッコ状態である。
私の攻撃は当たらず、あの訳の分からんいきなり速くなる踏み込みと、そこから来る変幻自在の攻撃に翻弄された。
そして何より。認めたくないが……一度、その男性への恐怖感? 神経が粟立つようなそれを意識してしまうともう駄目である。パニックこそ起こさないものの、勝手に体が硬直してしまい、思うように体が動かない。ある意味接近戦時のリスクについて、現場での……局員としての活動中でなく知ることができたのは良かったのかもしれないが。
「ここまでにしておくか?」
私はその御神の技とかを使わせることは出来たのだろうか? 涼しい顔をしたままの恭也の額にも汗が流れ、それなりに消耗していることは判る。
ああ、以前はそこまで体力消耗させることもできなかったな。なら、私もちょっとは成長したということで……この辺で満足して、終わりにしようか。真剣勝負とかじゃないんだし。
あー、うー、んー。どうしようかー、なんて。私は右手をその空に向けて無意味に突きだした。
まあ、冗談じゃない。
そのくらいで諦めるなら、魔法だってとっくに諦めてしまっている。あんな苦労してまで局員目指してなかった。
今だって腹の立つ精神状態に置かれてるが……だからなんだっていうのだ。
私は物語の主人公ではない。歯を食いしばって気合い一発で不可能を可能にしてしまえるような人間ではない。
それでもまあ、それなりに負けず嫌いで粘り強いのだ。一応は。
よし、自己暗示完了。恐怖心どっか行け。
深く息を吸って溜め、フッと一気に吐く。呼吸に合わせて立ち上がった。
恭也が、大丈夫なのか? と、確認するような視線を向けてくる。
ちょっと足がふらついているが。そこは大目に見て欲しいのだ。
「次で最後な。ここからの……」
そう言って私は木刀を大上段に構えた。
「ここからの一発だ、絶対当たるなよ?」
そう念を押すと、鼻で笑われた。そんな心配してる余裕はないだろうと。
しかし、一つまばたきをすると、少し考えた風な表情になり。
「最後か、なら俺も一つ。次に見せる技は薙旋なんて技だ……まだ完成には遠いが……行くぞ」
そう言うや構えを変えた、間髪を入れず例のごとく、タイミングをずらすかのように、ぐんと急に速くなる。ああ、やっと目が慣れた。あるいは変な力が抜けて集中しているのか……
一言念を入れたわけだし。いいだろう?
タイミングを合わせ、本当の意味で遠慮のない一撃を出す。と言っても大上段から思い切り振り下ろしただけだったが。これに限ってはその思い切り加減が違った。
同じタイミングで恭也の持つ右の一刀の薙ぎ払いが、とても良い角度で私の木刀の横合いから割って入る。だが──
ぎん、とまるでライフル弾を当てられたかのように弾いた。
バランスを崩したが、そこはさるもの。その崩れた体勢すら利用した上でさらに踏み込み、隠していた左の二撃目が来た。しかし、いかんせん姿勢が崩れすぎだった。私の髪を少し千切るだけにとどまる。
三撃目の出ない恭也に、私は振りきった木刀を捨て、自分から接近する。
ぞわぞわと背筋に虫が這い回るような感覚が一瞬通り過ぎ、歯を噛みしめて無視した。小柄な我が身を利用して懐に飛び込み、みぞおちに拳を……
少しアッパー気味に入れる直前に目が合ってしまった。
意識しまいとしていたのに、そこで急速に男に対する恐怖を意識してしまう。
「くっ」
噛み合っていた歯車がいきなり切り離されたかのように力が入らなくなった。
勢いを失った拳がぽすんと恭也のみぞおちに当たった。
追撃を予測して、別の意味で身を硬直させる。
……こない?
「参った、やられたよ」
そう言って恭也は私の頭をぽんと一つ軽く叩くように撫でた……合図としたのだろう。しかし伝えてないのが悪かったのだが……鳥肌が。
と、ともあれ、勝った?
でも、何故?
不思議そうな顔をしていると、恭也は無言で小太刀状の木刀、その一本を拾い上げた。最初に私が弾いた一本だが……丁度その当たった部分から砕けていた。鉄芯も外にすっぽ抜けている。
「一応、木も鉄刀木で作ってあるのだがな。どれだけ人並み外れた力になっているんだ……」
呆れたような声を出す。
フィジカル面での測定とかは管理局はあまり熱心じゃないから自分でもよく判らないのだが。どうも凄いらしい。しかしタガヤサンで作ってって何のこっちゃ。材料? え、えっと。もしかして……
「恭也さんや、つかぬ事をお聞きしますが……意外とそれ高かったりするデショウカ?」
私はこの世界に来るにあたって日本円に換金してきたポケットマネーを思い出す、ええと、足りるかな? あまり高いとちょっとその……困る。
「弁償なら不要だぞ? ……いや、あるいはそうだな」
そう言って目の端が少し笑った。ちらりと美由希を見る。終わったのを見越してか、バッグからタオルを取り出してお疲れ様と渡してくれていた。
「美由希に一夜の夢でも……」
「……恭ちゃん!」
恭也が何か言いかけるや否や、美由希が恭也に突っ込みをかまそうとして……避けられた。
「ツバサくんはもうツバサちゃんになっちゃったの、世界意志がそう決めちゃったの、取り返しが付かないの、だから私の未練をかきまわさないでっ」
美由希ちゃんや……大声でそういうのを言うと後になって、ベッドで思い出したとき……
私も多分、明確に覚えてないが、あったのだろう過去に例のアレの病が。何故かじくじくと古傷のように痛む胸を押さえて、美由希の近い未来に涙した。