このミッドチルダに来て、日々の生活に余裕が生まれてからだが。少々思っていたことがある。
なんて、自分は微妙なのだろうと。
毎朝鏡を見るたびに思う。
さすがにこの身体になり、一年ちょっとも経って慣れてないとは言えない。
身長もかなり伸びて、今では137センチになった。と言っても平均からしたらまだ小さく、会うたびにリーゼ姉妹に頭をぐしゃぐしゃされるのはそのせいだと思っている。
顔つきはなんだかんだで整っていた。きっとにっこり笑えば誰もが振り返る良い笑顔になるのだろう。
私が笑うと微妙にしかならないのが悲しいところだ。
ちょっと声を出してみれば、鈴の響くような高い声が響く。合唱団も入れそうな良い声だ。
出す言葉がいちいち親父臭いのが微妙だが。
そんな私は魔法の方も割と微妙だったことにちょっとばかり落ち込んでいた。
いや、考えてみれば継戦能力という意味ではこの特殊技能というか体質はかなり有利なわけだし、将来的に局員になることを考えてみれば、現場において相当に役立つものになるというのはすぐに判る。
素人頭で考えてみても、補給が居るのと居ないのとでは作戦の成功率に大きく関わるというのは判るのだ。
では何が微妙かといえば……いやひどく子供っぽいこだわりでしかないのだけど。
できれば、漲るパワーで蹂! 躙! なんてやってみたい。大人げないと言われようがその欲求はちょっと否定できない。少年漫画の読み過ぎかもしれないがそれは置いておく。
先のクロノの出した最後の決め技とか見るともう、なんというか、ねえ?
線香花火が打ち上げ花火に憧れるようなもんだろうけども。
ぐだぐだしてくる思考を打ち払うように玄関に傘と一緒に差しっぱなしの木刀をもって寮の裏庭に向かう。
最近この素振りの習慣もすっかり現実逃避の手段になっているような気もしないでもない。
変な考えに浸ってしまったが、すっかり手にも馴染んだ木刀を二、三度振って落ち着く。これで落ち着ける私は恐らく女としては相当アレなのだろうけど気にはしない。
恩師とも言えるカラベル先生には申し訳ないのだけど、やはり今の私はあくまで「私」であって男とか女とかそういう枠に収められたくないような……うん、青春の主張っぽくなってきた。
色々不安定なのは、何も施設から離れてしまった事や、ここにきて明らかになった私の微妙な体質。あるいはクロノという年下なのにやたらすごい魔導師で開いた口が塞がらなかった事とか……
もちろんそれらの理由もある。当然だ。だがそれだけではない。
うん、むしろ他に大きな原因がある。
私は今年の8月で12歳ということになる。実年齢は判らないので、登録時にグレアムの爺さんに拾われた時を誕生日にしておいた。
肉体年齢はかなり適当に見た目で申請したのだが、その後の検査でも申請年齢と肉体年齢は大体合っていたようなので良いことにする。
──さて。
そろそろ現実を見ることにしようか。
朝方妙な感じだったのでトイレで痔だと思ったり、ちょっと押し出して血抜きかましてみたりごにょごにょだったのだが。
まあ、なんだ。綺麗に拭き取っても拭き取ってもこうして立っていると足に垂れてくる赤い液体。判ってる、判ってるよ。下着ひどいことになってたし。
「……とうとう、来てしまった……か」
現実をようやく直視したことで、私の全身の力が抜けた。
木刀を地面につきたて、ふらつく体を支える。
聞くほど苦しいわけでもだるいわけでもなかったが、ただ気分的な問題だ。
「はァ……」
聞いた人が酷く鬱陶しい気持ちになりそうな、大きいため息が漏れ出た。
「あれを出すか」
そうつぶやいてずるずると寮の部屋へ這い上がる。
何をと言えば前もって用意しておいた生理用品だが。
全く、自分がこれほど動揺するとは思わなかった。前兆なんかもちょいちょい現れてたので警戒はしてたつもりだったのだけども……
前もって準備だけはしていたし、自分なりに覚悟してたつもりだったのだが、これこそなってみないと判らないって事なんだろう。
あれの装着を済ませ、着替え、シーツを洗濯機に投げ込み、一息つく。
……朝から、何とも気疲れが半端無い。
ともあれ、私の月経がさほど酷い体調になるとかそういうのはなさそうなので良かったが。
ああ、時間もおしているし、そろそろ学校に行かないと。
◇
普段通りに……少なくとも表面上は普段通りに見えるように授業を受ける。
尻の下が気になったが、そこは仕方ない。いずれ慣れる……といいなぁ。しかし落ち着かない。非常に落ち着かない。世の女の子達はこれで平然としているというのか。
休憩時間になるたびに、椅子をちらっと見てみたり、少々トイレに行く回数が増えたりとしたものの、なんだ、まあ。無事に授業を終え、放課後を迎えることができた。
さすがミッド謹製。横漏れ無し。12時間完全保証の文字は伊達ではないようである。付け心地も何の素材なのか知らないがさらさらのままである。何かといえばナニカの事である。
ともかく一つ安心した。対処さえ間違わなければ普通に動けそうでもあるし。
気分を切り替えて、先日アリアさんに作成してもらった訓練メニューをふんふん見ながら歩く。
行き先はここネルソフ魔法学校の野外訓練施設……とは名ばかりのグラウンド場だった。先日アリアさんとクロノが暴れ回った施設とは雲泥の差である。こちらにはモニタリング設備は元より、結界機能どころか通話機能もない。
いや、もっと良い施設もあるのだが、当然ながら人気が高く予約制なのだった。
この場所は要するに使い道もただのグラウンド。運動場である。一応学校の敷地内ということで、学校で貸与されているデバイスとそこにプログラムされている魔法のみは使用可能とされている。
グラウンドでは授業も終わって、クラブ活動中の学生達が汗を流している。どこの世界でもスポーツの形はある程度似るようで、今見えているのはサッカーに似たような競技だったが。バスケットボールやバレーボールに似たような競技もあるようだった。あまり放送などでは流していないもののストライクアーツなんていう格闘技もある。ちょっと試合が放送されたので見てみたら、魔力強化したAランクらしき魔導師がガチガチの殴り合いをするといったものだった。うん、近接攻撃だとあまり非殺傷って効かないしね。そりゃもう普通に格闘試合で、これは確かにミッドじゃ放送しづらいというのは判った。
「さて、と」
アリアさんから渡されたメニューの通りこなしていくことにする。
というかあの猫さん、あの戦技教導隊の助っ人やってるだけあって、的確にツボをついてくる。
私の検査時のデータ把握してるからというのもあるのだろうけど、クロノを鍛えた手腕といいなかなか人を育てるのに向いているのではなかろうか。
書かれている事といえば、私にとっての最善は完全に魔力補給することに徹して、作戦行動の幅を広める事らしい。
何でも私のような存在が居ると低ランク魔導師の数を集めて弾幕を張ったり、一人の局員が撃てるありったけの魔法を撃って私がチャージ。撃ってはチャージ。なんていう酷い真似ができるらしい。
これはミッド式魔法の弊害でもあるようなのだが、基本、燃費が悪い。そのせいか、大威力の魔法は放てるが燃料不足のため一発で終わってしまうのでランクが低い、という魔導師も多いとのこと。
私のような、通常とは逆に出力が低くて魔力量が多い人はそうやって投入されることもあるそうだが、数が圧倒的に少ないのだとか。
その為のキモであるディバイドエナジーについての詳細、相手との波長の合わせ方、魔力ロスの低減の仕方などが図解で説明されている。
そして、それ以外の事……は基礎を地道にやっていくしかないようだ。長い道のりである。翼の隠蔽用魔法を覚えようとした時に散々味わっている道のりでもあるが。
例えば、魔力そのものの制御訓練、及び魔力運用の効率化。マルチタスクの制御訓練。
派手な攻撃魔法ばかりが目立つミッド式魔法であるが、基礎はそんな驚くほどに地道な土台だったりする。そして、魔法と言ってる割にやっていることは理系な内容なのでマルチタスク能力に秀でているかどうかもかなりの割合を占めてしまうのだった。私は精々が先日のクロノ君の十分の一程度だろうか。先日コピーさせてもらったクロノの設定はただのシュートバレットに30回もの制御判断が組まれていて、一々細かい制御をする仕様になっていた。私の才能の無さもアレだが、クロノの天才っぷりも相当なもんである。
単純計算で、私が一発の魔力弾を用意してる間にクロノは十発の魔力弾を。あるいは十倍の大きさの魔力弾を用意できるということになる。実際には他にも雑多な細かいことがあるので変動はするし、何よりそれがクロノの上限とは思えないが……まあ、ミッドの魔法というのはそういう、頭の作りが魔導師の強さに直結している部分というものがかなり大きい。
「しかしなあ……」
時折いろいろ放り投げたくなる気分が出てきてしまうのは仕方ないと思う。
制御訓練で、作った魔力スフィアをぐるぐる動かしているのを止めると、ばったりと仰向けに倒れた。
グラウンドの端っこは雑草もそのままなので、痛くもない。汚れるのは仕方ないが。
隠蔽してある翼をそろっと持ち上げて体の下に敷く。たまにやっているのだが、このふわふわ加減はなかなか良い。まったくよろしい天然布団である。
初夏を思わせる風が吹いてまた眠気を誘う。
そういえば羊を一匹羊を二匹の入眠方法は日本語では意味がないらしい。
「One sheep,Two sheep...」
このsheepの部分がsleepと被って眠りやすくなるのだ……とか、丁度……そう……こんな、感じに。
◇
「お……おぅ?」
……気付いた時には日が暮れていた。
ああ、いかん、寮監のおばちゃんに怒られてしまう。
いくらフリーダム極まりないこの学校とはいえ、仮にも教育機関。その辺はそこそこしっかりしている。慌てて、寮監のおばちゃんに端末を使ってメールを送っておく。一言の詫びも添えて。あとで施設近所の名産ワインでも入手してご機嫌をとっておくとしよう。
しかし、確かに寝付きはいい方とは言え、あれほどあっさり寝てしまうとは……これがあの日とやらの影響だろうか。
伸びして凝ってしまった体をほぐしながら、さて寮に戻ろうかと歩き出した時、グラウンドの端に魔力光が見えた。どうやら私の他にもこのグラウンドで魔法の練習をしているらしい。こんな時間までとは熱心なもんだと思い、興味を惹かれ近寄ると話声が聞こえた。どこかで聞いたような声である。
さらに近寄るとやっと人影が見えた。
このグラウンドも夜ももう少し灯りがあれば夜でも使いやすいのだが……夜目の利く私でもあまり見通せないのでは普通の人は大変だろうに。
いや、あまり夜に使いやすくしても調子に乗る学生が増えるだけかもしれないか。
「誰かと思えば……」
クラスメイトだった。
年齢は大体同じだったと思うが、平均からしても一回り大きい体躯の赤毛の少年が、その髪の色のごとき魔力光を迸らせ、的となっているのだろう小さな缶をよく狙い、よく狙い、放った……外れた。なんだか親近感を覚える。
「……づぁー、またかあ」
「今ので78射中69射がはずれです。そろそろその無駄な努力という名の特訓も疲れてきたのでは?」
気付かなかったが少年の後ろの花壇のブロックに腰を下ろしている少女の姿があった。
なんというか、うん、毒舌である。こんなキャラだっただろうか?
いつも読書ばかりしていて、休み時間になるたびに本を読みふけっている印象しかなかったのだが。
ここまで来ておいて夜目の利くこちらから一方的に見ているというのも何なので、挨拶くらいはしておくことにする。
特に洒落の聞いた挨拶なども思い浮かばなかったので普通にこんばんわ、と声をかけた。
2人とも一瞬ぎょっとしたように顔をこちらに向ける。驚かせてしまったようだった。
「……まさか俺以外にも試合にむかついて特訓してる奴なんか居たなんてなあ」
「実のところ休むつもりで転がってたら昼寝しちゃったんだけどね」
「ははは、あほだ! あほがいる!」
「なんでも明るく笑い飛ばせば済むと思わないでほしいのだけど」
そんな何でもないような事を話しはじめて10分。妙に意気投合してしまった。
そう、ついでのようで申し訳ないが、名前も思い出した。確か……
「ダンピール?」
「何その夜になると牙が伸びてきそうな奴」
「いや、おま……君の名前じゃ?」
無言で脳天をチョップされた。ディン・ヒルと言う名前らしい。そうだったそうだった。
棒読みのそうだったーが顔にでも表れていたのか、ディンは少し考え込むとじゃあ、こいつは? と花壇に座っている少女を指さす。
「……ええ、と。本野虫子さん?」
「そのネーミングセンスはねえよ」
突っ込まれてしまったが実のところ覚えている。
「ココットさんだったよね」
「はい」
ファミリーネームは覚えてないが、ココットというのは料理の方の言葉でシチュー鍋とか小鍋、耐熱容器で調理する料理の事を指したりもする。覚える基準が何とも私らしいがそこは勘弁してほしい。
何てことを隠すこともなく話したら、少々呆れられた。ちなみにファミリーネームも教えてもらった。ココット・フェアウェイさんらしい。
身長は私と同じくらいか少々低いだろうか。同じクラスでも数少ない私より低身長組である。ふわふわのウェーブのかかったハニーブロンドを無造作に後ろに流している。それだけだと華やかに感じるのだと思うが、飾り気のない黒縁フレームのメガネで至極目立たないというか地味な印象になっている子である。
2、3回は話したことがあったはず。年齢の割に話し方が丁寧語で言葉も少ない。そんな印象しかなかったのだが、先程の毒舌は気のせいだったのだろうか……
「なんでお前の名前はさらっと出てきて、俺の名前は吸血鬼モドキだったんだろうなあ」
「日頃の行いでしょう。具体的にはディン、いろいろ罪を悔い改めれば違ってくるのでは?」
罪、だと!? と後ろによろめくディン。しかしその後のフォローやボケ倒しはなく、完全にスルーされ、悲しげに最初の位置に戻った。
てかまあ、うん。
こんな人だったんだな、ココット、そしてディンは。
そろそろ二人も切り上げようと思っていたらしいので、一緒に帰る事にした。学校の敷地そのものが相当広いので、ここから寮まで20分は歩かないといけない。妙なとこで紳士ぶっているのか、ディンが夜道は危ないから二人を送っていくぜと言いだしたのだ。
ここはこのネタかと思い。にやりと笑い。
「送り狼になるのは勘弁な」
などと言ってみたら、何それ訳わからない。という顔をされた。当然だったかもしれない。子供になんてネタ振っているんだ私は。
真性の阿呆なことやっちまったーと、悶えることにならなかったのはひとえに、横から私の耳でしか聞き取れない程度の声でぽそりと……
「わたしは歓迎しますけどね」
というつぶやきが聞こえてきたからだったが。
冷や汗が流れた。今時の子はいろいろとその、耳が早いのだな。いや自分を棚上げして何を言ってるかというのもあるんだが、私はちょっと特殊なわけで、いやそもそもミッドの基準と地球の基準では性教育の水準が違うという観点はないか?
私が内心でうんうん首をひねっているうちに寮の灯りが見えてきた。
「お、おお。いつの間に……ともあれ、ディン君、送ってくれてありがとな」
「……ありがとうございます、ディン」
ココットはなんとなく取り繕った言葉の礼を言って別れた。
その後はお互いあまり話すこともないまま、ココットの部屋の前で別れる。
寮室としてそっちの方が女子寮の出入り口に近いだけだったが。
別れ際に、少し首をかしげたかと思うと一言。
「では、また明日」
とだけ言い残して。
何ともあれだ。うちの施設の年上のはずなのに同い年にしか見えないデュネットを思い出す。あそこまで不思議さんじゃないけども。
そういえば、そろそろ休暇のある日にでも里帰り、というか施設の方にちょっと戻るのもいいかもしれない。
まだ、それほど長い時間離れたわけでもないのに、妙に郷愁を感じてしまう。
ついでに赤飯でも振る舞うか……その風習、理解できるミッド人は居ないだろうけども。
◇
鹿を逐う者は山を見ず。ということわざがある。
鹿を追っている猟師は目先の獲物を追っている余りに、今進んでいる山を見ることもせずについ危険な領域まで立ち入ってしまうことを指し、ひるがえって、目先のことに気をとられて他に視線を向けることを忘れてしまっている時などにも使われる。そんなことわざだ。
今の私にはとても似合いの言葉かもしれなかった。
ディンとココット。少々暑苦しくもさっぱりとして割り切りのいい少年と、未だにちょっとディンとの関係が判らない文学少女というのがぴったりの金髪眼鏡。
この二人とは放課後の居残り魔法練習などを同じくやっていることもあって、何となく他の時間でも三人でいることが多くなってきた。
ディンがそんな練習してるのは単純な理由で、先だって行われた上級生との合同実習であっけなく土を舐めさせられたのが気に入らなかったらしい。やられたらやり返す! と、少年らしい瞳は気炎万丈。お前はどこの主人公キャラなのかと少し突っ込みたいところではある。
私はそこまで煮えきれていないものの、方向性は同じだった。ディンと共にリベンジ目指して練習することに意義はない。
ココットはディンと長い付き合いのようで、本人は魔法についての勝ち負けについても淡泊なようだったが、ディンがやるなら付き合うといったスタンスのようだ。
そんな、夜遅くまで過ごすときも度々あり、寮監のおばさんに頭の上がらない日々も既に一週間が経とうとしていた頃だった。
「よぉっし! この魔法と連携であいつらの包囲は崩せる。次の合同実習は貰ったぜ!」
何とか私たち三人での連携と一番攻撃力のあるディンの新魔法……砲撃のアレンジだが、を形にすることができた。ディンの喜びもひとしおである。もっとも、この場所ではアレンジも含めて砲撃系の魔法は最終的なテストもできないのではあるが。やはり一回模擬戦ルームの使用を申請して、連携のタイミングも含めて確認をとったほうが良いだろうな。ぶっつけ本番とかは勘弁だし。
などと、つらつら考えているとココットが一言。
「……ディン、合同実習を睨んでの訓練でしたか?」
「え、ああ? てかそれ以外に何があるよ?」
いきなり何を言い出すのかと疑問符を目に浮かべるディン。
「聞かなかった私も大抵の間抜けですが……カリキュラムの大まかな日程すら把握していないあなたはそれ以下です。あの一回以降、合同実習の予定はありませんよ」
「は……?」
「え……?」
あなたもでしたか……と頭痛をこらえるかのようにこめかみに指を当てるココット。
私はといえば、埴輪のような顔になっていたかもしれない。
そういえば、そういえば。
カリキュラムを思い出す……うん。ないな。
何という視野狭窄。目標確認もしないで熱を上げていたとは。
私はがくりと膝を落とし、地に手を付けた。
うん、まったく。
鹿を逐うモノは山を見ず、なのである。
ディンに至っては放心している。やがて、むんと何かを決めたかのように唇を引き締め。
「こうなったら上級生を闇討……テブッ!」
ココットの放つ抜き撃ちの魔法弾が顔面に当たった。
あれは痛い。というか早すぎる。練習していた中でも最速の抜き撃ちではないだろうか。何というガンマン。
「あなたは真性の馬鹿ですか、馬鹿ですね。知っていました。今更人並みの理解を求めようとは思ってません。ただ、こういう時は先輩に模擬戦をお願いすればいいだけでしょう」
闇討ちなんかしたら後始末が……とかいう小さいつぶやきは聞き流すことにした。私の精神安定のために。
「おお、その手があった! よっし、早速行ってくるぜ」
と、ディンは飛び出して行くのだった。
何となく流れに乗りそびれた私は未だぽかーんとしていたが。
◇
結果から見れば。上級生にはしっかり教えを乞うことができた。
ディンが言うには適当に暇そうにしてる高等部の先輩に頼んだらしい。
以前見たアリアさんとクロノの模擬戦のような、とんでも技術やとんでも魔力というわけでもなく、魔法の一つ一つがそれなりに上手いのである。それに使い方も上手い。そのやり方もまたさらに先輩から盗んだものなんだよと爽やかに笑って、快く教えてくれた。
私達三人相手にこと細かに、魔法の効率の良い使い方、ちょっとした裏技的なやり口などをしっかり3時間もレクチャーしてくれたのだった。
夕焼けの中、にこやかに手を振りながら去る先輩はなかなか絵になっていたものである。
「なんていい人だ……」
私も含め三人でほんわかしているも、ディンはふと我に返ったのか。
「ち……違うだろ! これは違う! リベンジしてねええええええええッ!」
叫びおった。人目が……視線が痛い……
ココットはこめかみに指を当て頭が痛そうにしている。
ちなみにここは高等部の敷地内である。
ここまで付き合ってくれたのでせめてもと先程の先輩を見送った所だったのだ。
俺もあのくらいの時はあんな時もあったなーとか、うわ叫んでるよ可愛いーとか、そんな声もこの耳は拾ってしまったりするので、何というか恥ずかしいというよりはいたたまれない。
このままなのも何なので、まだガルルと唸っているディンの腕を掴み、ひとまず高等部から離脱しようとした矢先だった。
「何を騒いでいるんだディン?」
明るいブラウンの髪を伸ばした人が、そんな声をかけて歩みよってきた。
少年っぽい顔立ちでなかなか柔和な顔つきをしている。造作は整っていてイケ面君とでも言った方がぴったり来そうではある。
んん? 何か見覚えが。
「……ちっ、てめえかよ」
何やら急に不機嫌になるディン。
知り合い? とディンに訪ねてみたのだが、どうも複雑らしく。
「知り合いなんかじゃねえよっ」
とか言って横を向いてしまった。完全にぶんむくれている。わけわからんのである。
さすがにそこまで言われては良い気持ちもしないようで、イケ面君も渋い顔になっているようだ。空気が悪いんだが。挟まれている私はどうしたらいいのだろうか。
ココットに目で「タスケテー」とサインを送るとココットはココットでイケ面君を見てるし、孤軍も良いところだった。
何だろうコレとか思っていると救いの手は意外なところから現れた。それが救いかどうかは微妙な線だったのだが。
「なぁにやってるの?」
「こんな所でたむろってないで早く行こ」
「店の予約に間に合わないよー」
きゃいきゃいと高い声、甘い声、しっかりした声が聞こえる。
彼は女の子を待たせていたのだろうか……しかし、三人同時に侍らすとは豪華な……
「あ、ああごめんよ、ちょっと以前の知り合いが見えたもんだから」
待たせちゃったね、とか言いながら去ろうとするので私はどちらかというとほっとしたのだが……
「ッ……待てよ」
ディンが引き留める。イケ面先輩が何かと振り向くと、思わぬ行動にでた。
「お、おお、俺だってなぁッ……負けねえッ」
そんな事を言い切ると何を思ったか近くにあった私の腕を掴んで引っ張る。右手が頭の後ろに回され、目を硬くつむったディンの顔が迫る。
ふっと頭に、昔読んでいた好きな漫画の一部分が思い出された。ズキュウゥゥン! という擬音が特徴のあの一場面である。名前が近いからって上手く行くとは思うなよ! と私自身も少々謎のテンションに支配されながら右腕をその迫り来る顔にカウンターとして合わせた。
ドッギャーンと擬音が高らかに出そうな感じで吹っ飛んでいったのは驚いたが、振り向けばココットが青筋を立て、デバイスをちらりと見せる。私のカウンターに合わせて魔法を撃ち込んだらしい。相変わらずよく判らない早業だった。というか校内での魔法使用は……
いやしかし、何なんだこの状況。もはやコントの舞台になってしまったので、苦笑いを隠せないイケ面君と笑いころげる女の子達三人組。
なんだかもうぐだぐだになってしまった空気を感じ、ディンを回収する。
「それでは失礼しましたー」とばかりにそそくさと離脱したのだった。
◇
「で、言い訳を聞こうか」
場所を移して尋問タイムである。
尋問に相応しい校舎裏である。
飼育小屋で飼われている鶏が物珍しげにこちらを見ていた。
「つ……」
つ?
「つい負けん気が疼いて……」
ああ……イケ面君が女侍らしてたからか……
しかし腑に落ちない。
「でもディンはなんで、あのイケ面君に直接喧嘩売らなかったの? 模擬戦だ! とか言い出しそうなもんだけど」
「今度は『イケ面君』か……相変わらずネーミングセンスが……」
「しゃらっぷ」
みなまでは言わせん。そんなん自分が一番知ってるわ。
で、なんで? と重ねて聞くとそっぽ向いてしまった。どうも突っ込まれたくないポイントらしい。
ココットを見ると、親指を立てている。
何かよく判らないが任せると。
「バインド」
ディンを魔法で縛り上げ、後ろに回り込み、きゅっと締めて気絶させてしまった。
恐るべき手際である。
「これでお仕置きにもなりますし、ティーノ、あなたには話しておいた方がよさそうです」
「お、おう……」
若干びびりが入ったのは責めないでほしい。少年が小柄な少女に手際よく気絶させられるのを目撃すれば戦慄するものだと思う。
まあ、なんだ。
聞いてみれば、ディンは割といいとこの出身で魔法教育もなかなかの英才教育を受けてきたらしい。
じゃあなんでこんな言い方は悪いが金の無い庶民が入るような魔法学校に来たのかと聞けば。
「……親に反発して家出したからです」
「あー、そういう事情の人も居るわけか」
そしてディンと出会ったのが同期で入学したあのイケ面君である。
そう、驚くところはあやつ同期だったらしい。
確かに高等部にしては背が小さかったが普通に馴染んでいた、いや、そうなるとあのイケ面君、今11か12歳? ありえん。
驚くべき事はもちろん他にもあり、飛び級を繰り返して、一年ごとに進級しているディンを完全に置き去りにしている形なのだそうだ。
最初はディンもよく一緒にいて、魔法を教えたりして仲も良かったらしいが、魔法なんて学校で初めて教わるはずだったのにことごとく上を行かれ、飛び級を二度した時には既に二人の仲は冷え切っており、ディンも最初は努力を繰り返したもののどうしても勝てず、苦手意識ばかりがすり込まれてしまったらしい。
「すっかりヒネてしまって……これだからボンボンは精神力が弱いから困るんです」
そう言ってココットはディンを見る。
その目がやたら優しい事に本人は気付いているのだろうか。
しかし……家出したいいとこのぼっちゃんに、それを知ってる古馴染み……か。まったくもってお熱いことである。ちょっとだけ口を挟んでみることにした。
「でも、飛び出してきちゃったディンを追いかけてくるココットもココットだよね」
「わ、わたしは……その、下請けの娘ですから……父様の思惑も……い、いえ、嫌なわけじゃなくて。ち、小さい頃から遊んでて、え、えっと他意はなくてですね、え、あれ?」
ココットは程よく混乱しているようだ。言わなくても良い事をぽんぽん口にしている。ごちそうさまだった。
しかしここまで反応が良いとは思わなかった。普段本に熱中してあまり人と話さない分慣れてないのか?
やがて赤くなった顔のままうーうーこめかみを指で押していると少し落ち着いたのか、顔を向けてきた……少し恨めしそうな表情をしている。なんとも可愛いものだった。いけない道に入ってしまいそうである。
「わたしがディンと幼なじみなのは確かです。ですが、別に追いかけてきたわけでもありません。偶然です」
そういう事にしたらしい。
私も変にほじくり返す趣味もない。いじりはそこまでにしておくとしよう。
それより。
「よし。事情が判ったところで、改めてあのイケ面君に一泡吹かせる作戦でも練るとしようか」
と私は言った。
ココットは軽く目を開き、ディンを見てつぶやく。
「でも、大変ですよ?」
時間かけてすり込まれた苦手意識の克服なら……うん。ショック療法だが。心当たりがある。
私は端末を起動させて、エイミィとクロノにメールを入れておいた。
不思議そうな顔をするココットに不器用にウインクなんてしてみせる。そんな気分だったのだ。
……あのイケ面がどこか記憶で燻っていたのだ。
先程思い出した。見た覚えもあるはずで、合同実習の時、私を撃破した上級生その人だった。
全く表情が違うので印象が被らなかったのだろう。
あの時はあんなに穏和な表情でなく、罠にかける猟師の顔をしていたものだった。
ともあれ、ここからは私自身のリベンジでもある。
まずはこの二人をあのとんでも魔導師。
私達より2つも下ながらとんでもない実力をもつクロノに会わせてみることにしよう。
……訓練を見るだけで常識を破壊される気分を彼らにも味わってもらおうなんて下心はない。ほんの少ししか。