──とんでもない夢だった。
こういう夢を見てしまうと現実がどちらなのか判らなくなってしまう。
見当識の混乱というやつだ。
右手を天井に向けて持ち上げる。小指から一本一本指を折り曲げ、親指からまた順に広げる。カーテンの隙間から日の光が漏れ、手の甲に細い光が当たった。
真っ白な手。血の色ばかりが透けて見えてピンク色にしか見えない爪。日々木刀を振るったり料理などしてるので、少々指が荒れている。
ゆっくりと息を吐き、ゆっくりと吸う。
やっと、意識がしっかりしてきたようだった。
私は自分で自分の身体を抱きしめて少し震えた。
寒いからではない。
「……しかし、まあ。なんなんだよあれは……」
アドニアの陥った、何と言えばいいのか……いや、ああいうすれ違い、ボタンの掛け違いは探せばそれこそあちこちに転がっているのかもしれないが。
大体あのエーゲ海にも似た風景はかつて私が見せて貰った第130世界の数少ない資料の映像そのものだったわけだし。
単純に結びつければ、私の……借り物なのかもしれないこの身体……何かをきっかけに昔の記憶をぼつぼつ思い出してきている? いや、それなら途中で入った女の影は……駄目だ、わけわからない。
「変な呪術でもかけられてんじゃないだろうなあ……?」
魔法がある世界である。遠くから触媒を通して夢を見せる。そんなものの一つや二つあったとしても驚かない。
知る限りのミッド魔法にはそういうものは無いが。
さすがに今度は思考停止でもして軽く流してしまう、なんて真似もちょっと難しく、うーうー唸りながら考え込んでいた。
やがてラフィが遅くまで起きてこない私を訝しんだのか部屋を訪れてきたようだった。特徴的な足音がドアの前で止まり、ノックの音が数度鳴った。
「ん……」
流石に子供達にこんな弱ってる姿は見せられるもんじゃない。
お腹に力を入れ上体を持ち上げ、両手でちょっと強めに頬を叩いた。
……強めに叩きすぎたようだった。痛い。
ともあれ、気分は強引にだが変えられたようだった。
やがてドアを開けて覗きこむラフィに手を上げて挨拶をする。
「おはようラフィ。ちょっと昨晩の酒でも効いたっぽい……寝坊しちゃったい」
あまりやったことのない作り笑いってやつをおまけに見せておいた。
◇
昼も過ぎる頃にはさすがにもう朝の動揺は引きずっていなかった。不思議には思っていたが。人間いろいろと順応してしまうものではある。
「いずれまた」という言葉はしっかり覚えている。きっといずれはまたあの不思議な女性の影にも接触する機会はでてくるだろう。
私宛に手紙が届いているというので確認してみれば、いつぞや私が書いた手紙への恭也と美由希からの返信だった。
手違いでもあったのか、寮ではなくこちらの施設の方に届いてしまったようである。
地球で押されたものらしい消印は欧文印で、宛先はロンドンのグレアム家にステイしているティーノ・ツバサ・アルメーラなんて事になっている。
口に出してみるとツバサなんてのも懐かしく思えた。一応、管理局への登録時にミドルネームとして残してあるのだが、私自身が適当に名乗っていただけという由来なので、ちょっと今となっては恥ずかしくて使いにくい名前でもあるのだが。
「いやー、あの頃は大変だったな……」
それほど昔というわけでもないのに妙に懐かしい。
気を取り直して手紙を読んでみれば、恭也らしい簡潔な文で、近況報告、それに私が使っていた工場跡地の秘密基地めいたものは近くに山場などあるので修行の拠点に使わせてもらっている事などが書かれている。
文章のうちの大部分を美由希の成長具合がどうとか、小さい妹がどうとか、自分の事ではなく家族の事が占めているのもまた恭也らしいのかもしれなかった。
美由希が書いた手紙はまた何とも女の子しているものだった。花の香りのついた薄い黄色の紙に丸くて小さくまとまった文字で書かれている。
こちらはこちらで自分のことより恭也のことの方が多く書かれていたりする。何でも恭也が最近変な味のたい焼きばかり買ってきて困るとか、中学に入ったにも関わらずやっぱり友達居ないとか、おいおい、自分はどうなんだとツッコミを入れたくなる。いや実際次に出す手紙で言っておくとしよう。
最後に写真が一枚同封されていた。家族写真のようだ。撮った場所は中庭だろうか、縁側に腰掛けた高町パパさん、ママさん、そこに挟まれるように、ちょっと気恥ずかしげな恭也と、妹さん……なのはちゃんと言うらしいが、を抱きかかえた美由希が写っている。美由希はあまり変化がないが、恭也は年頃らしく伸び盛りに入ったようだ、私が覚えているより随分と背が伸びていた。私の低身長を思えば10センチほど分けて貰いたいくらいである。いやこれでも私も伸びてはいるのだが……ぐぬぬと言わざるを得ない。
そして、この美由希の膝の上に抱かれた妹さん、なのはちゃんはお母さん似なのだろうか、元気そうな目元がそっくりだ。頭の上に美由希の顔を乗せ、何が楽しいのか、にこにこと笑って写真に写っている。うん、元気でいるようで何よりだった。
今は無理だが、局員ともなれば、申請は面倒なものの、管理外世界の地球への旅行も可能になってくる。
そうなったら、うん。真っ先にとまではいかないが、遊びに行くとしよう。こういう目的もモチベーションの維持にはぴったりである。
一つ大きく伸びをして、ソファに行儀悪く転がる。何とはなしに笑いがこぼれた。
なんだかんだで今の私は恵まれているのだろう。いろいろと紆余曲折はあるにせよだ。こうして笑っていられるのだから。
◇
夏休みの間の里帰り期間は3週間の予定である。
私は少々の懐かしささえ感じてしまう施設での暮らしを始めた。寮生活の方が短いというのに、懐かしさを感じるとはこれいかに、とも思う。あの夢はあれ以来出てこない。本当に何なんだか……
すでに学生であるので、施設でやる日々の学習からはもう外れているのだが、こちらはこちらでティーダに作ってもらったプランに合わせて勉強に励んでいる。実のところ狙っているのは中等部である。仕組み上いきなり高等部なんて離れ業も可能ではあるのだが、私の頭では少々心もとないのだ。毎日の努力があったとしても厳しいものがあった。
「むうぅ」
マルチタスクに関する脳神経と魔法学の関わりなどの項目を読み終わり、長時間同じ姿勢でいたせいかすっかり凝ってしまった首をもみほぐす。
少し休憩することにして、お茶でも入れようかとドアを開け……
見えたのは、廊下でうずくまって困ったような顔を浮かべているラフィの姿だった。
「ちょ、ちょっとラフィ!? 大丈夫?」
慌てて抱え起こす。その小柄な体の割にずっしりとした重さが伝わった。これは……
「あは……ごめんねティノ姉。ちょっと動かなくなっちゃった」
「あのねぇ……ラフィ。ちゃんとこういう時は人を呼ぶんだよ?」
「うーい」
判ったような判ってないようなお決まりの返事をすると、私の胸に頭をもたせかけてきた。
原因も判っているので横抱きに抱え上げ、一階応接間の大きなソファまで運んで横にする。
事情を一目で把握した院長先生が早速行きつけの病院の技師に連絡を取った。
一時間も経った頃だろうか、ラフィは動きが取れないので暇をもてあましたのだろう、眠ってしまった。
私はというと、ちょっとした思いつきなどもあって、ラフィに膝枕なんてものをしていたのだが……
「おっと、手が滑ったああ!」
「……ッ!」
足から走る電気にも似た感覚が背筋を伝う。声にならない悲鳴が私の口から出ているようだった。
「ティ……ンばあああ、覚えていろぉぉおお」
涙目で睨み付けておくが、この小憎らしい奴はせせら笑うばかりである。
そりゃまあ、一時間も膝枕なんてしていれば痺れるわけで、それに目をつけたティンバーが悪戯に突いてきたりするわけで……
「ほれほれー、ここか、ここがええのんかー?」
誰が教えたか判らないオヤジギャグをかましながら指でしこたま足を突いてくる。
悔しいのであまり反応したくないのだが、びりびりと刺激が走るたびに顔が引きつった。
なかなか間合いの取り方も上手く、私の手の届かない範囲にすぐ退いてしまう。見事なヒットアンドアウェイ戦法だった。膝の上で寝こけているラフィが居るのでそう身動きも取れない。
……そうだった。手が出なければ別の……
何と今度はマッサージ用のツボ押し棒などという凶器を構えて向かってくるティンバーを睨みすえる。
少々前屈みになり、背中の翼の片方を使って……手の感覚でいうと裏拳だろうか。翼の関節部分で撃墜する。
「ぐほぁぁ」
うむ。何となくこの翼の使い方もこなれてきたような気がしないでもない。関節部分の可動域が広くてなかなか融通も効くのだ。
そうこうしているうちにかかりつけの技師が到着して見てくれることになった。
ラフィは一度寝てしまうとよく眠るので、その間に見てしまうということになる。
院長先生の部屋にテーブルと堅めのクッション、シーツを敷いて簡易的な診察台を作る。
技師がその特徴的なツールナイフのようなデバイスを取り出すと、ラフィの肩口に当てて魔法を発動させる。
腕が取れた。
同じように動かなくなっている義肢を外していく。
ラフィは物心も付かない幼い頃に事故で四肢が無くなってしまったという。
両親が最後の最後に縋ったのが、生体と機械を融合させるという研究をしている研究所に被検者として娘を預けることだった。
結論から言えばラフィの四肢は戻った。ただ、それを喜んだのもつかの間、研究所は何の理由もなしに突如閉鎖してしまった。
現在でこそ、生体と機械の融合は、少なくとも表向きには非現実的とされているが、そのデータがどうやって得られたものだったのか……それがラフィのような存在なのだろう。
ラフィの手足は義肢ではあるものの、機械が組み込まれた生体部分で出来ている。ただ、その稼働には魔法の使用も不可欠で、常時魔力を消費しないと動けないのが難点だった。
リンカーコアがなければ扱えず、あっても余程魔導師として恵まれていなければ同時に魔法を使う事はできない。なにより問題なのは高額のメンテナンス費用だった。研究所から探し出された設計データにより、そのメンテナンスはまったく出来ないわけではないものの、その負担はラフィの両親に重くのしかかった。
今となっては定かではないが、きっと両親は普通の義肢にと考えた事も一度二度ではないのだと思う。しかし、ラフィは愛されていたのだろう。人より不自由でも真っ当に動く手足ならそれが良いと親は望んだに違いない。ただ……稼ぐ為に親は無理を押し通してしまったものか。ちょっとした不注意から……あるいは日頃の疲れからか、交通事故を起こして亡くなった。
残されたのは3才になるかならないかの高額の負担が必要な幼児である。
あちこちの児童擁護施設を転々とし、今目の前で心配そうに見ているカラベル先生が初めて見た時は、それはもう衰弱しきっていたらしい。
一時間ほどもした頃だろうか、義肢も元通りつけられ、検査でもしているのだろうか、それも終わったらしい。
「どうやら、体が成長したことに対するひずみを義肢が受け止めかねたようです。簡単に設定だけいじって動くようにはしておきましたが、そろそろメンテの時期ですし、一週間ほど入院してもらって調整するのがいいでしょうね」
「そうですか……ありがとうございます。日を改めて、この子が落ち着きましたら伺いますね」
「そのつもりでしたら、手続きもここでしておきましょうか?」
話し始めた二人に、ラフィを部屋に連れてくるねと一声かけ、抱っこして運んだ。
途中頭を私の腕にぐりぐり当ててきたので、どうも、どの時点からかは判らないが起きていたらしい。
ベッドにラフィを降ろし、無言のまま頭を撫でておく。
何となく浮かんできた歌を口ずさむ。
何の歌だっただろうか、古くからあるミュージカルに使われていたような気もする。
湖から飛び立つ鳥のように、なんて心情が歌われている歌だ。割とできなくもないのだが。ここで本当に羽ばたいても当然ながら無粋なだけである。
自然をありのまま歌いあげるようなこの歌を子守歌に、ラフィは今度こそ本当に寝息を立てていたようだった。
夏ではあるものの、体を冷やさぬようタオルケットくらいはかけておく。
この子はこの子で事情を抱えているし、私も妙な夢だの記憶がどうだのといった事であまり悩んでいる暇もなさそうである。
ふと……ニコニコしながら寝ているラフィの頭を撫でている自分に気付いてしまった。うんまあ、我ながらどうかと思わないでもない。
◇
それは何年も後で振り返ってみればきっと平穏な日々と言えたのかもしれなかった。
といっても、渦中の私からすれば、慌ただしく、忙しく、ちょっと挫けそうになったのも一度二度ではなかったのだが……
夏休みを終えて学校に戻った私を待っていたのは、空士の一次試験を悠々と突破して意気軒昂たるティーダ主催の学力強化訓練だった。
いや、夏休みの前に渡された予定の半分ほどしか消化できなかったのは確かに私も悪いとは思っている。人の手を患わせておいて目標に達しないとかそりゃもう面目ない。
だがしかし、ティーダよ……集中訓練とかそういうのは期間を決めてやるものだよ、いつまでも集中しっぱなしとか誰もが君のようにはいかないのだ。
「終いには弱音吐くぞおるぁ! 吐いていいんだな! 弱音吐くぞうわあああああん!」
ようやく終わったと思った課題の上から倍量の課題をニコニコ笑いながら積み上げられ、一瞬の硬直の後わめき散らした……なんて事は墓場まで持っていく秘密である。
あの時の私は尋常な精神状態じゃあなかったんだよ……
とはいえ……飛び級の目処も立ったのは僥倖というか当然と言うか……あれだけやって受からなかったら正直泣く自信がある。間違いなく夏休み後の調子に乗ったティーダの組んだスケジュールで寿命が2,3年は縮んだに違いない。ちゃんと追いついてくるから面白くなって高等部のとこまで範囲広げちゃったよ、などと虫も殺さぬ笑顔で言ってのけた瞬間を私は忘れない。仕返しにわさびの混ぜご飯しか入っていない稲荷寿司を食わせてやったのは良い思い出である。いや、あの時の顔は滑稽だった。半日追い回されたけど。
凄かったのはディンである。元々頭は良かったのかもしれない、鬱屈が晴れた後は今までの事を取り戻すかのようにものすごい勢いで魔法も基礎学力も吸収していった。
素養の方はミッド魔法のスタンダードを地で行くディンである。元から強度の高かった魔法出力に加えて最近では細かい制御もこなしている。それによって効率も良くなって、欠点であった総魔力量もカバーできるほどになってきていた。
ココットは相変わらず自分のペースを守っているが、元々学年もディンに合わせていただけらしい。魔法の方は最初からあまり力を入れてないのだが。
最近ではディンと二人勉強をしている姿をよく見かけた。もっぱらココットが教師役のようだ。割って入るとココットの視線がものすごい「とっとと他行って下さい」とばかりに目がものを言うのだ。友情とは儚いものである。
クロノとエイミィとの付き合いも続いている。とはいえ、どうも士官学校の教育が佳境に入っているようだし、クロノは執務官試験を早くも受ける気らしく準備に余念がないらしい。エイミィから時たま「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ有り得ない」とか物騒なメールが入っているのだが、正直私もその時は似たような状況だったので、ああそうか、来世で再会できそうだねとか頭の沸いた返信をしていたような気がする。いずれお互いに山場を越えたらぱーっとハラオウン邸で打ち上げのバーベキューでもしようとエイミィとは話しあっていた。
さすがに距離的なものがあるので、なかなか会いに行けないがもちろんティアナちゃんも忘れてはいない。ティーダが実家と連絡を取るときに映像も映るようになっているので、ちょっと割り込んでティアナちゃんに挨拶をしているのだが……柔らかそうなほっぺに触れないのが不満だった。とても。
最近ではハイハイとも呼べないようなものだった動きもしっかりしてきて、なかなか活発に動き回っているようだ。
ママさんの腕に抱かれながらもその手でパパさんの髭をぐいぐい引っ張っていたり。
そんな様子をふっと授業中に思い出してしまって……
「ああ、いいなあ、子供欲しいなあ」
などとふっと独り言が漏れてしまった。
授業中だったのだけど、それなりに騒がしかった教室がぴたっと静まり帰る。
先生までつられたのか止まってしまった。
数秒後、何事もなかったかのようにスルーされ、授業も進んだのだが、私は縮こまっていた。ひそひそとその事をネタにする話が耳に入ってきてしまい、トイレに逃げ出す五分前の事である。
◇
実のところ私はティーダ・ランスターという奴を舐めていたのかもしれない。魔法の腕前とか私がどうしても勝てないチェス勝負とかでなく、教える立場としてのティーダを。
飛び級の認定試験で、ティーダの薦めもあって一応高等部の試験も受けてみたのだが──
ばっちり受かってしまった。
……正直、実感が湧かない。筆記の方、それほど自信なかったのだけど。
魔法についてはさすがに総合評価が低かったものの、高等部からは高速飛行魔法も珍しいとはいえ評価される対象になるので、それでカバーされた形である。
ディンとココットも一学年の飛び級を決めて、中等部に入ることになった。ティーダは今年卒業予定なので実質高等部は私一人になってしまい、ちょっと寂しいものもある。いや、別に心細いとかそんな事は思っちゃいないけど。多分。
……ともあれ今は冬も極まり、私達も山場を越えて一様にのんびりムードである。
ならば久しぶりに集まって騒いでみるかと、エイミィに予定を聞いてみたが、まだまだ忙しいそうだ。あちらはどうもカリキュラムが違うらしい。流石エリートコースの士官学校。詰め込み具合が半端じゃないようである……あるいはやはり執務官試験に向けてクロノに付き合っているのだろうか?
「そう言えば……」
「んー?」
何となく馴染んでしまった文芸部の部室に今日も今日で居候中である。いやはや静かで居心地が良い。
ソファで行儀悪く転がりながら本を読んでいる私にココットが声をかけてきた。携帯端末ではなく部室に据え付けの大きなコンピュータをいじっている。
「最近はティーノもあまり騒がれなくなりましたね」
そう言われればそうだ。やはり夏休みを挟んだりしたのが良かったのだろうか? 何かここのところずっと慌ただしい状態だったので私自身気を配ってなかったのだが……
「私もすっかり忘れ去られた存在さー。マフィアに攫われてあわやと言うところを脱出してきた奇跡のヒロインなのにー」
「とてつもなく棒読みですよ?」
そりゃまあ、私自身が全くそんな事思ってない。あれはどちらかというとマフィアが嵌められたというか……うん、カーリナ姉のせいだな。
騒がれなくなったのもありがたいのみである。白銀のなんちゃらとかいい加減にしてほしい。
というか、もともと一過性のものではあったのだろう。私自身は外見以外は全く華がないだろうし、マスメディアもそんなネタにいつまで関わっているほど暇ではないということだろう。
「何にせよ静かなのはいいことだよ」
「全くですね」
お湯が丁度いい温度になったようだった。
よっこらせと立ち上がり、お茶を入れてココットに渡す。砂糖一個にミルク一個。ココットの好みもばっちり把握してしまっている。
旧式のコンソールを叩く手を休め、お茶をすすった。私もまたソファに落ち着き、ストレートの紅茶をすする。
「しかしティーノ」
「んー?」
「このデバイスの事ですが……」
そう言ってコンピュータに接続されている私のデバイスのコアを指でつまんで私に見せるように持ち上げた。
「本当の意味で何でもできるみたいです。機能拡張こそが特徴というべきでしょうか。むしろ、頑強に換装された基礎部分だけしか残っていないというか。確かにこれは……アリアさんでしたか、の言うように現代では見かけないタイプかもしれません」
そう言うココットの目は既に職人の目になっていた。
面白いデバイスですね、見せて貰えますか? と何気なく言うので見せたら、ちょっと開けてみてもいいですか? に変化し、ちょっと中のソースコード見てもいいですか? になっていったのだ。
そう言えばココットの実家ではデバイス製作とかやっているのだったか。あまり自分の家について語りたがらないココットだが、いつかぽろっとこぼしていたような。
それなら丁度いいのだろうか? 実のところ私もデバイスを貰ったものの、持て余しているというか、デバイスの専門知識などがないので、通り一遍の事は判っても、メンテがどれだけ必要なのかなどはよく判らなかったりするのだ。恐らく元は局員用の一般支給デバイスだろうと思うので、それに従って使っていればいいとも思うのだが。やはり詳しい人に見て貰いたいという部分はあった。
ティーダに頼るという手もあったが、さすがにそこまで面倒をかけるのも……というのもあったし、デバイスを妙な……銃型に改造されそうである。何しろ既に空士試験を受かる事を見込んで、初任給でハンドガン型のワンオフ機を自作しようなんて考えている猛者なのだ。余談ではあるが地球で3巻まで発売された某吸血鬼漫画……うん、こちらの地球にもあったようだ。を取り寄せてあったのだが、読ませてみたところなかなかハマっていたようだった。銃弾撃ち乱れる漫画だからなあ……対化物戦闘用拳銃みたいなのでも作ったら盛大に笑ってやるつもりだ。なにしろ、イメージが旦那とティーダでは違いすぎる。あのぽややんな顔で……闘争の時間だキリッ、とか言われたら……そ、想像しただけで笑いが……
「ティーノ……?」
ココットがそんな私をちょっと生暖かい目で見ていた。
うん、まあ。
何事もないかのように紅茶を一口含み、仕切り直し、ココットに私のデバイスの整備を頼んでみた。
「しっかりした整備なら紹介できる場所は幾つかありますが……私でいいのですか?」
「うん、実際お金もないし、こう頭を下げて好意にお縋りするしかないんだ」
ちょっと大げさに頭を下げて拝んでおく。
ふうと一つ小さな息を吐いてココットは。
「そこまで言うなら引き受けました。ただ、引き受ける以上は半端には出来ませんから……」
私は顔を上げた。ココットのメガネが光を反射してきらりんと一瞬眩しかった。
「こだわらせてもらいますね。みっちりと」
何やら怪しげな微笑を浮かべるココット。
あ、あれ……変なスイッチ押しちゃった? あれれ、ココットさんなんでデバイスの整備に模擬戦室の予約なんて? あーれー。
気分は帯の端を代官に握られた町娘Aである。その後は数日、私のフィジカルデータ、使用可能魔法、時間帯や気候による魔力の変動値……などのデータ取りに費やされた。
いや授業もお互い日数だけ貰いに行っているようなものなので、気分的には余裕があるのだが、デバイス整備ってここまでやるものなのだろうか……?
そして彼女がこだわったのはそういう部分だけではなかった。
「ところで、稼働状態もそんなのっぺりした杖だとあれですし、こんなデザインはどうでしょうか?」
──それはデバイスというにはあまりにも大きすぎた。
大きく、分厚く、そして重く、そして大雑把すぎた。
それはまさに……
……はっとした。どこかで見たようなモノローグが頭をよぎる。。
ディスプレイに表示されたデバイスの設計書のスペックを見るととんでもない数値だ。
「と、というかココット、それ私の身長の倍はあるんじゃ?」
「ええ、でもこんな出鱈目な代物に改造可能なフレーム持ってるデバイスも、それを振り回せる人もそうは居ないですし」
それはなんと形容すればいいのだろう、振り回せば馬一頭くらいは真っ二つにできそうな大剣とでも言えば良いのだろうか。
デバイスコアは取っ手に近い方に位置し、その刀身とも言える巨大な部分は何のためかといえば、図面を見るに魔力の放出機構……だろうか。
というかこれ質量兵器に当たらないか? 魔力刃とか纏わせない方が殺傷能力高まりそうなんだが、それってデバイスとしてどうよと思わないでもない。
「で、どうでしょうか?」
と、目をキラキラさせて聞いてくるが、さすがに却下させてもらった。
露骨に不満気にしていたが、そこは使う方の意見も汲み取って貰わないと困るのだ。大体、そんな大がかりな改造してしまったら私の懐が極寒の地獄と化すこと請け合いである。
つまらないと言われても普通のままにしてもらった。一般的な武装局員の持つのっぺりした黒い杖である。
「小柄少女に巨大武器はロマンだと言うのに……ティーノはその辺りを理解しないから困ります」
「……そんなロマンを私に求めないでくれよ」
大体道具は使ってなんぼ、使いやすくてなんぼである。
私のデバイスの特徴がその拡張性にあるというなら、私の弱点である部分を補う形で組み上げていくのが順当というものだろう。
「むう、仕方ありません。でもせめてこの起動フォルムのデータだけはインストールしておきますね。容量は余っているわけですし……いずれ改造をふふ」
「……好きにしてくれぃ」
部屋にはコンソールを叩く音が響いた。
私は一つため息を吐き、紅茶をもう一杯注ぎに行く。
「ところでティーノ」
「ん?」
ココットが画面から目を離さずに声をかけてきた。
「ドリルを装備する予定は」
「……かんべんしてください」
◇
やがて、年も越し、私は高等部に入ることになり、ディンとココットは中等部へ。
そして、ティーダは無事に空士試験に受かり、三等空士として働き出した。
さらっと言ってしまったがそれなりに異例のことでもある。空士の試験枠は従来、陸士訓練校で学んだ人や、その他の部署で数年魔導師として経験を積んでから受けるというのがセオリーだった。魔法学校出たてのひよっこが入る場所ではなかったりする。
成績が良いティーダなら空士学校も十分行く事ができた。そちらは指揮官の育成機関の色合いが強い。なにしろスタートが違う。始めから尉官であり、給料も良い。
なぜ、いきなり叩き上げの道に入ったのか、実はそれなりに深い考えが……あるわけないことは聞かされた私が知っていた。
単純に初任給早く欲しいなーとかそんな思考だったりする。試験に受かってからというもの、給料でどういうパーツ買おうかとか、ティアナちゃんへのプレゼントはどうしようかとか、散々聞かされた身だった。いや、ある意味年相応とも言えるのだが、何というかこう……頭回るんだから、もっと人生に得する道を選べよと言いたくもなる。言ったが。聞く耳もつものではなかった。困ったモンである。
そんな日も続き、おおむね平和だったと言える。
しかし、昔の人はよく言ったものだ。
好事魔多しと言う。
それは夏に入ろうとする頃……ティーダも研修期間じみたものから解放されて一息入れたのもつかの間、若手に経験を積ませるためかミッドの陸士隊との連携を取るために出向中の時。
突然のことだった。
ランスター家のママさんはあの後……私が初めて会った日の後も定期的に病院で検査をしていた。そのいつもの検査の帰り道……乗車していたバスが事故を起こして崖から転落。あっけないくらい……本当にあっけないくらいに帰らぬ人になってしまった。私がそれを知ったのは緊急速報でやっていた生放送のニュース番組だったのだが、死傷者12名のうちの名前と顔写真にランスター夫妻が出たときは、間抜けながら、そっくりさんも居るものなんだなと思ってしまったくらいだ。そのくらい、私にとってあの家は死とかそういう暗いものから遠い場所と無意識に思ってしまっていたのかもしれなかった。
こうして喪服を着て葬式に出るティーダとティアナちゃんの手伝いに駆けつけた今でも、まだ実感の湧かないところがある。
振り返ればキッチンから焼き上がったアップルパイを持ったママさんが出てくるんじゃないか?
ちょっと待てば玄関から、今帰ったよ、おや、ティーノちゃんいらっしゃい。とパパさんがのんびりした調子で話しかけてくるんじゃないか?
そんな甘い事を考えてしまう。
私は頭を振った。
これから先きついのは私ではなく、この兄妹だ。
それなりに付き合いのある私がしっかりしないでどうするというのか。
まずは……諸方面に連絡しなければならないだろう、場合によってはディンやココットに手伝いを頼むのもいい。
気を取り直して、頭の中で整理をつける……やることは山ほどあった。