朝一番に運動がてら木刀を振り、わりと適当にセットした格好で授業を受ける。
放課後はディンやココット、最近ではティーダも時折相手をしてくれるのだが……魔法の自主練を行い、息抜きに遊びに行ったりすることもある。
地味ながらも波風立たない日常が私の生活だったのだが、最近ではかなり変化してしまった。
端的に言うと有名人になっているのだ。
これが目立ちたくて仕方ない、あるいは自分が中心に立っていたくて仕方ないという希望があるのならいい。問題は私自身がさほど目立ちたいわけでもないってことだった。
マスメディアに妙な名前、そう……頭をカチ割りたくなるような、砂場でのの字を書いて途方に暮れたくなるような、そんな名前をつけられてからというものの、私の思いとは裏腹にその熱は加速しているようだった。
出回った映像がまた問題だった。
あの折、カーリナ姉に買って貰ったワンピースなんて着ていて、なかなかにそう、女の子しているのだ。容姿が。姉風に言えば、美味しそうな餌と言えるのだろう。
管理局の検閲を通し、その後の事件発表と共にマスメディアにより公開された映像である。入学したコースにもよるのだが、私の身の上だと準局員扱いになるので、顔にぼかしは入らなかったのだ。個人情報はさすがにでていないのだけど……
私があの妙な客室に連行される時の姿などもしっかり撮られていた。光源の影響か、妙に弱々しく、儚く映っている。勘弁してほしい。
さらに言えば、あのボスを散々な素人喧嘩のすえ何とか倒した時点の、顔を真っ赤にさせて息を荒げ、服を乱れさせている様子などはどこのサービスシーンかと思った。子供のサービスシーンなど一部の紳士くらいにしか需要もないだろうが。
その映像を初めて見た時は、何というか私としてもピンとこず完全に他人事として見ていたわけだが……それも無理もないことだと思う。その続きを見ればなおさらだった。
……ラグーザの手を引き、前方を指さして何事か話している光景など、密やかな月明かりのライティングを当てられる編集をされ、お前はどこの聖女さまかと。そして、ああ、画面の中のティーノさんよ、何故あなたはそんなにオーラを身にまとっているの? と聞きたい。確か、この時は夜目の利く私が先頭に立って進んでいて、敵影が見えたので注意していただけだったのだ。こんなにキラキラした覚えはない。編集作業お疲れさまでした。
そして飛行魔法を使う時の魔力光。目に痛く心に痛々しい銀色の魔力光が、また目を引くのだった。翼はどういうわけか編集されていて映っていなかった。それは有り難かったのだが、調子に乗って空をひらひら飛んでいる様子はさながらどこかのテーマパークの夜のパレードのようで……この様子からマスメディアはその……白銀の妖精なんて思いついたのだろう。考えただけでげんなりしてくるが。
飛行魔法で逃げ出している時は、どうもかなりのハイテンションだったので、記憶もちょっとアレなのだが、後ろから狙撃されていたようだった。
マフィア側のカメラから見るとその様子がよくわかる。直線で飛んでいたら危なかったかもしれない。酔っぱらったようなテンションによる不規則な動きで命拾いをしていたようだ。
なにはともあれ……まとめるとカーリナ姉が悪い。面倒なのでそういう事にしておく。あからさまに管理局の宣伝に使われている気がするが……どれもこれも後片付けをしないでとっとと逃げ出した姉のせいにしておく。私は許さない。今度帰った時には姉が嫌いで仕方ないと言っていたラム肉のシェパードパイにチーズをたっぷりのせたものを連日食べさせてやる所存だ。それを自分で話した時のニヤリとした感じはひっかけてやろうかという顔だったが、姉相手にはさらに一枚裏をかかねばならない。きっとあれは本当に苦手なのだ。
ため息が出た。こんな事を考えててもどうしようもないのだが……気分をそらさないとやってられない。私の目だの耳だのの性能が無意味に良いというのも関係しているのだが……どうにも人目が気になって仕方ない。被害妄想気味ではないかとも思うのだけど、何分、日常会話の中で普通に私の名前がぽろぽろ出てきたり、視線を始終感じたりする。ストレスがマッハでやばいというか頭髪が心配である。円形脱毛症にならねばいいけどもと思ってしまうくらい髪が……いやいや、さすがにこの年で抜け毛を気にする事になるなんて、本当に思ってもいなかった。
そんな事もあり、放課後。今日も今日で、世を忍び人目を忍ぶように影から影へこっそりこそこそ移動するのだった。
やってきたのはいつぞやの資料館。
設計段階ではもしかしたら校舎の一部にされる予定だったのかもしれない。
三階建てで、広さも小さいデパートくらいはあるだろうか。部屋数もかなり多く、10室あまりがクラブや同好会に使われている他、空き部屋も多い。
有り余る学校の資金力を生かしてかき集めただろう本の類や、卒業生が持ち込んだと思われる妙な管理外世界のお土産品まで雑多にしまい込まれている。
その量ときたら、話に聞く本局の無限書庫とまではいかないまでも、年々増える資料の整理に当たっていた館主が心を病んで入院してしまった程である。生真面目過ぎたのがいけなかったらしい。
かといって放置もできず、今は部活やクラブの有志による活動で地道に整理が進んでいる状況だという。
ココットの所属している文芸部も当然とばかりに参加しており、日々精力的に文学関係の本を仕分けていた。
そのためか、部室が留守になることも多く、最近ではもっぱらここが私の憩いの場になっている。
「お疲れ様です、ティーノ」
部屋に入り一息つくと、先に来ていたココットがお茶を出してくれた。
ありがたくお茶をすすり、ほっとしたところで部室を眺める。
「ありがと、ココット。皆はもう資料室に?」
「ええ、私もそろそろ向かいます。いつも通り留守番だけしてくれれば好きにしてもらって構いません。あ、お薦めはそこのJ○NEです。やはり基本は抑えておくべきでしょう」
ココットはそう言って一画のスペースを指さし、部屋を後にした。基本……基本ねえ。アレな予感しかしないが、薦められたものだけに少し目を通してみるか、しかしなんて読むんだろう、じゅーん?
「……お、おうぅ?」
ぱらぱらとページをめくる。喉の奥から妙なうめきが出てきてしまった。
何とまあ……いや案外これは……あ、あれ、面白い? 絵柄の線も美しい。そしてこの構図は……うぅむ。
そして、この心理の後にこう絡んでくるのか……何と磨かれた伏線だ。で、では次はまさか……な、に、ここでなぜ唐突に濃厚な絡みが!?
ごくりと喉が鳴った。一旦本を閉じ、何となくキョロキョロと見回してしまう。
いや、別に誰かに見られているってわけでもないのだけど。
またそっとページをめくろうとしてしまい──ハッとした。
「いや、いやいや、まてまてまて、何をしている私は? そんなあっさり新世界の扉を開いてしまうとか何だ、有り得ないぞ、ちょっと正気に戻れいいか深呼吸だ。うん、ひっひーふー」
駄目だ、これじゃ何かがうーまーれーるー、なんて一人コントをしてしまう。
ぴたっと止まり、何となく空いた間の後、備え付けのソファーで横になって大きく息をついた。
「本当、最近疲れが溜まってるのかもなあ……」
私は天井のマス目を無意味に目で追いながらぼやいた。
あるいは虚脱感か。
あんな荒事に巻き込まれ、慌ただしいまま過ごせばこうもなるのも無理もないのかもしれない……なんて自己弁護を図ってみる。
「よし、今日はサボろう!」
上半身を起こして両手をぱんと打つ。
バッグの中に入れてきた教科書はこの際忘れることにした。
一応これでも初心は忘れていないのだ。難しいとは判ってはいるものの、魔法学校を短期間で卒業するには飛び級制度の活用は必須なので、まあ、悪い頭なりには勉強に励んでいるのだが……うん。
しっかり息を抜いてしっかり心を休めるのもきっと大事なのだろう。
私は理論武装を終え、様々な本が羅列されている文芸部の物色にとりかかったのだった。
ココットが部室に戻った時に、薦められた例のあの本を開いたまま片付け忘れていたのを見られ、ニヤリと……おぬしも好きよのうといったような笑みを浮かべられ、戦慄を覚えたのはここだけの話。
◇
そんな、双六で言うなら一回休みのマスを挟んだ後の話である。
実のところ一回休みで済めば良かったのだが……まあ、その。文芸部にミッドも含めた管理世界の様々な料理材料の紹介本などがあって、読み進めているうちにあっという間に一週間も経ってしまったのだ。びっくり。七回休みとなってしまった。
これまでもちょこちょこその手の情報を探してはいたものの、ミッドはどうも文化をあちこちから吸収しすぎて、本当に多種多様な食材があり、同じ数だけそれを使った料理がある。なになに世界のどこ地方のレシピブックといった限定的過ぎるレシピ本がずらーっと並んでいるような状態なのである。正直言って把握しきれない。
それでもある程度編纂した人が居たようで、ある程度セオリーな料理をまとめたミッド食大全なんてものもあるが、これはほぼ地球で食べられているようなものを考えればいい。人間どこの世界でも食べるものはどこかしら似てくるようだった。
問題はそれ以外だ。せっかく地球では手に入らない食材なども──例えばファンタジーでおなじみ竜の卵とか、巨大な昆虫っぽいものなどあるのだが、なかなか手を出しにくいのだ。
そんな痒いところに手が届く紹介本がコレだったのだが、発行年が古く、しかもどうやら出版元が既に潰れているようで、立派な絶版本である。
まさかこんな無造作に学生の部室に投げ込まれているとは思っていなかった、卒業までに全部メモってしまう予定である……目立つものをメモってしまう予定である。さすがに全部は自信がない。なにしろ百冊は越えている。一冊の厚さも図鑑とほぼ変わりがない。出版社の創立百年記念刊行本だったらしいけど、むしろこれを出版するのに力を入れすぎて潰れてしまったのではないかとも思う。
ある日、そんな知識を早速生かしてみる事にした。
休日になり、朝から寮の簡易キッチンを使わせてもらう。作ったのは見た目、何の事はないサンドイッチであるが、挟んであるものが工夫の一品だ。
「ティーノ、飲み物セットは持ちましたよ」
「ん、サンキュ。こっちも詰め終わったところ、と。んじゃ、行こうか?」
バスケットにランチセットとしてたっぷりのサンドイッチを詰め終え、ココットと女子寮を出れば、暇そうにしているディンがやっと来たかと挨拶をしてきた。
三人連れで高等部の男子寮に向かう。
こんな大きなバスケットに水筒を持っている姿を見られれば、子供三人でピクニックにでも行くのかとも思われるだろう。
勿論それは大変魅力的なのだが、用事はそれよりは少々真面目で、ティーダの部屋で勉強会なのである。
うん、最初は私も独学で飛び級してやんぜーと勉強に励んでいたのだが、なかなかはかどらない。そこで思い出したのがティーダ・ランスターの事だった。
最近親交のある彼は座学の方でも魔法の方でも優れた先達なのだ。これは教わるしかない。
思いついたら即と言った感じで頼んでみたら快諾してくれた、さらには何とディンも乗ってきたのだ。
そしてディンが参加するのであるならココットが乗らないはずはなく、勉強会などと言うものをする事になったのである。
寮の門前で出迎えてくれたティーダに案内され部屋に向かう。初等科でも十分な広さだと思ったものだが、高等部の寮はさらに広くしつらえてあるようだった。
ワンルームではあるものの、部屋に最初から付けられていたと思わしきテーブルやソファー。私のサイズからすれば大きく見えてしまうベッドにAV機器も充実している。
壁には妙に無骨なスチールの網がかけられ、まあ、何というか趣味と思わしきモデルガンがコテコテと飾ってある。質量兵器禁止のこの世界だと相当マイナーな趣味ではないだろうか?
見たこともないような拳銃もあれば、どこかで見たような銃も存在する。もしかしたら97管理外世界の銃がモデルになっているものも混ざっているのかもしれない。この古めかしい銃など怪しい。シリンダーには帆船が二隻彫り込まれているのが見えた。いかにも年代物っぽい銃だ。映画か漫画で見たような気もするが……はて?
見れば、ココットがキョロキョロと不思議そうに見回している。何というか慣れない場所に放り出されたリスを連想してしまう仕草だ。やはり男の部屋というものは物珍しいものらしい。
「面白みの無い部屋で悪いけど、くつろいでくれよ」
ココットの挙動に若干苦笑をしつつ、ティーダが言った。言うまでもなくディンなどは勝手知ったる何とやらなのか、とっととソファでくつろいでいるわけだが。
おのおの、ソファやテーブルの隣の椅子に腰掛けたところで、さてと前置きをして話し始めた。
「まずティーノの目標はできるだけ早めに卒業だったよね、その為にこの間渡してもらった君のデータから考えて組んでおいたメニューを渡しておくよ」
と、書類を渡される。礼を言って受け取り、目を通すことしばし……
しばし……
しばし……
しばし……
しば……
「ティーダさんティーダさん。私のメニューには睡眠時間というものがほとんど計算されていないのですが?」
思わず敬語になっちまったよ。ぎっちり詰め込まれてはいるメニューである。構成を考えると芸術的とまで言える。アリアさんに作ってもらった魔法練習用のメニューもさりげに組み込まれているし隙がない。なさ過ぎる。秒刻み休憩とか生物には厳しすぎる。どれどれと覗き込んできたディンとココットの顔も引きつった。
「ティーダ……さすがにこれは死ぬんじゃね?」
「自分の敗因の引き金となったからと言ってこれは……イジメかっこ悪いです」
二人からじとっとした目を向けられるティーダ。
「い、いや、冗談だからね? ほらこれが改訂版」
慌ててもう一つの書類を渡してきた。何でも、アリアさんの考えた魔法練習メニューがよく練られていたので、つい凝り性が出て最高効率パターンのメニューを作ってしまったということらしい。
この人意外とパズルとか始めると周囲が目に入らなくなってしまうたぐいの人なのかもしれない……
幸い改訂版のメニューは自由時間も流動的に設定されていて、何とか人がこなせそうなメニューだった。安堵のため息を吐く。体力的には人を越えているのだろうけど頭脳的には普通なのだ。勘弁してもらいたい。
もっとも、あくまでそれは暫定的なもので、状況を見ながら調整していくとのこと、後は私の覚え次第というわけである。
とっとと卒業して、ガンガン現場に出て稼ぎまくるのだ。いや、何か目的がずれてきているような気もするが、懐は寒いより暖かい方がずっといい。何よりモチベーションを程よく上げるのに丁度いい。
……そんな生臭いやる気を出したおかげか、午前中はあっという間に過ぎてしまった。
ティーダの教え方というのもまた、この年にしては異様に上手かったというのもある。困った事にいちいちハイスペックな奴なのだ。案外クロノと良い勝負なのかもしれない。ただ、あっちは魔法の才能が、私では全く底が見えないわけだが。
いい時間なので、持参してきたサンドイッチと飲み物を出す。
みんな頭を使って脳の栄養でも枯渇していたのか、我先にと手を伸ばした。
「お……ぅ! これは……?」
あるサンドイッチを一口食べたディンが固まった。目をまんまるに開いている。ふひひである。私は目論見通りのリアクションが貰えた事ににんまり笑った。
先だって文芸部に転がっていた本の知識を元に、特殊なルートで入手した第18管理世界で食されているマリエン鳥の卵を使ってみたのだ。
試食したところ卵の味は濃いのだが、火を通すとぱさつくためバターとコーンスターチでふわとろの状態に炒めて挟んである。
驚きの表情から覚めるとガツガツと食べるディンの様子を見て、密かにガッツポーズ。
「ティーノ、そろそろネタを明かしてくれませんか?」
つんつんと肩口をココットに突かれた。ココットも卵サンドを頬張っている。
そこまで勿体ぶる事でもないので、さっくり説明をしておく。
「というわけで、現地では離乳食やお年寄り、あるいは病人用として食べられているみたいなんだ」
「なるほど、でもこれだけの味であればもっと出回っててもいいと思うのですが……」
なんてココットと話していると何故かティーダが食いついてきた。
「ティーノは離乳食とかにも詳しいのかい?」
突然の質問に私はきょとんとした顔になっていたかもしれない。そりゃ、作ろうと思えば作れる。基本的なレシピは頭に入っているし、病人食と並んで、役立つ時があるかもしれないと、カラベル先生から教えられてもいた。私自身好きな料理の事である。当然熱も入ってしまい、そこんじょの駆け出し主婦にはなかなかもって負けない腕だと自負しているのだった。
私がそんな事を思い返しながら頷くと、突然手を掴まれた。
「は……へ?」
「頼む、僕に離乳食の作り方を教えてくれ!」
さすがの私も目が点である。ティーダが妙に真剣な様子で頼み込んでいた。
いや、待て待て、考えろ。なぜ、離乳食が必要かといえば、子供が居るからだ。しかも生後半年前後から一年までの赤ん坊。
ふと以前見た、女の子に囲まれてなかなか満更でもなさげなティーダの姿を思い出す。
……まさか。いや、いやいやまさか。
「ま、まさか、ティーダ・ランスター、あなたは既に孕まさせていたとでも言うのですか……い、いえ、友人は信じなくては。この場合自然なのは高等部ですからむしろ学部のお姉さまに寝込みを襲われた可能性もももあまつさえ複数人ででで」
ココットが妄想を爆発させて沈んだようだった。私と似たような想像をしてしまったらしい。
私はいろいろ耐性もあるというかうん。そう、そうだ。今こそ無駄に人より長いはずの人生経験を発揮して助けてやるべきなのだ。
「ティーダ……子供ができてしまったことは仕方ない。むしろその年で堕胎という方向に行かなかっただけまだ優しいのかもしれない。ただね相手も学生なんだろう? 学生同士は今後の事というのについてよーく考えないとね、一般にする育児より何段も高いハードルだから……うん、一つ言えるのは、私は、私達は味方だから、幾らでも相談して欲しいんだ」
そこでようやくディンも話に理解が追いついたのか、マジカ!? と大きく目を開く。
「水くせーぞ、ティーダ! 正直、正直複雑な気はすっけどさ、いや、うん。これからはきっちり俺にも話せよ! というかいつの間に大人になりやがったんだお前は!」
そう言ってディンはティーダの肩をばしんと叩く。
当のティーダは目を白黒させていたが、やがて理解が及んだようで、感激に肩を震わせると一言。
「ちがーーーーーーーーーう!!」
近所迷惑な声が寮に響きわたったのだった。
普段の穏やかでぽややんとした表情もどこかにかなぐり捨て、身振り手振りも交えて私達に説明したことによると。
離乳食のことを聞いたのはどうも実家の妹の為らしい。そのくらいの年なんだそうだ。
私は当然。
「うん、ティーダがそんな不実なことするわけないよね。私は信じていたよ!」
と無意味に歯をきらりと見せておいた。少しひねてしまった目で胡散臭げに私を眺めたティーダが、ぽつり。嘘だ……とつぶやく。少しその……いじりすぎたかもしれない。
考えて見れば精通も来てるか来てないかって年頃だった。もっとも、世の中には12歳で父親になった少年も居るのだからあながち……
まあ、気を取り直してもらうためにもちょっと水を向けてみる。
「でも、何でまた急に覚えようと?」
不思議だったのだ。この頭のいいティーダの事だ、必要そうなら前もって調べておきそうなものだった。
ああ、それは──と話してくれた事はまあ、なかなか茶化すことのできない割と真面目な理由だったのだが。
何でも、ティーダの母親の方は産後の調子がよろしくなかったそうで、子供が離乳食の期間に入って安定したところを見計らって一度入院するそうなのだ。
その間は父親とベビーシッターを頼んで何とかするはずだったのだが、ティーダの方も丁度夏休み期間に入るので、帰省して力になりたいらしい。
「ん、そう言うことなら喜んで力になるけどね」
「そうか、良かった。ありがとうティーノ」
ティーダはぽやんと微笑んだのだった。
「一ついいですか?」
ココットが何かあるようだった。どうぞ? と促してみると私を見る。
「ティーノは確か手頃なアルバイトを探していましたよね?」
何で今その話を? 確かにちょっと財布の暖かみが薄れてきているので、絶賛お仕事募集中だったが……
そんな事を考えているとココットは次にティーダの方に向き直り、私を指さした。
「良いベビーシッターが居ますが、どうでしょうか?」
……その発想はなかった。
それを聞いたティーダも、そんな手があったかと驚く。
確かにそれは非常に好都合だ。
私は私でティーダに勉強を教えてもらう事も継続できるわけだし、乳幼児はさすがに初めてなものの子供の扱いという点では慣れている。
ただ、ティーダの実家は聞けば西部のエルセアの方らしい。まあ、ぶっちゃけ距離がかなりある。
交通費用は学割どころではなく、申請すればほぼ免除なんて制度があるのでそれを利用するとして……泊まり込みでの仕事になりそうなんだけど大丈夫かと確認すると、なぜかティーダがうろたえていた。
部屋が無いとか? んー、いざとなれば野宿用のテントを引っ張り出してくるか。その場合ちょっと施設に行きがけに寄っていって……なんて算段を浮かべていたのだが違うらしい。
「ええと、昼間は父さんも仕事で出てしまうわけで、母さんは病院で……なんだ……何で僕の方がうろたえているのさ?」
私が知るかと言いたいところだ。
ともあれ、話もまとまった……と言っても当然本決まりではなく、これからティーダが親に交渉してどうするかという事になる。上手く行くといいのだけど……
◇
そんな勉強会もひとまず終わり、私は疲労した頭を揉んで疲れを取りながらある場所に向かっていた。
歩いていた。歩いていた。歩いていた。
……いつも思うのだが、この学校無駄に敷地面積広すぎである。
グラウンドを抜け、校舎を抜け、模擬演習所を抜け、また、だだっ広い空間をとっている場所に入る。使用許可代わりになっているカードを通してその練習所──飛行訓練所に入った。
ミッドの魔法の花形は射撃、砲撃魔法である。次いで実用性からかバインドや防御魔法などのサポート型が人気だった。飛行魔法は二の次だったりする。そのせいもあってか飛行訓練所はいつも閑古鳥が鳴いていた。
ある程度初歩の魔法で通常の浮遊、飛行魔法は覚えてしまうので、それで十分だとする人が多いからでもある。
実際、対魔導師戦闘でもなければ、普通にプロテクションでも張っておけば大抵の質量兵器は効かないので避ける必要すらない。そして対魔導師戦闘においては、局員は基本「数」を持って連携で当たるものなのである。もちろん強い魔導師がその場にいればその魔導師が十全に力を発揮できるようにするためサポートするのが常だが……どっちにしても特出した機動力そのものがあまり求められる職場ではないというのもあった。
もちろん例外もいる、というかその最たるものが、先日まで一緒に冒険をくり広げていたラグーザであり、それの率いるソウルオブザマターという暴走族上がりの集団だったわけだが。
どこの世界にも速さの浪漫に惹かれる男というのは一定数いるということだろう。趣味として飛行魔法に時間を費やす人もまたいるらしい。マイノリティではあるのだけど。
まあ、そんなわけでこの飛行訓練所の予約を取るというのは初等科の子供にも割と簡単なのだった。
身体をほぐし、デバイスを起動させる。今回は安全装置付きのきちんとした訓練所なので持ち込みデバイスも可なのだ。
あの時、初めて飛行魔法──正確には高々度高速飛行魔法だが、を使った時の感覚を思い出す。
体が浮き、とりあえず飛ぶ。制御系の面倒な計算は例によってデバイスに丸投げである。クロノあたりだと必要な部分だけ演算させて無駄を省くのだろうけど、私にそんな脳味噌は搭載されていない。
ひとまず直線に飛んで100メートル地点のフラッグを越えてターンしてみた。
……うん。普通に飛べる。違和感がなさ過ぎるくらいに。首をひねる、妙な感じだ……それほど経験のある魔法でないのに違和感がなさ過ぎる。不思議なものだった。
次のルートはより短いライン取りを目指しターン。クリアすれば次はもう少し複雑に縦回転で。ちょっと捻りを咥えて錐もみに降下もしてみる。
くるくる、くるくる。風に落ち葉が舞うように回る。
段々思考がクリアになってきたような、思い出せそうな思い出せなさそうな……微妙でもどかしい感覚にとらわれる。
ただ、やはりあの時のような……なんだ。ハイテンションな状態にはならないようだった。
なったらなったで困るけども。
不可視状態のままだが翼を広げてみる。
目をつぶって集中すると、やはり魔力を感じることができた。空気中の魔力素だろうか。いや、感じているものはもっと漠然とした流れでしかないような感じだが。
ただ、これはしっかり感じるためには幻術魔法を解くしかないようだ。原理として翼の周囲に魔法を薄くコーティングしているようなものなので、感度が低い……というか手袋をした状態で水の冷たさを感じ取れと言うようなものである。
しかし、幻術魔法を解いてこの翼持った姿が知れ渡れば……まあ少数なら仕方ない。そう言うこともあるだろう。問題は記録にでも残ってしまった場合である。前回はきっと運が良かった。カーリナ姉か管理局か、手を回してくれたのだろう。
この翼……ラエル種だったっけ……あのマフィアの言い分からするとどうもその、性的に付け狙われそうだった。知れ渡るリスクが高すぎる。
ちょっと捕まった場合の想像を巡らしてしまい、唇の端っこがひきつった。うん。こりゃいつものごとく思考停止した方が精神的に良さそうである。
気を取り直して下向きにバレルロールの軌道で低空飛行。床に手を突いて縦回転。両手を広げて着地してみる。10点。
ふう、一息吐く。我ながら満足気な声が漏れる。
空間の広さとしても、全力で飛行魔法を使う事はちょっと出来そうにないが、これはこれで気分転換には最高だった。これからもちょこちょこ来るとしよう。
◇
ティーダから連絡があったのはその日のうちだった。
何とも性急なことである。
あれ……いや、もう夏休みまで2週間切っている?
……悠長だったのは私の方だったようだ。
休み前の考査試験が終わればすぐじゃないか。
しかし、話を聞いてみればティーダは大した信用度だった。普通ベビーシッターを雇うなら少なくとも話してみてから決めるだろうに。ティーダが推薦するならそれで良いよと言う事らしい。
「いやいや、僕がしてやられた人物だと教えたら、一度見てみたいとか言いだしてね」
……おいおい。あれはクロノが凄いだけで私は凄くないぞ……もしかして盛大に勘違いされた? いや、まあベビーシッターに行くのだから、関係ないといえばそれまでなんだが。変に思われてはいないだろうか。
ちょっと肩が落ちる。
ともかく、必要な取り決め。個人契約アルバイトの場合のテンプレートなんてのも管理局製が出回っているので便利なものだったが、報酬を取り決め、契約書を交わす。作られた契約書のデータはそのまま労働局に送られて、適正なものであるかチェックされ、受諾されれば労働契約が発生する。
ここらの一元管理の仕組みはミッドならではと言ったところだろう。こうしたある程度保護された労働契約の形でもないと若年層が契約を結ぶとか危なっかしくて仕方ないのだ。内部ではもう少し複雑らしいが、地球での書面による契約よりも格段と楽ちんな事は確かだった。
一通りの連絡を終え「おやすみ、良い夜を」なんて意味もなくちょっと気取って言って通信を切る。
ベッドに身を横たえた。
ベビーシッター、ベビーシッターか……
思い出した子守歌を口ずさんでみる。日本語のそれだ。
私にも親はいるのだろうか。
記憶の中での父や母……いやもうこれは本を眺めているような気分にしかならない。記号になりかけている。
それでもこんな子守歌がでてくるってことは、多分寝かしつける時に歌われた事があるのかもしれない。
私はいつしか自分で歌う子守歌に寝かしつけられるかのように、まどろみの中に落ちていった。