闇夜に佇む廃城の前に僕らはいた。雲の隙間から覗く白い月が、その崩れかけた城門を不気味に照らし出す。
あれから――昼前までぐっすり寝た僕たちは、もう一度軽く話し合って、町で装備とアイテムを整え、ランクマッチでRPを貯めて、少し休憩してからここに来た。
『ノーランドの城』
城門の前にあるアウラポイントでHPとAPを回復しながらその不気味な城を眺める。
「気味が悪いけどさ、どこか美しくもあるよね」
深く被ったフードを少し持ち上げてサクが言った。
「わかるけどさ、それより気になることがある」
「え?」
「サク、いつまでフード被ってるんだ? もう顔を隠す必要なんてないだろ」
サクは目を隠すようにフードを深く被る。
「ボクらは人が死ぬゲームの中にいるんだ。どこで恨みを買うかなんてわからない。生き残って現実に戻ったときを考えると、顔を晒すのは得策じゃないよ」
「なるほど……」
確かに、サクの言うとおりだった。恨みを買って現実で報復に来られたら……。
「イチも隠した方がいいんじゃないかな」
「……僕はいいよ。こんなゲームの中にいるからこそ、ちゃんと顔を見せて歩きたい。だってそうだろ、はじめから顔を隠してたりしたら、やましいことがありますって言ってるようなものじゃないか」
「顔を晒すからこそ得られる信用がある。キミらしいね……。クズはどうだい?」
とサクはどこか自嘲気味にクズに話をふった。
「あ? 現実でかかって来るなら来いよ。歓迎するぜ」
クズは鼻で笑った。
「はは。これもクズらしい答えだ。なんだか君たちを見ていると自分がどうしようもなく小さく見えてくる。でも、ボクはフードを被っていた方が楽だから……」
そうだった。いつも三人で普通に話していたから、僕はサクのことをすっかり忘れていたのだった。
「サクはその方がいいと思うよ。大丈夫か?」
「ありがとう。今のところ心配いらないよ」
サクの唇が薄く笑みの形を作った。瞳はフードの奥に隠れて見えない。
「さて、今日の狩りについて最後の確認をしようか。クズはどうせ今までの話をまともに聞いてこなかっただろうし」
「あ? 聞いてやるから手短に話せよ」
「はいはい。ボクらの狙いはこの『ノーランドの城』にいる亡霊ノーランド、たった一体だ。ボス扱いだから経験値は高い。一体で今日の安全圏にいけるはずだよ」
「楽勝だな」
「ま、ボクらなら大して苦労せずいけるだろうね」
こいつらの自信はいったいどこからくるんだろうか。
「問題はこの狩り場にどれだけ人が集まるかだったけど、これも運がいい。ボクらしかいない」
城の前のアウラフィールドにはこの三人しかいない。この狩り場の推奨レベルは10以上。サク曰く今日の安全圏はおそらく4らしいからここに人がいないのは当然といえば当然かもしれない。リスクが高いのだ。でもそれを覚悟で狩りに来るプレイヤーがもう少しいると思ったのだ。人と同じ狩り場で、人と同じように狩っていては生き残れない。まだそれに気づいている人が少ないのだろう。
「城に入るとすぐに亡霊ノーランドとの戦闘に突入するけど、それはイベント戦闘で倒せないんだ。攻撃を避け続けて、最後の広間にたどり着けばノーランドが姿を現してダメージが通るようになる。そこで倒すんだ」
「めんどくせえな」
「そういうイベントだから仕方ないよ。最後の広間に着くまでは無駄な攻撃はしないようにね」
「ちっ、わかったよ」
「頼むよ。みんなそろそろ回復したかな? ボクはしたよ」
「俺も終わった」
「悪い、僕はまだだ」
予想通り、この中で僕が一番弱くなっていた。その差をこうしてみせつけられると、すぐに新しい環境に慣れて、新しいことを取り入れられる器用なこいつらが羨ましくなる。前のゲームでは肩を並べて戦ったのに、現実は残酷だ。
「足手まといになるなよ、糞雑魚」
「イチはしょうがないよ、被弾覚悟の戦い方なんだから」
クズの罵声より、サクのフォローが心を抉る。
「イチが回復するまで少し攻略に関係ないことを話すよ。せっかく調べたんだから聞いてほしいんだ」
僕は無言で続きを促した。
「ノーランドは昔、闘技場で頂点まで上り詰めた戦士だったんだ。本当だったら闘技場にその名が刻まれているはずの偉大な戦士だった。だけど彼の名は抹消された」
「なぜ?」
「莫大な財産と名誉を手にして、こうして小さな城を建て、美しい妻と子供に恵まれた彼は、なぜか教皇に反逆したんだ。理由はわからない。当然ノーランドは殺された。死の間際まで教皇を恨み続けたノーランドは、亡霊となって愛用していた鎧に憑き、今も城をさまよっている」
「回復終わった」
「了解。この話には続きがあるんだけどまた今度にしようか。さて、準備はいいかい?」
僕は頷いて三人ほぼ同時に立ち上がる。そして指輪を前に突き出して、崩れかけた城門にあるRP制限300以上の結界を越えた。
城内は廃墟だった。大きなエントランスだったであろうそこは、天井が崩れ落ち、屋外と変わらぬ月の光が射し込んでいた。
主を亡くした城。静寂と、儚い美しさがそこにあった。
『――教皇の犬が……我が城を荒らす者は誰一人許さぬ……』
どこからともなく暗い声が聞こえてきた次の瞬間、何もない空間を切り裂いて、巨大な紅い剣が現れた。
三人同時に跳ぶ。直後、その空間を暴力的な剣戟が凪ぎ払った。
クズが真っ先に反応し長刀で反撃する。しかし空振った。そこにあった紅い剣はどこにも見あたらない。代わりに黒い霧のようなものが残像のように残っていた。
『――死ね……盲目の愚者よ……』
「構っても無駄だ、走るよ!」
サクが素早く駆けだし、僕らもその後に続く。サクは目的の場所がわかっているようで、薄闇の中を迷い無く進んでいく。が、サクの足は僕らのそれよりずっと遅かった。
「遅えぞバカ!」
サクに追いついたクズが叫ぶ。
「キミたちと違って身体強化スキルを使ってないんだ! しょうがないだろ!」
「さっさと使え!」
「やだよ!」
「ぶっ殺すぞ!」
「やめろクズ! 黙ってサクに従え!」
クズは僕を振り返って睨みつけた。だけどそれ以上口を開かなかった。何か理由があると察したのだろう。僕はわかっている、サクが身体強化スキルを使いたがらない理由を。それは僕が回復スキルを使いたくない理由と同じものだった。
僕の先を走る二人は、何もない空間から突然襲いくる紅い剣を、まるではじめから知っているかのように避けながら、変わらぬ速度で走り続ける。サクはもしかしたら剣が来るタイミングやパターンも調べているのかもしれない。でもクズは絶対に知らないだろう。にもかかわらず、これほど危なげなく避けるのはさすがとしかいいようがない。僕には絶対にできない。天性のプレイヤー性能を持つクズだからこそできるのだ。
結局、サクとクズは一度の攻撃も受けずに最後の広間に着いた。僕も直撃はないものの、何度か剣戟が身体を掠め、HPは残り七割まで減っていた。
『――なぜお前たちはそれほど愚かなのだ……』
天井の崩れ落ちたその部屋に入ると、絶え間なく襲ってきていた剣戟が止んだ。ここは居間だったのだろう。大きな暖炉の前に薄汚れた大きな絨毯が敷かれ、その上にいくつもの破れたソファーが転がっていた。
『――まだ見えぬのか……その目は飾りか……盲目は罪……死をもって償え……』
暖炉の前に、黒い霧が集まった。それはやがて人の形をとり、全身を黒い鎧で覆った騎士をつくり出した。騎士は両手で巨大な剣を構える。紅い片刃に黒い霧が絡みつく。
『――我は魂砕きのノーランド……この城は誰にも渡さぬ……』
「来るよ」
サクがそう言ったと同時に、ノーランドが凄まじい速さで間合いを詰める。狙いは――サク。
だが、クズがその間に割って入った。クズはノーランドの横凪を、長刀で受ける。
バカ、折れるぞ!
が、クズは自ら後ろに下がり、その膨大な破壊力を秘めた一撃を受け止めた。
「ようやく姿見せやがったな、チキン野郎」
クズは即座に重心を前に移動し、長刀を振る。それは的確に分厚い鎧の隙間を切り裂いた。
『があああああぁ――!』
雄叫びとともに繰り出されたカウンターの返しも、上体を反らして悠々と避ける。そしてクズの左手にはいつの間にか光玉が。
――遠距離攻撃スキル。
クズが投げた光玉はノーランドの兜に直撃し、爆発した。ノーランドが顔を押さえてよろめく。
呆れるほど見事な一連の動き。その場で思いついたことをそのままやる、変態的なセンスの固まり。これがクズだ。
「クズ、死にたかったらその場に留まれ!」
サクの叫び、その直後、クズのそれとは比較にならないほど大きな光玉が、隙だらけのノーランドに炸裂した。
「危ねえ! 死にかけたぞこの野郎!!」
かろうじて生き延びたクズがサクに吠える。
「ちゃんと注意しただろ!」
注意のしかたが絶対におかしい。
僕は言い争う二人を放って、爆煙で姿が隠れたノーランドに向け駆ける。
確か、この辺り。
ノーランドの影に大剣を振り下ろした。手応えあり。
僕は追撃はせずに煙から出て視界を確保する。
そして煙が流れるのを待った。
煙が消え、姿を表したノーランドは、兜が割れその下から黒い霧が漏れ出していた。左腕も落ち、右腕一本で巨大な紅剣を支えている。
「いいねぇ、頑丈なサンドバックは好きだぜ」
「ボクはさっさと終わってくれるほうが好みだね」
クズは再度接近して斬り合い、サクは合間を縫って離れたところから光玉を投げ、僕は隙を見つけて大剣を叩き込む。たったそれだけのシンプルな動きに、ノーランドは蹂躙されていく。
これが僕らの戦い方。自分のやりたいことをやっているだけだ。チームワークなんてない。だけどタイプが全く違う僕らはそれで自然とうまくいく。そしてなによりも、肩を並べて戦った互いの実力を認めているのだ。その信頼が足りないチームワークを補う。
何度目かも分からないサクの光玉を受け、ノーランドが吹き飛ばされた。
「そろそろAPが切れる」
サクの声には少しだけ焦りが見える。クズは何も言わないが、先ほどまでの余裕は見えない。
僕もそろそろまずいな。
ノーランドの鎧は見る影もなくボロボロになっていた。大量の黒い霧が、鎧の隙間から漏れ出している。
ノーランドはぎこちなく立ち上がり、構えた。今までとは違い、天高く紅剣を持ち上げる。黒い霧がその剣先に集まっていく。見るからにやばそうだ。
「魂砕き……」
ぽつり、とサクが言った。ノーランドだけが持つ、オリジナルスキル。その一撃は魂さえ砕くと言われていたらしい。サクにそう聞いた。
「絶対に当たっちゃだめだよ、死ぬよ」
鋭くサクは言った。クズもあれをまとに受ける気はないようだ。一歩後ろに下がる。
僕は逆に前に出た。
「ちょ、ちょっとイチ!」
まかせとけ、と手を振ってサクを黙らせる。
勝算はあった。大上段に構えたノーランドの攻撃は読みやすい。振り下ろす、それだけだ。
僕は躊躇無くノーランドの間合いに踏み込んだ。予想通り紅剣が振り下ろされる。
僕は大剣を斜めに構え、その攻撃を受けなが――せない。
「へ?」
ノーランドは僕の大剣をまるで豆腐のように切り裂いた。
嘘!?
紅剣が僕の肩口に食い込む。僕は両断される。そう確信した。
が。
直前で横から飛んできた光玉が紅剣に当たり、軌道をズラす。僕は爆発に巻き込まれて吹き飛ばされた。
「何やってんだイチ!」
倒れた僕をサクが抱き起こす。
「死にてえのか!」
クズがノーランドに切りかかっていく。僕はそれを呆然と眺める。
しばらく煙の中で甲高い音が鳴り響き、煙が晴れるとそこには床に倒れたノーランドと、それを悠然と見下ろすクズがいた。
『――アイリス……』
そう呟いて、ノーランドは消えた。黒い霧が僕ら三人に吸収される。
「なにやってんだおまえ」
呆れ顔でクズが振り返った。
「いや、攻撃を受け流してさ、格好良く反撃とか――」
「あれを受け流す? できるわけねーだろ、バカじゃねーのか」
ぐ、クズに言われると腹が立つ。僕は助けを求めてサクを見た。
「イチ……」
サクはなぜか悲しい瞳で僕のことを見ていた。
「キミは……もしかして……」
白く細い手を伸ばして、僕の額に触れる。そして、
「ウィルス起動してんじゃないの? 脳味噌壊れてるよ」
と、凄まじい嘲笑を浮かべて言ったのだ。
僕はサクの手をはねのける。
スカッ
空を切った。
「さわんな、おっぱいめ」
やれやれ、と首を振るサク。
「僕はおまえ等と違って器用じゃないんだ、やってみないと分からないんだよ」
「これだからプレイヤー性能低いやつ見てるとイラつくんだよ」
「わかるわかる。味方だと思うからだめなんだ。いっそ敵だと思って見たら笑えるかもよ」
「殺しちまうわ、それ」
こいつらひどすぎる。確かに僕の行動は軽率だった。反省もしている。けどここまで言わなくてもいいじゃないか。
「さて、先に進むとしますか」
サクが歩き出す。
「先?」
「奥の部屋だよ」
サクは大きな暖炉の中に入り、そこに隠されていた扉を開ける。僕とクズは続けてその奥に入った。
そこは月の光が入ってこない暗闇だった。天井が崩れていないのだ。
と、暗闇を光が照らす。サクが光玉を作り出していた。
「うおっ!」
クズが驚きの声を出す。
光玉によって照らし出されたそこは小さな部屋だった。中心に簡素なベットがある。そこに、一体の骸骨が寝ていた。
死んで長く経っているのだろう。白骨になっている。ドレスのようなものを身につけているが、ボロボロ朽ちていて、果たしてそれが本当にドレスだったのか定かではない。そして、骸骨の胸に錆びた剣が突き刺さっていた。
「驚かせやがって」
クズは長刀を抜き、骸骨に歩み寄るが、
「さっきの話の続きをしよう」
唐突に話し出したサクによって、クズの動きは止められた。
「亡霊として蘇ったノーランドは真っ先に自分の城に戻った。家族を教皇の兵から守るために。しかしそこでノーランドが見たのは、隠し部屋で刺し殺されている妻の姿だった。ノーランドは深く悲しみ、嘆いた。しかし同時に希望もあった。最愛の娘の姿が見あたらなかったからだ。彼は娘を捜した。探し続けた。でも――ついに見つからなかった。だから彼はここに留まり、この城を守りながら待っているんだ。いつか最愛の娘、アイリスが戻ってくるのを……」
キン、と音が鳴った。クズが長刀を鞘に収める音だった。
「そんなくだらねえ話のためにわざわざこの部屋に入ったのか?」
「はは、もちろん違うよ。目的はこいつさ」
サクは骸骨の手を探り、そこから指輪を取り出した。
僕はサクが持っているその指輪を覗き込む。大きな宝石がついているそれは、僕たちのもっているものと同じだった。RPが刻まれる指輪。
「すごい、カンストしてる」
数字は9999を刻んでいた。
「闘技場で頂点をとったノーランドの指輪さ。ま、さっきの亡霊は当時の強さをなくしていたようだけどね。教会はこれを結構な額で買い取ってくれるらしいよ」
指輪にはうっすらとノーランドの名が刻まれていた。
「これ、売らなきゃだめか?」
「どうしたんだい? この指輪は主のノーランドしか使えない。売る以外の用途はないよ」
「わかってるけど……」
「これが手に入るのは一つのパーティで一度だけだ。でもその一度で必ずドロップするから、レアアイテムってわけでもないよ」
「……持ってた方がいいような気がしただけさ。サクが売りたいならそれでいいよ」
サクは「はあ」とため息を吐いて、
「今すぐ売らなきゃいけな理由もないから、とりあえずとっておくよ。それでいいかな?」
「悪い、ありがとう」
その後、僕らは来た道を戻り、アウラポイントに入って回復するのを待った。
「おい、これドロップしたからお前が使えよ」
アウラポイントで寝そべりながら、クズが取り出したのは紅い大剣だった。ノーランドが使っていたものだ。
「いいのか?」
「武器壊れてんだろ。俺はそんなデカブツ使わねえよ。売るよりはお前が使った方がましだ」
僕はその紅剣を受け取る。前の大剣より重かった。
「サンキュー」
あ、そう言えば。
僕はメニューを開けた。
「みんな、レベルはいくつだ?」
「全員4だよ。ランキングで確認した。安全圏に入ってるから安心しなよ」
僕はほっと一息つく。
「さすがサク、早いな」
「それより、スキルはどうだい? ボクは遠距離攻撃のレベルが上がったけど」
「僕も身体強化のレベルが上がった」
そのおかげでスキルの効果も上がり、時間も長くなったようだ。これで紅剣も振れるだろう。
「クズは?」
僕らは同時にクズの方を見る。クズは無言だった。
「おい、どうしたんだ?」
クズは少し口を動かして、
「……が上がった」
なんだって?
「HPとAPが10ずつ上がった……」
「……それってスキルなのか?」
「スキルって書いてある……」
悲しい声でクズは言った。どう考えてもゴミスキルだ。
このゲームはステータスが二つしかない。APとHPだけ。それはレベルが上がると、どちらか一つを10上げることができる。初期値は100で、僕は今までHPに全振りしてきたからHP130、AP100だ。わざわざスキルで上げなくてもレベルアップで十分なのだ。
「おかしいだろ! なんで俺だけこんなゴミなんだよ!」
「当然さ。調べてこないキミが悪いよ」
「あ? どういうことだ?」
「ボクは今まで遠距離攻撃のスキルしか使ってない。回復と身体強化は封印している。イチは身体強化だけだろ?」
僕は頷く。
「キミは見たところ身体強化と遠距離攻撃を使っている。まさか回復は使ってないよね?」
「……使ってねえよ」
「よかった。使ってたら本格的に終わってるところだ」
サクは説明を続けた。このゲームでは誰もが、身体強化、遠距離攻撃、回復、この三つの基本スキルを最初から使うことができる。どれも戦闘では欠かせない便利なスキルだ。すぐにでも使いたくなる。でもそれは罠だった。
このゲームでは使ったスキルやステータスの振り方、その他プレイスタイルに応じて手に入るスキルが変わるのだ。中でも使用スキルによる取得スキルの変化が特に重視されていた。どれか一つを使い続ければ、その方面に特化したスキルがいち早く手に入る。逆に多くのスキルを使うと、性能のいいスキルは手に入らなくなり、スキルの入手も遅くなる。
このゲームでもっとも重視されているのはプレイヤー性能だが、次に来るのがこのスキルで、その後にレベルと装備が続いていく。つまり、スキルの選択は結構重要なのだ。
「つまりあれか、一点特化がいいのか」
「そうでもないよ。二つでもそこそこいいスキルが確認されているし、何より戦術の幅が広がる。でも三つだと器用貧乏の誕生だね」
「ダメージ食らわなくてよかったぜ……回復するところだった」
「おい、もしかしてクズ、今までノーダメか?」
「ノーダメに決まってんだろ。誰にもの言ってんだ?」
「ちなみにボクもノーダメだよ」
ああ。これが絶対的プレイヤー性能の差というものか。
「だからクズは回復スキルの使用は控えた方がいいよ。もちろんボクらもだけど……正直誰も使わないってのはどうかと思う」
「危険すぎる」
「うん、狩りの効率も下がる。絶対いた方がいいよ」
「俺は嫌だぞ。お前等がやれよ」
僕とサクは顔を見合わせる。絶対嫌。顔にそう書いてある。
「一度でも回復スキルを使うとオリジナルスキルへの影響がすごいんだ。もちろん悪い方で」
「オリジナルスキル?」
「スキルを成長させていくと、ボクたちはたった一つだけ自分だけのスキルを入手できるんだ。ノーランドが使った『魂砕き』がそれさ。あのスキルは刃に振れたものすべてを切り裂く。どんな強力な装備を身に纏っても、もちろん受け流そうとしても無駄さ。そんなもの関係なく全てを切り裂くんだ。システムに約束された絶対の一撃だよ」
サクはチラリと僕を流し見た。このやろう、どうせ僕には受け流せなかったよ。
「オリジナルスキルは強力だけど、それだけ入手も困難だ。例えば、回復スキルを使うと、まずオリジナルスキルが手に入らない。回復特化なら話は別だけど、ボクらにはもうその道がないからね」
だから回復役をこれほど嫌がるのだ。死んだら終わりのこのゲームで、信頼できる回復手段の確保は最優先だ。それはわかってる。でも。
「僕は嫌だ」
「ボクもだよ」
僕とサクは睨み合う。
「近接特化だとやっぱ向いてないよな。遠距離特化の人とかやるべきだと思うな。ポジション的に回復役に向いてるし」
「近接特化の人も意外と向いてるかもよ。自分の限界を自分で決めるのはよくないね」
「どっちでもいいからやれよ」
こいつは。自分は関係ないと思いやがって。
「キミがやればいいんじゃないか? 究極の器用貧乏になれば?」
「クズならきっとできるよ。なんたって僕とは違ってセンスの塊なんだ。僕が保証する。だからやれ」
「ふざけんな、ぜってーやらねーぞ」
僕ら三人は互いの顔を睨みつけた。そして、
「お前ら協調性って知ってるか?」
「てめーら協調性って言葉も知らねえのか」
「キミたち、協調性を学んだ方がいいよ」
同時に言った。誰も協調性がなかった。
「……よーくわかった。僕らは全員戦闘狂だ。サポートする気なんてさらさらない、自分のやりたいことしかやらない。いいさ、だったらこれでいけるところまでいこう。最初に音を上げた奴が回復役だ」
「話し合いじゃ絶対に決まらないだろうしね。いいよ、それで。最初に音を上げるのはイチだと思うし」
「俺もそれでいいぞ。どうせイチがやるんだろ」
こいつら、絶対に見返してやるからな。
僕が熱い決意を胸に、サクとクズを睨みつけたその時、三人の冒険者らしきプレイヤーがこのアウラフィールドに入ってきた。
「今から挑戦するのか? 俺たち先に行ってもいいか?」
リーダーらしき茶髪の剣士が、一番近くにいたサクに話しかける。
「あ……う……うん」
サクはフードを深く被って、声にもならない声を上げた。
「え? なんだって?」
「う……あ……う」
サクはフードをギュッと握りしめて縮こまる。
こりゃだめだ。
僕はサクと剣士の間に入った。
「僕たちはもう終わったから、どうぞ先に行ってくれ」
「ありがと、悪いね」
茶髪の剣士は短くそう言って足早に二人の方へ戻る。
「おい、大丈夫かよ?」
サクは小さくなって僕の背に隠れていた。
「う……うん。ありがとう」
弱々しくそう言った。
サクは超絶人見知りだ。それはもう病的なぐらい。
僕とサクのはじめての会話なんて、何百試合と戦い続けた後にようやく一言「おつ」。これだけだった。僕もコミュニケーションが苦手だったがサクは比べものにならないくらい下手なのだ。クズとサクの初対決の時なんてひどいものだった。戦いは互角だったのに、会話内容は完全にいじめっこといじめられっこのそれだったのだ。思わず爆笑してしまった。
「はっ、情けねえな、コミュ障が」
嘲笑混じりにクズが一言。
「うるさい鉄砲玉」
「なんか言ったか、おっぱい」
気心知れた相手にはこうして普通に話せるのだ。
「……ここしかない……ノーランドを倒さないと……」
ふと、先ほどの三人の声が耳に入ってきた。彼らはアウラポイントの隅で深刻そうに話し合っている。
内容を聞くと、彼らはレベル2で、もうここで狩りを成功させるしか生き残るすべがないらしい。もうすぐ一日が終わる。時間的にも際どいだろう。でも、助けに入ればいけるかもしれない。
「あの、もしよかったら――うわっ」
城に向かおうとする彼らに、僕がそう声をかけた瞬間、僕はサクに押し倒された。
「な、なにする――むぐっ」
手で口を封じられ、僕は声を出せなくなる。
「なんでもねえから、さっさといけよ」
クズが三人に向けてそう言うと、彼らは足早に城の中へ入っていった。
「な、なにするんだよ!」
解放された僕はわけが分からず叫んだ。
「イチ、さっきなにしようとした?」
いつになく真剣なサクの声に、僕は勢いをなくす。
「な、なにって、彼らを助けようとしたんだ。時間的にもきつそうだったし……」
「何も分かってないね、キミ」
冷たい声だった。
「何が分かってないんだよ」
「このゲームで人を助けるってことがどういう意味を持つのか。全然分かってないよ」
「分からない。人を助けて何が悪いんだ」
「この世界で誰かを助けるってことは、べつの誰かを犠牲にするってことだよ」
人を助けると誰かが犠牲になる? 全く分からない。
「まだわからないみたいだね。ボクらは毎日レベルが低い順から百人ずつ死んでいく状況にいる。ここまではいいかい?」
僕は頷く。
「さっきの三人は、このまま何事もなければ今日死ぬ運命にある。今日死ぬ百人のうち三人分の席が彼らで埋まるはずだった。でもここで君が手を貸して、彼らが助かったらどうなる?」
「どうなるって、何も問題がないだろ。彼らは助かるんだ」
「問題あるさ。今日死ぬはずだった三人分の席が空くんだ。もちろん、そこには代わりの誰かが座ることになる」
「代わりの、誰か。まさか……」
「そう。キミが彼らを助けたことで、本来なら今日死ぬはずじゃなかった他の誰かが死ぬことになるんだ。極端なことを言うと、それはボクかもしれないし、クズかもしれない。
この世界で誰かを助けるってことは、命の取捨選択をするってことだ。キミが誰を生かすのか決めるんだ。でも代わりに誰かが死ぬ、それが誰になるかキミは知らない」
「だったら……人を助けることに意味はないのか?」
でも昨日僕はザックに助けられた。
「毎日必ず百人死ぬんだ。それは君が誰を助けようと変わらない。助けなくても変わらない。必ず死ぬんだ。でも、ボクはキミやクズが死にそうになったら迷わず助けるよ。死んでほしくないから。だけど見ず知らずの誰かを助けるのはやめたほうがいい、そう言いたいだけさ」
命の取捨選択。サクの言葉が僕の心に重く響いてくる。
「甘過ぎなんだよ。サク、てめえも分かってんだろ。大事なのはそこじゃねえって」
今まで黙っていたクズが突然言った。サクはバツが悪そうに下を向く。
大事なのはそこじゃない? どういうことだ。
「考え方が逆なんだよ。このゲームはよお、誰かが死ねば他の誰かが助かるんだ。この意味が分かるか?」
意味? どういうことだ?
「とことん鈍いなてめえは。このゲームは殺しのハードルが低いってことだよ」
「殺しのハードルが低い?」
「今日生き残るはずの誰かが死ぬことで、代わりの誰かが助かるんだよ。キミが誰かを助けることで命の取捨選択をしようとしたように、誰かを殺すことで命の取捨選択をすることもできるんだ。その二つの行動に何か違いがあるかい? 残念だけど、手段が違うだけで結果は何も違わないんだ……」
「まさか……そんな……」
僕は二人が言う言葉の意味を理解し、戦慄した。
「だから、今日死ぬかもしれない『ボーダー』にいるプレイヤーたちが集まりそうな狩り場は避けた方がいいんだ。ボーダーは余裕がない人間ばかりさ。そこで横入り、横取り、そんな争いの種が巻かれたら、どうなるかわからない」
「例えば……僕らが今日レベルを一つも上げずに生き残ることも可能なんだよな?」
「できるね。ボクら以外のプレイヤーを百人殺せばいい。システムが殺す百人も、ボクらが殺す百人も、割り切って考えれば違いはないよ」
「割り切って考えれば……」
「ボクには無理そうだけど、このゲームには一万もの人間がいるんだ。これから、割り切って行動するプレイヤーは必ず出てくるだろうね。イチはどうだい?」
僕は首を横に振った。そんなのできるわけない。
クズはどうなのだろう。でもクズは何も言わずに寝そべって、空に浮かぶ月を眺めていた。僕はクズの答えを聞くのが怖かった。
誰かを助ければ、他の誰かが死ぬ。
誰かを殺せば、他の誰かが助かる。
吐き気がするほど歪んでいた。
昨日、サクが言った言葉の意味が少し分かったような気がする。「僕らは犯人にコントロールされている」。プレイヤー同士、争うように仕向けられているような気がしてならなかった。
その時、足音と共に茶髪の冒険者が帰ってきた。彼の顔はひどく疲弊していて――連れの二人がいなかった。
「まさか――そんな――嘘だ――」
アウラフィールドに入った彼は呆然と立ったまま、ぼそぼそと呟く。
「無理だ――もう絶対――無理――」
「おい、大丈夫か?」
「ちょっと、イチ!」
サクの忠告は遅かった。茶髪の男は血走った目で僕を見ていた。
「はは、そうだよな……この手があったか。はは、ははは」
哄笑を上げながら彼は腰の直剣を抜く。
「お前等が死ねば、席が三つ埋まるんだよなぁ!」
そう叫んで、僕に向かってくる。
僕はクズにもらった紅剣で彼の攻撃を受け止めた。
「バカ、止めろっ!」
「死ね、死ね、死ねええええっ!」
僕の言葉はもう、彼に届いていない。彼の狂ったような攻撃を、僕は受け続ける。
「ったく、退いてろ、バカ」
気だるげな声と共に、クズが僕らの間に割って入った。クズは単調な攻撃をはじき返し、返す刀を男の首筋に向ける。
「何やってんだっ!」
僕は咄嗟にクズを突き飛ばし、そのまま男も遠くに突き飛ばした。
「なんだてめえ、死にてえのか!」
立ち上がったクズが叫ぶ。
「お前こそなにやってんのかわかってるのか!」
「てめえこそ分かってんのか! 殺されそうになってんだよてめえは! どうせそいつは死ぬんだよ!」
「だ、だからって!」
「やめろ二人とも!」
サクの声が僕らの争いを止めた。
「後二分だ」
サクは短く、そう言った。それだけで十分だった。
立ち上がった茶髪の顔が絶望に染まり、クズは長刀を納めて後ろに下がった。
「来いよ。僕がこの中で一番弱い」
僕はそう言って大剣を構える。
「う、うわあああああああっ!」
男はがむしゃらに、隙だらけの攻撃を続ける。僕は一瞬で彼の命を絶つことができるだろう。でも彼の攻撃を受け続けた。
例え今日を生き延びたとしても、彼は近いうちに死ぬだろう。妙に冷静な頭でそう思った。
僕があえて隙を作ると必ずそこをついてくる。僕が剣を動かすと必ず退く。目の前にあるものしか見えていないのだ。彼は落ち着いていないのだ。
ただ、落ち着くこと。初心者にはたったそれだけのことができない。逆にそれさえできれば中級者なのに。
クズとサクはこの戦いに手を出す気はないようだ。後方で悠々と待っている。
薄情だとは思わなかった。逆にありがたかった。この程度の相手に、援護に入られたら僕のプライドはいたく傷つけられただろうから。お前には任せられないって、信用されていないってことだ。かつて互角に戦った相手に実力を信用されないということはこの上ない屈辱だ。僕はこのゲームになって弱くなった。だけどまだそこまで落ちちゃいないつもりだ。
「十秒前」
サクは冷たくそう言った。カウントが進んでいく。男の攻撃に狂気が混じる。
「ごめんな」
僕がそう言ったと同時に、男の動きが止まった。
「あ、あ、嘘だ……。うああああああああああぁ!」
絶叫を残して、男の姿は薄く消えていった。
午前零時だ。
僕は呆然と、彼がいなくなった空間を眺め続けた。
「しかたなかったんだ」
サクが僕の肩をたたく。
「割り切った方がいい」
「わかってる。でも……」
「……そういうことで悩むのはキミらしいよ」
サクはそう言って少し笑った。
それから、昨日と同じように死亡者リストが公開された。僕は逃げるようにそれを見た。
「レベル90が二十七人も死んでいる」
最初にそれを見つけたのはサクだった。今日の死亡者リストに、本来なら死亡するはずのない高レベル帯のプレイヤーが大量にいたのだ。レベル90は確か、アップデート前の最高レベルだったはずだ。今回のアップデートでレベルは100まで解放されたらしいが、それからまだ二日しか経っていない。間違いなく最高レベルのプレイヤーのはずだ。
「何かあったのか?」
「わからない……」
サクは首を振って考える。
「もしかして、クリアの方法が分かったとか? 攻略に挑戦して、失敗した?」
「そうだといいけど……」
サクはそう言って、答えを求めるかのように、夜空の月を見上げた。
あとがき
これでようやく序章が終わりです。これから一章のプロットの細部を詰めるため、次の更新は少し間が空くかと思います。