<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

チラシの裏SS投稿掲示板


[広告]


No.33977の一覧
[0] 【一発ネタ】アクセル・ペッパー・ワールド【アクセル・ワールド】[ほす](2012/07/08 21:25)
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[33977] 【一発ネタ】アクセル・ペッパー・ワールド【アクセル・ワールド】
Name: ほす◆e39d93fb ID:6911aa8b
Date: 2012/07/08 21:25


有田春雪は物好きな少年である。
趣味嗜好が偏っているといってもよく、アンチメジャーな気質もある。
だからこそ、電子データが幅を利かせているこの時代においてアナログな本を好む。

ペーパー。
紙媒体。
そこにはある種のロマンがあった、拘りがあった、捨てられず心にこびりついた何かがあった。
ただし、時にはそれが己に牙を剥き、母なる存在を地獄からの使者とし、己の過去と取り巻く世界を呪い、怨嗟と悲嘆の慟哭を湧き出でさせる骸への魔界転生器となることもあると知りながら。

男どもは、救い難い荒野への、止り木なき空への旅路に就くことをやめられないでいる。



<アクセル・ペッパー・ワールド>



そのバーストリンカーは中学生である。
しかし、その容貌は三十過ぎに見え、電車の中で向かいに座った幼女に「ままー、まだおがいるー」「シッ、見ちゃいけません」などと容赦なく指で指されて母の躾を見せ付けられても笑って許せる紳士である。
ただし、日記には書くが。

その紳士リンカーは、バーストリンカーでありながらも戦いに楽しみを見出す性分ではなく、AR空間である加速世界を活用して如何にプレイヤーを人間として充実させるかということに楽しみを見出していた。
その手段は具体的にいえばプログラミングであり、電子機器的な手段の拡張である。

さりとて、男としてロマンを解さぬ無粋者でもなく、むしろ、積極的にロマンを広げんとする宣教師であり開拓者であり夢追い人だった。
それ故に、その一瞬の出会いというかすれ違いは必然で、運命の悪戯は神による未必の故意であったといえるのかも知れない。

ある日、有田春雪は電子書籍ではなく、紙媒体の本を買いに書店へと赴いていた。
それはゲーム・漫画などの情報誌であり、広告的な意味も兼ねて内容量の割りに廉価という中学生の財布にも優しいものだった。
だから、目当てのもの以外にもついつい手を伸ばし、その結果として、五冊もの分厚い雑誌が詰まった袋は、大きくて重さにも耐えられる比較的厚いものとなる。
そして、中で動いて袋が破れないようにきっちりとセロテープで口は閉じられ、その中身は全く窺い知ることができない。

そんな袋を抱えて春雪は小走りに書店の出口を目指した。
ついうっかり、あれもこれもとためつすがめつ雑誌を物色しているうちに、黒雪姫や倉崎楓子との待ち合わせの刻限が迫ってきていたのだ。
遅れればどんな罰が待っているか分からない。
だからいけないとは思いつつも小走りで最寄のバス停に向かおうとしたのだ。
そして、事実。その小走りがいけなかった。
優秀な反射神経を持ち、加速世界においては唯一の飛行アバターとして知らぬ者のない春雪であったが、現実では元苛められっ子のチビでデブ。
運動が得意であれば太ることも苛められることもなく、背だってもっと伸びていると常々自認するほどである。

危ない、と思ったときにはもう遅い。
古のイタリアンギャングも言っていた通り、思ったときには終わっている。

「うわわぁ!」

間の抜けた悲鳴をあげたと同時に、春雪は全身を衝撃で揺さぶられていた。
同じように出口に向かっていたほかの客にぶつかってしまったのだ。
これは春雪本人のおっちょこちょいに拠るものでもあるが、長時間慣れ親しんだ加速世界での敏捷性と現実世界での齟齬によるものでもあった。

三半規管が揺さぶられ、まるで加速世界で《シルバー・クロウ》となり、高速で上昇しているような、真っ逆さまに落下しているような。
己が何処に居てどんな軌道を描いているのか分からない。
迷い込もうとしているのか抜け出そうとしているのか。

まるで脳波が混線しているかのように、春雪の脳裏に浮かんでは消えていくおかしな者たち。
マンマルカワユスとでも評されそうな、頭と胴体合わせて一つの卵形な少年はその目も全くの円形。
見覚えのない姿であるのに春雪はそれを己だと思った。
痩身であるものの、金属フレームで構成される全身は高機動型ロボットとして高速に耐え得る力強さがあり、足首から先がない脚部は一芸特化の証明か。
銀色に輝き、見覚えがないのに己と見紛う少年に寄り添うそれを、春雪はまたも奇妙な確信で《シルバー・クロウ》と断定した。

なんだかハンサムで鯔背で己知らずの刃傷持ちとか評せそうな、黒髪ロングの制服女生徒。
きっと性格はセメントで素の戦闘力が白熊殺しだったりしそうな彼女の横には、またもやメカメカしくも体の大部分のパーツ、手に持つ傘も刃物の集合体と化しているロボット。
顔だけは人間の女性型で、大きなヘッドマウントディスプレイのバイザーで目元より上は隠されている。
見覚えがなくとも黒雪姫と《ブラック・ロータス》と断定。

やたらと円筒形のパーツの目立つ見覚えのない《シアン・パイル》

ショートヘアの女の子が身を翻すと、猫っぽいコスプレになったのは何か意味があるのか。
何やってんだよチユ。
内心呆れて問いかける春雪は、見覚えがない見慣れた者たちへの違和感を失っていた。
頭が、世界がどうにかなったとしか思えない認識の中で、春雪はいつぞやのKIRITOとかいう謎の凄腕人型アバターを思い出したが、朦朧とする意識の中でまたすぐ忘れてしまった。

滲む意識は一瞬ブラックアウトし、しかしすぐに復旧を果たしてくれた。

「いたたた」

思い切り尻餅を突いてしまい、仰向けに転がった春雪。
しかし、背中に背負った鞄が固い床から守ってくれ、不本意ながら厚い贅肉が衝撃を吸収してくれた。
顔を上げればぶつかった相手も、春雪に向き合う形で尻餅を突いていた。
残念ながらそこにお約束的パンチラはなく、むしろ相手は春雪の倍は生きていそうなアラサーの男だった。
いや、問題はそこではない。
最も残念かつ恐ろしいのは、その男の人相だった。
春雪がもしも幼稚園児だったら泣いてしまうか、「ままー、さつじんはんがいるー」などと指差し報告してしまいかねない顔つきだった。
実際のところよく見てみればそんな恐ろしい形相でもなく、顔の造型に反した若い皮膚がアンバランスさを醸し出し、それが違和感となって奇妙な不気味さを見る者の脳に刻み込んでいるのだ。
しかし男の身近な人間はともかく、初見の人間はそんなことに気付くこともない。
兎にも角にも、こちらが悪いという自覚と恐怖に押され、春雪はパッチン虫の様に勢い良く仰向けからうつ伏せの姿勢へと移った。

「ひぃぃ、すみませんすみません! ごめんなさい、僕の不注意でしたぁッ!」

もともとの卑屈な性格と、デス教官倉崎楓子によってパッケージングされた脳内謝罪ライブラリは速やかにオートランされ、土下座とともに言葉を紡いでゆく。

「急いでて不注意でした全面的に僕が悪かったですすみませんでしたぁぁぁ」

土下座しながら捲くし立てる春雪に対し、顔面サッカーボールキックを決めかねないと周囲の人間に危惧させた男は、その予想に反して立ち上がると春雪に手を差し伸べて来た。

「いや、こちらこそすまないね。派手にひっくり返ったけど大丈夫かな?」

一瞬、差し出した反対の手に鉈でも持っていないかと、自分が聞き逃しただけで語尾の『かな?』は二回繰り返されていなかったかと、最近見た復刻盤アニメを思い出してしまう春雪。
瞬きを繰り返したところで、差し出された手も、何も持っていない反対側の手も、少し困ったような怖い顔も幻ではない。

「えあっはい、だいじょぶです」

えあっはい。
いつものことだが自分で自分が情けなくなる春雪だったが、相手はそんなテンパった声には触れず、笑わずにいてくれた。
ますます自分が情けなくなる春雪。
相手は春雪の手を掴むとぐいっと自身の体重を利用して引き起こしてくれたあと、足元に落ちていた自分の買い物袋を拾い、春雪が落とした買い物袋も拾って渡してくれた。

「いや、お互い災難だった。けど、怪我もないみたいだし、今度からお互いに気をつけるようにするということでここは痛み分けにしないかね?」

「あ、はい。それは全然ありがたいですけど……」

へたをすると慰謝料請求という名のカツアゲすら覚悟したというのに、驚くほど穏便な提案を受けた春雪は考える間もなく飛びついた。

「うんうん、それじゃ俺はこれで」

春雪と同じく一抱えもあるほどに本の詰まった買い物袋を抱えて、男は軽やかな足取りで店を出て行った。
春雪が我に返ったのは、先程の男の背中が消えていった出口に次の客の背中が消えていったときだった。

とぼとぼとバス停に向かいながら春雪は思う。
顔つきや落ち着いた雰囲気はともかく、男の声は妙に若く聞こえた。
それは、ともすれば春雪とそう変わらない年齢であるかのように。
そんな風にぼうっとしていたせいで結局待ち合わせに遅刻し、後で地獄のしごきを受ける羽目になった春雪。
遅刻としごきの間にあったタイムラグ。
それは僅か数時間であったが、その数時間こそが明暗を分けたのだと後の春雪は語る。
とある危険なガジェット。
それとより危険なアイテムたち。
タイムラグが春雪にそれらの危険を発見させ、男への連絡をつけさせた。
しかし、地獄のしごきがそれらの危険のことを忘れさせ、地雷を敷設させてしまったのである。


***

全く、この狂気のマッドハッカー《ホワイト・ターニップ》様も心が広いぜ。
レジでうっかり年齢確認をされずに成年指定漫画を買えてしまっても怒らず、返品も求めずに大人しく引き下がるなんてな。
全く、あそこできちんと年齢確認をしてさえいてくれれば、うっかり成年指定エロ漫画を買ってしまうこともなかったのに。
買ってしまうこともなかったのに。

だがしかし、この《ホワイト・ターニップ》は加速世界の半分ではちょっとは知られた心優しき男。
ここは一つ、気付かず買ってしまった自分も悪かったということで己の非を素直に認めようじゃないか。
うっかり出口でぶつかってしまった少年――というか普通に同い年くらいだと思うのだが――に言ったとおり、痛み分けだ。

店は図らずも成年指定の書籍を俺に売ってしまい、俺はうっかり成年指定の書籍を購入してしまった。
お互いにミスがあった。

しかしここで重要なのはそのミスをどう挽回するかだ。
やってしまったものは仕方ない。
ならば、この書籍をいかに世のため人のため活用するか。
それこそが事態を挽回する命題となるだろう。

そして何たる運命の悪戯か。
図らずも。
図 ら ず も 。 
さっき電池を買ってきて装填したばかりの、《ホワイト・ターニップ》謹製のニューガジェット。
『俺の部屋の壁に耳あり、これでオカンの掃除という名の家捜しに勝つる』
略して〝おかつる"を買い物籠に入れていたため袋に同封してもらっていたのだ。

これさえあれば、学校に言っている間にオカンが掃除と称して部屋に入り、エロゲやエロ本を整理整頓して机の上に置いておく、PC内のエロファイルをデスクトップにあいうえお順に並べておくなどという、思春期男子諸君の多くが経験した〝世界はいつだってこんなはずじゃなかったことばっかり〟の内の一つを防ぐことだって夢じゃない。

まあぶっちゃけて言うと、自分で自分のエログッズに仕込む盗聴器なのだが。
しかし、この盗聴器を改造したガジェットはニューロリンカーと常に連絡を取り合い、エログッズのある部屋で人の足音を感知すると通報してくれる仕組みなのだ。
あとはオカンに電話して家捜しを阻止するだけだが、オカンを止められるかどうかまでは知らん。

そしてPC限定なのだがオカン襲撃の危機に晒されたエロゲやエロ画像、エロ動画に、バーストリンクしてあるキーワードを唱えることで完全消去することが出来るプログラムも併用すれば、かなり損害を抑えることが出来るだろう。
このプログラムはかなりの売れ筋で、唱えるキーワードから取って〝バルス〟の名前で広くご愛用いただいている。

ただ、レギオンの元上司がうっかり領土戦で、元上司の上司の激励に答えて「頑張るっす」と〝バ〟と〝ル〟と〝ス〟を続けて言ってしまい、その瞬間プログラム作動BGM「君をのせて」が戦場に響き渡ったのは俺のせいじゃない。
奴の滑舌が悪かった。
あと女侍属性だったせいだ。
「君をのせて」の意味を知る対戦レギオンの男たちは、泣きながら戦う奴を攻撃することが出来ず、獅子奮迅八面六臂の大活躍だったという。
最後に足を滑らせて高所からの落下ダメージで死んだらしいが。

奴の上司のポニーテールの方に、なぜ奴が泣いていたのかの説明と共に慰めてやって欲しいとの匿名メールを送っておいたので十分癒されただろう。

さてさて、それではうっかり購入してしまったものをきちんと部屋に隠して、中間考査を行わないといけないな。
まあ、中間考査前にきちんと予習しなければならないので、購入物を念入りに読んでおかねばならないだろう。
実験材料をきちんと知悉しておくことも正確な考査には必要だからな。
うむ、将来ゴムに穴が開いていたら問答無用で考査終了して正社員採用する羽目になるかも知れんから非常に重要だ。

よく考えたら"おかつる"同封してもらう必要性なかったな。


***


愚にもつかない事を考えつつ自宅を目指すこの《ホワイト・ターニップ》が、かつて生み出した"一千倍フォワーダー"という狂気のブレイン・バースト用プログラム。
それは加速世界において、一千分の一の速さでしか時間が経過しない現実の肉体の五感を加速中にも受け取り続けるプログラム。
"バーストリンク"と唱えて加速する瞬間にカレーを食べていれば、加速世界において虎王を喰らって口の中血まみれでもカレー味。
PC前で賢者に転職する瞬間に、トイレで解脱する瞬間に、満員電車で女子高生に密着した瞬間に加速することで、加速世界にいる間中ステータス異常"HAPPY"を引き起こすことが可能な狂気のプログラムである。

"おかつる"も碌なことにはなりえない。

***

「あれ。な、何だこれ!?」

遅刻してしまった春雪に、笑顔で怒る倉崎楓子こと《スカイ・レイカー》。
その迫力たるや、直立不動で脂汗を流しながら平謝りするしかないものだった。
同じく待たされた黒雪姫の援護などあろう筈もなく、いったん帰宅して一休みした後に特訓を受けるという、死刑執行前の最後の晩餐的な自由時間を与えられた春雪。
憂鬱な気分を少しでも和らげようと、遅刻の原因にもなった本を見ようとして袋を開けたのだが、憂鬱な気分も月まで吹き飛ぶようなものを見てしまい、思わず大声を上げた。

そこにあったのは、買い求めたはずのゲーム情報誌や漫画などではなく、成年指定のエロゲ情報誌やエロ漫画。
表紙からしてとても春雪の年齢で買える代物ではない。

そしてそれらと一緒に紙箱に入った小さなデフォルメロボットフィギュア。
紙箱にはキャラクターの写真がプリントされている。

「こ、これって、まさか先輩?」

黒く、所々紫のガラスがはめ込まれたようなカラーリング。
デフォルメされているものの、手首と足首の先は刃物のように尖ったデザイン。

「……やっぱり、《ブラック・ロータス》だ」

一瞬、古い漫画やアニメで見た、グリフォンとかいう大型ロボットかとも思ったがそうではない。
間違いなく黒雪姫のアバター、《ブラック・ロータス》だ。
ブレインバーストは一般には公開されていない、知る者の非常に少ないプログラム。
大人は知らない、こんなフィギュアなど作られるはずもない。
だというのに、目の前に《ブラック・ロータス》のフィギュアがある。
ならば、これを作ったのはバーストリンカーのはずだ。
紙箱の裏にはバーコードもなく、おそらく書いておかねばならない筈の商品情報がない。
代わりに《ホワイト・ターニップ》という名前と、連絡アドレス。
それだけが素っ気無く書いてある。

「こいつが、これを作ったのか?」

というか、名前からしてバーストリンカーでもあるはずだ。
バーストリンカーなら《ブラック・ロータス》のことを知っていて当然だ。
しかし、もしやファンなのか?
だがしかし、フィギュアまで作ってしまうのはどうだろうか。
きっと黒雪姫から許可などとっていないに違いない。
性格からしてとても許可など出さないだろうし。

ごくり。
緊張から固唾を飲んで《ホワイト・ターニップ》へのメールを書いていく。
用件は簡単だ。
フィギュアを拾った、話がしたい。
《シルバー・クロウ》と署名しておけば何が言いたいか予想はつくだろう。
問題はメールを無視されないかどうかだ。
無視されてしまえば、加速世界で直接見つけて話をするしかなくなる。
メールを送信する。
殆ど衝動的にメールを送ったが、一体どういう動機だったのか、春雪は自分でもよく分からなかった。
肖像権の侵害といったことへの義憤なのか、黒雪姫が嫌がりそうなことへの怒りなのか。
よく分からないまま、身長5cmほどのデフォルメされた《ぶらっく・ろーたす》とでも表記すべきであるようなフィギュアを、春雪は見つめ続けた。
やがて楓子からの連絡があり、春雪はひとまずフィギュアを本と一緒に袋に戻し、《ホワイト・ターニップ》への有力な手がかりとなる《ぶらっく・ろーたす》の紙箱のみを制服のポケットにねじ込んで、《スカイ・レイカー》の待つ加速世界へとダイブしていった。

本とフィギュアを、ベッドの下に押し込んで。
他の荷物で、覗き込んだだけでは見えなくして。


***



《ブラック・ロータス》率いるレギオン、『ネガ・ネビュラス』は春雪の自宅をリアルでの集合場所にすることが多い。
そしてそこは『ネガ・ネビュラス』のメンバーだけでなく、『プロミネンス』を率いる上月由仁子《スカーレット・レイン》にとってもよい遊び場なのである。
つまり、春雪の自宅は、自室は決してプライベートの安全圏ではないということである。

「ん、なんだこれ?」

過去に春雪の隠し持つバイオレンスゲームを掘り出した由仁子にして見れば、春雪の部屋は掘り出し物の埋まっている玩具箱で、そこに遠慮などない。
ある意味、実の兄妹に最も近しい位の距離感に収まっているのだ。
一緒に風呂に入ったことだし。
そんな由仁子が春雪の部屋に遊びに来て、春雪の居ない隙に家捜しをしないはずがあるだろうか?
いや、ない。

「へへーん、お宝はっけーん」

得意の顔芸を披露しつつ、エロゲ情報誌の、エロ漫画のページを捲る捲る。

「うお、マジか!?」

「おいおいおい」

「っけ、なかなかイイ趣味してんねー。アイツも」

「うわ。こりゃ、アタシもヤベえかもね」

そして、これをネタに春雪を脅すのだ。
こんなものを見られた日には、春雪でなくとも無条件降伏をして由仁子の足を舐めるかも知れない。
由仁子は《スカーレット・レイン》なのだ。
加速世界でこんな所有物を公表されれば、春雪は二度と加速出来なくなるだろう。
いや、春雪の心傷に劇的な変化が起きてアバターが《クロム・ディザスター》的な変化を遂げかねない。

だが、この状況に限ってそんなことは許されない。
由仁子が有田家への永久フリーパスを手に入れることも、いまでも割と逆らえない由仁子が絶対に逆らえない相手になることも、この状況ならば許されない。

何故ならば。

「どうすんのさ、ロータス」

由仁子は、先ほどからずっと俯いて《ぶらっく・ろーたす》フィギュアを見つめている黒雪姫に声をかけた。
ハイライトが消えているうえに、gif画像みたいにぎこぎこした感じで揺れ続ける瞳。

あちゃー、これは刺激が強すぎたか。
カマトトぶりやがって体感時間年齢幾つだよ。
などとぶつぶつ言う由仁子の言葉も耳に入らず。
黒雪姫がまともな思考能力を取り戻したのは、春雪が戻ってくる前に由仁子と共に有田家を辞し阿佐ヶ谷の自宅に戻ってから、持ち帰ったエロゲ情報誌とエロ漫画に一通り目を通してからだった。



***


「《ホワイト・ターニップ》だって?」

春雪が拓武に相談したのは、メールを送ってから実に60時間以上経ってからのことだった。

「なかなか有名なバーストリンカーだよ。たしか、プログラミングが得意で、バトル以外の方法で加速世界を楽しんでる奴だ」

拓武の返事は早く、何の迷いもないものだった。

「でも、なんでハルが気にするのさ」

危険な相手ではないということなのだろう。
言葉以上のものを探ろうとするような、深く窺うような様子はない。
だからこそ包み隠さず、起こったことを説明した。

「それで、地獄のしごきでメールを出したことを忘れてて、今日になってようやく返事が来てることに気付いたけど、加速世界で会って話をしようって内容だったから僕にもついて来て欲しいってこと?」

「うん、情けないけど。俺、口下手だしさ。タクがいれば話をこじらせずに上手くまとめられると思って」

「まあ、相談してくれたことは嬉しいし、間違ってないと思うよ」

「ホントか。じゃあ、一緒に来てくれるのか?」

「《ホワイト・ターニップ》には僕も前々から興味があったからね。一緒に会いに行かせて貰うよ」

意外と乗り気な拓武に、春雪は拍子抜けしたような表情になっても尋ねずにはいられなかった。

「前々から興味があったって、一体どんな奴なんだよ」

眼鏡をきらりと鏡のように光らせて、拓武は言った。

「一言では難しいけど、あえて言うなら……快感の開拓者さ」


***


「一言では難しいが、あえて言うなら……俺はまだ中学生だ」

コンタクトは無制限中立フィールドで取ることができた。
フィールドは植物系のフィールドで、見渡す限りの都心の街並みが緑に飲み込まれ、まるで文明崩壊後数百年は経ったかのようだった。

加速世界では、無制限中立フィールドでもなければ三十分でダイブが終わってしまう。
相手に即時離脱されることを警戒し、今回場を設けたのは無制限中立フィールドであったが、こういった対面は基本的に要件を単刀直入に伝えることが多い。
そして、春雪がフィギュアを拾った経緯を話したとき、ぶつかった相手を三十過ぎのおじさんと評した。
たとえ話の流れをぶった切ろうとも、伝えたいことは端的に伝える。
《ホワイト・ターニップ》は、三十過ぎのおじさんと評されたバーストリンカーは己がまだ中学生であることを主張した。

「え?」

「え?」

先ず春雪が疑問の声を上げ、何故春雪がそんな声を上げたのか分からない拓武も続いた。
加速世界で会った《ホワイト・ターニップ》は観戦用のダミーアバターを使っているようで、ターニップという名が示す通りそのまんま蕪だった。
ついさっきまで土の中にいましたといわんばかりに、湿った土が着いた根野菜。
しかも微妙に腕と足に見えなくもない感じに、先端が少しだけ四つ股になっている。
その中央部には目と口であろう窪みが三つ。
正直言って、不気味な呪いの根野菜。
マンドラゴラの一種と言われれば非常に納得できる。
そんなものが一面緑のフィールドから現れたときは、エネミーの一種かと二人して身構えたものだ。
植物に覆われた世界でのマンドラゴラもどき。
ひょっとしたら、このフィールド属性は狙って選んだのかもしれないと春雪は思った。
ターニップの名が示すとおり、何か有利に働くことがあってもおかしくはない。

「え? ではないバカモノ。貴様この俺の至福の中間考査予習を邪魔してくれておいて何を抜かすか。さあ賢者タイムに挑まんと袋を開けたときの俺の脱力が分かるか? 深夜放送の映画のタイトルがエロくて頑張って夜更かしして見たのに、エロいシーンもなくスタッフロール始まった気分だぞ。袋を開けたら電撃ニューロ姫じゃなくて電撃ニューロリンカー、AVだと思ったらPV、コミック夢雅のはずがコミックガムだったんだぞ。何がHなのはいけないと思いますだ、それはつまりフリだろうが。押すなよ、絶対に押すなよと言われたら押さなきゃならんだろうが。大体、作画を担当してる方の作者がもうその業界の出身である以上押さなくてどうする!?」

にじり寄る根野菜。
ただの穴ぼこに過ぎないはずの目と口に、言いようのない揺らぎの気配を感じるのは心意であるのか情報圧であるのか。
言い知れぬ迫力に圧されて春雪は後ずさる。

「いやあの……」

「しかし、電撃ニューロ姫は外したものの電撃N'sマガジンを入れていたことは褒めてやろう。アマラブSSのジェシカ先輩特集はご飯三杯余裕だったからな。何を隠そうこの俺は妹系では死なんが金髪巨乳なら死ねる。三つ子の魂百までとは言うが、初恋であるグレアン・クーラーズの日本語テキスト表示でボイスだけ英語のあの五感をずらす不思議感やケモノ属性は未だに抜き打ち考査を俺に強いるのでな。まあ反面、テキスト的な意味でのグレアンの中の人がうちのジジイだったのは強烈なトラウマで、そこから生まれたアバターを半ば封印せざるをえなかったが・・・・・・」

そこで、ふと考え込むように沈黙したかと思うと

「そういえば、以前に貴様ら乱入を仕掛けてこなかったか?」

「・・・・・・僕はないですけど。あと僕は九条先輩派です、夜中の見回り中にコーヒー飲んでトイレ借りに来る強引さが」

《ホワイト・ターニップ》と言う名前に聞き覚えすらなかった春雪は、自分が乱入などしたはずがないと考えて即答した。
自然、二人分の視線が拓武に集まる。だが。

「そんなの僕にだってないよ。あと僕は葉漁押し」

ぶるぶる首を振りながら拓武も答える。

「むう、流行の平行世界とかか? 現実とは一線を画す加速世界のことだ、アバターだと思って別世界のキャラと戦ったりしてるかも知れんな」

「いやあ、流石にそれはちょっと……」

「ねえ……?」

そんな漫画のようなことがあるわけがないと、もしもアバターに唇があれば口角吊り上げて苦笑していただろう。

「そうか? 確かに中間考査でビクンビクンしてるときに乱入された気がするが。あれはオーガズムによる無意識的な願望とかか」

《ホワイト・ターニップ》が何を言っているのか分からず、視線と共にはてなマークを飛ばし合う春雪と拓武。
まさか天高く連れて行ってくれそうな男や、ぶっといパイルバンカーをぶち込んでくる男に追い回されることを、無意識的な願望か何かと納得しようとしているとは夢にも思わないふたりである。
《ホワイト・ターニップ》も思いたくなかったのであるが。

「あの、さっきから言ってる中間考査って?」

《ホワイト・ターニップ》の言を信じるならば、《ホワイト・ターニップ》は中学生であり中間考査を受けることに不思議はない。
しかし、それではその時期が問題になる。
どこの学校も年に三回しかその時期は訪れない、加えて中間考査と言うのは自分の学校の校舎内で受けるもののはずだ。
おそらくは同じ時間帯に、授業もしくは中間考査で拘束されているはずの二人が《ホワイト・ターニップ》の学校へ乗り込むのは、同じ学校に通ってでもいないと不自然極まりないだろう。
ならば中間考査とは何かの比喩か、《ホワイト・ターニップ》が梅郷二中の生徒であるかだ。

「うむ、中間考査でたてこんでいなければ、秘技・羅冥オーガシグナルで返り討ちにしていた所だがな」

「いや、そうじゃなくて」

あんな顔の中学生がいれば気付かないはずがない、知らないはずがない。

「馬鹿め、そうそう競争相手に塩を送るものがいるものか。しかし、俺はお前らのような戦闘キチガイではなくクールな理系、説明しよう! 秘技・羅冥オーガシグナルとは、対戦中のフィールドに強力なオーガ型エネミー何体も呼び出す必殺技だ。大声で叫ばんといかんからな、どうしても"ひぎぃ、らめえおぅがしぐなるぅぅ"に聞こえてしまうのが欠点だ。あとエネミーは呼べるだけなので俺にも襲い掛かってきます」

「何でそんな必殺技習得しちゃったんですか!? じゃなくて、中間考査って学校の定期テストじゃないですよね。一体何の事なんですか?」

「ギャラリーの面前であの必殺技名を叫べると思ったらつい。中間考査は俺の開発したプログラムのテストのことだ。加速中に現実の肉体との五感のリンクを残したままにするプログラムでな、一瞬の快感を一千倍に引き伸ばして味わい続けることが出来るのだ。最新のver.8の効力は革新的過ぎて、この俺が自らの身を犠牲にしてテストにテストを重ねている最中なのだよ。こういうのの調整に時間が掛かるのは、全くもって致し方ない」

妙に言い訳がましい《ホワイト・ターニップ》の説明に、春雪は電撃に打たれたようにその体を強張らせた。

「す、凄い。凄いですっ! 《ホワイト・ターニップ》さん、それがあればブレイン・バーストのプレイスタイルが大きく広がりますよ」

「まあまあ。ハル、ちょっと落ち着いてよ」

「これが落ち着いてられるかよ、タク! ダイエット業界とか革命が起きるレベルの話なんだよ? 加速世界にグルメブームが巻き起こるかも知れないんだ!」

「宜しい。《シルバー・クロウ》、君は見所があるな。この俺は他にも2つのプログラムを開発している。聞きたいかね?」

「是非!」

春雪は一瞬の躊躇もなく答えた。

「ふふふ。では先ずモザイクプログラムを説明しよう。これはプログラムをインストールしたバースト・リンカー自身の視覚に作用して、他者のアバターの任意の場所にモザイクが掛かったように見えるアプリだ。これによって女性アバターの局部にモザイクがかけられ、まるでエロ動画のように見ることが可能なのだっ!」

「もう一つのプログラムについても、詳しく、是非」

まるでそこに眼鏡のブリッジがあるかのごとく、眉間にあたる場所に人差し指と中指を当てるのは春雪でなく拓武だった。
春雪の視線が、このムッツリめと冷たくなったのは言うまでもない。

「もう一つは、古典的なブロック崩しだ。とは言え崩すのはブロックではなくアバターの外装。いわば外装崩しだな。普通にダメージを与えることで、与えた箇所の外装を崩しているように見え、そこの視覚情報をグラビアアイドルなどから採取した情報と入れ替える。もちろん使用者の視覚情報をいじっているだけだから、他の者にはいつも通りのバトルにしか見えん。ただし、何故か対象を限定できなくなってな。男女の対決で男が一方的に負けると世知辛くなってしまう」

「うん、黙って僕のバーストポイントを受け取って欲しい」

「落ち着けよタク。チユに使ったりしたらチクるからな」

ストレスを溜め込んでばかりの拓武は、やや暴走気味だった。
しかし、ブレイン・バースト適合者というのは皆何処か鬱屈し、溜まっているのだろう。
《ホワイト・ターニップ》のようなものが現れるのも、それが許容されるのも、更には求められちゃったりするのも、乳幼児期からのニューロリンカー装着と思春期真っ只中という、溜まっていない筈がない者たちだから仕方ないのかもしれない。

「ハルは良いよね。先輩と赤の王に取り合いしてもらえるほどの人気だもの。僕なんてメガネとかハカセとか、本名でもアバター名でも呼んでもらえない。レギオンの中でも一番ぱっとしないし、アレ? アイツ名前なんだっけ、あのパイルバンカーの奴。みたいなことを言われてるに決まってる。そんな僕にだって、加速世界で過ごした時間があって、知り合いだっているんだ。体育会系の合宿での馬鹿話みたいなことをする相手がね」

拓武は、《シアン・パイル》は弱弱しく首を振る。
大柄な近接向けのアバターが心なしか縮んで見えた。

「でも、僕がレオニーズを抜けてネガ・ネビュラスに移ったことで、そういった関係も壊れてしまったんだ」

「タク……」

「後悔なんてしてないよ。もしもあのときに時間を戻せても、僕は何度だって同じ選択をすると思う」

春雪の心配そうな声に反し、拓武の声には打って変わって開き直ったような活力が宿っていた。

「それに以前のつながりが全て失われたわけじゃないんだ。どんなに敵対していようとバーストリンカー同士には繋がりが残されている。分かるかい?」

「それは……バーストリンカー同士であることだから、ブレインバースト?」

「そうさ、小手先では覆されない大前提。ハルがバーストリンカーになって、僕とハルが本気でぶつかった時、あの時もどんなにいがみ合っていても僕たちはブレインバーストというつながりを持っていた。もっと言えば、リアルでの幼馴染、僕とハルであること、同い年であること、言葉が通じること。沢山のつながりがあった、絆があった」

ふと言葉が途切れて苦笑の気配が入ったのは、その絆こそが戦いの原因とも言えるからだ。

「そして、僕にも、この《シアン・パイル》にもこの加速世界で失っていない絆がある」

その通りだ。
絆とは同じナニカがあること。
ならば、初対面の相手、例えばこの《ホワイト・ターニップ》だって、春雪達と何らかの絆がある。

「貴方なら分かるでしょう? 僕達よりも、ずっと分かっているはずだ」

ヴィコン、と《ホワイト・ターニップ》の目が怪しく毒々しいピンクの光を放つ。

「ああ、分かっているとも。何故ならば俺たちは戦友であり兄弟だからだ。そこに主義主張、思想、レギオンの違いすらなく、青や黄や緑の王達であっても皆平等に同じものを持っているからだ。即ち――」

《ホワイト・ターニップ》が動き、拓武が動き、並び立つ。

拓武が《ホワイト・ターニップ》の肩と思しき辺りに腕を回す。

きっと、飾りのような四肢の動かぬ《ホワイト・ターニップ》も、心の腕で拓武の肩に腕を回したはずだ。

即ち――
即ち、何だ?




「「エロは男の絆」」




「……加速世界じゃみんなちんこないけどな」

この瞬間の加速世界においては、誰より冷たい目をした春雪。
今レベルアップすれば、きっと目から冷凍ビームを出す必殺技を習得出来そうだった。
例え拓武と同士討ちをしても、事情を話せばネガ・ネビュラスの誰も春雪を責めないだろう。

「ハル、君には分からないんだっ!」

いきなり逆切れする拓武。
その豪腕を振り回しパイルを地面に突き立てるのは、持て余す激情を沈めようとしているのか表現しようとしているのか。

「世話焼きの可愛い幼馴染、突然告白してきた親でもある美人の先輩、お風呂にまで突入してきた裏表激しく生意気でも可愛い小学生の女の子、物腰の柔らかい美人のお姉さんな鬼教官、不思議系クールメイドでライダーで年上美人、従順で大人しい可愛い妹系な小学生の女の子、ライバルで男だと思ってたけど実は苛めてオーラの可愛い同い年の女の子ッ!!」

狂的な熱を帯びた拓武の声は、嫉妬と悔し涙の湿気をも持ち合わせた実に奇妙でいて生々しいものだった。

「最近は、身構えず話してみたら意外と話の通じるギャル系クラスメイト……」

そう呟いた拓武が次に砕いたのは、自身の足元。
両膝と両手で、だ。

「それが君がリアルで持っている環境さ……もちろん皆フリーだ」

酷い。
酷すぎる。
それなんてエロゲ?
まるで年々設定が激化するライトノベルのようだ。

「受け取れ兄弟。お前は癒されねばならん」

《ホワイト・ターニップ》が差し出したのはハンカチでもティッシュでもない。
カードに例えて表現された何かのプログラムだ。

「だが翼付きは爆発しろ、リア充爆発しろ。お前のような奴がいるから俺の分の幸せのパイがなくなるのだ。加速世界でもオトゥィントゥィンがあれば、全財産に借金してでもお前のオトゥィントゥィンを《ブラック・ロータス》以上の賞金首にしてやるものを」

加速世界中にお前のオトゥィントゥインの手配書をばら撒いてやるのに! 酒場のダーツの的は全部お前のオトゥィントゥィンの手配書になるんだ。お前のオトゥィントゥィンの頭蓋骨を盃にして酒を呑んでやる。干して乾燥させてミイラになったオトゥィントゥィンを女に見せて、うわちっさ、とか言わせてやる。
などとブツブツ呪いの言葉を吐き続ける根野菜は、最早何処からどう見ても立派なマンドラゴラだった。

「そうだっ、《ブラック・ロータス》!」

もげろもげろと全自動呪詛発声器と化した《ホワイト・ターニップ》をさて置き、春雪はようやく本来の目的を思い出した。

「あの《ぶらっく・ろーたす》フィギュア。絶対許可取ってないでしょう!」

そう、そもそもの目的はそうだった。
《ホワイト・ターニップ》がどんなバーストリンカーなのかだとか、どうでもいいことだ。
無断で作っているはずのフィギュア。
それを止めさせるために接触したのだ。

「む、それは"おかつる"のことか。まあ許可を取っていないこともないこともないが……」

「んん? 否定の否定の否定で、えーっと」

「無許可ってことだよ、ハル」

「ああっ、駄目じゃないか。サンキュー、タク。……誤魔化されません、勝手にあんなものを作るのはやめて下さい!」

チッ、と舌打ちの音を発したのは《ホワイト・ターニップ》だ。

「ふん、俺にタックルかましたあげく中間考査を邪魔したのだ。それくらい大目に見ろ。大サービス賄賂で色々説明してやったろうが」

どうやら色々答えてやったのは誤魔化しと賄賂のつもりだったらしい。

「それにあれは俺が新開発した極めて重要な男の尊厳遵守ガジェットだ、返してもらおう」

「……発明した……ガジェット?」

《ホワイト・ターニップ》が作ったという時点で、春雪には嫌な予感しかしない。

そして、それは、正しい。

「うむ。専用のアプリをニューロリンカーにインストールしておくことで、アレの置いてある部屋に侵入した人間の動きを察知して通報してくれる警報機のようなものだ。フィギュアを隠しておくことも考えて音感知式でな、しかも拾った音をこちらのニューロリンカーに届けてくれる上に、チャットのように文章化して表示してくれもする優れものだ」

「盗聴器じゃないですかっ!」

「人聞きの悪いことを言うな、愚か者め。あれは自分の部屋に仕掛けておくもの。オカン家捜しを察知して通報。電話やメールでオカンを止められるかもしれない夢のアイテムだぞ」

「置き場所一つで悪用出来ますよね? てゆうか、さっきも言いましたけど肖像権の侵害です」

「ふふん、さっきから芸のない難癖だ。お前はアレか? Winnyやマジコンを批判しておきながら陰でこっそり自分もやってしまうような奴か。Hなのはいけないと思いますとかのたまいながら裏でエロ本読んでるムッツリスケベか?」

「違う、僕はそんな違法ソフトなんてやらない! プレイヤーは製作者に敬意を払うべきなんだ。そりゃあ払うに値しないクソゲーだってあるけど……そんなのは一部の例外でしかないんだ!」

春雪は叫んだ。
基本的にリアルでは駄目な人間を自認する春雪であるが、そんな春雪にもこだわるものがある。
ゲームに関して一家言あるというプライドがある。
プレイスタイルに自由はあれど、超えてはならない一線があると自信を持って断言できる。
そんな、持ちうる自信を全てゲームという分野に回してしまったような少年であるからこその、心からの叫びだった。

「成程、俺としたことが失言だったようだ。悪かった。しかし……スケベは否定しなかったな?」

《ホワイト・ターニップ》の言葉に春雪は頭をかいて焦りを見せるが、元来の気の弱さか、開き直ることもしれっと嘘をつくことも出来なかった。

「あ、いや、それはその……僕も男な訳で、生物として仕方ないと言うか。その……」

しどろもどろの春雪に対し、《ホワイト・ターニップ》の追撃は致命的で、話の行方をあらぬ方向へと吹き飛ばす、傍で聞いていた拓武すら予想だにしないものだった。

「恥じる必要などない。それは男として当たり前でありなくてはならないものだ。エロなくして人類の存続なし。男がエロくなければ人間は百年以内に絶滅するし、女の不満も爆発し、年金も破綻する。お前が"おかかつ"のスイッチを入れてしまったのは、仕方のない事だ」

「えっと、スイッチって?」

もじもじと指先を突き合わせながらの春雪に、《ホワイト・ターニップ》の言葉は何処までも鷹揚だ。
リア充とリア充がエロいことは別問題らしい。

「はは、こやつめ。とぼける必要はない、取説に書いておいただろう?」

「す、すいません。実は読んでなくて……」

「そうか、そうなるとやはり本能に訴えかけるスイッチにしたのは性解だったか」

「あの、話が見えないんですけど」

「おっと、簡単な話だもげるべき兄弟よ。お前はフィギュアのスカート状のアーマーを脱がしただろう」

僕って学内スカート最底辺だったんだっけ?

アーマーって何?

脱がすってどんなガス?

春雪の脳裏にそんな疑問が渦巻くが、そんなものはただの逃避に過ぎず、否応なしに理解出来てしまう。
つまり、装備を着脱出来るフィギュアの定番プレイスタイルだ。
春雪的には確かに超えてはならない一線の内側。
それもまた好しとする行為。
だが。

「えええええええええええっ!? しませんしませんそんなことしてませんよ! そういうのは本人の許可を取ってからって言うか――」

何を言っているのか自分でもよく分かっていないだろう。
もしも黒雪姫に、「貴女のフィギュアのスカートを脱がさせてください」などと言った日には往復ビンタどころではないだろう。
いつぞや、黒雪姫が車に撥ねられた時の様に泣かせてしまうだろう。
しかも、それはカップルの喧嘩の泣き方ではなく、情けない息子に嘆く母親の泣き方だ。
あんたって子は、あんたって子は! とか、泣きながら背中を何度も力いっぱい叩かれるのだ。

「とぼけても無駄だぞ、ネタは既にあがっている。あれと対になる受信用のプログラムは俺のニューロリンカーにインストール済みだからな。スカートを脱がせばスイッチが入って分かるのだよ。そして今まさスイッチが入っている、ということはお前はフィギュアのスカートを脱がしたということ」

「そ、そんな馬鹿な」

「大丈夫だよ、ハル。マスターには黙っておくから」

サムズアップを送る爽やかイケメンの拓武が、これほどウザかったことがあっただろうか。

「いや、本当にやってないんだ。何かの間違い、きっと地震でフィギュアが倒れた拍子か何かで……」

「地震でスカートが脱げてたまるかっ! ……おい《シアン・パイル》、まさかリア充の周りでは地震でスカートが脱げてしまうラッキースケベが起きるのか?」

「流石にそれはいくらハルでも……いや、無いとは言い切れないかも?」

「無いよっ!」

あらぬ疑いをかけられ、春雪は絶叫した。
本当にやっていないのだ、春雪は。

「じゃあ一体どうゆうことなんだい、ハル。スイッチは誤作動するようなものなんですか?」

後半は《ホワイト・ターニップ》に向けたものだったが、返答は首を横に振るだった。

「だって本当にやってないし、心当たりだって……あ」

あ。

否定の言葉を重ねようとして出た声は春雪自身を裏切って、脳内の無関係と思われていたノーマークなシナプスに電気が走った。

「そ、そういえば……あれを本と一緒にベッドの下に放り込んで……今日までに、先輩とニコが来て、コンビニに行ってる間に……急用で、帰っちゃって、て」

パズルのピースが、嵌って欲しくない形に吸い込まれるように嵌っていく。
まるで圧倒的な重力に引かれ、空から地面へと落ちるように。
春雪は今にも失神してしまいそうだった。

「ふむ、そのどちらかがスイッチを入れたか」


「ノォォォォォォォォオオオオオオオオッッッ!!」


春雪はまるで、強烈な電撃を浴びつつショッキングな幻覚を見せられているかのようにエビ反ったり丸まったりのた打ち回ったり捩れ狂ったりと大忙しだった。

「しかも、おそらく持ち帰っているな。現在進行形でプログラムに雑音と音声ログが溜まっていっている。持ち歩いてでもいないとこんな勢いでログがたまる事はない、お前のオカンがお前の部屋に常駐していれば話は別だが……」

《ホワイト・ターニップ》の前に文字列表示ウィンドウが現れ、書き込みが表示されてはウィンドウ下に流れて消えていく。

「あの、それって僕達も見られますか?」

こういう所がメガネだのハカセだの呼ばれる所以なのだろう、勝手に覗き込む出なく律義に挙手して問うたのは拓武だ。

「見るより聞く方が分かりやすいだろう。今、音声をオンにする」

――キュ~~~ウィ~~ニュ~~~ィ~~~~ィイン――

《ホワイト・ターニップ》が言うと同時に、まるでアンティークなラジオのチューニングを合わせる様な音がして、じきにノイズと物音と人間の音声へと変わっていく。

『なあ。そんな深刻な顔してあたしやパドまで呼び出すって、要件は何なんだ?』

『説明を要求する』

聞こえて来たのは声変わりしてなさそうな声と、それよりは幾分年上だろう落ち着いた声。
どちらも女であり、春雪と拓武には聞き覚えがあった。

『お前は予想がついているだろう。ニコ』

『あー、やっぱアレか。でもよ、健全な男子中学生ってのは皆あんなもんなんじゃねえの?』

『アレって何、分かるように言って下さいよ』

『察するに鴉さんのことだと思いますけど、私にも詳しい話しをしてないのにニコちゃんだけと分かり合ってるなんて妬けちゃいますね。何があったの、サっちゃん?』

不満げに、おそらく膨れっ面で居るのが目に浮かぶ千百合の声。
ニコニコしていても現実の情報圧とでも呼ぶべき何かを醸し出しているであろう楓子。

『……何と言うか、説明しづらい。だが、健全なのか? 皆あんなものなのか?』

『それでも説明を、でなければ何も分からない』

『そうですよ、なんだか嫌な予感しかしないですけど』

『うーん。鴉さんの健全な男子中学生な一面に、サっちゃんがびっくりしちゃったって所かしら。うふふ、そういうウブな所も可愛いですね』

『まあ、多少ハードコアってのかな。アブノーマルだとはあたしも思ったけどよ。ネット漁りゃあんなのザラだろ。むしろちゃんと女に興味がある証拠ってことでいいんじゃねえの? あ、二次元趣味って可能性も出てきたのか』

『ちょちょ、ちょっと! 何の話!? っていうか、もしかして、えっと、そっち系の?』

『A(アダルト)?』

『直球で下半身方面だな。しかも欧米じゃ持ってるだけでヤバいジャンルのもあった』

『ええっ、ハルの馬鹿っ! なんて物持ってるのよぅ』

千百合の罵声に、羞恥よりも本気の呆れと怒りを感じ取り、拓武が小さくガッツポーズをとったのは無意識の行動であった。

『そうだ……普通はないよな。あんなもの、生徒会で没収した物にだってなかったぞ』

『目が虚ろよサっちゃん。気を確かに持って。鴉さんだって魔がさしただけかも知れないでしょう? そうだわ。何なら、ういういに浄化してもらいましょうか?』

『あんなもの謡には見せられない。だから日下部君も呼ばなかったんだ』

『ショッキング?』

『ま、あーゆーカマトトちゃん達にゃちっとばかし刺激が強すぎるだろうな。クロウの顔見て話せなくなるんじゃね?』

『ああ、レギオンにわざわざギクシャクする要素を呼び込む理由はない。正直、私にだって刺激が強すぎたくらいだ』

『うう、そんな事言われたら私だってハルの顔見づらいんですけど』

『何なら、あんた等の心の折り合いがつくまでプロミで預かってやろうか? ニコは、お兄ちゃんがちょっとくらい変態さんでも気にしないよっ』

春雪と拓武には見なくとも分かる。
顔芸と呼べるほどの変化で、悪いことを企んでそうな顔から天使のように無垢な笑顔へ変わったのだろう。

『ふ、ふ、ふざけるなっ! ハルユキ君は渡さない。いいか、私はな、ずっと一緒にいようとまで言われているんだ。いつか毎日一緒に食事出来るようになりたいと言われたんだ。ずっと側に居て欲しいと言われたんだぞ! 何より私は既に彼に告白している。そのうえで毎日食事とかずっと側にとか、これはもうプロポーズされてるといっても過言ではあるまいッ!』

「ちゃ……ちゃうんですぅぅぅ」

過言である。
春雪にそんなつもりはなかった。

「もげろ。リア充超もげろ。告白された? 爆死しろ。超爆死しろ。死んでモテモテの実をアイテムドロップしろ。水を泳げなくなっても女体を泳げるなら俺は一向に構わん」

そんな超人系のクラスに就いた覚えも春雪にはない。
どっちかというと多分動物系鳥モデルの実だろう。

「……なんで加速世界で普通に盗聴出来るんですか?」

「盗聴ではない、事故だ。加速世界用のプログラムを組んでブレイン・バーストと連動させてやれば加速中にもちゃんとこちらのプログラムは動く。この会話は録音されたログを再生しているに過ぎん」

『へーへー、そんじゃそのプロポーズを受けてあのエロ漫画よろしく大きくなったお腹抱えて卒業式に出るのかい?』

由仁子の声が聞こえた直後、けたたましいノイズが響いた。
あるいはそれは春雪の心臓が驚きの余り心音を噛んだのかも知れない。

『……流石にそれは出来ん』

『鴉さんには後でようくお話をしないといけないみたいですね』

『ハッ、ハルの馬鹿っ。信じらんない! 普段イジイジしてるくせにちょっと上手くいくとすぐ調子にのるのは知ってたけど』

春雪は地面を転がりながら暴れまわった。
いや、むしろあちこちに体をぶつけ捲くることで正気を保とうとしているのだ。

『ASAPは良いこと』

《ブラッド・レパード》は、普段の彼女のせっかちっぷりを知る者からは、本気とも取られかねないことを言ったが、もちろんそれは冗談である。
いくら何でもそれはない。
ないというのに。

『ば、馬鹿を言うな! だいたいお前もそう他人事ではないんだぞ』

本気にしたお馬鹿さんが居た。

『? 詳しく』

『……実に業腹なことではあるが、なんとなくリアルのお前に見えなくもない特徴を備えたヒロインの話も載っていた……それが、バイクに二人乗りで、そのだな……』

もにょもにょと不明瞭な声が発せられたが、それでは伝わらないと分かっているのだろう。
意を決したように一拍の無音の後、朗々たるアホな台詞が流れた

『フュージョンしていたッ!』

黒雪姫なりの隠語なのだろう。
しかし、そんなものでも勇気を与える、或いは開き直るに十分だったようで。

『童心に返って昔使っていたランドセルを背負った見た目小学生な成人女性とも、黒髪ロング外面如菩薩内面如夜叉の車椅子女子高生とも、彼氏のいる幼馴染とも!』

バンッ、と机を叩く音がした。。

『お前も、お前も、お前も、お前もだッ! 皆フュージョンしていたんだ!』

お前もという声に込められた情念に、まるで自分が指差され糾弾されたかのように身を強張らせる三人の男たち。
きっと現場では心意が漏れ出ているに違いない。

『ねえ、サっちゃん。外面如菩薩内面如夜叉って誰のこと?』

楓子の声が、誰よりも怖いレイカーさん状態で響き渡る。
まるで無生物すら息を潜めたかのように、偶然の静寂を狙い済ましたかのような一瞬だった。
春雪も動揺を押さえ込まれ、身じろぎしでもすれば我が身に恐怖が降りかかるとばかりに微動だにしない。
停止とは冷静に近いものでもあるのだ。

『落ち着けってロータス。レイカー姐さんもな』

『不様』

『ひょっとして。先輩、自分だけフュージョンしてなかったとか?』

『していたとも。私こそがハルユキ君の加速の原点、対となる存在。たとえ私の心意技を以ってしてもその絆が断たれることはない。主人公は黒が好きでパンストリンクと叫ぶ話もあった』

「……先輩」

こんな状況でもまだそう言ってくれる黒雪姫に、春雪は感動していた。
原因がエロ本でなければ、それは胸を打つ台詞だったことだろう。
しかし、《ホワイト・ターニップ》も拓武も駄目だこりゃといわんばかりの目配せを交わしていた。
ある意味他人事として客観的に見ていた二人には、今の春雪には全く以ってあるものが欠けているとしか思えなかったのである。
春雪に欠けているもの、デリカシーである。

『だが、だがしかし。私は、どうすればいいのかが分からないッ!』

好意があれば全て解決というわけには行かないのが人間関係、特に男と女というものである。

『そして……ところでこいつを見てくれ、どう思う?』

コトン、とおそらく机に何かを置く音がした。

『……すごく、黒くて硬いです。とでも言やあ良いのか?』

呆れ声は由仁子のものだ。

『あら、可愛い。私も一つ欲しいですけど……』

『わー、よく出来てますね。触ってもいいですか?』

『GJ(いい仕事してる)』

他は三者三様の反応。
由仁子に限ってはその存在を前もって知っていたからだ。
楓子が可愛いと評し、千百合が好奇心を刺激され、《ブラッド・レパード》がその仕事を評価する。
そして黒くて硬い。
それは当然、《ぶらっく・ろーたす》のことだ。

『それがただ、ただのよく出来たフィギュアであれば何も問題なかった。私はただ、ハルユキ君の手先の器用さに感心し、バーストリンカーであることの手懸りに叱責を浴びせ、私を慕う余り私のフィギュアを作ってしまったことに内心ニヤニヤしただろう』

そう言うからには、ただそうではなかったに違いない。

『あっ』

千百合の声は、《ぶらっく・ろーたす》を取り上げられたことで発せられたものだろう。

『ここの部分が……こう……』

かちゃかちゃと音がして、その後に大声が響いた。

『ぎゃはははははっ!』

『エロユキの馬鹿、おば様に言いつけてやるんだから!』

重くて鈍い音がしたのはおそらく人間が椅子から落ちたのか。
ニコ辺りが腹を抱えて顔芸しながら爆笑して椅子から落ちるさまが眼に浮かぶ。
千百合の声は既に涙声だった。
言いつけてやるだなんて子供じみた脅しは、幼児退行しているのだといわざるを得なかった。
そして年長組みで比較的感情を抑えるのが上手い二人はというと。

『EX(エキサイティング)』

『男の子ってどうしてこう、みんなイカロスなのかしら。ああでも、鴉さんは自前で飛べるから……カーズ様みたいにすればいいわよね』

何を考えているか分からない《ブラッド・レパード》に、本当はラスボスかもしれないレイカーさん。

『スカートがアタッチメントでその下に、白い下着……私は何を求められている? どうしたらいい?』

「ちゃうんです、ちゃうんです先輩。僕を信じて下さい……」

「我が作品ながら中々の出来栄えだと自負している」

拓武だけが、それもアリかなと考え込んでイカロスと成り果てようとしていた。
《ホワイト・ターニップ》は言うまでもなくすでに後戻りできない荒野を、大海原を行くモーセだった。

『ぎゃははは、ひーっ、ひーっ。腹痛ぇ。ちょっとそれ貸してみな』

上機嫌極まりない、不吉な由仁子の声。
かちゃかちゃと弄り回すような音が流れる。

「む、いかんな。余り弄り回されるとスイッチOFFされてしまうかも知れん」

「いっそ、いっそOFFして下さい。というか、もう、殺して」

春雪はこれ以上精神的ダメージを受けると、アバターが停止してしまいかねない状態だった。

『ん、おお。ここも動くのか。もう、ど変態なお兄ちゃん』

笑いを含んだ由仁子の声が聞こえるたびに、春雪が痙攣する。

「あ、あの。念のため聞きますけど。……スイッチOFFってスカートを穿かせるとか?」

のろのろと顔をあげて質問する春雪は、一縷の望みに縋りつく哀れな遭難者のようだ。

「いいや、両おっぱい長押し5秒間だ」

『ぎゃははは。なあロータス、他の王と戦うときにコイツで笑わせてから戦えば100パー勝てるんじゃねえの? ぎゃははっははは―――』

ブツン。
急な通信断絶のノイズと共に、音声が途切れて辺りに静寂が戻る。

着脱可能のスカートでアバターなのに下着着用。
おっぱいがボタンになっていて長押し5秒でスイッチOFF。

「もう駄目だ、もうお仕舞いだ。今度こそカースト最底辺だ、師匠と先輩の鬼しごきで生まれ変わらされちゃうんだ。きっと体脂肪率5%以下とかになっちゃうんだ、デフォの待機姿勢が両手を腰で合わせた休めの姿勢になっちゃうんだ。Sir.yes.Sir!とかごく当たり前の言葉になっちゃうんだ。自分は~~でありますとかいう喋り方になっちゃうんだ」

「まあまあ、きちんと事情を説明すればマスターたちだって分かってくれると思うよ」

「タク……本当に、許してくれるかな?」

「許すも何も、ハルは今回何も悪いことしてないじゃないか。先ずは誤解であることを伝えて、そこから事情を説明すればいいんだよ。マスターたちだってそう簡単に話し合いを放棄するような人たちじゃない。違うかい?」

「……いや、タクの言う通りだ。俺、何も悪いことしてない。誤解なんだ、話せば分かる。だよな?」

「そうさ。まあチーちゃんだけは話を聞かずに殴りかかってきそうだけどね」

「ははは、確かに」

あくまで犯人が《ホワイト・ターニップ》であり、春雪が無実であること。
そのことを前提として和解を求めるということで、春雪の精神はようやく平衡を取り戻した。

「でも、先輩が白い下着だなんて、ギャップがあって案外良いかもな」

平衡を取り戻したら、喉元過ぎれば熱さを忘れて現実逃避に走るのが有田春雪という少年である。

「うーん、体育会系じゃ結構そういうのの読み回しもあるけど、確かに黒と白のコントラストは根強い人気の配色だね」

「……パドさんとか、やっぱり赤なのかな」

照れながらもそう口にした春雪は、黒雪姫と由仁子が自宅に泊まったときも、なんだかんだでラッキースケベを狙っていた好き者である。
この手の話題も、普段する機会がないだけで決して嫌いではない。
いや、むしろ好きである。

「どうだろう、せっかちで合理主義だからね。そういう派手なのは着けてないかも」

「おい、お前らだけで盛り上がるんじゃない。俺も仲間に入れろ。むしろその手のことでこの俺の意見を求めないとか、馬鹿か貴様ら。外装崩しで最適な下着と肌色の自動選択のために一体どれだけのサンプル蒐集と分析を行ったと思っている。自慢じゃないが名の知れた女性バーストリンカーなら、最適な下着の色と形は間違いなく全部網羅している」

本当に自慢にならない。

「じゃあ、パドさんの、《ブラッド・レパード》さんのはどう思います?」

しかし、先ほどまでの会話再生という極大のストレスから解放された春雪にとっては、そんな馬鹿馬鹿しく自慢にならないことでも大いにはしゃげた。
そもそもの原因であるのは《ホワイト・ターニップ》であるが、そこで相手を責めきれないのは春雪の苛められっ子としての弱気か器の大きさか。
ともかく、春雪は解放感から奇妙な高揚感に包まれ、修学旅行の消灯後布団の中での猥談と同じスイッチが入ってしまったのである。

「《ブラッド・レパード》だと? 血の様に赤いレースでTバックの一択だろうが! と言いたいところだが、どうやら貴様らの口ぶりからしてリアルを知っているらしいな。せっかちで合理的、となるとスポブラとボクサーブリーフのコンボもアリだな」

「え、女物のブリーフなんてあるんですか?」

「確かに、バイクとかにも似合うかも」

中学生男子二人は思い思いの返答だ。

「たわけ、貴様の翼は飾りか? アバターはトラウマの具象化だ。貴様の深層心理には抑圧の反動としての翼望が刻み込まれているのだ。己の心に耳を傾けろ、想像の翼を閉じるな、童貞の荒野を往け、止り木なきロマンの空を飛べ。ただし非童貞なら墜落死しろ」

《ホワイト・ターニップ》が見せる本気の凄みに、春雪は圧倒されてこくこくと頷く。

「重ねて言うが想像の翼を広げろ。"杭打ち"もだ。想像の翼は全ての童貞に許されたエグゼクティヴなひと時。未知なる洞窟に思いを馳せろ、貴様らにカワカミ探検隊の隊員の身分をくれてやる。いいか、俺はさっきスポブラとボクサーブリーフを提案したが、決してそれだけで終わってはならない。型紙が決まったら色柄だ。さあ、己らの心に耳を傾けろ、目を向けろ。何が聞こえる? 何が見える? can you see ? can you hear ? 」

「灰色の、無地……でも、真っ赤な縁取りが」

「それだけじゃないよ、ハル……これは、信号待ちの間の暑さで滲んだ汗が、灰色を一部黒くしてる」

どうしようもない男たちだった。
このとき、確かに過剰光がピンク色となりそれぞれの背に宿った。
親が見たら啼く雄姿だ。

「そうだ、それを、その感覚を忘れるな。イメージこそが鍵だ。ブレインバーストもエロも同じことなんだ。斯く在れかしと望んで実現を信じろ。だがそれと同時に目の前のものからも逃げてはいけない、認めなければならない。対戦で負けそうになっても諦めず逆転を信じたからこそ勝てたことがあるはずだ。勝てると思った相手に負けることだってある、己の攻略法を突きつけられることだってある。だが、その事実を認めてこそリベンジがあり克服がある」

それは、そこそこにキャリアのあるバーストリンカーならあたりまえのことだ。
拓武のキャリアなら十分におぼえがある。
春雪の長いとは言えなくも濃密なキャリアでもそうだ。

勝ちたいと思い、勝てると思い、戦いに挑む。
しかし、そこで苦戦し、負けそうになる。
そんな時に諦めずに戦う。
例えばニュービーを相手に。

己の自慢の技で敵を追い詰め、連戦連勝を重ねる。
しかし、あるとき攻略法を見つけられ、負けてしまう。
そんな時に、克服法を探る。
例えば狙撃手を相手に。

「欲求があり、達成は困難だ。だが、諦めずに求めた者にのみ、エロスの神は微笑んでくれる。どんな形が、色がベストチョイスだ? 数多の候補があり、討論は過熱を極めるだろう。己の信じたベストチョイスが、他人の提案したベストチョイスに敗れ去ることもあるだろう。だが、それは悲しむに値しない。むしろ、新たな価値観への啓蒙だ。意外な良さだ。ゆえに俺は《ブラック・ロータス》に純白レースを推す。どうだ、確かに漆黒のボディに見慣れん白は違和感があるだろう。だがな、違和感は荒野のようなものだ。諦めず進めば乗り越えられる。するとどうだ、ギャップのある白は中々イイモノに見えてこないか? あの手足と黒がツンだ、そして白がデレだ。砂漠の向こうに聳えるマハラジャの宮殿だ、そこには酒があり、美女がおり、涼しい空気がある。統一されたものにはそれの良さがあるだろう、しかしギャップにも良さがある」

「言われてみれば、なんだかそんな気も……」

「それだけではない。ギャップは話題を生む。そこからの展開は王道だ。逆説的に王道を外さないのであれば必然的にギャップは押さえておきたいところだ。違うか?」

「確かに。使い古されてるけど、時代を超えて通じるからこその王道。むしろ、普段黒に偏ることで白をギャップに使えるようになっている。ということは、ギャップを活用しないのは先輩に失礼とも言えるのでは……」

超理論である。
言える訳がない。
黒雪姫と由仁子が泊まった晩、お風呂中の時にも展開した超理論。

「そうだ、その通りだ。しかし、それは険しい茨の道だぞ。道標のない荒野だ。太平洋単独航海だ」

「でも、それでも僕は……」

春雪の心は揺れていた。
黒雪姫がその色を好んでいることは知っている。
IDにハッキングしてわざわざ黒雪姫などという名前にするほど"黒"の入ったあだ名を気に入っている。
ギャップを良しとするという事は、黒雪姫に異論を唱えるということだ。
調和の取れた黒い絵に、勝手に筆を加えるということだ。
人の趣味に、自分の感性を押し付けるだけかもしれない。
勝敗が読めない上に、チップは大事な人間関係。
これは冒険が過ぎる。
だが。

「そんな程度で尻込みするくらいなら、始めから翼なんて生えてこなかった! 加速するってことは、変わるってことなんだ。人間は時間と距離に縛られる生き物だ、そこから自由になるために文明を持って変わり続けてきた。200万年前のアフリカから、ずっと旅して、加速し続けて、馬や船や車に乗って、空を飛んで、月まで行って、一千倍の時間加速まで来たんだ」

春雪はやはり男だった。

「加速したい。もっと、もっと先へ!」

「ほう。どこへ、何をしにだね?」

「お約束の先に! ギャップのある場所へ。そして、先輩と、……もっと親密に」

春雪はやはり男だった。

「そうか。一皮剥けて、積極性を発揮できるようになったらしいな。喜ばしいことだ」

救い難い荒野への、止り木なき空への旅路に就くことをやめられないでいる男だったのだ。




「私も嬉しいよ、ハルユキ君」




いつからだ?
いつから錯覚していた?

「だがしかし、少しばかりオイタが過ぎるのではないか? こんな、いかがわしい根野菜と、レディの肖像権を侵害する話に花を咲かせているとは。はは、こやつめ」

コツン、と剣腕の切っ先で春雪の頭を小突いてみせる黒雪姫のアバター《ブラック・ロータス》。

一体いつから――黒雪姫がこの場にいないと錯覚していた?
あの音声は録音だった、リアルでの過去。
つまり、録音終了直後のリアルからバーストリンクして探せば、この場に現れることも可能であることを失念していた。

「重ねて言うが、嬉しいんだ。君の周りにはいつも他の女の影がある。私は君が好きだと告白したが、どうにもうやむやにされてしまっていた。しかし、確かに君は私を女として見て、私を欲しいと思ってくれている」

黒雪姫が春雪の首に両腕を回して抱きつく。

「正直にいうと私もあれらの成人向け雑誌はどうかと思うが。流石にあんなプレイを受け入れることは出来ん。……た、多少の譲歩ならしてやってもいいが」

もしも、二人が生身であったなら。
自分とは違う体温、柔らかな肉体、汗の湿気、コロンの甘い匂い、耳をくすぐる声と吐息。
それらで春雪の思考は加速しすぎて横転、空回りしていたことだろう。
だがしかし、ここは加速世界、互いに硬質のアバターではそういったものはなく。
いつでも先代赤の王のように首を刎ねられかねない体勢に、春雪はいっそ石にでもなってしまいたい気分だった。


「しかし、それはそれ。これはこれ。女として許せない事もある」


「で、DEATHよねー」

レベル9のバーストリンカーに、心意技発動体勢に入られているこの事実。
加速世界でも最速の一人として数えられる春雪の反応速度を以ってしても、詰んでいた。
カシャンと音を立てて、可愛らしく首を傾げる黒雪姫。

「私のフィギュア、アレは嬉しかった。何というかだな、頬が緩んだ。だが、あの、キャストオフギミックと胸部装甲可動ギミック」

するりと、春雪の首を解放し、背を向ける黒雪姫。
その言葉は、心なしか震えていいた。

「嬉しくて、感情を制御出来ない。君と千百合君が30cmケーブルで直結したことなんてメじゃない。こんなにも、心の体積が体の容積を、遥かに凌駕するなんて……」

まるで舞台の上の女優のように、演劇じみてばっと開かれた両腕。
届いてもいない切っ先が、黒雪姫の左右の地面を断ち割った。


「私の心も、君に向かって、かつてないほどに加速しているよ。ハルユキ君?」


鋭い切っ先を最先端にしてですね、分かります。

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」

だいじょばない、走って逃げるほどのクライシスはとうに過ぎている。
ハルユキは翼を広げた。
向かう先は明日であり、未来であり、生存であり、自由であり、ともかく肯定的な全てだ。
きっと、翼を広げる速さは今までで最速だったし、地面を蹴って飛び立つタイミングもジャストタイミングだった。
羽ばたきはかつてなく力いっぱいに、イメージにおいては鳥ですらなく、客観的な己が姿のイメージなど刹那も思い浮かべずに、ただただ前へ、目前の空へ。
目の前という視覚イメージと、翼で空気を叩きつけるということしか頭になかった。
強いて言うならば、ハルユキ自身の悲鳴が耳にこびりついて離れないことが余禄だ。

「おっと、悲鳴を上げるほど喜んでくれて嬉しいよ。逃げるなんて嬉しいな。何はさて置き、取るものとりあえず、と言った所か。君のその情動の原動力が私であり、終着が私となることが嬉しくてたまらない」

聞こえてはいる。
しかし、それらはビデオの録り貯めのようなもの。
バッファにあるだけで、そこから先の思考という処理過程には達していない。
下手に理解すれば、フリーズを通り越してハングアップだ。

「ところでハルユキ君。嬉しいと言う字は、女が十文字に斬り、四角く切り裂き、左袈裟斬り右袈裟斬り、横一文字に斬って、四角く振って六分割と書くんだが――」

何も考えていないはずなのに、ここには無い肉体が魂を無視して肉体の生存本能に突き動かして首を巡らせる。
求めるのは拓武。
だが、駄目だ。

「タ、タクゥッ!?」

ああ、さっきから何も喋っていないなと思えば、何の事は無く喋れない状態にあったからだ。
"怒"という字に読めるように、仰向けのその身は、とっくに地面ごと音も無く切り裂かれていた。
最後の力を振り絞ってか、ピンと張られた右手が額へと動いた。
敬礼である。

――じゃあね、ハル。悪いけど僕はお先に。頑張って――

「逃げやがった、タクッ!」

喋れば喋った分だけ速度が落ちる気もしたが、春雪は叫ばずにはいられなかった。

「――書くんだが、この期に及んで逃げる君にはもっと別の文字を刻もうと思う。そうだな、ネガビュ所属であることの証明にNEGA NEBULASでもいい。いや、Black・Lotusでもいいな。なんなら私のアスキーアートでもいいぞ」

空恐ろしいことをさも真面目そうに言ってくれる。
しかし、アバターでは表情がなく声色で判断するしかない。
春雪にとっては恐ろしいことに至って真面目に聞こえる。

「無茶苦茶過ぎますよぉ!」

「小さい頃教わらなかったか? 自分のものには名前を書きなさい、と」

「あああ、その強引さが奥手な僕には満更でもないっ」

事件に関わるときは、巻き込まれがちな春雪。
追い込まれてからでないと能動的になれないタイプであることは自覚している。

「ははは、私は君に満更でもないどころか首っ丈なのだがね」

ハハハ、マテー。
キャッキャッ、ツカマエテミセテー。
と、いった感じでいちゃついていると言えなくもない二人。
多少男女逆転していると言えばそうだが、平和な世の中とは男性の女性化の世とも言われるものだ。
割と本気で二人の世界に入り、十割本気で追いかけて十二割本気で逃げている二人。
しかし、そんな二人の世界に乱入する者がいた。

「年上のヤンデレお姉さんとこの俺の目の前でいちゃつくとはいい度胸だ。だがしかし、貴様がエロゲ主人公体質と知った以上はおこぼれ狙いに友人ポジションで協力せざるを得んな。さあ、金髪巨乳枠は俺に任せてルート確定的な意味でお前は先に行けぇ!」

拓武同様に、いつの間にかフェードアウトしていたと思っていた《ホワイト・ターニップ》が叫んだ。

「も、もしかして、ターニップさん!? でも……」

空中と地上の高低差を以ってなお危機感を駆り立て続ける《ブラック・ロータス》
レベル9バーストリンカーには、飛行スキル程度は戦闘における切り札になりえないと肌で感じさせる。
そんな相手と《シルバー・クロウ》の間に立ったのは、《ホワイト・ターニップ》だ。

「いいから行け、ヤンデレヒロインは迂闊に受け止めようとするとバッドエンドだ。分からんお前ではなかろう?」

格好いい台詞をはくものの、その姿は締まらない。
なぜならば、全身モザイクだったからだ。
超モザイクだった。
モザイク越しなので想像でしかないが、両腕と角のないジオングを白く塗ったようなフォルムに見える。

「確かに。生き残りフラグを立ててからでないと、ヤンデレに殺されて終わりなのはセオリーですけどっ」

とりあえずスルーして春雪は答えた。

「いや待て君たちどう見てもおかしいだろうなんだそのモザイク怪人」

目の前の相手が奇人変人の類であることに初めて気づいた黒雪姫は、春雪ほどのスルースキルを発揮できなかった。
ただでさえ初見であるのに、その全身モザイクが体を張って自分の足止めをしようというのだから。
きっとあの全身モザイクは、自分で開発したモザイクプログラムを使うことでなしえたのだろう。
他人に使うよりは確かに自分に使うほうが容易く、言ってみればただモザイクで覆っただけなのだろうが、視覚的に奇妙極まりない。

「中に誰もいない事を確認されたり空鍋されたりしたくなければ、ここはひとまず逃げろ。なに、金髪巨乳の嫁を貰って退廃的な生活を送るまで俺は死ねんよ」

「それ死亡フラグですよ! あとスイマセン、金髪巨乳枠ってまだ出てなくて」

「チッチッチ、ギャグ補正が掛かれば死亡フラグは実は生きてましたフラグとなる。言ったはずだぞ、諦めず信じるんだと。あと鉄板キャラは必ず来る。きっと親の仕事の都合で長いこと日本に住んでいる金髪巨乳バーストリンカーとかお前の前に現れるはずだ」

「いやいやいやおかしいからな。何でスルーしているんだハルユキ君おかしいだろうその卑猥な全身モザイク謡には見せられんだろう日下部君が見たら悲鳴を上げるだろう!?」

「く、分かりました。確かにそんなキャラ立ってる人が現れたら、バーストリンカーかも知れません」

「ああ。むしろネギまのキャラに被ってるのがいたら、恐らくそいつら全部ヒロインだ」

「えっと、ああ。古いファイルで見たことあります。あの主人公の母親って結局どうなったんですか?」

「知らん。きっと作者と編集が書き忘れたな。もしくは単行本収録の尺の都合か。いずれにせよあのレベルであれば一向に構わん、この俺に紹介しろ。いいか、絶対だぞ。しないと泣くからな、ぐれるからな。尻乾電池(単1)一千倍フォワードを送りつけてHello Worldせしめるぞ」

「おいコラ君たち途中からヒロインの話しかしていないだろおかしいだろうというかうちの子を悪の道に引き摺り込むんじゃない」

二人の会話に中々ついていけない黒雪姫は、口を挟むにも言いたいことがありすぎて、だいたいワンブレスになっていた。
もしくは全身モザイクの《ホワイト・ターニップ》にドン引きで、音声の出力が入力スピードについていけずにおかしなことになっているのか。
ともあれ黒雪姫の闘志を幾分削ぐことには成功しているといえた。

「悪の道とは人聞きが悪いな、エロスの道と呼べ。そして黒の王よ、あの程度の参考資料で揺らぐ貴様のメンタルでこの俺に勝てると思ったか。アライメントLight-Erosなこの俺にとって貴様は実に相性がいい」

「ほう? そこまでいうなら相手をしてやらなくもないが。出来ればレベル9になって出直して来て貰いたいものだな。弱いものいじめは好きではないし、何の足しにもならない相手は斬り応えがない」

互いに勝利を疑わない、強固な自信に裏打ちされた台詞。
ともすれば《ホワイト・ターニップ》はレベル8辺りでもおかしくないと思える強気っぷりだ。
ごくり、と春雪が逃げるのも忘れて対峙する二人を見つめる。
下手に動けばそれが引き金となるような気がして。

「ひぎぃ、らめぇえおおぉがしぐなるぅぅぅううっ!!」

秘技・羅冥オーガシグナルと叫んだに違いない。
しかし、春雪は全身の力が抜けて墜落を免れ得なかった。
黒雪姫も、突然の奇声にビクッと動いて硬直している。
だが、そんな思考停止時間も長くは続かない。
どどどどど、そんな音と共に、草木を掻き分け鬼の姿をしたエネミーが出現したからだ。

「く、こんな時にっ」

黒雪姫の背後から出現した鬼たちは全部で10体ほど。
小枝や葉っぱをその巨躯に引っ掛けたまま、怒り狂った雄叫びを上げて突進してくる。

「甘いっ」

対する黒雪姫はそんな鬼達の手近な二体に躊躇なく斬りつけた。
オリジネーターでないとはいえ、レベル9バーストリンカー。
群れで行動するからだろう、一体一体がそう強く設定されていなかった鬼たちは一撃で死なないまでも攻撃も防御も出来ずに膾切りにされていく。

「ええい、インフィニット・スリック!」

春雪が墜落から立ち直って見たのは、《ホワイト・ターニップ》が自分にも迫り来る鬼に対して、白い液体を断続的に放射してスリップダウンさせているところだった。
おそらく、付着することで摩擦係数を極端に減らし、移動を制限する技。
更には踏ん張ることも阻害すると思われる技だ。
マップ戦闘のシュミレーションRPGを沢山プレイした春雪は、あの手の技がどれだけ厄介かよく知っている。
地味だが、近接攻撃しか手段がないユニットにとってそのまま嬲り殺しにされかねない恐ろしい技。
そんな技で鬼達の機動力を奪った《ホワイト・ターニップ》は、その脚部からシュルシュルとひも状のものを伸ばし、鬼を捕まえては黒雪姫に投げつけていた。

「この俺はいわば草ポケモン的なアバターでな。両足が球状なのはモンジャラの如く自在に動く蔦の塊りだからだ。そして白い超潤滑液で相手の機動力は赤子の如く減少する」

ゆらゆらとデンプシーロールばりに上半身を揺らしながら《ホワイト・ターニップ》は足の蔦を蠢かせて黒雪姫に近寄る。
投げつけられた分も含めて、全ての鬼を切り伏せた黒雪姫は、その姿に慄き後ずさる。

「ふ、ふん。私は足が剣になっているせいでホバー式だ。そんなものは効かん」

「成程。しかし、これでもまだ強がっていられるかな?」

なんだか台詞的に立場逆転している感じがして、春雪は思わず見入ってしまう。
《ホワイト・ターニップ》の脚部から伸びるモザイクに覆われた数十本の蔦が、黒雪姫に襲い掛かった。

「こんなものっ」

しかし、大した強度を持たないそれらは、一振りで数本まとめて断ち切られていく。
切り落とされた蔦の先は、切断後もしばらくはビクンビクンと地面でのた打ち回っている。
それらの断面からは、白い樹液的なものが零れて緑の草を濡らしている。

「言い忘れていたが、貴様の体が僅かに宙に浮いていたり掴み系の技が効かないのと同じように、草ポケモン的なこの体の特徴としてはフローラルな所があってな」

語り始めた《ホワイト・ターニップ》に、黒雪姫は何かを確かめるように首を上下左右に巡らせる。
そして、決して目の前の相手を視界から外さないように慎重に、確かめるように僅かに顔を下に向けた。

「傷口からにじみ出る樹液は栗の花に近い匂いがするのだよ。あと腐食効果もある」

足元の白い樹液的な何かは、緑の絨毯をこげ茶色に変色させていた。

「……ひっ」

あの黒雪姫の口から、怯えたような悲鳴が漏れた。
それが春雪には俄かには信じられなかった。
あの《イエロー・レディオ》の策略によって《レッド・ライダー》不意打ちのトラウマを掘り起こされたときよりも怯えの色に満ちていたのだから。

「い、嫌ぁぁぁあああ!」

「せ、先輩? どうしたんですか? まさか腐食と同時に幻惑効果とか……」

思わず声を掛ける春雪だったが、その声は届いてはいなかった。

「おおっと、そろそろ逃げろ翼付き。お前には生き残って金髪巨乳を紹介してもらわねばならん。何、心配は要らん。かの黒の王は中々耳年までウブだったというだけの話よ。そしてその知識ゆえに敗れ去るのだ、このおマセさんめ」

そして、断ち切られたにもかかわらず未だに健在な蔦を蠢かせながら、歩行には余り向かない丸い足を動かして、上半身をゆらゆら動かしながら黒雪姫へとにじり寄ってゆく。

「そぉーれどうした。切れば切るほど樹液は溢れ出てお前に飛び散るぞぉう」

「や、やめろ。来るな、私に近寄るんじゃあない。この猥褻物め、都条例で取締られろ!」

「んん、どうした? 近接は貴様の間合いだろうが。昔お風呂でみたお父さんのとは違うかね?」

「嫌、嫌だ。寄るな、来るなぁ!」

「ほーれほれ、どうしたどうした。さあ、私のぶちかましを受け止めて見せろ」

「やだやだやだ、あっち行け!」

あっという間に攻守逆転してしまい、《ホワイト・ターニップ》が黒雪姫を追いかけている。
だがしかし。

「この映像は、何かイケナイ気がする……」

傍から見ると、モザイクの変態が自分の親を襲っている姿である。

「そこまで嫌がられると新しい扉が開かれそうな気分になって来たぞ、このオマセさ――」

「止めろ、もう止めるんだ!」

「む、邪魔する気か、翼付き」

「こんなのもう、対戦じゃない」

対戦ではなくただの痴漢出現図である。
春雪の脳はそう判断した。

「先輩、逃げてください。こいつは僕が捕まえておきますからっ!」

そう叫んで翼を広げると、春雪は《ホワイト・ターニップ》を後ろから鯖折りするくらいのつもりで思い切り抱き締めた。

「ええい。離せ、離せっ」

上半身を左右に振りながら抵抗する《ホワイト・ターニップ》だったが、春雪の翼の生み出す浮力には抗えず、その体が宙に浮く。

「さあ、先輩。今の内に!」

「おのれリア充、一級フラグ建築士めっ。やはり敵か、もげろ、爆発しろ!」

春雪に後ろから抱えられるような形で、一緒に宙に浮く《ホワイト・ターニップ》の蔦の半数は未だに黒雪姫に向かおうとしてうねうねと蠢いている。
残り半数は地面にもぐり、飛び立たせまいとアンカーのようになっている。
重ねて言うが、《ホワイト・ターニップ》ずっとモザイクで覆われている。

黒雪姫にとって、目の前で浮遊する巨大なモザイクはまるで春雪の体の一部のように見えた。
両足が球状で、腕がないために直線的な同から頭へのライン。
春雪のカラーは銀で、モザイクに覆われた白色と似ていなくもない。
それを後ろから抱える春雪。

「先輩、先輩!」

「ぐぬぬ、離せ、ちょっとだけでいい、先っちょだけでもっ」

目の前で人間大の大きさのモザイクを抱えて迫り来る春雪がごとき映像。
黒雪姫の心は、臨界を迎えた。

「い、イヤァァァァアアアアアアアッ!!」

黒雪姫のアバターは、黒い光とでも言うべき過剰光をその身からあふれさせた。
めちゃくちゃに振り回されるその両腕は、レベル9バーストリンカーの力に全力の心意システムを上乗せした恐るべき威力を周囲に撒き散らして荒れ狂う。
アンカーとなっていた《ホワイト・ターニップ》蔦ごと地面を断ち切り。
辺りの空気をも大きく断ち割り、大量の巨大な空気の断層を生み出していった。

「え、う、うわぁぁぁぁぁ」

「な、なんとぉッ!?」

アンカーを引き千切り、全力で飛び立とうとしていた所に急に抵抗が消失。
更には上空に生まれた巨大な真空は、その空間を埋めようと周囲の空気を吸い寄せる。
真空は上空だけではない、左右にも、あちらこちらに生まれては消えていく。
春雪は《ホワイト・ターニップ》と共に、錐揉みしながら極めて異常な軌跡を描いて飛んでいった。
もちろん、それは自力ではない。
春雪は既に《ホワイト・ターニップ》から両手を離していたが、今度は《ホワイト・ターニップ》が宙に放り出された恐怖から蔦を使って春雪にしがみ付いていた。

それはまるでトの字を逆さまにしたような、組体操のような構図だった。

そんな二人を見て、黒雪姫は更に叫ぶ。
怒りやら悲しみやら恐怖やら、とにかくパニックだった。

「そんなの、そんなの私のハルユキ君じゃない!」

《クロム・ディザスター》化した時だって言わなかった台詞が出たのは、やはり黒雪姫も中学生女子に過ぎないことの証明だったのかも知れない。
それくらいトラウマ化する映像だった。
溢れ出る過剰光は目の前のトラウマ映像を塗りつぶさんとして、夜の帳のごとく周囲を埋め尽くす。

「ハルユキ君を、返せーっ!」

あ、これもう駄目かも。

春幸はそんな事を思いながら、幼児退行気味の黒雪姫の涙声の叫びを耳にしながら、《ホワイト・ターニップ》と二度目の激突を地面と共に感じた。


***



三半規管が揺さぶられ、高速で上昇しているような、真っ逆さまに落下しているような。
己が何処に居てどんな軌道を描いているのか分からない。
迷い込もうとしているのか抜け出そうとしているのか。

まるで脳波が混線しているかのように、春雪の脳裏に浮かんでは消えていくおかしな者たち。
マンマルカワユスとでも評されそうな、頭と胴体合わせて一つの卵形な少年はその目も全くの円形。
見覚えのない姿であるのに春雪はそれを己かと疑ったが、やはり違う。
痩身であるものの、金属フレームで構成される全身は高機動型ロボットとして高速に耐え得る力強さがあり、足首から先がない脚部は一芸特化の証明か。
銀色に輝き、見覚えがないのに己と見紛う少年に寄り添うそれを、春雪は《シルバー・クロウ》に似た別物と断定した。

なんだかハンサムで鯔背で己知らずの刃傷持ちとか評せそうな、黒髪ロングの制服女生徒。
きっと性格はセメントで素の戦闘力が白熊殺しだったりしそうな彼女の横には、またもやメカメカしくも体の大部分のパーツ、手に持つ傘も刃物の集合体と化しているロボット。
顔だけは人間の女性型で、大きなヘッドマウントディスプレイのバイザーで目元より上は隠されている。
知らない美人とロボットと断定。

やたらと円筒形のパーツの目立つ見覚えのないロボット。

ショートヘアの女の子が身を翻すと、猫っぽいコスプレになったのは何か意味があるのか。
何やってんだこの子。
内心呆れて問いかける春雪は、見覚えがない見慣れた者たちへの違和感を失っていた。
頭が、世界がどうにかなったとしか思えない認識の中で、春雪はいつぞやのKIRITOとかいう謎の凄腕人型アバターを思い出したが、朦朧とする意識の中でまたすぐ忘れてしまった。

滲む意識は一瞬ブラックアウトし、しかしすぐに復旧を果たしてくれた。

「いたたた」

思い切り尻餅を突いてしまい、仰向けに転がった春雪。
しかし、背中に背負った鞄が固い床から守ってくれ、不本意ながら厚い贅肉が衝撃を吸収してくれた。
春雪は店の出入り口の左右に直立する、防犯タグ検知機にぶつかったのだ。

「お客様、大丈夫ですか?」

声を掛けてくれる店員に、顔から火が出そうなほど恥ずかしかったが礼を言い、大丈夫だと伝えてすぐに店を出る。
恥ずかしくてしばらくはあの店に行けそうもないと思いながら。



***



その翌日、春雪は昼の時間に屋上で鞄を漁る。
昨日買った本は、レイカー師匠の訓練で疲れ果て、買い物袋から出すことすらしていなかったからだ。
数冊の本を袋から引っ張り出すと、それと一緒に小さなむき出しのフィギュアが転がり出て来た。

「え?」

見覚えがあるはずのないフィギュア。

「《ブラック・ロータス》?」

それは、《ブラック・ロータス》に見覚えがない訳ではない。
フィギュアになった《ブラック・ロータス》に見覚えがないはずなのだ。
春雪がどんなにいろいろなメディアに目を通していても、《ブラック・ロータス》がフィギュア化されているはずがない。
ある訳がないのだ。
だというのに、春雪はそれに見覚えがある気がして、どんなギミックがあるか知っているような気がして。
ついついその手が動いてしまった。
それは、手にしたフィギュアの完成度を確かめ、関節部の可動がどの程度のものなのか確かめるという、ある意味当たり前の反応。
靴を買うとき、服を買うとき、試着するのと同じ。
条件反射的に周囲に誰もいない事を確認した、その数秒後、屋上の扉が耳障りな音を立てて開かれた。

「ハルユキ君、こんな所にい――」

屋上の入り口。
微動だにしない黒雪姫。
その目は春雪の手元に釘付けで、そのまま限界まで開かれていく。

――ああ、そんなに目を開いたら目玉が零れちゃいますよ。ただでさえ目がパッチリしてて綺麗なんですから――

などと小粋なジョークの一つでもかませたらどんなに良いだろうか。
思いついてもそんな事を言う勇気は春雪にはなかったし、自身に似合うとも思っていなかった。
そして、諦めの境地と共に視線を手元に落とし、黒雪姫が見てしまったものを春雪も見る。

スカート状のアーマーを脱がされ、白い下着を着用した《ブラック・ロータス》フィギュアを。

「……ち、ちゃうんです。誤解なんです、その、僕は悪くないんです」

乾いた破裂音のようなものが響いて、めそめそと、やがてわんわん泣く女性との声が階下に届いても、屋上から見える空は抜けるように青く、強い風が吹いていた。

その日以来、少年は一部の者たちからイカロスと呼ばれるようになった。
少年の日々は数ヶ月前のあの日から、その加速ぶりをとどめることを知らない。



***




余談だが、しばらくして《シアン・パイル》が一部の界隈でカリスマを誇るようになる。
《シルバー・クロウ》の戦いでは女性アバターを宙吊りに飛ぶとギャラリーから大歓声が起こるようになった。



リハビリがてら久しぶりに書きました、小説1巻巻末のおまけが元ネタです。
ちょっと一日くらいで書こうと思いましたがえらく時間掛かりました、どんどん筆が遅くなっている気が。
読んでくだすった方々のアブトロニックになれましたら幸いです。
数年ぶりに、ほすでした。


感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.02639102935791