「なるほど……うん、話は判った。僕で良かったら協力しよう」
「……え、頼んでおいて何だけど、そんなにあっさり頼まれちゃって平気?」
聞けば、名前を大ぴらに出すような事でなければ平気らしい。
なんでも、これも士官として部隊を率いるためには良い経験になるとか言っていたが、若干後付けっぽい理由なのを考えると、やはり根っこのところで良い奴なのだろう。
何を頼んだのかといえば、ディンやココットも含めた私達の特訓である。対イケ面君対策の。
最初はディンに対する、リハビリというかショック療法的にクロノと引き合わせようと思っていたのだが、エイミィに相談したところ、いっそまとめてクロノ君にお願いしちゃえよー、などと言われたりもしたので、率直にお願いしてみた次第なのだ。
……しかし、そりゃ頼めれば有り難いとは思っていたが、こんなにすんなり行ってしまっていいのだろうか? まだ二人とも会ってからそれほど日も経っていないのだけど、そこまで親しく思っていてくれているというならそれはそれで嬉しいものではあるが。
予定を聞いてみれば、休日は士官学校も魔法学校も同じようだったので、次の休みに私達が出向く事となったのだった。
◇
妙にセキュリティがしっかりしているバスを下車し、徒歩10分。ちなみにこのバスには少々驚いた。乗降口に探知機付きでデバイスを所持していれば判ってしまうらしい。私達は三人とも自分のデバイスを持って来ていたので乗務員も何かと思ったようだ。デバイスを見せ、局に登録されていることを確認させてからやっと乗る事ができたものだった。
以前はアリアさんに連れてきて貰ってスルーだったのだが、なかなかに高級住宅街といった感がある。例えるならマンハッタンよりビバリーヒルズと言った感じだろうか。うん、映画で見たような風景である。
目の良い私だからだから見えるというものでもあるが、あちこちの茂みの中に監視カメラが設置されていて、もしかしたら、いや確実に魔法的な監視システムも同時運用されているのだろう。
違法魔導師でも迷い込んだ日には即刻通報、1分も満たないうちに警備員がわらわら、5分も満たないうちに局員が飛んでくるなんてことになりそうだ。
そして道幅は妙に広く、街路樹の手入れも行き届いている。ちょっと目を遊ばせればその街路樹の中にも石像や周囲と溶け込むように作られた小さい噴水などがあったりする。
家を見れば様式もばらばらで、そこはさすがミッドといったところだろう。魔法だけでなく文化もその幅が異様に広い。共通して言えるのは、庭が皆、妙に広いというところだろうか。プールなんか標準装備していそうである。
そんなこともあり、少々落ち着かないものを覚えて、自分でも挙動不審かなーと思うくらいにキョロキョロしてしまっていたのだが。
ふと見ればディンもココットも泰然自若。担任の先生のヅラ疑惑についての話に興じていたりする。内心なんとなく憮然としたものを感じないでもない……いいんだ私は小市民で。悔しくなんてない。きっと。
クロノとエイミィに二人を引き合わせたところで、早速、と言った感じでクロノの自主訓練というものを見せてもらった。オーダーは士官学校でやるような練習ではなく、クロノの「いつもの」メニューをお願いしてある。私はエイミィから記録映像とか見せられて感想聞かれたりもしているので、もうある意味慣れた光景なのだが……うん。あの二人にはいい刺激になると思う。
「嘘だろ……」
「デ、ディン、しっかり気を保つのです、いつもの阿呆顔はどこにいきましたか、なな、何をかたかた震えているのですかあなたらしくもない」
放心したディンの手をしっかり掴んでかたかた震えているのはココットである。
うん。水鉄砲の射撃ゲームで優劣競った後にグリーンベレーの射撃訓練見せつけられるようなものだからね。気持ちは判る。初等科とかで魔法勉強してるのがなんだかなぁと思えてきてしまう。いや、基礎をないがしろにしちゃいけないのは重々承知だし、クロノはスタート地点も環境も違いすぎるってのは判ってるんだが。
エイミィがこの後のランチの支度でもしてくるよー、と言うので驚きっぱなしの二人を残し、私も手伝いをしにキッチンに行くのだった。
「エイミィ、献立はどうする?」
「んー、動いた後になるから考えてるのは胃にあまり重くないように、くらいだけど。リクエストでもある?」
「んにゃ、おまかせ。二人も特に食べられないものは……ああ、ディンが海鮮アレルギーだとか前言ってたような」
んじゃ、手早くクレープでも作りますかと分担して取りかかる。
クレープと言うとお菓子のような印象も強いのだが、生地に塩味をつけて、野菜や肉やチーズを巻いて食べる食べ方もあり、こちらは軽食にうってつけだったりもする。
巻いて食べる具をたくさん用意しておいて、自分で巻いて食べるなんて食べ方にすると、具を選ぶ楽しみもあって子供受けは抜群だ。
別段エイミィも子供受けを狙ったわけでもなかろうが、好き嫌いの判らない人が居る時も有効なので、そっちを考えたのかもしれない。
具を作るのはエイミィに任せて、私はひたすらクレープ生地を焼くことに専念することにした。
何しろ食べ盛り5人分である。余裕を持って焼いておかねば……
そして、私が風味を変えた生地をそれぞれ10枚ほども焼いている間に具の方も用意されたようだ。ひとまず焼けたクレープを皿に盛ってテーブルに置く。
「じゃあ、そろそろ皆を呼んでくるよ」
「おねがいー」
と、屋外……というか屋敷の裏手の訓練場に来たのだが。
何、この空気?
「……ちょ、ちょっとちょっと、何がどうしてどうなってあんな状況に?」
見学席のてすりを握りしめているココットに小声で聞く。
が、反応がない。目の前の光景に集中しているようだ。右手がデバイスを行ったりきたりしてるのが怖いのだが。
私は一つため息をついて、ココットの横に行き、目前の光景を見やる。
……本当に何を考えているのだか。
クロノに模擬戦を挑んでいるディンの姿があった。かなりボロボロで。
挑まれている方は悠然たる面持ちで、しかも油断もせずにゆっくりディンの間合いを詰めはじめていた。
「ちぃッ」
ディンが舌打ちをして照準が甘いながらも相当の密度が練られている射撃を放つ。さらにそれをフェイクとして魔力強化を施して接近、至近からの攻撃にスイッチする。
が、近づく前に最も初歩ではあるものの十分な威力の魔法弾が飛びかかる。当たれば足が止まり、それを避けていけば、遅延発動型のバインドのトラップへと誘導され……
『Stinger Ray(スティンガーレイ)』
対魔導師にはおあつらえ向けの射撃魔法が直撃した。
ココットがびくりと身を震わせる。抜き撃ちをするかのように起動状態のデバイスに妙な握り方で指がかかっている。いやいや、大丈夫だから、模擬戦だから……多分?
うつぶせになって倒れ伏しているディン。
しばらくクロノはディンを見、おもむろに言った。
「あなたの言う意地はこれで終わりか?」
クロノは一歩を踏み出す。
「あなたの言った壁とやらはこれで壊れたのか?」
クロノはまた一歩を踏み出した。
「ぐちゃぐちゃと……」
よろり、とそんな音がしそうなくらい力の入っていない足でだが、ディンはゆっくりと立ってみせる。
「ぐちゃぐちゃとうるせえ……へっ……年下のくせに、人生まで説教すんじゃねえ」
「……そうだ、でも今はただの魔導師と魔導師だ。そんな僕ららしく、魔法で語る事にしようか」
「望むところ……だっ!」
向き合う二人がデバイスに魔力を込め、大きな魔法陣が描かれる。その特徴的なチャージタイムが完了し、抑えきれない圧縮魔力の奔流が訓練場の一陣の風となった。
そして二人の砲撃魔法が炸裂し──
一瞬の競り合いの後、クロノの水色の魔力光に押し潰された。
◇
「これだから男の子って奴は……」
エイミィが肩をすくめて口をとがらしている。
ココットはこめかみに血管を浮かばせ、目はしっかりとクロノとディンを睨み付け、無言で八つ当たり気味に甘い具のクレープを巻いていた。具体的にはチョコ、バナナ、メープルシロップ、ブルーベリージャム、ホイップクリーム……見ているだけで胸焼けがしてきた。
その当のクロノとディンはと言うとなかなかに意気投合しているのである。
一体さっきの模擬戦はなんだったのかと言えば、どうもクロノの訓練風景に触発されたディンが「自分の殻を破りたいんだ!」とクロノに模擬戦を頼んだというのが大まかな成り行きらしい。
大まかな……というのは、その後段々とお互いヒートアップしてしまい、そう、言うなれば少年マンガの世界が展開された。訓練場で記録された動画データを見るともうね……
ああ、武士の情けだ。訓練場の記録データは消去しておいた。残しておけば3年後くらいに本人達に見せつけて、若かったねー、なんてからかうのも魅力的ではあるけども。
「でも、驚きだねー、ほらここの3分22秒時のとことか、クロノ君が張ったバインドトラップも力づくで突破してる部分があるよ?」
と、目玉焼きを挟んだクレープを頬張りながら、携帯端末に映った先程の模擬戦を見るエイミィが私に画面を向けてく……る? す、すまない……クロノ、ディン。君たちの黒歴史になるであろうデータはもう私の手には届かないようだ。
私はしばし瞑目を捧げた。未来においてからかわれる事がさりげなく決定していそうな二人に。
それはともかくとして、映像に目をむける。
確かに……「うぉぉー」とか叫びながらリングバインドを魔力の放出で破っている。叫び声はともかく、先日、親切な先輩が教えてくれた通りのバインドの破り方、裏技じみた方法だった。強度の弱い足止め目的のバインドであれば内部からバインドブレイクを仕掛けるよりは魔力の放出で力任せに破った方が早い。もっともこれを授業でやると荒いと見なされて減点を食らってしまうのでもあるが。
ちなみに何が驚きなのかと言えば、その瞬間魔力量なのだろう。
その一瞬一瞬だけなら実はクロノと拮抗できてしまうのだ。
ただし、魔法の構成の甘さや制御技術の問題もあって本当に一瞬しか拮抗はしないだろうけども。
それに……
「今回の目的、ティーノ曰く通称イケ面君(笑)に勝つという目的においてそれは使える特性ではありません」
ココットが甘ーいクレープを食べ終わったのか話に混ざってきた。……今何か括弧が使われるような不思議な間を感じたのだが、なんだろうか。
「イケ面君?」
「ティーノがそのひど……率直なネーミングセンスによって言い続けているので、もう本名よりそちらを呼んでしまおうかと」
「言い直さないでもいいよ……ココット。判ってるから……」
テーブルにのの字を書き始める私を見て、ココットは澄ました顔でメガネを持ち上げ、コホンと一つせきばらいをした。
「今回、挑むにしても学校内の訓練施設を使った模擬戦という形になりますので、使用デバイスは現在のものではなく学校から貸与される練習用デバイスを使用しての事になります」
「……うん? 出力制限かな」
「その通りですエイミィ、さらに言うなら使える魔法にも制限があります。瞬間の出力が大きい事がアドバンテージにはなりません」
「技量と連携勝負ってわけね……形式は3対3で申し込むつもりだったよね?」
そのつもりですとココットは答え、また甘そうなクレープを作りに取りかかっていった。
和やかにランチも終わって、紅茶を飲みながら、今日のこれからの予定を話し合った。
ディンはどうやらこの後すぐに訓練場に行きたいらしい。
どうやら先程のランチの最中にもクロノが何か教えて、それを試したくて仕方ないのがディンという構図のようだ。
二人が並んでいると身長差も年齢差もあるのに、クロノの落ち着き具合によって同い年くらいに見えて仕方ない。
同じような事でも考えたのかエイミィも複雑そうな顔をしていた。
「そういえば」
クロノが思い出したかのように言い出した。対戦相手の情報が判っているならそれを見せてくれないかと。
ココットは少し首をかしげ、実際見てもらったほうがいいでしょう、と言い携帯端末のデータをクロノに渡した。
皆で分析するとしようかと言い、ディスプレイに映像を映し出した。
以前の合同実習の時の映像である。
映像にはあの時の私が防御魔法にも気付かずに接近して行く様子がありありと……
「あああ、見るなぁ……私の汚点」
一人悶えているのだが、誰もフォローしてくれない。
エイミィ、にやりと笑ったな。後で覚えていろ。
その後の私の撃破シーンまでしっかり見終え……たと思ったらクロノがリピート再生を始めた。
もうやめて、私のヒットポイントは……
「やはりこの辺りか」
私がイケ面君の罠に引っかかる前、回りこんで奇襲をかけようとしているところで一時停止する。
何があるというのだろうか。
「ここに弱点がある」
と言ってクロノが指さしたのは映像の中で今にも私が突っ込もうとしているポイントだった。
目で説明を促すと話しはじめた。
「それまでの戦闘経過は基本に即したものを崩していない。面白みもないが堅実で隙もない。教科書通りの良い魔導師だ」
しかしそれは指揮だけだ、と言い、端末を操作する。静止していた映像が動き出す。
「この狙われた際、ティーノを誘い込むにしても、幻術が使えるなら自分の幻影を囮にして集中砲火を浴びせればいいだけなのに、何故自分自身を囮にしてわざわざ防御魔法の隠蔽などにリソースを割いたのか」
「……あ」
言われてみればそうだ。
そもそも、誘い込む必要も多分無い。接近に気付いていたのなら射撃を集中させればいいだけの話なのだ。
「それはティーノの奇襲が半分成功していて、周到な罠を仕掛ける余裕がなかったのでは?」
ココットがふっと疑問を呈するが、いや、とクロノは首を振る。
「間違いなくティーノは誘導されている。さっき僕が指摘したポイントだが、こうして俯瞰してみると不自然に穴が開きすぎている。チーム戦なのに他のメンバーがカバーに入らないというのが罠の証拠だ」
うぅ……見抜けないですんません。
しかし、そうするってえと何で?
「まさかただの格好付けとか?」
「そうだな」
そうなんだ!? とクロノを除く全ての声が重なってしまった。
推測になるんだが、と前置きをしてクロノが話すに。
飛び級を繰り返す成績優秀な生徒というのは、勝ち方も派手なものを期待されてしまうそうだ。クラスメイトは元より教師もそういう期待をしてしまう事もあるらしい。
本人は自分のやりたいようにやっているつもりでも無意識に影響されることもあるそうだ。
もちろん、ただの自己顕示欲とか見栄っ張りな性格という線もあるし、当たっているか当たっていないかを言っても仕方ないのだが。そこは判らなくても考える事が必要らしい。
ただ、私が最後に見た笑みからすると、こう……職人的なものを感じないでもないのだが。
そして、先程クロノが『弱点』と表現したのは、別に映像の事を言っているわけではなく、その戦い方の弱点、つまるところ……
「その複雑な仕込みをしてしまう手腕を逆手に取る」
とのことだった。何でもクロノが見るには、私を引き込んだ先に融通が効いていないそうで、例えば私が引き込まれた先で予想外の粘りでも見せてかかりきりになれば、そこの隙を外部から突けたかもしれないとか。ある程度の魔法巧者が陥りやすい穴で、魔法も含め戦術は単純であるのが一番良いと言う。
余談だが……クロノ君9歳である。重ねて言うが9歳である。私は世の中の不条理を冷めた紅茶で流し込み、軽くむせた。
◇
方針も決まったことで、具体的な作戦を決めに入る……前にクロノから念話が飛んできた。
(ティーノ、二人には翼の事は話してあるのか?)
(あー、いや話してないよ。もう隠すのが習い性になっちゃっててね)
翼の事については、これでもそれなりに頭を悩ませているのである。
親しくなった人にはこういう隠し事はよくないよなとも思うのだが、何となく見せにくいものでもあるのだ。
と言っても、何かのきっかけがあって見られてしまった時には明かそうと思っているのだが。
(確かティーノの翼は魔法で隠してあるのだったと思うんだが、その状態でディバイドエナジーで分けられる魔力は確認したか?)
(確認済み。データ送っておくよ)
と言っても魔力総量の測定はそれ用の検査が必要だし、記録に残す気もないので、感覚に頼った大雑把なものだが。
ちなみに、翼を隠すのに使っている常時割いている魔力はおおよそ総魔力の10分の1にも及んだ……私の出力そのものの半分くらいはリソースを持っていかれている事になる。オプティックハイド、燃費悪すぎだ。アリアさんが目を剥いて詰め寄るのも当然だったかもしれない。そしてそれを補うくらいに魔力回復量があるというのだから……確かにこれはいい実験動物にされそうである。翼を隠蔽したらその隠蔽魔法そのものも隠さないといけないとは何たる皮肉か。
ディバイドエナジーそのものは伝達経路が通常の魔法とは違う。私が通常使う魔法とは違った計算にもなるのだが……教科書にあるAクラス魔導師の平均総魔力をちょうど満タンに出来る程度だろうか。もっとも、ここで問題になるのは魔力ロスである。
こちらもまだ理論をかじり始めたばかりだし、元々私はその……習得に時間が必要なタイプなのだ。当然魔力ロスも多い。以前、貰ったデバイスの馴らしも兼ねてディンに試した時など、無駄に排出されるロス魔力の方が受け渡された魔力より多いくらいだった。その後、ディンの魔力波長に合わせてみたりとした結果、何とかロスは半分まで抑えることができたのだ。
うん、自慢にならない。アリアさんが渡してくれた資料では平均8割程度の魔力が譲渡できるらしい。あれか、練度不足か。
私からデータを受け取ったクロノは同じようにディンとココットの魔導師としてのデータを受け取って、考え始めた。
ややあって、口を開いた。
「こんな作戦でどうだろうか?」
──クロノが言うには。
一対一の状況を作っておき、一番よく知るディンをイケ面君に当てる。これでまず型にはめて考えさせる心理的な一段目の罠。
熱血ぶりを隠そうともしないディンが砲撃魔法を惜しげもなく使って魔力を消耗すれば、相手も油断する。それが二段目の罠。
中近距離までディンに引きつけたところで、私とココットも急速に合流。子供のことだから心配で集まったのだろうという憶測もしてもらえれば良し。そうでなくても包囲される形になるので一見したところは不利に見える。それが三段目の罠。
魔力を温存しておいた私がディンにディバイドエナジーで魔力譲渡、その際の隙はココットの速射による牽制でフォローしてもらう。
考える暇を与えずにディンが最大威力の砲撃で囲んでいる形になっているだろう三方のうち出来れば指揮官を撃破。
後は常に数の有利を頭に入れて教科書通りに戦うといい、とのことである。
「……なんというかクロノ、その……言いにくいんだけど、ストレス溜まってないか? まだ9歳……だよね?」
「クーロノー君? 将来の士官候補生がこんな悪らつでいいのかな?」
私とエイミィである。
「ひ……ひどいな、君たちは……」
いやだって、ねえ?
演技もはったりも必要としない、配置と行動だけで心理トラップ仕掛けてくるとか。
徹底的に油断させ、最後に私の特性を配置することで完全に向こうの思惑を潰す構えだ。
そして一旦奇策が成功したなら後は定石通りにという手堅さ。
二人の方をちらっと見れば……
ディンはしきりにウムウムと頷いている。いや判ってないだろ。
ココットに至っては、携帯端末に向かって創作に走っているようだった。ちらっとへたれ責めクロ……とか見えたような気がしたが全力でスルーしておく。ネルソフ魔法学校の文芸部は腐の魔窟だと聞いたが……若年のココットまで浸食されていたとは……
そんなぐだぐだな空気も漂いながらも話は進み、その作戦を成功させるための特訓に揉まれる事数時間。
なんだかんだで日が暮れようとしていたのだが。流れというかなんというか。
そのままお泊まりすることになってしまったのだった。
「おおお、お泊まり会なんか久しぶりだ。嬉しいけど親御さんの許可とかいいのか?」
さすがディン! 私に出来ないことをやってのける!
アリアさんがちょっともの悲しそうに故人の家だとか、母親の姿をまだ見てないとか、いろいろその、家庭環境でごちゃごちゃ有りそうで話出せなかったのだが、こやつ遠慮なく切り込みおった。
だがクロノは少しだけ困った顔をすると何事もないかのように言ったのだった。
「母さんは仕事で遠くに出ているからね、この家もここ一年ほどは僕が管理している」
エイミィが気遣わしげにクロノの手を握った。
気付いたクロノは少しだけ含羞の色を浮かべながら口を開く。
「賑やかな方が良いのは確かだ。今日は遠慮なく泊まっていってくれ」
◇
寮監さんに「今日は泊まるからー」などと連絡したら大目玉を食らった。
若い身空であなたたちは何をやってるんですか! とかまあ、ひとしきり……うん30分は説教されたか。
宿泊する家はハラオウン家だと言うと打って変わって安心したようだった。実はビッグネームなんだろうか?
「お……終わりましたか?」
ココットがおそるおそる聞く。
この子は丁寧で感情をあまり感じさせない話し方とは裏腹に押しに弱いところがあるので、こういう時話を通すのは私の役になっている。
大丈夫、なんとかなったよーと言って、ほっとした感のココットを連れてキッチンへ行く。
「その、ティーノ……りょ、料理を私にも教えてくださいませんか」
と、妙な感じになってしまっている丁寧語でいかにも恥ずかしげに言われては、聞かないわけにはいかない……いやぁ、メガネつけた女の子の恥ずかしげな上目使いはアレだった。鼻の奥がきゅんとした。
ここに来て同年代の私やエイミィが料理してるのを見て、思うところがあったのかもしれないが。まぁ、なんだ……恐らくは乙女心という奴だろう。詮索するものは馬に蹴られて死んでしまうという例の心である。推して知るべしなのである。
あまり人様のキッチンを好き勝手に使うのはよろしくないのだが、女子寮には共用の簡易的なものがあるだけだし、生徒のほとんどは学食ないし外食で済ませるのが我が校なのだ。手軽に料理の練習をすることもできないので、今回のような機会はある意味貴重である。
そうなると、さわりだけとは言えメニューも考えないといけない。
「というわけで今日の題目はカレーライスなのだ」
「確か学食で見かけた事もありますが、食べた事はありません。どういう料理なのですか?」
よくぞ聞いてくれたココット。とカレーライスの概要について説明する。
明治期に日本に持ち込まれすっかり日本でも定番となってしまった料理がなぜミッドにもあるのかと言えば、誰か輸入した人がいるのだろう。
実は料理をこれからする人にも最適。皮を剥いて野菜を切り、炒め、煮るという一通りができ、味付けも余程変にならない限りはリカバリー可能という素敵メニューなのだ。
ジャガイモと人参、タマネギの切り方を一通り教えて、具を切っていてもらう。
その間に私は米を研ぎ、水に浸けておく。
さすがにこの家に常備はされていなかったので、さっき手近な店でカレーのルーと共に買ってきたものである。さても高級住宅街と言ったところか、どこのルートを通ってきたのか魚沼産コシヒカリをミッドで見る事になるとは思わなかった。
そして大鍋にブイヨンと香り付けのハーブ、セロリやタマネギの切れ端などの香味野菜を入れコトコト煮出す。
丁度野菜も切り終わっていたので、そろそろいいかと豚肉、野菜と順繰りに炒めてもらってスープに投入。火が通ったらルーを溶き入れて火を止め置いておく。
米は鍋炊きなので、そう目を離すわけにもいかない。強火で煮立ったら中火、弱火と鍋の具合により火を変え、仕上げに蒸らす。香りの得手不得手がよく判らないので、よーくといで米臭さを減らしておいた。
付け合わせの野菜のサラダでも作れば、これで完成である。
「ほい、召し上がれー」
と軽いノリで始めた夕食はなかなかというか相当な好評だった。
さすがはカレーの魔力。ミッドであまり普及していないのがもったいない。
「ちなみにディン、そのカレーはココット作だったりするんだよ」
「ま……まじでか!? いつの間にこんな……! 昔の炭クッキーの名残もないっ」
「……ッ! ディン、過去の過ちを思い出すのはよろしくないのです。それにあれは鋼材成型用オーブンでレシピ通り20分焼いてしまったからなってしまっただけであって生地を失敗したわけではないのですというか何を口走っているのです私はああもう余計な事を言うディンが悪い」
テーブルの下でごすごすと音がし、ディンが痛そうに顔をしかめた。
ココット……昔そんなことしてたのだね……
まあ、絆創膏だらけの指を後ろ手に隠している健気さに免じて聞かなかったことにしておこう。
「はいはいお代わりもあるぞー」
ルーを甘口にしておいたので、やはり食べやすいようだ。早速といった感じでディンとクロノが2杯目突入である。
エイミィにもレシピを教えておく。本当は一晩寝かせてやると味が馴染んでもっと美味しくなるのだ、という事も添えて。
◇
夜も更け、訓練疲れでしっかり二人が寝付いている事を確認して部屋を出た。
テラスに出て、夜気を浴びながら文字通り羽を伸ばす。
幻術魔法を解いて翼を晒し、ブラッシングを始める。
日常の手入れというやつだ。実は地道に地球にいた頃からやっているのだが、これを怠るとたまに虫がついたりするのだ。厄介なものである。
以前は煙で燻したっけ……
あれはきつかった。虫落としとはいえ、スモークチキンになってしまうところだった。
羽毛の根元から羽先へ、柔らかいブラシを入れる。翼を持たぬものには判るまい、とても気持ちがよいのだ。
「ふふ」
何の意味もない笑いがこぼれる。グルーミングの気持ちよさというものかもしれないな。猫が目を細めるのも判る気がす……
「ぅひぇワ!?」
「んーふふ、ティーノちゃんめっけー。そーらそらもふもふもふ」
「お……おおぉう? ああ……ちょっ待ってエイミィッ! うぁ……んんっ!」
うおお、人の……話を……聞かないっ!
ちょっと、翼の地肌はやたら敏感なんだからちょっと待て……!
「……え、えいみぃ……気はすんだ?」
私はちょっぴりレイプ目という奴だったかもしれない。
エイミィは心なしか、月明かりに照らされるお肌がつやつやしてるが。
……まあ、なんだ。
物思いにふけっているところをエイミィに奇襲されただけである。たっぷりと何度もまさぐられてしまった。油断も隙もないのである。腰砕けになりそうなのである。
「エイミィ、触るくらいだったら文句言わないから奇襲はやめて……」
「あはは、いい反応だったねー」
今度は優しくねー、とブラシをとられた。
背中の手の届きにくいところをやってくれるらしい。
すっすっとリズム良くブラッシングされる。私も何となくリラックスモードに入ってしまった。
暫くはブラシの音と時間のみが過ぎていたが、ふっとエイミィが口を開いた。
「今日は二人を連れてきてくれてありがとうねティーノ」
「クロノの事?」
「……うん」
ありがとうと言う、その割に元気が無い様子だ。どうしたのか聞いてみれば。
「んー、やっぱり男の子は男の子同士で馬鹿やってた方が楽しいのかなと思ってさ」
「ディンと模擬戦やってるときとか生き生きしてたもんね。お姉ちゃんとしては可愛い弟が姉離れしたようで寂しい?」
と、私が言うとエイミィは戸惑ったかのように手が止まった。少し考えているようだ。
しかし、ふと思い出したが、昼食後に見せたあの複雑そうな顔はそんな事を思っていたのかもしれない。
「……寂しいのかな? 妬いてるのかも? 私が時間かけて近づいていったのにディン君は一足飛びにクロノ君と親しくなっちゃったから」
「男に妬くたあエイミィ姉さんも嫉妬深い事で……」
「茶化さないのー。今でこそ割と喋るけど初めて会った時のクロノ君なんか病気じゃないかってくらい大変だったんだから」
全く人と解り合おうとしなかったんだよー、と力説する。
意外と溜まっていたものがあったらしい。その後も出るわ出るわ。
いつの間にかエイミィの悩みに乗っていると思っていたのだが、愚痴のはけ口に切り替わっていたようだった。
まったく……
右の翼を大きく広げてエイミィを巻いて黙らせる。それなりに翼の大きさも伸びているので今はなかなかの長さがあるのだ。
「ほい、そろそろストップねエイミィ。寝るにはいーい時間だよ?」
……返事がない。
もしもーしと声をかけると、小さいつぶやきが聞こえてきた。
「ふ……ふふ、もふもふが一杯。うふ……うふふ」
「しまっ……!」
慌てるも既に時遅く、私はまた夜空に妙な奇声を……あげないために我慢しようとし、失敗した。
「ぅうにゃあああああああッ!」
◇
そんなハラオウン邸での一日から一週間が過ぎ、今度こそあの実習より続くリベンジマッチの開始である。
なんと言ってもイケ面君はなかなか目立つ存在なので、どこに居るかを知るのは簡単なことだった。人に聞けばいいだけなのだ。
今日も今日で女の子に囲まれている。
もっとも、よく見ればマスコット扱いなのは判るのだが。本人もちやほやされて満更でもなさそうなので、ある意味ハーレム状態と言っていいのかな?
「よぉ、相変わらずだな」
「ディン、ココット……ええと君は?」
そういえば前回会った時は何かごたごたしたままだったので、名前も教えてなかったか。
「ティーノです。今日は一つお願いしたいことがあって来ました……ディン」
「ああ。模擬戦を頼む」
「イケメ……失礼、先輩方に魔法を教導していただきたいのです。3対3の実習形式でお願いできませんでしょうか?」
さすがにディンの物言いはぶっきらぼう過ぎると思ったのかココットが口添えをした。
イケ面君はそのオレンジにも見えてしまいそうなブラウンの髪をなでつけ、少し考えたようだったがすぐに頷いた。周囲の人目も気にしていたのかもしれないが、断る理由もないのだろう。
明日の放課後、模擬戦室の予約をとってあるので、そこで行うことを告げる。
では、明日よろしくお願いしますと言ってその場を後にした。
その晩は景気づけというわけでもないが、私が腕を振るって鍋である。
そろそろ季節柄厳しいのではあるが、これだと卓上コンロとまな板をおけるだけの台があれば作れるので良いのだ。
場所は、私がよく木刀を振っている寮の裏庭に、倉庫に放り出されていた折りたたみテーブルを置いている。
ここならまだディンが飲み食いしていても問題なさそうだ。
ちなみに験を担いでちゃんこ鍋にしてある。別に相撲するわけではないが、鳥肉メインなのは確か二足歩行なので手に土つかないといったところから験を担がれていたはず。
白星を稼ぐという意味で白い肉団子を入れたりもするのだったか。
ミッドまできて何やってるのかとも思うが……こういうのは自己満足だ。いいことにする。
明日に備えて補給だー! とばかりにがっついていたディンだったが、段々ペースが落ちてくる。
何かと思っていたが、どうもナーバスになっているようで。
「いや、勢い任せで来ちまったけど、明日なんだよなあ」
クロノを信じないわけじゃねーけど……
と、時間をかけて刻まれた劣等感だのもろもろが蛇のように首をもたげてしまっているようだった。
私はココットに目配せをする。お前何とかしてくれと。
ココットは何か意味を変な風に受け取ったのか……目をまんまるに開くとメガネを外し、深呼吸を一つ二つ。まるで、ココット行きます! とでも言いそうなくらいに決意した目を私に向け一つ頷いた。
私は何かを決意したその目に気圧され、後ずさりをした。
な……何だか知らんが頑張れ……
「ディ、ディン、月並も良いところですが……かか勝ったら……その……キ……いえ、わたしのなどが褒美になるのでしょうかいやでも」
吹いたら悪いと思いながらも吹くところだった。
テンパっているココットに気付いたディンが、何だ? とばかりに振り向き、ココットはなおさら混乱度が増したのか……
「──ッ!!」
「──むぉ!?」
ココットがディンの唇を奪った。
「あっ……え、あの、さ、先払いですディン! これで明日は絶対負けません。因果律がひっくり返りました。結果が先に来たのですから明日は絶対負けないです!」
ココットが一息に言いはり、真っ赤になってその場で小さくなった。
ぷしゅうと音がでてきそうなくらいである。私の位置からはそのふわふわのハニーブロンドしか見えないが。
ココットの目の前に居るディンはそりゃもう呆然である。しかし段々理解が追いついてきたのか顔に赤みが差しはじめココットに負けず劣らず真っ赤になっていく。
私はもはや見てもいられず、こそこそと席を立った。右手には寝られないようならと、出そうと思っていたワインを持って。
我ながら馬鹿みたいな身体能力を無駄に使い、目についた木をひょいひょいっと登る。
座りのいい枝に腰を降ろし、ワインを口に含んだ。
「なんて甘酸っぱい……」
眼下の光景かワインの味か。
一つだけ判るのは、月明かりの中、木の上でワインを飲んで肩をすくめている少女というのは考えて見ると大層シュールだろうと言う事だった。
◇
肝心の模擬戦であるが。
何というかその。
うん。
「こんなに目論見通りいくとは……」
あっさり勝ってしまったのだった。高等部相手に。
昨夜、あんなことがあったので二人のメンタルを心配していたのだが、なんだか上手い具合にはまったらしい。
ディンのテンションはマックスである。青臭いのである。
戦闘の経過については、クロノの読み通りに事が運んだ。気持ち悪いくらいに。
まず最初にディンがイケ面君を撃墜。
その後は指揮を失って連携が一時的に取れなくなった二人を3対1の形で集中砲火。
単純にして簡単な事だった。わけがわからない。戦いは始まる前に9割が決まっているとかそういうのなのだろうか。
終わってみればあっという間だったのだが……
いやなんというか実感がない。
「ココットの月並みなアレが効いたのかねえ」
「テ、ティーノ!」
わやわやと冷やかす私に慌てるココット、をさておいて、ディンは床に腰を降ろしているイケ面君に歩み寄って言った。
「俺の勝ちだよな」
「……ああ、僕の負けだよ」
ディンはその言葉を聞くと大きく息を吸い、吐く。
どっかと床に腰を降ろすと深く頭を下げた。
「へ?」
「長らくつっかかっちまって悪かった! お前に負けっぱなしなのが悔しかったんだ」
実に直線。ストレートな言葉である。これには思わず毒気を抜かれたらしい。
「僕はてっきり君には嫌われているもんだとばかり思ってたよ」
「いや、俺が殻破れなかったのが原因だ、正直すまんかった」
仲直りしようぜと握手なんて交わしていたりする。しかしまあ……何ともかんとも。急展開に私も煙に巻かれた気分になった。
途中で名前を呼ばれたような気もしたがなんだったんだろうか。
ともあれ、せっかくの仲直りの舞台に水を差すのも野暮だ。
「ココット、祝勝……いや、復縁を祝ってのちょっといいランチセットでも買いに行こうか」
考えてみれば、何も関係してない先輩方二人にも付き合わせてしまっているわけだし。昼食くらいは出さないとこちらもちょっと申し訳ないのだ。
手持ちぶさたにしているココットを連れ出して店に走る。
しかし、本当に実感がない。
でも存外勝つ時というのはこんなものなのかもしれない。そうでなければ勝って兜の緒を締めよなんてことわざは産まれないのだ。
ただ、ここのところの密度の濃い日々は随分ためになった。
空を見れば既に初夏の日差しが出てきている。
時間が過ぎるのは早い。
入った当初はどんどん飛び級してやるぜなんて思っていたものだが、そうそう簡単でもないというのは判った。
「私も先の事をきっちり考えていかないとなぁ」
「ティーノ、先のこともいいですが目先のことも考えないと、あまり待たせるのは良くないですよ」
仰る通りなので、私は考えるよりもとりあえず足を動かすことを選んだのだった。